一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

『養老孟司×太刀川英輔 EP1』(スイッチインタビュー・NHK)

2022年11月13日 | テレビ番組
 鎌倉にある飲食店で行われた、養老先生と工業デザイナーさんとの対談。
 2人の話は少し難しい箇所もあったが、興味深く聞いた。
 椅子に座っている間中、養老先生がずっと脚を組んでいて、気になった。脚を組むのは骨盤に良くないということだが、きっと、そんなことは気にしないのかもしれないと思った。YouTubeでもよく脚を組む姿を見ているが、癖のように見える。
 私も時々、つい、脚を組んでしまうが、
(骨盤がズレちゃう!)
 と気づき、すぐ、やめる。
 骨盤がズレると何故いけないのか具体的な理由は知らないが、ズレるのは良くないに決まっている。養老先生と違って私は筋肉も骨も弱いに違いないから、できるだけ脚は組まないようにしようと思っている。特に今後は加齢で筋肉も骨も弱くなったり減ったりしていくのだから気をつけなくては。
 現在は幸運なことに肩も腰も膝も足も、筋肉痛は全然ない。肩凝り、腰痛、膝痛、脚痛のどれかがある人を周囲で何人か見ているが、辛そうである。けれど慣れてしまっているふうにも見える。
 身体のどこにも痛みのない生活が、私にとっては平穏な日々を過ごせることになる。
 さらに数年前から、食間が長時間の時の空腹感が強くなっても腹痛が起こらないのは、いいことだけれど、脳から司令が出なくなったのだろうか。それとも、自然治癒したのかもしれない。
 最近、中村仁一医師の著書を2冊読んだ。著書の中に、
 ――自分の身体の不調や病気は自分の身体が自然に治す。自分の身体が治せない身体を他人の医者が治せるわけがない。自分の身体が治せない不調は病気ではなく老化である。――
 というようなことが書かれていて、衝撃を受けたというか、発見したというか、驚愕させられた。もちろん自然治癒という言葉は知っている。
 けれど――。 
 昨年、首の寝違いで生まれて初めて頭痛を経験した。あの頭痛だけは二度と経験したくない。肉体的にも精神的にも辛かったので病院へ行き、薬を処方されて飲んだら、首の筋肉の寝違いと共に頭痛も薄れ、数日間で完治した。
 もし、徹底的に薬嫌い、病院嫌いだったら、病院へ行かず薬も飲まず、〈日にち薬〉で自然治癒したと思う。
〈日にち薬〉という言葉は、薬嫌いだった母がよく言っていたが、私もその言葉を信じている。〈日にち薬〉とは、日にちが経つことが薬、日にちがたてば治るという意味で、〈日柄〉という言葉も母はよく口にした。日柄とは大安・友引などその日の吉・凶のことの他、月日の意味もある。誰かが愚痴る腰痛とか風邪とか腹痛とか聞くと、いつも母は、「日柄よ、日にち薬よ」と言うのだった。本当に信じていて、自分の身体が不調の時も、日記にはそう書いてあった。風邪など不調だった日も、治った日にも書いてあるので、母らしいと思わずクスッと笑ってしまう。
 けれど、昨年の初夏、母の言葉を何度も声と口調と共に思い出し、胸の中で呟いたが、日にちが経つその間中の精神的肉体的な辛さに耐えられなかった。だから、周囲から何と言われようと笑われようと、寝違いを治しに、初めて整形外科へ行って診察・レントゲン・薬の処方をして貰ったことは、私にとって正しい選択だったと今でも信じている。
 ――医療は利用するもの、医師の指示に唯々諾々(いいだくだく)と従う患者が多いが、医療の主役は医師ではなく患者で、医師は利用する存在である――
 というようなことも、中村仁一医師の著書に書かれていて、印象に残った。
 ともあれ、私の弱点は寝違い。寝違いだけは気をつけなければと、日々、自分に言い聞かせている。


『キューブリックが語るキューブリック』(世界のドキュメンタリー・NHK BS)

