今日、ある保護者の方から、電話がかかってきました。
曰く
「うちの子、忘れ物が多くて、先生に迷惑をかけていないか、心配で……」
とのこと。
私は
「そもそも、○○君は、仕事をしに学校に来ているわけではないし、彼は私の部下ではないので、私への迷惑を心配するところではありません。むしろ、どうしたら彼の忘れ物が減るかを、一緒に考えましょう。」
と言いました。
話をしていくと、その保護者は
「いつも、夜に、ちゃんと準備した?と聞くと、大丈夫と言うのですけれどもねぇ……」
と言ってきました。
それを聞いて、「あ、だからダメなんすよ」と思いました。
もちろんそんな言い方はしませんでしたけれども。
なぜ子どもが忘れ物をするのか。
それは、明日の授業予定や、それに必要な物が頭の中で整理されていないからです。
(ここで言う忘れ物とは、常態化した忘れ物のことです。どんなに優秀な人物でも、たまにうっかりすることはあります。それはここでは忘れ物に含めません。)
だから、親が「大丈夫?」と聞いても、子どもは大丈夫だと思い込んでいますし
そもそも、何がどうなっていれば大丈夫なのかがとてもアヤシイ事になっていますので
なんとなく「大丈夫」と子は答えます。
どんなに忘れ物をする子どもでも、そう答えておけばとりあえず親が満足することは知っています。
ではどうするべきか。
少し手間ですが、簡単な3つの質問を毎日子どもにして下さい。
「明日の授業、何があるの?」
「その授業では、何を勉強する予定なの?」
「何を使って勉強するの?」
です。
もちろん、私が示した質問文と、一字一句同じである必要はありません。
このような主旨の質問を、微妙に言葉を換えながら、毎日して下さい。
できるだけ小さなうち……小学校の低学年くらいからこの質問を習慣的にすれば
忘れ物をしない子どもになると思いますし
我が子が中学生で、忘れ物に悩んでいる場合でも有効です。
この質問を親からされることで、子どもは、明日の予定について把握しなければ、という気持ちになります。
そうなれば、必然的に、忘れ物は減るはずです。
ちなみに、似たような声かけに
「今日は何を勉強したの?」
があります。
この質問の効能は
・子が今日あったことを復唱することで、頭が整理され、復習になる。
・親が、この様子を把握できる。
・いやなことがあった場合、その気持ちを親にはき出せる(場合がある)。
です。
ぜひ、お試し下さい。
曰く
「うちの子、忘れ物が多くて、先生に迷惑をかけていないか、心配で……」
とのこと。
私は
「そもそも、○○君は、仕事をしに学校に来ているわけではないし、彼は私の部下ではないので、私への迷惑を心配するところではありません。むしろ、どうしたら彼の忘れ物が減るかを、一緒に考えましょう。」
と言いました。
話をしていくと、その保護者は
「いつも、夜に、ちゃんと準備した?と聞くと、大丈夫と言うのですけれどもねぇ……」
と言ってきました。
それを聞いて、「あ、だからダメなんすよ」と思いました。
もちろんそんな言い方はしませんでしたけれども。
なぜ子どもが忘れ物をするのか。
それは、明日の授業予定や、それに必要な物が頭の中で整理されていないからです。
(ここで言う忘れ物とは、常態化した忘れ物のことです。どんなに優秀な人物でも、たまにうっかりすることはあります。それはここでは忘れ物に含めません。)
だから、親が「大丈夫?」と聞いても、子どもは大丈夫だと思い込んでいますし
そもそも、何がどうなっていれば大丈夫なのかがとてもアヤシイ事になっていますので
なんとなく「大丈夫」と子は答えます。
どんなに忘れ物をする子どもでも、そう答えておけばとりあえず親が満足することは知っています。
ではどうするべきか。
少し手間ですが、簡単な3つの質問を毎日子どもにして下さい。
「明日の授業、何があるの?」
「その授業では、何を勉強する予定なの?」
「何を使って勉強するの?」
です。
もちろん、私が示した質問文と、一字一句同じである必要はありません。
このような主旨の質問を、微妙に言葉を換えながら、毎日して下さい。
できるだけ小さなうち……小学校の低学年くらいからこの質問を習慣的にすれば
忘れ物をしない子どもになると思いますし
我が子が中学生で、忘れ物に悩んでいる場合でも有効です。
この質問を親からされることで、子どもは、明日の予定について把握しなければ、という気持ちになります。
そうなれば、必然的に、忘れ物は減るはずです。
ちなみに、似たような声かけに
「今日は何を勉強したの?」
があります。
この質問の効能は
・子が今日あったことを復唱することで、頭が整理され、復習になる。
・親が、この様子を把握できる。
・いやなことがあった場合、その気持ちを親にはき出せる(場合がある)。
です。
ぜひ、お試し下さい。
うちの塾生にも、よく忘れ物をし、また授業中ボーっとしている子がいます。学校でも同様なようで、調べてもらったら、ADDの傾向があるとことでした。(多動性はないとのことでした)
お母様は、当然のことながら、将来のことを考えてとても心配されています。診断が下されても投薬するレベルではないので、「配慮」に委ねられています。
先生のご提示、実践してみます。
発達障害への理解は広まっているように思います。
しかし、社会は何でもかんでも「発達障害だから仕方が無い」と許してくれるわけではありません。
発達障害や、その傾向がある子どもにこの策が有効なのかは、自信がないのですが、是非実践していただき、効果を報告いただけるとうれしいです。
名前変えました。
また、長文になります。
忘れ物の多い子・・・
うちの場合ですが、リビングで学習をさせ、時間割表は親もコピーを持ち、目の前で明日の準備をさせてました。
小1から高3まで、ずーっとです。
途中反抗期がありましたので、当然揉めまくりましたが(笑)
過保護過干渉もいいとこです。
うちの子は2才から就学前まで、療育受けてました。
こちらの話すことや指示は理解できるのですが、言葉の語彙が少なく不明瞭で多動でした。
3才から幼稚園にも併行通園し発達が伸びましたが、
家でも彼の特定にあった専門のリハビリ先を探し受けさせていました。
そんな子ですが、就学前に発達障害専門の臨床心理士の知能検査では何も引っかからなかったのです。
普通はそこで発達のアンバランスさを指摘されると、病院で診断を受ける流れになりますが、
うちの場合、「正常域ですが、気になるところはありますので、これからも丁寧に見てあげて下さい」でした。
所謂グレーゾーンです。
就学前に療育施設が用意したプロフィールノート(幼児期の記録)は、
小学生の間は、学年が変わる度、転校する度に、担任の先生に預かってもらっていました。
お守りみたいなものです(笑)
それでも子供は、今は遠く離れた大学で1人暮らしするようになってからは、
こちらが声掛けする前に、面倒な諸手続きや生活の工夫が自分でできるようにはなっています。
(落単と留年は心配してますけど・笑)
>しかし、社会は何でもかんでも「発達障害だから仕方が無い」と許してくれるわけではありません。
本当にその通りだと思います。
発達に問題があろうがなかろうが、ひとりひとり違いますので、
とりあえずは親が、その子にあった育て方を模索するしかないと思っています。
そうやって、親から手間と時間をかけてもらえたと言うことは、貴方のお子さんは幸せですね。
いやこれは、イヤミとか皮肉とかではなく、正直な意味でですよ。
この稼業をはじめてから、「親としてやらねばならないこと」の認識が、人によって大きく隔たりがあると言うことを実感しております。