昨日は東京に久々の雪が降った。平地に雪が10センチぐらいは積もったのです。
東京23区では6日午後に大雪警報、首都圏各地で大雪注意報が発表された。東京都内で積雪6センチを観測。雪は帰宅時間にかけても降った。現在は降って居ない。今日7日は晴れるそうだ。
不鮮明ですが、アパートのベランダです。。。雪が積もって居ます。。。
==「コメント何でもいいので書き込んで下さいね。宜しくお願い致しますね。( ◠‿◠ )」==
アンプで鳴らしたバンドでのブルースハープの演奏。数曲まとめて入っています。
私は親父も嫌いだし親父の会社の従業員も大っ嫌いだった。親父は8人兄弟の3男坊だった。親父のお袋、おばあちゃんが亡くなった時に親父はこう言った。「子供を8人も産んでなぁ、、どこにそんな女がいるんだ....。」だからか、子供の頃に私が漫画の単行本を買うと。寄越せと言って裏表紙に私の名前をマジックで大きく書いた。私はその都度怒りまくって言った。「どこに漫画の単行本に自分の名前を書く人間がいるんだよぉ〜〜!!」そしてたまに顔を洗う時に食器を洗う洗剤で自分の顔を洗っていた。私は自分の父親がこうも常識を持っていない事に驚き。そして心から軽蔑していた。貧乏をするとその人間はどうしようもない人間に育つ。バカ親父は自分は明治大学を出たと言ってはいたが本当だったかどうか?母に寄るとちゃんと卒業式の夜に卒業証書を持って母の間借りしていた、4畳半の下宿にやって来て。母にちゃんと見せたとは言うが?ゆきかずが、ある日。私に、こう車の中で聞いた「お前は大学の卒業論文は何書いたんだ?大学なんか行っていないのだろう。嘘をつくなバカヤロー!!」
だから言った「ケインズとハイエクの歴史認識についての論文ですよ」そう言うと「ケインズとハイエク〜?」。だから私は「あれ、ゆきちゃん?ケインズの経済論とハイエクの経済論。そして2人の立場の違い知らないの?」そう言ってこう言った。「ケインズとハイエクは、一般にはそれぞれが景気対策としての財政・金融と言ったマクロ経済政策による市場への介入を是とするか否とするかを唱えて対立したライバルとみなされていますよね。またもう少し現代の主流派経済学に通じた言い方では、両者の相違は異時点間の資源配分にかんし合理的な選択を行うと言うミクロ的な基礎付けを無視するか直視するかと捉えられる事もある。さらには両者の資本理論と金融政策を知る人であれば、不況時に裁量的な金融緩和を認めるか金本位制のルールを厳守し企業の閉鎖も看過すべきかで対立したと言うかも知れない。けれどもそれらは両者の一時期の議論に焦点を当てた理解であったり、経済人の合理的選択と言う新古典派経済学に過度に引きつけた解釈である。俺が書いた事はそうした観点から、ケインズとハイエクがそれぞれ初期から晩年までにたどった思想的な挫折や転換といった経緯を辿り返し、そこから共通点と相違点をさぐり、「自由」をどう捉えたかを論じるものですよ。
ケインズとハイエクにとって、容認する「政府の大きさ」は副次的な問題でしょう?。両者には、不確実な将来に向けて貨幣を投資ないし消費しようとする意思決定をマクロで論じ、景気変動を裁量的な政策で平準化させようとしたケインズと、ミクロで扱おうとして市場経済だけでは自律性を論証出来ない事から慣習法の必要性を悟った後半生のハイエクと言う様に、市場経済をマクロで捉えるかミクロから理解するかと言う違いがある。ハイエクからすれば、「マクロ」を市場の分析単位とする事そのものが市場への介入の第一歩でしょう?。
彼らはともに将来を新古典派の様にリスクではなく不確実性で捉え、それゆえに物々交換ではなく貨幣が媒介する市場経済を考察した。貨幣で商品は買えるが、商品は必ず売れるとは限らない。将来に何が起きるか分からないと言う意味での不確実性が高まると、貨幣を売れるかどうか分からない商品と交換しようとする人が少なくなるのが「流動性の罠」であり、ケインズはそうした危機において政府が財政政策によって商品を購入すべきだとした。一方ハイエクは、金本位制、後には民間銀行が通貨を競争的に発行すると言うルールおよび慣習法のもとでは、そもそも流動性の罠は生じないとしたよね。両者は対立したと言うよりも、ケインズは市場経済を危機から、ハイエクは平時から分析したと言う解釈ですね。ケインズとハイエクは社会政策全般を様々に説いているが、それは以上の様な市場経済像を前提とするもので、そこから慣習と変化、政策と自由のあるべき組み合わせ方、すなわち保守主義・自由主義・民主主義を展望しているのですよ。」
