昨年書いた記事から自分で読んで、もう一度記載したく思った話です。読んで見て下さいね。また読む事が出来るかと思います。それと新しい記事も書いて居ますよ。
kiyasumeの飲んで居る薬。。。これが曲者で、眠くなるのです。。。
今日ヘルパーのおばさんが来た。此間から何か元気が無いなと思って居たら。来週の火曜日に手術をするそうだ。何でも甲状腺の手術との事だった。私が知って居る甲状腺切除の手術と言うとバセドウ病の手術が思い浮かぶ。色々と症状はあるが酷い場合は眼球が前に飛び出してくる事もありますよ。私は1970年代にそう言った症状の女の子を電車の中で見て居る。この子。治療方法を知って居るのかな?と思って話しかけようかと思ったくらいだ。大抵は甲状腺の切除で病状は治ると聞いた...。
以下にバセドウ病について書いて見ました。よかったら読んで見て下さい。此処で知らなかった方はちょっとした知識になりますよ・・・・・・。
概要
バセドウ病は甲状腺機能亢進症を起こす代表的な病気で、甲状腺ホルモンが過剰に分泌されることで、動悸や息切れ、手足の震え、疲れやすさやだるさなどさまざまな全身症状が起こる。20~50歳代に発症することが多く、中でも30~40歳代の患者が多い。男女の比率は男性1人に対して女性5~6人程度と女性に多く見られる。
原因
バセドウ病は、いわゆる自己免疫性疾患のひとつである。自己免疫性疾患とは、通常は細菌やウイルスなどの外敵を攻撃・排除する免疫細胞(抗体)が、何らかの原因で自身の体の組織を外敵とみなし、誤って攻撃して起こる病気である。バセドウ病の場合、何らかの原因で甲状腺組織に対する自己抗体が発生し、これが刺激となってホルモン合成が亢進することで発症する。なぜ抗体が作られてしまうのか原因ははっきりしていないが、遺伝的な要因のほかストレスや喫煙、過労などと関連があるとされている。
症状
甲状腺ホルモンが過剰に分泌されることによって新陳代謝が活発になりすぎるため、常に運動しているような状態になり体が消耗する。食欲は増すのにそれ以上にエネルギーを消費することから、食べても食べても体重が減るようになり、疲れやすい、汗をかきやすい、下痢をしやすいなどといった症状も出る。そのほか、動悸、脈が早くなる、手の指が震えるようになる、よく眠れない、精神的に落ち着かなくなりイライラするといった症状が出ることもある。目に見える症状では眼球が前に押し出される眼球突出や甲状腺の腫れなどが見られることもある。ほかには周期性四肢麻痺と呼ばれる筋肉の麻痺を起こしたり、女性の場合は月経不順が起こったりすることもある。自律神経失調症や更年期障害に似た症状が多いため間違えやすいが、放置しておくと心不全など命にかかわる症状が現れることもあり、適切な治療を受けることが大切である。
検査・診断
触診で甲状腺の腫れを確認するほか、血液検査で甲状腺ホルモン、甲状腺刺激ホルモンの量と、バセドウ病の特徴であるTSH受容体抗体があるかどうかを検査する。場合によっては、放射性ヨウ素を使ってホルモンの原料となっているヨウ素が甲状腺に多く取りこまれるかを調べるアイソトープ検査(核医学検査)も行う。また、超音波検査で甲状腺の大きさや血流の状態、しこりがあるかどうかを確認し、ほかの疾患がないかどうかも調べる。甲状腺ホルモンの分泌量が多いと心臓に負担がかかることもあるため、必要に応じて心電図や胸部レントゲン検査を行う。また、眼球突出による視力低下の可能性が考えられる場合は、眼科を受診して眼の検査やMRI検査を行う。
治療
