寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

モロモロですが・・・

 今日は病院に行って来た。主治医に異常に太ったと言ったら、いつも何食べているのかと訊かれた。朝はいつも通り、もやしとニラを炒めて、目玉焼きに、食パン一枚。それにコーヒー。昼は食パン一枚とコーヒー。夜は宅配弁当に食パン一枚にコーヒー。あと夜食に食パン一枚かコンニャクを炒めてソースを掛けて食べていると言ったら。食パンが良くないと言われた。「夕食は弁当だけ。夜食はコンニャクだけにしなさい」と、、、「また、入院しますか?」と言われてしまった。まあ、解っては居たのです。2ヶ月で5キロも太ってしまったのだから。三日前から、食事はセーブしている。痩せる薬として、漢方薬のツムラ暴風通聖散エキス顆粒(医療用)が処方された。出して下さいと頼んだのだけども....前に他の病院で処方されて効果があったので。腹部に皮下脂肪が多く、便秘がちで高血圧に伴う動悸・のぼせ・肥満症、むくみなどを改善する薬です。ちょうど此処の処、血圧が高くて眼圧も高いみたいなので、血圧は一昨日看護婦さんに計ってもらったら上が145ぐらいで下が100もあったものだから。多分血圧が高くて目の奥が引っ張られるのだろうと思う。まあ、関係ないかもしれないけど。入院は支度は無いので、ダイエットに勤しむことにします。


それから、帰りに病院近くの啓文堂書店に寄って見た。 何も買わなかったが。ああ、望月三起也の「ワイルド7」が連載50周年だそうですね。書店に記念本が置いてあった。高校の頃に少年キングに連載されていてたまに見ていた。紅一点のユキのセクシーシーンが記憶に残っている。望月さんはセクシーな美女を描くとうまかった。。。寺沢武一も「コブラ」「ゴクウ」などセクシーな美女が出てくるが。しかし私は「哀しみのベラドンナ」のイラスト画家、深井国さんの描く女性の絵が好きなのです。昔、日本で美人画を書かせたら深井国の右に出る者はいないと言われていました。

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 Belladonna Music Video

このアニメは、前に私のブログで紹介していますが。海外での評価。特にヨーロッパ。ドイツ。フランス。で評価が高いですね。芸術の域です。深井さんはSF小説の押絵作家としても有名です。深井ヒローと言う名でマンガも描いていました。今でもイラストを描いています。一時期、つげ義晴と同居していた事もあるそうです。あと漫画家では「20世紀少年」の浦沢直樹も海外で人気がありますね。

中古DVD....

中古DVDの「ゲンセンカン主人」を見つけて購入した。以前、購入しようとしたが無かった為。つげワールドを石井輝男が映像化しています。「季さん一家」「赤い花」「ゲンセンカン主人」「池袋百点会」の4編のつげ義春の漫画を実写映画として撮っています。つげ義春に限らず「ガロ」に連載されていた漫画は映像化されやすいので他にも鈴木翁二の「オートバイ少女」とか「ガロ」の30周年記念にあがた森魚が監督していますね。持っていますが。今は廃盤でプレミア価格が付いていますね。「ガロ」で発表された漫画はどれも実写化できる作品が多いです。。。

数十年前、当時のニューアカの中心人物だった浅田彰や中沢新一、また彼らの後見人的存在の蓮実重彦や柄谷行人らも含めて、彼らは吉本隆明という巨大な存在に対する思想的カウンターパートとして出てきた側面があり難解なものをいかにわかりやすく説明するかということが一つの流行になっていたこともありました。吉本隆明は知の巨人でした。 

 吉本隆明。

詩人、評論家。東京に生まれる。東京工業大学電気化学科卒業。いくつかの会社を組合運動で追われるが、その間、戦中世代として受けた敗戦の衝撃からの精神的転機を図る思想劇ともいうべき、詩集『固有時との対話』(1952)、『転位のための十編』(1953)、評論『マチウ書試論』(1954)などを発表して注目された。ついで、戦後革命とその挫折(ざせつ)を弾劾する論拠として、戦前戦後のマルクス主義文学者の戦争責任を糾明する評論『文学者の戦争責任』(1956)から、さらに転向の原因を権力の強制による屈服とする通説に反して、大衆からの知識人の孤立として剔抉(てっけつ)する評論『転向論』(1958)に及ぶ、非共産党左翼の思想と論理の確立に努めた。安保闘争に際して「全学連」を支持し、1961年(昭和36)「自立」を掲げ、谷川雁、村上一郎(1920―1975)と『試行』(1964年に個人誌に切り換え)を創刊。「大衆の原像」論の視点から『日本のナショナリズム』(1964)、『自立の思想的拠点』(1966)の刊行を経て、それを『共同幻想論』(1968)の刊行によって結実する一方、文学における言語表現の分析『言語にとって美とは何か』(1965)、心的世界の解明『心的現象論序説』(1971)の刊行によって既成のプロレタリア芸術論を排した。その後、多様化した評論活動として、『源実朝(さねとも)』(1971)、『源氏物語論』(1981)等の古典文学論、『最後の親鸞(しんらん)』(1976)、『〈信〉の構造』(1983)等の宗教論、『悲劇の解読』(1979)、『宮沢賢治』(1989)等の現代文学論、『マス・イメージ論』(1984)、『ハイ・イメージ論I・II』(1989、1990)等の大衆論と表現論を融合する取組み等、文学と思想の浩瀚(こうかん)な著書によって、不断に革新の展望を開いた。

