一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

テレビ三昧の予感

2024年12月15日 | 最近のできごと
 シアタースタンドの上に55インチのテレビは置けなくて、50インチのテレビを買い直すことになったが、新宿の家電量販店へ出かけたのは翌々日だった。配送と設置の業者が2時間近くリビングにいたため、疲弊した私の神経と精神を、一日かかって和らげなければならなかった。
(洗濯機の業者のこと、もっと早く言えばよかった)
 ソファにぐったり横になり、スマホのパズルをしながら、そのことが何度も悔やまれた。
 ふと思いついた言葉を口にしたのだが、あの業者がおざなりなチェックをしたのがいけなかったのだ。そのことにようやく気がついて、ようやく帰ってくれて、ようやく私は解放感に包まれた。
(まるで軟禁でもされちゃったみたいな気分だったわ)
(私の性格って、赤の他人から馴れ馴れしくされるのが嫌いなのかも)
(どうして、家電量販店の店員や上司との長電話を、車の中でしなかったのかしら)
 などと、あれこれ考えめぐらせたり思いめぐらせたり。
 友人や肉親にその話をすると、
「言えばよかったのに、用事があるとかって時計見て、どうして言わなかったの?」
「言えなかったのよ、何だか怖くて、私って神経が太くないから」
「居心地良かったんじゃないの?」
「居心地、ですって?! 冗談じゃないわ! コーヒー出したわけでもないしソファに座らせたわけでもないのに」
「業者の気持ちもわからなくはないけど、箱から開けたテレビが置けないんじゃ」
「その日は暇だったんだろう」
 などなど他にもいろいろ言われたが、結局、誰も私の気持ちをわかってくれない、誰も理解してくれない、大変だったわねと、誰も慰めてくれないのである。
(人間は他人を理解することはできないって養老先生の本に書いてあったわ)
(私なんて自分のことだって、よくわからないのに)
 その翌日、私の精神と神経の昂ぶりがおさまったので、午後から家電量販店へ出かけた。
(今日もいるといいナ、あの店員さん、ううん店長さん)
 どこか他の店員と雰囲気が違うと思った。
(そう言えば……)
 何年前だろう、マウスを買いに行った。買って来て、すぐに使わなかったのは、そのころ、ある文書を作成していて、区切りが付いたら新しいマウスに交換しようと決めていた。故障したのではなく、使えるのだが、少し不調が起きていた。動作がスムーズではないことが時々あったのだ。
 ただ、その文書作成中に、買って来たマウスと交換すると、気が散るかもという気がした。ようやく区切りが付いたので、新しいマウスにしたら、全然使えなかった。新品の電池を再度、交換しても駄目だった。取説を読んだら、パソコンと合わないこともあるというようなことが書かれていてショックを受けた。ネット記事で調べても同じようなことが書かれている。
(そんなことってあるのオ)
 そのマウスを持って、家電量販店へ。商品とレシートを見せて店員に話すと、すぐに他の商品と交換してくれると思ったら、店内の隅のほうの一角にテーブルと椅子があり、修理コーナーらしく担当者がいて、そこに案内された。
 商品とレシートを見た若い店員が、
「工場に修理に出しますから」
 と言うので、私は驚き、
「一度も使ってないのに、使ってて故障したわけじゃないのに、商品の交換じゃなく、修理するんですか、これを」
 と聞き返した。
 すると、いかにも真面目そうな、忠実そうな、比較的若いその店員は、ていねいに説明を始めた。
「初期不良の交換は1週間以内なんです。買ってから半月以上経っているので初期不良の交換はできないんです。工場に戻して修理する決まりなんです」
「だって私、区切りがついたら新しいマウスに変えようって決めて、その間、新品のまま置いておいたんですけど、古いマウスがまだ使えたので区切りがつかないうちに変えると気が散りそうだから」
「でも、そういう決まりなんです」
「今日、交換してもらえると思っていたのに……電車に乗って出かけて来たのに……明日から新しいマウス使えると思ってたのに……」
 相手の同情を引くような、今にも泣きそうな口調をちょっぴり演技して言ったが、その店員は困惑顔もせず、
「初期不良の交換は1週間以内じゃないと、できないんです」
 これこそ正しい対応と自信ありげな口調で繰り返した。
 その時、店内をぶらつくような歩き方で近づいて来て途中から2人のやり取りを見ていた店員が、若い店員の肩を小さく押すようにして、椅子から離れさせた。そのしぐさだけで、自分が代わるという言葉は、一言も発しなかった。若い店員は一瞬、不満げな表情を浮かべ、黙って去って行った。
 その時のベテラン店員の無言のしぐさと、若い店員の不満げな表情を、今でも記憶しているのはつくづく感心したからだった。
 テーブルの前にベテラン店員が座ったので、私は救われたような気分に包まれた。
「私、区切りが付いたら新しいマウスに変えようと決めてて、半月以上経っちゃったんです、そしたら、新しいマウスが全然使えなくて、初期不良の交換は1週間以内じゃないとできないって言われて」
 途中から聞いてわかっていると思ったが、勢い込んで言った。すると、ベテラン店員さんが、
「いいですよ、今日、他のと交換します」
 爽やかな声と口調で言った。
「本当? ああ、良かった」
(さすがベテラン店員は違うわね、あの若い店員、融通がきかないんだから)
 内心、そう呟く。
「今日交換したマウスがまたパソコンと合わなくて使えないと嫌だから、ワイヤレスじゃなく、有線のほうにしようかしら」
 迷いながら言うと、店員さんもそのほうがいいと答えたので、有線マウスを買うことにした。
 店員さんが、マウスの陳列棚へ案内してくれて、商品を選んだ。
 私の手は小さいので、サンプルの小さいマウスを10個以上試してみた。店員さんは、そのたびに商品の説明やアドバイスをしてくれた。色の好み、形、握り具合など1つずつ試して、30分以上、時間がかかった。
(あの時のベテラン店員も、店長さんだったのかも……)
 顔ははっきり記憶にないが、話し方と雰囲気が似ている。
(たいてい店員は、私の好みや条件から探して、すすめる商品を買わせようとするけれど、私が気に入る商品を見つけるまで、ずっと一緒に探してくれた)
 テレビの時と同じである。
(今日も会えるかしら)
(店長はいつも店に出ているとは限らないのかも)
 その店の店員は、メーカーの派遣店員と店の店員がたくさんいたが、コロナのころから少ないことに気づいた。以前のように、「メーカーの店員さんは?」と聞いても、今日は来ていないと言われることがあったりした。
 まるで恋心に近いような感情に包まれながらワクワクドキドキ、店に到着したが、買い直しのレジの所で配送の日にちや時間の予約のやり取りの時に、あの店長さんはいなかった。
 配送はその翌々日の午後。当日、配送の正確な時間の確認の電話がかかり、相手が、「この間の○○です」と親しげな口調。
 リビングに新しいテレビが運ばれ、問題なくシアタースタンドの上に置くことができた。
 少しでも話しかけられると、時計へ眼をやり、察した業者は作業を黙々とすませて、終了。
 引き取りの古いテレビと段ボールをかかえた業者の後から、玄関へ。
「今日は早くすみましたね」
 良かったわという気持ちで言うと、
「そうですね」
 と業者。
 短い時間ですんだので、私は機嫌良く、サンダルをはき玄関の外へ。
 業者が、テレビと段ボールをかかえたまま、やりにくそうにポーチの扉を閉めようとするので、
「いいですよう、私が閉めますから、ご苦労様~」
 機嫌良く言って送り出した。
 リビングと廊下の床掃除をして、新しいテレビをつけた。
(あ~ら、きれい、4Kってこんなにきれいなの)
(明日から当分、テレビ三昧(ざんまい)になっちゃうかも)
 音質や画質や、その他の設定を次々していくのも、ワクワク気分である。
 夜は録画の映画を観るつもりだったが、その前に報道番組を見た。
 総裁選で、石破茂総理が誕生した日だった。

     

