昨夜の食事。。。タンメンと餃子です。。。。
kiyasumeの6畳間の生活空間です。一間ですので、モノが溢れてごちゃごちゃして居ます。
今から2年前のkiyasumeの写真。何故か今より老けて見える・・・・。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
皆さんは詩人で、もと舞台俳優やら俳優をして居た。「にのみや・あきら」さんと言う方をご存知でしょうか?彼とは不思議な縁で、私が彼のblogを見に行った事から、対話がスタートしました。今は私の調子が悪い事もあってご遠慮して居るみたいで掲示板に書き込みはありませんけど。私は彼の話は貴重な演劇とテレビ黎明期に掛けての1人の青年の青春群像と言う視点で話を聞かせてもらって居ましたので。中から、、私が選んだ話を此処に書いて置きます。
にのみや・あきら(本名/二宮彬)
1937年生まれ。東京電機大学高等学校卒業。日立製作所で設計に従事。その後、劇団「四季」「曇」「造形」大映テレビなどで演劇活動を始める。劇団「道」主宰。その後演劇をやめてアパレルメーカーに転身。54歳の時に義理の父の死去をきっかけに詩作を始める。
- 詩集「目的のない旅」「遠い記憶」を出版。趣味:モダンジャズ・絵画鑑賞.ミニチュア蛙のコレクション.写真.カラオケ.お酒。好きな俳人:山頭火。好きな詩人:高村光太郎.八木重吉.谷川俊太郎。
読み易く解り易い詩を捜索して居る。。。
https://blog.goo.ne.jp/1021akira
彼のblogの詩を一つ掲載しようかとも思いましたが、著作権に触れるので、、詩がお読みに成りたい方は、最新の詩なら彼のblogにて、また過去に書いた膨大な詩は彼の著書を購入して読んで見て下さいね。以下の詩集はAmazonで購入出来ます。。。。。。
a>がakiraさん。
k>がkiyasumeです。
a>お邪魔いたします。
kiyasumeさんのご希望をお受けして、面識のあった有名人のお話を続けることにいたします。お役に立てばいいが、と思っております。抜けたり混乱したりするといけませんので、経験の順番にお話しします。日立に勤めながら、演劇の世界を知りたくて、恵比寿のアナウンスアカデミーに入り、そこでの講師が、時代劇映画の主役で出演してらっした、江見俊太郎さんでした。最初に出会った有名人です。あるテーマで、何組かがパントマイムをやって、私のカップルが一番いい、と褒められました。そんなことがきっかけで、ご自宅 ( 阿佐ヶ谷か荻窪だった ) で勉強会やっているから来ないかと誘われ、何度か通いました。
話はそれますが、アカデミーで一緒だった仲間と、意気が会って、あれから65年くらいになりますが、会えなくなってしまいましたが、今でも文通をしてます。東京駅前の日本郵便局に勤め、詩歌を嗜んでいる方で、私の詩集の素晴らしい批評をしてもらってます。話を戻します。日立を辞めて、本格的に演劇の道に進みたいと思い、入ったのが、劇団「造形」です。新橋のある神社の集会室が稽古場でした。
そこで名の通った役者さんは、外国映画のアフレコで活躍なさってた、島宇志夫さんと堀勝之祐さんでした。ご存知でしょうか ?お二人の思い出は特にありませんが、島さんは実家が新橋で、ご両親がお年をめしてらっしたので、用心棒がてらに部屋を無料にするから入ってもらえないか、と頼まれ、暫く住まわせてもらってました。堀さんの方は、既に役者の訓練をされていた方で、余り年は違わなかったのですが、活躍されているを見て羨ましく思いました。こんな所が、演劇活動をスタートした様子です。では、今回はここまでにしておきます。また・・・
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k>akiraさん書き込みどうも有難う御座います。
>日立に勤めながら、演劇の世界を知りたくて、恵比寿のアナウンスアカデミーに入り、そこでの講師が、時代劇映画の主役で出演してらっした、江見俊太郎さんでした。最初に出会った有名人です。あるテーマで、何組かがパントマイムをやって、私のカップルが一番いい、と褒められました。そんなことがきっかけで、ご自宅 ( 阿佐ヶ谷か荻窪だった ) で勉強会やっているから来ないかと誘われ、何度か通いました。
江見俊太郎さんが出演した映画は「人魚伝説」1980年代の映画ですね、、それを見て居ます。あと「暴れん坊将軍」に出られて居ましたよね。TVの方では悪役が多かった見たいに、記憶して居ます。私は見て居ませんが「女獣」なんかが有名だったかなと?・・・・・・・。
刑事ドラマやら特撮ものなどにも出演して居て芸域が広かったですよね。確か御自身の劇団もお持ちだったんですよね。よくは知らないけど、、「劇団ノア」でしたっけ。名前だけは聞いた事がありますよ。
>日立を辞めて、本格的に演劇の道に進みたいと思い、入ったのが、劇団「造形」です。新橋のある神社の集会室が稽古場でした。そこで名の通った役者さんは、外国映画のアフレコで活躍なさってた、島宇志夫さんと堀勝之祐さんでした。
