《仏教哲学》幻影解体――自我という砂上楼閣 スマナサーラ長老との対話、仏教の教え|ブッダの智慧で答えます(一問一答) - YouTube
質問
「年取って死ぬことに、意味あるんですか?」
に、スマナサーラ長老が答える。
「のどが乾いたら水飲むでしょ。これに何か意味ある?…これもっと大きな問題なのに、なぜ疑問に思わないの?」
(50分頃)
[感想]
ブッダは、アートマン(我)を立てることは愚か者のごまかしだと明言している。
しかし人類は現在に至るまでアートマン(我)のいかに物凄まじい欠陥を見せつけられ続けても、これを捨て去ろうなどとは露程もおもったことがない。
なにしろ現人類は、貪瞋痴の苦しみを、夢中で楽しんでいる真っ最中だからだ。
自我という砂上楼閣。
とはいえ、この砂上楼閣の頑丈さよ!
ひたむきに生きんとする盲目の意志のひたむきさよ!
これはほんとにどうしようもないほどだ。
スマナサーラ長老の説法から、
もうあほらしてやってられんわといった
歯がゆい感じがビッシビシ伝わってくる。
アートマン(我)は、この上なく強固な幻覚だ。
アートマンは、人が世界を解釈し適応し生きるために必要なインフラとして自動作成されるように、人のDNAにプログラムされているとおもう。(このアートマンプログラムには深刻な貪瞋痴バグがある)
その証拠に、すべての無垢な赤ちゃんは、物心つく前に、もれなく貪瞋痴に汚染された「俺・俺のもの」の落とし穴に落ちてしまう。
おもちゃを取れれた子が「ギャーッ」と叫ぶ。
あれは、おもちゃが欲しくて泣いてるんじゃない。
俺のものを盗った!!!
と怒ってるんだよ。
そして、
これを見た親達は皆嬉しそうに笑ってるからね。
この砂上楼閣の頑丈さ!
これはほんとにどうしようもないほどだ。
そういうわけで、人類の実相は、まずこのプログラムに執着讃嘆する天文学的な長い時期を経てのちに、ようやく飽きて、ではブッダの教えも聞いてみようかいという気分に、ちょっとはなるかもといった心細いレベルだ。
(人類絶滅が先になる可能性高い)
それまでは、アートマンを、不死の魂、真我、大我、仏性と様々に呼び変えては隠し持ち、絶対に捨てない。
そして
唯一絶対宇宙創造人格神
がアートマンの最終形だ。
人は、生きるためのインフラとして偽造した自分意識(アートマン)に、今や逆支配され我欲の奴隷に落ちぶれている。
そんな社会がすっかり爛熟期に入ると、一時的退廃を経て、アートマンの最終形たる唯一絶対宇宙創造人格神に関する祭祀や苦行に、内外呼応する益体もないハーモニーを感じて夢中になる。
アートマンを(魂、真我、大我、仏性、どんな名前で呼ぼうと)保持する社会は、爛熟するたびに何度でもこの唯一絶対宇宙創造人格神を見いだし、
「おお神様 神様 助けて パパヤー」
と掻い付き、祭祀と苦行の暗い穴倉に入る。
自我を捏造し、自我の都合ですべてのデータを改竄し、自我の化物である神にひれ伏す茶番の中で滅びる。これを切りなく繰り返してるだけ。
ブッダは、それは人が陥る落とし穴だと教えている。
(ブッダのことば スッタニパータ249 中村 元訳)
魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢も、粗い鹿の皮(を着ること)も、火神への献供の奉仕も、或いはまた世の中で不死を得るための苦行も、神呪も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。
(引用終)
(My Favorite Songs)