寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

障害を持って居た女の子(過去記事から抜粋連載です。もう一度読んで貰いたかった・・・・・。)

 

 

【流行解説】知らないと時代遅れ?2022年は何が流行る?パリミラノから解説するメンズファッショントレンド7選!

 

 

昨日は、洗濯機を直しにサービス・ステーションから修理人が来た。見て貰うと、動かない乾燥部分のスイッチを強く押せば、スイッチが入って動作が出来ると言う。少し反応は弱いが・・・。「乾燥スイッチの左側を強く押せば反応するから、修理どうしますか?」と言われたのだが、後々、そんな風だとスイッチの入りが甘くなって居るので、何時また調子が悪くなるか解らないので。「矢張り修理して下さい」と言った。修理代は幾らかと聞いたら18,370円だった。だから「構わないから修理して下さい」と言って修理をして貰ったら、スイッチを押したらすぐに反応する様になった。さて支払いはカードだ。クレジットカードを提出したら暗証番号を教えろと妙な事を言われた。

クレジットカードには裏に3桁の暗証番号が書かれて居る。それを言ったら4桁の番号です。カード作る時に暗証番号を考えて居るでしょう?と言うのだ。銀行の現金を下ろすカードでは無い?セゾンカードだ。私が「そんなものは決めて居ませんよ」と言ったら。「いや決めて居るはずだ」と言い張る。私も「決めては居ない。そのカードを読み取ればそれで支払いは完了するはずだ」と言い張ったら、じゃあ、名前を書いてくれと言うのだ。仕方がなく名前を書いたが。此の修理人はこの間電話を掛けた時もおかしな事を聞いて来た。「犬飼って居ませんよね?」と言うのだ。恐らくセゾンカード(クレジットカード)の仕組みが解らないのだろう。銀行の口座から引き落とすカードでは無いのだから。決めた暗証番号などは無い。そして仕事が済むとブスッとしながら帰って行った。まあ、洗濯機は直ったから良いのだが。おかしな話だった。

今日は前に古着で購入して居た、山本耀司氏のブランド「Ys.....。」から、購入して持って居た、ジャケットの袖が長いもので、短めにして貰いに洋服のリフォームの店に持って行ったが。何と良く観て見たら。ボタンが2つ割れて居た。
 
だって、今から、ほぼ30年ぐらい前のジャケットですから。店に「ボタンを変えてくれ」と言ったら「ボタンは自分で購入して下さい」との事なので、100円ショップまで買いに行くが。丁度いい大きさと黒い色のボタンが無い。だから付いて居るものよりも、一回り小さくて白い安物のボタンを計6個購入して来て、付いて居るボタンは外してそれに変えてくれと言って渡した。ボタン代に220円。そしてリフォーム代に3300円程掛かった。これで冬から春に掛けてはもう大丈夫です。用意万端整った。。。あとは私の嫌いな断捨離をして要らない洋服を始末しなければならないです。明日以降。元気が出たら、ぼちぼちやろうかと思って居ます。極力、無駄なもの着ない服はゴミ袋行きですね。捨てるしか無いですよ。コートとか小さめのジーパンはメルカリで売ろうと思って居ます。そうすれば押し入れが綺麗に片付きますよね。。。。
 
そして帰りに今日は、ホットケーキを食べて。そして、アイス・カフェオレを飲んで来た。しかしまた眠くて眩暈がして来たので。早々に食べて帰ろうと、レジで精算して表に出て歩いて居ると小雨が降って来たが。何とウエイトレスの女の子が走って後を追い掛けて来て、私に忘れ物の紙袋を渡してくれた。私は結構歩くスピードが早いので。その子は焦りながらも駆けて走って来てくれた。昨日の夜には、不思議な事があった。若い女の子が来たので、なんだと思って出て見たら。その子は可成りな美人で可愛かったのだが。歳の頃、27歳ぐらいか?私に「あの・・・・。私は、此間。牛乳の販売で来たものなんですけど・・・・」と言うので。すかさず私は「此間言った通りですから・・・」と言うと。何か黙って下向いて居るので、、何だろうと思い帰って貰ったが、、
 
よく考えたらマスクして居なかったし、様子が物売りに来たと言う風情が何も無かった。よくよく考えて見たらマスク外して、ドアの前に立って居たと言うのは、自分の顔を知って貰いたいからだろう?私は何か知らない間に、興味を持たれて居たらしいと。帰らせてからそう思った。今更モテ期か??????そんな事は無いだろうにねぇ、、あの子?一体何だったのだろうか?随分と美人で可愛かったなぁ、いかんいかん!!私は病身の身出し。大体が、もうジジィもいい処だ。なんかまた歳を大分若く見られて居たらしい。私は最近、やたらと自分でも「若いなぁ〜」と鏡見て思う時もある。その反面鏡を見て「うえ〜〜ジジイもいい処だなぁ....。」と思う時もある。睡眠をよく摂って居ると若返りますよ。若く見られたければ、睡眠をよく取りましょうね。。。。

 

 

  

障害を持った女の子の話と.....。

その話と。そして会社に居た人たちの話。あと同棲についての話そしてラジカセの話などです。では読んで見て下さいね。宜しく........。

 

『ある障害を持った女の子の話.....。』

今回はある障害を持った女性2人の事を話したくなりました。何時もは文をよく確かめるのですが今回は確かめずに投稿します。そのほうが良いと思って。したがって誤字などありましたら御注意願います。人は弱いものです。すぐ楽な方にと片寄って行ってしまう。今の時代。悪い事は蔓延して居ます。健康面も道徳面も、そして私は今女性が狙われて居る事に危機感を持って、よくニュースなどを観て居ます。ネットを見れば、どれもこれも悪い情報が蔓延って居ます。今回、話す話は以前にも話しました。しかし、今回はもう少し深く話して見ました。聞いてやって下さい。今回はその話とあと2つの話だけです。話の前に聴覚障害者の感動的なアニメを動画で紹介して置きます。

 

 

 

最初と最後にあるアニメの短い動画を入れて置きました。障害を持つ女の子といじめた男の子の高校生になってから再び出会った許しと再生の物語です。京都アニメーションの名作「聲の形」です。まずそちらからご覧下さい。

 

 

【MAD】聲の形「打ち上げ花火」 

 

映画 「聲の形」 紹介 - THE SHAPE OF VOICE - 

 

【MAD】Koe no Katachi - Koi wo Shita no wa (恋をしたのは) 

 

映画「聲の形」公開記念特番 ~映画「聲の形」ができるまで~ ロングバージョン 

 