2021年02月14日 | テレビ番組
 アメリカの映画監督で脚本家でもあるスタンリー・キューブリックのドキュメンタリー番組を興味深く見た。
 スタンリー・キューブリック監督作品は、『シャイニング』『時計じかけのオレンジ』『博士の異常な愛情』『現金に体を張れ』『スパルタカス』『アイズ ワイド シャット』『ロリータ』『フルメタル・ジャケット』『バリー・リンドン』『2001年宇宙の旅』などを、面白く観た。
 初めて観たのが『2001年宇宙の旅』(アメリカ・1968年)。最初に観た時、そう面白いとは思わなかったが、2度目に観たら、わりと面白くて楽しめた。
 好きな映画監督は10人以上いるが、その中にスタンリー・キューブリック監督の名前はなかった。けれど、映画の感想ブログを読み返してみたら、キューブリック監督の映画を結構観ていることに気づいた。特にキューブリック監督作品だから観たという時は、あまりなく、観たら面白かったという映画ばかりだった。キューブリック監督の創造した世界が繰り広げられていくような映画ばかりで、キューブリック監督の独特の個性や才能を感じさせられた。
 この番組のドキュメンタリーを見て、キューブリック監督が1本の映画制作にかなり時間をかけ、さまざまな拘(こだわ)りもあり、熟考もし、独特の世界を創り出そうとしたということが、よく伝わってきた。
 概して、古い映画を含めた2000年以前の映画は面白く、感動的、芸術的な映画が多く、2000年以降は才能ある映画監督も脚本家もあまりいなくて、単なる〈映画屋さん〉と言いたくなるような人たちが制作した映画が多いような気がする。エンターテインメント、娯楽映画としての面白さはあるから、観る価値はあるし、すべての映画というわけではない。
 あるネット記事で、「2000年以降の映画はクズばかり」という映画ファンらしい人のコメントを読み、2000年以前の映画は良作が多いと言いたげな、同じような見解の人がいると思った。
 どんなに高額な制作費をかけても、大宣伝した話題作も、CGを派手に巧みに取り入れた映画も、3D立体映画も、およそ2000年以降の映画には印象深い映画を観たという感動を得られないことが多く、面白くない映画も少なくないような気がする。すべての映画というのではなくても、才能のある名監督も名脚本家もいないのは何故なのかと不思議に思う。
 字幕翻訳も、最新の流行語を取り入れているのを見ると興醒めになる時がよくある。映画の字幕翻訳は、意味が通じればいいという直訳ではなく、センスのいい意訳が理想的である。字数制限という技術以前に字幕翻訳家の言語のセンス、実力、才能が発揮されるのが字幕翻訳という仕事だと思う。オペラも映画も、字幕翻訳に拘(こだわ)るというより、私にとっては楽しさや感動の一要素だからである。
 ともあれ、洋画の映画を観るのは楽しい。同じ映画を何度観ても感動する映画も、初めて観る映画も、オープニング・クレジットが流れると、たまらなくワクワクした心地にさせられる。感動的な映画、面白く楽しめた映画、印象深い映画を観た後は、つくづく映画を観る醍醐味に触れた喜びに包まれてくる。



『報道特集』10月27日(TBS)

2018年10月30日 | テレビ番組
 毎週土曜日、録画して、見ている番組。ニュースの後の特集は、かなり時間をかけて掘り下げてあるのがいい。理解しやすいし、疑問が解消されたりする。
 この日の特集は、「安田純平さん解放を検証・不条理に立ち向かう元BC級戦犯」で、前半と後半に分かれている。
 私が知らなかったことなど、いろいろ取り上げられていた。
 前半のテーマは、まだ、よくわからないことが多い。スマホのアプリで2ch掲示板のコメントやバッシング、PCではジャーナリストや評論家の記事も、ずいぶん読んだ。
 テレビではジャーナリストを讃える報道がほとんどで、ネットでは非難のコメントが大半。その違い。
 毎週、日曜日の午前に、PCで拾い読みするためブックマークしてあるサイトが、いくつかある。
『リテラ』『ビジネスジャーナル』『デイリー新潮』『NEWSポストセブン』『まいじつ』『BLOGOS』『iRONNA』『PRESIDENT Online』など。美容院での待ち時間に週刊誌を読むような気分で読んでいて、興味があるのはどのサイトも2つか3つ程度の記事なので、週一度まとめて読んでも1時間かからない。
 その中の『リテラ』を読んだら、衝撃的な記事が載っていた。
 ――安田純平「日本政府が動いたと思われるのは避けたかった」の真意! 安倍政権は本当に救出に動いていたのか――
 というタイトルで、書いたのは編集部となっている。このサイトが、反権力的傾向があることを知っていて読んでいるのだが、
(ええっ、そういうことだったの?!)
 小さなショックを受けた。政府は救出に動いていなかったというのである。
 その記事が真実なのかどうか、私には、よくわからない。
 ネット上には感情的で無責任なコメントや記事が多いかもしれないし、テレビでは視聴者を意識した制約のある報道をする傾向にあるかもしれない。
 記者会見を、テレビで早く見たいと思う。語られる言葉や、会見の時の表情などで、さまざまなことが伝わってくると思うから。
 真実が全くわからないまま、経緯について興味があるのに、テレビで報道されなくなってしまったし、ネット上でも記事やコメントを、あまり見かけなくなってしまった。
 日々、忘れられてしまうには衝撃的なできごとだと思うのだけれど――。




『築地・豊洲 誰が市場を殺すのか』 (ザ・ドキュメンタリー・BS朝日)

