寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

聞いて下さい・・・・。(過去記事からの抜粋編集版)

此の映像をご覧下さい。本邦初公開です、、

 

Violet Evergarden Movie 2020 | Violet Finds Gilbert ((movie link in description))

Violet bertemu Gilbert | Violet Evergarden |

 

 

 

薬の効用で、眠くて仕方ないkiyasumeです。すぐにうたた寝をして仕舞います。。。。

 

「世の中には醜さと言うものはない。世の中には正しさと言うものはない。世の中には素晴らしさと言うものもない。世の中には虚しさと言うものもない。そして苦しさと言うものもない。全てそれぞれ人が過去の経験と過去の経験によって強化されて来るものの網様体賦活系によって苦しき情報を集め、悲しき情報を集めそして自分で苦しんで居るものだ。」これはあるお坊さんの言葉ですが、よく人の魂はステージが決まって居て、上に上に上がる様になされて居ると言いますよね。人の位と言うものは金持ちだからいいと言うものではない。豪邸に住みランボルギーニに乗って居ても自分はダメだと嘆く人も居れば。私の様な6畳間に5,5畳のお勝手ひとつでも満足して居る人も居る。日頃の自分の生活は勿論自分が作り挙げたものだけども。

物事に感謝する人、例えば日々の食べ物に感謝する人。食事になるおかず例えば豚肉。魚。皆命を頂いて食して居ますよね。だからキリスト圏の特にアメリカなどでは謝肉祭と言うものがある。肉に感謝をして居る訳ですよね。自分の魂のステージを上げる為には人に対する感謝を持たないと行けない。例えば私が日頃気に食わないと言って居る。人をすぐ小馬鹿にした笑みやら「ハハハハハ」とか皮肉を言う人の魂が上昇する事はありません。一番魂の上がるステージを持って居る人とは。何かしても決して見返りを求めない人。愚痴を言わない人でしょうね。魂は上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)と分かれて居るとよく言います。

上品とは理想的な人格、清き正しく慈悲に溢れて居て、人の為に涙する優しさ、そして強く厳しい処もある。そう言ういい処ばかりを集めた魂。中品とは悪くも無く良くも無く普通の状態の魂。下品とは悪い人の全てを取り揃えた。妬み嫉み僻み、悪い状態の魂を一手に引き受けて居る人の最低な魂。私はどうやらこの下品の魂を持った人を沢山見て来た様だ。「今、此処」と言う事があります。私たちは未来に生きて居る訳でもなく、過去に生きて居る訳でもなく。「今此処」でしか生きられない、何か自分でやれるとしたら「今此処」を無心に生きると言う事。世の中生きて居れば、どん底に落ちる事もあるし。又どん底まで落ちて落ちる処まで落ちたら、又浮かび上がって元の処に戻って来る。

世の中も人生もおよそ下がれば跳ね返るアップダウンと言う事を繰り返し平均値に収まって来る。自分の力とか自分の進化とかが問われるのはアップして居る時ではなくてダウンしてる時ですね。アップが良いダウンが悪いではない。この波をどうやって生きて行くのかが人生では無いかと思う。「今此処」で関われる事をするしか無い。より良き自分を見据えた時にそれが解らない事であるがこそ、「今此処」で関われる事をするしか無い。そして今掴んだ点と点と点が線になり、形になって行く事を信じて生きて行くしか無い。生きがいが見出せないと思う前に「今此処」で与えられて居る環境で、そのポジションで一生懸命に生きなければならない。そうする事で生きがいも出て来るのだと思います。そう思う、今日この頃です。。。。

 

私は大学に一応は行きました。しかし、私は、今、美術学校に行けば良かったかなと思っても居ます。此間、まあ、前にですが20歳の訪問看護師から、「何でkiyasumeさんは、経済学部などに行ったの?漫画が好きなら漫画学科でもなんでもあったじゃ無いのヨォ!!」と言われたが、彼女は1970年代当時を知らない。私の時代は私は商学部でしたが。経済を学ぶのが一番いいとされて居た。次に良いとされて居たのは、工学部だった。文学部やら美術系はとことんダメだと言われて居た。時代も流行り言葉こそ「ビューティフル」だったが。時代的に見れば「モーレツ」な世の中だった。私は最近になって高校の担任が「お前、東京電機大学なら推薦が取れるぞ!!」と言って居た事を思い出す。担任は言って居た「お前らなぁ〜〜。経済学部出たってなぁ、よほどに良い大学でなければ良い会社、企業には入れんぞ?それより手に職が付けられる電気大学なら推薦で入れるし。これからの時代には必要で引く手数多になるぞ!!」そう言っても誰も推薦すら貰う学生は居なかった。何故なら当時としては電気職人いわゆるブルーカラーと言う意味合いが強かったからだ。だから他の高校はどうだか知れないが、私の高校では誰も推薦が取れたのに、行く人間は居なかった。私は高校3年の時に美大に行こうとしたが、やはり封建的な思想の親は猛反対をした。「美大なんか出たって食えやしない.....。」今みたいに開けた世の中では無かった。だって1974年当時だ。偏見もあった。

人生=色々です。(古いかな) いい大学に入ってすべてがうまく行けば、高学歴ワーキング・プアなんて生まれません。 "意志ある処に道あり"ですよ。学歴は手段に過ぎません。就職ランキングで上位にある様な会社へ行きたいんであれば、その手段としていい大学へ行けばいい。でも、美容師を目指して居る人が大学へ行っても何の意味もありませんよね? 人間に取って一番大事なのは、どう生きたいか、どんな風になりたいか、ですよ。それが解って居るのなら逆算して目指して頑張ればいい。それを人は「意思」と呼びます。 世界は広いから、勿論、高学歴で無いとどうにもならない世界もあります。そして、それとまったく同じように、高学歴であってもどうにもならない世界もあります。 学歴が無いと役に立たないと言う人は、学歴が必要な世界に身を置いて居るからそう思って居るのであって、勿論まったく別の世界では何の役にも経ちません。料理人の世界では中卒で修行をして来た人の方が評価されるでしょう。 大事なのは、人では無く自分がどんな世界で生きて居たいのか、なのですよ。人間は自分で選んで生きる道を決めて行きます。高学歴と言うのは、あまたある選択肢の一つにすぎません。 自分でどんな道を選んでもいいと思います。そして、自分で選んだ道だから頑張れるのです。それがよく言う、「置かれた場所で咲きなさい。そこで精一杯の努力をすればいい。いつか必ず花は咲きます。」の意味なんだと思います。