 

こう言う話をある若い女の子から聞いた事がある。その子は京大を主席で卒業して居た。とにかく頭がいいのだ。しかしその子は精神を病んで居た。そして、その子が言うには本は買わないと言うのだ。私が「どうして?」と聞くと一度読めば全部頭の中に入って仕舞うと言うのだ。記憶してそして2度と忘れないと言う。一度読んだだけで、だから京大を主席で卒業したのだ。前にも書いたがその子は多重人格者だった。道を歩いて居ると突然、人格が入れ替わり。周りの人がびっくりして居るのは判るのだが、本来の自分はすぐに消えて仕舞い何も分からなくなると言うのだ。その子には3人の人格があり、そのうちには自分とは正反対の性格の乱暴だが陽気な人格と、8歳ぐらいの子供の人格があると言って居た。私は彼女を見守って居た。私なぞは頭が悪いから本を読んでもすぐに内容の事は忘れて仕舞う。だから、手元に本が無いと非常に困って仕舞うのですよ。だから、本は図書館で借りるのではなくて、なるだけ購入する事にして居る。最近では、あのホスト界の帝王のローランド君の自伝記も購入して居る程だ。ケア・マネジャーが夏に来た時に「これ、買ったんですかぁ〜」と呆れて居たが。確かに読んで見たら、彼はまだ若すぎて居て、内容は余りいいものでは無かったが。文体は彼のビックマウスにふさわしく。しかも丁寧な文体で面白くは読めた。そして彼の兄貴分と言われるGACKT君の本も2冊ほど購入した。読んで居て彼のセンスの良い文体と、緻密でずっしりと内容がある事に驚いた。彼は非常に苦労人で頭がいいのだ。

私のアパートの部屋は何せ狭い5畳半のお勝手に6畳間の和室に、風呂、トイレ別には付いて入るが、お勝手が幸いにも6畳近くあるので、本棚一つとカラーボックスに入れた本とCD,DVDが置けた。6畳間にも本棚が一つそれにDVDーRとDVDソフト、レコードが置いてある。書籍の冊数は900冊には一応はなる。まあ、本当に書籍を持って居る方から見れば、大した冊数では無いだろうが....。話はその子の事です。彼女は自分の病気と言うか障害だが。この事を悔やんで泣いて居るような子では無かった。本を買わない彼女が専門的な精神医学の分厚い医学書を取り寄せて、自分で自分の病について読んで分析し考えて居た。知識はおそらく相当にあったろうと思う。恐らくは普通の精神科医並みにだ。彼女が言って居たが。主治医に自分で自分の病の所見を口頭で述べたり。レポート用紙に書いて渡したりして居たと言う。

ある時は主治医よりも自分の見立ての方が正しかった事もある、と言って居た。私同様。彼女も障害のせいで兄弟からは見捨てられて居ると言って居た、弟は居るがもう何年も音沙汰が無いと言う。どうやら彼女はたまに伯母が来て、食事などの面倒は見てくれて居る事もあったが。殆んど一人切りで小型の犬を飼い。雨の日でも犬の散歩に出掛けたらしかった。何時もblogには彼女が食べる定番のメニュー。スパゲッティー・カルボナーラ。たらこ・スパゲティー。そして庶民的な焼き鳥屋での焼き鳥とビール。の写真が載って居た。彼女は慢性的に左腕が痛かった。曲げる事すら出来ず。麻薬性の強い貼り薬と痛み止めを飲んで居た。痛み止めが効くのは5時間が限度。そしてそれ以上は飲めない劇薬だった。彼女から聞いた話だが腕が余りにも痛いので京都の病院でそう言ったら、

「嘘ついてるんじゃないの?」と言われたと言って居た。私はその話を聞いて「なんて医者だろう」とは思ったが。私も主治医に受け居られるまでは、罵声を浴びせられて居たから気持ちはよく分かって聞いて居た。そして、彼女は精密検査になった。結果腫瘍が体の中に5つも出来て居る事が分かった。彼女は言って居た。前にもそんな事があってうつ伏せになって、手術をしたと言う。彼女は腫瘍のレントゲン写真を見せられて、自分でも医学書を読んで調べ始めた。そして、それから程なくして主治医から手術をすると言われた。腫瘍は全て悪性のものだった。癌だったのだ。彼女の腕が痛いのもそのせいだった。彼女は悩んだ。思えば自分が多重人格になったのは、両親が鉄道自殺で電車に飛び込んで轢かれたのを見たせいだった。彼女はそれ以来。人格が3つに分裂して多重人格になって仕舞ったのだ。

彼女は薬で私同様にフラフラになり、よく歩いて居て木にぶつかったり、ビルの壁にぶつかったりすると言って居た。そして彼女はそんな自分を鼓舞する様に、企業で働いて居た時に購入して居た、愛車に乗って病院通いをして居た。それから、なんと彼女は自分の病状をある企業に出向き明かして入社試験と面接を受けた。そして内定を取り付けたのだ。処が、主治医が許さなかった。彼女は1日4時間の契約で障害者枠で入ったのに。彼女は自分に最後の希望を保とうとして居たのだ。そして彼女は手術の3日ほど前になって突然blogはもう辞めると言って来た。私は何かが変だと直感した。彼女は主治医から「手術をしても無駄だろう」と言われたらしいのだ。私は彼女に無意識に言って居た「早まるな!!早まらないで!!」その翌日。彼女のblogにはベットに腰掛けて微笑んでいる美人の彼女の写真が貼ってあった。「今まで、有難う。」そうその下に書いてあった。それが彼女の精一杯のお別れの方法だった。彼女は亡くなり。blogは親族に寄って閉じられた。もう彼女はこの世には居ない。彼女の痕跡もどこにもない。ただ。京大の病院に彼女のカルテがあるだけだ。