するとゆきかずは何も言えなくて黙って仕舞った。彼奴はケインズとハイエクの論争も知らなかった見たいだ。私は大学でこう言うことを学んでそれを論文としたが。私は反対にゆきかずに聞いた「処で、ゆきちゃんはどんな論文書いたの?」すると「ケッ!!フン!!」と言って何も言えないのだ。彼は大学を本当に卒業しているのか?人の事をバカにして難癖つけても自分では何も語れないではないか?大体が会社の社員が。何故、よくて皆んな高校中退か夜間高校卒しか採用しないのだ。入社面接もいい加減だし。殆んどが中卒か小学校もろくに行っていない輩だ。それはゆきかずに学がないからだ。昔、一時期。大卒を数名雇ったが、殆んどの人から造反されて辞めて行かれた。何も私は自分に学があるとは思ってはいませんよ。ただ殆嫌だった。働いている時は・・・・。ある時にゆきかずに付いている橋本と言う小学校中退の男と一緒に車に乗った。ちょうど夏だった。そうしたらそいつがこう言い出した。「昔はよくアイス・キャンディー売りが来たものだよなぁ〜〜。アイス・キャンディー食べたいなぁ。〇〇ちゃん?アイス・キャンディー売り、最近。見掛けないな?」私は呆れて仕舞った。当時は、1980年代の初頭だ。「アイス・キャンディー売り」。とは昭和20年代から30年代の半ば頃まで自転車に箱を括り付けて。中にアイスキャンディーを入れて売っている行商人の事だ。昭和10年代から売っていたが。終戦後の昭和20年代から昭和30年代によく公園やら民家が密集している場所に売りに来たものだ。お年を増した人はご存知かと思いますが、若者は知らないでしょう....。
大正時代半ば、アイスクリームの工業化が始まります。それまでは、レストランでしか食べられなかったアイスクリームが、家庭でも食べられる様になり、さらにカップアイスの登場で普及に拍車がかかります。
昭和10年代には、自転車にアイスボックスを積んで売り歩くアイスクリーム売りが現われ、日本の夏の風物詩にもなりました。
【アイス・キャンディー】は、棒状の氷菓。
「アイス・キャンディー」は和製英語で、英語ではポプシクル (Popsicle) と言う。アイス・キャンデー、アイスバーとも。水、果汁、牛乳などに、砂糖などの甘味料、香料、着色料、固形の原料などを加えて、円筒形もしくは直方体の型に流し入れ、長軸方向の中央部で作る。木製またはプラスチック製の棒を差し入れて凍らせたもの。固形の原料としては、果肉、小豆、緑豆などが使われる場合が多い。凍らせたあとで、溶かしたチョコレートやアーモンドクリームなどに漬けて、表面を覆う場合もある。
棒には「あたり」「はずれ」の焼き印が押されたものもあり、「あたり」が出るともう一本アイスキャンディーが貰えると言う売り方がされる事もあった・・・。
まあ、最近の人は金魚売りやら風鈴売り。豆腐売りとか、飴細工売りとかが。自転車に積んで売りに来ていた事も知らないですよね・・・・・・。そして紙芝居。昔は、貸し本漫画家が紙芝居の絵を描いていましたよね。「水木しげる。」だとかね、、、
「風鈴売り」
「飴細工売り」
「金魚売り」
「紙芝居」
「豆腐売り」
最近流行って居る。「移動書店」、、
これも最近流行りの「移動カフェ」
