しかし、毎日、体調が優れません、、だから寝て居ます。こう言ったblog記事も過去に書いたものを再び掲載して居ます。勿論、こうやって補足の文章やら、多少、文の構成やらは、考えて居ますが。もう、新しい文章を書く事も出来なくなって居ますよ。毎日眠くて仕方がありません。だから万年床で寝て仕舞います。この間、訪問看護師が来て、寝てばかり居ると体の免疫力が弱まって仕舞うから。起きて下さいと言われましたけど。眠くて眠くて仕方が無いのです。全部処方されて居る薬のせいですね。主治医が薬の量を減らしてくれれば良いのだけども、、行けない、、また頭が痺れて来た。また横になります。それでは今回のblogをお読み下さい。宜しくね・・・・・・・。(๑>◡<๑)
最近のkiyasumeの写真。。。。太って居るなぁ〜〜。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
5ヶ月ぐらい前に。実は持って居たラジカセの壊れて居るものを2台売ったのだが。1台は調子が少し悪いだけでプレミアものだったのだけども。頼んだ業者が若いのが2人で来て。私を見るなり、「ミュージシャンはコロナで食えないでしょう?」と皮肉を言うので「いや。お金はあるから」と言ったら「ほう、」と言う。最近の人間はどいつもこいつも、バカが多い。自分らはどんな仕事して居るのだ。こう言っちゃあ何だが。単なる「不用品で使える物の回収業」だろう。それ以上でもそれ以下でも無い。私が1万8千円で購入した、定価7万幾らかのラジカセを売ろうとして説明して動作確認を始めると「お客さん。うちは高額で買い取りますからね!!。」と言うのですよ。私はこいつは上手い嘘をついて居るんだろう、どうせと思って聞いて居ると。「状態は解りました」そしてこう言ったのだ「さあ、高額で買取致しますよぉ1台100円。動作が動く方が200円ですよ!!お客様!!(笑)」そしたらもう一人が「ケッ!!」と呟いた。私はこの人に対して「ケッ!!」と言う奴はぶん殴ってやりたくなる。私は職業に貴賎は無いと思っては居るが、こう言う自分が程度の低い、職業をして居るくせに、人を小馬鹿にする男は大っ嫌いだ。
そして300円を摘んで私に「ほら、高額でしょ〜。」と笑いながら渡した。そして「メルカリならもっと高額で売れますよ?お客さん、ハハハハ」と私を蔑んで笑った。こう言う人間は女でも居る。私の処に来て居た訪問看護師だ。よく人が話をするとすぐに「ケッ!!」と言った。そしてある看護師は私が何か能のある事を言うと「ハハハハハ」と笑うのだ。何だこの人をバカにした態度はと思う。「統合失調症患者を舐めて居るとブチ殺ろすぞ!!」と言いたい。そうしたらそのうちそう言った人は来なくなったが。大体が何で街の店屋が売れなく成ったと思う。Amazonの様に品揃えも無く。店員の態度は悪くて誰がそんな店から購入する。ヤマダ電機もそうだった。生意気な中国人の若い店員で。私が此の扇風機下さいと言ったら「在庫?現品?」と訊くので「あのねぇ、これ現品しかないの....。」と言ったらタブレットを見て居るから。「あのさぁ、此の見本の下に箱に入ってあるでしょ商品が!!」と言ったら。さっさと会計に持って行って紐で結えて把手を付けると、私にまるで邪魔モノを遣す様に渡して「保証書無くすなよバカヤロー」と言われた。私は呆れて仕舞って。頭にも来たが何も言えなかった。「客にバカヤロー」・・・・・。
処分した2台のラジカセ........。
もうヤマダ電機が如何にダメなのかが解って来た。矢張り家電も家電量販店より、ジャパネットタカタとか、Amazonがいいですね。しかし高額で買い取ると言って2台で300円か?「いい加減にしろバカヤロ〜!!」と言う値段だった。大体が今言った、訪問看護師は私の話を聞いて「ハハハハハ」とバカにして笑ったが。本人は土方歳三も知らなければ、新撰組も司馬遼太郎も知らない大バカ女だった。「私が土方歳三って居るでしょう?」と言っても何も言えなくて、「新撰組って知らないの?」と言っても知らないと言う。そして私が「1970年代のロックはさぁ、、」と言い掛けたら「1970年代にロックなんかまだ無かったわよ!?あの頃は歌謡曲と演歌しかないでしょ??」と言う。私は1970年代を見て来た人間だ。その人間が1970年代にロックはあると言って居るのだ。自分は平成生まれだろう?何知りもしないで言って居るのだ。そして自分が無知なくせに人が能のある事を言うと笑うのだ。勝手、山本周五郎の「赤ひげ」と言う小説の中で主人公の、新出去定がこう言いました。「無知と貧困」。この世からそれが無くなれば病の大半はおこらないと”赤ひげ”は弟子の保本に語ります。そしてそれは病気だけではありません。昔も今も、そして此れからの社会に生きる人々全ての生活に関わる問題をこう言う風に取り上げたのです。「無知と貧困」是さえ無くなれば世界は平和になるでしょう。