そうですか、、私はよく洋画の吹き替えで声は聞いて居ました。島宇志夫さんはよく海外ドラマなどの吹き替えもして居ましたよね。私はルパン三世の「ゴールド」と言う男の声を当てて居たのを覚えて居ます。どちらかと言うと悪役が多かった様に存じて居ますよ........。
堀勝之祐さんは俳優座8期生ですか?アングラ演劇とかも過去にやって居たのは知って居ます。ただ、私としては野沢那智よりも渋かった。「愛人関係」「ル・ジタン」などのアランドロンの吹き替えに痺れました。
私の弟夫婦が以前。伍代夏子さんの所有して居るマンションに住まわせて貰って居ました。しかし矢張り演劇の稽古場に使うとの事で、出なければならず。旦那さんが杉良太郎ですからね。その関係で、杉さんとはマンションのエレベーターの中で一緒になりまして。恐れ多くて声掛けられませんでしたが。伍代夏子さんはもう結構歳言って居ますがチャーミングで可愛い人ですよね。そんな思い出があります・・・・・・・。
しかし.にのみやさんは毎回ながら凄い経歴をお持ちですよね。
毎回びっくりしつつ、参考になりますよ.....。
また続き。是非お聞かせ下さいね。それではまた。宜しく......。
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a>再度、お邪魔いたします。
私の詰まらない経験話を読んでいただきたい、内容を膨らませてご感想を頂き、大変、勉強になりました。ありがとうございました。どうでもいい話ですが、一つ書き忘れたことがありましたので、追加いたします。名古屋章さんのことですが、あの方、滑稽で喜劇役者的な所がおありで、稽古中、先輩から、お前の演技は新劇でないない、と何度もやじられてました。
k>いえいえ、此方こそ毎回勉強になって降ります。そうですか、名古屋章さんは、喜劇役者的な面があったのですね、、、矢張り勝手、松竹で小津安二郎の「秋刀魚の味」でしたっけ、、
確かあの映画だったと思いますが、森繁久弥さんが、トリス・バーで、水割り飲むシーンで、ピーナツはこう食べるんだと言って、、上に投げて口に入れたら、矢張り小津監督が怒ったらしいですね、、矢張り芝居は、ある程度は、型に嵌めなければ成らないものなのでしょう?
それは。新劇で喜劇みたいな事をやれば怒られると私も思います。。。まあ、だからこそ時代はアングラに突入して行ったんでしょうね、、とか、akiraさんを差し置いて、私が偉そうな事は何も言えませんけど。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾ すみません・・・・・。また来て下さいね。
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a>お邪魔いたします。
それでは次に、劇団「雲」でのことをお話しします。私は「雲」の所属ではありませんでした。「雲」が「文学座」から脱退して、旗揚げ公演をすることになり、裏方の仕事をする人員が足りないので「造形」の指示で手伝いとして参加しました。裏方でしたが舞台にも端役で出演しました。
旗揚げ公演の出し物は、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」と、期間を置いてバーナド・ショーの「ジャンヌダルク」で2公演お手伝いをしました。
劇団の仕事としてですから、出会った人・面識のあった有名人と言うのは当たらないかもしれませんが、一応、90人の中に入りますので、名前を列記します。
福田恒存 芥川也寸志 中村伸郎 仲谷昇 加藤和夫 高橋昌也 神山繫
内田稔 名古屋章 小池朝雄 三谷昇 稲垣昭三 西本裕行 西沢利明
山崎努 西田健 橋爪功 北村総一朗
岸田今日子 加藤治子 文野朋子 真屋順子 伊藤幸子 谷口香 佐野タダ枝
福田妙子 新村礼子
大体こんな所だったと思います。
団員さんとは、挨拶だけで殆ど口を利かなかった人や親身になって芝居について教えていただた人などまちまちでした。橋爪功と北村総一朗は名の通った俳優さんになりましたが、当時は同じ身分で同期生と言うことになります。この二人には、私の詩集を贈呈して、今だに連絡を取っております。山崎努は少し先輩格でしたが、まだ、仲谷昇や高橋昌也に演技を付けられていました。ほとんどの方は温厚で紳士的な人達ばかりでした。ただ、小池朝雄だけは、あんなタイプですから、話しかけると何か言われそうで、近寄りがたかったです。芥川也寸志さんは、もうお年だったせいか、一度だけお見かけしただけでした。公演にはお出になりませんでした。エピソードなどがありますが、それは次の機会にいたします。では・・・
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k>その当時1960年代は、もう唐十郎だとか、寺山修司が出て来た。
辺りだったのでは無いでしょうか?既成の劇団が、皆、分裂し始めた頃なのでしょうか?
