やっと管が外れたと思いきや術後3日で早々に歩く練習。点滴と膀胱の管がまだ取れていないのに。主人に支えてもらいながら廊下を1歩1歩。支えてもらうというよりほぼ浮いた状態で足を運ぶ感じ。踏み込むたびに傷口が痛くて辛かった。
1ヶ月遅れの入院
母には心配をかけたくなかったので
長期出張と伝えた。
必ず元気になって帰ると自分に誓い、入院に準備したものはすべて破棄して持ち帰らないようなものを集めた。入院当日から検査検査。気が滅入る。手術日まであと3日、それまでに全摘か卵巣は残すか、決めなければいけなかった。回診に来る担当医も意見がバラバラで教授は全摘、助教授は卵巣を残しても。執刀医はあやふや。誰を信じたらいいのか手術前日まで悩んだ。入院してから毎日日記を書いていましたが読み返す余裕もなかった。
卵巣を残しても妊娠出産できるわけでもないし、結局全摘を選びました。
そして手術当日、さむい手術室に入り
麻酔を打ちますよ〜の言葉も途中までで深い眠りに。目が覚めたのは次の日でした。
手術は無事成功。 ICUで管だらけの自分。
側に主人がいてくれました。
1ヶ月遅れたせいかどうかはわからないけれど摘出したガン細胞は思ったより大きかったらしく3bでした。
酸素マスクをつけていて鼻呼吸は出来ても痰が絡みやすくそれを出すのにお腹に力が入る為激痛‼︎痰を出すのがとても辛かった。
やはり不正出血が気になります
生理が終わったと思うと二日後には下着が少し赤くなり身体のだるさも続きました。
月に2回も生理が来る?
仕事柄、人前で激しく動くし、出血を見られたら不快にさせてしまうし、姉の知っている婦人科を紹介してもらい行ってみることに。
主人と大学病院に行ってから半年後の事です。
診断は「子宮頚がんの可能性があります」
との事。ちゃんと気にして通院していたのに
...。この時、すでに遅しですが
ハッキリと一つの病院だけに頼ってはダメだという事を学びました。
診断をしていただいた病院から大学病院で精密検査を受けるよう紹介していただき
再度検査を受けました。
結果はやはり子宮頚がんステージ2b。
この診断を受け入院も即座に決まりましたが
その3日後に母が頭をぶつけて大怪我をした時でしたので母の回復を待って私の入院手術は1ヶ月延期することに。
私の病気になるまでにも色々夫婦間での問題もありました。
もともと結婚を決める時、すでに主人から
無精子症だと聞いていたので子供は諦めていましたが、結婚3年目にして
主人が、病院に行ってもう一度改めて調べたいと言い出しました。
その頃、私も不正出血(何度か検査しましたが問題はないと言われていました)が気になっていて婦人科に通っていた頃でしたので、一度大学病院で二人揃って調べてみよう!という事になり東京の某大学病院で診察を受けることに。
結果、主人は全くの無精子症ではないが少ないと診断され、私の不正出血は様子見で、近くの病院で経過観察してくださいとの事でした。
もともと二人で楽しく人生歩んでいければいいと思っていましたので結果に対して
それ程落ち込むことはありませんでした。