しかし無知な人間が如何に多いか。私は何も難しい事が言えない人でなけれなダメだとは言いたくはありませんよ。しかし普通の常識さえ持って居ない人たちが如何にも多く居ますよ。バカは死ななきゃ治らないとよく言いますが....。その通りですね。処で私のお勝手の5、5畳間に置いてある机の引き出しから「ル・ジタン」と言うジョゼ・ジョバンニの希少本の古本屋で見つけた小説本が何時の間にか無くなって居る。誰が盗むのだろうか?私は私のこのアパートに来る人たちを疑って居る。何故なら、その人たちが来て、私がドアを開けて「入って下さい」と言って。私が6畳間に入って居るのに来るのに2、3分は掛かって居る。私は6畳間に居るから。お勝手で机の引き出し開けて居ても判りませんよ。靴脱いだらすぐに来れるだろうにね。2、3分あればお勝手に置いてあるCDだとか本などは充分盗める。さっと盗って鞄に入れればもう分からない。
まあ、幸いにも。以前、古本屋で購入したものより。良い状態の文庫では無く普通の古本がネットで見つかったので購入しましたが。Amazonにありました。Amazonに登録して居る地方の古本屋ですけどね。前は食料品が無くなり今度は古本ですよ。何なんだろうか?人は油断出来ないですね。私が無くした訳では100%無いです。お勝手に置いてある机の引き出しに入れた侭でしたから。結構、名作なセリ・ノワールの小説だったので。よくは内容を解ら無いけど盗んだんでしょうね。価値がある古本だろうと思って。ああっ〜〜ヴァイオレット見たいに純粋無垢な女性が本当に居たら。誰でも彼女を好きになるでしょうね。現実の女性たちは人にも寄るけど、随分と身勝手だったり心が未発達な女性が居ますよ。例えばもうblogには来なくなったけど、前来て居た人で。私がカトリーヌ・ドヌーブが好きだと言ったら、「今は女子プロレスラー並みにデブでしょ」と言った人が居た。まあ、私は話に合わせて、喧嘩は避けたが「何なんだろうか・・・。」と思いましたよ。私が彼女は美人だと言って居たら普通は、自分はそう思わなかったら書き込みはしないし。大体が女子プロレスラーは今や太って居なくて。セクシーな子が多いですよ。私が統合失調症だと言って居るのに。「単なる不眠の思い過ごしでしょ」とか言って来て。「違うんなら薬何飲んでるか教えてよ!!」と言うのですよね。
それで薬のミリ数と数に医学的な補足を書いて教えたら初めて「すみませんでした、私が処方されて居る薬よりも数倍強い薬でした」とか言うし「ああ言う調子で物事言ってると友達無くしますよ」と言いたかったですよ。紋切り型の人はよく無いですよ。あの女性も考え方変えた方がいいなと思いました。まあ、人の事だからいいけどね。
汚い、kiyasumeの部屋の中です・・・・。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
今、加藤茶のインタビュー番組がラジオでやって居たが、、インタビュアーの中年女のインタビューを聞いて居て、なんだろと思った。何故なら自分の旦那が週刊誌を読んで、記事見せて、「45歳差の奥さんが脂っこい物を食べさして加藤茶を殺そうとして居る。揚げ物しか食べさせないと言って居る」と加藤茶に本当かと聞いて居るのだ。そうしたら加藤茶は、「ああ、そんな事を言われた事もありましたね」と相手にして居なかった。そして言ったのは「女性は精神年齢が男より高いですね、彼女ははじめ若かったけど。すぐに同等に追いついて、今や私より上を言って居ますよ。最近はこの食事は薄味で食べたくないと言うと「いけません。食べなさい」と怒られて居ますから」と言って居た。私は加藤茶は恐らくは奥さんに遺産を残して死んで行こうと思って居るのだろうな。と思って居ます。人は醜いから人の家の事情に口を挟む。加藤茶は奥さんを物凄く愛して居るのだ。これは他の番組だが、若いカップルにインタビューしたら若い夫婦づれで、「こいつ可愛いんですよ。俺は毎日会社から帰る時にこいつの事しか思って居ませんよ。本当に女房可愛いんですよ」と惚気て居た旦那が居た。横に居た奥さんが顔真っ赤にして「言わないで、、」と言って居た。