困惑の配送&設置業者

2024年12月01日 | 最近のできごと
 新しいテレビの配送と設置の日、業者から時間の確認の電話がかかってきた。
 配送の日にちと、3時間の幅の時刻は指定してあるが、他の家を回った後の正確な時間を伝えて来たのだ。
 やがて、その時刻に、エントランスのインターフォン。リビングの壁の小さなモニター画面に、作業服を着た業者の顔と姿が映り、解錠ボタンを押す。
 少ししてから玄関に降り、通路に面したポーチの扉を開けたままにして、そこで待つ。
 エレベーターの到着の合図音がして、通路に出ると、中年に見える長身の業者と挨拶を交わした。
 業者は、まだテレビの段ボール箱を持っていない。エアコンやベッドなど大型の家電製品や家具は、商品を運んで設置する前に、どの部屋のどの場所かを見て確認するのは、どの業者も同じだった。
 廊下からリビングに入り、ここです、同じ所にとテレビを指さした。
「はい、わかりました」
「設置の作業のスペース、大丈夫ですか?」
 業者に必ず聞く言葉だが、いろいろな物の片付けは、いつも手間と時間がかかる。ソファは動かせないが、センターテーブルや、小さなチェストや、テーブル付きマガジンラックや他の物などを窓際に寄せておいたり、写真やその他、見られたくない物を他の部屋へ一時置きしたり。
「大丈夫です」
 業者が答え、テレビの背後のコンセントのコードを、すべてはずし、シアタースタンドの上からテレビをゆっくり下ろして床に置く。
 私は除菌ティッシュとウエスでシアタースタンドの上の埃を拭いた。ふだんからマメに拭いていたが、後ろ側の拭きにくい場所は埃が少し残っていた。
 業者が出て行き、しばらくして、新しいテレビの段ボールを運んで来た。
 その箱は予想以上に大きかったので、
「ずいぶん大きな段ボール」
 と、思わず言ったら、
「55インチは結構大きいですよ。店で見るより」
 段ボールの箱を開けながら、業者はチラッとシアタースタンドへ眼をやって、「乗るかな」と、一人言のように呟いた。乗るとは、乗せる、置くという意味。
 テレビと付属の4K用ケーブルなど、すべて段ボールから取り出した業者が、「乗るかな」とまた呟き、立ったままシアタースタンドを見て困惑したような顔付きになった。
「駄目です。乗りませんね」
「えええええっ!」
「乗りません」
「ギリギリでも」
「ギリギリでも駄目ですね」
 乗せてみましょうか、とでも言うように、業者が新しいテレビをシアタースタンドの上に乗せかけてみせた。
「あら、ほんと!」
 古いテレビは中央に支える部分があった。新しいテレビも同じとばかり思い込んでいたのである。
 けれど、新しいテレビは支える部分が、中央ではなく、テレビの左右の側面の真下に付いているのである。シアタースタンドの幅が、わずかに足りないのだった。
「ここのこと、何て言うんですか?」
 支えの部分を指さして聞く。
「アシです」
 業者が答えた。足か脚ということらしい。
「お店で買う時、中央に脚があると思い込んでたわ。モニター画面ばかり気にして見ていて、その脚は全然、見なかったわ」
「普通、見ませんよね」
 業者が言った。
(だからなのね!)
 購入した時のことを思い出し、納得した。店員が、私が以前購入したシアタースタンドの幅のサイズと、55インチの脚の幅のサイズをパソコンで確認して戻って来た時、私は55インチのテレビの幅のほうが大きいから何センチはみ出るかと真っ先に質問したのはモニター画面のことだった。脚のことなど全く念頭になかったからである。
 その質問に答えた後、あの好感の持てる店員さんは、
「ギリギリ乗るかもしれませんね。もし乗らなかったら、50インチのと交換すればいいですね」
 と言ったのである。
 確かに、シアタースタンドの上に、まるで乗らないわけではなく、あと数センチという感じだった。
 つまり、ギリギリ乗るかもしれないということではなく、ギリギリ乗らないかもしれないということだったのである。
 そう気づいて、内心、クスクス笑ってしまいたくなった。店員さんは、多分乗らないとわかっていたのかもしれないが、私があまりにもそのサイズのテレビを欲しい欲しいとはしゃいでいるので、つい、水を差したくないとでもいうような気分だったように想像された。乗らなければ50インチのテレビと交換すればいいのだと。
 けれど私は、大丈夫よ、ちゃんとシアタースタンドの上に置けるわと100パーセント思い込んでいたため、
「ギリギリ乗るかもしれませんね。もし乗らなかったら、50インチのと交換すればいいですね」
 という店員さんの言葉が、ちょっぴり蛇足のように感じられてしまったことも思い出した。脳天気な私である。
「どうしようかな、段ボール開けちゃったし、どうしようかな」
 業者が困惑したように繰り返している。どうしようという言葉を繰り返す業者が、不思議な気がした。新しいテレビを持ち帰ればいいのだ。後日、店で買い直しの精算をして、配送日を決め、50インチのテレビを設置してもらえばいいだけなのだと思ったが、あえて言わなかった。
 店で買い直しの精算は経験がある。その家電量販店に入っている〈○○工房〉という店でカーテンを購入した時、帰りの電車の中で気が変わって、翌日、店舗に電話し、レースのミラー・カーテンはあの商品を買うが、厚地のリバーシブル・カーテンのほうはやめて選び直すと伝えた。オーダーカーテンなので、商品はまだ配送されていないし、作製もまだの時だった。翌日、店舗へ行き、再度、カタログから写真とサンプル布を見て選び直した後、買い直しの精算をした。
 どうしようかと迷う言葉を繰り返していた業者が、思いがけない説明を始めた。
「一度、開けた段ボールに、このテレビを入れて車で運ぶと、小さな傷が付くことがあって、そうすると、うちの会社が弁償しなくちゃならないんですよ」
「車で運ぶと小さな傷が付く?」
「付きます、車は揺れるから」
「経験あるんですか?」
「あります。そしたら工場へ返す時、うちの会社が弁償しなくちゃならないんです」
「そうなんですか。知らなかったわ」
「困ったな、どうしようかな」
「50インチのなら、乗りますよね」
「乗ります」
「最初は50インチのほうを買うつもりだったんですけど、55インチのを見たら買いたくなって、販売の店員さんがシアタースタンドの幅をパソコンで調べて、ギリギリ乗るかもしれないけど、もし乗らなかったら、50インチのテレビと交換すればいいですねって言ったんです」
 その私の言葉に、業者はええっと驚き、顔色を変えた。
「何だ、それじゃメッセージに一言書いてくれたら良かったんだ! 何も書いてない! Yなんか細か~くメッセージに書いてくれますよ、だからBは駄目なんだ!」
 もう激怒と言っていいくらいの怒りようである。怒っているのは店に対してで、私にではないが、まるで私に怒っているように感じられるほど、その業者が急に怖くなった。
「Bでは買わないほうがいいですよ、BよりYのほうがいいですよ。レシート、ありますか?」
 私はレシートを持って来て、業者に渡した。
 業者はポケットからスマホを取り出し、レシートを見ながら新宿の家電量販店Bへ電話した。
 それから延々と、業者は憤慨と攻撃的な口調で、レシートに記載のレジ担当者や、販売の店員や、自分の会社の上司と、何度も電話のやり取りを続けた。箱から開けちゃったという言葉を繰り返しながらだった。
 私の精神状態は、もう息苦しさを覚えそうなほど疲弊して、何でもいいから早く、新しいテレビを持って業者に部屋から出て行って欲しかった。
 時計を見ると、1時間以上、経っている。
 友人でもなく肉親でもなく知人でもなく、赤の他人の業者が、私の部屋に長時間いることに耐えられないのだった。
 リビングの床に置かれた新しいテレビと古いテレビと大きな段ボールを眼にすると、つくづく嫌気がさし、その業者への不信と嫌悪に近い感情に襲われた。一体、いつまでそれらを、置いたままにしておくつもりなのかと。
(窓を開けておいて良かった)
 ふと、そう思ったのは、呼吸困難という言葉が浮かぶほど、自分の精神状態が不安になったからだった。
 延々と、呆れるほど長時間、電話のやり取りを繰り返していた業者が電話を切って、またBに電話をかけて話し始めた。
 それは比較的短かったが、電話を切ると、「店長……」と吐き捨てるように軽蔑したように言い、すぐに、「責任者」と、同じ吐き捨てるような口調で呟いた。
 その時、固定電話がかかって来た。隣の部屋へ行き、電話に出ると、販売を担当した店員からで明るく爽やかな声と口調だった。私の名前を確認する言葉を耳にした瞬間、私の心は温かなさざ波に包まれた。
「テレビ、ちゃんと交換しますから。精算する必要があるので、都合の良い日にまた店に来て下さい。大丈夫ですから、ちゃんと交換しますからね」
 その言葉を聞いたとたん、安堵の波が押し寄せてきた。今、業者といて困っていることを見透かしているようにも感じられた。それは本当に深くもあり温かくもある安堵の波で包み込まれたような感覚だった。
 電話を終えてリビングに戻ると、
「Bからですか?」
 業者が聞いた。
「はい。交換するって」
「ちょっと車の所に行って来ますから」
 と業者が言い、「すみません、またエントランスお願いします」
「はい」
 業者が出て行くと、窓辺へ行き、深呼吸した。その時、販売を担当した店員は、業者が吐き捨てるように言った店長だったと気がついた。
 10分くらい経って、またインターフォン。
 戻って来た業者は、新しいテレビを段ボールに入れて持ち運んで帰るかと思ったら、立ったまま、まだB店への非難を口にし始めたので、サイコパスという言葉が浮かんだほどだった。
「それで話はつきました?」
 私は聞いた。
「今、上司とBで話し合ってる」
 業者が答えた。
「半年前、洗濯機を買った時、今まで8キロだったのを10キロに買い換えたのだけど、その時店員さんから洗濯パンのサイズ、奥行きが今より5センチのスペースの余裕がないと置けないと言われて、見積もりを提案されたけど、多分置けると思って購入したら、帰宅して見てみると少しは空いてるけど5センチあるかどうか、後ろだから測れなくて、置けなかったらどうしようって配送の前日は寝付けなかった、置けて良かったわって業者さんに言ったら、設置前に必ずチェックしますから、段ボールの箱開けちゃうと工場に返品できないんですよ、だから段ボール開ける前に、必ずチェックしますって言ってたわ」
 そう言うと、業者は、「ああ」と急に元気のない声で呟き、ようやく自分の過失に気がついたように、新しいテレビを段ボールに詰め始めた。
 それから古いテレビを元どおりにシアタースタンドの上に置き、電源コードを接続した後、ようやく新しいテレビの段ボールをかかえてリビングを出ると、廊下を歩きながら、
「また、ぼくが来ますよ」
 と言ったが、私は無言だった。
 玄関では、「ご苦労様」と言ったけれど。
(ああ、疲れた~)
 リビングに戻って、時計を見ると精神衛生に悪いから、時刻を知るのはやめた。多分、1時間半か2時間近く経っていた。
 その夜、思い返してみて、私は自分の神経が細く、精神が虚弱なのだと、あらためて思い、息苦しさのあまり呼吸困難にならなくて良かったと、つくづく思った。   〔続く〕 




