Have You Ever Loved A Woman
数年前に母が入院している病院に行った。母と会うのは6年振りだった、千歳烏山の病院に母は入院していた。今まで姉さんたちが面倒を見ていて、私には会わせてくれなかった。恐らくは施設でベットからでも落ちて怪我をしたのであろう。小柄な母は更に小さく成っていた様に見えた。「母さん、僕だよ・・・」声をかけると少し瞼が動いた感じがしたが、何も言わない。アルツハイマーが進行してしまったのだろう。まだ、口が聞けるうちに話しておきたいことは山程あったのに、もう話せないんだと思うと悲しくなる。母は姉さんたちが面倒を身始める6年前から、私が面倒を見ていた。あの頃はまだ普通に話せていた。映画も一緒に観に行った。母は私の影響もあるのだろうけど、アニメーションも好きだった。特に押井守の映画は好きだったみたいだ。「イノセンス」「人狼」は初日に観に行った。
私が面倒を見ていた時も母はよくベッドから落こった。決まって夜中の3時頃だ。「〇〇!〇〇!」と呼ぶ声で 目が覚めどうしたのかと思い母の部屋まで行って見ると「落ちた」と言う。痛いかどうか聞くと「痛い」と言うので。救急車を呼んで病院に搬送して貰った。しかし中には悪質な医者が居て、「レントゲンを見た限りでは頚椎の破損が見受けられます。入院ですね。」と言う。しかし入院の手続きを取っていたら、良心的な看護婦さんが、「お母さん一人でトイレに行って居ましたよ」と教えてくれた。私は早めに退院させようとした。入院から3日目に弟と病室に行くと、母がロッカーの中に明細書とコルセットが入っているからと言われたと言い。担当医の姿は見えない。弟がロッカーを開けてみるとコルセットと明細書が置いてあり、代金3万8千円と書いてある。怒ったのは医者だった弟だ。「うちのクリニックでは2万4千円のものだ。足元見やがって!」そして。金は払わず。三日分の入院費だけ払って帰って来た事があった。
親父が危篤になった時も色々あった。担当医が家族と話し合いを持ちたいと言うので、病院まで行って見て診察室に入ろうとすると私を凄い形相で睨みつけるのだ。そして親族を目の前にして言い出したのは「〇〇さんは痛いと一言も言わないんですよね...。」だった。そりゃそうだろう肺癌の上に骨癌その上に肺炎を併発している。素人目にも末梢神経がやられて痛みを感じ無く成って居るのは確実に分かる。そして言ったのは「注射を打つ手もあるのですがねぇ〜〜それ打つと呼吸が止まる事があるんですよね・・・いや〜私の同僚の医師がですね親族の許可をもらって打ったのにですね!!長男に訴えられましてね、マスコミも騒いでいい晒し者に成ったんですよ。」「私は、そうなりたくないんだ!!」私は弟の方を気に掛けて見ていたが、弟は肘をついて呆れた格好をしていた。なので私が口を開こうとしたら義理の兄貴が「先生、注射お願いします」と言った。そして皆んなに「いいね」と念を押した。しかし担当医は「長男さんはいいのですね!!」と私に念を押した。
実はこの話し合いが持たれる前に赤十字の病院から手厚く末期癌の看護をするからと連絡を貰って居たのだ。弟は「今、1千万なら持っている。金なんて又、貯めればいいんだ・・・」と言っていたが、私が「1千万の金は持っていろ、親父はどうせ助からないんだから、無駄金は使うな」と言って居た処だったのだ。暫くして看護婦が来て腕に注射をすると1分で息絶えた。まあ、安楽死であろう。しかし弟は「医者として許す訳には行かない」と意気込んで居たので。私は「おまえも医者なんだから医者同士のトラブルは避けた方がいい」と言って宥めた。さて、母の様子はよく分かった。あとは3年後にアパートを如何にか決めなくてはならない。聞く処に寄ると総理が保護費を削減して居るらしい。生活保護は厳しい。なんでもパチンコをやる金がある人が居るからだかららしい。生活保護は最後のセーフティネットだ。これ以上減らされることは、「死ね!」と言われて居るのも同じ事だ。世の中には働きたくても、働けない人たちがいると言う事を解って貰いたいです。3年後にはアパートを探さないと、そこが終の住処に成るのだから。。。
やばい、どんどん太っていく。痩せる漢方薬を飲んでいるが効果が無い。。。。まあねぇ・・・・・