 

欲を減らす。欲を捨てて行くと言う考えがありますが。でも実は欲を減らす捨てて行くばかりが、クローズアップされて居て欲を育てて行くと言う欲もあります。それは、「渇愛。私欲。」と言う2つの欲です。渇愛とは、十二因縁の一つで、対象のものごとを貪ったり、執着することを指す。仏教においては中核的概念のひとつであり、身体・精神的な「渇き、欲望、渇望、貪欲」を指して居る。愛とも訳される。 欲愛 - 感官によって得られる刺激・快楽への渇愛。 有愛 - 存在することへの渇愛 。非有愛 - 存在しなくなることへの渇愛と言います。 「渇愛」とは詳しく言うと、ベーシック・ニーズと言う生きて行くのに大切な睡眠欲。性欲。食欲などの身体に取っての感覚器官が気持ちいいと思う欲なんです。そして欲には際限が無い。お金を持って居なくても今はそこそこ美味しいものは食べられるし。服もUNIQLO /GUなどでデザインがいい服が安く手に入る時代です。

「渇愛」、もっと欲しいと言う欲は捨てなければ行けない。もっと欲しいと言う物欲は人生を破滅させて仕舞うくらい大きな物欲です。生きて行く欲が生きて行く以上に広がって行っては仕方がありません。「私欲」と言うのは己が良いと思った事に邁進して行く欲の事です。高度な欲は身を滅ぼします。身分に合わない浪費をすれば借金まみれです。または、能力以上に働き過労死待ったなしかも知れません。ただ、オリンピック選手の様に、とことんまで極める事に生きがいを感じる人も居ますので、例外はあると思います。これが私欲です。個人の価値観や完成による処が大きい。

適度に欲を捨てる。例えばお金の掛かる事、コスパの悪い事を辞める。ある程度で満足できる体質になる。すっぱいぶどうだと言って自分を騙せる体質になる。騙して居る事すら気づかなくなる。そうすると、無理に働いてお金を稼ぐ必要もないので様々な苦労から開放される。その開放された時間に上手に余暇を楽しめれば幸せでしょう。まぁ引退した高齢者を見ているとしっかりと働くほうが幸せな人も居ますし。価値観はそれぞれですが、欲が少なければ酷使する必要がないですので、欲に振り回される時間が減りますので、一般には幸せだと思います。

全て欲を捨てる。食欲すらなくなれば死にますので、幸福も不幸も感じなくなると思います。

 

皆んな、他人が自分に対して、不利益を与えて苦しめると言うがそれは違う。自分が自分に不利益を与えて苦しめて居る。ブッタの言葉で「自己をよく守れ」と言う言葉がある。此れは自分をよく守れと言う事ですね。自分が自分に不利益を与えて苦しめる。此れは人間の一番愚かな処です。ブッタの言葉は自分から自分を守れと言う事だ。私は統合失調症だ。しかしある人から言われました。「此れは障害と思わずに多様性だと思え」と・・・・。「だから世間と適合すればいい」と言われた。なるほど私は今まで過去の自分に縛られて居た。しかし、例えば認知症の母は私の側にはもう居ない、姉さんは近寄っては来ない。弟はとうに死んで居ない。親父もだ。自己の本来持って居るものをダメとするものはもう居ない。これは自己を守ると言う事だと言う。「此の私のトラウマを嫌わずに生きる事。怒りと言う猛毒を持ち続けて、生きて行くと言う事は愚かな事だ」と言われた。いい事を言われたとは思う。然し私の仁は抑えようが無い。

ひとつ具体的な議論を追って見よう。トラウマは脳にもその痕跡を残す。典型的には、トラウマを負った人では扁桃体が過敏に反応する様になって居るのである。扁桃体と言えば、情動反応の処理に於いてとくに重要な役割を果たして居て、脳に於ける「煙探知機」に喩えられる部位だ。脳画像でも確認されて居る様に、そうした探知機が過敏に反応するからこそ、患者は必要以上に危険を感知し、ストレスホルモンがたびたび強く分泌されて仕舞うのである。

ただし、トラウマと関係して居る脳部位は扁桃体だけではない。扁桃体との関係でとりわけ重要なのは、前頭前皮質だ。前頭前皮質はいわゆる実行機能を担っており、とくに内側前頭前皮質は脳の「監視塔」に喩えられる。煙探知機として警報を鳴らすのが扁桃体の役割だとすれば、その警報が妥当なものかどうかを判断するのが内側前頭前皮質の役割である。かりに煙探知機が警報を発したとしても、監視塔がそれを誤報だと判断すれば、ストレス反応は、じきに抑制される。だから重要なのは、扁桃体と内側前頭前皮質の均衡関係なのである。その証拠に、そうした関係が崩れてしまうと、現にトラウマを負った人がそうであるように、すぐさま闘争/逃走モードの様な状態に陥って仕舞う事になる。と言う様に、トラウマ性ストレスにうまく対処するためには、まさに両者の均衡関係を維持・回復する事が肝要だと考えられる。そして、そうした均衡を維持・回復する手段には、トップダウンの調節方法とボトムアップの調節方法がある。トップダウンの調節は、監視塔の力を強化するものであり、具体的にはマインドフルネス瞑想やヨガなどがそれに当たる。他方、ボトムアップの調節は、自律神経系の再調整を促すものであり、具体的には呼吸や身体動作、接触などを介して行われると良いと言われて居る。