新しいテレビを買った日

2024年10月20日 | 最近のできごと
 テレビを買い換えるために家電量販店へ行く日、最寄り駅まで歩く時も電車に乗っている時も、浮き浮きワクワク。
(新しいテレビ、新しいテレビ、うれしいナうれしいナうれしいナ)
 新宿にある家電量販店の入り口で、フロア案内の看板を見なくても、テレビは何階かわかっている。ワクワク気分に包まれながら、エスカレーターで上がり、数々のテレビが並べてあるフロアのコーナーへ。
 現在のと同じメーカー商品のソニーのブラビアと決めていたが、ひととおり他のメーカーの商品も見て回った。
 リビングダイニングが9畳に満たないし正方形に近い形なので、あまり大きいサイズは部屋に圧迫感が出て狭く見えると思った。一回り大きなサイズの50インチのテレビを、現在の室内の広さで大丈夫と友人には言われていた。
 ――テレビは小さいほうが部屋は広く見える――
 と、時々見るYouTubeで発信しているインテリア・コーディネーターのコメントも、記憶していた。そのインテリア・コーディネーターのチャンネルは、発見があったり感心したり見応えがあるので、一時期、毎日のように見ていた。
 店内には70インチや90インチなど大型テレビがたくさん並べてあり、50インチは奥まったスペースに少しだけ置かれていた。
 商品の詳細カードに書かれた液晶と有機ELの違いについて店員に聞こうと思い、通路側へ戻ってみると、少し離れた所に2人の男性店員が話し込んでいた。雑談ではなく、明らかに仕事の話という雰囲気である。
(中断させちゃ悪いみたい)
 傍の商品のいくつかに眼をやりながら、少し待っていた。そんなところは結構、私はやさしい性格なのである。誰もそう言ってくれないけれど。
 数分後、ゆっくりと歩み寄り、2人を見て立っていると、1人が、何か私が聞きたそうだと気づき、傍へ来た。2人のうち、多くを話していた先輩店員に見える爽やかルックスの店員さんで、内心、ホッとした。
「液晶と有機ELの違いについて説明して下さい」
 そう言うと、店員さんは並べてある商品の液晶テレビと有機ELテレビに眼を向けたり手振りを混じえたりしながら、解像度や商品の薄さや視野の角度や色彩の濃淡などの違いを説明した。
 あらためて液晶テレビと有機ELテレビの画面を見較べると、有機ELのほうが色彩が濃厚である。数回見較べて、
「有機ELのほうが色が、すごく濃いわね。見慣れているテレビが液晶のせいか、このテレビで嫌いな芸能人の顔がアップに映し出されたら、のけぞっちゃいそう」
 思わず言うと、店員さんはフフフッと笑って、
「そうですね」
 同感の言葉を口にする店員さんに、いっそう好感が持てた。
「確かに、くっきりと鮮やかな色彩だけれど、ちょっと不自然なほど濃いみたい。私は液晶のほうが好きだわ。ドキュメンタリーや報道番組ならまだしも、映画は穏やかというか自然な色彩のほうが絶対いいし好きだわ」
 映画のシーンを思い浮かべながら液晶テレビと有機ELテレビのモニター画面を見較べて言った。
「サイズは50インチがいいんですけど、ソニーのブラビアの50インチは……」
「あ、こちらです」
 多くのテレビが陳列されてある間の角を曲がったりしながら一番奥のスペースへ行く。
「これが50インチです」
「これね。いいわ、これ買います」
「ありがとうございます」
 通路のほうへ2人で戻りかけた時、 
「そうそう、去年、55インチのテレビに買い換えた知人がいるの。ブラビアの55インチ、ちょっと見てみたい」
 そう言うと、爽やかルックス店員さんが、「こちらです」と案内してくれて、また角を曲がったりして戻り、55インチのブラビアを指さした。
 その55インチのブラビアを見た私は、50インチよりサイズがかなり大きくなるというほどでもなく、見ているうちにそれのほうが買いたくなってしまった。
「私、こっちのほうがいいわ、これ欲しいわ、50インチより少し大きいだけでしょ? 部屋は広くないから大型は欲しくないけど、今のより少し大きいこれがいいわ、55インチのほうを買います」
「こちらですね。ありがとうございます。テレビ台は?」
「ソニーのシアターラックの上に置いてあるの。私が買った時はシアターラックという名称が、その後シアタースタンドになったみたい。40インチのテレビの幅とちょうど同じ幅なの。55インチだとモニターの両端が、どのくらいはみ出るかしら」
 あまりはみ出たら、見た目が気になるかもと思ったが、それでもと55インチのほうを欲しくなっていた。
「置けるかな。ちょっと調べて来ます」
 爽やかルックス店員さんはその場を離れ、店内のところどころに置かれているパソコンでサイズを調べに行った。
 間もなく店員さんが戻って来た。
「15センチぐらい? 右側と左側にはみ出るの」
「いや、そんなには」
「10センチぐらい?」
「そのぐらいです。置けると思いますけど、置けなかったら50インチのほうと交換ということで」
「はい」
「じゃ、こちらへ」
 案内されて購入の手続きのテーブルへ。
 ということで、その翌週、新しいテレビが配送された。
 ところが――。
 スピーカーの下に2台のビデオレコーダーが上下に設置されているシアタースタンドの上に、購入したテレビが置けなかったのである。  〔続く〕