お腹が空くので、食パンを良く食べるのですが。もう歳なので新陳代謝が悪いのでしょう。自分ではそんなに食べて居るつもりは無いのですがねぇ.......でも若い頃は母に「男の一膳飯は良く無いよ」と良く言われました。
現代では、ご飯は少なめでおかずを沢山食べるのが良いとされているが、そんな現代っ子には考えられない様なジンクスが古くからあったのです。「一膳飯は縁起が悪い」「ご飯を一膳しか食べないと坊主に会う」と言うジンクスだ。坊主に会うのは不吉の象徴なのだ。これは死者が出るかも知れないと言う事である。
また、お百姓さんが大切に作った米なんだから、一粒も残すなとか。
もちろん反論する人もまれにいる「貧乏たらしい」とか。しかし全然貧乏じゃない。ただご飯粒がお茶碗にこびりつかないような食べ方をすればいいのです。
そう言う食べ方をすればいいんです。一粒残らず食べ終わったお茶碗の見た目は綺麗だし、洗い物する人だって楽でしょう。ご飯を炊いた人だって「きれいに食べてくれている」と思うでしょう。よくお寺の修行僧などの食事風景がテレビで映りますが。ちゃんとした日本人なら最低限のご飯の食べ方は知っておくべきです。と、偉そうな事を書いたが、私は米の飯は昼一度切りです、そして夜は弁当です・・・・・でも最近、歳の所為かしみじみ思うのですよね。昔の人は偉かったと。
私は病院に入院中にこの事を守った。そしたら妙な事に真っ先に食事が運ばれて来る様に成った。不思議なものだ。処で入院中、6人部屋の相部屋だったのだが。隣にいる患者が、2階から落っこちて両足を折る怪我をしていた。勿論、車椅子に乗って移動するのだが、なんと尿瓶に溜まった尿をトイレに捨ててくれと言う。自分では病室のトイレまでは車椅子では狭くて入れないからだと言う。私のベットの位置がトイレに近かったこともあるのだが。「病室の外のトイレは大きいですよ」と言っても「頼むから捨ててくれ」と言う。仕方がないので捨ててやったら、毎回言って来る様になって困ってしまった。仕方がないので退院するまで面倒を見る事となった。訊けば20年間も引き篭もりだったそうだ。歳は40代なのだが、話がさっぱり合わない。「昔、プロレスで猪木が・・・」と言い出すと「だってプロレスって筋書きが全部決まっていて、八百長なんでしょう」と言う。音楽の話をしていてブルースハープを吹いていると言っても、「なんですかそれ?」若い頃はバンドでロックやらブルース、ジャズをギターで弾いていたと言っても良く解らない様だった。一体音楽は何聞いているのと聞いたらサンボ・マスター。宇多田ヒカル。安室奈美恵とかだった。。。「ステレオは持っているのか」と聞かれたので、「ちゃんとしたものは持って居ない、安物だ」と言ったら。「僕はマランツだとかタンノイを持っているぞ」と言って、「あなたも買えばいいじゃない」と言う。なんかこの人は物事をはき違いて生きて居るなと思い、自分はもう退院になるので、あまり話をしない様にして退院した。
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下の写真は「ジャズ喫茶・サムライ」です。
私が通っていた頃からは代替わりもして、今や猫迷宮の店に曼荼羅とかも感じさせます。。。。
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死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった
.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった
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死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった
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死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった
.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない
「私だけの十字架」 特捜最前線エンディングテーマ
親父の思い出で、いいものは皆無だ。会社では私が倉庫番をやっていたら、自分が外回りが出来ないと言って、倉庫に来ていて、私がラジカセで音楽を聴いていると、「そんなものを聞くな競馬をかけろ!!」と言いたい放題。。挙げ句の果てには競馬のノミ屋を会社に連れ込んで私が邪魔だと言って、「てめえは外に行ってろ!!」と怒鳴る始末。私がそんな会社が嫌になり、従兄弟のゆきかずからの嫌がらせもあって。会社を辞めて家にいると、夜12時に帰って来て、私が楽しみに観ている放送大学の「芸術論」「メディア学」を見させない算段をする。私の前に来て夕刊を広げて観るのを邪魔をする。私が怒ると「おめえはバカだ!!勉強なぞは学生時代だけでいいんだ。あとは遊んで暮らせばいいんだ。」と大バカな事しか言えない。そしてバカ親父は会社が5時半に終わってから、パチンコ屋に行き夜12時の閉店までパチンコをしていた。聞く処に寄ると、親父は金が無く成るまでパチンコをして、金が無くなると隣の人がやって居るのを見ていたそうだ。そして隣の人が呆れて「じじい!!球ならくれてやらあ!!」と投げつけられた球を拾い、それでまた2時間遊び。そして球が無くなると、今度は床を這いつくばって、落ちている球を探しあるとそれでまた遊ぶ、乞食のような真似をしても恥ずかしくは無かった大バカものだ。会社で一緒に働いていた頃。或る日、親父が私に食パンを買って来いと言う。何故だと思ったが自分で食べるのだろうと思い買ってくると。それに会社の倉庫にあるサンプルのジャムを塗れと言う。そしてそれを皆んなに配れと言う。私は「こんなものをあげても誰も喜ばないよ!!」と言うと「おりゃあな、みんなに缶コーヒーを奢れば8百円は掛かるんだ。これなら百八十円ですむ!!」と言う。私が「金がないなら奢らなきゃ、いいだろ!!」と怒っても私に皆んなに食パンを配れと言う。「私が配ると社員は困った顔をし、私にいらないと返してくる」するとあのバカ親父は「儲かったじゃねえか、お前が喰え、美味いぞ!!」と言う。「いい加減にしろバカヤロー!!」と私がブチギレてバカ親父を怒鳴りつける有様だった。
バカ親父にビデオデッキを挙げた時だ。当時16万8千円の安いビデオデッキだったが。親父の寝室のビデオデッキが壊れて居て無いので、挙げてテレビに繋げて「此れでビデオテープが見られるよ」と言ったら、「此れは幾らしたんだ」と聞く。「安いものだから十数万円だよ」と言うと「だからおめえは此れを幾らに値切ったんだと聞いているんだ!?」と聞く。私は呆れて「新品なんだから定価だろ!!」と言うと「見た所、箱もねえし、新品じゃないだろう!!いくらで買った、いくらに値切ったんだ!!」と言うのだ。私は激怒した、親父が好きな時代劇を録画して観られる様に、一週間前に私用の予備のビデオデッキとして買っていたものだ。それを挙げたのに。。。そして自分はこずかいを全部パチンコ。競馬。オートレースにつぎ込んで、金が無くなると、姉さんの家にまで行って「今日のパチンコ代、2万よこせ」と行っては姉に怒られて帰って来るバカだった!!私が賭け事も程々にしろと怒ると、「おりゃな、遊ばせて貰ってるんだ。金なぞ幾ら掛っても遊び代だ」と言う。親父が肺がんで入院した時に、弟の友人の内科医が見舞いに来て「お父さん、パチンコ屋に毎日7時間余りも居たのは良くなかったですねぇ」と皮肉を言われたが。私が「タバコの煙が充満する処に毎日6時間から7時間も居て、ガンにでも成ったらどうするんだ」と言っていたが「おりゃ、生きても72だ。俺の親父が死んだのは72歳だ、人間はそう生きられねえんだ!!」と言っていて、言う事を聞かなかった。呆れ果てたバカだった。ガンが末期に成って、骨ガンに転移して医者から酸素呼吸器を充てがわれていた時に、私がバカ親父の手を握って、「意識があるのなら手を握り返して来な」と言ったら、すごい勢いで握り返して来たが、私はその時思った。「あれほど言ったのに自分で命を詰めて、こうやって思いっきり握って来るとは、死ぬのが嫌らしい。もう遅いんだよ、あんた。」
