釈尊は、インドでは最高神ヴィシュヌの九番目の化身としてヒンドゥー教の神にされている。
ヒンドゥーの根本教義であるアートマンを明確に否定した釈尊を、どんな手品を使ったら、自分たちの神と同一視できるのか。
釈尊となったヴィシュヌ神は、わざとまちがった法(=仏法)を説いて、国にはびこる悪魔の眷属(=仏教徒)をだまして集め、一網打尽に滅ぼした。という意味の話になっている。
これは、笑うしかない。
アートマンを否定することが、いかにこの世の勢力と相容れないかが分かる。
アートマンは人間に、極限までしつっこくつきまとってくる偶像なのだ。
人々はなぜかくも盲目的に
アートマン=我に執着しつづけるのか?
アートマンを否定すると、
自分の死を完全に認めることから
逃げられなくなる。
そのため多くの人間が金輪際放したがらない。
「あなたは死なない。だいじょうぶ」と言ってくれる宗教しか人は受け入れない。
アートマンが仏教の中にさえ、ゾンビのように復活してくるゆえんである。
大多数の人は、悪い夢にうなされるのは嫌がるが、けっして夢から覚めようとはしない。
この人たちは、良い夢に酔いながら夢の中で死んでも生きることを願ってやまない。
たとえ良い夢でも、
夢を見ている限り、
苦しみから自由になれない。
(My Favorite Songs)
江利チエミ。
「カモナ・マイ・ハウス」←クリックしてYouTubeで観てください。
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元祖三人娘(チエミ、ひばり、いずみ)は、歌唱力が圧倒的だった。
もう1曲。