人は強い人間など1人も居ない。どんなに悪党でもどんなに卑劣漢でも心の中には弱いが優しい部分を持って居るものだ。例え演技であろうと。この間、北朝鮮の金正恩が人民大会で私が不甲斐ないせいで人民には苦労を掛けて居ると泣いて居る映像が映って居た。私は松田聖子は嫌いだが。彼女が若い頃に、歌謡賞を獲った時にブリッコで泣いたが涙は出て居なかった。GACKT君と対談話になった時に、彼を単なるプレイボーイのバカと決め付けて、彼が「今度どこかに食事にでも行きましょうか?」とエスコートしたら。彼女はゲラゲラ笑い出して。「夜じゃなくて昼にねぇ〜」と彼を目一杯おちょくってバカにして居た。GACKT君は黙った侭だった。彼は聖子を先輩として立てたのだ。彼に取ってあんな女は嫌なはずだ。性根が腐って居る人間は治しようがない。幾ら誠意を見せても。此方の事はバカにしたきりだ。そしてそう言う人は大抵頭が悪い。頭が悪いとは勉強が出来ないと言う事とイコールではない。人間的にバカなのだ。私は今また。先ほど言った死んだ彼女の事を思い出して居る。彼女は精一杯生きたのだろうか、、激痛に耐えて自分の障害のある人生に耐えて。人から変人扱いをされて。しかし彼女は精一杯生きたのだと私はそう思いたい。辛い人生だったね。でも今は亡くなったお父さんお母さんと一緒に天国で暮らせて居るのだね。僕にはそれが唯一の救いだよ。

 

ヴァイオレットエヴァーガーデンMAD【ヴァイオレットと少佐が尊すぎて】 

 

それから、以前私は、障害を持って居る女性とまた話をして居た。彼女は脳出血で、寝たきりだ。彼女には優しい母親がいれば旦那さんも居る。私はよく彼女と障害について話して居た。彼女も私なんかよりも頭がいい。理系の大学を卒業して居る。脳出血になる前は趣味がバイオリンを弾く事だったと言う。私は彼女によく動画を掲示板に貼り付けてあげて居た。彼女は半身不随の上に耳が聞こえないのだ。私の彼女に対する夢はいつか耳が聞こえる様になった彼女に、下手だけども私がブルースハープを吹いて聞かせてあげる事だ。彼女に言ったら。一度聞いて見たいと言って居た。よく弱いものはダメだ彼らにあるのは馴れ合いしかない。この世は強いものが制すのだと言う人も居る。成る程そうだろう。世の中は弱肉強食だ。動物の世界だって弱いものから喰われて行く。その点。花はすごい存在だと思う。突風災害に遭っても咲き続けて人に安らぎを与えてくれる。花は何も言わない。そして何も見返りを求めては来ない。ただ美しく咲いて居るだけだ。

しかし彼女は最近になって掲示板を閉じて仕舞った。状態も悪い見たいです。私は陰ながら心配して居ます。勝手暗殺されたジョン・レノンは妻のヨーコ共々菜食主義者だった。内田裕也がアメリカに住んで居る彼の家に行って食事を出されて食べた処。彼は余りに食べて居るものが質素なので驚いたと言って居た。昨年はジョンの生誕80周年だった。生きて居ればもう80歳になる。時代は移り変わって行く。ジョンレノンさん。あなたが今から40年も前に言って居た、人種差別も戦争も無くなっては居ません。世紀は変わったけど、人間は愚かな侭ですよ。皆んないい人ほど先に行ってしまう。石原裕次郎、原田芳雄しかり。来ないだも、ロック・ギタリストの。エディー・ヴァン・へーレンが亡くなった。まだ65歳だった。喉頭癌だった。私は最近の若者たちに期待をして居る。特にミレニアル世代の優等生たちにだ。彼らは、何かやり遂げてくれるだろう。政治家も学者も哲学者も会社の社長も若い人材が輩出されて来て居る。時代はコロナと言う病が蔓延り出した。しかし近い将来何時かは克服されるだろう。ワクチンも出来た。人間の寿命の様に。コロナにも終わる時が何時かは必ず訪れる....。それまでの辛抱だ。さぁ、気合を入れるかな。私とてあと10数年は生きたいもの。この話は此処までにして置きます。此処まで付き合ってくれて有難う。。。

 

 
 
障害を持つ女の子を小学生時代にいじめた男の子が高校生になって再び出会い和解と再生。そしてお互いに惹かれあって行く,、京都アニメの名作アニメのダイジェスト  【MAD】アイネクライネ【聲の形】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
==「バカな人とは・・・」==
 

私は思うが、高校時代にろくな成績も取れずに、卒業して生きて来た様なおばさんは知能程度が低い。昔だが、私が明大前の床屋でカットして貰ったのだが、薬を飲んで居るせいで眼の淵が紫色になり、意識朦朧として駅まで歩いて行ったら。おばさんが私の方を向いて私をバカに仕切った顔をして笑みを浮かべて見て居た事があった。また、近所の京王ストアーに母が行って。薬局売り場のおばさんに「「赤チン」下さい」と言ったら。そのバカ女は「アラ〜〜。嫌だわ奥さん!!。アカチンだなんて、旦那さんのあそこが腫れてるのぉ〜〜」と言った大バカヤローババアが居た。「赤チン」とはメルブロミンの水溶液(メルブロミン液)は暗赤褐色の液体であり、商品名のマーキュロクロム液あるいは通称の赤チン(あかチン)として知られて居るのですよ。

通称の赤チンは「赤いヨードチンキ」の意味で、同じ殺菌・消毒の目的で使われる希ヨードチンキが茶色なのにたいして。本品の色が赤いことからつけられたのです。薬売り場にいて「赤チン」の意味を知らなかったのですよ。そう言う無知なおばさんたちが、この国には沢山居ます。明大前で私を見たおばさんは。私の外見上その風貌を見て「へっ!!こいつは頭がおかしい精神異常者だろバカか!!」と思ってバカにしたのでしょう。確かに私が母に読む様に購入した「精神分裂病の全て」と言う本には、「勉強が出来る人。要するに頭がいい人と勉強が出来ない人と比べると、頭がいい人の方が症状は軽く。また、小卒。中卒。高卒。大卒。大学院卒を比べると、高学歴者の方が病状を自分で把握出来るから余りおかしな行動は取らないし病状も普通だ。」と書いてあった。しかしこれには私は異論がある。

大学院を出て居る様な人間でもバカは沢山居る。言って見れば利口バカだ。勉強の知識は豊富にあるが人間的にバカな人が結構居る。知識を一杯知って居て、言えるから利口とは限らない。一見、皆んな学歴で相手を見て仕舞いがちだが、よくこう思う事は無いだろうか。「勉強が出来る人って言って居るけど。そう言う人ってなんか変だ。」と、昔、入院中に高学歴の男が2人居た。その片方がある独裁者が立てこもって居る家に、戦車にラジカセを積んで行って大音響でヘビメタのロックを掛けたら。その独裁者が「やめてくれ気が狂う」と言って出て来たと話して居たのだ。すると大学院を出たと言うもう一人の男が「それはそうだ、ヘビメタなんかの気狂い音楽を、聴かされたら誰でもそうなる」と話して居たのだ。私はこいつら学があるとか言ってるけど飛んだ大バカ者たちだなと思って聞いて居た。人は勿論勉強も大切だが(こう言う事は勉強をして来なかった私が言ってもシャレにもならないけど)一番大切なのは人に対する真心だそして誠実さだと思う。現に私が入院して居た病室にも。大学院出身の患者が居たが。とても利口とは言えなかったし。病状も悪かった。例えば、大学教授が卒論やら博士号の論文が書かれた、原稿用紙やらレポートをよく机への中に放り込んで鍵を掛けて、ろくに見もしない事がある。そう言う事がしばしばある。何故ならその学生がお金を持って来るのを待って居るのだ。