昔、原田芳雄さんが、唐十郎だとかの「アカテント、」寺山修司の「天井桟敷」が出て来て。芝居を変えなければ行けない。このままではダメだと、、1971年、俳優座の体質を批判して市原悦子、菅貫太郎、中村敦夫ら共に退座した話を聞きましたが。
私なぞは。当時まだ12歳ですからね、、彼の芝居の狂気を纏った『狂人なおもて往生をとぐ−昔、僕達は愛した−』は1969年に発表された清水邦夫の戯曲でありますが。この時に芳雄さんは本当に気が狂いそうになってしまったと後で語って居ますよね。この戯曲は、また熊林弘高の演出により、東京芸術劇場のシアターウエストで2015年2月10日から2月26日まで上演された見たいですね。
東京芸術劇場は過去の名作を若手の演出家に演出させるという『Roots』という企画を行って居たらしく。三浦大輔による『ストリッパー物語』に次ぐ第二弾として熊林弘高を選んだそうですね。
実は私は芳雄さんの芝居については私があまりに若い為に、、、まだ見れて居ませんでした。まだ子供ですから、、ただ私のblogで彼の人気に火が付いたテレビドラマ「冬物語」全話まとめた23話のダイジェスト版を挙げて居ますが。勿論CS放送で録画したモノですけどね・・・・・・。原田さんぐらいしか私は言えないのですが、、彼の「5番目の刑事」と言う初主演のかな、テレビドラマのDVDを持って居ますよ。
まだテレビ放映時は1972年。私が中学2年生ですからね、、カッコイイ大人だなと思って観て居ました。しかしakiraさんの方は凄い顔ぶれですね・・・・。
福田恒存 芥川也寸志 中村伸郎 仲谷昇 加藤和夫 高橋昌也
神山繫 内田稔 名古屋章 小池朝雄 三谷昇 稲垣昭三 西本裕行 西沢利明 山崎努 西田健 橋爪功 北村総一朗岸田今日子 加藤治子 文野朋子 真屋順子 伊藤幸子 谷口香
佐野タダ枝 福田妙子 新村礼子
しかし、橋爪功と北村総一朗と今だに連絡を取り合って居るのなんて、、凄いですよね。
山崎努とかは、矢張り黒澤明の「天国と地獄」の犯人役で名を成す前ですよね。皆さんもう立派に名を成していらっしゃって。凄いですね、、矢張り小池朝雄さんは近寄り難かったですか.......。
私は岸田今日子が好きでした。勅使河原 宏監督作の「砂の女」、、安部公房原作ですよね。後、ショーケンのテレビドラマのマダム役での「傷だらけの天使」などで大好きな女優さんですよ。
すみません、演劇の話でテレビと映画ばかりで、、、矢張り私の世代になるとテレビっ子ですからね。芝居より矢張りテレビドラマ。映画になって仕舞いますよ・・・・・・。
ただ今回の話でも矢張り。にのみやさんは凄い人だと思いました。
これだけ劇団を渡り歩かれて居て、、、凄いですよ。。。
最後に私のblog記事ですが。原田芳雄さんと浅丘ルリ子の悲恋物語、、「冬物語」の全23話のダイジェストを挙げて置きますね。1話3分ぐらいですから、宜しく。今から2年ほど前のblog記事になりますよ。懐かしいかと、、
https://blog.goo.ne.jp/kiyasume/e/1c2e8004739d32e44a6ad7a9088fd403
今回も勉強になりました。有難う御座いました。
それでは、また次回。お話聞かせて下さいね。宜しく。。。。
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a>お邪魔いたします。
先日は、詩の感想のコメントありがとうございました。劇団「雲」で印象に残っている事をお話いたします。まず、福田恒存さんは、浅利さんとは違い、学者肌でいらっしたので、大人しく存在感が薄かったです。ですから余り勉強にはなりませんでした。
「真夏の夜の夢」で公演中大変なことが起きました。森の場面で、セットの大木が倒れてしまったのです。小池さんがその場面に登場されていて、ちょうどそこで「世にも不思議な珍事」とか言った台詞でした。小池さんは、目を見開いて、ビックリした表情で大木を指さし、その台詞を言ってその場を収めました。観客から割れんばかりの拍手喝采でした。稲垣昭三さんは、小柄な方でしたので森の妖精パック役がはまり役でした。森中飛び回る見事な演技をされてました。
「ジャンヌダルク」では、裁判の場面で、「造形」から手伝いに行ってたもう一人と、裁判で高い所に立たされているジャンヌの両脇に鎖を持って立っている、監視役でした。ジャンヌが裁判官に反論した台詞で、観客から興奮した声で「そうだ、そうだ」と声がかかり、まるで新劇の舞台ではない感じがしました。僕は失態した事があります。
裁判が終わり、ジャンヌが火あぶりの刑に合うのですが、刑場に連れていく前に、持っていた鎖でジャンヌを素早くくるくる巻きにする演技で、貧相な薄い衣装一枚だったので、手がそれて懐に入ってしまい岸田さんのおっぱいを触ってしまったのです。ブラジャーは着けていませんから、直に触ってしまいました。後で何かおっしゃるかと思ってヒヤヒヤしてましたが、逆に褒められる事がありました。 岸田さんのお客さんが、僕の演技が良かった、と言ってましたと告げられ褒められました。鎖を持って約40分間位立っていたのですが、ジャンヌを監視する役ですから、威圧を掛けた方がいいと思い、鎖を前でたらして、ジャンヌが反論して座がざわめいた時だけリアクションをし、ジャンヌを睨みつけ、後は微動だにしないで立ってました。それが良かったようです。手伝いで参加したからか、目立つ役を貰ったようです。ちなみに橋爪さんは、舞台の隅の方で、小さなテーブルの前に座り、書記役でした。どんな演技をされていたのか判りませんが、目立たなかったのではないか、と思います。北村総一朗さんは、公演中の記憶が全くありません、口もきいた覚えがなく、後日、TBSの局内で出会い、それからの交流になりました。
