哲学日記

同調圧力にサクっと適応、楽々応答する平均人

 

 平均人は、

自分の置かれた状況にむやみに適応しようとする。
適応さえうまくいく(=席取りに成功する)と、それで我が事成れりと思いこむ。


自分がない。
レベルの低い、悪い意味で無私なのだ。

 

悪い意味で自分がない人間は、

同調圧力にサクっと屈して適応し、

そこから楽々応答する。


そんな仕組まれた予定調和の応答は偽物であり、

したがって適応も本物ではないのだ。

 

 

仏教に、こういう例え話がある。

片目のつぶれたサルばかりの集団に、

1匹だけ両目の開いたサルがいた。
このサルは仲間はずれにされた。
みんなと同じじゃないという理由で。
その同調圧力に耐えきれず、

とうとう自分で片目をつぶしてしまった。

と。



自分を偽って集団の色に染まることで、

自分の席を得ようとする空しさ。


しかし、たいていの人間は、

これを心ならずでなく、喜んでやっている。

自分が所属すると信じているグループ(会社、国家等)の自由を増大し、既得権益を守ることに奔走する。
自分は構成員として、グループに思考停止で服従する。
この狡猾な処世術を「滅私奉公」などと自讃して、まるで「無我」と関係あるかのように美化するが、実態は肥大化した我欲の「グループぼけ澤木興道老師)にすぎない
その見返りに、グループのもつ自由を席順に応じて分割享受する。もっと多く自由を享受するするために、組織内の席取り競争に狂奔する。どんな馬鹿でもやる身すぎ世すぎだ。

犬がエサを探すように鼻をクンクン鳴らして幸福を探している。一生幸福にゆきあたらず、結局そこら辺でズボッと棺桶の中に入る(澤木興道老師)
貪瞋痴に夢中で、一生妄想しっぱなしでタイムアップする。

ほんとうに必要なものは、個的自由だ。
なぜなら、

人間は必ず誰でも、

死ぬときは孤独ひとりで死ぬほかないからだ。

多くの人は、

 

この一点の理解がない

 

ために、

ばかげきった一生を終える。

 

 

 

 

まず自分を持て。
自分を持って状況に応答するべきだ。
人間が生きるとはそういうことなのだから。

 

自分のちゃんとある人間は応答して、
結果として適応することがある。

適応すべきでない状況には、もちろん適応を拒否する。
応答は本物であり、したがって適応も(たとえ不適応に見えても)本物だ。

 

さて、ここで

 

スマナサーラ長老の明快で力強い法話

 

を、聞いてください。

おれは、こんな素晴らしい説法、他で一度も耳にしたことないですよ。ホントに素晴らしい。

 

それでも、時間がない忙しいんだという人は

57:23 ワンパターンの人生で満足ですか?

だけでも是非聞いてみて。

必ず一生の得になりますから。

【ブッダの教え】人間死んだらどうなるか――今を生きるために知っておきたい仏教と輪廻転生の話|スマナサーラ長老の初期仏教月例講演会(説法 日本語字幕付き) - YouTube











人間は何万年も生きてきたが、

いまだに死の問題を解決できないままだ。
もし科学技術で不老不死が可能になったとして、

さてそれが死の問題の解決になるのか。

問題はいっそう恐ろしい様相を呈してくるにちがいない。


自然状態の人間には、

ただやみくもに生き続けようとする

以外に生きる目的がない。
これは、

達成されることが決してない、

むなしい目的だ。

 

生きんとする盲目の意志の奴隷となり、

人間が動物のレベルに甘んじて

鮭と変わらぬ生き方をしてるうちは、

人生に救いはない。

その人生は無意味だという事実を、

明晰に知る人はめったにいない。



宗教は、根本的に存在問題である。
存在問題というものに、

人間は逃れようなく直面している。

これについて、おれもひとつ例え話で説明しよう。

生理の始まらない少女が
「周りの女たちが生理用品を使っているが、あれは間違ってる。生理用品など必要ないことに、どういうわけで気づかないのか。私は生理用品が完全にいらないことを知ってる。だって私には事実必要ないのだ。従って、生理用品などこの社会からなくしてしまうべきである」
と真顔で主張したら、みんなその小娘の幼稚さに噴き出すだろう。
ただし、その少女と頃合いのレベルの方々がいれば、やはり真顔で誠に賛成だと思し召すだろう。
宗教について、類同の感想を抱いている人は多い。
「私は宗教など必要ないことを知ってる。私には実際必要ないのだ。ところが周りの連中は、どういうわけかそれに気づかない。ばかなやつらだ」

と。


「存在問題への気付き」がいまだ始まっていない人に、宗教の事はてんからわからないのだ。
しかし、多くの人は手遅れになるまで気づこうとしない


さあ、いよいよ死ぬ、というその瞬間ときになって

気づいても、もはや時間がなく間に合わない。

多くはその瞬間とき実際に気づいてしまうのだが、

(気づこうとしなかった自分。気づいてたのに無視してきた自分に)

その直後に、何もできずに死ぬ。

 

この手遅れ感は、なかなかきついよ。

 

 

 

(過去記事統合増補編集再録)

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