親父は安楽死だった、医者が注射を打って息を引き取らせた。私は自分に流れている親父の血を嫌だと思う。私は親父の家系は大っ嫌いだ。親父は明治大学を卒業したと言うが私は疑っていた。大卒にしてはバカすぎるからだ。親父は学生時代、香料の会社でバイトをしていて、大学を卒業してから香料の会社に勤めたと言うが、本当に明治大学を卒業していたら、そんな会社には就職しない。何故なら先がないからだ。そして親父は会社を立ち上げた、菓材材料の卸問屋だ。親父の兄貴と一緒に立ち上げた。しかし、近所の人は、特に家の裏に住んでいた宗教に凝っていた人が、「〇〇さんは立派な会社なぞ立ち上げて、これも何も神様のお陰だから、気張って寄付をしてくれないと困るよ。」と周りもロクでも無い事を言ってくれた。親父は優秀だった弟が医大に行く勉強をしているのに、「頼むから俺の後を継いでくれ、医大なぞは行くな、高卒でいい」と言ったそうだ。弟は毎日夜遅くやって来てそう言ってくると怒っていた。菓材材料の会社なぞ、今はどこも潰れている。会社会社と自分が作った会社をなんか特別に凄いと思い込んでいた。私は子供の頃、板チョコを買って貰えなかった。板チョコが欲しいと親に言うと、親父が厚さ10センチはある原料用の板チョコを割って持って来て「これを食え、同じチョコレートだ」と言うのだ。厚みがあって食べられない。そして甘くは無いのだ。子供の頃は親父が学校で同級生にチョコバーがうちにあって一個80円だと言えと言うのだ。小学生当時チョコバーは人気があった。同級生の子供らは私から話を聞くと、当時150円はしていたチョコバーが80円で買えると皆んな喜んでこぞって買いに来た。親父はうまく在庫が掃けたと喜んだ。
一から十、そういった具合だった。私はよくダシに使われた。親父は材料を下ろして居る相手の会社が倒産するとその会社の倉庫から食料品を持って来て会社で売っていた。よく、バターだとか油、小麦粉などを仕入れて来ては私に学校で安く売ると言えと言っていた。その度に私はそう言い、友達の親御さんが買いに来た。1990年代に成ると会社は何億の儲けを出す会社に成っていた。そして親父が苦労して育てた会社は、親父と一緒に経営して居た兄とその子供に乗っ取られた。親父は俺はもう駄目だと泣き崩れた。医者だった弟はそんな親父に「後の生活費は自分が金を家に入れるから」と言って慰めた。親父と母は戦後すぐに出会った。母が神田神保町の新星堂の本屋に書店員として勤めて居た時に親父に会ったそうだ。母は初め親父の事を同僚に言うと「あの人だけは付き合うの辞めた方がいいよ」とよく忠告されたと言っていた。母は当時3畳間の下宿で一人暮らしをしていた。母は17歳で両親に死なれている。自分を好きで通ってくる親父に根負けして結婚したらしい。親父は3畳間の母の荷物を荷車に乗せて母を連れて自分の実家に来させたそうだ。そして結婚式は自宅で挙げて一緒になった。母は苦労した。姑は厳しかった。親父の父親は嫁の母が大好きで付いて廻ったそうだ。いつも母の30センチの処に居て、母が体を動かすと必ずおじいちゃんにぶつかったと言っていた。そして実家を出た親父たちは長屋に住み、その長屋を売って2階家を立てた。2階家を立てた時に、会社は社員と住むための2階家で、お勝手を広く取ったのは、社員たちに食事を取らせる為だと言った。
私は自分の部屋は無いのかと聞いたら、社員を住まわせる為に家族が使える部屋は2部屋だけだと言う。私は小学校2年生なりに「それはおかしいんじゃ無い。お父さん達が建てた家じゃ無いの?」と言った。しかし従業員は初めのうちは2階のお勝手まで食事を食べに来ていたが、悪いと自分で食べ物屋に行って食べる様に成った。1階は会社だ。2階には部屋が5部屋あった。そのうち2部屋に学生を置き。母が下宿屋を始めた。残り3部屋のうち1部屋がリビングで、もう一部屋が親父と母の寝室。残り一部屋が姉と私の子供部屋だった。私は姉と布団を敷いて寝た。1960年代から1970年代初頭。私はよく部屋で朝方早く置きていた。明け方の5時になると決まって掃除婦のおばあちゃんたちが、家の前の通称青バス通りを10人ぐらいで大声で話しながら通って行った。その後小学校3年生ぐらいになると部屋は姉専用の部屋になり。私は廊下の角の空いたスペースに机を置いてそこが私のコーナーと成った。私は中学に成るとその廊下の角にベニヤ板と秋葉原で買って来た1千幾らかのスピーカーを使って、自分でスピーカーボックスを作ってラジカセを繋いで鳴らして音楽を聴いていた。