神山繫・文野朋子さんの朗誦術が素晴らしく勉強になりました。内田稔さんには、声を掛けていただき、色々な事を教わりました。後日、街中で偶然に出会い、妻と一緒にお茶をご馳走になりました。「雲」の皆さんの活動の様子を見て、大きな劇団に入らなければ駄目だ、と思うようになりました。「雲」に入れてもらっても良かったのですが「造形」からのお手伝いなので、裏切る形になる、と思い、諦めました。そして民芸・文学座・四季を受けて見ることにしました。その話は次の機会にします。では、長くなりましたがこの辺で・・・
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k>akiraさん,書き込みどうも有難う御座います、、そうですか、、劇団「雲」でのお話ですね。
確か、福田恒存さんの名言集という本がありましたよね。。。。彼の著書からの言葉を拾ったものでしたよね。「意識のゆがみは、・・・まず言葉の誤用から始る」と言う指摘からも理解される様に、我々日本人が人生のあらゆる局面で直面する問題に對し、どう考へたらよいかが示唆されて居る、現在でも十分有用な福田恒存の指南の書であったと思いますが・・・・・・。
まさに学者肌ですよね。評論家、翻訳家、劇作家、演出家。現代演劇協会理事長、日本文化会議理事、日本芸術院会員。 平和論への批判を早くから行った保守派の文化人で、同時期よりシェイクスピア戯曲作品の翻訳、演劇上演も行った。産経新聞の論壇誌「正論」は、福田と田中美知太郎、小林秀雄等の提唱によって創刊されたと言う事ですね.........。
また、戦後日本の保守思想において、福田恒存の存在が非常に大きく重要であった、と言う事は多くの有識者が述べる処であり。中島岳志は福田について、「戦後日本の保守思想家のビッグ2は福田恒存と西部邁である」「福田恒存と言う人は、近代日本に現れた、はじめての本格的かつ自覚的保守思想家だったのではないか」と評価して居ますね。
>「真夏の夜の夢」の公演の最中に森の場面で、セットの大木が倒れてしまったのですね。小池さんがその場面に登場されて居て、丁度、そこで「世にも不思議な珍事」とか言った台詞で。小池さんは、目を見開いて、ビックリした表情で大木を指さし、その台詞を言ってその場を収めたのですね。観客から割れんばかりの拍手喝采だったのですね。流石に、役者ですね。稲垣昭三さんは、森の妖精パック役がはまり役だったのですね。森中飛び回る見事な演技をされて居たのですか・・・。
「ジャンヌ・ダルク」は岸田さんだったのですね。見張り役の兵士の役をなさったのですね.......。まあ、女性の胸の件ですが、これは1970年代から1980年代は結構皆さんノーブラが流行っても居たので。私が今あげて居るこの次のblog記事の。カルメン・マキさんの動画でも彼女もノーブラでしたよ。変な話を言う様ですが、女性のノーブラは悩ましいですよね。。。。
まあ、「ジャンヌダルク」の場合はやむを得ないでしょうね、、いちいち、そんな事を気にして居ては舞台役者は務まらないでしょうから、、特に女優さんは、、しかし橋爪さんが書記係でしたか。
北村さんは若い頃は、明朗な二枚目キャラを演じて居たのではないでしょうか?最近では踊る大捜査線の洒落っ気がある役だとか。北野武監督の「アウトレイジ」での悪党ヤクザ組長とかで知って居ました。。。。
神山繁さんは、映画「アウトレイジ・ビヨンド」をはじめ、多くの映画や舞台で、強面や、知的な顔を見せて来た名優ですよね。その神山繁が、2007年放送のNHK「英語でしゃべらナイト」に最高齢で出演し、高い英語力を披露しましたよね。
彼は、高倉健や松田優作が出演した1989年のアメリカ映画「ブラック・レイン」に出演して居ますが、それも、英語力が買われてのキャスティングだったそうです。私は昔の学園ドラマでよくお見かけして居ましたよ。文野朋子さんは確か奥さんですよね。それ以外の事は知りません。
内田稔さんは文学座養成所から俳優としてのキャリアをお持ちなんですってね、さまざまな舞台や映画、ドラマ出演と並行して声優としても活動して居て。
特に洋画ではヘンリー・フォンダの声を吹き替える事が多かったですよね。あのガイナックスの庵野秀明監督作の劇場アニメ作品『王立宇宙軍オネアミスの翼』で声を当てて居ますよね。私なんかは「あっ!ヘンリーフォンダ」だ。と思いながら声聞いて映像を居てましたよ。それは役によって少し違いますが、声色は一緒なんで、、、
この短い動画は「哀しみのベラドンナ」と言う1972年に製作された山本瑛一監督作品でして。ジュール・ミシュレの「魔女」と言う小説を文芸アニメ化した作品です。もし良かったら、ご覧下さい。3分ほどですから・・・・。「ジャンヌ・ダルク」と言う事でテーマが同じなので思い出しました。声の出演は仲代達也。長山藍子。中山千夏。などです。。。
https://www.youtube.com/watch?v=0H45OsNJzMw
今回も勉強になりました。また、次回もまた続きをお聞かせ下さいね。
それではまた。。。。
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a>お邪魔いたします。
演劇活動の続きです。大きい劇団を希望し「民芸」「文学座」「四季」を受けましたが、民芸・文学座は落ち四季は受かりました。オーディションは、何人かの審査員がいて、パントマイムをやり面接をするのが普通ですが、新劇の場合は違いました。審査員はどの劇団も一人でした。あの時代は、新劇と言うと、四季は違いますが、左翼運動で存在していましたから、芸より人物を見ようとしたのではないか、と思います。「四季」では、浅利さんと差指の面接でした。
「四季」在籍で出会った人、一緒に活動した人の名前を列記します。
