哲学日記

この世の一切はわたしのものだ。

悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤ 中村 元訳 第2章第9節「耕 作 者」
より引用させていただきます。

(悪魔・悪しき者は、このようにブッダに語った)
修行者よ。眼はわたしのものです。色かたちはわたしのものです。眼が〔対象に〕触れて起こる識別領域はわたしのものだ。そなたは、どこに行ったら、わたしから脱れられるのだろうか?

嗅覚作用はわたしのものだ。香りはわたしのものだ。嗅覚作用が〔対象に〕触れて起こる識別領域はわたしのものだ。そなたは、どこに行ったら、わたしから脱れられるのだろうか?

舌はわたしのものだ。味はわたしのものだ。舌が〔対象に〕触れて起こる識別領域はわたしのものだ。そなたは、どこに行ったら、わたしから脱れられるのだろうか?

身体はわたしのものだ。触れられるものは、わたしのものだ。触れられるものは、わたしのものだ。そなたは、どこに行ったら、わたしから脱れられるのだろうか?

心はわたしのものだ。心で考えられるものも、わたしのものだ。心の接触から起こる識別領域は、わたしのものだ。そなたは、どこに行ったら、わたしから脱れられるのだろうか。
(以上引用終)

 

 

対象
色声香味触法の六境(六外処)

感覚
眼耳鼻舌身意の六根(六内処)

六境六根合わせて十二処という。

 

対象と感覚が触れて生じる6種の
識別領域
眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識の六識

十二処とこの六識を合わせて十八界という。

 

十八界(六境六根六識)は、この世の一切を意味する。

したがって悪魔は、ブッダに

 

この世の一切はわたしのものだ。

誰一人わたしから脱れられない。

そなたも、どこに行こうと

わたしから脱れられない。

 

 

と脅しているのだ。

 

この世の一切が悪魔のものだということは、

ブッダも初転法輪の初めから、明確に認めている。

(そのうえで、こうしたら悟れたという唯一の道を発見し、説き広めた)

これを認めていないのは、悪魔の策略に気づきたくない、世間の人々なのだ。

悪魔の支配下で絶えず苦しみながら、

その苦を愛し夢中になっている。

やがて必ず自分を殺す刺客を、

恋人のように慕っているのだ。

彼らは

当然、

誰一人悪魔から脱れられない。

 

 

 

ブッダが最も信頼したサーリプッタ尊者の、

見事な説法と鮮やかな喩えを学びましょう。

 

五蘊こそが刺客なり――サーリプッタ尊者の「逢佛殺佛」論 誓教寺オンライン仏道実践会⑤|スマナサーラ長老の初期仏教法話(21 Mar 2021 ゴータミー精舎からライブ配信) - YouTube

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