テレビ設置騒動記

2024年09月29日 | 最近のできごと
 新しいテレビを買った。故障したからである。
 故障しなくても、古くなったから買い替えようと、以前から決めていた。
 転居以降、家電量販店へ何度も行ったが、エアコンやパソコンやプリンターや洗濯機やカーテンなど必要な物を買いながら、テレビはそのうちそのうちと延ばしていた。
 すると、ついにテレビが故障してしまった。
 テレビが故障したのは、初めての経験である。今まで5台ぐらい買い替えたが、きっかけは、古くなったからとか、もっと大きなモニターで見たいとか、引っ越したからということだった。どの時も、故障はしていなかった。テレビ故障の初体験である。
(ああ、ついにテレビが壊れちゃった!)
 ビデオレコーダーの故障の時と同じくらいパニック状態になり、
(ずいぶん酷使しちゃったものね)
 そう呟くと、ちょっぴり悲しくなった。ごめんなさいね、マイ・テレビちゃん。
 急に全く見られなくなったわけではない。録画のドキュメンタリーを見ている途中で、突然、音声が消えた。あれっと思い、数秒待っても、音声が出ない。
〈戻る〉ボタンを押し、再び〈再生〉ボタンを押すと、音声が出て正常になった。
 最初は、その状態が起こるのが、時々であり、毎日というほど頻繁ではなかったし、1日に1回だけなのである。
 けれど、たとえば報道番組などの再生で、画面は見ずに音声だけを聞いている時、急に音が消えてしまうと、キッチンでの用事を中断し、テレビの前に来て〈戻る〉ボタンを押し、〈再生〉ボタンを押さなければならない。1日に1回ではなく、今後はそれが頻繁になっていくことは予想できる。
 テレビの故障の始まりは、音声が出なくなることというネット記事を読み、
(やっぱり壊れちゃったんだわ)
 直す方法なんてないわと諦め、ようやく買いに行くことを決めた。
 家電量販店へ行くのは、いつもワクワクする。デパートへ行く時と同じくらいの浮き浮きワクワク感に包まれながら、30度以上の暑い日中、汗を拭き拭き出かけた。汗かき体質のため、毎年、夏は汗との闘いである。猛暑の夏に限らない。
 今年の夏も、汗と闘いながら、頻繁に外出した。
(こんなはずじゃなかった)
 と、顔の汗を拭きながら何度も呟くのは、昨夏は、きっと来年はエアコンの涼しい部屋で映画を観たり読書したり、毎日のんびりできるはずと思っていたからである。
 メモ・ダイアリーを見ると、8月は何と15日も外出したと気づき、驚いた。春や秋ならともかく、猛暑酷暑の真夏である。特に午後から気温は上昇し、夕方になってもおさまらない暑気に包まれるといった日々、ついに〈頭痛の予兆〉を感じた。
 と言っても、立ち止まるとか、あ、痛いという呟きはなかった。正確には頭痛という痛みではなく、痛みが起こりそうな予感であり予兆と言いたくなる感覚なのだった。
 その日は新宿へ出かけた帰りで、最寄り駅前のスーパーに寄らずに帰宅した。
(今日は炎天下を歩き過ぎちゃったわ)
 つくづく反省した。必要に迫られての買い物があり、新宿の南口から西口へと歩き、数時間後に東口へと歩き、数時間後に南口へと歩き回ったりした。炎天下の道路も駅構内も気温は高く、汗を拭きどおしだったと思い出したし、早くレストランで休みたいと歩き疲れてもいた。
(頭痛なんか起きたら大変)
 と、慌てた。3年前、首の寝違いを起こした時、初めて頭痛を経験したことを思い出した。
 自宅に向かって歩きながら頭に浮かんだのは、〈熱中症〉という言葉だった。熱中症の症状に頭痛があったような気がしたのだ。
 次に頭に浮かんだのは、身体は1年ごとに衰えるということだった。真夏の頻繁な外出が、昨年大丈夫だったから今年も大丈夫とは限らない、身体は歳月と共に老化して衰えていくということだった。持病も基礎疾患もなく、風邪やインフルエンザやコロナに感染もせず、関節痛もなく入院経験もないからと健康を過信してはいけないということもだった。
 私はこの世に生を受けたばかりの時から、約8年間、虚弱体質の時期が続いた昔のことが、そんな時は、いつも脳裏に甦る。この時も、そうだった。
(頭痛なんか起きたら大変)
 その呟きを繰り返しながら、夕食は済んでいるから、早く入浴して歯磨きと肌と髪の手入れをして、録画のビデオは見ずに、早くベッドに入り、スマホのニュース速報を読んで早く眠らなくちゃ――と、それらの自分の行動を一つ一つ思い浮かべていると、精神状態が少し安定してきた。
 ところが新しいテレビを買いに行く決心のワクワク気分に包まれたものの、まだ真夏日のような日々が続き、毎朝パソコンに向かうと天気予報のサイトを見る習慣があるが、
 ――外出は控えて―― 
 ――外出は炎天下を避けて――
 というようなメッセージの表示がある日ばかり続く。
 さらに、居住区から〈熱中症警戒アラート〉の通知メールが頻繁に届く。
(熱中症にならないようにしなくちゃ)
(頭痛なんか起きたら大変)
(猛暑の暑気に包まれながら歩くのは身体に良くないわ)
 そう思いながらも、数日後、日中の気温は30度以上だが思いきって出かけた。音声が消えるたびテレビの〈戻る〉ボタンを押し、再び〈再生〉ボタンを押すことに嫌気がさしてきたし、早く新しいテレビを買いたくなったからでもあった。
 テレビを買った後、他のフロアをいくつか見て回り、3時間半ほどして店を出た。前回は新宿で夕食をすませたが、その日は自宅を出た時から早く帰るつもりで、夜遅くにはならなかったので、電車を降りて最寄り駅前のカフェでパスタの食事をして、2軒のスーパーに寄って帰宅した。
(今日は家電量販店だけにして良かった)
 入浴しながら、つくづく安堵した。夕方まで気温は高かったが、先日のような頭痛の予兆もなく、熱中症にもならずにすんだ。
 翌週、テレビが届けられたが、思いも寄らないできごと、全く想像もできないようなハプニングが、その日、待ち受けていたのである。  〔続く〕


落胆の歯科医院

2024年08月25日 | 最近のできごと
 歯科医院の待合室ではなく、診察室の片隅で待つように言われ、やがて医師が声をかけながら姿を現した。
 診察申込書のチェックを入れた項目の、私の虫歯の詰め物のレジンがはがれた箇所を医師は見たり、
「今はレジンも進化してるから、はがれないですよ」
 とか、他にも二言三言のやり取りの後、診察台に移るように言われた。
 中高年の歯科助手さんが来て、口すすぎ台に紙コップを置き、私の胸の上に、紙製のエプロンをかけた。
 診察台を倒されて、私の身体は水平に近い角度に横たわる姿勢になった。
「40年とはよく保(も)ちましたね」
 傍に来た医師がそう言いながら、椅子に腰を下ろした。
 歯磨きは現在と同様、起床時、朝食後、昼食後、夕食後と1日4回していたが、私の人生で生活が大きく変わった時期の数年間、砂糖をたっぷり入れたコーヒーを5杯も6杯も飲んでいて虫歯になってしまったのだ。
 その後、2回ぐらいは虫歯になったが、中高年のころ、クリーニングで初めて行った歯科医師から、
「甘い物は好きじゃないんですか?」
 と質問されたことがある。
「いえ、好きです、チョコレートとかケーキとか」
 そう答えた。あの時の医師は、颯爽としたイケメン・ドクターだったと思い出した。
「口を開けて」
 治療器具を手にして医師が言った。
「はい」
「麻酔はしませんからね」
「はい」
 答えながら、急に不安感に襲われた。痛みに人一倍弱い私は、麻酔しないで痛みに耐えることになるのかと恐怖に包まれた。
 医師が治療器具を使い始めた。
(怖い~)
(痛いの嫌~)
(どうして麻酔してくれないのかしら)
(や、やめて~)
(帰る~)
 と、もうパニック状態。
(来なければ良かった、痛いの嫌い、帰りたい~!)
 ところが――。
 治療器具を医師が使っている間、痛みは全く感じなかった。
 治療は、5分ぐらいで、終了。
 そんなに早いと思わなかった。しかも、少しの痛みもなく、である。
(何て名医の先生!)
 感動した。
 治療台を起こされ、
「口すすいで」
 医師がそう言った。
「はい」
 水が入った紙コップを手にして口に触れさせた瞬間、
(あれ?)
 一瞬、手が止まったが、思いきってブクブクして、持っていたハンカチで口を拭いた。 
 医師が歯科助手さんに手鏡を持って来るように言い、その手鏡を渡されてレジンの修復の歯を見たら、両隣の天然歯と色もほとんど同じで、
「わあ、きれい。もう終わりですか?」
 思わずそう言うと、
「終わりです」
 医師が淡々と答えた。
「早くて上手ですね」
 私は言った。
「クリーニングはしてますか?」
「引っ越しで慌ただしかったので、1年近く行ってないんです」
「歯石はあまり付いてないみたいだけど、1年も経ってるなら、次回、しましょう」
「はい」
 礼を述べて診察室を出た。
 少し待ってから、受付カウンター前で治療費を支払った。
「次回の予約は……」
 と、予約の準備をしながら歯科助手さんが言いかけたので、
「いろいろ雑用があって今週来週はバタバタしてるので、落ち着いたらネット予約します」
 そう答えた。
「ネット予約ですね、わかりました」
 歯科助手さんがやさしい微笑を浮かべて言った。
 歯科医院を出て、小さな解放感に包まれながら、
(あそこは、もう行かない)
 そう決めた。理由は、紙コップである。
(あれは間違いなく、新品の紙コップじゃなかった)
 変な匂いはしなかったし、見た目ではわからなかったが、新品の紙コップは新品の匂いと感触がするものである。それが、なかった。
 私が神経質過ぎるということもあるが、神経質だからこそ新品と使い回しの紙コップの違いが、わかるのである。
(あの紙エプロンも使い回しだったかも)
 患者は緊張しているし、わからないと思っているかもしれないが、変な匂いや汚れの色が付いてなくても、神経質な患者にはちゃんとわかるのである。医師が採算を考えての指導なのか、歯科助手が仕事をサボったのか、水ですすいで乾かしたのか、わからないけれど。
 スーパーで買い物して帰宅後、入浴して歯磨きもして何度も口の中をすすいだり、うがいしたりしたのは言うまでもないこと。
(早くて上手な歯科医師で、やさしく感じの良い歯科助手がいても、不衛生な医院には行きたくないわ)
(どこの歯科医院に、クリーニングに行こうかしら)
 駅前商店街の路地を歩き回りながら、ここにもあそこにもと、頻繁に眼に触れる〈歯科〉の看板。
(明日から、またネットであちこちの情報を閲覧しなくちゃ)
 こうして私の歯科医院探しが、また始まったのである。


