寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

物事とは・kiyasumeの独り言・・・・・・・。

 

 

私が好きで応援して居る青木志貴ちゃんです。彼女は声優で、モデルで、舞台俳優で、アパレル・ブランドのオーナーで、コラムニストで、ゲーマーで、YouTuberです。皆さんもどうか応援して挙げて下さいね。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

 

 

 

ブルースハープに付いて、皆んな、勘違いをして居る処がありますね。よく聞かれるのですが、音楽理論を学ばないと吹けないと思って居る人が、多いのはどんなものなのでしょうか?そんな事は何も無いのですけどね?今はもう小学校時代にハーモニカを吹かなくなって仕舞ったから、解らない人も居るかも知れないけど。小学校の時にハーモニカ吹いた事がある人なら解ると思いますが。音階はまあ、ペンタトニック・スケール(ドレミファソラシド)の説明は少し習ったかも知れませんが。基本、自由に吹いて見ろと言われたはずですよ。ブルースハープも同じですよ、自由に吹けばいいのですよ。理論は後付けでいいのですよね。感覚である程度吹ける様になってから、理論は学べばいいのですよ。理屈ばかり知って居ても、学校の英語の授業みたいに、文法を幾ら知って居ても話せないのでは仕方がありませんよね。ブルースハープも同じです。幾ら教則本にこう書いてあるからと言って、理論を学んでもアドリブが何も吹けないのでは仕方がありませんよ。ブルースハープにもトランジションがありまして。それはアンプリファイド・ハープ登場時と言う事です。アンプリファイドとは増幅という意味です。要するにハーモニカのエレキ化。アンプに繋いで吹くと言う事ですね。その為にはブルースハープとアンプの架け橋。要するに、マイクの存在が鍵となります。マイクの種類とアンプの種類で音が変わりますから。その事は学ばなければならないけど。それだって、好きなハーモニカ奏者が使って居るものを基本に考えて行けばいいのですよね。特に此れと言って、よくブルースハープにはベンドとかトリルだとかタング・ブロックだとかテクニックはありますが、此れは吹きながら学べばいいと思いますよ。如何に短くブルースハープのテクニックを書いて置きます。

 

ブルースハープの演奏テクニックについて


ブルースハープのテクニックには・・・

  • ベンド
  • ハンドビブラート
  • トリル
  • スライド
  • オクターブ奏法
  • タングブロッキング



などがあります。

ハーモニカ(ブルースハープ)の全テクニック一覧を紹介。吹き方入門。 / Harmonica Techniques

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ブルースハープのテクニック「ベンドとは?」


ブルースハープには、ベンドと言って、音を下げる効果を狙ったテクニックがあります。

ベンドにはドゥローとブローがあります。

ドゥローベンドは、吸って音を下げる。

ブローベンドは、吹いて音を下げる。

また、ドゥローベンドでは、1~6の穴を吸い、ブローベンドでは8~10の穴を吹きます。

場所にもよりますが、ドゥローベンドは3の穴では、1音半を下げる事も可能です。


ブルースハープのテクニック「ハンドビブラート」


ブルースハープでは、バンドビブラートと言って、右手の平を当てたり放したりする事でビブラートをすることが出来ます。

他にもタングと言うテクニックもありますが、手を使うことで簡単にビブラートが出来るので、初心者は人は、はじめに取り入れるのがいいと思います。


ブルースハープのテクニック「トリル」


ブルースハープのトリルは、隣り合う2つの穴を細かく交互に連続で鳴らすテクニックです。

コツとしては、頭は揺らさないで、ハーモニカを左右に動かします。


ブルースハープのテクニック「スライド」


ブルースハープのスライド奏法は、下から、あるいは上から、滑らしながら目的の音を鳴らすテクニックです。

ただ、スライドをやる場合、唇がカサカサしていると切れるので注意が必要です。

つばを付けて湿らせると目的の音までスムーズに移動できます。


ブルースハープのテクニック「オクターブ奏法」


ブルースハープのテクニックにはオクターブ奏法があります。

オクターブ奏法は、1と4の音を吸ったり拭いたりする事でオクターブの音を出します。

下を使い間を塞ぐ必要があるので、難しいテクニックになります。


ブルースハープのテクニック「タングブロッキング」


ブルースハープのタングブロッキングは、1音と2音を交互に繰り返して音を鳴らす奏法です。

高度なテクニックになるので、初心者の方は、時間をかけてマスターしなければいけません。

・・・・

この様にブルースハープには色々とテクニックがあります。

特に初心者の人は、まずは短音がしっかり鳴らす事ができるようになってから、これらテクニックを覚えていきましょう。

ブルースハープ(10ホールズ・ハーモニカ)にはベンド以外にも様々なテクニックが存在しています。

 

トリル、ベンド、ビブラート、タングブロック....などがそうですが、これらのテクニックを自由自在に扱えるようになってこそ初めてブルースハーピストと名乗れる訳です。

 

 

ビブラート

 

ビブラートは出した音を震わせるテクニックで音楽全般に使用されるテクニックです。

 

ブルースハープにおいてはベンドと同じくらいよく使われるテクニックでして、そのやり方にしてもいく通りか存在しており、大別すると手を使ったビブラートと口(喉)を使ったビブラートです。

最後に紹介するのがビブラートの最高峰、その名もスロートビブラート。

 

スロートビブラートは前述したとおり「のど」を使って音を震わせるビブラートです。これははっきり言って高度なテクニックなので習得に時間が掛かると思います。スロートビブラートを自在に出せるようになれたら、ブルースハープをマスターしたと豪語しても良いです。

 

<スロートビブラートのコツ>
・子供の泣く時、のどをヒクッヒクッさせる動きをマネする
・喉に手をおき、のどがオッオッと動くように吹き吸いして見る
・腹式呼吸が必要。仰向けになって吹いてみると自然と腹式呼吸になるのでコツを掴むまでは仰向けで練習する
・最初は声を一音一音切る様にする

 

スロートビブラートは上手く鳴らせると独特な哀愁漂うビブラートになるのが特徴です。
やり方については、これは説明出来るものではなく感じるものに近いですね。
よって説明する人次第で教え方も変わって来ます。

 

難しいと感じるのは、おそらく普段使っていない喉の筋肉を使用するから思うように喉(の筋肉)が動いてくれないのでは?と思います。しかしまあ、難しいとは言っても一度コツを覚えてしまえば出来るようになるので地道にマスターする様にして下さい。

 

 

バンプ奏法

 