 

                                   
 

 

今から8年位前に長髪にして一度パーマを掛けて居ましたが。あの頃は認知症の母と一緒に暮らして居た為、母も笹塚の「カズ」と云う美容院で一緒にやって貰って居たのですが。いやぁ、、認知症だから美容師に色々とメチャクチャな話をして居て、困って仕舞いました。笹塚の前は新宿の京王デパートの中にある美容院でやはり母を連れて行ってやって貰って居ましたが、ある時、私に、男の美容師が付いて、やって貰って居たら、「最近、インフルエンザで人が来るでしょう。」とか、、何を云って居るのか良く解らないので「そうですか?」と云ったら、「お医者さんは忙しいのではないですか?」と云われて。「私は医者では無いですよ?」と云ったら、「だってお母さんが、お客さんが来る度に息子は医者だと云って居ましたよ!?」と云うので、「それは弟の方ですよ!」と云ったら、その男の美容師が、女の美容師を怒鳴り付けて居て。その日は料金が半額になって、要するに「医者だってよ!ふざけやがって!!」と云う事で、料金を倍に釣り上げて、吹っ掛けて居た見たいでして.....。

それで母が終わって帰りに、女の美容師と二人で送り出しに来て、私に「これも美容師としての仕事の一環ですから」とか云って居て。どうやら、母にも皮肉を云ったらしい。それで次に行って見たら、受付がその男の美容師はクビになりましたとか、云って居た。それから、もうその美容室は行くのを辞めて、どうしようかと思って居ましたが、笹塚の「カズ」と云う美容院を見つけてそこに行く様にしたのだけれども、料金がそれまでの半額でした。しかし、そこも母がどうしようもない事を言い出したので行か無くなって、それから母は施設送りになり、私はアパマンの近くの美容室でやって貰って居ましたが。「カズ」よりも値段が安いし、ほぼ男性の客しか行かない美容室だから。独りになって此処4年程、そこの店に通って居ましたが。そこも嫌がらせを言う様になって来たので。今は越した事もあり越して来た側の美容室に行って居ますよ。前の実家の側には床屋は近くにありましたが、前に行ったら、ジジイの理髪師が、「お客さん、あんた自由業だろう。髪長くしていて、サラリーマンじゃないだろう?」「いけないですか?」と云ったら「あんた、会社勤めした事あるんかい!」「ああ、会社勤めは27年程してますが?」そう云ったら今度は、「あんた高校はどこ出たんだい。」「一応大卒ですが。」と云ったら要約聞いて来なくなった。まあ、美容師の方が良いですね。余計な事は聞きませんから。

美容院に行くまでは、近所の床屋やら、隣町の床屋やらに通って居ましたが、床屋は偏屈が多くてダメですね。私は若い頃から髪を長髪にして居るので、まあ、床屋は髪を切るのが仕事だから、でもね、、バリカンで剃る訳には行かないし、何か最近の若者のヘアスタイルはわざと部分的に剃りを入れてる様だけど。私は往年のミュージシャンやら芸術家がやって居た、長髪のスタイルなので、まあ、良いでは無いですか。歳など関係ないですよ。最近の若い人たちは(あくまで20代から30代前半と考えて居ますが)音楽とか芸術を良く知って居る人はそうではないのですが。例えばロックをやって居るのは若者だけだと思い込んで居る。まあ、普通の人も音楽をやって居るのは若者という認識が高い。今は、50代、60代でもロックをやって居ますよ。私は小学校3年生からロックを聴き始めて、それ以来ずっと聴いて居ます。反対に若者が今の流行りの音楽しか聴いて居なくて、本当に良かった頃のロックを知りません。今の流行りのロックはポップスですよね。ヒップホップとか言って居るけど。何か違いますね。要するにロックの要になっているブルースを聴いて居ないので、フォークに成っている。大音響でギターを弾いても、何だか違いますね。ブルースとは要になるもので、何もブルースロックをやれと言って居るのではないけど。何とも、言い様がないです。まあ、ジジイの戯言だと思って下さい。しかし、私はラップとかも聴きますよ。ロック談議は此れ位で。。

 

私が好きで応援している青木志貴ちゃん。。。。彼女は声優で、モデルで、舞台俳優で、YouTuberです。。。

 

強い女の顔面作り。

 

 

〜〜「懐かし洋画館」〜〜

さて映画です。今回はサム・ペキンパーの「ガルシアの首」です。古いですが、バイオレンス映画の金字塔です。バイオレンスの巨匠サム・ペキンパーが生涯愛したメキシコを舞台に血と暴力とそして熱い男の友情を描いたバイオレンス・アクション映画の大傑作です。主演はペキンパー映画の常連ウォレン・オーツ。音楽もペキンパーとの名コンビのジェリー・フィールディング。

ストーリーはメキシコの大地主の娘を妊娠させた男、プレイボーイのガルシアを殺すため100万ドルの賞金が出され、ガルシアの首をめぐって、殺し屋たちがメキシコに集まり、ガルシアの消息を探しているなか、ひょんなことからこの件に関わることになった安酒場の歌い手のベニー(オーツ)が人生最後のチャンスとばかり、殺し屋たちを出し抜いて、ガルシアの首を手に入れるべく、血みどろの殺し合いに巻き込まれて行く。

ペキンパーと言えば、そのバイオレンス描写と共に男たちの友情を描く事では右に出るものはなく、本作では主人公のベニーと死んで生首となってバスケットケースに入れられたガルシアとの友情(当然相手は死人なので、あくまでベニーの独り言なのだが)がメインで、車を走らせ、助手席に乗せたガルシアに話し掛けて居るうちに次第にガルシアと言う男に共感を抱いて行くと言う奇妙な展開は他の映画に見られないような一見アブノーマルな表現だが、それを真正面から熱い男の友情として描いて居るペキンパーの手腕は見事と言うほかなく、このペキンパーの意図が理解出来なければ、最後のベニーの破滅的行動も理解出来ず、この事がこの映画の評価の別れ処だろう。