治療の基本原則は甲状腺ホルモンの合成を抑える抗甲状腺薬による薬物治療である。症状によって適切な量の薬を内服することで、個人差はあるが1~3ヶ月程度で甲状腺ホルモンの値が正常に近づき、症状が治まることが多い。内服薬での治療は最低でも2年ほど掛かり、甲状腺の機能がきちんと保たれるようになれば薬を中止出来ることもある。薬物療法以外には、放射性ヨウ素のカプセルを摂取することで甲状腺の細胞を減らす放射性ヨウ素治療や、手術によって甲状腺を摘出する手術療法がある。治療法の選択は、甲状腺機能の程度や患者の年齢、薬に対する副作用の有無などを総合的に考慮して決める。いずれの治療であっても、甲状腺ホルモンの分泌がコントロールできれば、健康なときと変わらない生活を送ることが出来、妊娠・出産も可能である。
予防/治療後の注意
喫煙は抗甲状腺薬による治療の効果を弱めてしまうだけでなく、眼の症状が悪化する原因にもなるので避ける必要がある。
障害を持った女の子の話と.....。
その話と。そして会社に居た人たちの話。あと同棲についての話そしてラジカセの話などです。では読んで見て下さいね。宜しく........。
『ある障害を持った女の子の話.....。』
今回はある障害を持った女性2人の事を話したくなりました。何時もは文をよく確かめるのですが今回は確かめずに投稿します。そのほうが良いと思って。したがって誤字などありましたら御注意願います。人は弱いものです。すぐ楽な方にと片寄って行ってしまう。今の時代。悪い事は蔓延して居ます。健康面も道徳面も、そして私は今女性が狙われて居る事に危機感を持って、よくニュースなどを観て居ます。ネットを見れば、どれもこれも悪い情報が蔓延って居ます。今回、話す話は以前にも話しました。しかし、今回はもう少し深く話して見ました。聞いてやって下さい。今回はその話とあと2つの話だけです。話の前に聴覚障害者の感動的なアニメを動画で紹介して置きます。
最初と最後にあるアニメの短い動画を入れて置きました。障害を持つ女の子といじめた男の子の高校生になってから再び出会った許しと再生の物語です。京都アニメーションの名作「聲の形」です。まずそちらからご覧下さい。
【MAD】聲の形「打ち上げ花火」
映画 「聲の形」 紹介 - THE SHAPE OF VOICE -
【MAD】Koe no Katachi - Koi wo Shita no wa (恋をしたのは)
映画「聲の形」公開記念特番 ~映画「聲の形」ができるまで~ ロングバージョン
こう言う話をある若い女の子から聞いた事がある。その子は京大を主席で卒業して居た。とにかく頭がいいのだ。しかしその子は精神を病んで居た。そして、その子が言うには本は買わないと言うのだ。私が「どうして?」と聞くと一度読めば全部頭の中に入って仕舞うと言うのだ。記憶してそして2度と忘れないと言う。一度読んだだけで、だから京大を主席で卒業したのだ。前にも書いたがその子は多重人格者だった。道を歩いて居ると突然、人格が入れ替わり。周りの人がびっくりして居るのは判るのだが、本来の自分はすぐに消えて仕舞い何も分からなくなると言うのだ。その子には3人の人格があり、そのうちには自分とは正反対の性格の乱暴だが陽気な人格と、8歳ぐらいの子供の人格があると言って居た。私は彼女を見守って居た。私なぞは頭が悪いから本を読んでもすぐに内容の事は忘れて仕舞う。だから、手元に本が無いと非常に困って仕舞うのですよ。だから、本は図書館で借りるのではなくて、なるだけ購入する事にして居る。最近では、あのホスト界の帝王のローランド君の自伝記も購入して居る程だ。ケア・マネジャーが夏に来た時に「これ、買ったんですかぁ〜」と呆れて居たが。確かに読んで見たら、彼はまだ若すぎて居て、内容は余りいいものでは無かったが。文体は彼のビックマウスにふさわしく。しかも丁寧な文体で面白くは読めた。そして彼の兄貴分と言われるGACKT君の本も2冊ほど購入した。読んで居て彼のセンスの良い文体と、緻密でずっしりと内容がある事に驚いた。彼は非常に苦労人で頭がいいのだ。