私の義理の兄もやられた。教授に提出したら、それっきり見ようともしなかったそうだ。だから論文がダメなんだろうと、それから3回も書き直して持って行ったが、全て机の引き出しに入れて鍵を掛けて一度も見ないのだそうだ。それで考えた末に姉がその教授の御宅に伺い300万を入れた袋を渡すと。その教授は、「よしよし、要約分かったかね、、」と言って。義理の兄は論文が通り博士号が取れたそうだ。教育者?私は反吐が出る!!。弟もまた多分そうだったのだろうと思う。あいつは私になりすまして銀行に行き私の通帳から200万を引き出した。多分教授に渡す金だったんだろう。政治家だって何だって世の中は皆んな金で廻って居る。だから私の様な者は生きられない。金が無いのだから。此れを読んで居て自身が「自分は勉強が出来ない」と言う人が居たら言いたい。何も勉強が出来なくても教養は本を読めば身に付きます。本をよく読みましょう。買えなくても図書館に行けば幾らでも置いてあり。借りる事もそこで読む事も出来ます。それから自分は美人じゃ無いと思って居る女の子へ。男は確かに顔に惚れる人も居るけど。殆んどの男がその子の優しさ誠実な可愛い心に惚れるのですよ。だから美人じゃ無いからと言って気にしないでね。優しい女らしさを磨いて下さい...。

 

===「2人の貧乏人」===

私の会社には、小学校もまともに行って居ない男。仮にHと言おう。そして中学中退の男。仮にPとするこの2人は、ほぼ同時に会社に入社して来た。Hは身長が148cmしかなく体重は90kgあった。反対にPは身長が186cmはあったが。体重は53kgしか無かった。二人ともそれまで勤めて居たのはHは駄菓子屋の工場で駄菓子職人に弟子入りして働いて居て。Pは行商人をして居たと言う。二人は社宅のうちの実家の4畳半に寝泊まりして働いて居た。丁度、私は幼稚園児でよく昭和30年代はジュースと言ってもジュースの素の粉末があってオレンジジュースだとしたらオレンジの粉末の素を水に解いて飲むものしかなかったのだが。それでもジュースはジュースだった。詳しく言うと粉末ジュース(ソーダ、)は、日邦製菓から販売されて居た粉末ジュースで。発売当時は5~10円で購入する事が出来た。

(現在は終売して居ます)

粉末ジュースは、今では殆んど飲まれなくなったが、粉末の状態で販売され、水に溶くと清涼飲料水になる商品の俗称です。1950年~1960年代に掛け人気があり、数多くのメーカーが取り扱って居た為、粉末ジュースは駄菓子屋に行くと必ず販売されており、子供達に取っては低価格でジュースが飲める人気の製品だった。しかし、人工甘味料(チクロ)が人体にもたらす悪影響が社会問題化して使用禁止となった。殆んどのメーカーが粉末ジュースから撤退して行った。今では松山製菓だけが販売しています。そして幼稚園児だった私が外でコップに入れて飲んで居ると。必ずHがやって来て貸せと言って半分は飲んで仕舞うのだった。私が幼稚園で風邪を引いて帰らされる時に必ずHが向かいに来た。

そしてミゼットに乗せると運転をして、私を自宅まで届けるのだが。私がものを一言でも言おうとすると「うるさい!!ガキは黙って居ろ!!」と怒鳴られた。そして食堂で皆んなしてご飯を食べるのだが。二人とも大口を開けてご飯をこれでもかと口一杯に押し込んで食べて居た。そしてこの事は前に書いたが。Pは食卓にウスターソースとか醤油が置いてあると、それをジャボジャボご飯に掛けて食べて居た。そうやって食べるのが当たり前の様に振る舞うので、母が怒ってソースやら醤油を取り上げて怒ると「奥さんは何故怒こるんだろうか?」と言う始末だった。貧しい漁村で育ったPは、貧しすぎて。毎回食事のおかずが無かった。食べられなかったのだ。食べられたのは塩で握った握り飯だけだった。だから握り飯も食べられない時にはご飯に直にソースやら醤油を掛けて食べていた。それがおかずだったのだ。Hはご飯の大盛りを自分で装って5杯は食べた。母は毎回怒って言って居るのだが、この2人は何も聞いて居ない様だった。

 

昭和30年代に走って居た。ミゼットの写真。

 しかしHは私が会社に入社して。私が車に乗ると大抵は埼玉まで行くのだが。得意先が埼玉のケーキ屋とかスーパーの中にあるパン屋だからだけども。そして食事は毎回「山田うどん」を食べた。「山田うどん」は安いし確かに美味しい。築地に行った時には珍しく私に刺身定食を食べさしてくれた。Pと乗ると大抵、高速の脇にライトバンを停めて寝て仕舞った。私はトイレにも行けず。道路の端なので横に停めてある車から歩いて。高速を降りてパーキング・エリアまで行って缶コーヒーを飲んだものだった。彼の口癖は「ちょうちゅね〜」でよく得意先からバカにされて居た。職人が彼に大皮肉を言うのだ。ある時には「Pさんは学歴無いから。『ちょうちゅね〜』としか言えねえんだろ?」と私が居る前で大笑いをされて居た。彼は、何時も私の実家の1階が会社だった頃に。私の自宅の脇に道があり。そこに車を止めて、昼になると、うたた寝をして居て。