サルトル、石原慎太郎、浅利慶太、尾上松緑、北大路欣也、石坂浩二、加賀まり子、渡辺美佐子、伊藤雄之助、長岡輝子、いずみたく、富士真奈美、安井かずみ。次は、あの当時の主だった劇団員です。井関一、水島弘、日下武史、田中明夫、立岡光、松宮五郎、浜畑賢吉、池田鴻、石崎二郎、布施紘一、安藤康三、藤野節子、北村昌子、影万里江、三田和代。
四季はマスコミ活動が控えめだったので、知らない人もいると思われます。石崎さんは、佐分利信さんのご子息です。息子のことが心配だったのでしょう、様子見に劇団にお見えになりました。布施さんは脚本家の布施博一さんの弟さんです。前に戻りますが、村井国夫さんの弟さんと「造形」で一緒でした。役者を諦めコックなりました。お兄さんはあんなに立派で有名な俳優ですけどね。
サルトルにはビックリされたのではないですか ? 実際に会いました。松緑さん主演でサルトル作の「悪魔と神」を日生劇場で公演したので、その関係で呼んだようです。「泥棒たちの舞踏会」で客員の伊藤雄之助さんには困らされました。落ち着きのない人で、袖で一緒にスタンバイしていると、自分の出番でないのに、今にも出て行きそうな素振りをするのです。いずみたくさんは、四季の公演の作曲を幾つか担当されてらしたので、何度かお会いしました。四季のスタッフにも籍を置かれておられました。
加賀まり子さんとは「オンディーヌ」で、演技上のことで思い出があります。オンディーヌが水の精と判り追放されるのですが、ハンス ( 北大路 ) からもらっていた指輪を取り上げるのが私の役でした。静かに取ったのでは、人間界を裏切った者への腹いせが出ないので、荒っぽくむしり取り、それを頭上にかざし、登場人物・観客に誇示する演技をしました。ところが加賀さんから注文が出まして、普通に指の奥に嵌めていたので痛かったらしい。それで、指先まで抜いておくからそのつもりでお願いします、と断りがありました。そんなことがあったからか、打ち上げのパーティーで、安井かずみさんと隣り合わせで座っておられ、二人に手招きをされたので行ってみました。200円限定でプレゼント交換会をやることになっていたのですが、僕の出したプレゼントを安井さんが持ってらしたので、それ僕が出したプレゼントです、と申し上げた所、センスがいい、と褒められました。
北大路さんは「オンディーヌ」の主役、石坂浩二さんは「泥棒たちの舞踏会」の主役、何れも相手役は加賀まり子さんでした。石坂さんとは、余り口を利きませんでしたが、北大路さんはその反対で、親しく声を掛けて頂き、2年後、銀座で偶然お会いしたら、名前で呼んでいただきました。松緑さんは、やはり歌舞伎界の人ですね、義理堅く全員にお弁当や記念品を配っておられました。まだまだお話ししたいことがあるのですが、今回はこの辺で次の機会にします。では、また・・・
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k>akiraさん書き込みどうも有り難う御座いました。。。昨日辺りの、夜ぐらいからパソコンを正常に近く使える様になりました。今日なんかも午前中にカスタマーで誘導して色々助けて貰い、、
セッテングして居ました。返事が遅れて申し訳ありませんでした。
そうですか。当時の世相は左翼思想が蔓延って居ましたからね、、確か劇団四季には「狼は生きろ豚は死ねと言う、、初の大阪労演例会作品で或る劇がありましたよね、幕末に土佐の脱藩浪士となった久の宮清二郎を中心に展開する。藩の重役の策謀によって兄を殺め、また愛する女を失った彼は、政治や人生を茶番としか見られない人間となる。だが知り合った幕府老中にその安易な態度を激しく罵られた彼は絶望から立ち上がり、再び激動する現実世界に関わっていく—。「1960 年」にふさわしく、政治権力と格闘する個人の生き様を強く描き出した作品だったので無いでしょうか?。
>「四季」在籍で出会った人、一緒に活動した人の名前を列記します。
サルトル、石原慎太郎、浅利慶太、尾上松緑、北大路欣也、石坂浩二、加賀まり子、渡辺美佐子、伊藤雄之助、長岡輝子、いずみたく、富士真奈美、安井かずみ。
次は、あの当時の主だった劇団員です。
井関一、水島弘、日下武史、田中明夫、立岡光、松宮五郎、浜畑賢吉、池田鴻、石崎二郎、布施紘一、安藤康三、藤野節子、北村昌子、影万里江、三田和代。
四季はマスコミ活動が控えめだったので、知らない人もいると思われます。
しかし、毎度ながら壮々たるメンバーですね、、、、確かに知らない人もちらほらとお見受けします。
サルトルとは凄いですね、、実際にお会いしたのですね。松緑さん主演でサルトル作の「悪魔と神」を日生劇場で公演して、その関係で呼んだのですか?。まあ、今や、サルトルは古いと言う人も居ますけど。私は彼の「実存主義」にはセイレン・キルケドールから、ニーチェ、ハイテッガーの流れとして、彼を信望して居ますよ・・・・・・・。
しかし、サルトルと実際にお会いになられた事は凄いですね、、、、そして石原慎太郎。当時は太陽族から出て来た或る意味、、注目されて居た作家ですよね.....。
>石崎さんは、佐分利信さんのご子息です。息子のことが心配だったのでしょう、様子見に劇団にお見えになりました。布施さんは脚本家の布施博一さんの弟さんです。前に戻りますが、村井国夫さんの弟さんと「造形」で一緒でした。役者を諦めコックなりました。お兄さんはあんなに立派で有名な俳優ですけどね。
この事は私は殆んど知りませんでした。勉強に成りました。
>いずみたくさんは、四季の公演の作曲を幾つか担当されてらしたので、何度かお会いしました。四季のスタッフにも籍を置かれておられました。
そうでしたか、、私はいずみたくと冨田勲の作曲する曲と。後、佐藤允彦と武満徹が。作曲した曲は好きなんですよね。。。佐藤允彦は、ジャズピアニストですが、「哀しみのベラドンナ」と言う1973年のアニメでは、印象的なプログレッシブ・ロックの味付けの曲を披露して居ます。海外ではこのサントラ版のレコードはドイツとイタリアで発売されてたそうです。日本未発売ですね、、、
