親父が逝っちゃったのは僕が大学1年の時、弟がまだ小学生でした。
僕はもう自分では大人のつもりでしたが親父が亡くなった時覚えているのは、知らせを聞いて入った病室で、窓の外を見つめながら握り拳を握ってた弟の後ろ姿と、お葬式にたくさんの人が来てくれて、「へぇ~、親父は結構つきあいが広かったんだなあ~」なんて思ったこと、お葬式の最中になんか無性に一人になりたくて、無免許でバイクを近くの山まで転がし、山のてっぺんで1時間くらい、ぼ~っとしてたことくらいです。
親父との想い出というと・・・、僕は生まれてから一度も親父に叩かれた覚えがありません。結構飲んだくれの親父でしたが、いつも穏和で毎日友達を家に呼んでは、みんなを笑わせながら楽しい酒を飲んでました。もちろんオフクロを殴ったところなんかも見たことがありませんし、油まみれの車屋やってたわりには、紳士でした。
でもそんな親父が一度だけ、”狂いそうに怒った”時がありました。
まだ弟が一歳くらいの頃、僕と親父と弟は二階に寝てたんですが、当時美容室を経営してたオフクロと住み込みのインターンのお姉ちゃん達は、毎週楽しみにしてたテレビドラマを一階の居間で観てました。ところが弟が目を覚まし泣き出したので、親父が
「お~い、起きたぞ~、子供ば見とかんか~!」 ・・・とオフクロに怒鳴ったんですが、オフクロは、
「はいはい、判っとる今よかところだけん~」
なんて言いながらテレビを観てます。・・・・そのうち、
『ガタガタ、ド~ン!・・・うぎゃ~あ~!』
と言う弟の声が聞こえました。そうです、二階の階段から落ちたんです!。
僕はびっくりして下に降りていこうと起き上がったんですが、隣をエイトマンのように親父がすり抜けて、どどど~っと下へ降りていきました。
そして遅れて下に降りた僕が見たものは、鬼のような真っ赤な形相で、当時家具みたいにでかくて重かったテレビを両手で頭の上まで持ち上げて、今にもオフクロに投げつけようとしている親父でした。 ・・・・(まあ、当時テレビは高価でしたから、投げはしませんでしたが・・。 ) でもそれ以来僕は、いつも穏和で紳士的な親父の中にも熱いものがあるんだな~って妙に尊敬するようになりました。
そして数年後のクリスマスの日に入院して、そのまま逝っちゃった親父の葬式の日・・・、急に森本レオが歌ってた「親父にさよなら」という曲が僕の頭に浮かびました。
父さん さよなら
イエスキリストの父さんと同じ職業の大工だった父さん さよなら
小学校しか出てなかったのにたくさん字を知っていた父さん さよなら
父さん いろいろなこと知ってたよね
自転車の正式な名称はチンチン自転車というのだ
と教えてくれた父さん さよなら
神経痛の薬だといって酒ばかり飲んでいた父さん さよなら
酔っ払うと普段は機嫌がいいんだけど
仕事がうまくいかないと
母さんに茶碗や箸をぶつけてた父さん さよなら
母さんも大変だったよね
夜中にみんなが寝静まった頃
そっと起きて壊れた茶碗を糊ではっつけてた父さん さよなら
そういえば父さん 寝ててもおならしてたよね
臭いと音の両面攻撃でみんな夜中に悩んだんだよ
お前の女房は絶対俺が見つけてやると言って
とうとう一人も見つけてくれなかった父さん さよなら
そのくせ孫の名前ばかりたくさん作って
引き出しをいっぱいにしちゃった父さん さよなら
父さん いくら俺がタフだからって そんなには無理だよ
僕が泣くと 泣くのは女の仕事だと言って
鬼瓦のような声で怒鳴った父さん さよなら
恐い顔してたねー 僕の未来図かと想うと
何度自殺したくなったことか
あれからだよ 父さん僕がニヒルになったのは
でも機嫌がいいと 男はでっかくならにゃいかんと言って
肩車をしてくれた父さん さよなら
でっかくなれよと言ったわりには
母さんよりちびだった父さん さよなら
女を持つのは男の甲斐性だと言って
とうとう一人も持てなかった父さん さよなら
大きくなっても絶対にこんな所へ来るんじゃないぞと言って
競馬場でみそおでんを買ってくれた父さん さよなら
お風呂で100数えるまで出るんじゃないぞ と言って
先にぶったおれちゃった父さん さよなら
お正月になると凧の足を長く長く作ってくれた父さん さよなら
僕が泣いてせがんだら あんなに嫌いだった犬を
懐にいれて買ってきてくれた父さん さよなら
あの時の父さんの手はとってもでっかかったのに
僕がデモに行くと言った時 もう寝たきりだった父さん
布団をはねのけて 僕をつかまえて 頭ぺたぺたぺたぺた叩いたよね
あの時の父さんの手はもうちっちゃくてしわしわで
とっても悲しかった
天皇陛下が好きだった父さん さよなら
町内会長でもなかった父さん さよなら
市長でもなかった父さん さよなら
大統領でもなかった父さん さよなら
人の家ばっかり作って
とうとう自分の家は一軒も作れなかった父さん さよなら
照れ屋で内弁慶でおっちょこちょいで
甘ったれでもう一度会いたい父さん さよなら
俺の親父だった父さん さよなら
どういう訳か僕は今でも、親父は本当はこの歌の親父みたいになりたかったんじゃないか?・・って思っています。
僕も弟も、もう親父の歳を越してしまいましたが、僕は自分の葬式の時、
『あいつはほ~んと、バカだったなあ~!。まぁあいつは酒好きだったから今日はみんなで楽しく飲もうゼ~!』 ・・・なんて友達から言われたり、
『おと~さんって、ほ~んとジコチューよね~!死ぬ時も勝手に逝っちゃうんだから~!』 なんてママや娘達から言われたいな~と思っています。
そんなこと言われたら、たぶん僕は棺桶の中で、ガッツポーズ してると思います。..................たぶん、親父もそうだったような気がしますし。
●人気blogランキングへ
応援クリックして頂いた貴方の今日一日が幸せな日でありますように!・・。 クリックして頂ければ更新の糧になります。(ランキングトップページから脱落寸前です!) ご協力よろしくお願いします。
●木家珈琲倶楽部
(熊本県宇城市松橋町きらら3-3-8)
僕のお店のHPです。
クリックするだけで濃厚なコーヒー・フレーバー・・・
は、しませんが よろしければどうぞ。
コメント一覧
マスター
さんまのひらき
マスター
アンナママ@小川
マスター
アンナママ@小川
マスター
nao
マスター
店です。
nao
マスター
マスター
kinco
マスター
チュー助
マスター
マスター
のぶりん
じゅんママ
マスター
俊です
マスター
マスター
店チョです。。
はーぶそると
最新の画像もっと見る
最近の「ノスタルジー」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事