フーチャカフーチャカ..ブブ〜

 

といった感じに「汽車が走るイメージ」を連想しながら吹くテクニックです。

 

やり方についてはコード奏法を使って吹き吸いするんですが、イメージとしては汽笛から始まりだんだん加速していき、そして加速が最高潮になったら徐々に速度を落としていく....といった感じ。文章で書くと解りにくいかも知れませんが次のパターンで構成されています。

 

パターン1(汽笛開始部分)
2 2 ② ② 2 2 ② ②
3 3 ③ ③ 3 3 ③ ③

 

パターン2(ゆっくり動き出す部分)
2 ②② 2 ②② 2 ②② 2 ②②
3 ③③ 3 ③③ 3 ③③ 3 ③③

 

パターン3(加速部分)
11①① 11①① 11①① 11①①
22②② 22②② 22②② 22②②
33③③ 33③③ 33③③ 33③③

 

<やり方>
・口で「フー・タカ」とか「トゥク・タカ」と発声するように口を動かすのが上手に出すコツ
・軽くフェイクを交えることで雰囲気がよりいっそう出ます

 

タングブロック奏法

 

タングブロック奏法は4穴もしくは3穴を同時にくわえ、舌(舌)を使って特定の穴をふさぐテクニックです。
主に複音ハーモニカで用いられる事が多く、ブルースハープで積極的にやる人は少ないかも知れません。

 

上手な人のタングブロックは単音アコーディオンのようにリズミカルに聞こえてとても心地よいです。

 

Aパターン(同時に吹く)・・・1 2 3 4
Bパターン(1~3穴を舌でふさぐ4)・・・(1 2 3) 4
Cパターン(5~7穴を舌でふさぐ)・・・4 (5 6 7)
Dパターン(オクターブ奏法)・・・4(5 6)7

 

AパターンとB~Dのパターンを組み合わせてリズムをとって吹いて見ましょう。

と言う訳で、長々と書き綴ってみましたが、とりあえずの説明は終わりです。

 

これらのテクニックは単一で使用するものではなく、あくまでメロディを補佐する装飾的な役割をもったものが大半です。高難易度のスロートビブラートにしても同じ。なので、テクニック至上主義にならず地道にレパートリー増やしてった方が多分面白いよと言う事も付け加えておきます。

 

 

「私の愚痴」

しかし人に私が。自分が天涯孤独の身だからと言うと「そうね!!」とよく言われますが.......。もう少し思いやりを持った言い方をして貰いたいですね。「精神疾患者はバカで気狂いだから、天涯孤独だろ!!」では無くてね。言ってもせんなき事だとは思いますけどね。言われる方になって見ろと言いたいですよ。姉さんに、3年前に電話を掛け「落ちちゃった(泣)」と言ったら。「うるせーばかやろー」と言われた。そしてこう言われた。「お前の周りの人たちは心配して居るよ〜〜!!」「ケア・マネージャーとか訪問看護師とか!!」こう書くと姉さんが心配してくれて居る様に思うだろけど。違うのですよ。心配してくれて居るのでは無いのですよ。電話掛けて来られて嫌なのですよね。だから追っ払いたくて行って居るのですよ。自分が心配して居るとは最後まで言わなかった。大体が何遍も言いますが、私が発作を起こす前に、もう認知症の母親を見て居られないから、相談しに電話を掛けたら「何だ!!私はもう嫁いだ身よ。そんな話言って来ないでよ!!」前にも何か相談したくて電話掛けた時も言って居た「あたしは嫁いだ身よ!!」それでも姉か、、自分の娘がシンガー・ソング・ライターになった時に曲が出来上がると、毎回電話を掛けて来て、人の都合も考えずに恩着せがましく電話で曲を聞かせて、「どうだ、ゆりは凄いだろう。天才だろう!!」と言う。そして最大級の褒め言葉を要求する。それが1回や2回では無かった。曲が出来るたびに電話を掛けて来て。恩着せがましく聞かせるのだ。私は「CD発売になったら買うから、、そしてゆっくり聴くからね」と言って居るのに毎回電話を掛けて来て、聞かせるのだ。そして凄いと言え天才だと言えと恩着せがましい事を言って来る。一度なんかは浪花節しか解らない親父に電話で聞かせて褒めろといい。親父が「おりゃあ、こう言う音楽は解らないんだよ・・・。」と言ったら「天才の孫を褒めないなんてふざけるな!バカヤロー!!」と怒鳴りまくって・・・。その後、幾らバカ親父でも考え込んで居た。
 
そして、こう言うのだ、「人は自分の思う様には褒めないんだ....。」当たり前だろう!!誰が自分ら見たいに、、自分と同じ様に褒めるのだ。自分らはどれ程、人に迷惑を掛けて来たのだ。私はDVDレコーダーが発売になった時に、姪に、当時40万もする最新鋭のDVDレコーダーを買ってやったが、その設置で業者が姉の家に行く時に、手紙で何時頃行くからと言って居るのに、「何時来るの?」と聞いて来る。「私が手紙に日時を書いて置いたでしょう?」と言うと「そうならそうと言えば良いのに」と言うのだ。ちゃんと手紙すら読んでは居ないのだ。姪はマイケル・ジャクソンが好きで、私が彼の「ビデオクリップがWOWOWで放映されるよ」と情報を知らせても、「だって、あたしは全部持って居るもの」と言うのだ。お嬢さん育ちで何も解っては居ない。そして私がイングウェイ・マルムスティーンのMDを上げると「あの人の良いから、どんどん頂戴!!」と言うのだ。そのくせ、自分が気に食わないと「わーくんのやってくれた事なんて、何の参考にもならなかったわよ!!」と言うのだ。そして姉が横暴なので、「私はあんな親の面倒は、見たくは無いからわーくん面倒見てよ」と言って、自分は音楽で目が出ないと解るとサッサっと東大出の若いIT企業の億万長者の社長と結婚して、家を出て行った。私は一体何だったのだ。姉さんも姪も私は恨んで居ますよ。自分勝手で、我儘で、どうしようも無い。人を足蹴にして居るとそのうちに悪い事が起こるぞ。億万長者なんてなぁ、人間億と言う金を持つと気が強くなって散財するものだ。姪には気を付けなと言いたい。
 