そして高校生に成った時に1階にうなぎの寝床程の部屋を増築した。そしてそこが私の部屋と成った。その部屋は大学を卒業するまで私の部屋と成った。私は部屋に靴箱の横長のものを置いて、その上にビデオデッキとテレビ、ステレオを置いた。音楽はバイトで買った3万幾らかのモジュラーステレオを買って聴いていた。広い横長の靴箱の上に家電は全て乗せて、下の靴箱の中にレコードとビデオテープを収納して、その前にベットを置いていた。そして人と会うときは行きつけの高円寺のブルース喫茶で会っていた。やがて自宅はマイクロソフト社を立てる為に、地上げ屋に地上げされて土地を他に用意して貰い、今度こそ自宅だけの家を建てた。
この時、親父の兄貴がやって来て。「一階を前みたいに会社にしてくれ」と言っていたが、親父は兄貴に「なに都合のいいことばかり言ってるんだ?会社は雑居ビルの1階に入居すると言っただろう?」と言って取り合わなかった。正解だった。私は今度は10畳間が自分の部屋と成った。弟は自立したいと言い、6畳間と3畳半そして10畳間を貰い。階段は外階段をベランダに付けて貰った。私は10畳間一部屋で暮らしていたが、ビデオテープが1千本。レーザーディスクが400枚ぐらいに成り、またレコードも600枚ぐらい合ったものだから部屋が狭く成っていた。楽器演奏をする為に、10畳間は防音に成って居てギターアンプとエレキギター2本とベースが1本、ブルースハープとハープ用のアンプもあったので、隣の6畳間ものちに貰う事に成った。そして問題が無ければそのまま暮らせる筈だった。しかし親父は先に書いた通り亡くなり弟は結婚して田園調布に家を持ち。母は認知症に成り。困った私は、弟が出て行った部屋の10畳間を200万掛けてリフォームしてトイレとシャワールームを付け、10万で貸して、持ち金とその10万で認知症の母と共に暮して来た。しかし、自分が障害が酷く成ったら、姉弟からは絶縁されて家を出て行ってくれと言われ、今度は弟の援助で、月11万のデザイナーズ・マンション、8畳間と5畳半の2部屋の処に住み、暮らして居た。ビデオテープ1千本は持って来れず実家に置いて居たが、弟が亡くなり。実家は処分された。その時にビデオテープも処分された。そして家賃が払えなく成り、今、こうやって6畳間と5畳間の5万円のアパートに越して来て、今が有ります。何遍も言う様ですが持ち金も残り少なくなってきた為に。あと、5、6ヶ月は住めると思いますが、それ以降は生活保護で暮らすつもりです。障害があって働けないですから。仕方が無いです。。。
「妬みの構造について、、」
何故、人間は妬みの感情を抱くのでしょうか?進化心理学の立場では妬みはどんな意味を持つのかについて研究されて来ました。例えば、生命の危機を回避する動機づけの感情として妬みが機能して来たと言う主張があります。
私たちの祖先が暮らした、資源が乏しい時代では、他人に資源を取られると生命の危機につながっていました。周りは沢山ご飯を配分されて居るのに、自分だけご飯が少なかったらどうなるでしょうか。
もし平気な顔をずっとして居たら飢え死にして仕舞うかも知れません。この様な不公平な状況を防ぐために妬みは存在しているのです。
すなわち妬みは進化の過程で「自分を守るための感情」として必要だったと言う事です。妬む事は自分の状況が不公平である事をお知らせしてくれる、黄色信号としての機能があるのです。
妬みや嫉みと心理学研究
妬みは自分を守る防衛反応としての感情ですが、どんな時に発生しやすくなるのでしょうか?此処からは深く理解するため、心理学の研究を幾つか紹介します。
研究① 自己評価が下がると妬む
人間の深い部分では「生命の危機」を感じるからと言う理由ですが、少し表面的な話をすると、自分よりも優れて居る人を見ても妬みの感情は起こりません。「自分よりも優れている人を見て、自己評価が下がった時に」妬みが生れやすいです。
心理学には自分の評価をどのように維持されるか?を研究して解った「自己評価維持モデル」があります。このモデルによると、他人の存在が自分の自己評価を低下させるかどうかには、3つの要素が関わっているとされています。
1.他者の優越 ・・・他者が自分よりも優れているか
2.心理的近さ ・・・他者と自分の親しさ