2017年05月28日 | テレビ番組
 ヘンなタイトル。誰が市場を殺すのか、とは、どういう意味だろう。市場を殺す、というのが超々ヘンである。有害物質とか風評被害に関連しての、抽象的な意味での言葉というのはわかるが、番組を見終えても、理解できないタイトルだった。こんなヘンなタイトルをつけた人の顔は……見たくないけれど。
 築地市場で働く人たちを、200日間、密着取材したということは意義あること。築地市場で働く人たちの生活ぶりが、垣間見えるような気がした。
『築地女将さん会』も有意義な会だと思う。その会の人たちに共感! 最初から私は、豊洲より築地改修のほうがいいと思った。
 また、総合的判断から移転の決断を延期している小池知事への批判は、おかしいと思う。立ち止まって、データや将来のプランなど、ていねいに考えて行くための決断の延期は無理もないと思う。
 何より、築地ブランドは持続可能なのに、豊洲ブランドが成立するだろうかと、疑問である。築地の伝統を守るほうが絶対いいと思う。
 利権や既得権を守ることになる豊洲移転より、築地で働く人たちの70%が賛成している築地改修のほうがいいと思うが、もし小池知事が豊洲移転を決断したら、それも仕方のないことだったのかもしれないと、小池知事を信頼しているから、失望も批判もしない。小さな落胆はあるかもしれない。
 ともあれ、築地で働く人たちは本当に大変である。この番組を見て、あらためて、そう思った。移転派の人たちも含めて、築地で働く人たちは皆、築地を愛しているのだと感じられた。築地改修案に決まりますようにと祈りたい気持ちである。



『都知事定例会見・12月2日』(東京MX)

2016年12月03日 | テレビ番組
『東京MX』が、都知事定例会見の翌日、最初から最後までを再放送しているので、毎週、録画して見ている。
 会見当日は、『ゴゴスマ~GOGO!Smile!』(TBS)を、平日は毎日録画の習慣のため、定例会見の生中継を断片的に見て楽しんでいる。
 その『ゴゴスマ~GOGO!Smile!』でも取り上げていたが、朝日だったかの記者の超アホな質問の時、小池都知事のオリンピック会場見直しについて、「大山鳴動してネズミ一匹。見直しは挫折ということになるのではないか」と言った時には、驚愕、憤慨した。
 小池知事は、「それは失礼なんじゃないですか」と、記者を見つめ、茶目っ気の笑顔で返した後、見直しによって、オリンピック会場整備費削減できたことに触れ、「整備費の削った部分は、今まで見過ごされてきたこと。費用がどんどん膨らむことに、一体、誰が歯止めをかけるのか。IOCか、組織委か。ネズミどころか大きな黒い頭のネズミがいっぱいいることが分かった。そのネズミを今後も追求していきたい」と述べた。
 その回答の言葉は、実に素晴らしいと拍手したくなったほどだった。無礼な言葉を口にした記者に対しての、有能な小池知事らしい回答であり、咄嗟(とっさ)の笑顔なのである。まさに小池知事の言葉が正しい。「失礼なんじゃないですか」と、茶目っ気の笑顔で返すところに、小池知事の魅力と賢さを、つくづく感じた。たとえそれが女の本能の、半ば演技的笑顔であるとしても、無礼さに対する怒りで動揺する並みの人間には、できない表情なのである。
 それに対して、全くの見当違いで、間違っていて、認識不足で、シニカルで、きっとインポで累積フラストレーション男と推測される超々々々々々アホな記者に対して、皮肉も嫌みも言わず返した小池知事は、やはり人間性も政治家としても素晴らしいと証明された会見だった。
 あのウルトラ超アホ記者の股間を蹴飛ばしてやりたい! と憤慨した小池知事ファンは多かったはず。現実にはそんなことはできないから、会見からの帰途、あの無礼千万ウルトラ超アホ記者は考え事かスマホ歩きして電柱に勢い良くぶつかって、おでこに激痛のタンコブ作りますようにと、神様にお祈りしておいた。
 概して、男性という生き物は、有能な女性に嫉妬する。小池知事批判を口にする男性は、小池知事が都知事という際立つ最高ポストにあり、自分より勇気があって精力的で情熱的で、自分よりはるかに行動的で頭脳明晰で有能な女性である小池知事に嫉妬しているように私には感じられる。それは同性への嫉妬より、はるかに強い激しい感情のような気がする。
 今までの税金泥棒怠慢無能都知事たちがしなかった、できなかった改革を、この3か月で10年分のエネルギーを使ったと言うほどパワフルに情熱的にエネルギッシュに取り組んでいる小池都知事を、心から応援したいと思う。



プライムニュース (BSフジ)

2016年07月15日 | テレビ番組
 都知事選公示日の昨日の夜、この番組に、3人の立候補者が生出演した。
 都知事になって欲しいのは、小池百合子さん。
 やはり、3人の候補者の中で、都知事にふさわしいのは小池百合子さんと、あらためて思った。
 その理由――。
1.改革の勇気と実行力がある。(日本のジャンヌ・ダルク!)
2.海外に対して、日本の東京都知事として、誇らしく思えるルックス。(このことは重要! 貧相なルックスの都知事では海外に恥ずかしい!)
3.美しく気品のある声と口調。(声の悪い政治家は嫌い。女性政治家の中でもナンバー・ワン!)
4.頭の良さ、豊富なアイデア、柔軟思考。(クール・ビズや、今回の、何て素晴らしいと絶賛したくなるような小池劇場!)
5.政治に対する情熱と、リーダーとしての資質。(外見は女性的で美人、内面に強い男っぽさ!)
6.海外でも女性市長や女性首相が少なくないし、女性目線の都政に期待。(女の都知事なんてという女性差別は、軟弱な男の特徴。女性都知事でいいと寛大な男性こそ、本物の男!)
7.3人の候補者の中で、小池百合子さんのポスターが、一番、センスがいい! (ポスターか良ければいいというわけではないが、そういうところにも目が行く繊細さ、きめ細やかさは大事。一事が万事。)
8.知事報酬半額の公約から、税金の無駄遣いをたくさん見つけてくれると期待。もちろん利権追求。情報公開基本。(他の候補者には、できない公約!)
9.公示日の街頭演説の映像を見ると、その場に、組織支持の男性候補者は、仕事怠慢税金無駄遣い空虚肩書き組織員だらけ。ジャーナリスト男性候補者は下品党員含め反体制市民団体メンバーだらけ。つまり、どちらも応援名目サクラばかり。小池百合子さんの街頭演説の場には、勇気ある議員の応援と一般聴衆がたくさんいた! (都民はちゃんと見て、ちゃんと理解している!)
 ――というわけで、小池百合子さん、当選! 女性都知事誕生! そう確信している。