弟に付いても言いたい事がある。あいつは私に成りすまして。私の通帳から勝手に何時の間にか200万円を引き出して居た。一体何なのだ?私はあいつらの奴隷か?いい加減にしろ!!。私が怒って言うと「必ずお返しします」と言っては居たが、結局は返さずに死んでしまった。そして、私が母からお金を貰った時に、電話を掛けて来て「ふざけるな!!貴様が何で親から大金貰えるんだ。ぶん殴ってやろうか!バカヤロー!!」と言われた。その時には私の通帳から200万を引き出して於いて!!私は成程、親から1千万円を貰ったが、そのうち700万円は財形貯蓄で自分で貯めて居た金だ。それを母に渡して居たのだ。だから母がその700万に300万を足して私に渡したのだ。一体どのツラ下げて人に言って居るんだろうか?その後、母の面倒を見て居た私は、お人好しだから。弟には親の通帳を渡した。あいつが困って居ると思ったからだ。暗証番号も教えた。あいつは親の金をどうしたのだろうか?まあ、使って居なければ通帳は今は姉さんが持って居るだろう。私は親の遺産は分けて貰えるのだろうか?恐らくは貰えまい。何故なら姉さんが独り占めにするだろうから。「私ら、あいつのせいで母親の面倒を見る羽目になったんだ。誰が遺産なんか渡すか!!」だろ。現に弟が死んだ時も葬式に呼ばれなかったし。実家も黙って処分された。大体が姪とは、もう此処10数年会っては居ないし。まあ、もう子供も生まれて居る筈だ。それなのに何の連絡も気配さえも此方には見せない。私は病気になったのだ。でも精神病は伝染病の様に嫌われる。身内ですらこうなのだ。他人ならもっと酷いだろうとは想像が付く。
 
最近、近所の行き付けの美容室で、美容師が私に「薬飲んで居るんでしょ、、」と言うのだ。だから私は「飲んで居ますよ」と言うとニヤニヤ笑って居る。おそらくは私のblog記事でも読んで。私が統合失調症とでも気付いたのだろう。嫌な感じだ。また、そろそろ美容室の替え時か???。そうやって差別は無くならない。それで此間パーマを掛けに行った時に、1階に住む奥さんが来て居て突然声を掛けられて私がびっくりして居たら。その美容師が「この人の近所の方ですか???」と聞いたら。「下に住んでるの!!何時も居ないのかと思って居ると音するから居るのかと思うの!!」とか、はしゃいで言って居たので。「気が付かなかった。旦那さんとはよく表で会うけどね?」と言ったら美容師が「こりゃまた〜。(笑)」と言って居る。皆んなに言いたいが統合失調症の患者が本気で怒ったらどう成るか知らないでしょう?恐らくは相手を半殺しにするか殺して仕舞いますよ。前にも言ったけど。ゆきかず、けんじの嫌がらせがピークに達した時に、私は刺身包丁と出刃包丁をカバンに入れて会社に持って行った。勿論、刺し殺す為です。自分の事はどうでも良かった。そして倉庫の部屋の中で出刃包丁を翳して座って居た。しかしその様子を見て恐れおのの居た。ゆきかずとけんじはそれ以降は暫くは寄っても来なかった。そして嫌がらせをピタリと止めた。私は「早く部屋に入って来い。刺し殺してやる!!」と思って居たが。ゆきかずはそれ以来倉庫には来なくなった。私が怒ったら相手を殺しますよ。私が警察に捕まったって。死刑になったって悲しむ人間なんか誰も居ませんからね。そう言う事を防ぐ為に、大量の精神安定剤を飲まされて居るのだから。皆んな気を付けてくれと言いたいです。愚痴でした.....。

 

今現在はこんなに髪は長くはありません。この写真は、今から2年前の写真ですから。しかし、またこのぐらいまで長くしようと思って居ますけどね。美容院では、「短くしますよ」と良く言われますけど。この間も短くしますよと言われたので、長くして居るのだから、と言ったのですが短く切ると言い張るので毛先だけ整いて下さいと言ったら、どうやら後ろを結構切られた見たいです。あのねぇ、、短くするのなら床屋に行きますよ。美容院に行くのは長くしたいからでしょうに。解って貰いたいですね。大体がパーマも掛けるの一時は辞めて、髪を金髪に染めようかと思って居たけど。パーマが取れないから染められないと言うし。だから、染めるのは諦めて、またパーマを掛け始めたのだから・・・・・。まあ、美容師の言う事も解るけどね、、なんだかねぇ。大体があそこには良くして貰おうと、DVDを2枚づつ美容師さん3人に上げたのですけどね。まあ、あまり有難がっては居ない見たいだし。人は何考えるか・・・・・・・。だから言いたいです。俺は長髪にしたいんですよ。だからそうさせて下さい。俺は生きても、あと10数年の歳なんだから。残りの人生だけ思い通りに生きたいのですよね。この記事をもし読んで居たら宜しくお願いします。もし私が気に喰わなかったら面と向かって言えばいい。美容院は他にもあります。私は他に行くだけですから。。。

 

=哲学者「東浩紀」=

「東浩紀」の画像検索結果

 

 

東京三鷹市出身。学部時代の専攻は科学史、科学哲学であり、大学院時代の専攻は、哲学(現代思想、フランス現代思想)、表層文化論である。本人は「現代思想好きのオタク」を自認する。思想系の研究者としての道を歩む中で、情報社会論も専門として居るが、決して社会学者ではない。大学教員としては、東京大学大学院情報学環客員助教授、国際大学グルーバル・コミュニケーション・センター副所長・教授、東京工業大学世界文明センター人文学院特任教授。早稲田大学文学学術院教授などを歴任している。しかし、2013年3月に早稲田大学教授を退職して、同年4月以降は大学への所属はない。

小説家でもあり、サイエンス・フィクション作家である。日本推理作家協会賞会員。

 

 

【徹底討論】インターネット変革、でもバカはバカ?(堀江貴文・東浩紀・宮台 真司)

 

 

東浩紀の仕事は一貫して居る。彼は二十歳に下ろした批評「ソルジェニーツィン試論」から「存在論的、郵便的ージャック=デリダについて」を通過し、現在(とは言えもう過去の)の「思想地図ーアーキテクチャ」に至るまで、その一貫した仕事は、端的には人間、情報(より広範囲の)、構造(やや反復だが)に対しての興味に貫かれて居ると言えるのではないかと思う。その中で本書は彼の中心的出発点であると言える。(それは有る意味では、終点でもある。)

どう言う事か。彼は、当初、博士論文において「デリダとメディア」(「自由を考える」参照)との関連で様々な文献を調査して居た。その中で、博士論文として書き下ろしたのが本書であるが、本書を読めばいかにハイデッガーーデリダーフロイトにおいて東浩紀ー哲学者が見いだす存在論的脱構築、郵便的脱構築が我々の認識、欲望、構造に由来して居るかが分かるはずだ。