転居後の歯科医院

2024年07月21日 | 最近のできごと
 何度もホームページを見ていて初めて行く、その歯科医院のドアを開けて入った。
 虫歯の詰め物の治療が目的だが、歯科医院に初めて入る時はいつものようにワクワクする。
 歯科医院に限らない。内科でも他の科でも、診療所でも病院でも、初めて行く医療機関は決まってワクワクするような気分に包まれる。
 もちろん緊張感もあるし、痛い思いをするのは嫌だとか、理想的な医療機関ではなく、とんでもない医院や病院かもという不安もちょっぴりある。 
 けれどワクワク感のほうが強いのは、言ってみれば、好奇心のせいかもしれない。
 ドアを開けた私を見て、受付の席に座っていた中高年女性が、「こんにちは」と感じの良い口調で声をかけてきた。
「こんにちは」と、私も明るく言って受付のカウンターに歩み寄る。
「初診です。予約はしてないんですけど」
「えーと、この後3時から予約が入っていて……」
「あ、じゃ」
 ホームページからネット予約は可能だったが、初めて行く歯科医院も美容院も〈予約〉が嫌いなため、すませていない。もし予約でいっぱいなら、もう1軒その近くの歯科医院に行こうと決めていた。
 けれど歯科助手の女性が、「ちょっと先生に聞いて来ます」と言って、治療中の歯科器具の音がしている診察室へ行き、間もなく戻って来た。
「大丈夫です。これに記入して下さい」
 と、紙と台紙とボールペンをカウンターの上に置いた。
 名前や住所などの個人情報を記入し、受診の目的にチェックを入れて、受付へ。
 他に患者の姿はないが、予約制だからかもしれない。予約なしの患者がいないのは、大雨の日だからかもしれない。または歯科医院の数が多い地域だからかもしれない。
 などと考えながら、5分ぐらいだろうか、思ったより早く診察室へ呼ばれた。
 すると、すぐに治療台へ上がるのではなく、歯科助手女性から部屋の隅に案内され、小さなテーブルと椅子が2つあるコーナーで少し待つようにと言われたので、椅子に腰を下ろした。
 前の患者の治療が終わって、カルテとか請求書とか、私の保険証と診察申込書に医師が眼を通す時間と想像されたが、待合室より少し長めで10分くらい待った。
 そのコーナーの壁に、歯科医師の所属の歯科医師会とか団体とか専門医や認定医の証明書とか肩書きなどが書かれたポスターが貼ってある。
 私の経験ではそのようなポスターが待合室に貼ってある歯科医院は、3軒に1軒ぐらいだろうか。それを見ると、何か誇らしげな印象をちょっぴり受けてしまうが、以前、歯科医院の選び方という記事を読んだ時、そういう医院は避けたほうがいいということだった。私は特に避けた経験はないが、その日の私は、ある本を読んでいたせいで、そうしたい歯科医師の心理が想像された。
 転居後の本の整理は、本棚に本を並べていく作業だけではなく、あと1度だけ読んで捨てるということだった。不要な本の整理は転居前にダンボール6コを2回、合計12箱を中古本店に送って売った。現在は本棚に入りきれない本の断捨離である。海外のドキュメンタリーや刑事コロンボ・シリーズなど、あと1回読んでは捨てることを繰り返している。その中の1冊が『わたしは悪い歯医者』で、著者は現役の歯科医師。その本が、あと1度読んだら捨てる本に積み重ねてあって、
(ちょうどいいわ、歯科医院に行くから、これ読もうっと)
 と、眼にしたタイトルを見て手に取ったのである。
 買って読んだのが15年か20年ぐらい前だったが、面白く読んだという記憶があった。もう1度読んだら捨てるから1冊減ると思ったりもした。
 2度目に読んでみたら――。
(そういうことだったのね)
 今まで謎だったことが、溶けたり、納得したり、理解できたりして、面白くもあり、一気に読んだ。
 謎というのはいくつかあって、たとえば、〈医師等資格確認検索〉という厚労省のサイトで検索したことが何度かあるが、最初のページに、
 ――医師、歯科医師の資格を確認することができます。――
 と書かれていて、
   職種  医師 歯科医師
   性別  男性 女性
   氏名
 と表示された欄に、選択してチェックを入れたり、医師名を入力したりして検索ボタンをクリックすると、次ページに、
 ――〈検索結果  1件(備考に*がある場合は詳細表示があります)〉――
 ――番号 職種 氏名 性別 登録年 備考―― 
 それらが表示されるのである。私がこのサイトを利用するのは、医師資格が間違いなくあるかどうかではなく、医師になって何年ぐらいのベテランかを知りたいためである。
 そのページを見るたび、
(職種が、医師と歯科医師に分かれてるって、どういうこと?)
(歯科医師も医師なのに、わざわざ分けてあるなら、内科とか眼科とか耳鼻科とか外科とか分けてないのは、どうして?)
(医師と歯科医師は違うのかしら、どう違うわけ?)
 と、謎だった。歯科医師の数が多く、同姓同名も少なくないということだろうかなどと思ったり、
(歯科医師と、内科医師や整形外科医師って、雰囲気がどこか違う感じ)
 などと思ったり、
(歯科医師は内科医師などに対してコンプレックスがあるような気がする)
 などと思ったり、
(歯科医師ではない医師は歯科医師を見下(くだ)してるみたいに想像される)
(口コミを読んだり人の話を聞いたりすると、たいていの人は歯科医師を軽く見ているみたいな感じを受ける)
(内科の医師のほうが患者から尊敬されてるみたいな感じもするし……)
 それらの謎や疑問が、その本を読んだら、溶けたり納得できたりしたのである。
(そういうことだったのね!)
 内科などの医師と歯科医師はスタートの時点での相違があったのだ。親が歯科医師で後継者になるという人を除き、最初は大半の歯科医師は歯科医師ではない医師を志望していたらしい。けれど学力、学業成績によって、歯科医師になる選択をしたということらしい。
 私はずっと、歯科医師になるような学生は、歯科というジャンルに興味を持ち、歯のトラブルをかかえる患者を救いたいという目標があったと想像していた、その医師の目標を持つスタート時点ということである。
(そう言えば……)
 と、思い当たることがあったり、
(そういうことだったのね)
 という言葉を、その本を読みながら、何度繰り返したかわからない。
 私が〈医師等資格確認検索〉という厚労省のサイトを知ったのは、その本を読んでしばらく経っていたので、気がつかなかったのだ。
(内科とか整形外科の医師と、歯科医師は、やっぱり雰囲気が少し違うのは、そのせいだったのかも……)
 読み終えた後、いろいろ興味深く面白い本だったので、捨てるのがちょっと惜しくなった。 〔続く〕