https://www.youtube.com/watch?v=FfsPXnpp5WI
https://www.youtube.com/watch?v=DGS5jSnVRJk
加賀まり子さんとは「オンディーヌ」で、演技上の事で思い出がお有りなんですね、、指にはめて居た指輪を演技上、荒々しく取ったら痛かった見たいなのですね、、私は彼女の事は監督がこう演技してくれと言っても逆らってばかり居る女優だと聞かされて居たので、そう言う一面がお有りでしたか、、、、
>北大路さんは「オンディーヌ」の主役、石坂浩二さんは「泥棒たちの舞踏会」の主役、何れも相手役は加賀まり子さんでした。石坂さんとは、余り口を利きませんでしたが、北大路さんはその反対で、親しく声を掛けて頂き、2年後、銀座で偶然お会いしたら、名前で呼んでいただきました。松緑さんは、やはり歌舞伎界の人ですね、義理堅く全員にお弁当や記念品を配っておられました。
しかし毎回凄い話ばかりで、吃驚し。また恐縮しくて降ります。石坂浩二さんについては、私が観た1970年代のあるTV番組でファンの女性と演技をして、その映像を、30分間テレビ放映すると言う番組があったのですが。撮影映像をその共演の素人の女性と見て居て、石坂さんが物凄くそのファンの女性をバカにして居まして、、見て居て、「なんだか石坂浩二と言う男は自分のファンも大切に出来ない男なんだな」と思った記憶があります。愛川欽也などは作品そのものを楽しんで素人のお嬢さんに好意的でしたが......。
北大路さんと言えば。私は演劇よりも嵐寛寿郎も出て居た「十三人の刺客」でしょうか、あれ!!違いますね。あれは、里見浩太朗でしたね、、いやいや、間違いました。北大路欣也と言えば、、そうですよね?私は芝居よりも高倉健の現代ヤクザ映画の名作「冬の華」に組長の息子で自衛隊の幹部の役で出て居たものを観ております。それと。北大路欣也主演の「子連れ狼」テレビ時代劇シリーズ。2002年から2004年にかけて、三部に分けてテレビ朝日系で放送したものを私の姪っ子が見て居ましたよ。私は萬屋錦之介のTVドラマか若山富三郎の映画版が好きでしたが、、確か勝プロが萬屋錦之助に権利を譲渡したんでしたっけ、、、、まあ、関係ない話で申し訳ありません.......。
最後に「アングラ」について少し述べさして下さい。新劇は、現実の写しを一生懸命やって居ますよね。戯曲はそのためのことばで書かれて居るし、演技も美術も照明も、その戯曲に書かれた言葉を、まるで横のものを縦にする様に、舞台の上に写して居ますよね。芸術としての構築物なのだから、現実から切断されて居なければならない筈なのに、時間も空間も設定された世界も、全部現実の写しである戯曲をさらに写すというフレームワークの中に全て入って仕舞って居る。そのフレームワークこそ新劇の方法なのではないでしょうか?。
文学座とか芸術至上主義系のグループもあったのですよね、当時の主流は、俳優座とか民藝とか新協とか、社会矛盾を衝いて批判することを主題とする左翼的演劇でしたよね。社会矛盾は確かにあるし、役者に取っては「それには腹立つけれども、演劇として別のやり方はないのか」、と言う苛立ちが強かったのではないでしょうか。きっと既存の演劇を支えて居る方法を裏づけて居る思想、歴史観、哲学、そう言うもの全体に対する苛立ちでもあったに違い無いのではと思えますが。その全体をひっくり返さないと、新しい演劇は生まれないのではないかという思いが強かった様に思えます。
そう言う意味で「アングラ」は「60年代演劇」の運動だったのでは無いでしょうか?私は、原田芳雄さんが好きで、、彼がいつも既存の芝居を壊そうとして居るのを見て居たのと。後、矢張り、蜷川幸雄とつかこうへい。寺山修司。唐十郎などを見て来た世代ですから、、、ちょっと邪道かと思いますけど、、、
まあ、今は、「アングラ」と言ってももう無いし。大きな劇団より小規模な素人の様な役者たちが作って居る劇団が、多数見受けられますね。すみません、生意気に語ってしまいまして・・・。
また来て下さいね。そしてまたお話をお聞かせ下さいね。にのみやさんの詩集購入しますよ。Amazonから。また来て下さいね。それではまた、宜しく。。。。。
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a>お邪魔いたします。お体の具合はいかがですか ?劇団「四季」に関してのお話の続きです。
石原・浅利さんは、日生劇場の重役でした。特に浅利さんは、建設前から力を入れてらっしたようです。と申しますのは、杮落しに「オンデーヌ」を上演しましたが、オンデーヌは水の精の物語なので、雰囲気を出すため、劇場の天井一面を貝殻で埋め尽くした設計にしてあります。もし日生劇場に行かれることがございましたら、ご覧になってください。
浅利さんの奥さんは、噂によると、藤野節子、次に影万里江、亡くなられた時は、知らない方ですが、野村玲子さんとおっしゃる方だったようです。四季でチャンスが2度ありました。一つは具体的ではなかったですが、日生劇場の重役室に呼ばれ、石原・浅利同席で、具体的な話はなく、ただ時間を過ごしただけでした。私のことを試されたようです。もう一つの方は、石坂浩二の「泥棒たちの舞踏会」の客員出演をきっかけに、石坂主演、四季制作で連続テレビドラマを制作することになり、ドラマの中で、石坂の真似ばかりする役があり、その役に、私が石坂に似ていると言うことで、監督が私に白羽の矢を立てていただいたのですが、劇団のOKが出ず実現しませんでした。
浅利さんから、在団中3度褒められました。チケット販売が優秀だったこと、舞台出演で変装が上手く、浅利さんを驚かしたこと、もう一つは、やはり舞台での演技で、公園をカップルが歩くシーンがあり、何組かで順番に登場したのですが、私達の組が一番良かった、と褒められました。演技のことなので、一番嬉しかったです。