私が休みだから中古レコードやら中古ビデオテープを買って、袋に入れてその車の横を通ろうとするとガバッと起きて「〇〇ちゃん!何買って来たの!!」と言うが早いか袋をもぎり取り。勝手に袋を開き中古レコードやらビデオソフトを取り出し。「此れが蓄音機に掛けてゴーゴー踊るやつだろう?」と時代錯誤な事しか言えない。私は「勝手に見ないで下さいよ!!」と何時も怒って居た。ある日だが私がPさんと帰って来て。業務日誌を付けて居たら。突然「俺を!!バカにしてるとしか思えないよ!!」と言って。ヤカンに入って居るお茶を私の業務日誌のノートに掛けてびしょびしょにして仕舞った。私は怒ろうとしたが。皆んなは無視をして居た。親御さんが亡くなって親父と母が葬式に行って見たら、畳がなくて、板張りの上にゴザが敷いてあったそうだが。結局Pさんは最終的には、会社が嫌になり50歳ぐらいになって卵屋を始めると言い出したのだが、まず片眼が見えなくなり潰れて。姉の旦那が眼科医だったから見て居たのだが、医療費が払えずに居て、、義理の兄はそれでも診て居たのですが、その後もう片方も失明しました。

育つ過程で栄養不足だったのですよね。

人には色々と事情があります。いま。その人はどうして居るか解りません。
会社は辞めましたから、、、、

 Hに付いては、色々言いたい事は、もう今まで散々言って居るので。此処ではもう言わないが。彼も、人が食べて居る食事を「オラさが食ってやる〜〜!!」と言っては食べたり。人が飲んで居る缶コーヒーを飲んだりして居た為か、筋萎縮性側索硬化症と言う難病に掛り死んで行った。ただ、この男は死ぬ時が解って居たのか、3千万円の保険金が貰える生命保険に入って、死んでも家族には3千万を残した。

 まあ、貧しいと言う事はろくな事にはならない。この文章を書いて居る私も。あとほぼ5ヶ月位で、金は尽きる。さあ、生活保護が通らなかったら死ぬしか無い。誰も助けてはくれませんからね。世の中とはそんなものだ。私はもう何も期待はして居ない。所詮、障害者。精神障害者は見殺しにされるのです。

 

 

 ==「同棲に付いて」==(過去記事から引用です)

結婚前に同棲するのがいいのかどうか、今でも議論が分かれて居る。「独身脱出」を優先する立場は同棲すると幻想が崩れるからNG、他方、結婚後の「結婚生活」を重視する立場はむしろ結婚前のすり合わせをベターとする。結婚観の違いが同棲観にも反映して居る訳だ。以下は佐藤信: 東京大学先端科学技術研究センター助教の書いた本から抜粋し少しだけ加筆して居ます。

『日本婚活思想史序説』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

しかし、これらの立場に共通しているのは結婚からバックキャストして同棲を捉えている点だ。よりよい結婚に結び付くかどうかで同棲の善しあしが決せられる。

かつてはそんな事はなかった。若者はもっと無鉄砲で恋愛の先に同棲を捉え、そこから先がむしろ隔絶して居た。戦後日本の同棲について最も有名な歌はかぐや姫の「神田川」(1973年)だろう。

この時代には林静一の漫画「赤色エレジー」やら上村一夫の漫画『同棲時代』も話題になり、、評論家の四方田犬彦も「若いカップルの同棲がいたるところで目に付く事になった」と書いて居る(『歳月の鉛』)。知らない世代の読者のために記しておけば、この「神田川」と言う歌は神田川を見下ろす「三畳一間の小さな下宿」、当然風呂は付いていなくて銭湯へ通う、そんな同棲生活を懐かしむものだ。

このストーリーは、作詞の喜多條忠の学生時代の体験を基にして居ると言うから、1947年生まれの喜多條が早稲田大学を中退するまでの60年代後半、1965年の日韓条約批准への反対運動から大学紛争へと学生運動が高揚していく時代の風景がモデルになって居る。

紛争の時代。とくに日大なんかそうだった訳だけれど、私大の紛争の前提には学生数の爆発的増大があった。その多くはもちろん地方から上京してくる若者たちだ。彼らは安い下宿を借りて、働きながら大学へ通うか、もしくは通わずにジャズ喫茶でキザに本を読む。もしくは喜多條のようにパチンコを打って、親からの仕送りをパーにする。紛争の時代は下宿の時代でもある。

 

 

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人文地理学者の中澤高志が言うように、親の家に住む(パラサイトする)未婚者は、いくら成人して居ても、親が定めた住まい方のルールに従う「子ども」でありつづける事になる(由井義通編著『女性就業と生活空間』。

だからこそ、実家を出る事は自立の為の大きな一歩だ。東京では60年代から一人世帯が急増しており(一人世帯の増加は全国的傾向ではあったが、それと比較しても2倍ほどの割合だった)、下宿はそうした一人世帯の増加を引き受けたのだった。

だが、その下宿の時代も70年代前半には下降傾向に入る。寄宿舎・下宿屋の数で見ると、70年代前半をピークに数は減って行くし、住宅総数との比率で見るとピークはもう少し前に存在して居る。とにかくそれから下宿の数は右肩下がりに下がって行くのだ。「神田川」が若干の郷愁を誘いながらも、若い人々にもよく理解されたのは、70年代前半がまさにこの転換期だったからにほかならない。私の家も下宿屋をして居たが。1975年頃にもなるともう学生はあまり入って来なくなった。それに安い風呂とお勝手付きの賃貸アパートが多く出来て来たのだ。

夢の同棲

この下宿こそが若い男女2人の慎ましやかな同棲を準備する。喜多條の当時の詩に「ふたり」と言うのがある。

今日のあらゆる喧噪から離れて
今はあくまでふたりであろうとする
あしたはスープをつくろっと
おいしいスープを
みち子は冷蔵庫を開けながら
微笑する
僕はそれを横目で見て
美しいと思う
(「ふたり」『神田川』1974年)

 

 

 

 

「喧噪」とは学生運動のこと。詩の最後には「今日は一つの学校が潰れた日/此処まで滅びさせた奴らだけが/再建だ入試だとほざいた日だ」とある。彼にとっての下宿とは、そうした闘いから逃避する場所にほかならなかった。

冷蔵庫があるくらいだから、生活も決して貧しい訳じゃなかったんだろう。彼は、大学を出てからも同じ様な同棲をしたいと夢見て居る。

ときどきふっと淋しい気持に落ちて行く。隔絶した両親、厚い壁のできたR、近いが手を握れないH、そしてみち子までが、僕から遠ざかってしまう時がある。僕はあわててみち子との「壁が四方にある部屋のなか」での楽しい生活を夢見る。
(「5/December」『神田川』)

その個室は外界からの避難所であるだけではなく、淋しさを埋める場所でもある。温かさが漏れ出さないために四方はしっかりと囲まれて居なければならない。コンクリートで囲まれた団地の住居に比べるとずいぶん守備力は落ちるとは言え、彼にとっての木造アパートは「2人の城」だったのだ。

