《仏教哲学》苦聖諦――なぜブッダは「生きることは苦」と断言したのか?|スマナサーラ長老の初期仏教法話(説法 日本語字幕付き)
[感想]
あらゆる生命は苦しみに会うと、
本能的にその苦しみから離れ
遠ざかろうとする。
そのようにプログラムされてる。
しかし、それは一時しのぎでしかない。
ブッダは
一切の形成されたもの(行)
は苦である
と道破している。
この一切行苦の世界の内で、
ひとつの苦しみから離れ遠ざかるということは、
別の苦しみにそれだけ近づくことを意味する。
ひとつの苦しみから離れ遠ざかると、確かに苦しみが減るので、その分だけ「快」を感じるが、同時に別の苦しみに近づくことによって確実に増えている苦がある。
そこに時間差があるので「人生楽ありゃ苦もあるさ」と思ってるだけだ。本能プログラムのトリックである。
全ての生命は
ひたすら生きんとする盲目の意志
のプログラムに支配されてるから、
たとえ地獄に生れても、
地獄に生れて良かった
と、盲目的な
ポジティブシンキング
を強いられる。
そこに理性の欠片もない。
このプログラムに従っていては、苦から苦へ渡り歩くだけで、永劫苦しみから逃れることはできない。
では、どうすればいい?
あらゆる生命の中で、動物本能に逆らって行為する(可能性を持つ)のは人間だけだ。
人間は、この能力を正しく行使しているか?
本能プログラムに真っ向から逆らう行為であるヴィパッサナー実践には、曠劫より骨身に滲み込んだ獣性が全力で歯向かってくる。
あらゆる困難も当然と覚悟してかからなければならない。
サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。
ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること。
(My Favorite Songs)
'Silly Love Songs' (from 'Rockshow') - Paul McCartney And Wings
The Space Within Us (Only Music - 2006)
(過去記事統合増補編集再録)