吉本隆明、全著作。

『吉本隆明全著作集』15巻・続3巻(1968~1975、1978・勁草書房) ▽『吉本隆明全集撰』全6冊(1986~1988・大和書房) ▽吉本隆明研究会編『吉本隆明が語る戦後55年』1~12(2000~2003・三交社) ▽『吉本隆明全集』38巻・別巻1(2014~ ・晶文社) ▽『共同幻想論』改訂新版(角川文庫) ▽『心的現象論序説』改訂新版(角川文庫) ▽『マチウ書試論・転向論』(講談社文芸文庫) ▽『源氏物語論』(ちくま学芸文庫/洋泉社・MC新書) ▽『ハイ・イメージ論1~3』(福武文庫/ちくま学芸文庫) ▽『宮沢賢治』(ちくま学芸文庫) ▽吉本隆明著『わが「転向」』(文春文庫) ▽『定本言語にとって美とはなにか1~2』(角川文庫) ▽鮎川信夫著「吉本隆明論」(『吉本隆明詩集』所収・1958・ユリイカ) ▽磯田光一著『吉本隆明論』(1971・審美社) ▽菅孝行著『吉本隆明論』(1973・第三文明社) ▽埴谷雄高著『吉本隆明を「読む」』(1980・現代企画室) ▽好村冨士彦著『真昼の決闘――花田清輝・吉本隆明論争』(1986・晶文社) ▽神山睦美著『吉本隆明論考――了解を基礎づけるもの』(1988・思潮社) ▽松岡祥男著『吉本隆明と吉本ばななのあいだ』(1990・大和書房) ▽鷲田小弥太著『吉本隆明論――戦後思想史の研究』(1990/増補版・1992・三一書房) ▽斎藤慎爾編『埴谷雄高・吉本隆明の世界』(1996・朝日出版社) ▽吉本隆明・吉本ばなな著『吉本隆明×吉本ばなな』(1997・ロッキング・オン) ▽芹沢俊介著『主題としての吉本隆明』(1998・春秋社) ▽小浜逸郎著『吉本隆明――思想の普遍性とは何か』(1999・筑摩書房) ▽岡井隆著『吉本隆明をよむ日』(2002・思潮社) ▽竹田清嗣著『世界という背理――小林秀雄と吉本隆明』(講談社学術文庫)』

 昔買った、「共同幻想論」のCD-ROM.

✳︎「共同幻想論」とは。

共同幻想論とは、幻想としての国家の成立を描いた国家論である。当時の国家論は、集団生活を成立させる機能として国家を作ったという社会契約説や、国家とはブルジョワジーが自分の既得権益を守るために作った暴力装置であるというレーニン的な国家論が一般的であった。つまり、国家とはルール体系であり、機能性を重視したシステムなのである。しかし、吉本は、国家とは共同の幻想であると説く。人間は、詩や文学を創るように、国家と言うフィクションを空想し、創造したのである。これはルイ・アルチュルセールのイデオロギー装置論に似ている。人間は自分の創り出したフィクションである共同幻想に対して、時に敬意を、時に親和を、そして時に恐怖を覚える。特に、原始的な宗教国家ではこれは顕著である。その共同体で、触れたら死ぬと言い伝えられている呪術的な物体に触れたら、自分で本当に死ぬと思い込み、心的に自殺すると言う現象も起こりうる。個人主義の発達した現代でも、自己幻想は愛国心やナショナリズムと言う形で、共同幻想に侵食されている。共同幻想の解体、自己幻想の共同幻想からの自立は、現在でもラジカルな本質的課題であると吉本は指摘している。

吉本は血縁・氏族的共同体(家族)が、地縁・部族的共同体(原始的な国家)に転化する結節点として、兄妹・姉弟の対幻想に着目している。兄妹・姉弟の対幻想は、夫婦の対幻想とは違って、肉体的な性交渉を伴わない対幻想なので、いくらでも無傷に空間的に拡大できる。兄妹・姉弟の対幻想が、他家との婚姻と言う形で空間的に拡大しているため、国民は心理的な一体感を共有し、幻想としての国家が成立するのである。逆に言えば、原始的な国家の成立は、兄妹・姉弟の近親相姦が自覚的に禁止されたときに求められる。中上健次の「国家は白昼に突発する幻想化された性なのだ」と言う言葉は、このことを指している。

また、吉本にとって、高度な経済力や科学力を持っていた近代国家である戦前の大日本帝国が、やすやすと天皇制と言う、宗教性の強い古代・中世的な政治体制やイデオロギーに支配されてしまったことは大きな難問だった。吉本は、宗教・法・国家はその本質の内部において、社会の生産様式の発展史とは関係がないと主張し、政治体制は経済体制に規定される(唯物史観)とするロシア・マルクス主義を批判する。その試みは、吉本にとってロシア・マルクス主義からの自立であって、少年期に骨の髄まで侵食された天皇制と言う共同幻想を意識化し、対象化し、相対化しようという試みでもあった。