つまり、デリダの理論を通過し、無限の脱構築の世界に突入した彼は、極めて形而上学的な議論(デリダが形而上学的言説を脱構築しようとも我々の愚かな能力は再び形而上学する)の果てにポストモダンの社会を見事に描いて見せて居る。(かなり消極的にではあるが)改めて簡単に述べるなら、デリダの理論を有る意味では終点とし、開かれたポストモダンを新たな出発点(それも有る意味では終わりである)としたと言える。以上の事を受けての議論は「動物化するポストモダン」「東浩紀コレクション」「思想地図」等々のすべての著作において明確に具現化して居る。そう言った現代において、人文学が行き着いた先は自らの開かれた限界だった訳だ。(もしかすると、これはデリダが考えて居た脱構築の意味とは違うかも知れないが、)その現実を見つめつつ彼の行動を見ればすべてが理解出来るではないだろうか。(価値観は共有出来ないにしても、彼の議論は現実的だ。) 

 

「動物化するポストモダン」

70年代までの「大きな物語」が有効だった時代に対し、80年代はイデオロギーや「大きな物語」が消失し、その空白を埋めようとして生じた「物語」消費の時代となった。しかしポストモダンが全面化した90年代に入るとそうした「物語性」ではなく、深層にある情報(データベース)とその情報の組み合わせである「小さな物語」を消費するというデータベース・モデルに移行したと言う事。

では、70年代までを支配した行動原理・世界観とはどの様なものだったのか。

東氏は「一方には、私たちの意識に映る表層的な世界があり、他方にその表層を規定している深層=大きな物語」があり、70年代までの近代的世界観では「その深層の構造を明らかにする」事が求められて居たのだと語る。

例えば自分たちの身近にあった裕福な家庭と貧しい家庭。こうしたものもかってであればマルクスによる階級闘争に歴史の1断片として取り扱う事も出来ただろうし、それを克服するものとしての「共産主義」が信仰されただろう。あらゆる「小さな物語」は背景にある「大きな物語」の表象であり、常に「大きな物語」とつながって居たのだ。

しかし、こうした「大きな物語」に対する信頼は、ベトナム戦争や共産主義国家の現実、あるいは「連合赤軍」の終焉など、70年代を通じて失墜して行く事になる。

現実には「大きな物語」は凋落して仕舞ったものの、とは言え「大きな物語」を求める心性はそう簡単に無くなるものではない。例えば79年から放送され未だに根強いファンを有する「機動戦士ガンダム」。この「ガンダム」のファンたちは単に「ガンダム」のストーリーを追いかけて居るだけではない。その背景に広がる「世界観」こそを求めており、それこそが《架空の》大きな物語として消費されたのだ。

こうした状況を大塚英志は「消費されて居るのは、1つ1つの<ドラマ>や<モノ>ではなく、その背後に隠れて居たはずのシステムそのもの」だとし、このシステム=「(架空の)大きな物語」を消費する為に、1つ1つの「小さな物語」=「1話」やそれぞれの「商品」を購入する様子を「物語消費」と呼んだ。これが80年代のスタイルとなった。

しかしこのモデルはポストモダンの本当の姿ではない。連合赤軍が「理想の時代」の終焉を告げた様に「オウム事件」が「虚構の時代」の終焉を告げる事になる。

90年代に注目を集めたものとして「萌えキャラ」がある。こうした萌え系のキャラクターは、メイド服、ネコ耳、ネコしっぽ…。などの形式化した「萌え要素」の組み合わせで構成されており、オタクたちがそうした萌えキャラに「萌えた」のは、キャラクター(シュミラークル)への盲目的な没入や感情移入と同時に、その対象を「萌え要素」に分解しデータベースの中で相対化しようと試みたからだった。

「同人誌」やマッド・ムービーの制作など、本来の「ストーリー」とは別に、個々の要素を抽出・マッシュ・アップし、盗作やパロディやサンプリングとは違う原作と同じ価値をもつ「別バージョン」を生み出そうと言う欲望が背景にあったのだ。

此処にポストモダンの行動原理である「データベース消費」の構造が見られる。萌え要素のようなデータベース(大きな非物語)から必要な「情報」を読み込み、「小さな物語(シュミラークル)」を作り続ける。それは近代のツリー・モデルのように「小さい物語」の背後に「大きな物語」がある訳ではない、そこにあるのはあくまで意味を持たないデータベースであり、即時的な「小さな物語」が無限に生産・消費され続けるのだ。

こうした変化は「大きな物語」が失われた後に登場した「日本的スノビズム」から「動物の時代」へ移行したと言う事も出来る。コジェーヴによれは人間は「欲望」を持つが動物は「欲求」しか持たないと言う。「欲求」とは、空腹→食べる→満足と言う様に、ある対象の欠乏とそれを補う事で完結する単純な回路だ。これに対して「欲望」は満たされる事がない。

学校で1番の美人を彼女に出来たとしよう。それで満足するかと言うとそうではない。彼女に自分の事だけを思って欲しいとか、他人から羨ましく思って欲しい・自慢したいとか「他者の欲望を欲望する」という間主体的な感情を持って仕舞う。これを動物的な「欲求」と対比して「欲望」と言う。

かっての様に深層に「大きな物語」が存在しない以上、ポストモダンに生きる人々が「生きる意味」を与えてくれるのは表層の「小さな物語」だけである。データベースは意味を与えてくれない以上、そこから紡ぎ出される「小さな物語」によるお手軽な「感動」を楽しみ、感情移入するしかない。こうして「ポストモダンの人間は『意味』への渇望を社交性を通しては満たす事が出来ず、むしろ動物的な欲求に還元する事で孤独を満たして居る。」「世界全体はただ即物的に、誰の生にも意味を与えず漂って」居るのだ。


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今、この著を読み返す意味は、1つにはインターネットを含めた現代の状況を確認する事だ。此間読んだ「東京から考える」では、経済のグローバリズム化や消費社会の進展にともない都市そのものも動物化した時代に即した「ジャスコ的郊外」が広がって行くとあった。

確かにそうだろう。インターネット上でのサービス・IT技術の進展はそうした状況をますます加速させるのだろ。人は便利なものに慣れ、手軽じゃないないものは避けるかも知れない。エンターテインメント分野では1つの「ヒット」をもとに要素の組み合わせで無数の類似作品が生み出されるかも知れない。