これは最近の傾向らしいが。30代40代の夫婦間が上手く行かなくて10代の中学生の女の子やら女子高校が妊娠するケースが後をたたないそうだ。ネットの有害動画のせいだろう多分ね。親が子供に私はどうして生まれたのと聞かれて。親が「それはお父さんとお母さんが愛し合ったからだよ」と聞かせたらその子は高校生になってセックスをして妊娠したそうだ。理由は愛が無かったらセックスしても子供は出来ないと本気で思って居たと言うのだ。呆れるが本当の話らしい。今から20年ほど前だが立川の駅のベンチでスカートが捲れてパンティー丸出しの女子高生がいた。私は「なんだ?」と思って居たら、あるおばさんがその子が気がついて居ないのだろうと思い。「お嬢さん、下着見えて居るから気をつけたほうがいいわよ」と言ったら。その子は「うるせ〜ババア!!あたしは男に見せてるんだ!!」と言った子が居た。私は世も末だと思って見て居た。処で最近の女の子たちは脳軟化と言う言葉を知らない。私が1990年代に立川の第一デパートに入って居たオリオン書房で、「脳軟化には何を言っても通じないぞ」と言った本が立て積みに置かれて居たのを見た事がある。今みたいに認知症だとは言わなくて脳軟化と言って居た。まあ、本来の脳軟化の意味とは違うのだが、痴呆をそう言って居た。まあ、痴呆と言えば今の人達も分かるのだろうけど。
昔は痴呆とも言わなくて脳軟化に成ったらお仕舞いだと言って居た。考えて見たら私の母親は1998年ぐらいからもう一緒に立川まで行きたくないと言い出して、家でゴロゴロ寝て居た。その頃からすでに痴呆が始まって居たのだろう。だから2000年代も半分ぐらいになると認知症の症状が出始めた。私が印象深く覚えて居る事はうちには、中国人から貰った象牙の菩薩像があったのだが、母はその菩薩を見て私に「なんて、この菩薩はこんなに悲しい顔をして居るの?」と言った事だ。母にはそう見えたらしい。思うに神様が居るとしたら母を哀れんだのだろうと思う。人はよく人の事を考え違えて見る事がある。私は此間書いた「聲の形」では無いが。小学校の頃。私立から編入して来た女の子が居た。正直可愛くは無かったがそれなりの顔はして居たし。物凄く礼儀正しかった。ただ小学生らしく無かった。子供の知能のまま大人の言葉を話すと言えばいいのか。それは両親の躾だったのだろう。一度私が「友達と一緒にうちに遊びに来いよ」と声をかけて連れて来た事があったが。母がケーキと紅茶を出したら。「お母さん、どうかお気遣い無くすみません」と言った。母はびっくりして「子供はね、そんな事は気にする事は無いのよ」と言った。しかし同級生はそんな彼女を矢張り煙たがった。矢張り「聲の形」同様。クラスの大半の同級生たちが煙たがった。公立で私立見たいな事を言ったらいじめられるだけだ。案の定、いじめられて居たし。先生もその子の事をよくは思わなかった。
ある日。私が廊下に一人で居たらその子が私の後ろに立って居た。私は暫く気づかずに居て「あれ?」っと誰か居るなと思って後ろを見たら。その子が黙って涙ぐんで居た。私は「どうしたんだよ」と言ったら。何も言わずに玄関まで行って鞄も持たずに家に帰って仕舞った。そしてその子は学校を転校して行った。私はよく話を聞いてやればよかったかなと思ったが・・・・・。それからもう一人。高校の時に混血の美人の女の子が居た。その子には悪いボーイフレンドがいて。私の見て居る前で、「こいつ不良だ!!」とその子を打ったので見てられなくなり止めた。そうしたら私が思いっきり殴られた。彼女は鼻血を出した私をびっくりして見て居たが。私は口の中も切って血が出て血が混ざった唾をペッと吐いたら。その子は泣きそうな顔をして教室を出て行って仕舞った。正直言って私はその子に惚れて居た。しかし自分から声をかける勇気もなく。ただカトリーヌ・ドヌーブによく似たその子を可愛くて美人だなと思って居た。その子はすごい嫌がらせをされて居た。混血と言うと今は美人でいいと思うだろうけど昔は違った。嫌われたのだ。その頃の曲でリリィと言う名の女性シンガーソングライターの「私は泣いて居ます」と言う流行った曲がある。その子の名がリリィだった。偶然だけどもね。