でも、四季での訓練は納得できませんでした。劇団としては先々を見越していたのでしょうが、歌とダンスだけのレッスンには疑問がありました。普通の演技の訓練がしたかったのです。「キャッツ」が大ヒットしましたが、それには在来の役者は一人も出ていません。新進の若手俳優だけの起用でした。訓練はしたものの、無駄だったのです。そう考えると、早目に諦めて辞めたのは正解だった様です。今回は有名人が登場しなくて申し訳ありませんでした。この辺で、お許しください。では、また・・・
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k>日生劇場の重役だった、浅利さんは建設前から演劇用のホールを考えて居たのですね、、貝殻で劇場の天井一面を埋め尽くして居るのですか・・・・・・。そして子供のためのステージ、、ギャラがワンステージ400円と言うと、今に換算してもかなり安いですよね、、TBSのバイトで凌いで居たのですね。
>石坂浩二の「泥棒たちの舞踏会」の客員出演をきっかけに、石坂主演、四季制作で連続テレビドラマを制作することになり、ドラマの中で、石坂の真似ばかりする役があり、その役に、私が石坂に似ていると言うことで、監督が私に白羽の矢を立てていただいたのですが、劇団のOKが出ず実現しませんでした。
残念でしたね。にのみやさんは演技の素質があったのに、、
なかなか認めて貰えないのは辛いでしたね・・・・。
>舞台出演で変装が上手く、浅利さんを驚かしたこと、もう一つは、やはり舞台での演技で、公園をカップルが歩くシーンがあり、何組かで順番に登場したのですが、私達の組が一番良かった、と褒められました。演技のことなので、一番嬉しかったです。
こう言う事がお有りなのに、何故、、大きな役が貰えなかったのでしょうか。まあ、確かに「キャッツ」の様なミュージカルが出てきましたからね・・・・・。
時代の変遷には逆らえなかったのですよね、、
ところで私は、今、幻聴が可成り酷く出て居まして、、まあ、リスペリドンと言う薬を飲むと治るのですが....。なんか誰かが私の事を言って居るような感覚がするのですよ、、これは脳内ホルモンの分泌の異常で成る事で、、誰かがなんか言って居る訳では無いのですよね。
私はその事は重々、理解して居るので聞こえて来ても、無視を決め込んで居るのですが、何しろ脳内の事ですから厄介なんですよ。今日は訪問看護師の女の子が来てくれたので、、
それと私が最近嵌って居る。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」と言う。アニメがあるのですが、それの劇場版のBlu-rayが10月に発売になる事になりまして、Amazonに予約入れたのと、、
メルカリで北米盤のこの作品のTV全話がBlu-rayで売って居まして、全話13話で6千8百円なので安いので購入してさっき届いた所です。
だから、今から、観ようと思って居ます・・・・・。
まあ、私の歳でアニメかと思われるかも知れませんが、、私はこのblogで書いて居る様に、アニメーションの映画監督に若い頃はなりたくて、、ですので。アニメはいまだによく観て居るのですよ( ◠‿◠ )
今や、日本のカルチャーですからね、、世界中で此の作品は注目されて居ますよ。ところで此間紹介した青木志貴ちゃんは芸能高校に行ったらしいのですが。日舞。ダンス。芝居。ともトップだったらしいです。だから最近、注目されて居るのですよね。
私は気が若いから・・・・・・。彼女はでも、もう31歳なんですよね。
でも私から観たら娘の歳ですが。半分の歳なので・・・・・・。
今日は今まで薬飲んで寝て居たので、さっきラーメン屋に行って、冷やし中華食べてきたんですよ。そんな事です。。。。長々とすみませんでした。また来て下さいね。blogの更新は暫く休みますので、、よろしかったら過去記事を読んで頂けると嬉しいです。
それでは、また。宜しくお願い致しますね。。。。
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a>夕方にお邪魔いたします。ご気分の方はいかがですか ? 案じております。
演劇活動・有名人との出合いの続きです。
四季を辞めて、演劇活動を終わりにしたのではないか、と受け取られたかもしれませんが、まだ、尾を引いてました。TBSのアルバイトを条件の良い部署に変えてもらい、局内でなにか良いことにぶつからないか模索してました。部署を変えてもらったと言いましても、CMに使う商品・資材などを保管している倉庫番です。詰所が出演者の荷物預かり・ロッカーの貸し出し・全館放送をするテレビクロークの隣りの部屋でした。ですから有名人の色々な様子が手に取るように分かりました。当時は携帯がないので、タレントさんたち、クロークに備え付けの赤電を使ってました。いしだあゆみさん、加山雄三さんの奥さんになられた松本めぐみさんの電話が印象に残ってます。
暇な仕事だったので局内をウロウロしていると、あの時代は、世の中悠長で、生活しやすかったです。よく声を掛けられ、こんな仕事を手伝わないか、と誘われました。大映テレビの仕事もそうです。
当時は今のようなCMの作り方でなく、スタジオで手仕事でした、喜んでやりました。幸い仕事の二股は問題ありませんでした。クロークにもADがよく放送依頼で来て、顔見知りになり、私が役者志望と知ってドラマ出演に誘ってくれました。前にお話した「時間ですよ」「七人の刑事」題名は忘れましたが渡辺美佐子さんのご主人で大山勝美デレクターの番組、久世光彦デレクター(後に作家になられた) のドラマにも出ました。久世さんとは廊下でよく出合い、その度立ち止まって見つめられました。後で分かったのですが、映画を制作され、そのテーマがニヒルな若者を扱った映画でした。私も当時ニヒルな感じでしたので、もしかしたら、主役を物色していたのではないかと、後で分かりました。ここでもチャンスが実らなかったようです。