私のアパートの部屋は何せ狭い5畳半のお勝手に6畳間の和室に、風呂、トイレ別には付いて入るが、お勝手が幸いにも6畳近くあるので、本棚一つとカラーボックスに入れた本とCD,DVDが置けた。6畳間にも本棚が一つそれにDVDーRとDVDソフト、レコードが置いてある。書籍の冊数は900冊には一応はなる。まあ、本当に書籍を持って居る方から見れば、大した冊数では無いだろうが....。話はその子の事です。彼女は自分の病気と言うか障害だが。この事を悔やんで泣いて居るような子では無かった。本を買わない彼女が専門的な精神医学の分厚い医学書を取り寄せて、自分で自分の病について読んで分析し考えて居た。知識はおそらく相当にあったろうと思う。恐らくは普通の精神科医並みにだ。彼女が言って居たが。主治医に自分で自分の病の所見を口頭で述べたり。レポート用紙に書いて渡したりして居たと言う。ある時は主治医よりも自分の見立ての方が正しかった事もある、と言って居た。私同様彼女も障害のせいで兄弟からは見捨てられて居ると言って居た、弟は居るがもう何年も音沙汰が無いと言う。どうやら彼女はたまに伯母が来て、食事などの面倒は見てくれて居る事もあったが。殆んど一人切りで小型の犬を飼い。雨の日でも犬の散歩に出掛けたらしかった。何時もblogには彼女が食べる定番のメニュー。スパゲッティー・カルボナーラ。たらこ・スパゲティー。そして庶民的な焼き鳥屋での焼き鳥とビール。の写真が載って居た。彼女は慢性的に左腕が痛かった。曲げる事すら出来ず。麻薬性の強い貼り薬と痛み止めを飲んで居た。痛み止めが効くのは5時間が限度。そしてそれ以上は飲めない劇薬だった。彼女から聞いた話だが腕が余りにも痛いので京都の病院でそう言ったら、
「嘘ついてるんじゃないの?」と言われたと言って居た。私はその話を聞いて「なんて医者だろう」とは思ったが。私も主治医に受け居られるまでは、罵声を浴びせられて居たから気持ちはよく分かって聞いて居た。そして、彼女は精密検査になった。結果腫瘍が体の中に5つも出来て居る事が分かった。彼女は言って居た。前にもそんな事があってうつ伏せになって、手術をしたと言う。彼女は腫瘍のレントゲン写真を見せられて、自分でも医学書を読んで調べ始めた。そしてそれから程なくして主治医から手術をすると言われた。腫瘍は全て悪性のものだった。癌だったのだ。彼女の腕が痛いのもそのせいだった。彼女は悩んだ。思えば自分が多重人格になったのは、両親が鉄道自殺で電車に飛び込んで轢かれたのを見たせいだった。彼女はそれ以来。人格が3つに分裂して多重人格になって仕舞ったのだ。
彼女は薬で私同様にフラフラになり、よく歩いて居て木にぶつかったり、ビルの壁にぶつかったりすると言って居た。そして彼女はそんな自分を鼓舞する様に、企業で働いて居た時に購入して居た、愛車に乗って病院通いをして居た。それから、なんと彼女は自分の病状をある企業に出向き明かして入社試験と面接を受けた。そして内定を取り付けたのだ。処が、主治医が許さなかった。彼女は1日4時間の契約で障害者枠で入ったのに。彼女は自分に最後の希望を保とうとして居たのだ。そして彼女は手術の3日ほど前になって突然blogはもう辞めると言って来た。私は何かが変だと直感した。彼女は主治医から「手術をしても無駄だろう」と言われたらしいのだ。私は彼女に無意識に言って居た「早まるな!!早まらないで!!」その3日後。彼女のblogにはベットに腰掛けて微笑んでいる美人の彼女の写真が貼ってあった。「今まで、有難う。」そうその下に書いてあった。それが彼女の精一杯のお別れの方法だった。彼女は亡くなり。blogは親族に寄って閉じられた。もう彼女はこの世には居ない。彼女の痕跡もどこにもない。ただ。京大の病院に彼女のカルテがあるだけだ。
