大会が終わり、2時半頃皆帰って来ました。男女それぞれ10位以内に入る好成績で、フツーなら、喜んで終わったーとなるのですが、鼻の穴に検査用具を突っ込み、抗原検査。しばらくして、「みんなオッケー!」リーダー格の女の先生の一声。この一瞬まで、緊張でした。心の中で、「ヨカッタ~!やっと終わったー。」と、叫んでいました。
振り返れば、全中大会受け入れ準備で、駐車場造りの為、来る日も来る日も除雪、軽トラダンプの雪の搬出や、チュンナップルームの増設、掃除から6連泊の献立作り等ズッと続き、もっと言えば全中には、「郷土色豊かなメニューを」の、観光協会のお達し?で、残雪の残る内からコゴミなど山菜採りに出かけ、トウ立菜の蕾を冷凍にし、畑の作付けプランを考え、原木なめこの駒を打つ。まぁ、全てが全中スキー大会用で無いにしても、全中大会に向けた情熱と言うか、思い入れは興味や、関係の無い方には、解らないと思います。
其の、受け入れ宿としての、責任、義務が今日、終わりました。中心に成って切り盛りした、お母さんは、コロナで閉園になって、飛び跳ね回っている年中さんと、もうすぐ3歳になる、ピタゴラスイッチが好きで、やけに声のデカい男の子を見ながらで、さぞかし疲れたでしょう。
↓今朝(2月4日)の喜楽荘前
↓ 2月4日 喜楽荘に入る路地前の坂道(中尾中央どうり)融雪道路完璧です。
↑ 喜楽荘へ入る路地は、ご覧のとおり。軽い新雪が15~20cm
↓ 戦い終わって帰るや否や、荷物の積み込みです。
↓ 表彰式・講評と思われる集まり(荷物積み込み前)
↓ 学校か連盟の所有か解りませんが、スキーや荷物でパンパンのワンボックス。この世界、教育委員会?の予算不足を表すように、大体錆と年 季の入った車が多いと常々思って、ご苦労が忍ばれます。全国地方の中には、自分の身銭で車を調達して、送迎をやらざるを得ない様な話を聞いた様な、気もします。?