しかし同時に20年代に来た今、それだけでは物足りない動きも感じられはしないか。コロナによる弊害から生まれるものも出て来て居る。

 

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〜〜男の世界〜〜

 

私は厭世的な生き方をして居ると自分の事をそう思う。大体が、スポーツは嫌いだ。野球もサッカーもラグビーも駅伝も見ない。だから選手たちの名が解らないし。解って居る名でも選手の顔が解らない。私は子供の頃は野球に興味があった。親に少年野球チームに入りたいから、ユニフォームを買ってくれと言ったが、買っては貰えなかった。私は父親に野球のミットとボールを買ってくれとねだった。親父は暫くすると、ミット2つと野球ボール1つを買って来た。そして家の前の道路でキャッチボールを朝早く起きて始めたが、暫くして近所に住んでいた同級生の女の子が、「なんだヨォ!〇〇が野球なんかするのかよ〜!!」と言って通って行ったら。親父はそれ以来起きて来なくなった。私が扁桃腺の手術をして小学校を半年休んで、勉強が丸で解らなくなって、親父の処に行って勉強を教えてくれと言っても、朝早く勉強をする事になったが、3日坊主と言うのならまだ分かるが。1日で起きて来なくなった。私はどうせ誰も助けてはくれないんだと思う様になって行った。そんな私が好きなスポーツがあった。プロレスだ。私は小学校の頃、1960年代後半から1970年代に掛けて格闘技がブームとなっており。その煽りを受けて、アントニオ猪木が好きだった。彼は日本プロレスの力道山にブラジルで、日系の移民として暮らして居た処を見出されて、凱旋帰国をして、プロレスラーになった。彼の同期には巨人軍の野球選手だった馬場が居た。此の二人を力道山は実験台とした。まず、猪木にはもの凄くきつく辛く当たった。そしてもう一方の馬場には優しく優遇して扱った。猪木は馬場をライバル視して、過激なプロレスをする様になった。一方の馬場はボンボン育ちのレスラーへとなって行った。

 

アントニオ猪木 「道」 伝説の名言 

 

しかしある時に日本プロレスの崩壊事件が起こって仕舞った。力道山がヤクザにドスで刺されて死んで仕舞ったのだった。二人は力道山の死んだ穴を埋めるが如くに試合をこなして会社に儲けを持たらした。しかし会社の幹部連はその彼らの血と汗で稼いだ金を持っては毎晩。キャバレーで豪遊して1日で100万円も使って仕舞って居た。猪木はそんな経営幹部が許せなくなり、密かにアメリカ帰りのレスラーたちと東京プロレスという団体を旗揚げしようとした。しかし此の事は事前に漏れて居たのだ。猪木はどうしてだと思ったら、一緒に東京プロレスで旗揚げしようと言って居た馬場が日本プロレスの経営サイドに金で買収されて、裏切って居たのだった。猪木はそれ以来馬場を憎んだ。憎んで、憎んで、憎み通した。結果、猪木はプロレス界を追放処分となったが、猪木は東京プロレスを旗揚げした。そして、馬場は一人で日本プロレスを背負うエースとなった。その後。紆余曲折あって、猪木は東京プロレスを解散し、新しくテレビ朝日のテレビ放映権を貰って新日本プロレスを立ち上げた。馬場はダメになった日本プロレスに見切りをつけて全日本プロレスを日本テレビ放映権を貰って旗揚げして。以来、此の2つの団体は敵対する様になって行った。私はこう言う経緯を踏まえてプロレスは1990年代まで見て居た。

 

 

 

いつも一緒に 

 

 

 

1980年代に新日本プロレスで猪木の弟子である藤波辰巳と長州力の因縁抗争が勃発し、二人の対戦カードが組まれる様になった。それまでジュニア・ヘビー級のベルトを敵地のマジソンスクエア・ガーデンに乗り込み、見事アメリカのwwfのチャンピオンをドラゴン・スープレックスという大技で失神させてベルトを勝ち取り凱旋帰国した、藤波に、雑草だった元オリンピック選手で鳴らした長州力が噛み付いたのだ。「俺は藤波の噛ませ犬じゃない!」と宣言した長州は維新軍団を組織して正規軍である藤波、猪木に刃を向けたのであった。新日本プロレスは組織を2分する危機的状態へと陥って行った。しかし猪木は此の申し受けを堂々と受け入れて藤波と長州との試合を組んだ、恐らくは猪木は自分の波乱万丈の人生に長州と藤波を重ね合わせたのだろう。二人の試合は壮絶なものとなって行った。初めは試合にならなかった。長州と藤波は試合では無く喧嘩だった。二人してぶん殴りあって居た。そんな状況を見て居た世の中の人は次第に此の2人の試合を注目しだして、社会現象とも言えるプロレス・ブームが1980年代に巻き起こった、テレビの視聴率は65%を超えた。前代未聞だった。

 

 

 

飛龍革命 音声字幕

 

 

 

私は長州は好きに慣れなかったので藤波を応援して見て居た。或る日、ゆきかずが私をバカにして言った。「プロレスなんて八百長を見て居るのか、貴様はバカか!!見るのやめたらどうだ〜〜!このバカが!!」ゆきかずに聞いた「長州って知って居る。」すると「そんな奴は知らない。プロレスは見て居ない」と言う。何も事情が解って居ないで人を非難して居るのだ。「やめたらどうだ〜〜」とはよく言えたものだ。ゆきかずはゴルフの会員権を二つも持って居た。そして言う。「ゴルフぐらい出来無いと男じゃないねぇ!!」私は金も無いのにゴルフに興じて自分を一流だと思って居るバカを見て居て。つくづく、こんなバカは居ないと思って居た。話はプロレスだ。長州との因縁試合で藤波は足の骨を折って仕舞った。しかし彼は試合に出る為に麻酔を足に局部注射して戦った。見て居て、試合も冒頭5分ぐらいから麻酔が切れて、藤波は苦痛の顔を浮かべて戦った、麻酔は5分しか持たなかったのだ。そして長州に敗れてべルトは奪われて仕舞った。私は此の二人の抗争を見て居て、これを組織としての規律を曲げてまで許した猪木と、反逆した長州。受けて立った藤波。皆、素晴らしいと思って見て居たのだった。世間は男のドラマに酔い知れて居た。

 

 

 

長州力・藤波辰爾 マイクパフォーマンス 

 

 

私が好きな声優の青木志貴ちゃんです。彼女は声優でモデルで、舞台俳優で、YouTuberです、、

 