人は強い人間など1人も居ない。どんなに悪党でもどんなに卑劣漢でも心の中には弱いが優しい部分を持って居るものだ。例え演技であろうと。この間、北朝鮮の金正恩が人民大会で私が不甲斐ないせいで人民には苦労を掛けて居ると泣いて居る映像が映って居た。私は松田聖子は嫌いだが。彼女が若い頃に、歌謡賞を取った時にブリッコで泣いたが涙は出て居なかった。GACKT君と対談話になった時に、彼を単なるプレイボーイのバカと決め付けて、彼が「今度どこかに食事にでも行きましょうか?」とエスコートしたら。彼女はゲラゲラ笑い出して。「夜じゃなくて昼にねぇ〜」と彼を目一杯おちょくってバカにして居た。GACKT君は黙った侭だった。彼は聖子を先輩として立てたのだ。彼に取ってあんな女は嫌なはずだ。性根が腐って居る人間は治しようがない。幾ら誠意を見せても。此方の事はバカにしたきりだ。そしてそう言う人は大抵頭が悪い。頭が悪いとは勉強が出来ないと言う事とイコールではない。人間的にバカなのだ。私は今また。先ほど言った死んだ彼女の事を思い出して居る。彼女は精一杯生きたのだろうか、、激痛に耐えて自分の障害のある人生に耐えて。人から変人扱いをされて。しかし彼女は精一杯生きたのだと私はそう思いたい。辛い人生だったね。でも今は亡くなったお父さんお母さんと一緒に天国で暮らせて居るのだね。僕にはそれが唯一の救いだよ。
ヴァイオレットエヴァーガーデンMAD【ヴァイオレットと少佐が尊すぎて】
それから、以前私は、障害を持って居る女性とまた話をして居た。彼女は脳出血で、寝たきりだ。彼女には優しい母親がいれば旦那さんも居る。私はよく彼女と障害について話して居た。彼女も私なんかよりも頭がいい。理系の大学を卒業して居る。脳出血になる前は趣味がバイオリンを弾く事だったと言う。私は彼女によく動画を掲示板に貼り付けてあげて居た。彼女は半身不随の上に耳が聞こえないのだ。私の彼女に対する夢はいつか耳が聞こえる様になった彼女に、下手だけども私がブルースハープを吹いて聞かせてあげる事だ。彼女に言ったら。一度聞いて見たいと言って居た。よく弱いものはダメだ彼らにあるのは馴れ合いしかない。この世は強いものが制すのだと言う人も居る。成る程そうだろう。世の中は弱肉強食だ。動物の世界だって弱いものから喰われて行く。その点。花はすごい存在だと思う。突風災害に遭っても咲き続けて人に安らぎを与えてくれる。花は何も言わない。そして何も見返りを求めては来ない。ただ美しく咲いて居るだけだ。
しかし彼女は最近になって掲示板を閉じて仕舞った。状態も悪い見たいです。私は陰ながら心配して居ます。勝手暗殺されたジョン・レノンは妻のヨーコ共々菜食主義者だった。内田裕也がアメリカに住んで居る彼の家に行って食事を出されて食べた処。彼は余りに食べて居るものが質素なので驚いたと言って居た。昨年はジョンの生誕80周年だった。生きて居ればもう80歳になる。時代は移り変わって行く。ジョンレノンさん。あなたが今から40年も前に言って居た、人種差別も戦争も無くなっては居ません。世紀は変わったけど、人間は愚かな侭ですよ。皆んないい人ほど先に行ってしまう。石原裕次郎、原田芳雄しかり。来ないだも、ロック・ギタリストの。エディー・ヴァン・へーレンが亡くなった。まだ65歳だった。喉頭癌だった。私は最近の若者たちに期待をして居る。特にミレニアル世代の優等生たちにだ。彼らは、何かやり遂げてくれるだろう。政治家も学者も哲学者も会社の社長も若い人材が輩出されて来て居る。時代はコロナと言う病が蔓延り出した。しかし近い将来何時かは克服されるだろう。ワクチンも出来た。人間の寿命の様に。コロナにも終わる時が何時かは必ず訪れる....。それまでの辛抱だ。さぁ、気合を入れるかな。私とてあと10数年は生きたいもの。この話は此処までにして置きます。此処まで付き合ってくれて有難う。。。