そしてその橋本が言うのだ。「なぁ〜〜。アイス・キャンディー食べたいよなぁ?。コンビニで売ってると思うから買って来てくれや。」そして私に10円を渡すのだ。私は絶句した。今時、昔のアイス・キャンディーがコンビニで売っているとでも思っているのだから。その上、10円????。1本ですら買えないだろう?私は言った「もっちゃん、何考えているの?昔のアイス・キャンディーなんて今時売ってはいないよ?」と言うと。何だ、アイス・キャンディーは昔は赤いのだとか青いのだとか売っていたぞ?」と言うので「あのですねぇ・・・。今は昭和60年代ですよ。昭和20、30年代とは違いますよ?」と言ったら、「いいからアイス・キャンディーで、今売っているものを買って来てくれ....。」と言うので「それからですね。今時10円じゃ何も買えませんよ」するとこう言うのだ。「昔は、1本5円で買えたぞ!」だから怒り気味に言った。「今は1本100円はしますよ!!」そうしたら渋々200円を出して買って来いと言うのだ。私は是だから昔の人間は。と思いコンビニに行って、アイス・バーをミルクのものを2本購入して来て渡すと。私にも食べろと言って渡すのですよ。
私は「なんだかねぇ、、」と思いながら舐めていると自分も舐めていて「これは昔のものと味が違うけど、うまいよなぁ」と言って舐めている。そうしたら軽トラックの運転席でいい歳をした男が。アイス棒を2人して舐めているので対向車の運転手が皆んなして大笑いをしてすれ違って通って行くのですよ。それを見て橋本はこう言った「見てみろ彼奴らも食べたいんだぞ。アイスキャンディーを〜〜。」私は差別はしたくは無いが、貧乏育ちで学がまるで無い人間は。どうしようも無いと思って話を聞いていた。そして言うのだ自分の娘が絵が上手いと貼り出されたと。まだ小学生だ。そして言う。「おらさの娘の方が〇〇ちゃんより上手いぞ。断言する〇〇ちゃんなんて幾つ貼り出されたんだい〜〜!?」私はもうこんなバカと話もしたくも無いから黙っていたら、こう言うのだ。「うちの娘の絵は消防署に張り出されたんだぞ凄いだろう。〇〇ちゃんよりも凄くて立派だろう!!」そして言うのだ。「〇〇ちゃんはどこに貼らせて貰たんだい!!」「・・・・・・」「言えない所か?(笑)」「あのですね。俺は賞を貰いましたけど。」「消防署からか、学校の医務室からか?」私はもう嫌になったけど言った。「ああ、ニューヨークと、イタリアからね....。」
Savannah Woman (Remastered)
そしたら「え”っ!!」と言って要約黙った。その日は、丁度バンドをまだやっていたからライブが夕方からあって。「あの。今日はライブハウスに行くので早めに帰らせて下さい」と言ったら。「らいぶはうす???」と言うので「軽食やら客が食べたり飲んだりしながらバンド演奏を聞く所ですよ」と言ったら。「嘘も休み休み言え。そんな店は在る訳無いだろ!!」と言い切る。私はキレて仕舞い車の中で大声で怒鳴った!!「あるんだよ!!あんたが何も知らないだけだろ?東京中にあるよ!!」そう言ったら。「いや、おらさも知っているぞ。モンキーダンスを皆んなして踊るとこだろう!!」私はキレて殆嫌になった。「ゴーゴー喫茶」は1960年代の話だ。ぶん殴ってやりたくなって来た。私はその日。夕方5時に会社に帰ると、営業日誌も書かずに家に帰り。と言っても家は会社と一緒だからどうと言う事はないが。迎えに来たバンドのベーシストと共に、ギターケースを担いで道に出て歩き出したら、近所のあの悪ガキ時代から私が嫌っている。藤堂が道を歩いていて私を見て言うのだ。「なんだ。てめえなんぞが、ギター弾けるのかよ!!」私は黙って歩いていると言う「弾けるのなら此処で弾いて見ろや!!」私は黙って歩いたが追いかけて来て言うのだ。だから言ってやった。
「これはなエレキギターだよ!!」そう言うと「ケッ!!格好付けやがってチビの癖に!!」私は「どいつもこいつも皆殺しにしてやろうかバカどもが!!」と思ってスタジオに行くのに電車に乗った。その日は皆んな、ブルースには飽きていたので。ディープ・パープルとトミーボーリンの曲を演奏した。そしてこう言う事があった。スタジオで練習して皆んなで居酒屋チェーンの「村さ来」でおつまみとビールを飲んだのだが。私はビールは弱いのですよね。酔って仕舞って帰りに電車に乗ったのだが、どうやら終電で。客がその車両に私ともう一人しかいなかったものだから。酔いも手伝ってラジカセで演奏した曲をつい掛けて聴いて仕舞った。