さて、映画です。今回は「ビックマグナム77」です。

「ビックマグナム77」、1976年、カナダ・イタリア制作映画。

監督 マティーン・ハーバート
脚本 ヴィンセント・マンフランク・クラーク
撮影 アントニー・フォード
音楽 アルマルド・トロヴァヨーリ
出演

スチュアート・ホイットマン

キャロル・ロール

ジョン・サクソン

マーティン・ランドー

工事現場で発見された女の死体に端を発する連続殺人。事件を調べる刑事トニー・セイタは、捜査線上に浮かび上がって来た人物が死んだ自分の妹である事を知る……。カナダの都市を舞台にした珍しいポリス・アクション・ミステリーで、列車まで巻き込む壮絶なカー・チェイスが見もの。全編を彩るA・トロヴァヨーリのスコアも素晴らしい

 ストーリー

 妹ルイーズ(キャロル・ロール)が死んだ。兄の刑事トニー(スチュアート・ホイットマン)がその訃報を受けたのは銀行強盗をマグナムでしとめた直後。早速彼はモントリオールへ飛ぶ。検死結果、ルイーズは毒殺されていた。巡査部長マテウス(ジョン・サクソン)の協力を得、トニーの調査が始まった。第一の容疑者として、生前彼女と関係のあった医師(マーティン・ランドー)、だが彼の無実は明らかだ。そんなある日、工事現場でバラバラの変死体が発見される。所持品からルイーズの首にかかったネックレスの写真が出て来た。妹の事件と何かの関連が……。トニーの捜査が始まり、盗品売買者が浮び上がって来る。激烈なカー・チェイスの末、ネックレスは若い男女が自分のところへ持って来たが処理出来ないのでことわった一件を、男は自白した。一方、バラバラ死体は、マジー(ゲイル・ハニカット)という大学職員の弟だった。又、ネックレスは以前未解決の強盗事件で盗まれたもの。盲の教師ジュリー(ティサ・ファロー)を訪れたマジーは何者かに殺され、ジュリーは負傷する。早速、病院にかつぎこまれたジュリー。彼女がネックレスを一時持っていたためだ。病院に彼女を殺しにくる男。男はなんとルイーズの友人だった。彼とルイーズの2人で強盗におしこみ、彼女が殺人を犯したらしい。病室で待ちうけていたトニーの目をかすめ、屋上よりヘリコプターで逃げる犯人めがけ、トニーのマグナムが火を吹いた。燃え落ちるヘリ、虚しい結末だった。

 

4/27リリース『ビッグマグナム77 HDマスター版』予告編

 

銀行強盗犯を追い詰めて、愛用のマグナムで撃ち殺す主人公トニー。さらに話の中では、オカマたちと乱闘と、劇中一番の盛り上がりである延々続くカーチェイスが見所だ。特にこのシーンは車体をぶつけあい、街中をおかまいなしに暴走させる傍迷惑さが、如何にも70年代刑事映画。2台の車が列車の上を続けざまにジャンプする危険なスタントも見どころで、延々と走っている。カナダを舞台としながらも「ダーティーハリー」を意識した映画制作。オカマとの乱闘も、意外なほどに時間を割いている。ビルの屋上でのアクションには、ビルからぶらさがるといったスタントもあったりして、この時代のB級映画に有り勝ちな演出だ。実際、見せ場になっているのは間違いないのだが、手がかりを発見して、それを知る人間に話を聞きに行く、その人物が抵抗、追跡・乱闘・カーアクションに、ラストはなんと44マグナムで犯人の乗ったヘリコプターを撃ち落とす。。。

 まあ、純然たるB級映画なれども、主演のスチュアート・ホイットマンが体を張って演じている。「スパイ大作戦」で御馴染みのマーチィン・ランドーが精神科医の役で好演している。なんと犯人の片割れは警部の実の妹。精神を病んでいて、精神科医のマーチィン・ランドーに治療をされていたのだった。この映画は犯人探しと、警部の妹の意外な事実を追っていくストーリーが良く出来ている。如何にも1970年代刑事アクションといった映画です。丁度、同時期に作られた。フランス映画の「刑事キャレラ・10対1の追撃」やイタリア映画の「死神の骨をしゃぶれ」など、あの時代は、こういった刑事アクションが盛んでした。元はアメリカ映画の「ダーティハリー」の大ヒットが発端なのだけどもマカロニ・ウエスタンでニヒルな賞金稼ぎを演じてアメリカに凱旋帰国したクリント・イーストウッドがクールにしかし何処か屈折した主人公の刑事を演じてから、後に続けとばかりに世界中で刑事アクションが流行りました。 日本とかイタリアでは刑事アクション映画として公開されたが、アメリカではジャッロ映画として公開された、(ジャッロ(イタリア: Giallo、発音 ['ʤallo])は、イタリアの20世紀の文学ジャンル、映画のジャンルである。フランスの幻想文学、犯罪小説、ホラー小説、エロティック文学に密接にかかわりがある。日本では、ジャーロと表記されることも多い)。この映画は、私はビデオで見ました。確かその前は「日曜映画劇場」で見た記憶があるのですが、あまり覚えてはいません。その後レーザーディスクで購入し、最近DVDで購入しました。今はBlu-rayが出ています。破天荒デカの混沌とした手掛かり捜査とタチの悪い街の遊撃手みたいなカーチェイスを経て最後意外な結末に辿り着くのが良い。ラスト、44マグナムでヘリコプターを撃ち落とすのは圧巻。