小池百合子さんの公約とツイッター。

『薬のギモン解決スペシャル!』 (L4YOU・テレビ東京)

2014年06月23日 | テレビ番組
 タイトルに惹かれて、録画して見た。連想癖のある私。薬のギモンという文字から、先日、とんでもない大失態を演じてしまったことを、思い出したのである。
 その日の午後3時ごろ、珍しく鈍い腹痛が起きて、
(どうしたのかしら。何か古い物食べちゃったかしら)
 と、昼食の時の食品を、あれこれ思い浮かべた。生鮮食品は賞味期限を守るが、発酵食品や乳製品は時々、賞味期限切れでも飲食してしまう。ヨーグルトやプリンやコーヒーゼリーなど、セールの時にまとめ買いすると、何個か賞味期限切れになってしまうが、数日前や1週間前や10日前の賞味期限でも、いつもは平気である。けれど、賞味期限切れは、やはり胃に良くないに違いない。自覚はなくても免疫が落ちていたためかもしれない。
(あのコーヒーゼリー、やっぱり古かったかしら)
 食べる前に賞味期限切れの数字をチラッと眼にしたので、思い当たったのは、それしかない。コーヒーゼリーは毎日食べるわけではないから、3個詰めパックを数個まとめ買いすると、たいてい何個か賞味期限切れになってしまう。
 今年、初めての腹痛である。私の腹痛は、シクシクシクという感じか、シク、シク、シクという感じで、以前は締切日によく、シクッシクッシクッという感じの痛みが起きた。そう言えば義姉は昔、私の母に家事のことで注意されると胃がキリキリ痛くなったと言っていた。私の胃は、キリキリではなく、シクシクである。一番強い、シクッシクッシクッという感じの痛みと、シクシクシクの時は、ソファに横になって右手でお腹をソフトに撫でていると、5分くらいでおさまる。先日の時は、一番弱い、シク、シク、シクの感じ。横になることもなく掌のマッサージも不要で、出かける用意をしているうちに、おさまった。
 人間誰でも身体のどこかに弱いところがあると何かで読んだが、私の場合は、お腹。ただし、胃腸ではなく、胃だけである。お腹が痛いと言うと、即座に、「トイレに行っといで」と言う友人がいるが、朝のトイレは理想的にスムーズな体質。私の腸は、きれい好きの私に素直な性格である。女性に多いという体質になったことはないし、その逆の頻繁トイレ体質になったこともない。
 けれど、胃は、反抗的になる時がある。それは、空腹感が強くなると、腹痛が起こること。朝食と昼食の間や、昼食と夕食の間が7時間以上になると、腹痛が起こる。規則正しい胃なんだねと友人から言われたり、胃酸過多が原因とドラッグストアの薬剤師さんから言われたことがある。
 ただし、健康診断や人間ドックの日、食事抜きで病院に出かけ、正午過ぎまで食べられなくても腹痛は起こらない。人間ドック2回と、特定健診や血液検査4回の合計6回、朝食抜きで出かけて検査し、昼食まで食べられなくても、空腹感による腹痛が起きたことは1度もない。慣れない健康診断が、心身共に緊張させてしまい、脳から痛みの指令を出す余裕がないからかもしれない。
 空腹感が強くならないよう食間が7時間以上空けない生活なので、腹痛は年に1回あるかないかという感じである。また、食べ過ぎによる胃もたれとか胸焼けというのも経験したことがない。
 それで、先日の時、空腹感はない時刻だし、原因は賞味期限切れのコーヒーゼリーかもと思い、こんな時は、救いの神様からの魔法の薬を持っている。その魔法の薬『大正漢方胃腸薬』が、私の体質に合っていて、バッチリ効くのである。
 食器棚の引き出しから、その『大正漢方胃腸薬』の微粒タイプを1袋、取り出して飲んだ。連想癖のある私。賞味期限切れのコーヒーゼリーのことが頭にあったため、
(この薬って漢方薬だから、賞味期限……じゃなく、使用期限は書いてないはず)
 そう思いながらも何となく、薬の小袋を見てみたら――。
「ええええええっ!!」
 と、思わず、声をあげた。小袋の下方にプリントされた使用期限の文字と数字を眼にして、もう息も止まりそうなほど驚愕し、愕然となり、呆然となった。プリントされた数字は、『2008.2』。何度見ても、2008年2月である。何と6年前の使用期限の薬だった。