そうしたら前に座っていた男が微笑んで私に言った。「バンドのテープですか?」私が「あれ、すみません、、今止めますから....。」と言うと「いや聴かせて下さい。私も実はホルンやっているんですよ。」と言われた事があった。音楽やっている人は皆好意的だ。しかし昨日か。コンビニに食料買い出しに行ったら。身長187センチはある、長い長髪の男2人連れが、私の前から来てスノップに歩いてすれ違って行った。多分ヘビメタのロックバンドのミュージシャンだろう。歳は30代ぐらいに見えた。カッコイイなぁとは思ったが背が高すぎてどうもなぁと思った。私とは、ほぼ20センチは違う....。橋本が生きていたら「格好付けやがって!!」と。さぞかし僻んだ事だろう。何せ橋本の身長は148センチだったから、話は此処迄にしときます.....。話はまだ続きますが、なんだか薬の後遺症で眠いです。だから少し寝ます。此れだから何も出来ないんですよね。まあ、言ってもしょうがないか・・・・・。
今起きた。1時間半は寝ていた。私は変な話だが此処の処オナラが物凄く出る。今日は訪問看護師に言ったのだが「ガスが出るんだから良いじゃない」と惚けられた。全て薬の後遺症なんですよね。本当に嫌になる!!今日は、先ほど起きて駅前のATMまで行って来た。何故なら家賃を振り込んだのと。昨日届いた保証人会社の更新料と、家賃の更新料1月分と火災保険料で全て合わせて8万8千円を銀行に振り込んだからです。「保証人会社が通るかなぁ」と心配だったが、自動更新にしてくれていた見たいだ。2年分の更新料をコンビニから入金した。2万円です。不動産の更新料は家賃1ヶ月分5万円と火災保険料1万8千円の合わせて6万8千円です。ネックになっていたのは連帯保証人が持ち金が少なくて保証人会社が通るかどうかと言う事だったが、2年前に金が無くなったら障害持ちなので生活保護になりますからと言って置いたから。そう言う対応をしてくれたみたいだ。まだ生活保護は受けてはないけどね、、今年の暮れか来年の初めには生活保護になる。生活保護課に申告が通ればだが、その前に更新が出来て良かったです。感謝です。そして不動産に行って更新書類にハンコを押して来た。
今日の昼です、、喫茶店で、サンドイッチを食べました。サラダとポタージュスープとプリンとアイスコーヒ付きです。此れで780円です。。
正月に、弟がプリンスホテルで食事会を模様した時だ。あのバカ親父は当時、私はカカトが6センチあるブーツを履いていたのだが。親父は車の運転は止められていて。以前に車を運転するなと医者から止められていたのに「おりゃ〜〜。大丈夫だ。運転するんだ!!」と言って。母がいない私と二人っきりの時に運転をして車のけつを振って帰って来たから私が怒って家中のガラスのコップを叩き割ったらそれ踏んでバカ親父が怪我したと帰って来た母が言っていたが。私は怒り心頭だった。この時も皆んなして電車で行ったのだが。あのバカ親父は背が自分よりも私が大きく見えると言って「このバカヤロー。ブーツ脱いで来い」と怒鳴りまくった。私は「イイ加減にしろバカヤロ〜〜!!」と怒鳴った。そして駅に着くと「ブーツを脱いで見せろ!!」と言うのだ。私は黙っていた、そうしたら「こいつはなぁ、チビなんだ!!」と周りに聞こえる様に言う。私はこんなバカヤローはいないと思っていた。
そしてホテルに着いて姉さんたちがまだ来ていないので。ラウンジで待っていたら。あのバカ親父はおどおどしていて、「俺が見に行って来る」といなくなったが。すぐに帰って来て「遅いな〜〜!」と言っていたら。姉さんたちが要約やって来た。そして食事会が始まった、フランス料理のフルコースだ、弟が家族のために奮発してくれたのだ。私は弟に「お前、無理したんじゃないかこれ8万円ぐらいのコースだろう」と言うと。彼奴は微笑んでいた、しかしその直後。あのバカ親父は私の名を呼んで「喰え喰え喰え!!」と言いながら自分はフランス料理にむしゃぶりついた。私は嫌な光景だなと思って前菜を食べ出したら。いきなりバカ親父は顔を料理に突っ伏して気を失って仕舞った。私は冷静にその一部始終を見ていた。そして、私は大きな声でホテルの従業員に救急車を頼んだ。