 Markus Gabriel in Japan

 マルクス・ガブリエルMarkus Gabriel, )は、ドイツの哲学者。現在、ボン大学教授。専門書だけでなく、哲学に関する一般書も執筆している。

哲学、古典文献学、近代ドイツ文学、ドイツ学をハーゲン大学、ボン大学、ハイデルベルク大学で学んだ。2005年、イェンス・ハルフヴァッセンの指導のもと、後期シェリングの研究によりハイデルベルク大学から博士号を取得した。2005年にリスボン大学の客員研究員、2006年から2008年にかけてドイツ研究振興協会の研究員としてハイデルベルクに滞在した。2008年には古代哲学における懐疑主義と観念論についての研究によりハイデルベルクにてハビリタチオン(大学教授資格試験)に合格する。2008年から2009年にかけて、ニューヨークのニュースクール大学哲学部で助教を務めた。2009年7月にボン大学に着任し、認識論・近現代哲学講座を担当すると同時に、同大学国際哲学センターのディレクターも務めている。過去にはカルフォルニア大学バークレー校の客員教授も務めた。

複数の言語(ドイツ語、英語、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語、中国語)を自在に操り、また古典語(古代ギリシャ語、ラテン語、聖書ヘブライ語)にも習熟している。 

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『世界は存在しない』

 本書は2013年に刊行されるやいなや哲学書としては異例のベストセラーを記録し全世界を驚愕させた、哲学界の新星マルクス・ガブリエル(当時33歳)の出世作である。

 本書の内容を一言で言えば、それは現代に巣喰う「無意味」の底をぶちぬいて「意味」へと突破しようとする哲学的思索の努力と要約しうるであろう。ガブリエルによると、私たちは二重の無意味にとりつかれている。第一に、自然科学的世界像が唯一正しいとされるものの、そこには人間の居場所がどこにもない。このような状況に面してポストモダンは、科学的世界像も含め「あらゆるものは幻想である」と主張した。しかし第二に、このように言うことによってこの立場そのものも一個の幻想と化してしまう。こうした二重の無意味に囲まれながら、私たちは意気消沈し、なす術を知らず相変わらず自然主義の抑圧に屈している。この二重の無意味からの脱却の切り札をガブリエルは「世界は存在しない」という洞察に求める。これは「あらゆるものは幻想である」というポストモダンの主張を「世界は存在する」という「唯一の幻想」へと縮減することである。しかし「世界は存在しない」ならば、世界にかんする像もありえない。それゆえ、自然科学的な世界像もなく、自然科学は世界についての理論であることを止めて、たんなる科学的探求へとひきもどされる。 

「もっとも自然科学は世界像である限りはまちがっているが、事実そのものを捉えていないのではない。それどころかあらゆる場面において私たちは事実そのものに触れている。自然科学のみならず、あらゆる人間の営みは実在への通路なのである。これがガブリエルの「新しい実在論」である。それは「存在する」ということを「意味の場に現象する」ことと捉える一方で、これら無限の意味の場を包摂する最後の意味の場(世界)はないとするのである。「あらゆるものが存在する、ただし世界をのぞいて」。

究極の審級をもたない、多次元的で重層的な意味の場から意味の場への不断の移行が、私たちの生きている現実であり、しかもその一つ一つが実在そのものとの接触である。この観点からすると自然科学はたった一つの意味の場でしかない。これによってそれ以外の意味の場が、自然科学と平等の権利をもって息を吹きかえしてくる。ガブリエルが言うように、私たちの日常の些細な感情や他愛ない空想までもが、実在との関係においては自然科学の営みと同等のものである。それどころかそうした意味の場こそが圧倒的な数的優位を占めているのである。ガブリエルによれば、私たちの人生は、あらゆるものを唯一の観点から一元的に判定するための拠り所がそもそもないなかで、無数の意味の場をくぐりぬけながら自己自身を探求しつづけることである。

ガブリエルはこのような人間のあり方を「精神」と呼び、その概念把握を試みているが、少なくとも本書においては十分にそれに成功しているとは言いがたい。それにもかかわらず本書の主旨は明白である。決定的とも見える単独支配と絶望に抗して、それからの脱出口を思考によって切り開き、多数の抑圧されたものどもにその内部にひそむ本来の力への自覚をうながしながら、ゆるやかな連帯を呼びかけるというのが、本書全体をつらぬく思考の運動の主旋律である。しかもそこに哲学的思考そのものの新生というもう一つの旋律が重ねあわされる。実際これは他に類をみない哲学と現実の架橋の試みである。本書は平易な語り口のゆえに非専門家向きの哲学書と言われている。しかし要点はそこにはない。「新しい実在論」は思想そのものも、あらゆる事物と同じように現実に存在すると主張するのである。