雨の日の外出

2024年06月23日 | 最近のできごと
 先日、最寄り駅近くの歯科医院へ出かけた。
 前歯の虫歯の詰め物の修復である。〈C1虫歯〉に詰めてあったレジンが、はがれてしまったのだ。その虫歯の箇所が痛くもないし、しみることもない。
 すぐに歯科医院へ行けない事情があり、けれど放置していたらしみるかもと不安になり、フッ素が多く入っている〈チェックアップ〉という歯磨きを通販で買って、夜の歯磨きの時に軽く磨いていたら、その後も全くしみなかった。
 すぐに歯科医院へ行けないのは、どこの医院に行こうかと、来る日も来る日もネット記事で情報集めしていたからである。
 コンビニより多い歯科医院と言われるように、最寄り駅へ向かって歩いて行くと、10数メートル間隔でと言えそうなくらい、あちらにも〈歯科〉こちらにも〈歯科〉の看板だらけ。
 外出時には、その看板や外観を見たり、在宅日はネットの口コミやホームページを見ては、
(どうしよう、ここにしようかナ、他の医院にしようかナ)
 と、先月の月末近くから迷いに迷っていたのである。
 転居したら、あちこち歯科クリーニングに行って、医師と歯科衛生士と受付の人たちに接し、良さそうな医院を見つけようと思っていたのである。
 そのうちそのうちと〈明日できることを今日やるな〉で延期していたわけではない。不幸中の幸いは、前歯といっても上唇を少しめくらなくては見えない箇所の小さな虫歯だから、他人の眼には見えないことだった。他人には見えなくても、毎朝、洗顔の時に鏡を見ながら、
(まさか虫歯が広がってないわよね)
 と、ドキドキするほど心配で、上唇をチョンとめくってみると、茶色に着色した部分は同じか、毎夜、フッ素高濃度配合(1450ppmF)の歯磨きで少量洗口をきちんと守っていたせいか、虫歯の茶色部分が薄くなってきたような気がした。
(さ~すがライオンね、歯科グッズは、ぜ~んぶライオンだもンね、絶大の信頼のメーカーだもンね!)
 なんて呟いたものの、
(そんなわけないわよね、レジンがはがれちゃったのだから)
 見慣れてきたせいかもと思い直した。
 あの歯科医院にしようと決めてからも、なかなか行けないのである。今日は新宿へ出かけるし、今日は美容院へ行くし、今日はスーパーへ買い物だし、今日は電話がかかってくるし、今日は笹塚へ行く用事があるし、今日は昨日出かけて疲れちゃったし、今日は家の中でやることがたくさんあるし、今日は歯科医院へ行く気分じゃないしと、来る日も来る日も自分にいろいろ言い訳しながら、パソコンに向かうとブックマークしてある歯科医院が今日は休診じゃないかしらとか、行こうかどうしようかウダウダウダウダと迷い続けたが、一番の理由は、
 ――今日は歯科医院へ行く気分じゃないわ――
 ということだった。
 それが、大雨の降る日、何故か行く気分になったのである。よりによって雨が降っている日にと、自分で自分の心理が不思議。
(今日、行こうっと、あそこの歯科医院、行こうっと!)
 もうその日はワクワクするくらいテンションが上がっていた。何事も気分で行動することの多い私だが、ついに歯科医院へ行く気になったその日まで、半月余り経ってしまったと気づく。
(どんな歯科医師かしら? どんな歯科衛生士や受付の人たちかしら、やさしい人がいいナ、優秀でやさしくて感じの良い人ばかりがいいナ)
(雨だから患者はきっと少なくて待たされないわ)
 まだ小降りにもならない昼下がり、傘をさして歩きながら小さなショルダーバッグに健康保険証を入れたのを確かめ、浮き浮きワクワク自宅を後にした。
 最寄り駅へ向かう道を歩きながら何軒もの歯科の看板はもう見ないで、ついに、決めてあった歯科医院に着いた。 〔続く〕


最近の心境

2024年06月02日 | 最近のできごと
そろそろ梅雨入り。雨の日は嫌い。まず気分的に、ああ雨と落ち込む。雨の降る音を、風情があるなどと感じたことはない。若いころからずっとだが、雨の日はやたらと眠くてダルいのである。意欲も低下。何もしないでソファかベッドで横になってスマホかKindleかテレビか長電話。
 運動不足を自覚しながらも、毎日のルーティーンのストレッチやテレビ体操だけは欠かさない。外出もしたくない。まるで自律神経失調症みたいに、ダルくて眠くて、何かの意欲が湧かない。それでも食べたり飲んだりだけは変わらない。家事は運動になると、テレビで専門家が言っていたが、いつもより身体を動かすのも億劫でダルいのに、コーヒー飲みたい、紅茶飲みたい、ごはん食べたい、お腹が空いたと私の脳が身体に命じて、ソファやベッドから勢い良く起き上がる。
(じっとしてたってエネルギー消費してるからだわ!)
 自動的に消耗している基礎代謝のせいだと気づく。


以前居住のマンションも出入りするたび、エントランスの傍の満開のツツジが眼を楽しませてくれたが、現在居住のマンションはそれより少し広い面積の生け垣と、裏庭というか中庭というか、そこにもツツジが満開に咲いていた。
 ツツジが終わりかけると、その傍の高木に白い小花がたくさん咲いたが、何という名の樹木か知らない。
 今月は紫陽花の季節。
 紫陽花は雨を思わせる花ということらしい。
 梅雨の時期は嫌いだが、ブルーの紫陽花が好き。
 ベランダでミニ・トマトを栽培しているという話を姉から聞き、私も試してみたいなと思っている。ただし、トマトは普通サイズが好きで毎日食べているが、窓を開けた時の観賞用に楽しめるかもしれない。


フルーツコーナーで真っ先に眼を惹かれたイチゴの季節も終わった。スーパーへ行くたびに買っていたイチゴ。私は大粒のあまおうが大好きで、買う店は2軒のどちらかに決めていた。食材の買い出しが週に1度、新宿など電車で出かけた帰りに週1、2度だから、毎日のように食卓を見て浮き浮き。
 1パック買うと3日は美味しい、という時期は短く、2日で食べきらないと少しずつ傷んでしまう日々に。
 やがて、店頭でパック越しに見ても、
(う~ん、鮮度がちょっと……)
 と、手に取るパックを選ぶ時間が、かかるようになった。何度も、あれこれ手に取るのはマナー違反に思うものの、パックを裏返してみると、やはり鮮度と傷みの箇所が見える。
 そこで、あまおうを諦めて、とちおとめを見ると、パック越しに見ても、
(あ~ら、鮮度がいいわ!)
 と、パックを裏返しても問題なく、買って来るようになった。あまおうとは甘味が微妙なところだが、予想以上に美味しい。
 あまおうよりとちおとめのほうが鮮度が高い理由が、テレビの番組を見てわかったような気がした。
 物流の2024年問題がテーマの情報番組だったが、もうすでに始まっているらしく、福岡産のあまおうと栃木産のとちおとめでは運送の所要時間の違いがあったのだ。1日違えば鮮度も違うのは無理もないこと。
 週に1度行く、〈開かずの踏切〉を越えた、駅の反対側のスーパーでも、電車での外出の帰りの成城石井でも、新宿のデパ地下でも、あまおうよりとちおとめのほうが鮮度が高くなってきて、やがて、とちおとめの鮮度も落ち気味の時期になり、ついに店頭からイチゴが消えた。
 ――と、思っていたら、あるスーパーに、イチゴのパックが棚の上にあり、
(あああっ、イチゴ!!)
 思いがけなくてササッと近寄って見る。
(やよいひめ。イチゴっぽいネーミング。食べたことないわ)
 群馬産。手に取る前にパッケージ越しに見て選ぶ。選んだパックを裏返してみると、表側より小粒が多い。
 イチゴの種類は多数あり、全部食べてないから一概には言えないけれど、小粒は甘味が薄い。
 鮮度も良く、傷みもなさそうなので、1パック買った。
 イチゴの味はする、それなりの美味しさ。
 最寄り駅とは逆方向にあるスーパーで、月に2回ぐらい行く。通りに面して、広いキャベツ畑や、昭和の雰囲気の商店やクリニックや飲食店などがポツリポツリとあったり、森のように鬱蒼と樹木が繁った家か施設かわからないし建物があるのかどうかも不明の場所など、眺めながら歩いて行くと新鮮な気分に包まれる。もう少し距離があれば散歩コースになるかもしれない。
 初めてその通りを歩いていて交差点に来た時、マップで見ていたもう1軒のスーパーへ行くつもりだったが、右か左かわからず、通りかかった高齢女性に聞いた。ポシェットをかけていただけの女性で、この辺りに住んでいそうな人という直感は当たった。すぐ教えてくれて、途中まで私も行くと言うので少しお喋りしたが、毎日、夕方、この辺りをウォーキングしていると微笑んでいた。おっとりしている雰囲気で、平穏で幸せに暮らしているように想像された。
 今年の冬みかんが終わった時期に、清見オレンジを産地直送で買って美味しく食べた。1箱25コ詰めで、毎日夕食後に1コ食べていたが、最後まで鮮度は落ちず美味しかった。
 産地直送は〈JAタウン〉で買うが、以前、キウイフルーツ、りんご、みかんも箱詰めで買ったことがある。
 りんごやみかんは1か月美味しく食べられたが、キウイフルーツ30コ詰めは、
(国産のキウイフルーツって、こんなに美味しい!)
 と、食べるたびに呟いたのは20数日ぐらい。届いた時は、追熟が必要という説明書が同梱されていたが、早く食べたくて追熟前から固いキウイフルーツを数日間、食べていた。なくなるころは熟し過ぎで美味しさ不足となった。
〈JAタウン〉でイチゴは冷凍かゼリーなどで販売されているが、それらはあまり食欲をそそられない。最近、買って来るのは、甘夏、キウイフルーツ、小玉スイカ。それと朝食べるバナナ、時々、グレープフルーツや桃など。最近、フルーツもスイーツもよく食べるのに、太らないのである。果糖の摂り過ぎで太った時期もあるが、駅までの往復早歩きや体操&ストレッチや家事の運動の時間が、以前より長くなったためだと思う。
 