そしてコーヒーを注文して飲んでいたら救急搬送の人たちが怪訝そうな顔をして、部屋に入って来たので。私が状況を説明しようとしたら「うるさい!黙れ!」と救急隊員の人から罵声を浴びせられた。そうしたら。あのバカ親父はひょっこり起き上がって、「なんだ皆んな、どうしたんだ、おりゃ寝てたんだ!!」と言った。救急隊員たちは怒りまくった。それはそうだろう元旦にフランス料理のフルコースを食べていて、気を失ったバカを見ているのだ。そうしたら、弟は下を向いて複雑な顔をして黙っていた。私が言った「弟は医者ですよ。私の隣に座っている兄貴も医者です」そう言ったら。要約、「なんだお医者さんの一家でしたか?」と言って低姿勢になった。「先生・・・。」と救急隊員の人が私に話し掛けるので「俺は違うだろ!!」と怒鳴った。
そうしたらあのバカ親父は「なんだ、なんだ?。おりゃ、寝ていただけだぞ???」と言う。私はこんなバカヤローは親でもなんでも無いとは思ったが。気落ちしている弟と姉さんたちが何も言えないので。母と2人で「気は戻ったけれども、一応病院まで搬送して下さい」と頼み込んだ。そして弟が乗り込んで搬送先の病院まで行った。あのバカのおかげで8万円の料理が全て台無しになった。皆んなして部屋を出ると会計はもう弟が前もってしてあったので家に帰って来た。2時間ぐらいしてから弟がタクシーであのバカを連れて帰って来た。医者の家系だと言ったら下にも置かれなかったそうだが。そうしたらあのバカ親父は腹が減ったと言うのだ、仕方が無いんで出前でラーメンを取った。帰って来てもあのバカ親父はまだ言っていた。「なんだ。おりゃ〜〜、眠っていただけなのに!!」おそらくは脳梗塞を起こし掛けたのだろうとは誰でも想像が付く。
ブラック・ナイト ディープ・パープル
それから親父のパチンコ狂いの日々が始まった。毎日会社が終わるとパチンコ屋に行くのだ。そして、店が閉店になるまで7時間いるのだ。初めは私に「おいATM で通帳から金下ろすのはどうしたら出来るんだ?」と聞いて来たが私は一切教えなかった。だからあのバカ親父は自分では金を下ろせないから、母から小遣いを貰っていたはずだ。そして金が無くなるとパチンコ屋で、隣の人が打っているのを被り付きで見ていて。仕舞いには「このクソジジイ。球でも欲しいのか!!。何時も何時も隣に来て見て居やがって。乞食野郎!!そんなに欲しければくれてやる!!」と言って数10発玉を貰うと、それをありがたがって使ってまた遊び。そして、それもなくなると床を張って。落ちている球を拾い、それでやって入ったと帰って来て私に得意げに言うのだ。そして帰って来ると会社のジャンバーを着込んでいるからタバコのヤニの匂いが凄まじい。私は怒って言った「あんたさ、このヤニの匂い何んだ。この大バカヤロー。肺癌に罹って死にてえのか。」そう怒鳴ると「おめえは何を言っているんだ。」と言うのですよ。だから私がまた「癌になりたいのかと言っているんだ!!」と言うと「ああ、俺はなぁ、親父が72歳で死んでるんだ。だから俺も生きても72歳だ!!」と言う。
そして私が当時は、放送大学の芸術論と心理学をテレビで観ていたが。すると。決まって観させない算段をワザとする。私の前でわざと夕刊を広げるのだ。そして言う「人間はなぁ、勉強は学生時代だけすれば良いんだ!あとは遊んで暮らすんだ!!」そして勝手に人が見ているのにスポーツ・ニュースにチャンネルを変えるのです。時間はもう12時を廻っている。そして当時は松井選手が評判で人気があったが。夜中になんか寝ていたら、何処かからスポーツ中継の放送が聞こえて来る。時間を見ると夜中の3時だ。私は父と母の寝室に行って見ると母は寝ているがバカ親父はいないのです。そして音が聞こえる方を辿って行くと。弟の留守にしている部屋で、BS放送のアメリカでの松井の大リーグの登板を見ている。そして松井が出て来るとこう言うのだ「ゴッジラが吠えるぞ〜!!」私は呆れて言った。「おい、親父!!ビデオに録画して置いて早朝見ればイイだろう!!」するとこう言うのだ。「バカヤローだな、てめえは、野球はな、その時見るものだ。」私はもうこんなバカは。どうなっても知らないと思って部屋に入り、鍵をかけて寝ていた。