私は泣いています (シングル・バージョン) - りりィ (歌詞CC付)
その子は男子教諭と関係を持っただとか、男と遊んで居るとか。悪い噂を立てられて居た。修学旅行の時だ。前にも言ったが。男と女と別棟のホテルと言うか旅館?と言うかまあ、ビル建ての、ホテル見たいな処に泊まった。ただ教師もそこまでは気が付かなかったのだろうけど。別棟の向かい合った建物の1階下が女の子の泊まる部屋だった。夜と言うこともあって女の子たちはパジャマに着替えるので服を脱ぎ始めた、向かいの建物の1階上は男の部屋だ下の女の子たちの下着姿が丸見えだったのだ。男どもは皆んなして喜んで見て居た。その時。その混血の女の子が下着姿になったら皆んなして、「あいつ、あんな、いやらしいパンティー履いて居るぞ。矢張り男と寝て居るんだ。」と言って居た。私も見たが普通の下着だった。そして私がある時に校庭で立って居るとその時も後ろに人の気配がした。私が振り返って見たら。その子だった。彼女は私に一言「さよなら、、」と言って。そのまま自分を振り切るように私に背を向けて走って居なくなった。私は「なんだろう」と思った。まさか自分に気があるのかとか頭によぎったが。そんな事はないだろうと思った。それから暫くしてその子は高校を辞めた。人伝に聞くと他の高校に編入したらしかった。
それから4年ほど立って私も21歳になって居た。障害を持つ様になる直前だ。そしてある日、ある時に渋谷で店を見ながら、歩いて居たらばったりその子が歩いて居るのを目にした。髪をカールし物凄く可愛い美人になって居た。そして隣には外国人のボーイフレンドが居て手を繋いで歩いて居た。英語を話しながら。私はキザに「グットラック」と呟いて「俺はバカだなぁ....。」と思ってその場を離れた。この話には後日談がある。なんと彼女を打ったのを止めた私を、思いっきり殴った男が私の家に来て。「ポーカーで金が必要なんだ。金貸してくれ3千円でいい」と言うのだ。私は怒って言った「金なんてねえよ。ましてやお前にやる金なんてねえな!!」と言ったら「必ず返すから、お前と俺の中じゃねえか」と縋り付く。私は「人を思いっきりぶん殴っておいて何言ってるんだ。このバカが!!」と怒鳴ったらそれでも言い寄るので「俺はな!!女を殴るような奴に貸す金なんてねえんだよ!!」と言ったら要約帰って行った。以上、女の子に対する思い出です。話は以上です。
最近は自分の尺度で人を推し量る人が多い。私の事をとやかく言う人は沢山居る。例えばこのblogだ幼稚な文を書きやがってと言う人も居る。私は哲学が好きだったから、今まで書いて来たが大抵論争を吹っかけられた。そして自分の言う事の方が正しいと言うのだ。確かに哲学の歴史はそうして発展して来たものだ。論争をしながら枝葉に分かれて発展して来た。だが私は哲学者では無いし。また高度な論争が出来なければ哲学を語んななどと言って居たら、一般の人は哲学から益々離れて行って仕舞う。哲学とは、語弊を恐れずにわかりやすく言えば「真理を探究する知的営み」の事だ。世界の根源や本質を見極めるための知的探究的な取組、および、その知的探究を方法的に進める為の学問です。 哲学は英語では philosophy(フィロソフィー)と言います。この語源はギリシア語の φιλοσοφία (philosophia)であり、もともとは「知を愛する」(laving knowretge)と言う意味の言葉です。この為、「哲学とは何か」と言う問いに対しては今日でも「哲学とは知を愛する営みの事である」と言われて居る。哲学の「哲」の字は「明らか」「賢い」「聡」と言った字義があります。「哲学」と言う言葉は明治初頭の碩学・西周が、《 philosophy =知を愛する学問=希哲学 → 略して「哲学」》 と言う流れで考案し定着した訳語として知られて居ます。