3.優越領域の自己関与度・・・他者が優位な領域が自分に関係するか
例えば、会社で昇進出来なかった人は、昇進した同僚がもともと自分と似て居たと感じた場合に、その同僚への妬み感情が強まっていました(Schaubroke&Lam.2004)。
このように、
・親しい人が自分よりも優れている
・仲が良い、もしくは親しみを感じる
・領域が自分と被っている
場合にもっとも人は妬みを感じやすくなるのです。
研究② もともと自尊心が低いと妬みやすい
・自尊心との関係
大学生201名を対象にして妬み感情について調べました。その結果、自尊感情と妬み感情の間には相関が見られる事が解りました。
まずは男性を見て行きましょう。表を見るとマイナスとなっており、負の相関がある事が分かります。自分を認められないと、他人への嫉妬心が強まって仕舞うのです。
続いて、女性を見て行きましょう。此方も負の相関があり、自尊心の低下が妬み感情を強めて居る事が解ります。
・自尊心が高いと「ざまあみろ」と思わない
この研究では、妬み感情と関連している自尊感情にシャーデンフロイデの喚起を抑制する効果があると言う結果も出ました。シャーデンフロイデとは、他者の不幸を喜ぶと言う感情経験の事であり、“いい気味”や“様を見ろ(ざまみろ)”といった言葉で表現される事が多いです。
自尊心が低い方は、「仕事で残業が続いた事が原因で自分よりも出世した同期の夫婦仲が悪くなった」「豊かな生活をして居た友人が仕事をクビになって経済的に苦しくなった」と言った状況でシャーデンフロイデ、すなわちざまあみろと言う気持ちが喚起される可能性が高いです。
逆に自尊心が高い方は、ざまあみろと感じる事は少なく、心配する気持ちが湧き上がって来ます。その意味で妬み感情を抑えるには、自尊心を向上させる必要がありそうです。
研究③能力への妬みが大きい
原(2013)は大学生160名に対して、妬みを持った時の対象について調査を行いました。成績が上位を占めていた様です。外見などには意外と妬みはもっていない事もわかります。成人になってもある程度この傾向は受け継いで居ると推測されます。同僚の方が出世が早い、営業成績がよい、上司から評価を受けている・・・婚活でうまく行っている・・・こんな状況で妬みが発生するかも知れません。
妬みや嫉みの解決策
妬み感情は人間である以上、いくばくか持つのは仕方がありません。しかし、過剰になっている場合は、悪口をまき散らして人間関係にひずみが入る事もあります。ある程度抑制する方法を考えて行きましょう。
今回は改善策について3つ提案させて頂きます。全部読むのは大変なので、当てはまる項目についてリンク先をチェックして見て下さいね♪
①悪玉→善玉の妬みに変える
妬みには2種類ある
Shengold(1994)は妬みの感情には「悪玉(malignant envy)の妬み」と「善玉(benign envy)の妬み」があると主張しています。妬みに良い面があるなんて、意外に感じられるかも知れませんね。後ほど詳しく解説しますが、悪玉の妬みは、攻撃性や消極的な行動に結び付く妬みです。例えば、相手に対して悪口をいったり、コケ下すような行動に繋がっていたら要注意です。
逆に善玉の妬みは、積極的な行動や自分を磨くポジティブな変化に結び付く妬みです。勉強をして見返す!追いつける様に仕事を頑張る!こう言った活力に繋がるものは善玉の妬みと言えるでしょう。
妬みを活かす方法
妬みはよくも悪くも強い感情です。身を亡ぼす感情であると共に、健康的にうまくコントロール出来れば自分のモチベーションに変えて前向きな行動に結び付ける事が出来ます。妬みをポジティブに活かしたい・・・と言う方は対処法をご紹介して行きます。
②比較癖をやめる
他人と比較してしまう
人間は他者と比較する事で、自分の存在を確かめる生き物です。私たちはコミュニケーションを通じ互いの言動を受入れている為、他人と比較する事は自然で誰しもが行っています。しかし、他者と比べすぎて仕舞うと妬みを強めて仕舞う原因になります。自分の状況よりも他人が良い状況である事を認識して仕舞うと、妬みの感情を誘発しやすくなるからです。
比較癖を改善しよう
改善策としては、自分を見失わない程度の比較を身に付ける事が良いでしょう。他人と比較しやすい・・・と言う方に以下をオススメします。