映画の原題は「アルフレッド・ガルシアの首を持って来い」と言うものである。女誑しの首を巡って血みどろの争いが繰り広げられると言う、見るからに一般受けしない題材のため、本国アメリカでは興行的に惨敗した。だがその一方で、監督であるサム・ペキンパー自ら「俺が作りあげた映画」と豪語するほど監督の嗜好が色濃く現れた作品でもあり、ペキンパーの代表作に推す声も少なくない。

ペキンパーの十八番とも言えるハイスピードカメラで撮影されたスローモーションや、激しい銃撃戦などの暴力描写が作中でふんだんに用いられて居る。この映画は、『戦争のはらわた』と並んでペキンパー自身が最後まで編集権を握る事が出来た数少ない作品の一つである。ペキンパーは巧みな編集によってキレのよい銃撃戦を演出して居る。ペキンパーが自分のやりたいように作ったこの映画は、もっともペキンパーらしい作品であるとも評される。下は予告編です。

 

Trailer: Bring Me the Head of Alfredo Garcia - 1974

 

1980年代に「ゴリラ」というアーノルド・シュワルツネッガー主演、監督ジョン・アービンのバイオレンス・アクション映画だと云う触れ込みで、公開された映画を観に行ったのですが。何だかな、全然バイオレンス映画の事を解って作って居ないじゃないかと・・・・。お気軽なマッチョな男がローリング・ストーンズの「サテスファクション」を聴きながら悪党を皆殺しにするだけの映画、「ガルシアの首」の男たちの友情も、男の哀愁も虐げられた女性も、子供の描写も無し。スーパーヒーローが悪人をただ殺すだけの映画。何時からアメリカ映画がダメになって仕舞ったのかと、御都合主義で人を殺すだけの映画にうんざりした事がありました。私は石井 隆監督が日本のサム・ペキンパーじゃないかと思って居ますが。やはり映画は人間の業を描いてなければいけないと思って居ます。

1980年代の傾向として、スーパーヒーローが悪人をただ殺すだけの映画が世の中に蔓延り、その結果、それに影響を受けた犯罪が起こり。良識のあるアクション映画オタクは怒りました。この傾向は最近でも見られます。ハリウッド映画はダメになりましたね。幸いにも香港からジョン・ウーと云うバイオレンス・ノワールを作らせたら最高の映画を作る監督も出てきましたが、ハリウッドに取る込む事で、才能を台無しにして仕舞いました。アメリカ映画として作らされた彼の映画には幻滅しました。最近の映画は特にハリウッド映画は見ない事にして居ます。人間の業をきちんと描いて無い映画に興味はありません。サム・ペキンパーは良かった。もう、死んで仕舞いましたが。彼の作った映画は燦然と映画史にその足跡を刻んで居ます。どうか、このblogで「ガルシアの首」の事を知ったら映画を観て下さい。男意気に泣けると思いますから。よろしく。。。

 下は「ガルシアの首」のDVDです。

ガルシアの首 [DVD]
クリエーター情報なし
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

 

June Yamagishi & Shinji Shiotsugu

GUITAR STORIES-情熱のスーパーギタリスト列伝- #2鮎川誠 編 20150601

ブレイクダウン/上田正樹とサウス・トゥ・サウス

塩次伸二 妹尾隆一郎 永井ホトケ隆 2008.1.18 京都Mojo West

ブルースパラダイス 永井ホトケ隆 堺ブルースフェス2018アンコール

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今日の夕食。ラーメンライスに餃子です。。。

 

 

ーひとりぼっちー

ひとりぼっちって何。

可愛い三つの女の子が言う。

そっとその子を抱き上げて

きっと僕みたいさ

それでもまた聞いた

ひとりぼっちって何

わかることなら教えてあげたい

あの山のそのまた向こうの山に

ひとりぼっちは立って居る。

春も夏も秋も冬も

風に吹かれて立って居る。

四季の風に乗って

時々聞こえる

聞かせてあげよう

ひとりぼっちのその詩を。

 

erica-「ひとりぼっちの涙」リリック(ハーフver.)

 

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人は人との繋がりで生きて居る。人は一人では生きられない。気が付いて居なくても生きて居ると言う事は誰かに支えて貰って居る事だ。私は人との繋がりを大切にしたいです。昨日、ポストにアフリカで飢えに苦しむ子供達への寄付を集う封筒が入って居た。それを見て涙が溢れた。「ごめんね、おじさんはお金が無いんだよ。お金持ちなら幾らでも寄付できるけど・・・。」無記名で1千円ほどを封筒に入れて送った。

働いて居たある年の冬、道路工事の警備員を見かけた。恐らく季節労働者であろう。黙々と仕事をして居た。それを見たゆきかずが言った。「大の男があんな仕事をするなんて、ああ、男のする仕事じゃねえよなぁ〜〜警備員の交通整理なんてよ!男の恥だな!!」私は激怒した。農家の人たちが冬場、畑仕事が出来ないので東京に出稼ぎに来て居るのだ。それをなんだ!!貴様はどれだけ立派な人間だ。私はゆきかずを睨んだ。ゆきかずはバカだ。当時ゆきかずは40代。私は30代だった。ゆきかずはバー通いが好きだ。銀座のバーまで飲みに行く。そしてカラオケで歌を歌うのだ。何時も好きな、ド演歌を歌う。バーのマダムに「ゆきかずさん、素敵!!渋い声だわ〜」と言われ「そうかい。そんなにいいですか?」「ええ、その声が翻ってカスれる処がいいわ〜」と言われたと私に自慢する。私は内心、バカにしながらもその話を聞いて居た。私は面と向かってはバカにはしない。話は変わるが毎回主治医が私の着るものを褒めるのだが、前に、冬場にチェック柄のコートを着て行ったら。「いいね。英国紳士みたいだね」と言われて。英国のトラッド・ファッションを意識してそのコートを買ったので、嬉しくなり、訪問看護師についそう言われたと言ったら。