哲学者は世界中に居ます。ドイツ・フランスの哲学だけでなく。アメリカのプログマティズム。経験主義的なイギリス哲学。イタリア哲学。私がよく使うアントニオ・グラムシのヘゲモニーと言う概念の言葉(覇権、私は主導権と訳して使って居ます)。またドイツ語のヒエラルキーは(階層または階級と訳して使って居ます)。このように哲学書を読むと見識が広がりますよ。私は論争に巻き込まれて馬鹿にされるのも嫌だし、足の引っ張り合いも支度はありません。だからもう哲学についての論考などは書きません。最近は調子が悪いです。前に。ある聴覚障害者の女性の為に京都アニメーションの名作アニメ「聲の形」のあらすじを書いたのですが。彼女は大変に喜んでくれたので良かったのですが。映画を見てからだいぶ経って居た事もあり。ストーリーの確認の為に部分的に見たのですが大泣きをしました。私の書いた粗筋はだいぶ話を省いて書いたのですが。書きながらも大泣きしました。私は今鬱です。ですからただですら悲しい。お陰で前は危うく自殺願望が出て仕舞いました。歌を聞いてもそうなんですよ。涙が溢れて来ます。そして此間。テレビシリーズ全話を見て劇場で映画も見た「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」です。この作品もある女性に教えてあげたらその人も喜んで見て居まして。今回は「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が戦争の話でしたので。それとウクライナの事もあります。戦争とは、人を殺すとはどう言う事かと言う事に付いて考えて見ようと思います。
人は殺人を忌避するのか
戦争には殺人と言う行為が伴います。人類の歴史を紐解けば多くの戦いが記録されており、当然そこで人は殺し殺されて居た訳です。では、人の本性は殺人をよしとして居るのでしょうか。こう言った疑問に対し、第二次世界大戦中、実戦に参加した直後の兵士に対してグループ・インタビューによる聞き取り調査を行っていたS.L.A.マーシャル准将は、1947年に発表した"MEN AGAINST FIRE"の中で、次のようなデータを提示しました。
「戦いに際して兵士の15~20%しか発砲しない」。マーシャルはこのデータに基づき、兵士は他者を殺害する事への忌避感から発砲しなかったとし、これは米軍に留まらず第二次大戦に参戦した各国でも共通であったと主張して居ます。マーシャルが示したこのデータは、元米陸軍士官学校教授のデーヴ・グロスマンによる『「人殺し」の心理学』(1998年、原書房)とその文庫版である『戦争における「人殺し」の心理学』(2004年、ちくま学芸文庫)で日本に紹介され、広まったと考えられます。
そして、グロスマンが本の中でした主張も、その根幹はマーシャルのデータに依っており、第二次世界大戦で2割以下だった発砲率が、朝鮮戦争、ベトナム戦争と時代が下るに従い大幅に上昇したデータを提示し、その要因として兵士に取り入れられた訓練手法を挙げて居ます。この訓練は敵を自分と異質の存在とみなして人間性を否定するもので、この様な非人間的な訓練によって高い発砲率を可能にしたと説明して居ます。
イスラエルの軍事史家、マーティン・ファン・クレフェルトはこの様な主張を「研究者の中には殺人は人間に生来備わったものではないと主張する者も居る。殺人を可能にする為には、まず自らの側を野蛮化し敵を非人間化する必要がある、と言うのである」と要約し、「これは、石器時代からこの方、人間が起こしてきた戦争についての我々の知見のすべてに真っ向から対立するものの様だ」と懐疑的に見て居ます。
イギリスの軍事史家ジョン・キーガンは『戦場の素顔』(2018年、中央公論新社。原書は1976年)の中で、マーシャルの主張は歴史家としては珍しく、マーシャルの生前に世間に受け入れられ実地に移されたとしており、その影響を評価しています。事実、1980年代に"MEN AGAINST FIRE"は、米陸軍指揮幕僚大学の必読書リストに入っており、1983年に改訂された米陸軍野戦教本にもマーシャルの影響がありました。
日本への影響
アメリカに大きな影響をもたらしたマーシャルでしたが、日本も例外では無い様です。前述した通り、日本でマーシャルの主張が広まったのは、グロスマンの著作による紹介以降と考えられます。そして、その影響はメディアに多く見られます。
本来の人間は
殺人を忌避するもので、訓練によって殺人を厭わなくする事が出来ると言うマーシャルのデータとグロスマンの主張は、2015年の安保法議論の際に朝日新聞『天声人語』(2015年5月29日朝刊)や、毎日新聞のコラム(2015年5月15日朝刊)に引用されて居ます。また、中日新聞『中日春秋』(2012年10月28日朝刊)では、軍の訓練とゲームの類似性から「人が人を撃つ事への心の壁。それを壊す術を、子どもが家庭で身に付けて仕舞う時代になって仕舞った」とゲームへの批判的な文脈で言及されて居ます。