(ど、どうしよう、副作用が出るとか、お腹痛くなったら、どうしよう! 漢方薬だから副作用は弱いかも……ううん使用期限切れは強く出るかも……いつもは平気な賞味期限切れのコーヒーゼリー、免疫落ちてて腹痛……ああ、どうしようどうしようどうしよう!!)
 飲んじゃった、後である。もう泣きべそかきたいような気持ちで、病院へ行くことになるかもとパニック状態に陥りスマホ撮影した。「これ飲みました」と医師に言う薬の名前だけでなく、裏側の使用期限の数字も撮った。医師から呆れられるに違いないが仕方ない。
 その薬の小袋は、32包箱の中から出して飲んだのではなく、20センチほどの長方形の海苔の空き缶に入れてあり、食器棚の引き出しを開けたらサッと取り出せるように、缶のフタはしていない。パニック状態で私は、飲んだ薬の袋だけプリント・ミスかもしれないと、缶の中から1つ1つ取り出して残りの薬の小袋の裏側を、「これも……これも……これも……」と呟きながら見てみた。すべて『2008.2』のプリント。その薬の小袋が18残っている。
 さらに、その海苔の缶の奥にある未開封の32包箱を出して見てみたら――。またしても驚愕し、愕然となり、呆然となった。何と、未開封の32包箱にプリントされているのは、使用期限『2010.11』。小さな長方形の海苔の缶の中の薬がなくなったら、未開封の32包箱から出して、そこに入れておくのが習慣だった。
 頻繁に飲むのではないから、使用期限切れになるのは無理もないこと。一体、何年間、使用期限切れの薬を飲んでいたのかと暗算して、その期間の長さに、またしても愕然となった。
(そう言えば、去年、飲んだ時、何だか効き目がなかったみたいな時があったわ)
 この薬は即効性があって、1袋飲めば、すぐ効くので、半日後にもう1袋飲むことは、ほとんどなかった。飲み会などで長時間お酒を飲んで、深夜に帰宅して就寝前に1袋、その翌朝、もう1袋飲むことはあったが、最近は二日酔いするほど飲まないので、2袋飲むことはない。去年のその時は、ついパソコンの前を離れられない作業中で食間が空き過ぎ、空腹感が強くなって痛みが起きた。いつものように即効性がないみたいと不思議がっているうちに効いたので、やはり1袋だけだった。
 けれど――。少し冷静になって考えてみたら、漢方薬は使用期限がないはずである。以前、ドラッグストアで、常備薬の風邪の漢方薬を買おうとした時、使用期限は書いてないけど、どのくらい保(も)つのかと薬剤師に聞いたことがある。その時、初老男性薬剤師さんは、即答ではなく、「う~ん」と小さく呟き数秒後に、「10年です」と断定的に答えたのである。そんなに保つものと驚いたが、だから化学薬品のように使用期限が書いてないのだと納得した。
 だから、漢方薬である『大正漢方胃腸薬』に使用期限があるなんて全く知らなかったのは無理もないこと。
 その日の鈍い腹痛は、薬を飲んだ後に使用期限『2008.2』と未開封の32包箱の使用期限『2010.11』を見て、心身共に驚愕し、愕然となり、呆然となったために、脳が痛みの指令をストップしてしまったのか、使用期限切れでも少しは効いたのか、いつもの即効と同じで、間もなく治った。
 この番組を見て、市販薬は、第1類、第2類、第3類医薬品と分けられていることや、病院で処方される医療用医薬品が、ドラッグストアで薬剤師のチェックを受けて買えるようになったことを知った。薬を買う時の参考意見だけでなく、今後はその責任が生じてくるから、ドラッグストアにいる薬剤師の仕事は大変だと思った。薬の使用期限については、きちんと守ること、というアドバイスだった。私が知りたかった漢方薬の使用期限のことには触れられなかったのが残念だった。
 もちろん使用期限切れの『大正漢方胃腸薬』はすべて捨てて、新しい32包箱を買って来た。その箱の隅に、『2018.6』とプリントされている。4年間しか保たない。以前、ドラッグストアの薬剤師が言った、10年保つのは風邪薬の漢方薬だけということになる。すべての漢方薬が10年保つわけではないということを初めて知った。それならそうと早く誰か教えてよと言いたい気持ちだったが、そそっかしい私の自業自得。結果的には特に被害があったわけではないけれど、アホと言われても仕方のない私。つくづく反省している。






〈今回初めて見た、常備薬の小袋の使用期限〉




『STAP細胞 疑惑の真相』 (クローズアップ現代・NHK)