「他の服着て行ってもまた言われるよ」と言われてげんなりした事がある。その子はお世辞が言えないのだ。思いやりが無い。よく若い頃のバンドのテープを掛けると、ある訪問看護師の女の子が「〇〇さん、若い頃どれだけ長髪にしていたの?腰まで?」と聞いた事がある。私は「そんな長髪にはして居なかったよ。肩までだよ。」と言うと「な〜〜んだ。腰まででは無いのか」と言うのだ。私は内心。「この子はなぁ...。」とは思うが、それで怒る気は無い。私の歳でそんな事でいちいち感に触って居たら、その方がおかしい。私は余り言わないが。人はすぐに自分の感情を露わにする。大抵の人が嬉しく成った時。それを言葉に出して言うと他人は「反感」を持ってその言葉を遮る。そして罵倒する。以前、姪っ子のCDを知り合いに上げたら、「最近は上手くも無いのに、誰でもCD出せていいわよねぇ!!」と言われたり露骨に嫌な顔をされた。それ以来、私はもう人を信用しては居ない。勝手、私が付き合って居た女の子はそんな事はなかった。それは人間が出来て居たからだ。彼女は20歳そこそこで30歳程の配慮が出来る子だった。私はそこに惚れて居た。最近の若いのはと言いたそうだと思うだろうけど・・・そんな事も言いたくは無い。まあ、此間だけども、年配の訪問看護師にバンドでのテープを聴かせたら、「キャー、素敵」と言われた事がある。この場合配慮が行き過ぎて居る(笑)。丸で私が丸バカの様では無いか?私は最近に成ってよく話す様に成った。前は黙って居た。訪看たちはとっつき悪かった様だった。女性は感情の生き物だ。面白く無いと露骨に面白く無い顔をする。

 

ザ・エン歌

 

私は高校生の時、大学生かと聞かれ、大学で30歳ぐらいかと聞かれた。大人びて見えたのだろう。よく高校の頃、渋谷などの盛り場を彷徨くと、「旦那さん、いい子居るよ。ロンドンだよ!!」とキャバレーの連れ込みに呼び止められた。新宿では売春婦に声を掛けられた。私はどれにも引っかからなかった。しかし相手は言って来るのだが、よく私を見ると、「何だか、中年に見えたけど、まだ若いのね」と言って去って行った。中学の頃、不良と話をして居たら。そいつの仲間がやって来て。私に敬語で「なんかこいつが言ったんですか?」と聞いて来た事があった。私が敵意を持って居ない事が解って、その不良がこいつは同級生だと言うと「ああ、びっくりした大学生から喧嘩売られて居るのかと思ったよ」と言って居た。それほど落ちついて居たのです。それが中学の担任の体育の教師に、悪く取られた。「なんだてめえは、とっちゃん坊やか。ええ!!」と目を付けられて。体育の授業で、剣道に成って、先生と組むと、訳もなく頭を叩かれ、そしてつきを喉ぼとけに入れられた。要するに気に喰わなかったのだ。私は教師は嫌いだ、特に体育の教師は大嫌いだ。彼らは根性が腐って居る。私はいいカモに見えたのだろう。高校の時の担任も体育の教師だったが、私に裏口入学を持ち掛けて来た。前に書いたので省くが。私の高校は甲子園に出た。野球部のコーチであった担任の体育の教師はマスコミに追われた。しかしその裏で私に日大の藝術学部への裏口入学を斡旋しようとしたのだ。

私は断ったが。日大は裏口入学が多くて評判の大学だ。大抵ブローカーは教師だ。姉が大学に進学する時も有坂というブローカーが姉が入学試験の成績をちゃんと取って居たのに。成績がギリギリの線だから300万よこせと言って来たが。母が嘘だと見破った。そして証拠を突き付けるとその教師はタジタジになって謝った。大学入試にまつわるブローカーは沢山居る。殆どが教師だ。私は大学受験の時に予備校に通った。すると予備校で教えて居る大学の助教授が「この中で、日大の入試試験の回答が欲しいものは、職員室まで来なさい。私は来年の入試試験の回答を用意出来るから・・・」と言うのだ。大っぴらに言って居た。私はそれを聞いて、予備校に行くのを辞めた。そして自分で参考書を買い込んで、勉強をして大学を受けた。大学は受かったが。しんどかった。

大学の入学式に行くと。法律の助教授が新入生に激励の言葉を掛けて居た。その助教授は私の恩師と成った。私がストーカーに困らせられて居た時も、陰日向になりずっと私を見て居てくれた。私が大学内の廊下でその助教授とすれ違うとその助教授の方から「こんにちは」と挨拶をしてくれた。反対に職員は無礼な奴が居た。私が行くと「ばかやろー」と言うのだ。気に喰わないと言うのだ。私は大学時代、長髪にしてレイバンのサングラスを掛けて居たのだが、それが気に食わなかったのだろう。若い職員だった。ある人に聞いたが夜間高校を出て大学の職員をして居ると言って居たそうだ。歳がほぼ同じなのだ。その職員は、私の成績表を違った生徒に渡し、私にその生徒の成績表を渡すのだ。私は悪いがその生徒の可が並んだ成績表をすぐにその生徒に渡し、私の成績表を返して貰うと言う事が続いてあった。