それから数日経って。私は小さめの丸いメガネを購入して、それをかけて会社に出勤した。周りの社員たちは「そのメガネ洒落ていますね。ジョン・レノン見たいですね!!」と言ってくれたが。いきなりバカ親父がやって来て「なんだ?このちっこいメガネは。大体がお前は目つきがおかしいんだサングラスを掛けてろと言っているだろう!!」と。丸いメガネを手で払って叩き落とした。私は身体中から怒りが汲み上げて来た「この腐れ外道が!!」と言って親父をぶん殴っていた。そうしたら親父は言った。「大体がお情けで会社に入れて貰って於いて!。何だその態度は今日かぎり首だ!!出て失せろ!!お前何かいなくなれ、バカヤロー!!」私は前の日にギターを道路に叩きつけて壊していたから。もう辞め時だと思っていた。そして正式に会社には行かなくなった。母は認知症になり掛かって来ていた。大体が統合失調症だと親に言って、本も買って来て読んでくれと言っているのに。母も親父も読みはしなかった。そして倒れる様な薬を処方されて飲んでいるのに。会社で肉体労働をさせた。障害者年金だって貰えたはずなのに手続きもしなかった。障害者年金は10万は貰えたのだ。年金と合わせれば20万位にはなる。いやそれを少し超える額か?私は働いていて一時期は無理が祟って34kgも体重が減った事もあった、身内でさえ冷たいのだ。他人が誰が私を気遣ってくれる人がいるのだ。そして、家にいながら暮らしていたら。姉さんから電話が掛かって来た。
姪が結婚するとかで。その結婚式はハワイで行うとの事だった。処が問題があると言う。新郎の背が低いのだ、姪は身長が170センチはある。だからハイヒールを履くと176センチくらいにはなる。だから私がたまに履く。6センチのブーツがどこで売っているのか聞きたいと言うのだ。私は「だって男用のヒールのブーツだよ?」と言ったが「バカヤロー!!さっさと教えろ!!」と言うのですよ。私はそれよりもシークレット・シューズの方が良いのではないかと思い。ネットで調べていると「このクソバカヤロ〜〜。さっさとしやがれ!!」と怒鳴る。私が姪の旦那の身長を聞いても言わない。何センチぐらいだと聞いても言わないので。多分165センチぐらいだろうと思ったから5センチと7センチのシークレットシューズを紹介したら。「どこに行けば買えるか、ちゃんと教えろバカヤロ〜〜!!」と言われてマジギレしたくなったが。「銀座に「トールシューズ」と言うシークレット・シューズ専門店があるから。行ってみれば試着できると思うよ。それからネットからも購入する事が出来る見たいだね」と言ったら「ネットのアドレス教えろ!」と言う。私はそんな事ぐらい自分で調べる事が出来るだろうとは思ったが。アドレスを教えたら電話は黙って切れた。その後。姪は結婚したが一度も母と私の処に挨拶には来なかった。姪の旦那の姉さんは世界に名だたるバイオリストで。旦那は東大卒で資産家らしいが、どうやら礼儀を知らない連中らしい。
そうこうしていたら、言った通り。バカ親父が肺癌に罹った。自業自得だ。そして入院をした。母はカードで見られるテレビ付きの個室の病室を当てがったが。あのバカ親父はカードを1日5枚は使っていた様だ。毎日数時間テレビを見ていたのだ。ある日。バカ親父はオムツをしているのにトイレに行きたくなったと言い。身体中にさしてある管を抜いて自分でトイレに行こうとしたらしい。後から主治医と看護師から言われた「あんたの父親が何したか病室に行って聞いて見ろ!!」と、、その当時はバカ親父は2人部屋になっていた。病室に行くともう一人の入院患者が言っていた。「下の始末なんざ、看護婦がするのになぁ、、あの人はオムツも外して廊下でうんちと小便垂れ流して糞尿まみれになったんだよなぁ」私はかわいそうだなどとはとても思えなかった。どこまでバカなんだと思っただけだ。そして親父は肺癌と骨癌に罹り、病院から電話が掛かって来て。