もっとも、その「2人の城」を手に入れる事は簡単ではなかった。同棲生活の象徴の様に扱われる「神田川」でも、彼/彼女は二人とも大阪の人で、上京して居るのは喜多條だけだから、同棲が実現したのは彼女が一時的に上京したほんのわずかな時間だけだ。まして実家暮らしの都会出身者にとっては同棲など夢のまた夢。だからこそ、三畳一間での同棲が憧憬と郷愁をもって語られるのだ。

現在でも上京した若者に取って同棲は憧れの的だろう。とは言え、今も昔もそれは将来への展望を欠いたものとなりがちだ。木造アパートでの彼女との貧乏同棲生活を続けて行く事を夢見ていた喜多條自身、母親から「あんたが結婚するまでお父さんが生きて居たら、家の建て売り一軒くらいはプレゼントする」と言われた瞬間、将来の生活のイメージがガラガラと変わって行く。

僕は今まで心に描いて居た、彼女との四畳半一間の天井にシミのついた家から、木の匂いがして、窓から庭の植木の見える二人だけの壁のある部屋へと、イメージチェンジして行く[…]寒さに凍え、縮まる事もなく、空腹故の心の絶望的なまでの苛立ちや、今までの、今の、そして明日からの見通しのないさめた顔を見つめ合う時も持たずに、その代わりに、温かい湯気の向こうからみち子の顔がうっすらと見え、僕は柔らかな音楽と甘い視線のなかで「生きている安定」を噛みしめる。
(「20/December」『神田川』)

貧乏同棲の魅力が潮引けば、同棲の外側で共同生活を伴わない恋愛が追求される様になる。事実、非親族世帯(2人以上の世帯で、世帯主の親族がその世帯内に居ない)の割合は1970年代後半から1980年にかけて大きく落ち込んで居る。

しぜんと、同棲を実現しやすい一人暮らしより、金銭的に余裕が出来る実家暮らしが尊ばれる様になる。1988年の『ポパイ』に「結論ひとり暮しはモテる!」(9月7日号)と言う特集が打たれたのは、それ自体がすでに「ひとり暮らしはモテない」というイメージが固着して居た事の表れだろう。

この間、「婚活」の原型とも言うべき現象を作った1983年創刊の雑誌『結婚潮流』も創刊後すぐに同棲に反発する特集を打って居る。それは結婚と結び付けて同棲を否定するものと言うより(処女性との関連でそうした議論をしたものはあったが)、むしろ恋愛からそのままなだれ込む同棲を無批判に賛美する事に疑問符をつけるものだった。そして、同棲とは離れた恋愛が追求される。

どうやら私たちがいま慣れ親しんで居る、結婚からバックキャストして考える同棲の日本での源泉は、このあたりにありそうだ。

「前奏曲」としての同棲

結婚の前駆として同棲を捉える事は、なにも日本に特有の現象ではない。欧米では若者における同棲が結婚の「前奏曲」(プレリュード)として機能することが増えていると指摘されて居る

例えば、スウェーデンのサムボという同棲を法的に保証する制度を見て見よう。35~44歳のカップルについて見ると、法律婚カップルの9割はサムボを経験して居る。それらの結婚に至る年数は3年以内が半分程度となって居て、確かに結婚の試験期間として機能して居る事が分かる。

同棲は結婚を準備するだけでなく、出生率や子どもの厚生にも貢献しうる。例えばアメリカでは、4割の子どもが未婚の母の下に生まれる。さらに、ある推計によれば、未婚の母の4割は子どもが12歳になるまでに同棲を経験し、さらにその割合は全児童の5割近くにまで上昇すると見込まれて居る

一般的に同棲の下にある子どもはシングルマザーの下の子どもに比べて社会的にも経済的にも生活の安定性が高いから、安定的な同棲を促進する事は、出生率改善や次世代の厚生にも繋がりうるのである。

実際、同棲は出生率、しかも計画的な妊娠を促進すると言われて居る

勿論、日本で突然同棲カップルが増えると言う事は考えにくいし、まして子どもを産むのは結婚してからと言う固定観念の強い中、突然に婚外子の出生が増える事はないだろう。

それでも、此処で論じたとおり日本社会の中でも同棲の意味づけは大きく変化して来た。此れからも若者たちが同棲をどの様に捉え、実際に同棲するかは変化して行くだろうし、そんな極めて「私」的に思われる事は、実は日本社会の恋愛観や結婚観や、出生率と言った「公」的な問題とも絡み合って居るのである。とこの本では言って居る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
ただ最後に一言言いたいが。日本ではまだ結婚相手の「処女性」を重視する傾向がある。だから美容整形などで、それまで散々男と遊んで来た様な、若い女性が見合いなどで結婚が決まり。処女膜を再生する手術を受ける事があると亡くなった医師だった弟から聞いた事がある。しかし私は同棲を嫌っては居ない。先ほども書いた様に結婚を前提として同棲して見ると言うのはいいのでは無いかと思うし、日本人が特に歳を行った男が気にする「処女性」の事だが。昔ある女性の陸上の運動選手が言って居たが。「男性は偏見を持って居るけど。激しい運動をすると「処女膜」は簡単に破れる事がありますよ。」と言って居たのを覚えて居る。私は好きになって本気で愛した女性ならば処女かどうかなどとは考えないし。男性経験が有ったって、その女性の過去を気にしない。その時にお互いが好きになり愛し合い信頼しあって居ればそれでいい。本当の愛とはそう言うものだと思う。ただ、同棲して居る女性が、だらしがない場合はゴメン被りたいけどね。誰だってそうでしょう。男ならばね。。。。

 

 

 

あがた森魚 赤色エレジー 

神田川 南こうせつ と かぐや姫 

尾崎紀世彦 また逢う日まで

ぼくたちの失敗/森田童子 

同棲時代 大信田礼子 【cover】 

 

 