2014年04月19日 | テレビ番組
 以前、よく見ていた『クローズアップ現代』。最近は、あまり見ない番組だが、『STAP細胞 疑惑の真相』というタイトルに惹かれて見たら、それなりに面白かった。
 報道番組で記者会見の断片的映像を見た時、女性科学者というイメージと違うような印象を受けた。感心するほど時間のかかる入念なメイクとヘア・セットは、自己表現だと思った。会見で緊張している様子と報道されていたが、私にはそう見えなかった。テレビで見る限り、心身が不調とは思えないほど、終始、落ち着いているし、余裕のある表情も浮かぶし、精神的にはタフな女性の印象を受けた。
 演技とまでは言わないが、他人からこう見られたいという<自己表現>に熟練している感じがした。涙を拭くハンカチの当て方など、特にそれを感じるし、自己の能力も存在価値も、かなり自信のある自意識過剰タイプ、とまでは言わないが、それに近いタイプの女性にも見えた。それは悪いことではないし、自己の能力も存在価値も自信のある自意識過剰タイプの女性科学者がいても不思議ではない。
 さらに副センター長の記者会見。マスコミが言うような窮地、とは全く思えないような落ち着きはらった印象を受けた。プライドが高く、自己保身が強く、冷酷な一面のある性格&人間性のような想像もさせられた。36歳で京大教授の地位を得た輝かしさが、50代になった現在も、その冷静沈着な顔つきと、人を煙に巻くような数々のコメントに表れているような気がした。用意した原稿を読み上げるコメントは、専門用語や横文字がやたらと多く、私には半分も理解できなかった。
 印象に残ったのは、STAP細胞ではなく、STAP現象と頻繁に言っていたこと。さらに、謝罪の言葉と相反するような、プライド高き人間の頭の下げ方で、思わずクスッと笑ってしまった。謝罪という感じは全く受けなかったし、本人も謝罪などしたくないし、謝罪したつもりなどない謝罪のしぐさという印象が、おかしかったのである。
 報道番組で断片的な会見を聞きながら、何となく、女性科学者が気の毒になった。
 推測だが、山中伸弥教授に対するライバル意識や焦りが間違いなくあったと思うし、そのことも関連しているのではないかというふうに感じられる。
 それと、〈ら抜き言葉〉が習慣になっている人のようだった。50代の人が、〈ら抜き言葉〉を使うことに驚いたが、中でも「信じれる」という〈ら抜き言葉〉を聞いた時は、耳を疑うほど驚愕した。
 以上、科学に関して無知で苦手な私の独断&偏見的な感想だけれど──。






『The GAME 羽生善治VS谷川浩司「史上初の七冠制覇」』 (BSフジ) 

2014年01月15日 | テレビ番組
 羽生善治三冠が、かつて七冠になった時の棋譜を再現していたが、第三者ではなく対局した本人たちによってというのが興味深かった。棋士の記憶力が超人的に優れていると知っていたけれど、18年前の対局の棋譜を、2人が将棋盤にスッスッと並べて行く様子に、あらためて感心した。終盤近く、「ここで私がミスした」と、谷川浩司九段が淡々と語っていた。その後、どんなに口惜しかっただろうと想像された。チェスも他の多くのゲームもそうだが、将棋はスリリングな面白さのあるゲームのような気がする。長考したり秒読みで焦ったりしながら、次にどの駒を指すのか、ほんの一手が敗因になったり、勝因になったりすることもあるようだ。
 私は将棋を指す趣味はないが、プロ棋士の対局を見ているのは面白い。特にタイトル戦の様子をテレビや『ニコ生』中継で見て楽しんだり、スマホで見ることも。プロ棋士による、対局の解説も面白い。初心者にもわかるような解説をしてくれる棋士がいい。対局の解説だけでは飽きてしまうが、対局者たちについてや解説者自身のエピソードを聞くのも楽しいのである。
 棋士は頭が良くて記憶力が良くて、羽生善治三冠も谷川浩司九段も森内俊之竜王・名人も渡辺明二冠も木村一基八段も山崎隆之八段も郷田真隆九段も三浦弘行九段も行方尚史八段も他の棋士たちも皆、好きだが、一番好きな棋士は阿久津主税七段。わかりやすい解説、声、口調、ユーモア、笑顔、容姿と雰囲気、駒の差し方、対局中の表情など、すべてが一番好き。解説などでテレビに映ると、
(あ、主税ちゃん、素敵……!)
 とか、
(今日のヘア・スタイル、もう少し変えたほうがいいのに)
 とか、
 ネクタイが似合うとか、ちょっと地味とか、もうミーハー気分で呟いてしまう。今年こそA級になって欲しい、昇段して欲しい、タイトルも取って欲しいと応援している。
 解説の話の面白さでは、藤井猛九段が一番おかしくて、一番笑える。ボキャブラリーが豊かで、ユーモアのセンスがいい。テレビより『ニコ生』中継のほうがリラックスできるのか、聞き手とのお喋りふう解説で、クスクスクスクス笑ってしまう。
 一番、天才的と感じるのは、羽生善治三冠。メガネがよく似合うし、将棋以外のトーク番組での話は興味深く、いつも感心させられる。
 一番、強いと思うのは、やはり森内俊之竜王・名人。以前、『YouTube』で、幼い息子さんを肩車している姿を見たが、とても微笑ましい映像だった。
 将棋を指す趣味はないけれど、スマホに将棋アプリを入れた。オンラインゲームではないから、相手はコンピューター。不利な時に差し直しができる『待った』機能が付いている。5段階のレベルのうち、一番やさしいレベルの『覚えたて』に設定して、『待った』ボタンも数回使って、やっと勝てる。2番目にやさしいレベルにすると、なかなか勝てない。勝てないと楽しくないので、いつも『覚えたて』の設定だから上達しないが、他のゲームに飽きた時に遊ぶ程度だし、将棋は定跡を覚えないと駄目らしい。詰め将棋のアプリも入れたが、あまりやらない。将棋盤上に駒がたくさんあるほうが楽しい。テレビの将棋講座は、退屈だから見ない。けれど、阿久津主税七段が2010年に半年間、NHK将棋講座の講師をしたと知った時は、見たかったのにと残念。再放送してくれないだろうか。『YouTube』で検索したら、その講座番組の宣伝映像があるだけだったが、解説や対局の一部の映像はたくさんあるので、時々、見て楽しんでいる。
 日曜のNHK杯戦は録画予約しておき、食事しながら見て楽しんだりする。感想戦は全然、理解できない。やり取りで何を言っているのか、全くわからないまま、棋士の表情やしぐさを見ているだけ。先日、その感想戦中、ミスして負けた40歳のA級八段棋士が、「こんなポカをするトシになっちゃったのか」と、絶望的な口調で頭をかかえ込み、うなだれる姿を見て、今度はきっと勝てるから落ち込まないでねと励ましてあげたくなった。
 現実にはあり得ないが、もし将棋を教わるなら誰がいいか空想してみた。羽生善治三冠は、やさしくて厳しそう。谷川浩司九段は、緊張してしまいそう。森内俊之竜王・名人は、思いやりがあり過ぎて上達しなさそう。藤井猛九段は、笑いっ放しで楽しそう。阿久津主税七段は、胸がときめきそう。──なんて。