此れだけに留まらず、マーシャルのデータは最近はAI兵器を巡る記事や、マンガと言った創作の中でも使われるなど、日本にも大きな影響を残して居ます。
私自身もマーシャルのデータをグロスマンの本で知り、そう言うものなのかと思って居ました。また、放送大学院をテレビで観て居た際、2人の教員がマーシャルの主張に基づくと思われる発言をしたのを記憶しており、アカデミックな分野でも影響が及んで居ます。
マーシャルへの疑問
米軍にも大きな影響を与えたマーシャルは1977年に亡くなります。処が1980年代になると、マーシャルの主張の信憑性に疑問を呈する声が軍事史学者の中から出て来ました。
例えば、元米陸軍指揮幕僚大学教授で軍事史家のロジャー・スピラーは、マーシャルの死後にテキサス大学図書館に寄託されたマーシャルの資料の中に、兵士に発砲の有無を問う質問の記録は無く、マーシャルの元同僚の証言も無い事も明らかにし、発砲率に関するデータは裏付けが無い捏造と見て居ます。
また、"MEN AGAINST FIRE"の中で、マーシャルは400の歩兵中隊に対して聞き取り調査を行ったと主張して居ますが、マーシャルが主張するその数は1950年代の講演では603個中隊、1957年には500以上とするなど、重要なデータであるにもかかわらずブレがある事も、スピラーは指摘して居ます。マーシャルは1個中隊の聞き取りに2、3日を要したと語っており、全ての時間を費やしても400個中隊だと2年以上、600個中隊なら3年以上かかる計算になります。マーシャルが兵士への聞き取りを始めたのは1943年11月である事から、戦時中にマーシャルが主張する数への聞き取りを行うのは不可能で、カナダ王立軍事大学のロバート・ベイトマン准教授は、このデータはマーシャルの創作であるとみなして居ます。
また、個人としてのマーシャルも、話を誇張して書く事が指摘されており、例えば自身の事を第一次世界大戦中の米外征軍で最年少少尉と主張して居ましたが、退役軍人で作家のハロルド・レインボーは、第一次大戦中のマーシャルは工兵隊の軍曹だったと指摘しており、その他にもマーシャルの主張する経歴と記録上の経歴に差異がある事が分かって居ます。
前述した軍事史家のキーガンは、マーシャルの目的について、歴史を記述する事では無く米陸軍に戦争のやり方が間違って居ると悟らせる為だったとして居ます。戦間期にジャーナリストであったマーシャルは、歴史的真実を明らかにするのでは無く、個人的信念を達成する為に歴史家として活動をして居たのです。
此の様に、データの根拠となるものが確認出来ない以上、マーシャルの主張は無批判に受け入れられるものでは無いと考えられます。前述のようにマーシャルの主張への懐疑論は1980年代には見られて居ましたが、軍事史学の外国語論文として発表されて居る為、日本への紹介が遅れて居た様です。その為か、マーシャルのデータは無批判に様々な処で引用され、現在もその影響は大きいものになって居ます。
戦争で精神に傷を負う兵士の話は昔も今も尽きませんが、今回「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の中で「ホッジンズ」に「君の体は知らない間に、火傷を沢山負って居るよ。君はまだ解らないだろうけど、、」と言われた戦闘員で、、
『ライデンシャフトリヒの戦闘人形』
と呼ばれたヴァイオレットが、その自分が犯して来た業を見つめて苦悩するシーンには訴え掛けて来るものがありました。
【ヴァイオレット・エヴァーガーデン】 「Sincerely」 (MAD)
【MAD】ヴァイオレット・エヴァーガーデン【エピローグ】
「映画」の方は映像と細やかな演出との秀麗さにただただ浸るばかり。そして涙。
崖の上での兄弟再会。兄のディートフリードの「行けよ」とすれ違うときのモノ言いたげな瞳。
あれはやはり、兄から弟への「生きて、自由になりなさい」「心から、愛している」
なんでしょうかね。大佐殿の不器用さ、いいですね。お前こそ素直になれよと。
それとデイジーへの郵便局長?のサムズアップ
あそこではもグッと・・・・・。
ヴァイオレットは子供達にどんな表情であれを教えたのか?