ついに昨年に購入しました。念願のTEACのAD-850。買って正解です。カセットテープの音が凄く良く再生出来ます。矢張りラジカセよりもカセットデッキですね。しかし、去年の暮れに一度壊れて修理に出しましたが。今は正常によく動いて居ます。これでTSUTAYAからCDをレンタルしてカセットテープに録音して居ます。安心して録音出来ますよ。。。購入するのに躊躇いましたが、値段が3万1千7百70円でしたから。しかし矢張りオーディオ機器は金をケチったら行けませんね。前に、購入した大型のラジカセが完全に無駄に成りましたが.....矢張り音はいい音で聴きたいですね。。。だから、ラジカセは。昨年の夏に購入したCDラジカセTY-AK1のみで使います。このラジカセは物凄い、いい音がしますよ。重低音が出ますので。ラジカセ探して居る方にはお薦めですね。大型ラジカセ(Boom・Box)はまだ完全にカセットテープが聴けなくなった訳でもなく。ラジオはいい音で聴けるので。壊れるまで使いますけどもね。しかし、こんな事なら初めからこのADー850を購入して置けば良かった。でも、もうこれでカセットはケリが付きました。。。そう思って居たら、クラウドファンティングで資金を集めて居た。CICONIAのクラシカルラジカセ、TY2111を見つけてしまった。どうしようか散々悩んだが、これで本当の最後のラジカセだと思い購入してしまった。今、聞いて居るが低音は重低音とはいかないが程々出て居る。此のタイプのラジカセだとしたらこんなものだと思います。

 

 

プリメインアンプは DENON CDレシーバー  RCD-41-Kに繋げて使って居ます。このレシーバーにはCDプレーヤーも標準装備だが。TEACのAD-850にも、CDプレイーヤーは装備されているので2つになったが、カセットデッキの方に装備されて居るものは、主にカセットテープへのCDダビング用に使って居たのですが、最近CDレシーバーのCDトレイが出て来なくなったので。最近はこのカセットデッキ付属のCDプレイヤーか、CDラジカセでCDを聴いて居ます。これで念願は叶ったです。。。。

 

 

 

タワーレコード渋谷店 フロアガイド 

驚異の品揃え!タワレコ渋谷で自腹CD選び!! 

 The Vinyl Guide - Disk Union, MASSIVE Record Shop, Shinjuku Tokyo Japan Pt 1 Main store, new Rock, W 

3 26 disk union 
 
ギョーカイ通信 アナログレコード業界「HMV record shop 新宿ALTA」 ブーム再来の理由は? [モーニングCROSS] 

 

今回は此処までです。読んでくれてありがとう。また記事が書けたらアップするかとは思いますが、、何遍も言う様に調子が悪い物でして、今回も必死でblogを挙げました。それではまた。。。。。

 

コメント一覧

kiyasume
まかろんさん、引き続き励ましの言葉有難う御座います。。。

まあ、 NPO法人の方が一緒に行って下さると言う事なので、、
まあ、一安心はして居るのですが、、生活保護課は一人で行くと
大抵、水際作戦で追い返されると評判なので・・・・・・・・・。

持ち金はもう5ヶ月分しかないのでして、、本当に弱って居ます。
応援、本当に有難う御座いました。。。。また来て下さいね、、

それでは、また。( ´∀`)
kiyasume
まかろんさん、書き込みどうも有難う御座いました、、

自分の為では無く人の為に作品を書く、、
立派な事です。たとえお金を貰えなくても

依頼があるのだから(もしくは応募した)
胸を張っていいと思いますよ。。。( ◠‿◠ )

私はてっきり、まかろんさんはプロの物書きだと思って居ました、、
その依頼が、引き続き受けられて依頼がまた来るといいですね。。。。

それから、今回の私のblog記事を褒めて頂いて、、
有難う御座いました。今回は仏典を参考にして居ます。

まかろんさん、頑張って下さいね。。。。

ちなみに、此の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の原作者の
暁可奈さんは50歳近くになって此の作品を書きました。
彼女にとっては初めての小説でした・・・・・・・・。

制作アニメ会社の京アニの小説大賞で「最優秀大賞」を受賞しました。
後にも先にも此の作品だけだそうです。「最優秀大賞」は、、
だからまかろんさんも頑張って下さいね・・・・・・・。( ´∀`)

https://www.youtube.com/watch?v=V78KWZgluEI

取り止めの無い事を書いて仕舞いまして申し訳ない。
また来て下さいね。よろしく。。。。。(๑>◡<๑)
macaronteaparty
生活保護のこと、NPOの支援団体の方が
一緒に来てくださるのですよね。

kiyasumeさんがどれほど必要としているか
誰よりもきちんと分かっておいででしょうから、
きっと一緒に頑張ってくれますよ。

ファイト、支援団体の人とkiyasumeさん!

これくらいしか言えなくて、ごめんなさい。😣
macaronteaparty
kiyasumeさん、丁寧な返信と
当方ブログにも励ましの?動画お勧めをありがとうございました💕

お気持ちが嬉しかったです。

新しい記事も拝見しました。
濃密な内容だったので、感想をまとめるにも時間がかかりそうです。
それくらい濃密な内容で、驚かされました。

ここまで思考ができる方が
生活保護の申請をしなければならない、というのが
なんというか・・ 世界のミスマッチを感じてなりません。


で、ごめんなさい、私はプロの作家ではないんです。
そうなれたらいいなとは思いますが。
それをちゃんとお伝えしとかなきゃ、と思ってコメントしています。


私はある会社の事務員で生計を立てている身でして、
昇給も昇進も見込めない立場に追いやられています。

生まれてこのかた、幼稚園の頃からうまく人生を生きることができません。
(そして幼稚園の頃か、その前から父親に殴られてきました)

kiyasumeさんは、それぞれの人生ステージでそれなりに
人との交流があったと思いますが、

私はなぜか・・何をしても社会とつながらないのです。


17年前に人生を変えなきゃと思い、あれこれ講習に行ったりして
12年前くらいに、詩を書き始めました。

それがだんだん、もっと人の苦しみを掬いあげたい、と
長くなって、小説に至りました。

今月締め切りの「仕事」というのは本当ですが、
今回だけのお付き合いで終わる可能性が高いものです。
(次につながることを願ってはいるのですが)

今月中にあと2つ、せめて1つ作品を書きたいなと思っていますが、
それは完全に、なんの依頼でもない、自分のノルマです。


世間の「お仕事」でもなく、お金を得られるわけでもないのに、
なぜプロみたいな偉そうな、自分を追い詰めてます発言をするんだ、
と思われるかもしれませんが、


・・私は、自分が苦しいから、人生が上手くいかないから、
だから同じように、なぜか上手くいかない人、
あるいは、傷つけられている人、苦しい人を助けたいと思うのです。

だから世間的には、お金を頂けてる立場でなくても、
できれば世界すべての、悲しい人・苦しい人に作用できる作品が
書けるようになりたいです。

できればそれが社会的活動・経済行動に結びつけば
より多くの人に届けられるようになるので、
なお、有り難いのですが(お金が欲しいというのは欲深の話ではないです、人の労働をタダで使おうという考えに、私は虐待体験者として反対します)


