哲学日記

鎖に繋がれた黒牛と白牛の喩え

ジャニスの絶唱 Ball and Chain


Janis Joplin - Ball and Chain (sensational performance at Monterey)

 

この熱唱を聴いてるうちに、

 

鎖に繋がれた黒牛と白牛の喩え

 

を連想した。

 

「男が女を束縛するのか、女が男を束縛するのか、それとも互いが互いを束縛するのか」

というワンパターンの3択問いは、ひどくずれてんだよ。

 

こんなにずれた問い方には、答えられない。

 

だって、3択の中に正解がないんだから。

 

 

ジャニスは、そんな愛の狂酔を全身全霊で表現してる。

Why the man I love wanna leave me in so much pain.

なんで、あのひとは私をこんなに苦しめておくの?

 

そうじゃないだよ。

 

苦しめる犯人は

自作自演のball and chainだ。

これが歌の題名になってるのは象徴的だ。

 

 

ここのところを、スマナサーラ長老が、親切に

「我々はみんなに瞑想を教える時でも、思考妄想するなよと。思考妄想はすっごい煩悩だよと言うのは、実際瞑想する人々に理解しやすくするためであって、心が束縛じゃないんです」

と注意してくれてる。

たとえば、理解を促すためインパクト重視で「思考はごみです」と端的に教えるのは、思考への執着を捨てさせるためで、厳密には思考そのものがごみではないという意味です。

この点を誤解しないでください。

 

黒牛と白牛の喩えは、40:20あたりから。


心のロックを外す――幸福の人が必ず断ち切っている10の束縛 相応部チッタ相応「束縛経」を読む|スマナサーラ長老のパーリ経典解説(27 Sep 2020 ゴータミー精舎からライブ配信)

 

 

対象
色声香味触法の六境(六外処)

感覚
眼耳鼻舌身意の六根(六内処)

六境六根合わせて十二処という。

 

ただ、十二処への執着妄想(chain)が人を苦しめる。

呆れるほど単純明白なこの事実にだけは、

たとえ百万遍説法されても、

多くの人がけっして本気で気づこうとはしない。 

 

なぜなら、

人は十二処への執着から六識を妄想し、

これらを多くの人が楽と錯覚して、

夢中で貪ってるからだ。

 

 

ブッダのことば。

苦に夢中なら、

当然、

その人は苦から抜けられない。

 

(過去記事増補編集再録)

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事