ガブリエルの「新しい実在論」とは、いかなるものなのか。ひとまず、「世界は存在しない」というキャッチーな主張は脇に置くことにする。それは実は、二次的なことだからだ。ガブリエルの言わんとすることの本体は、「本質主義vs.相対主義」という対立から抜け出す第三の道を開くことである。本質主義vs.相対主義というのは、極端に単純化すれば、次のような対立だ。

富士山を、別の場所からAさんとBさんが見ているとする。本質主義によれば、富士山「自体」が唯一の実在であり、AとBはそれを異なる見方で見ているが、「Aのパースペクティヴにおける富士山」と「Bのパースペクティヴにおける富士山」は、たんなる見方にすぎず、実在的ではない。自然科学によれば、富士山の実在は物質的・数理的に説明されるべきものであり、そしてその説明だけが真である。

相対主義によれば、我々はつねに何らかのパースペクティヴから見た富士山の見方しか知ることができない。「Aのパースペクティヴにおける富士山」と「Bのパースペクティヴにおける富士山」がそれぞれにあるだけだ。そしてそれはどちらも「主観的な構築」であり、我々に問題にできるのはそれだけである―実在的な富士山にはアクセスできない。

こうした対立が、大ざっぱではあるが、「ポストモダン」思想以後、解決できない問題としてくすぶり続けてきた。とくに人文学においては、「ポストモダン」以後に相対主義的傾向が強まり、それへの批判がたびたびなされてきた。

ガブリエルはこう論じる。「Aのパースペクティヴにおける富士山」と「Bのパースペクティヴにおける富士山」があるのは確かなのだが、それはたんに主観的な構築なのではない、それぞれに実在的なのだ。というのは、物事の実在はそもそも、特定の「意味の場」と切り離せない。

以上の場合では、「Aから見る」、「Bから見る」というのが「意味の場」の形成であり、富士山の実在性はそれに依存している。では、富士山「自体」はどうかと言うと、富士山「自体」とは、諸々の実在的なパースペクティヴの交差のことなのである―「意味の場」から完全に孤立しているような富士山「自体」は考えようもない。

非常に民主的な哲学ではないだろうか。これは、複数の「意味の場」を共存させるオントロジー(存在論)だ。此処で、「世界は存在しない」というテーゼの意味が明らかになる。「世界」とは、実在のすべてを包括する最大の集合であるが、そのような包括はいまやできないのだ。実在的パースペクティヴは際限なく増加するからである。

ガブリエルは、自然科学こそが唯一実在にアクセス可能だという(広く支持されている)立場に否を突きつける。そうした科学主義は、特定の「意味の場」を特権化しているからだ。非科学的な実在性もあるし、ファンタジー的な実在性もある……しかしこの主張には少なからぬ人々が反発するのではなかろうか。

 見方はいろいろだという相対主義ならばまだ「認識論的」だったわけだが、ガブリエルはさらに「存在論的」に相対主義を徹底している、

ガブリエルの哲学は、ファシズム批判の哲学でもあると思う。ひとつの特権的な「意味の場」の覇権を拒否し、複数性を擁護するという意味において。それは、戦後ドイツの歩みを隠喩的に示しているとも言えるかもしれない。

「日本のベストロックバンド10選」に世界中に称賛の声続出「あの伝説のバンドが入っていない!」【海外の反応】

カナダで活躍するブルース・ハーピスト。ケン吉岡さんです。メールと掲示板でやり取りした事があります。連絡を取って、カナダで販売していたCDを送って貰いました。購入したのですが。今もカナダのバンドで吹いています。