ともあれ、私は物語を書くとき、
とりわけそれが重いテーマのとき(昨年冬からのはもう少し軽い試みですが)、世界中の苦しみを思います。

スラムの人たち、虐待から逃げられない人たち、ウクライナのような
世界の悪虐に襲われている人たち、

その人たちに役立つのか、お前の示すものは?と思います。


これは嘘ではなくて・・だからつい、kiyasumeさんに
この人プロなのかな?と勘違いさせるようなことを書いてしまって
気恥ずかしく思っております。


新しい記事には、本当に感銘を受けました。
またコメントしたいと思います。

お体お大事に🌸
kiyasume
まかろんさん、書き込み有難う御座います、、

そうですよね、あの電気修理人の言う事はおかしかったですよ。
大体が来る時に「犬いますか????」とか聞いてくるし、、
セゾンカードに暗証番号なんか設定しては居ませんよ。

恐らくは銀行のクレジットカードの事を言って居たんでしょうね、、
私もセゾンカードはネット通販以外で使った事はありません。

>行動の柔軟性で思うのは、2年前、まだコロナが始まったばかりで
まだまだ多くの人が催し事を甘くみていた頃、
俳優の仲代達矢さんが、早々に舞台中止を決断されたという記事を
読んだことがあります。

「何よりも命が大事だよ」と関係者をさとしたとのことで、
こういうのが本当の人間力・頭の良さだと思って、
今でも、その記事を大切にもっています。

私もそう思いますよ。仲代さんは偉いですよね、、

まかろんさんは小説家?なのですよね。。。。。(๑>◡<๑)
コラムなども書かれて居るのかな、凄いですよね、、
プロの物書きになると、締め切りに追われて大変では無いですか、、

あんまり周期的に、長文を要請されたらアイデアも詰まりますよ、、
気を楽に持ってお書きに成られれば良いのでは無いかな。
とか、素人の私が言っても、貼っ付きも追っ付きもしないだろうけど、、

私なんかでも、今回の記事の半分は過去記事からの使い回しです、、
私もネタ切れですよ・・・・・・。何時、書けなくなるか解りません。

ちなみに、今ラジオ掛けながら此のコメント書いて居るのですが。
ある高校生の女の子が高校を1年で退学して、独学で高校
卒業資格を取って、今はネット関係の仕事がしたいと、4年制の
学校に通って居るそうです。その子にして見たら、高校の勉強は
意味がない物だったのでしょうね。ある意味頭がいいと思いましたよ。


私の生活保護申請の励まし有難う御座いました、、
ただ、持ち金も、もう少ないし、さて、生活保護課に行って
見ない事には解りません。どうなるかは・・・・・・・・・。

その事を考えると、どうしようも無い事だけども、、
不安になります。まあ、仕方が無いですと言う他無いです、、、

それでは、短いコメントの返信になりましたが、、
また来て下さいね。よろしく・・・・・・・・・。( ´∀`)
kiyasume
misoさん、書き込み有難う御座います、、

そうですよね、最近になってMADと言う動画が
出て来ましたよね。アニメをまとめた物に自分の
好きな曲を入れて表現する方法ですよね、、

もう、此処数年、流行って居ますよね・・・・・・・。
「アイネクライネ」が聴けてよかったですね、、

また来て下さいね。よろしく。。。。。。。( ´∀`)
macaronteaparty
今日は。また記事が読めて嬉しいです😊

クレジットカード支払いの件は怪しい?ですね。
私はネット通販以外でカード支払いしたことがないので、
何が正しいのか知りませんが・・

kiyasumeさんがちゃんと、応対されてて良かったです。
あまりおかしいことを言われるようなら、
派遣元に電話した方が良いかもしれません。


頭がいい悪いというのは、自分と違う境遇への想像力と
行動の柔軟性かもしれないと思います。

想像力に関しては、私もブログで
「宗教」と「想像力」という切り口で書いたことがあります。

行動の柔軟性で思うのは、2年前、まだコロナが始まったばかりで
まだまだ多くの人が催し事を甘くみていた頃、
俳優の仲代達矢さんが、早々に舞台中止を決断されたという記事を
読んだことがあります。

「何よりも命が大事だよ」と関係者をさとしたとのことで、
こういうのが本当の人間力・頭の良さだと思って、
今でも、その記事を大切にもっています。


でも、私も偉そうなことは言えません。
私はあまり応用性が効かなくて、いつも世間の前でおびえています。

作品を書くと、自分の物知らずや世界の狭さをありありと感じ、
1行書くたびに、ごめんなさいごめんなさい、
今の私にはここまでしか書けないんです、と自分が切り刻まれるような思いがします。

それが文章を提供する者の、世界への誠意だと
思ってきましたが、正直、疲れました。

最近と今朝、ちょっとひどいことがあって・・。


生活保護の申請、通ることを願っています。
kiyasumeさんのブログが好きです。他の皆さんもきっと。
でも無理しないでくださいね。
お体お大事に。
miso
こんばんは。
「聲の形」の動画再生したら、思いがけずアイネクライネが流れてきて
ちょっと嬉しくなりました。
MADってものを初めて知りました。
kiyasume
くりまんじゅうさん書き込み有難う御座いました、、

そうなんですか???上村一夫さんは若死だったのですか?
知りませんでした。彼の漫画では此の作品と「修羅雪姫」が好きでした。
確か両作品とも梶芽衣子がヒロインでした。「同棲時代」は確か2回、
ドラマ化されましたよね。

1973年に梶芽衣子・沢田研二主演でTBS系列で放送された
『テレビドラマ版・同棲時代』、同じく1973年に由美かおる・仲雅美主演に
より公開された映画版の『同棲時代』、、そして『修羅雪姫」も梶芽衣子
主演でした。。。懐かしいですね、、上村さんの絵柄は好きでしたよ、、

https://www.youtube.com/watch?v=gh8FdYfZack
https://www.youtube.com/watch?v=biL5-syJ4Yg

また来て下さいね、、、、( ◠‿◠ )
くりまんじゅう
上村一夫さんの『同棲時代』なつかしいですねぇ。
憂いをおびた女性の表情が美しく 若く貧しい二人が肩寄せあって
暮している絵を なつかしく思い出します。
残念なことに上村さんは若くして亡くなりましたね。
『神田川』や『赤ちょうちん』がぴったりと合っていましたね。
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