③強い妬みは深呼吸で落ち着く
強い妬みは要注意
妬みはうまく処理をしないと、どんどん強くなると怒りへと発展して行きます。うまくコントロール出来ず、流されて仕舞いますと、他者を傷つける行動に結び付く事があります。取り返しのつかない悪口を言って仕舞ったり、暴言を吐いて仕舞う事もあります。
妬みのピークをしのぐ
妬みをコントロールするのに役立つ方法として「深呼吸法」をご紹介します。一般的に強い感情のピークは6秒と言われて居ます。この6秒間をどう凌ぐかがポイントです。
さて、どんな社会にも他人をバカにする人は少なからずいるものです。 何かにつけて他人をバカにするような口調で話したり、貶めたり。 そう言った人たちは、一体何を考えて居るのでしょうか。
心理学の専門家によると、こう言う人たちは「人よりも優位に立ちたい」「自分の身を守りたい」と言う気持ちが強いそうです。 他人をバカにする事で「自分の方が出来る」とアピール仕様としているのでしょうね。 また、「憧れ」もあるそうです。
例えば自分には出来ない事を難なくやってのける様な人に対して、小馬鹿にした態度を取る事で、「自分はそんな事興味がない」という風を装い、自身の評価や立ち位置が下がらない様にする傾向があると言われています。
人をバカにする人の特徴として挙げられるのは、「自分に自信が無い」と言う事です。自分に自信があるのなら、人をバカにするのではなく、面と向かって勝負をすれば良いのですが、自信が無いからこそ、人をバカにする態度を取って逃げて仕舞うのです。
口では色々言うけれども実際には何もしないタイプなど、まさにその典型では無いでしょうか。
また、人をバカにする人たちは総じてプライドが高く、何らかの心理的コンプレックスを持っていると言う特徴もあります。自分を認めさせようと言う気持ちが強く、簡単には意見を曲げないので、周囲と衝突する事もよくあります。
そして厄介なのが、自分よりも弱い者を嗅ぎ分ける力に優れている処です。人をバカにする人が大人しそうな人やいいなりになりそうな人と一緒にいるのを見た事はありませんか? 彼らに取って自分よりも弱い立場の人間は居心地のよい存在。見つけたら寄って行き、バカにしながらも自分が優位に立つ関係を築こうとするのです。
人をバカにする人への対処法
人をバカにする人と上手く付き合うには、相手の心理状態に意識を配る必要があります。バカにしているのがコンプレックスの表れなら、一緒に同調するよりも、さりげなく話を変えて逃げたり、相手にしなかったりする方が良いでしょう。
もしあなたが攻撃された場合は、相手の心理状態を見ながら(怒らせないようにしながら)、しっかりと自分の主張をした方が良いでしょう。「でも、私はこう思ってしているから」と言う様に。
いずれにせよ、相手の特徴を知り、冷静に対処する事が欠かせません。 言われっぱなし、やられっぱなしでは無く、相手の心理に「否定された」と言うイメージを植え付けない様に気をつけながら、しっかりと自己主張する事が、相手との間に変な力関係を生じさせないコツとなるでしょう。
人をバカにする人の多くは、心理的にコンプレックスを抱えている人です。自分が優位に立ちたいと言う欲求が強いと言う特徴があるので、面と向かって反応せずに、適度にあしらうか、毅然とした態度で接しましょう。
まあ、ハッキリ言って、バカなのですよね。私は何遍もこのblogで言って居るけど、人の言う事が聞けないのです。チンケなプライドが邪魔をして、相手をバカにして来るのです。そしてそう言う人のパターンは相手が常に自分より劣ると考えて居る事です。本当に頭がいい人はこうは思いません。相手の容姿や、自分が知って居る相手の事柄だけでは無いと思うからです。相手を敬う心を持っています。相手の言うことにコンプレックスをすぐ抱く人は、相手をとことんバカにして掛かって来ます。自分が常に相手より上だと考えて物事を言い続けます。
まあ、色々と対処法を書いて見ましたが。放って置くのも一手ですよ。 また、そう言う人にストレスを感じる事もあるかと思います。そう言った時はこう言ったblogなどで私の様に発散しましょう......
今回は此処までです。また、更新出来たら逢いましょう。。。。(๑>◡<๑)