ハーモニカは近くて遠い楽器だ。誰しも見たことがあり、その音色にも親しみがある。しかし、ハーモニカを演奏した事がある人は一体何人いるのだろう? ハーモニカと聞くと、横に長く、穴がたくさん開いているちいさな楽器を思い浮かべるが、その中でも穴が10個しかないものは『ブルース・ハープ』と呼ばれている。近年、ブルースやフォーク、ロックには欠かせない楽器の一つとなってきているそのブルース・ハープを自由自在に操り、トロントで活躍する日本人ハーピスト(ブルース・ハープ・プレイヤー)のケン吉岡氏は、取材の要請に応えて私達を快く自宅に招き入れてくれた。CDが積み上げられ、アンプやギターが置かれたミュージシャンらしい吉岡氏の部屋の中央には、小さいながら存在感のあるハーモニカたちがずらりと並ぶ。「ハーモニカは、沢山ある穴を舌で塞いだり、(その舌を)外したりして音を調節するんだ。ひとつのハーモニカでは3オクターブまでの音階が出るんだよ」机に並べられたハーモニカは約10体。どれも同じに見えてしまうが、キーがそれぞれ違うという。「こっちは低いキーのハーモニカで、こっちは高いキー(のハーモニカ)。吹いてみると…ほら、違うでしょ?大体、曲のキーは決まっているから、1曲で使うハーモニカは1本のことが多いかな。でも、一晩で大体36曲ぐらい弾くんだよね。そうすると、曲にあわせてキーの違うハーモニカが必要になるんだ」時には実際に演奏しながら説明してくれた吉岡氏。彼にとって、ハーモニカの魅力とは何なのか。「一番の魅力は、どこでも持ち歩く事が出来ること。それに、よく言われるんだけど、ハーモニカは一番人間の声に近い楽器なんだ。人が歌う時の声に似てるんだね。だから、いろんなことを表現しやすい。あと、ハーモニカの面白いところは、音の並びが不規則なところだね。ハーモニカには吹く音と吸う音があって、例えば、ひとつの穴を吹くと『ド』の音、でも、同じ穴を吸うと『レ』の音が出る。ところが、ドレミ…と順に音階を踏んでいこうとすると、吹いて、吸ってだけの繰り返しじゃなく、吹いて、吸って、吸って、吹いてと、イレギュラーになるんだ」ハーモニカをマスターするのは大変そうに聞こえるが、驚く事に、吉岡氏がハーモニカに出会ったのは大学生の時だったという。「ハーモニカを始めたのは結構遅いよね。大学では軽音楽部だった。高校までは野球部。(笑)母校の野球部の監督もした事あるよ。(爆笑)野球部っぽく見えない? 今、野球部の生徒にミュージシャンをしてるって言ったら驚くだろうね。野球部の同期たちの中には、僕がトロントにいることを知ってるのもいるけど。トロントに来たのは10年前。始めはワーホリで来たんだ。ミュージシャンとして食べて行くための修行だと思って来たんだけどね。トロントはブルースの本場シカゴに近いし、カナダの中ではロック、ブルースが盛んな場所なんだ。日本で出されているレコードなどにも、トロントで録音されたものが多いんだよ。トロントで1年間過ごした後は、シカゴを回って帰ろうかなと思ってね。トロントに来た始めの頃は、経験の為にトロントのブルースクラブでのジャムセッションに参加したんだ。ホストがオープンステージで演奏しながら、お客さんを次々に舞台に上げてパフォーマンスをさせるんだけど、そこで演奏した後、声を掛けられたりしてたね。そしてある時、初めてバンドからメンバーに、って電話が掛かってきた。それからだよ」現在はトロントを中心に活動している吉岡氏。機会があればアメリカ、日本にも行きたいと語るが、拠点であるトロントの魅力は何だろう。「トロントは、ルーツ音楽が根付いているところがいいね。普段あんまりスポットライトが当てられないもの、たとえばブルースとか、流行でもそうでなくてもいいものには目が行かないことが多いけど、トロントでは、みんな普通に受け入れてくれる。だから、いい演奏をすれば、それだけいいリアクションがある。そこがやりがいのあるところだね」1週間に4夜ほどライブ活動をこなすという吉岡氏。今晩も吉岡氏の、ハープ・サウンドが、しっとりとしたブルースやグルーヴィーなロックに、ひと味もふた味も深みを加えることだろう。


 

 ブルースハープ (Ten Holes Diatonic Harmonica) はおそらくもっともハーモニカの原型に近い楽器だと思われる。長さ10cmほどの掌におさまる大きさで、正面から見ると10個の穴が一列に並んでいる。ブルースで使われることが多いことからブルースハープと呼ばれるが、この名称はホーナー社のモデル名および登録商標である。最近ではテンホールズという呼称も定着してきた。

 一つの穴の上面と下面に互いに逆向きにリードが取りつけてあり、吹いたときと吸ったときで違う音が出る。音の配列はメジャー・スケールに沿ったもので主要なモデルにはGからF#まで各調が用意されている。10穴で3オクターブをカバーするため実際の音配列は少し変則的であり、C調を例にとれば以下のようである。

ダイアトニック・ハーモニカの音配列
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
吹音 C E G C E G C E G C
吸音 D G B D F A B D F A

 つまり3オクターブといっても完全な音階が吹けるわけではない。その代わり3つの穴をまとめて吹けばトニック・コード、2-4番(1-3番)をまとめて吸えばドミナント・コード、4-6番(8-10番)をまとめて吸えばサブドミナント・コードとなる。

ダイアトニック・ハーモニカのバリエーションとして少し小さめのポケットモデルや12穴や14穴に拡張した大型のモデルもある。また4穴のミニハーモニカはアクセサリーとしても人気があり各種発売されている。
マイナー・キー配列の10穴ハーモニカの代表的なモデルとして、トンボの、「メジャー・ボーイ」の Minor Key 版がある。以前は「マイナー・ボーイ」という機種名だったが、統合された。海外では、この「メジャー・ボーイ」と「マイナー・ボーイ」の名称自体、スラングに起因する性的侮辱的な名称としてとらえられ、商品に対する印象として非常に良くないため、 【ウォー】 のハーモニカ奏者であるリーオスカー が彼のソロ・アルバムで「マイナー・ボーイ」を使って脚光を浴びたのをきっかけに、トンボは リー・オスカー と契約を結び、リー・オスカー・ブランド をトレードマークとして使用することで海外進出を図った。 「リー・オスカー」と「メジャー・ボーイ」はケースと表面プレートは異なるが中身は「メジャー・ボーイ・シリーズ」と全く同一のリード・プレート、同一素材同一形状のコームを使用している。日本で一般的な「マイナー配列」(Minor Key Harmonica / Harmonic Minor Key Harmonica)の他に、「ナチュラル・マイナー配列」(Natural Minor Key Harmonica)もあり、海外では「ナチュラル・マイナー配列」の方が一般的に使われている。