CM関係の仕事は沢山やりました。単発が多く、唯一レギュラーだったのが、資生堂がスポンサーの「女性専科」です。野際陽子さんが司会でモデルなりたての山本リンダさんが出演してました。野際さんとはお茶をする機会があり、新劇のカーテンコールは全員で深々と頭を下げるけど、あれは可笑しいと指摘され、リンダさんはまだ不慣れで、口紅を本番の時に付けていたので唇が歪み見た目が悪るかったので、本番前に予め塗っておいて、本番の時は軽くなぞればいいのではないか、とアドバイスをして上げました。
長谷川一夫さんとはトイレで出合いました。時代劇に出てらっして、私が先に入っていたのですが、誰かが慌ただしく入って来たので見ると長谷川さんでした。所が、我慢できなかったらしく、あそこを出して入ってこられたので驚きました。大俳優のイメージが狂ってしまいました。
本人にはお会いできなかったのですが、石原裕次郎さんの付き人が、せっせとビールを大量に買い込みロッカー運んでました。石原さんの酒好きは聞いてましたが、 出演中でも飲んでおられたようです。
クロークは、女性が担当でした。ですから軟派的お誘いがよくあり、有名人の不倫の話も知ってます。それは次の機会にお話します。今回はこの辺で。では、また・・・
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k>TBSでCMに使う商品・資材などを保管している倉庫番をなさっていたのですね。詰所が出演者の荷物預かり・ロッカーの貸し出し・全館放送をするテレビクロークの隣りの部屋だったのですか。
>ですから有名人の色々な様子が手に取るように分かりました。当時は携帯がないので、タレントさんたち、クロークに備え付けの赤電を使ってました。いしだあゆみさん、加山雄三さんの奥さんになられた松本めぐみさんの電話が印象に残ってます。暇な仕事だったので局内をウロウロしていると、あの時代は、世の中悠長で、生活しやすかったです。よく声を掛けられ、こんな仕事を手伝わないか、と誘われました。大映テレビの仕事もそうです。
大映テレビとはダイニチと関係があったのでしょうか・・・・・。確か日活と大映は組んだんですよね。ダイニチ映配を配給ルートとして使用した日活と大映は、1960年代からの日本の映画産業全体の斜陽化のあおりをまともに受けた映画会社だったんですよね、、
息詰まって居たというか・・・・・・。
確か2年ほどの期間で消滅しましたよね。
>題名は忘れましたが渡辺美佐子さんのご主人で大山勝美デレクターの番組、久世光彦デレクター(後に作家になられた) のドラマにも出ました。久世さんとは廊下でよく出合い、その度立ち止まって見つめられました。後で分かったのですが、映画を制作され、そのテーマがニヒルな若者を扱った映画でした。私も当時ニヒルな感じでしたので、もしかしたら、主役を物色していたのではないかと、後で分かりました。ここでもチャンスが実らなかったようです。
これってダイニチだったら。原田芳雄さんが主演した、、「反逆のメロディー」か彼のデビュー作になった。石原慎太郎原作の「復讐の歌が聞こえる」だとかだったのでは無いでしょうか、、
私が聞いた話では芳雄さんは「アドリブ」と言う喫茶店で、、プロデューサーの方と会ったそうで。「ヤクザ映画」だったのですが。当時は芝居が面白くて仕方がなかった芳雄さんは断るつもりで「この侭の格好なら出るよ」とデニムジャケットとジーパンの格好で言って頭の髪の毛も長髪だと言ったら。「それでいい」となって出る羽目になってしまったと聞きました。
もしダイニチ作品だったら。あの映画はニヒルな主演を探して居たから、、その可能性はないでしょうか・・・・・・・。
資生堂がスポンサーだった「女性専科」は野際陽子さんでしたか、、話は何となく聞いて知って居ましたが、、確か日本で一番最初に、ミニスカート履いたのは野際陽子さんでしたよね。。。
私は山本リンダさんが好きだったんですよ。大ファンでした。今はもう70歳ぐらいですけど。相変わらずお茶目で可愛いですよね。1970年代初頭はお色気路線で売って居ましたけど。
https://www.youtube.com/watch?v=xP0Y-7pTzMItarget="_blank"
https://www.youtube.com/watch?v=pIAo-CxHKiM
https://www.youtube.com/watch?v=f_Bk3iIrN_4
https://www.youtube.com/watch?v=aOg9me6TX8U
話は変わるけど、、あと好きだったのは話もした風吹ジュンさんでした。長谷川一夫さんは意外な一面で笑いますね・・・・・・。( ◠‿◠ )裕次郎さんは可成りな大酒飲みだったらしいですね。
まあ、芳雄さんも大酒飲みだったから。ただ芳雄さんはバーボン一筋だったらしいですね。だからか2人とも大病しましたね。。。
確か原田芳雄さんは「真夜中の警視」だったと思いますけど、、無免許運転で事故って、番組が中止になったそうで、、腐って俳優仲間と麻雀やって居たら。そこに「太陽にほえろ」で
主役が決まった松田優作がバーボン土産に持って挨拶に来て。それまで、芳雄さんはジンを飲んで居たらしいのですけど、、バーボンを飲んだら上手いのでそれ以来、バーボン一筋だったらしいですね。また話の続き聞かせて下さいね....。それではまた。。。。
https://www.youtube.com/watch?v=ESO-UUVqk-M&t=17s" >
https://www.youtube.com/watch?v=ESO-UUVqk-M&t=53s
今回は此処までです。にのみやさん宜しく。。。。