 

 

【㊗︎チャンネル登録10000人突破!】仕事、YouTube、本音をぶっちゃけトーク

 

 

 

此処に一冊の本がある。
のちに角川書店から刊行される『犬狼伝説』のオリジナル版とでも言うべき日本出版社版である。この本のあとがきにこう書かれている。

「周囲の人は困ったもんだで済ませて居たが、間違いなく彼は本気だったのだ。枚数もないので詳細な記述は避けるが、己の手掛ける作品に隙あらばこそと出没させるだけでは飽き足らず彼等立喰いのプロの系譜を辿りつつ日本の戦後史を新たな視点から再編すべく企図された虚構の歴史ドラマ。

『立喰師列伝/全六巻』の企画を真剣に検討して居た事や、その為の準備と称して架空の民俗学者・柳谷邦男名義による『闇の系譜――立喰師の世界』『立喰師騎馬民族学説』等の出版を目論で挫折したと言う噂は紛れもない事実である。それらの壮大にして奇怪な企画が実現しなかったのは、ただ単に彼の周囲に冒険主義的なプロデューサーが存在しなかったからに過ぎない(と彼は今でも信じている)」
(押井守/あとがきより)ー「ガブリエルの憂鬱」より抜粋しましたー

周りの誰しもが、冗談だろうと思っていた此の構想10年越しの企画を、押井守は日本の戦後の総括的意味合いと共に2006年に映画化しました。公開当時は、結構、話題に成ったので、知って居る人も居るかとも思いますが、此の「立喰師列伝」は、その後、「女立喰師列伝ーケツネコロッケのお銀・パレスチナ死闘編」を得て、後に、「真・女立喰師列伝」を公開しました。

しかし、どちらの作品ともめっぽう面白いので、まだ、観ていない人はレンタルででも、観て見る事をお勧めします。本当に面白いですから。。。

 

下で予告編が観られます、クリックする事で映像が始まります。

 

押井守監督作品「立喰師列伝」 予告編

立喰師列伝 お銀抜粋編

女立喰師列伝 短縮版

 

此の話は以前にも書いたと思うが、私はある女性のblogを見に行って居た。だが私はこの女性は知識がある様な事を言っては居るが。本当の処。それは書物からの知識だけでは無いかと思う様に成って行った。何故なら、確かに本はよく読んで居た見たいだった。しかし彼女の掲示板での書き込みで手塚 治は素晴らしいと言って居たのだが。なんと「手塚治虫」を「手塚 治」と言って居るのだ。手塚氏は昭和20年代からずぅーとペンネームの「手塚治虫」の名を使って来た。彼女は何も彼の事を知らなかったのだ。ただ皆んなが手塚氏は凄いと言って居るから、自分も凄いと思い込んで知りもしないのに凄いと言って居ただけだった。果たして手塚氏の漫画を読んだ事はあるのだろうか?恐らくはあるまい。手塚氏の漫画を読んで居たら「手塚治虫」と言うペンネームを知って居るはずだ。

恐らくはテレビで「鉄腕アトム」ぐらいは見たのかも知れない。しかし断言する。「手塚治虫」の漫画本は1冊も読んでは居まい。手塚氏は往々にして児童漫画。子供向けの漫画しか描いて居ないと思われがちだ。しかし実際は違う。例えば「空気の底」「奇子」などの近親相姦の漫画やら、「きりひと賛歌」などと言う「モンモウ病」と言う奇病に付いての外見による差別や人間の尊厳などをテーマとする重厚なストーリー漫画もある。同じ医療漫画である、それから3年後の『ブラック・ジャック』が非現実的な要素も交えた作風で尚且つ「医学は人間を幸せにし得るのか」というテーマを扱って居るのに対し、本作では医学界に於けるa power struggle(権力闘争)を主たるテーマとして描いた、1970年代初頭の社会派的色合いの強い作品となって居る。

一般の人は知らないでしょう。こう言った漫画を手塚治虫が書いて居た事を。そして彼は「アドルフに告ぐ」ではヒットラーの生涯を、3人のアドルフと言う名の人たちの愛憎を絡めて描いて居る。「シュマリ」では明治維新の事を。北海道での五稜郭を舞台に、実は生きて居た新撰組副長の土方歳三とシュマリの友情を描き。昨年公開された稲垣吾郎と二階堂ふみによって実写映画化された異常性欲者の作家と、それを救おうとするミューズの「ばるぼら」と言う映画を手塚治虫の息子である映画監督である手塚 眞氏が撮って居る。この映画では二階堂ふみの全裸での体当たりの演技が良かった。R15になった作品だ。手塚氏が描いた原作の漫画は私も持って居るが、黒魔術やらセックス・シーンが累半に出て来る漫画で。1970年当時にビックコミックと言う青年漫画誌にて連載された漫画だ。

皆さんは手塚治虫氏は児童漫画しか描いて居ない。例えば「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「ワンダー3」などしか、子供向けの漫画しか描いて居ないと思って居る。良くてその他に「ブラックジャック」「ブッタ」だろう。知って居るのは、、その手塚治虫の事を知って居ると言って居る女性は何故、「手塚治虫」と呼ばれて居るのかが解っては居なかったのですよ。皆さん?.....。彼の本名は勿論「手塚 治」です。しかし彼は昔から昆虫マニアでした。だから日陰で一生懸命に生きて居る「オサムシ」を自分の治という名前に掛けて「治虫(オサムシ)」よって手塚治虫(てずかおさむ)と皆んなに読ませて居たのですよ。

彼は大人向けのアダルト・アニメ3部作も撮って居ます。「千夜一夜物語」「クレオパトラ」「哀しみのベラドンナ」です。この3部作は1968年ぐらいから1973年に掛けて公開され世界中で配信されました。今だに此の3作品は商品化されて居ますよ。1980年代にビデオ化されて、その後1990年代にはレーザーディスク化され、また低価格ビデオ化もされて、レンタルビデオ屋にも置いてあったし。今はDVDにも成って居ますしね。最近ではCS放送で「千夜一夜物語」と「クレオパトラ」は放映されましたよ。皆さんこう言ったアニメ映画を手塚氏が作って居た事も知らないでしょう?由緒正しい日本ヘラルド映画が配給元ですよ。ちゃんとした映画です。ポルノと言うから嫌たらしい映画だと思わないように。藝術的ですからね.....。