私は思うが、高校時代にろくな成績も取れずに卒業して生きて来た様なおばさんは知能程度が低い。昔だが、私が明大前の床屋でカットして貰ったのだが薬を飲んで居るせいで眼の淵が紫色になり意識朦朧として駅まで歩いて行ったら。おばさんが私の方を向いて私をバカに仕切った顔をして笑みを浮かべて見て居た事があった。また、近所の京王ストアーに母が行って。薬局売り場のおばさんに「「赤チン」下さい」と言ったら。そのバカ女は「アラ〜〜。嫌だわ奥さん!!。アカチンだなんて、旦那さんのあそこが腫れてるのぉ〜〜」と言った大バカヤローババアが居た。「赤チン」とはメルブロミンの水溶液(メルブロミン液)は暗赤褐色の液体であり、商品名のマーキュロクロム液あるいは通称の赤チン(あかチン)として知られて居るのですよ。 通称の赤チンは「赤いヨードチンキ」の意味で、同じ殺菌・消毒の目的で使われる希ヨードチンキが茶色なのにたいして。本品の色が赤いことからつけられたのです。薬売り場にいて「赤チン」の意味を知らなかったのですよ。そう言う無知なおばさんたちが、この国には沢山居ます。明大前で私を見たおばさんは。私の外見上その風貌を見て「へっ!!こいつは頭がおかしい精神異常者だろバカか!!」と思ってバカにしたのでしょう。確かに私が母に読む様に購入した「精神分裂病の全て」と言う本には、「勉強が出来る人。要するに頭がいい人と勉強が出来ない人と比べると、頭がいい人の方が症状は軽く。また、小卒。中卒。高卒。大卒。大学院卒を比べると高学歴者の方が病状を自分で把握出来るから余りおかしな行動は取らないし病状も普通だ。」と書いてあった。しかしこれには私は異論がある。
大学院を出て居る様な人間でもバカは沢山居る。言って見れば利口バカだ。勉強の知識は豊富にあるが人間的にバカな人が結構居る。知識を一杯知って居て、言えるから利口とは限らない。一見、皆んな学歴で相手を見て仕舞いがちだが、よくこう思う事は無いだろうか。「勉強が出来る人って言って居るけど。そう言う人ってなんか変だ。」と、、人は勿論勉強も大切だが(こう言う事は勉強をして来なかった私が言ってもシャレにもならないけど)一番大切なのは人に対する真心だそして誠実さだと思う。現に私が入院して居た病院にも。大学院出身の患者が居たが。とても利口とは言えなかったし。病状も悪かった。例えば、大学教授が卒論やら博士号の論文が書かれた、原稿用紙やらレポートをよく机への中に放り込んで鍵を掛けて、ろくに見もしない事がある。そう言う事がしばしばある。何故ならその学生がお金を持って来るのを待って居るのだ。私の義理の兄もやられた。教授に提出したら、それっきり見ようともしなかったそうだ。だから論文がダメなんだろうと、それから3回も書き直して持って行ったが、全て机の引き出しに入れて鍵を掛けて一度も見ないのだそうだ。それで考えた末に姉がその教授の御宅に伺い300万を入れた袋を渡すと。その教授は、「よしよし、要約分かったかね、、」と言って。義理の兄は論文が通り博士号が取れたそうだ。教育者?私は反吐が出る!!。弟もまた多分そうだったのだろうと思う。あいつは私になりすまして銀行に行き私の通帳から200万を引き出した。多分教授に渡す金だったんだろう。政治家だって何だって世の中は皆んな金で廻って居る。