私は晩年の瑛九の点描画の実物をまとめて見たのは、これがはじめてだ。実に神々しい美しさに満ちた作品群であった。当日は、出先の鎌倉駅から横須賀駅まで三浦半島を横断する電車に乗ってみると、思ったよりも速く着いて、横須賀駅を降りたすぐ目の前に大きな空母の横腹が見えるのが物珍しい。観音崎までのバスは三十分くらいだが、平日だったので空いていた。
日本橋高島屋の北川健次展で手渡してもらった北川氏の書いた瑛九展についての文章に背中を押されて、「これは何としても見に行かなければ」と思ったのがよかった。例の日本の美術館の貧弱な購入費のせいで、新規購入のものはあまりないようだったが、フォトデッサンの良品がまとめて見られた。創作技法についての解説も行き届いていて、画家が使用した道具の実物も見られる良質の展覧会である。瑛九の油彩画は、掛けっぱなしにされないせいか、あまり褪色していない。宮崎県立美術館から多くの大作がもって来られていて、ありがたいことだった。
この展覧会は最近亡くなった久保貞次郎へのなによりの追善であろう。戦後の食べ物も何もない時期に瑛九の作品を買って、その制作を支えたのは、私たちだけだったと久保はその自伝に書いている。久保が収集していた瑛九の作品は、みんな町田の版画美術館あたりに行くのだろうと思っていたら、最近の古書系の販売カタログにかなり多くのものが掲載されていたので、相当な点数が市場に出たものとみえる。しかし、絵というものは、個人が日々の生活の間に賞玩するのが本筋であろうから、リトグラフやスケッチの全作品集が編まれる唯一のチャンスが失われたのは残念なことだけれども、あの世の画家は別に気にしないと言うかもしれない。
とにかくあの点描画は一見の価値がある。わたくしが存在する宇宙というもの、森羅万象のすべてのうごきが、画面にとらえられていると感じる。
日本橋高島屋の北川健次展で手渡してもらった北川氏の書いた瑛九展についての文章に背中を押されて、「これは何としても見に行かなければ」と思ったのがよかった。例の日本の美術館の貧弱な購入費のせいで、新規購入のものはあまりないようだったが、フォトデッサンの良品がまとめて見られた。創作技法についての解説も行き届いていて、画家が使用した道具の実物も見られる良質の展覧会である。瑛九の油彩画は、掛けっぱなしにされないせいか、あまり褪色していない。宮崎県立美術館から多くの大作がもって来られていて、ありがたいことだった。
この展覧会は最近亡くなった久保貞次郎へのなによりの追善であろう。戦後の食べ物も何もない時期に瑛九の作品を買って、その制作を支えたのは、私たちだけだったと久保はその自伝に書いている。久保が収集していた瑛九の作品は、みんな町田の版画美術館あたりに行くのだろうと思っていたら、最近の古書系の販売カタログにかなり多くのものが掲載されていたので、相当な点数が市場に出たものとみえる。しかし、絵というものは、個人が日々の生活の間に賞玩するのが本筋であろうから、リトグラフやスケッチの全作品集が編まれる唯一のチャンスが失われたのは残念なことだけれども、あの世の画家は別に気にしないと言うかもしれない。
とにかくあの点描画は一見の価値がある。わたくしが存在する宇宙というもの、森羅万象のすべてのうごきが、画面にとらえられていると感じる。