特に手塚治虫の片腕だった山本暎一監督の三部作の最終作「哀しみのベラドンナ」、この作品群はアニメラマと呼ばれて居ましたが「哀しみのベラドンナ」だけはアニメロマネスクと呼ばれ。エロチックではありますが、藝術的であり、サイケデリックな映像と佐藤允彦が作曲した丸で1970年代のプログレッシブ・ロックの様な神秘的で美しいメロディーの音楽は日本では1970年代にレコードになって居ませんがイタリアでサントラ・レコード化されて発売されました。ドイツやイタリア、フランスなどではCDになって今だに発売されて居ますよ。ちなみにこの「哀しみのベラドンナ」は2000年代にアヌシー国際アニメション映画祭で賞を受賞して居るし。1973年公開当時はベルリン国際映画祭で上映されました。

日本盤はDVDしか売っては居ないが。海外盤では4KリストラされたBlu-ray盤が売って居ます。私も購入して持って居ますよ。あの作品には4Kがよく似合う。私は手塚治虫を谷崎潤一郎やら、三島由紀夫と同等に評価して居ます。しかしそれはあくまで大人向けの作品群でね。その彼女の文を読んで居ると確かに本から得た知識はありそうだが、肝心な事が疎かにされてしまって居るなと思いました。要するに能がある事を上機嫌で言って居ても、上辺だけの本の知識だけなのですよね。

私は彼女にはがっかりした。最後になりましたが。このアニメラマ三部作の予告編を挙げて置きます。「哀しみのベラドンナ」はこの後に挙げて居ますので。残りの2作品と「由紀さおり」が歌う「クレオパトラ」の挿入歌です。この曲は冨田勲作曲で中山千夏作詞のエキゾチックなるスキャットです。歌って居るのは由紀さおりです。聴いて見て下さいね。今見ると、「哀しみのベラドンナ」は今見ても凄いけど。他の2作品は単なる娯楽作品としての価値しか窺い知る事は出来ませんけどね。

 

千夜一夜物語

 

[アニメラマ]クレオパトラ_予告篇

Cleopatra No Namida

 

 

 

 

 

 

 

kiyasumeのハーモニカ・ソロです....。

 

 

1975年当時ちょうど第2次アニメブームがやって来た。当時はイメージ・フォーラムなどや虫プロ映画祭で、世界中のアニメをよく見た。特にユーリー・ノルシュテンの「外套」を見て度肝を抜かれた。ロシアを代表するアニメーション作家、ユーリー・ノルシュテイン。主にセルロイドに緻密に描き込まれた切り絵を用いる短編アニメーション映画などで知られる映像作家である。ソ連→ロシア国籍の東欧系ユダヤ人である。彼は30年以上の歳月をかけてゴーゴリ原作『外套』のアニメーションを制作して居るが、しばらく撮影をして居ない。2019年6月、モスクワにあるノルシュテイン・スタジオ“アルテ”。おびただしい数のスケッチ、キャラクターパーツ、誇りをかぶった撮影台・・・。世界が待望する『外套』は何時、完成するのか。。。

1980年からゴーゴリの短編小説『外套』の制作が始めるものの、ソビエト連邦の崩壊による社会的混乱や政治変動と言った背景もあり、何度か制作が中断され、30年以上経った今も未完の状態となって居る。現時点では30分ほどの長さの作品が完成しており、毎年少しずつ新しいシーンを追加しており、作品を完成させる意思はあるようだ。現在もまだノルシュテインは『外套』の制作を続けて居る。この映画プロジェクトは数多くの財政トラブルや誤った発進を経験したが、現在は幾つかのロシア国内外のスポンサーから信頼出来る資金提供を受けており、少なくとも25分は完成しており、2本の低解像度のクリップが公開されて居る。映画の最初の20分はロシア美術館におけるノルシュテインのさまざまな展示内で上映されて居る。なお、完成作品は60分程度の作品になる予定だと言う。

 

外套(がいとう)

 

貴重!アニメの神様の制作風景-『ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる』

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

そして又、イメージフォーラムで観た。「哀しみのベラドンナ」である

絵画止め絵を中心にして、色彩アニメーションだったりして、美しかった。絵柄も非常に好みだし、水彩画アニメや油絵アニメなど、非常に手が込んで居て、今見ても美しさに圧倒される。哀しみのベラドンナはあまり動かないパートと、動きすぎる部分があるが、音楽と挿入歌の使い方が上手いから統一感あるし面白い。劇伴音楽もいいし、小林亜星の歌曲もアートとインパクトの両面で素晴らしい。阿久悠のドラマチックな作詞も最高だし中山千夏のナレーションと歌もいい。そして映画前編を通り抜けるサイケデリックな感覚がいいのです。まあ、エロスを追求したとも言えるアニメですが・・・・

 
哀しみのベラドンナ_e0155231_14341961.jpg
 
 
 
 

 

 


英題は「Belladonna of Sadness」

                  

           

BELLADONNA OF SADNESS - Official Red Band Trailer

Belladonna (1973)

 

 
私が18歳の頃だった。丁度、アニメは松本零士アニメが日本では大流行をして居て。私も御多分に洩れず。劇場で「銀河鉄道999」とか「我が青春のアルカディア」「宇宙戦艦ヤマト」などを観ていた。特に私はりんたろう監督の手腕が良かった事もあって。「銀河鉄道999」の劇場版は、2作目の「さらば銀河鉄道999」と両方のものを見て居たが。それは私が18歳ぐらいの時だった。それから、2年程して、「銀河鉄道999」と「さらば銀河鉄道999」はテレビの洋画劇場で放映された。私は20歳の時にそれをまだ発売されたばかりのモノラル・ビデオデッキで録画して、ある休日に楽しんで見て居た。そうしたら競馬から帰って来た親父が来て。その様子を見て言った。「お前みたいなバカはいねぇなぁ、こんな3歳児が見る漫画を見て面白がって居るのか!!」と言われた。私は「ああ、あんたには3歳児が見る漫画に見えるのかい?」と言ったらこう言う「機関車が宇宙を飛ぶなんてのは赤ちゃん向けだろう。てめえは知能指数が最低に低いやろうだな!!」私は言ってやった。「あんたさぁ、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」って小説知らないのか?」「何?銀河鉄道だと!!そんな幼稚なものは知らねえぞ!!」だからもう私は話をしても、このバカな父親には何も解るまいと思って黙って見て居た。
 
 
 
 
 
【解説動画】劇場版『銀河鉄道999』ドルビーシネマ版とは!?
 