だから私の様な者は生きられない。金が無いのだから。此れを読んで居て自身が「自分は勉強が出来ない」と言う人が居たら言いたい。何も勉強が出来なくても教養は本を読めば身に付きます。本をよく読みましょう。買えなくても図書館に行けば幾らでも置いてあり。借りる事もそこで読む事も出来ます。それから自分は美人じゃ無いと思って居る女の子へ。男は確かに顔に惚れる人も居るけど。殆んどの男がその子の優しさ誠実な可愛い心に惚れるのですよ。だから美人じゃ無いからと言って気にしないでね。優しい女らしさを磨いて下さい...。
===「2人の貧乏人」===
(現在は終売して居ます)
粉末ジュースは、今では殆んど飲まれなくなったが、粉末の状態で販売され、水に溶くと清涼飲料水になる商品の俗称です。1950年~1960年代に掛け人気があり、数多くのメーカーが取り扱って居た為、粉末ジュースは駄菓子屋に行くと必ず販売されており、子供達に取っては低価格でジュースが飲める人気の製品だった。しかし、人工甘味料(チクロ)が人体にもたらす悪影響が社会問題化して使用禁止となった殆んどのメーカーが粉末ジュースから撤退して行った。今では松山製菓だけが販売しています。そして幼稚園児だった私が外でコップに入れて飲んで居ると。必ずHがやって来て貸せと言って半分は飲んで仕舞うのだった。私が幼稚園で風邪を引いて帰らされる時に必ずHが向かいに来た。
そしてミゼットに乗せると運転をして、私を自宅まで届けるのだが。私がものを一言でも言おうとすると「うるさい!!ガキは黙って居ろ!!」と怒鳴られた。そして食堂で皆んなしてご飯を食べるのだが。二人とも大口を開けてご飯をこれでもかと口一杯に押し込んで食べて居た。そしてこの事は前に書いたが。Pは食卓にウスターソースとか醤油が置いてあると、それをジャボジャボご飯に掛けて食べて居た。そうやって食べるのが当たり前の様に振る舞うので、母が怒ってソースやら醤油を取り上げて怒ると「奥さんは何故怒こるんだろうか?」と言う始末だった。貧しい漁村で育ったPは、貧しすぎて。毎回食事のおかずが無かった。食べられなかったのだ。食べられたのは塩で握った握り飯だけだった。だから握り飯も食べられない時にはご飯に直にソースやら醤油を掛けて食べていた。それがおかずだったのだ。Hはご飯の大盛りを自分で装って5杯は食べた。母は毎回怒って言って居るのだが、この2人は何も聞いて居ない様だった。
昭和30年代に走って居た。ミゼットの写真。
しかしHは私が会社に入社して。私が車に乗ると大抵は埼玉まで行くのだが。得意先が埼玉のケーキ屋とかスーパーの中にあるパン屋だからだけども。そして食事は毎回「山田うどん」を食べた。「山田うどん」は安いし確かに美味しい。築地に行った時には珍しく私に刺身定食を食べさしてくれた。Pと乗ると大抵、高速の脇にライトバンを停めて寝て仕舞った。私はトイレにも行けず。道路の端なので横に停めてある車から歩いて。高速を降りてパーキング・エリアまで行って缶コーヒーを飲んだものだった。彼の口癖は「ちょうちゅね〜」でよく得意先からバカにされて居た。職人が彼に大皮肉を言うのだ。ある時には「Pさんは学歴無いから。『ちょうちゅね〜』としか言えねえんだろ?」と私が居る前で大笑いをされて居た。彼は、何時も私の実家の1階が会社だった頃に。私の自宅の脇に道があり。そこに車を止めて、昼になると、うたた寝をして居て。