『とどかぬ白衣 外国人看護師候補者の現実』 (FNSドキュメンタリー大賞・BSフジ)

2013年03月04日 | テレビ番組
 地方の総合病院で働く看護師助手のインドネシア青年に取材した、興味深いドキュメンタリーだった。番組を見た後、外国人看護師を検索してネット記事を読んだり、YouTubeで報道番組の特集『外国人看護師の現状』を見たりした。
 日本での看護師志望の外国人は滞在期間3年以内に国家試験に合格して正看護師にならないと、帰国しなければいけないらしい。番組で取材していたインドネシア青年看護師助手は、患者との会話は日本語で交わせて問題ない様子だが、試験に出題される漢字を覚えるのがむずかしく、仕事を終えた後の勉強は大変そうだった。給料の半額を母国の実家に仕送りし、仕事は片付けや配膳や患者の身体を洗うことなどのようだった。
 日本は看護師不足が続いているらしいから、そのインドネシア青年の志望どおり国家試験に合格して正看護師として働ける人が多くなればいいと思ったが、合格者は年に3人程度で、滞在期間中に諦めて帰国する看護師助手もいるということだった。正看護師の資格を取得した外国人看護師は、どのような病院や施設で働くのだろうかと、ふと思った。
 5年前、内科医院で血液検査をした時、採血する女性看護師さんが東南アジア人に似た顔立ちだったが、そうではなかった。日本で働く東南アジア人の看護師のことをテレビ番組の特集で見ていたから、一瞬、そうかしらと思った。比較的若く、やさしそうな雰囲気の看護師さんだったが、採血は、その時が初めてだったのか慣れていなかったのか、とても時間がかかった。もちろん血液検査を受けるのが初めてではなく、人間ドックや健康診断など4回の経験があった。
 私を含め、注射嫌いの人は少なくないと思うが、いつか友人と血液検査の話をしたことがある。
「でも、血液検査って、あの注射が痛くて」
 あまり気乗りしない私は言った。
「血液検査は注射じゃなく、採血」
「注射針を刺されるじゃないの。あの恐怖の注射器を、腕に突き刺される想像するだけで怖いわ」
 単なる痛みだけではない。指示に従って素肌の腕を出し、あの恐怖の注射針が眼に触れた瞬間、
(その注射針、新しくて清潔よね)
 内心、そう呟いてしまう癖がある。注射針は使い捨てと聞いたか読んだかしたことがあるけれど、人間にはミスが付きものである。故意ではなくても、うっかりミスで、1度使用した注射針を刺されて感染性の病気に感染したらどうしよう──という恐怖感が、一瞬、よぎるのである。その恐怖感が、注射針を突き刺される痛みを何倍にもさせるのだ。そんなアホらしい理由で注射嫌いだなんてと笑われてしまったが、その一瞬の想像、恐怖、不安感は本能的なものだから仕方がない。
 5年前のその時、やさしそうな雰囲気の看護師さんの採血は、私の腕に注射針を突き刺してから、予想以上に時間がかかって、時計を見ていたわけではないから正確ではないけれど実際は10分か15分かかったと思うが、私には30分以上に感じられた。もちろん、私の腕のあちこちにではなく、注射針は1箇所に突き刺さったままである。まるで輸血用の血液まで採られているのではと推測したくなるほど長く感じられた。
(仕方ないわ。きっと初めての仕事なんだわ。看護師さんの役に立っていることになるんだから、きっと神様が私にご褒美をくれるわ)
 そう呟きながら耐えた。もちろん、その看護師さんが国家試験に合格して実習もしていることをみじんも疑わないし、信用していた。
 けれど、ついに私は、質問しないではいられなくなった。
「あのう、血液、何CC取るんですか? 500CCぐらい?」
 500CCは冗談のつもりだったが、血液を採るというより、取るという感じを意識した口調で言った。
 すると、やさしそうな雰囲気のその看護師さんは、
「そ~んなに採りませんよう」
 と、驚いたような呆れたような口調で答えた。
「じゃ、何CCぐらい?」
 何CCかなんて興味はなかったが、さらに聞くと、
「○○CCです」
 看護師さんが答えた。
「ええッ、本当に○○CC? そ~んなに少し?」
 5年前のことなので何CCと看護師さんが答えたか忘れたが、予想よりはるかに少量なので、
(そんな少しなら、さっさと取ってよ)