ユリスの前での様に無表情な侭か、それとも優しい笑顔?
島に移って変化はあったのか?サムズアップで心が動いたのは初めてでした。
なお郵便局長? が、勝手、ヴァイからギルへの手紙を託された子供だといいなと思っても見ましたが、髪の色も違うし、別人なんでしょうね。
あとは海での再会シーン。一番泣けるシーン。
見ように寄っては、何もたついてるんだ?と思えるでしょうけど、いやいや違う。
少佐が自分との再会を拒んで居ると理解し,静かに去ろうとするヴァイオレット
それでも船上から、少しずつ遠ざかる島をただただ見つめるヴァイオレット
あの彼女の内に、此れだけの感情が秘められて居たかと
いい歳して少女の感情に同調して仕舞うのは自分でもどんなものなのかとも思いますが
あの演出には、心が揺さぶられます。まさに号泣。
自分の心にこんなに響くと思わなかった。まさに京アニが作り上げた名作アニメ映画でした。
私の生活は単調だ。朝起きてネットを見て。スマホとパソコンに届いて居るメールを読んで返信する物があればして。自分のblogを見て。人が誰が来て居るかを見て。また人の所にも見に行き。その間。音楽を聴いて居るかラジオを聴いて居るか?して居て。そして薬の副作用で3時間半は寝てしまうので、以前は夕方頃に成って本を読んだり、ハーモニカ吹いたりして居る毎日でした。ああ此処の所は体調が悪くそんな事もしては居ませんが。毎日、寝て仕舞うので。此間は吹いて居たハーモニカが4本壊れたので。Marinband classicのkey,CとOld Standbyのkey,DとF。そしてMajorboyのminor key,Cmを購入しました。金掛かったけど壊れたので仕方が無いですね。ハーモニカは特にブルースハープはすぐに壊れるのですよね。この事を知らない人の方が如何に多いかと思います。普通のハーモニカでも良く音出なくなるでしょう?処で此間、ハーモニカ吹いて居て新しいフレーズのバリエーションを見つけ出した。日々吹く事に拠ってフレーズは、コピーすると言うのでは無く自然と出て来る物なのですね。私なんかは色々な音楽聴いて居ますから。クラシックもボサノバもラテンもブルースもジャズもロックも演歌もJーPOPも映画音楽のサントラも聴くからハーモニカ吹いて居ると、聴いて居て印象的に思ったメロディーが自然と出て来る。勿論クラシック奏者の様に、譜面は読まないのでアドリブです全て、だから一度吹いて今の良かったと思っても。また2度とは吹けない事も侭有りますが。昨日考えたバリエーションは良かった。此れから頻繁に使うフレーズのメロディーに仕様と思います。なんか落ちが最後ハーモニカですみませんです。。。。
調子が悪い顔して居るな。矢張りこうして見てみると・・・・・。
また同じ音源ですが、、、まだ聴いた事ない人が居たりしたら聴いて見てやって下さいね。ヘタですけどね.....。
kiyasumeの吹くサンメリーダの梟
kiyasumeのマイナーソロとクラシック・メドレー。
kiyasumeの吹くポピュラーメドレーみたいなソロです。
kiyasumeのヘタな、マイナーハーモニカ・ソロ見たいなモノ。
kiyasumeのブルースソロ1。
kiyasumeのブルースソロ2。
kiyasumeのハードバップ風ブルースソロ。
浅見安二郎さんは、ブルースハープの伝道師として、普段は埼玉を中心に演奏活動を行って居ますが、今回スコットホールギャラリーでの演奏が叶いました。ギターの高橋新吾さんに支えられながらブルースハープの音色が会場に響きわたります。
「ブルースハープ」と言う普段あまり聞きなれないこの楽器は、10つ穴のハーモニカの事を言います。司会は装丁家の桂川潤さんが担当、この日も多くの人がはじめてこの楽器の事を知る様だったので、基本的な質問をなげかけながらのレクチャーコンサートと言う形になりました。
印象に残ったのは、この楽器は「吹く」と言うよりも「吸う」楽器であると言う事を。10個の穴しか空いて居ないのにどうしてそんなに幾つもの音が出るのかと言う質問に、浅見さんがそう答えて居ました。ブルースハープは片手に収まるくらいのコンパクトな楽器で、とても小さいため、その様に吸ったり吹いたりする事によって音を変えて居るのです。ブルースハープ自体の種類も沢山あります、演奏曲の音階によって使い分けて居たのも印象的でした。また、舌で穴のふさぎ方を調整し、リズムを打ちながらメロディーを同時に奏でると言う技には、本当に圧巻!ブルースハープの奥深さを堪能できた1時間半になりました。