私が休みだから中古レコードやら中古ビデオテープを買って袋に入れてその車の横を通ろうとするとガバッと起きて「〇〇ちゃん!何買って来たの!!」と言うが早いか袋をもぎり取り。勝手に袋を開き中古レコードやらビデオソフトを取り出し。「此れが蓄音機に掛けてゴーゴー踊るやつだろう?」と時代錯誤な事しか言えない。私は「勝手に見ないで下さいよ!!」と何時も怒って居た。ある日だが私がPさんと帰って来て。業務日誌を付けて居たら。突然「俺を!!バカにしてるとしか思えないよ!!」と言って。ヤカンに入って居るお茶を私の業務日誌のノートに掛けてびしょびしょにして仕舞った。私は怒ろうとしたが。皆んなは無視をして居た。親御さんが亡くなって親父と母が葬式に行って見たら、畳がなくて、板張りの上にゴザが敷いてあったそうだが。結局Pさんは最終的には、会社が嫌になり50歳ぐらいになって卵屋を始めると言い出したのだが、まず片眼が見えなくなり潰れて。姉の旦那が眼科医だったから見て居たのだが、医療費が払えずに居て、、義理の兄はそれでも診て居たのですが、その後もう片方も失明しました。
育つ過程で栄養不足だったのですよね。
人には色々と事情があります。いま。その人はどうして居るか解りません。
会社は辞めましたから、、、、
Hに付いては、色々言いたい事は、もう今まで散々言って居るので。此処ではもう言わないが。彼も、人が食べて居る食事を「オラさが食ってやる〜〜!!」と言っては食べたり。人が飲んで居る缶コーヒーを飲んだりして居た為か、筋萎縮性側索硬化症と言う難病に掛り死んで行った。ただ、この男は死ぬ時が解って居たのか、3千万円の保険金が貰える生命保険に入って、死んでも家族には3千万を残した。
まあ、貧しいと言う事はろくな事にはならない。この文章を書いて居る私も。あとほぼ1年と少しで、金は尽きる。さあ、生活保護が通らなかったら自殺するしかない。誰も助けてはくれませんからね。世の中とはそんなものだ。私はもう何も期待はして居ない。所詮、障害者。精神障害者は見殺しにされるのです。
==「同棲に付いて」==(過去記事から引用です)
結婚前に同棲するのがいいのかどうか、今でも議論が分かれて居る。「独身脱出」を優先する立場は同棲すると幻想が崩れるからNG、他方、結婚後の「結婚生活」を重視する立場はむしろ結婚前のすり合わせをベターとする。結婚観の違いが同棲観にも反映して居る訳だ。以下は佐藤信: 東京大学先端科学技術研究センター助教の書いた本から抜粋し少しだけ加筆して居ます。
しかし、これらの立場に共通しているのは結婚からバックキャストして同棲を捉えている点だ。よりよい結婚に結び付くかどうかで同棲の善しあしが決せられる。
かつてはそんな事はなかった。若者はもっと無鉄砲で恋愛の先に同棲を捉え、そこから先がむしろ隔絶して居た。戦後日本の同棲について最も有名な歌はかぐや姫の「神田川」(1973年)だろう。
この時代には林静一の漫画「赤色エレジー」やら上村一夫の漫画『同棲時代』も話題になり、、評論家の四方田犬彦も「若いカップルの同棲がいたるところで目に付く事になった」と書いて居る(『歳月の鉛』)。知らない世代の読者のために記しておけば、この「神田川」と言う歌は神田川を見下ろす「三畳一間の小さな下宿」、当然風呂は付いていなくて銭湯へ通う、そんな同棲生活を懐かしむものだ。
このストーリーは、作詞の喜多條忠の学生時代の体験を基にして居ると言うから、1947年生まれの喜多條が早稲田大学を中退するまでの60年代後半、1965年の日韓条約批准への反対運動から大学紛争へと学生運動が高揚していく時代の風景がモデルになって居る。
紛争の時代。とくに日大なんかそうだった訳だけれど、私大の紛争の前提には学生数の爆発的増大があった。その多くはもちろん地方から上京してくる若者たちだ。彼らは安い下宿を借りて、働きながら大学へ通うか、もしくは通わずにジャズ喫茶でキザに本を読む。もしくは喜多條のようにパチンコを打って、親からの仕送りをパーにする。紛争の時代は下宿の時代でもある。