転居の数か月後、区役所から特定健診の案内書類が送付されて来た。
 受診の有効期限が3月で、受けないうちに過ぎてしまい、書類は捨てた。
 すると、最近、また特定健診の案内書類が送付されて来た。受診の有効期限は来年3月になっている。
 その有効期限内に体調が悪くなったら受けようと思い、捨てないで保管してある。
 前居住区の時は、5月にクーポン券付きの書類が送付され、有効期限は8月の末だった。
 居住区によって、そんなに違うものなのかと不思議。
 親しい人に話すと、
「体調が悪くなったら健康診断どころじゃないでしょ、病院へ行くでしょ普通、かかりつけ医に診察してもらうでしょう」
 と、呆れられ、それもそうだわと思った。
 その日は就寝時まで〈かかりつけ医〉という言葉が脳にイン・プットされてしまった。
(転居前の〇〇区には、ちゃんといたのに)
(いつ体調が悪くなっても診てもらえるって安心してたのに)
(地球の反対側みたいに遠く感じられる所で開業したから、行けなくなっちゃったし……)
(そうだわ、かかりつけ医を探さなくちゃ)
 いざという時、ちゃんとカルテがあって、診察してくれるかかりつけの医師を探そうと決心した。





東映オンデマンド

2024年05月12日 | 最近のできごと
 高橋英樹主演の1976年から1981年の時代劇ドラマ『桃太郎侍』を、東映オンデマンドで観ることができることを知って、3月下旬に登録した。東映オンデマンドはAmazonプライムビデオの中の1つのチャンネルと知ったのは、登録後だった。
 その登録ページに、Amazonプライムビデオは1か月の無料体験、その日以降は月額600円、東映オンデマンドは14日間の無料体験、その日以降は自動的に有料期間となり、月額499円という説明を読んでいて、登録後はそれと同じ説明のメールがAmazonプライムと東映オンデマンドからそれぞれ送信された。
 そのため、Amazonプライムビデオと東映オンデマンドは別々の登録になるのかと思い込んでいたら、そうではないと知ったのが、いつものようにテレビの前でワクワクしながらリモコンを操作した数日前のことだった。
 東映オンデマンドを見るためにはAmazonプライムに登録していないと見られないことと、Amazonプライムと東映オンデマンドの登録料が月額600円と499円というメッセージがテレビ画面に出て、このまま利用を続けるかどうかの選択メッセージが表示されたのだった。
 さらにそこには、登録していればAmazonプライムビデオも見られるし、東映オンデマンドの他のどの動画も好きなだけ見られるというような誘いのメッセージが表示されていた。
(そんなことは百も承知、というより、〈言わずもがな〉なのに)
 思わず呟いた。よけいなメッセージである。
 Amazonプライムビデオは1か月の無料体験中に、観たい洋画はすべて観てしまっているし、他に新しいので観たい映画がないので、1本も観ていない。それで、登録解除をしてしまったのだ。すると登録解除のメールが送信されて、Amazonプライム会員の登録解除によって、さまざまなサービスが得られなくなると具体的なサービスをいくつも挙げてのメールが送信されたが、東映オンデマンドも観られなくなるとはどこにも書いてなかった。
 かつてAmazonプライム会員登録を1年ぐらいごとに数回したことがあるが、洋画を観るのが目的で、音楽とか雑誌購読とかショッピングの当日配送など他のサービスはどうでも良かった。ショッピングの送料無料は良かったけれど。
 Amazonプライムビデオの登録を解除しても、東映オンデマンドの月額499円支払えば、ずっと利用できると私は思い込んでいたのだった。
 その時点で、高橋英樹主演の『桃太郎侍』全258話の中の135話を東映オンデマンドで観ていたが、その10話ぐらい前の回からBS日テレの再放送で観ていたから、ストーリーの新鮮さは少し失われていた。もっとも『桃太郎侍』のストーリーは毎回、ワン・パターンではあるけれど。
 1話が46分と短いドラマである。1話だけではもの足りなくて、2話か3話、続けて観たり、連日のように観ていて1日の午前と午後で5話も観たこともあるが、平均1日3話ぐらい。午後から外出の日は1話だったり。
 全258話を観終えたら、東映オンデマンドを登録解除するつもりだった。時代劇はあまり好きではないし、他の古い東映作品にも俳優にも全く興味はない。
 けれど時代劇俳優の市川雷蔵と高橋英樹の2人だけには惹かれた。ルックス、表情、雰囲気、声、セリフの言い回しなど抜群の演技力に魅力を感じた。市川雷蔵は、『眠狂四郎』の翳りを漂わせた剣豪役も素敵だが、溝口健二監督の『新・平家物語』は、何度観ても陶酔させられる素晴らしい作品で最高に好き。高橋英樹は『桃太郎侍』も魅力的だが、12時間ワイドドラマの『織田信長』は、もっと独特の演技力と独自の解釈や表現が素晴らしくて初めて深く魅了された。あのドラマをどこかのオンデマンドで観られないだろうか。――と、ちょっぴり未練がましい私。時代劇は好きではない私を、一時期とは言え夢中にさせたということもあり、2人とも不世出の名優に感じられる。
 結局、東映オンデマンドを見続けるためにはAmazonプライム会員登録をというメッセージが出た時、少し迷ったが、半分以上の回は再放送ですでに見ていたため、登録を選択しなかったので、東映オンデマンド登録解除となって、現在は観ていない。
 すると、生活に小さな変化が起きた。1日に1時間半か2時間余りテレビの前に座って『桃太郎侍』を観ることがなくなったら、その日にやるべきことが結構捗(はかど)るのである。家事の他に、たとえば本の整理やクロゼットの整理、衣類の見直しやウエス作りなど、手間も時間もかかる作業が遅々として進まなかったのだが、
(ああ、今日はいろいろやったわ!)
 と、満足感に包まれて1日を終える。
 今に始まったことではないが、今日できることを明日に延ばすな、ではなく、〈明日できることを今日やるな〉の性分の私。夜、就寝時には、その日にやるべきことだったあれこれを思い浮かべ、
(ああ、今日も、あれもこれもできなかった、明日はできるわ、何とかなるわ)
 と、同じようなことを呟く日が多い。
 また、高橋英樹主演の現代ドラマは好きではなく、他の時代劇ドラマも録画して見てみたが、あまり楽しめなかった。
 ひたすら、『桃太郎侍』にハマり込んでいたというか夢中になっていた日々が、終わったような気がする。周囲の人たちと会って食事の時など、勢い込んで高橋英樹の魅力について喋り始める私に、「ま~た、高橋英樹」と呆れられたが、もうそんなこともなくなる。
(テレビの前に座っている時間が長いと、運動不足になりそう)
 そう気づいたりもする。運動不足にだけはなりたくない。週に2日か3日か4日の外出日以外の、一日中〈おうち時間〉の日も、テレビの前で過ごすより、できるだけ身体を動かしたい。とは言え――。
 先日DVDの整理をした後、ケヴィン・コスナー主演のサスペンス映画『追いつめられて』のDVDを観たら、もうもう陶酔の極みのひとときを過ごし、続けて『アンタッチャブル』を観て楽しんだ。映画の内容の面白さはもちろん、海軍将校役のケヴィン・コスナー、財務省捜査官役のケヴィン・コスナーが最高に素敵で素敵で何度観ても深く魅了されてしまうのである。
(運動不足にならない程度に、やっぱり好きな映画を観るのはやめられないわ!)
 そう呟いた。