その学生は自分の成績に優があるので不思議そうな顔をして居たが、それを見てその学生課の職員は、私を蔑んで見て居たので。私は或る日。その職員に「何時も成績表が間違って居ますよ。」と言って、取り替えて見せたら。ビックリして、「長髪にして遊んで居るのに勉強だけはして居るのかい!!」と皮肉を言う。私は又かと思い。苦い笑みを浮かべた。。。大学時代は殆どバンド活動をして居た。しかし成績は取って居た。私が金融論の試験で、なかなか勉強した事を思い出せなくて、苦労したが、思い出して25分ぐらいで答案用紙に書き込んで試験官の教授の処へ持って行くと、「よし!!立派な答案です!!」と言ってくれた。教授は見て居るのだ。私がきちんと講義を受けて勉強して居るのを。私は大学では友人は余り作らなかった。ある時に3人の学生が私に声を掛けて来た。私は見るからに遊び人風な学生を見てウンザリした。しかし彼らは私に声を掛けて来た。「お前よう。髪長いじゃん。」「ああ、長くして居るからな」「何で!!」「バンドやって居るから・・・」「へえ〜〜。」

一人は極真空手をやって居ると言う。そいつらを見て、中学のあの3人トリオを思い出して、(解らない人、過去blogの記事をよろしく)席を変えたりして居たが、彼らはいつも3人組で私の席の近くに座る。そして講義中、一人の男が「昨日なんか女の乳首がさあ〜乳頭が立っちゃってさあ〜」とエロ話を始める。また中学の再来だ。私は極力避けた。そうしたら、ある学生が隣に座り、「あんた一人?。私は宗教団体の会員です。私は友達を作りにこの大学に入学したのです。」と言うのだ。そして「あなたは、まだ我が宗教団体の偉大さを知らない。私の友達に成って下さい」と言っては毎日私の隣に座り、如何に創立者は偉大か。我が宗教団体は如何に素晴らしいか」と言う。私は「悪いけど、俺は勉強しに大学に来て居るので。宗教の話なら他でやってくれ!!」と言うのだが講義中、話して、煩くて講義に集中出来ない。そして喫茶店に入ろうと言って一緒に入っては、「私は高校時代にグレて居てバイク事故を起こして、足を骨折したのです。そんな時に我が宗教団体員が私をおぶってくれたのです。私は号泣しました。それ以来その宗教団体は私の命になったのです」と話し出したら止まらない。

 

WOOD 金子マリ、ジャニス・ジョプリンを歌う 1

 

私は学生課の相談室に行って相談した。そうしたら学生課の職員が「君。サングラスを掛けて居るから寄って来るんじゃないの?髪も長いし、相談されてもねぇ・・・他の友達と一緒に居ればいいじゃないの」と言う。「私は何だ〜!!。」と思ったが所詮、職員なのだと思い。授業を受けて居ると今度はあの3人組の一人の極真空手の道場に行って居る奴が来て、私が講義の内容を書いて居るノートをさっと取り上げると持って行って仕舞い返さない。私は苦笑して、「返せよ」と言うと「俺は兄弟子から可愛がられて居るんだ。」と言って、「俺のこの空手で毎日稽古をして鍛えて居る手を見りゃあ、大抵のやつは震え上がるぜ!!」と言う。また大概のバカだ。キリが無い。私は「とにかくノートを返せ」と言うとそいつは「俺はリック・ウエイクマンの「アーサー王と3人の妻たち」のレコードを売店で買って来たぜ!!」と言う。私は呆れて「いいから、ノートを返せ」と言うと「フン!!チビのくせして一丁前に文句つけてるんじゃねえよ」と言う。私はそのノートはくれてやり、別のノートに書き始めた。しかしそれも取られたので、私は考えた。そして、自分しか解らない速記で書き込んだ。しかし、それもそいつは持って行った。

しかし、私はまた別のノートに私しか解らない速記で記入して、ブルース喫茶で「別のノートに普通の文に書き換えた」マスターが「一体何書いてるの?」とノートを見て、「なんだこっちのノート、アラビア語なのかい?」と聞いてきたので「オレ流の〇〇速記です」と言ったら。変な顔をして居たけど。とにかく、それで通常の文のノートを隠して、何時も通り講義のノートは速記で書いて居た。また、万が一の事を思って。ウォークマンに講義の内容を録音しても居た。準備は整って居た。相変わらず極真空手の男はノートを持って行ったが。試験が迫ったある日、「〇〇!!ノート返す。なんて書いてあるのか解らないよ。なんて書いてあるのか教えてくれ !!」と言って来た。俺は言った「今までノートを取って行って読んでなかったのか?」私は、バカはどうしようも無いと思った。無論なんて書いて居るかとは教えなかった。そいつは試験はダメだった。そして留年をした。そして、大学に着いて行けずに退学した。しかし宗教団体の会員の男はしつこく側に来て、演説を打って来る。私は哲学の教授に話しを聞いて貰う事にした。すると他の3人の片割れが、学生課に行く私を見て、哲学の教授と話して居るのを聞いて、その噂が広がり、3人組の残党は私の前から姿を消した。

 

Taj Mahal & Bonnie Raitt on the Today Show!

 

処がこの哲学の教授。とんでも無い事を言い始めた「話は解った。君は偉い。わが大学の闘士だ。大学改革の先頭に是非立ってくれないか」と言うのだ。私は唖然とした。それ以来今度は、その教授が電話番号を教えろと言って来て、自宅に電話が掛かって来る様になった。私は、話を断った。その当時バンドは、ギターのバンドの方はメンバー間のイザコザがあって。張りが無い演奏に成って居た。私は大学2年に成って居た。第2外国語はインドネシア語を専攻して居たが教室で授業を受けて居ると、小柄だが可愛い子に目が行った。何時も、柔道部の男子学生が側に付いて居て。その子も煩わしそうだった。私はある日。授業が終わった後に声を掛けて見た。初め、その子は大きな目をクルリと回して私を見ると、軽く会釈をした。私はその子が好きになった。