私と姉夫婦と弟が病院に呼ばれた。母はすでに認知症に罹っていて調子が悪くて寝ていた。そして担当医が言うのだ「もう手遅れ状態ですね、骨癌にも罹っているし肺炎にも罹っています。注射をしようと思うのだけども、すると死ぬ確率が高い。私はねぇ、患者から訴えられたくないんだ!!」そう言われ最後は安楽死を主治医から強要された....。弟は「あの医者、訴えてやる!!」と怒ったが「私が辞めて於と言った。お前も医者なんだから泥試合になるぞ」と言った。あんな手の掛かる末期癌の患者は早く始末すると言う事だ。医者は患者を治すとでも皆さん思っていますか。大抵の医者は患者は特に重症患者は最後は見殺しにするものなのですよ。
さあ、、バカ親父とも最後だ。私はなんかスッキリした気がしていた。ただ癌の末期患者が収容される部屋に入って。口を開けて目を閉じて身体にチューブが刺さっていて。一見意識がないであろう。。横たわっている親父の手を握り。「親父、、意識がない様に見えるけど、意識あるんだろう。あったら俺の手を握り返してみな」そう言うと。あのバカ親父は必死になって渾身の力で私の手を握り返して来た。そんな様子を見ていて弟が言った。「兄貴、金なら今1千万貯めた金がある。金なんてまた貯めれば良い。親父をもっと設備の整った良い病院に移して末期治療をさせる」と言ったが私が言った。「この人の運命が此れなんだよ。金はお前たちには子供がいるんだから大切に取って置きな。親父はもうダメなんだよ。散々周りに迷惑を掛けてくれて、、もう最後だな.....。」そう言っていたら。看護師が来て注射をした。そうしたら親父はかすれた声で何かを言ったが何を言ったかは聞き取れなかった。弟の嫁は泣いてくれたし弟も泣きそうになったが。私が泣かなかったから我慢したみたいだ。母はすでに認知症の毛が出始めていた。母も最後は立ち会ったが私があえて母を親父から遠ざけていたから。母は側で見てはいたが、よく臨終の際は解らなかったらしい。その後。母から私は言われた「お前のせいでお父さんと最後のお別れが出来なかったよ!!」そして母は重度の認知症になって行った......。今回はこのぐらいにして置きます。此処まで読んでくれて有難う御座いました。。。
『アイドルマスター シンデレラガールズ』の二宮飛鳥役をはじめ、多彩な役柄と光る個性でファンを魅了してきた声優・青木志貴さん。しかし、これまでの道のりは複雑極まるものでした。
いじめにあった学校時代、女性か男性かでさまよった性自認の苦悩、また、体型のコンプレックスから摂食障害になったことも…。でも、そのつらい経験のたびに、自分自身と向き合い、決して見捨てることなく、やりたいことを貫いてきました。そしてその結果、声優という自分にぴったりの職業にたどり着き、新たな役をつかみ、舞台やイベント出演など、どんどんと活躍の幅を広げています。
昨年、自身のYouTubeチャンネルで、性自認が男性であること、パンセクシュアルであることを公表し、大きな反響を呼びました。自分の考えを臆することなく語る姿が、ファンをはじめたくさんの人の共感を得ています。本書は、そんな青木さんの揺るぎないマインドがたっぷりと詰まった内容になっています。
収録内容
撮りおろし写真ページ16P
PART1 僕の生い立ち
PART2 本当の自分がわかってきた時代
PART3 声優というかけがえのない仕事
PART4 自分と向きあいやりたいことをやる
など
タイトル:わがままに生きろ。
著者:青木志貴
定価:(本体1,350円+税)
発売日:3月10日(水)
ISBN:978-4-04-680223-1
https://www.kadokawa.co.jp/product/322010000769/
著者プロフィール●青木志貴(あおきしき)
「アイドルマスター シンデレラガールズ」の二宮飛鳥役をはじめ、声優、モデル、タレントとして多方面で活動の他、YouTuberとしても注目を集めている。また、ゲーム配信も人気なコアゲーマーでもある。愛称は「魔王」・「eerie」など。