 

 George Harmonica Smith Summer.flv

 I Found My Baby

 Boogie'n With George

 George "Harmonica" Smith - Blowin' The Blues

 Little Walter - Hound Dog Taylor - Odie Payne ( Walter's Blues Live )

 

白土三平。

漫画家。東京生れ。本名岡本登。父は画家岡本唐貴。練真中卒。1948年紙芝居作家となり,のち指人形劇団太郎座に参加。1957年《こがらし剣士》で貸本漫画に転じ,同年の《甲賀武芸帳》により作風を確立。1964年発表の《忍者武芸帳――影丸伝》は1960年代後半から1970年代初めの学生運動の中で広く読まれ、大島渚が同作品の原画を使った映画《忍者武芸帳》を制作した。1966年雑誌《ガロ》創刊号から《カムイ伝》を連載。江戸時代の武士,忍者,農民,被差別民,野生動物らがおりなす重層的な歴史ドラマで,長期にわたって断続的に執筆されている。他に《サスケ》《ワタリ》などがある。

カムイ伝「あのシーンがすべて」 白土三平さん明かす

『カムイ伝』

 被差別出身の忍者カムイが主人公のマンガ。作者は白土三平。江戸時代を舞台に、様々な階級の人間の生き様を描く。第1部から第3部まであり、その外伝として逃亡を続けるカムイの内面が深く描かれる『カムイ外伝』も存在する。『カムイ伝』は1964年11月より「ガロ」で第1部が連載開始、71年同7月号で完結した。第2部が88年「ビッグコミック」5月10日号より2000年4月10日号まで連載された。『カムイ外伝』は1965年「週刊少年サンデー」5月16日号で第1部が始まり、67年まで連載した。さらに第2部が82年から87年まで「ビッグコミック」に連載。『カムイ外伝』の第2部は、抜け忍としてさすらうカムイが、様々な人々と出会う人情もののカムイ伝を読めば現代社会の様々な問題が読み解けてくる

しのびのテーマ 「カムイ外伝」 水原弘

 

 『カムイ伝』の物語はの子カムイ、下人の子正助、武士の子草加竜之進3人の少年を中心にして進む。自由を求めて剣の腕を磨いたカムイは、忍びの道に入るが、やがて抜け忍となり、果てしない逃亡と闘いの日々を送る。正助、竜之進もそれぞれに問題を抱え、3人は、社会制度や権力にぶつかりながら、生きるために苦闘する。武士などの支配階級との闘いを通して、下層階級とされた人々(下人、農民など)の力強い生き様も描いている。連載が始まったのは学生運動が盛んだった60年代で、階級間の闘争を背景にしたストーリーが学生たちの支持を得た。第1部では3人の夢と挫折が描かれ、第2部では、1度ばらばらになったカムイ、正助、竜之進が再び出会い、夢を追い始める。第3部で完結の予定だが、2009年現在では、まだ第3部の作品はない。

『カムイ外伝』は1969年4月~9月まで「忍風カムイ外伝」としてテレビアニメ化。95年1月にはNHK-FMでラジオドラマ「青春アドベンチャーカムイ外伝」が放送され、同年8月には続編である「続・カムイ外伝」も放送された。また、2009年9月から、『カムイ外伝』実写映画化を機に、新エピソードを「ビッグコミック」にて3号連続で掲載。外伝としては、実に22年ぶりの新作となる。

 画集 カムイ伝 白土三平の世界 The Art of Kamui Den: A collection of Sanpei Shirato

 手塚治虫の回想。 

 プロレタリア画家として名高い岡本唐貴氏の子息で登という青年が、人形劇団の「太郎座」に所属していたが、食っていけないので紙芝居の絵を描いて生活の糧を得たいと考えた。どう言う訳か本名では呼ばれず、三ちゃん、三ちゃんと呼ばれていた。彼は加太こうじ氏のもとで「トモちゃん」という紙芝居漫画のシリーズを描きだした。ちょうど「おそ松くん」のような種類のギャグ漫画である。彼は、もっぱら「トモちゃん」シリーズで押し捲ったので、お笑いもの専門に見られていた。

”三ちゃん”は、当時同じ劇団に属して居た、まゆみさんという女性と、牧一馬という青年と3人で下宿をしていた。ある日、牧一馬氏は所用で出かけ、その晩は帰宅しなかった。

夜更けに加太氏の家の戸を叩く者がある。「なんだ、三ちゃんじゃないか、どうしたんだこんなに遅く?」加太氏は驚いた。
「実は……」と三ちゃんは、ボソボソと言い訳した。「うちに僕とまゆみちゃんしかいないもんで……ふたりきりでは具合が悪くて……今夜、すみませんが泊めてください」加太氏は、彼のあまりにも純な気持ちに感動し、その夜は家で泊めてやった。三ちゃんは、その翌年、まゆみちゃんと結婚した。
 