 


マンション管理組合

2024年04月14日 | 最近のできごと
 転居したばかりのころ、郵便物がドッサリ送られてきた。インターネットを利用するようになって以降、メールの通知がほとんどだから、郵便物は少なくてラクだった。20数年も慣れていたので、小説とメールとネット記事の文章以外は読みたくない私にとって、〈ドッサリ郵便物〉は小さなストレスだった。
 ガス・水道・電気などのライフラインは居住区が変わるとネット上での更新をしなければならず、行政機関や税金も新たに書類で届ける必要があったり、宅配ボックスは新規登録のため、メールと書面の手続きとカード受け取りと代金振込用紙が送られたり、何故かダイレクトメールもよく送られて来た。DMはすべて、開封しないで〈受取拒否〉のメモをセロテープで貼り付け、ポストに投函すれば郵送されなくなる。20年近く、そうしていたので、DMはほとんど来なくなり安心していたのだが、新居の住所を何から知って郵送されるのか不思議だった。リフォーム会社や不動産関連のDMが多く、片っ端から未開封のまま〈受取拒否〉のメモを貼り付けてポストに投函していたし、管理会社・ライフライン関連・税金関連、あちこちへの住所変更届の書面などの郵便物は、数か月でなくなって落ち着いた。住所変更届は住民票添付で返送だから、その都度、区役所の出張所へ取りに行く煩わしさがあった。オンラインでも可能だが、個人情報なので書面の提出を選択した。
 現在でもよく郵送される郵便物に、管理組合からの通知がある。
 マンションの維持と管理を行う組織が、居住者で構成される管理組合で、法律による義務付けがあり、その管理状況はマンションの資産価値に影響する。住み替えの活動は1年2か月かかったが、不動産営業担当者との相談の際の〈希望条件〉で、居住区域やセキュリティや広さや向きなどなど、15項目の中の1つに管理のことも含めていた。管理会社と管理組合の活動状況のことで、内見前に、管理規約と管理組合の活動状況の書類を営業担当者が管理会社から法的定めにより取り寄せて、添付メールしてくれる。それに眼を通すのが大変だった。現在のマンションはその書類の量が、予想以上にというより極端に多く、その理由が住んでから納得した。
 取り出した郵便物を歩きながら1つ1つ、ざっと確認して行くと、
(ま~た、来た)
 と呟き、感心したくなったのが、管理組合理事会報告書。管理会社からは転居後しばらくだけで最近はほとんどないが、管理組合理事会報告書が、何と毎月郵送されるのである。
(理事会を毎月、やっているなんて!)
 3か月か4か月ごとぐらいが一般的だと思うが、毎月とは驚きだった。
 その報告書の枚数が結構多く、毎回、何とA4記録紙10ページぐらいある。
 さらに驚愕したのは、管理組合理事会報告書は、管理会社のフロントマンが作成するのが一般的なのに、理事長が作成しているのである。
(そう言えば内見前に取り寄せた管理規約と管理組合の活動状況の書類が、どっさりとあったわ)
 といっても管理規約は分譲時の管理会社による作成。管理組合の活動状況は大規模修繕その他の記録もあるが、管理組合理事会報告書は含まれていない。
 小説とメールとネット記事の文章以外は読みたくない私だが、もちろん大事な書類だから、毎月郵送される管理組合理事会報告書は眼を通す。
 ――第〇期第〇回理事会報告書 地区の会館会議室 役員名 理事長 副理事長 理事 監事 大規模修繕委員3名 管理会社2名 メーカー担当者1名 オブザーバー3名――
(オブザーバーまでいるなんて)
 と驚かされたが、大規模修繕関連の専門家もいるらしい。出席者が20数名とは、戸数が小規模と中規模の中間のマンションにしては多い人数に感じられた。
 最後に3か月先までの毎月の理事会予定日まで記載されている。
 けれど――。
 最近の報告書に、理事会の役員希望の人は名前を記入して理事長に届けて下さいとあり、
(輪番制じゃないんだわ、良かった~)
(何て理想的! 理事会役員は希望者がなるなんて!)
(そうよ! 輪番制で仕方なく理事になるのではなく、意欲のある人希望する人がなるのが一番いいわ!)
 たいていは理事長は立候補、役員は輪番制である。以前のマンションでは約10年に1回輪番が廻ってきた。1回目の時は監事で、管理費・修繕費の年間入出金明細の書類を20㎝ぐらいの厚さで理事長から渡され、
「えええええっ、これ全部ううう~!?」
 思わず驚愕の声を上げてしまった。数字の羅列に弱いというか見るのが嫌いで不得意な私。イチジュウヒャクセンマンと呟かなくては桁数の金額の把握もできない。当然、渡されてすぐになどできるはずもなく、キッチンのカウンターの上に乗せたままにしておいたら、遊びに来た友人が、何これと呟くので、「監事だからこれ見て確認するんだって、数字の羅列って嫌いなのに、嫌だわ、どうしようどうしよう」と半泣き口調で言ったら、「見てあげる」と言い、帰り際に書類を持って行ってくれたので助かった。
 2回目は監事ではなく理事。10数名が集まってさまざまな議案の相談をするが、大半のマンションのように、会の進行は管理会社のフロントマン、理事会報告書もフロントマン作成だった。
 その以前のマンションは管理組合はなく、すべて管理会社に委託だった。
 マンションによって管理会社も管理組合もそれぞれである。
(あの理事長さんが頑張ってくれているのね)
 初印象はとても良かった。初めて会ったのは引っ越し当日。タクシーで新居のマンションに到着した時、何とエントランスに立っていた男性が歩み寄って来て、「理事長の〇〇です」と声をかけて来たので、私も名乗って丁寧な挨拶。内心、
(理事長さんのお出迎え!)
 と感激してしまった。時刻は夜の7時台。夕食後くつろぐ時刻に、わざわざ私のためにと思いがけなかったのだった。
 エントランスは比較的広い。外に到着したばかりの引っ越し業者が他のスタッフと電話連絡を取ったり何かしている間、理事長さんと少し世間話をした。
(感じのいい人)
 穏やかで、にこやかで、人柄が良さそうという印象。
 ところが、引っ越し業者のリーダーの人がエントランス内に入って来た時、理事長さんが、
「台車は使わないで下さい。床が傷(いた)むから。弁償して貰うことになるから」
 と、やや厳しい口調で言った時は驚かされた。 
(私の出迎えじゃなかった! 引っ越し業者に注意する目的があったのだわ)
 そう気づいた。断捨離し尽くしても、ダンボールは200コ以上。特に本と衣類が多かった。搬出は4人、搬入は6人のスタッフ。引っ越し業者のスタッフさんたちは全員、体格が良く、親切でやさしくて感じのいい人ばかりだったが、台車の使用を禁じられ、ダンボールを腕や肩の上に抱えての搬入作業は大変だったと思う。
(温厚そうだけれど厳しそうな人)
 と、理事長さんの口調にそう感じたが、その後、道路で出会って少し話した時も、感じの良い人という印象は変わらず、
(管理組合は理事長さんが頑張ってくれているのね)
 と、つくづく安堵している。