 
彼女は私に「この人。しつこいんだけども・・・」と小声で言うので、私は咄嗟に、「この子は高校時代の同級生だ。」と嘘を付いた。その柔道部の学生は大きな体を向けて私を怪訝そうに見たが。その女の子が「そうよ。私の元彼なのよ。」と言ったら。そいつは、何故だか、「あんた知ってるよ。ボトムラインとか言うバンドでギター弾いてるんだろう?」と言って来た。「なんだ知って居るのか?」と聞くとその子に「音楽好きなんだ!!」と言って居る。しかしその日以来、側には座るがしつこく話はしなく成って行った。私は彼女と付き合い始めた。彼女は明るかった。そしてバンドの演奏もライブハウスまで見に来てくれた、と言っても私が毎回連れて行ったのだが。彼女はジミヘンとジャニスが好きだった。あとデビット・ボウイとかエドガー・ウインターと何時も組んで居た。リック・デリンジャーとか、女性のスライド・ギター奏者、ボニー・レイットとか、ライ・クーダと結構渋めが好きだった。ブルースは良く解らなかったが。私が黒人のブルースのレコードを貸して挙げた。よく二人で下北沢に行った。芽瑠璃堂でブルースのレコードを買った。私が下北沢で彼女とレコードを持って一緒に歩いて居ると同じくレコードを持ったカップルとすれ違った。すれ違うと、相手が「流石に下北沢だよ、この人達もブルースのレコード持って歩いて居る」と言って居た。そして「あんたもブルース好きなのか?」と聞いて来るのだ。そんな時代だった。話はまだ続くが今回はこの辺で止めときます。

 

Janis Joplin - Summertime

RICK DERRINGER / EDGAR WINTER / Rock & Roll Hoochie Koo / 1973

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私にしつこく付き纏って居た学生には殺してやると言ってやった。「明日ナイフを持って。お前の前に立ってやるぶち殺すぞ!!」と言った。そしたらようやく謝り出したが。「私はゆるさない」と言ってそいつを連れて法律の助教授のところに連れて行って、そいつがやって来た事を全て述べた。助教授は黙っては聞いて居なかった。凄く怒って居た。そして私は人事課に行ってそいつの家の電話番号を聞いた。そいつは青くなって「すみません、すみません💦」と謝ったが私は電話を掛けて。そいつの親御さんにそいつが何して居たのかを言った。丁度、父親が出て来て私に平謝りしたが。私は許す気はないと言って電話を叩き切った。その後そいつも大学を辞めて行った。

 

今回は此処までです。今度更新出来るのは何時になるか解りません。。。更新出来たら、またお逢いしましょうね、、

コメント一覧

kiyasume
まかろんさん書き込み有難う御座います、、

そうですね、、今、絵が描けたら、、
今まで続けて、絵が描けて居たらどんなに良かっただろうか?
とそう思います・・・・・・・・。

私は過去記事で言って来ましたが、小学校6年間と高校の頃は、
よく賞状とか貰って居ました。高校の時のニューヨークからの
賞状が特に嬉しかったです。小学校の時にも賞状は毎年
貰って居ました。そして私の、若い頃の夢はアニメーション映画
の監督になる事でした。絵描きでは、なるほど食えませんから、、

此の間、3回目のワクチン接種で乗ったタクシーの運転手が
自分は絵描きで芸術家だけども絵が殆んど売れずに、、
やむなくタクシーの運転手をして居ると言って居ましたっけ、、

私が若かった頃の1970年代の半ば、美大に行くのが私の夢でした。
しかし親は許しませんでした。「絵描きで喰えるか!!」そう言われました。
今ならアニメ関係の学科がある大学は美大に限らずありますが、、

当時は無かったです。それでも私はアニメ業界に入り込みたくて、、
手塚治虫の「虫プロ」のアニメーターたちと友達になったり・・・・・・。
あるアニメスタジオでアルバイトをした事もありました。

当時は、今見たくパソコンで絵を描く作業をする事は無く、、
全て手書きでした。それで、私も要約諦めたんですよね。
虫プロのアニメーターたちは「君なら業界でやって行ける」
と言って居ましたが。アニメーターの貧乏には既に小学生の頃

友達の親御さんが「虫プロ」のアニメーターで喰べて行けないのを
見て知って居ましたから。それにアニメ・スタジオは給料制ではなく
歩合制でしたから、当時作画1枚が百円でそれを5時間ぐらい
掛けて仕上げましたから。1日働いても数千円なんですよ、、

だからアニメーターにはなりたく無かったし、だから当時黒澤明の
映画専門学校が開校したので。そこに入学したく思い、テストはシナリオ
何ですよね。シナリオの本を買い込み原稿用紙と睨目っこして、あるSF
のストーリーを書いて提出した処。ものの見事に落選して仕舞い。諦めて、、

それで、音楽の道に行ったのですが。此の様に、障害を持つ様になり諦める事になりました。まあ、人には色々と事情がある物ですよね・・・・・。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

それからNPO法人での恵まれない子供達への寄付ですが、、
最近は寄付金が集まらない様で。前は一口、1千円から
だったのですが最近ではそれが一口、2千円から3千円となり、、

私の身分ではもう上げられ無く成って仕舞いました。
たまに子供から感謝の手紙が届くと嬉しかった物です。
お金のある人は、無記名で良いから寄付すると良いですよ。
あだ名と住所を書いて・・・・・。

子供は皆んなで育てる物ですよね。。。

それでは長くなりました。また来て下さいね。
よろしく。。。(๑>◡<๑)
macaronteaparty
kiyasumeさん、
また記事を更新されていますね。とても嬉しいです😊

返信に返信を重ねてすみません。
返信に書かれていたことに驚きがありましたので、少しだけ。


絵を描かれていたのですね!
音楽にご興味がおありだったろうことは想像つきましたが、
賞まで取られていたとは!