加太氏は、以前からさかんに、「一向一揆」や「山城一揆」などの農民闘争を紙芝居に作っては発表していた。それを演じるのはまゆみちゃんであった。そういう経緯で、三ちゃんにも、そういう歴史観が浸み込んでいった。また、三ちゃんはしきりに加太氏の蔵書をこっそり出しては、読んでいたそうである。だが、三ちゃんは紙芝居でも食っていけなくなったので、漫画を描いては、あちこちの出版社にもちこんだ。昭和32年12月、後に密接な関係になるのだが、長井さんという人のもとに、三ちゃんの奥さんが、「主人の原稿です」と、劇画の原稿をドサッと持ってきた。長井さんは読んでみて驚いた。忍者の世界に階級闘争の本質を究明しようという、かってない迫真力に富んだものだったのだ。「甲賀武芸帳」8巻である。これによって、彼自身の歩みが始まったといえよう。
 
昭和34年、長井氏の三洋社から「忍者武芸帳......影丸伝」がいよいよスタートする。それから3年後の章は36年に、この大河ドラマが完結したとき、三洋社には1冊の在庫もないという有様だった。全18巻の「忍者武芸帳」は漫画ファンにとってバイブルのような価値が生まれ、全巻1万円という値がついた。かくして三ちゃん――白土三平は、劇画の救世主となり、現在も「赤目プロ」において黙々と大作に取っ組んでいるのである。
 
白土氏が登場してから、子供漫画の傾向は一段と変化したと言っていい。重厚なドラマ、リアリズム、イデオロギーが要求され、単なる物語性だけでは大人に通用しなく成ったのである。大人に、つまり子供漫画がまず大人に評価され、ジャーナリズムに乗ってから子供に敷衍(ふえん)されるという、逆コースを辿ることに成ったのである。
 
此処で例によって僕は、またしても極度のジレンマに陥った。白土氏の描く残酷なほどの迫真力は、どういう影響を与えるのか推し計れなかったし、第一、大人が子供漫画を理論的に分析し、評価したって、読む本命の子供にとっては、どうと言う事もなかろうにと思ったのである。
 
「朝日ジャーナル」誌で、「漫画を読む大学生」の記事が出て世間を騒がせたのもこの頃だ。東大始め各大学の購買部で児童週刊誌が売り出され、哲学書片手に漫画を読む大学生が増え、中には「忍者武芸帳」をレーニン、マルクスの著書のごとく研究する者もいたりで、唖然とした。

 下は日本のロックとブルースです。

 Kyan Marie with MEDUSA

 昔沖縄にはconditiongreenいう凄いバンドがいた。

 恋人達のペイヴメント(Koibitotachi no paviment) THE ALFEE -Sub español

毛皮のマリーズ それすらできない

伝説ライブ 1998.3.1 サンハウス 「 風よ吹け ・ レモンティー 」 SONHOUSE

ぎんぎん - 立ちん坊ブルース

西成ストリートブルースバンド Hold On I'm Comin'

スカイドックブルースバンド2015/10/6目黒ブルースアレイ

「徳川ブルースバンド」 sky is crying

If You Be My Baby

 めんたんぴん ジンを一杯

 

 

コメント一覧

kiyasume
書き込みどうもです。。。
https://blog.goo.ne.jp/kiyasume
VIVAさん。こんにちは。。。
深井国さんは好きなイラストレーターです。

彼が作画監督として参加した、アニメーション、
「哀しみのベラドンナ」は海外で高い評価を
受けています。

フランスのアート系のミニシアターでは、今だに上映されています。(1970年にヘラルド映画から
欧州で公開されています)

ただ、内容は藝術アニメです。ポルノチックですが。いやらしくはありません。

手塚治虫が作った虫プロで深井さんが描いた、
ベラドンナのイラストのTシャツが売っていますよ。

Bluesharpを持った写真は、片方の手でカメラを持っている為、何か偉そうに写ってしまいました。

受けたなら、、、まあ〜〜〜良いのですが。

それでは、また・・・
kiyasume
こんにちは。
https://blog.goo.ne.jp/kiyasume
mobileさん、書き込み有難う御座います。

生頼範義さんは、別格ですよね。。。
彼の描くイラストはまさに芸術ですよ。
昔、漫画家の松本零士やイラストレーターの
開田裕治が絶賛してましたよね。。。。

ジョージ・ルーカスに「スターウォーズ」のポスター依頼されて描いたのは有名ですよね。

まあ、深井さんとは絵のタッチが違いますけど、
私も生頼さんは好きですよ。

また、来て下さいね。よろしく。
VIVA
kiyasumeさん、おはようございます。

ブロンド女性の絵ですが、
可憐で魅力的ですね~
深井国さんという人の絵なんですね。

早速(深井国)で絵の画像をみてみました。
チャーミングな絵が何枚もありました。

こういう素敵な絵なら部屋に貼りたいですね~♪

今度は手にハーモニカ‼
吹きました。受けました(;^ω^)

mobile
深井国・・・。
https://blog.goo.ne.jp/mobilis-in-mobili/e/0b97d0268a82c1fcda130b022fa11af3
私は日本人の挿絵画家では、この人と生頼範義(おうらいのりよし)が好きで・・・表紙カバーに魅せられてハヤカワ文庫の『階層宇宙(byフィリップ・ホセ・ファーマー)』シリーズを買い続けたことがあります。
その後、山村美妙サスペンスの表紙などで結構見かけることが多くなりました。
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