 そう叫びたくなった。
 すると、まるで、その叫びが聞こえたみたいに、
「痛いですか?」
 と、看護師さんが、やさしく聞いた。
「痛いです」
 私は答えた。大人げないと言われようが思われようが、その15分間、故意ではなくても、うっかりミスで、1度使用した注射針で感染性の病気に感染したらどうしようという恐怖感が、何度も、よぎるのである。
 ところが、そのやさしそうな看護師さんは、「痛いです」と答えた私に、
「痛いですよねえ」
 と、同情するような口調で言ったのである! 聞かなきゃ良かった! その「痛いですよねえ」という言葉を聞いたために、それまでの痛みが、さらに倍増して、中止して下さいと言いそうになった。
 10数年前、子宮ガン検診を受けたことがある。大学病院だから検査する人が研修生かどうかわからなかったが、検査器具使用直前に、
「ちょっとチクリとしますけど、そんなに痛くないですよ」
 やさしくそう言われて、暗示にかかったように、チクリとした痛みはあったが、耐え難いほどではなかった。
 その時、カーテンを隔てた隣で、女性医師の声が、
「痛いですけど、我慢して下さい」
 素っ気ない口調で、受診者にそう言うのが聞こえた。私と同じ検査か別の検査か不明だったが、そこは検査室だから、多分、同じ検査だと思った。
(こちらの男性担当医師で運が良かった)
 安堵した。別にイケメン医師だからなどという意味ではない。医療従事者から、「ちょっとチクリとしますけど、そんなに痛くないですよ」と言われるのと、「痛いですけど、我慢して下さい」と言われるのと、どちらが痛みを感じないですむかは、患者や受診者の性格によって違うと思うが、私は前者。「ちょっとチクリとしますけど、そんなに痛くないですよ」そう言われたからこそ、それほどの痛みでもないと感じられたのである。
 そのことを、5年前の血液検査の採血の時、ふと思い出した。注射針を腕に刺されて5分経ち、10分経ち、もしかしたら1時間も突き刺されるのではと思うほどの注射針の痛みに耐えながら、やさしそうな雰囲気のその看護師さんから「痛いですか?」と聞かれて、「痛いです」と答え、「痛いですよねえ」と言われたら、それまで感じていた痛みが、さらに倍増するのは無理もないことである。看護師さんは、同情し慰めるつもりで口にした言葉なのだと理解できるから、責められないし、仕方のないこと。とは言え、その言葉以降、心身共に強まった痛みにストレス・ホルモン全開にあふれほとばしり続けている自覚があった。今思えば、大半の病気はストレスが原因ということだから、よく言われる〈病院へ行くと病気になる〉とは、まさに、このことである。
 ようやく、拷問にも似た恐怖の採血が終了した時、解放感に包まれながら、
「500CCじゃなくても300CCぐらい取られたみたいな気分」
 さすがの私も、冗談に受け取られるような言葉を呟いたら、その看護師さんは苦笑していた。
 検査の結果は異常なしだったから、全く無駄だったのに、その翌年、またしても同じ内科医院へ行き、健康診断で血液検査をした。採血するのは、ベテランの中高年看護師さん。いつものように注射針から顔をそむけて覚悟していたら、驚くべきことに、あまり痛みもなく、数秒間に感じられるほど、すぐ終わった。実際は数分だと思うが、本当に早く採血が終了し、
「えっ、終わったの?」
 驚きながら、看護師さんの顔を見て聞いた。
「終わりました」
 無表情に近い顔つきで看護師さんが答えた。覚悟していたほどの痛みもなく、注射針を刺して抜くまでのその速さと言ったら、まさに神業(かみわざ)と言いたくなるほどだった。採血という同じ行為なのに、極端から極端。謎である。人生は本当に謎だらけ。
(看護師さんがベテランだから?)
(注射針が最新式の極細に変わったから、あまり痛くなかったのかも)
(採血が苦手な受診者ってカルテに書かれていて、規定の量より少しの血液しか採らなかったのかも)
(採血の技能が、特別優れている看護師さんなのかも)
(医療の進歩で、最速採血が可能になったのかもしれない)
 もう私の頭の中はクェスチョン・マークでいっぱいだった。
 ともあれ、看護師志望の外国人の滞在期間が特例で延長になるらしいし、やさしくて有能な看護師が増えて、看護師不足が早く解決すればいいと思う。