でも、なんだかkiyasumeさんにすごくマッチしている
ように思われます。

続けられなかったのが残念に思えます。

今ごろどんな絵を発表されていたか、
若いころの尖った作風、それを抜けて今の作風、
きっと豊かに老成されただろう絵を見てみたかったです。

でも、ずっとやってこなくて、もうできないというのも
分かります・・。

変なことを言いますが、
もし私の人生があと少しとなったら、
私はこんなに必死に作品を書くか、自信はないです。

自分の根源でもある(はずの)創作力すら、
生きるかどうかに左右されると思うと、不思議な心持ちがします。

生きることの本当の意味を、まだまだ全然分かっていない、
と自分を思います。


寄付に関して、今後は出せなくなるとのこと、
十分理解できます。

思いあがりかもしれませんが、私が寄付のことで何か言ったことで、
kiyasumeさんが、今後寄付できないことを
居心地悪く思うようではいけないと思い、コメントを、と思いました。

1千円でも出してこられたkiyasumeさんは
立派だと思いますし、
そしてもう出せないのも、1千円だったら、生活保護でなかったらと
まだその気持ちをお持ちのkiyasumeさんは、
やっぱり気高いと思います。

新しい記事(過去記事の抜粋)も読み応えありますね。
これから読んできます。

和やかな週末をお過ごしください。😊🌸
kiyasume
まかろんさん、書き込み有難う御座いました、、

トラウマの対処法として維持・回復する手段には、トップダウンの調節方法とボトムアップの調節方法があります。トップダウンの調節は、具体的にはマインドフルネス瞑想やヨガなどがそれに当たり。他方、ボトムアップの調節は、自律神経系の再調整を促すものであり、具体的には呼吸や身体動作、接触などを介して行われると良いと言われて居ますが。

私も頭では解っては居るのですが、なかなか実行には移せません。
いい方法なんだろうとは思っては居ますが・・・・・・・・。(๑>◡<๑)

>kiyasumeさんが美術学校行ってたら、
どんな作品を創ったのでしょうね。

なんの分野に興味があったのですか?

音楽、絵画、彫刻、演劇?


私はまず絵画ですね、そして音楽でしょうか、、
まあ、行けなかったのでして。悔いが残りますが。

まあ、此れでも若い頃はアメリカのニューヨークから
絵画で賞を貰ったりして居ました、、まあ、青春時代の
思い出でしょうか。私の母はとことん絵を嫌って居ま
したから。私が絵を続けるのには家出をするしか無か
ったのですよ。それは出来なかったので、絵は諦めました。

よく、blog仲間から、「今からまた書けばいいじゃ無い」と言われま
すけど、、もう40年近くも描いて居ませんから、今更描け無いですよ。

ああ、それと此の記事ではアフリカの子供たちに向けての寄付
でしたが。その後、フィリピンの子供たち。最近では日本の子供に
と、たった1千円ですがNPO法人を通じて上げて来ましたが、、

生活保護になったら、もう上げられません・・・・・・・・。

私の見合う金額は1千円なんですよね、それ以上は出せませんし、

>ちょっと大袈裟かもしれませんが、「小公女」って小説が
あったじゃないですか。

どんなに落ちぶれても、礼節を忘れず、品格を忘れず、
弱い者、貧しい者への思いやりを忘れない・・・。

ちょっとそのことを、思い出しました。

kiyasumeさんにはそういう、品格があるように感じます。


それは、だいぶ買い被りすぎですが、、そう言って頂けると、
寄付をして来た甲斐があります。ただ最近は此の最小金額
1千円の路線が無くなりつつあります。最小で2千円からとか、、
ですので。もう上げる事は困難ですね・・・・・・・・・。

また来て下さいね。よろしく・・・・・・・・。( ´∀`)
macaronteaparty
今日は。
仏教のお話と、あと、トラウマが脳に及ぼす影響を
すらすらと書かれて(過去記事とは言え)いることに驚きました。

kiyasumeさん、頭良いですよね。

私も数年前に、「身体はトラウマを記録する」って
米国の脳医学者が書いた本(の翻訳)を読みましたが、

ざっくりとしか覚えてません😅
トップダウンとボトムアップ、・・kiysumeさんは何か試されましたか?

私は、今侮辱を受け、人生を奪われてる身としては
なんだかまどろっこしく感じて・・
あまりそういう試みはしたことがありません。
でもたぶん、そうやって皆が言うことは正しいのでしょうけど。

kiyasumeさんが美術学校行ってたら、
どんな作品を創ったのでしょうね。

なんの分野に興味があったのですか?

音楽、絵画、彫刻、演劇?

そう言えば今日は、東日本大震災の日ですね・・・

あの当時は多くの芸能関係者が衝撃を受けていたのを
覚えています。


こちらのブログにもコメントをありがとうございます。
本当に嬉しいです。

kiyasumeさん、この記事で過去に
お金がないのに、アフリカの子供たちへの寄付を送った、って
書かれていて、そういうところがkiyasumeさんの良いところだと
改めて思いました。

ちょっと大袈裟かもしれませんが、「小公女」って小説が
あったじゃないですか。

どんなに落ちぶれても、礼節を忘れず、品格を忘れず、
弱い者、貧しい者への思いやりを忘れない・・・。

ちょっとそのことを、思い出しました。

kiyasumeさんにはそういう、品格があるように感じます。


お体お大事に。
また気が向いたら、好きなことをお書きになってください😊
kiyasume
びこさん書き込み有難う御座います、、
GACKT君は頭がいいのですよね、、

テレビでも格付けやらで頭のいい処は見せて居たけど、、
物事の道理をよくわかって居ますよ・・・・・・・。

また来て下さいね。それではまた。。。。。。( ◠‿◠ )
びこ
良いこと言っていますね。
kiyasume
びこさん、私が書いた話を為になる話と、、
知らない世界の話と言って貰って有難う御座いました。。。

今回の話は仏典を参考にして話して居ます、、
気に入って貰えて有難う御座いました。。。

今回もGACKT君の話を載せて置きます、、
良かったら観て見て下さいね。いい事をまた言って居ます。

https://www.youtube.com/watch?v=jkYfnXEbnRI

また来て下さいね、、、よろしく、、、、( ´∀`)
びこ
とっても為になるお話と私の知らない世界のお話を聞かせていただきました。
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