参加者の皆さんからは、
「選曲が良く、とても楽しめました。ハーモニカのレクチャーもとても興味深く、改めて音色の多様性を実感しました。寒い日でしたが、心がとても温まりました。ギターも素敵でした。」
「楽しい内容のコンサートでした!また開催して欲しいです。会場もレンガ作りの歴史ある所でよかったです。」
「すばらしい音響の中ですばらしいハープの音色!」
とのお声を寄せて居ました。
私が浅見さん見たく吹ける様になるのは何時の事になるのやら、全然格が違いすぎますよ.....。 (● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
浅見安二郎ブルースハーモニカ「リベルタンゴ」Libertango
浅見安二郎ブルースハーモニカ「夜のタンゴ」Tango Notturno
この会場で出来たからこそ、演奏が一層際立ったのではないかと思うと、とても良かったと感じます。最近発売されたばかりの浅見さんのCD『リベルタンゴ』も必聴です!コンサートにお越しになれなかった方はぜひチェックして見て下さい。
松田幸一(ブルースハープ)
「松田幸一」
通称アリさん。日本の10ホールズハーモニカ界のパイオニアであり、プロで活躍するハーピストの中でもキャリア、実力共に日本を代表するプレーヤー。
1972年 アーリータイムス・ストリングスバンドに参加。1973年 泉谷しげるに誘われラストショウを結成。以後、ニューミュージック胎動期にハーモニカプレイヤーとして松任谷由実・大瀧詠一など数々のレコーディングに参加。アリス、イルカ、中島みゆきなどのツアーの後、単独のソロ活動に入る。
1989年 世界的なファッションデザイナー山本耀司氏のヨウジヤマモト・バンドに参加し、翌年パリコレの音楽を担当。翌年CD化。1996年、ソロアルバム「ボイス・オブ・ハーモニカ」、ライブ盤「シルクタッチ」を発表。 2001年 Niall O'Lealy Irish Dancersのジャパンツアーに参加。2002年「ハーモニカ・パラダイス」を発表。
現在まで、小泉今日子、福山雅治、石川さゆりなど多くのミュージシャンとセッション活動すると共に、NHK-BS2 「ふるさとの鉄道」の音楽を担当するなど活躍中。
心に染込むブルースハープをお楽しみください♪
我が心のジョージア (Georgia On My Mind) "Natsuki & Chika Wedding Live Party!!"
妹尾隆一郎
妹尾隆一郎&塩次伸二_06_I’m still in Love with You_2007.2.17
If it Ain't Me _Weeping Harp Senoh & Blues Busters_05
Break it Up _Weeping Harp Senoh & Blues Busters_01
Blue & Lonesome _Weeping Harp Senoh & Blues Busters_03
WagamamaCD2Live_01Summer Time_Weeping Harp Senoh
GACKT君が言って居たけど。「僕は自分の勝手でボランティアやってるんだ。だから「有難うと言われればそうと言うし。馬鹿やろうと言われてもそうですか。」としか言わない」と言う。これは奥が深い言葉です。他人の為に何かやってやっても。そのやって貰った人からよく思われない事もあるし。見て居る赤の他人からもよく思われない。だからこのblogもそう言わせて貰います。「このblogは私の勝手でやって居るのです。喜んでくれる人が居ればそうと言うし。お前は馬鹿だと言われたらそうですか?自分の勝手ですから....。」と此れからは、そう思う事にしました。彼に感謝です。。。今回は此処までで記事は終わりとします。此処まで読んでくれてありがとう。また更新出来たら逢いましょうね。。。( ´∀`)