 
 
 
 
当時ビデオデッキは応接間にあり。応接間には16型のブラウン管のカラーテレビが置いてあって。それに繋げて見て居たからだ。だからバカ親父は私を見てバカに仕出したのだ。私は構わず見て居た。するとバカ親父はとことん私をバカに仕出して。ソファーに腰を掛けると競馬新聞を広げて、見ながらチラチラ。テレビのアニメ映像を見出した。そして主人公の少年が母親の仇(人間狩りで彼の母親は機械伯爵によって殺されている)を「戦士の銃」と言う銃で敵の機械伯爵の頭を撃ち抜いたら。彼の奥さんであるリューズと言う時間を操れる魔女の女性が。「これでよかったのよ。さあ、もうこの城は崩れ落ちるわ。早くお逃げなさい」と言って洋服のドレスを脱いで下着姿になり伯爵の遺骸に掛けてやっている場面を見たら。「おい、これさっきの漫画か?」と言い出した。 私は「だから言ったろう宮澤賢治を知らないのかって?彼のコンセプトをベースにしてSFアニメ映画にしているんだよ。」そう言うと、何がなんだか解らない顔をして見ている。しかし言うのだ「だって機関車が宇宙になど飛んで行くなんて言うのは幼稚だろ!!」だから私は宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」の話を短めにした。すると「そんな話を宮澤賢治は作って居たのか?」と言って。吃驚している。最後、主人公の哲郎と彼を銀河鉄道に誘った謎の美女メーテルが別れるシーンになって、哲郎が(主人公の少年)がメーテルの名を叫けびながら、機関車を追いかけて行き。分岐点まで行って止まった処で「銀河鉄道999」は空へと消えて行って城達也のナレーションで「そして少年は大人になった」と言う所まで見たら。「これ続きもあるのか?」と聞いて来たので「あるよ、2作目が、、」と言ったら黙って自分の寝室へと入って行った。
 
親父については言いたい事だらけだ。あの人は物事を何も知りはしなかった。大映に1960年代の中頃に作った「大魔神」と言う特撮映画がある。悪代官たちを美しい女性が「自分の命と引き換えに成敗して下さい」と神に祈ると。大魔人が現れて悪代官たちを皆殺しにすると言う映画だ。この映画は全部で3部作あり。悪い城主に虐げられている貧しい人たちの祈り(大抵は20歳ぐらいの若い女性)。を聞くと体長30メートルぐらいの物凄く怖い顔をした大魔神が現れて城主を殺して人々を助けて消えて居なくなると言う話です。この映画は私が5歳から7歳ぐらいにかけて劇場で父親に連れられて見たが。大映の当時の特撮の粋を集めて作られた映画で。今、、観ても見られる映画です。音楽はあの伊福部昭が担当し荘厳な音楽を聞かせてくれて居た。処がこの映画を見た後も、あの親父はバカな事を真面目な顔をして言って居た。あるテレビ番組のクイズ番組での事だ。「おい、〇〇!!あの人を見てみろ!!あの人の顔が魔神の顔だぞ!!きっとそうだ、大魔神はあの顔だぞ!!あの男が魔神なんだ!!」と言うのだ。
 
 
 
 
7/16(金)公開「妖怪・特撮映画祭」上映告知~「大魔神」三部作予告篇【4K】~
 
 
 
 
幾ら小学校低学年でも大魔神の顔は作り物の仮面の顔だと解っている。私は「お父さん何言ってるの?あの大魔神の顔は作り物でしょう?」そう言っても「いや間違いない。あの男が扮装したんだ」と丸バカな事しか言えない。そして晩年になってから親父にジョルジュ・ロートネルのサスペンス・ノワール。「フランス原題の「寄生虫の死」/ 日本題名チェイサー」と言う。アラン・ドロン主演のフランス映画を見せて居て。最後になって親父の部屋に入って行ったら。正義感が強すぎて返って殺人を起こしている警部にドロン扮する実業家が接触し。会話をテープに録音して最後に彼に「それでは自分の罪を聞きたまえ」と言って駅構内で。スピーカーから録音してある音声を公開して流したら。その警部はドロンに向かって「おい、悪党を逃すのか!!」と自分が憎んでいる人間の事をそう言っているのに。あの親父は「おい、あいつは、まだ自分が悪いのに悪く無いと言い訳しているぞ」と言うのですよね。私はこの人は相当にバカかと思って自分の父親ながら呆れて聞いて居た。物事を解らないで見て居るのですよ。そして何時も自分の狭い裁量で判断して物を言う。だから大抵が当たっては居ないのですよね。でも此れは、けんじにもゆきかずにも言える事だ。要するに物事を何も解っては居ないのだ。節穴と言うべきか、物事を何も解っては居ない種族なんですよね。親父の一族は。私は違う、だから、あの人たちと一緒に居るとアツレギが生まれたんです。。。

 

Mort d'un pourri - Bande annonce 1977 HD

 

今回は以上でした。

以上過去blogの記事からでした。少しだけ修正し、追加文を新しく一部分加筆しました。また更新出来たら逢いましょう( ´∀`)

コメント一覧

kiyasume
mobiliさん、書き込み有難う御座いました、、
返信が遅れまして、申し訳有りませんでした。

「エヴァンゲリオン」ですか・・・・・・・。

あれ1990年代ですよね。TV放映されたのは、、
私は放送時知らなくて、、弟から再放送があるから
と聞かされて、観ました・・・・・・・・・・。

「大きな物語」でしょうか、、補完されて居たのですね、、
ネット上の情報やら何やらでですか・・・・・・・。

確かに「エヴァンゲリオン」は大きな物語でしたね、、
然し私は、矢張り歳が行きすぎて居るせいか、、
余り付いて行けませんでした・・・・・・・・。

まあ、私は矢張りガンダム世代でしょうか???

然し、mobiliさんは物知りですよね、、
何時も感心して仕舞います・・・・・・。

また来て下さいね。それでは、また、、、( ◠‿◠ )
mobilis-in-mobili
大きな物語からの移行を端的に示したのは『新世紀エヴァンゲリオン』ではなかったか?と思います。

観た人たちは示された断片をネットの世界でかき集めて、裏側に潜む大きな物語を探りだすことに熱中した。もともと意図されたもの以外に後付けで真相はどんどん『補完』されていきました。

私はそれをリアルタイムで体験しました(笑)。
当時出回り始めたdocomo携帯(死語❔)のグループチャットがずいぶん盛り上がったものでした。
kiyasume
まかろんさん、書き込みどうも有難う御座いました。。。

ジャン=フランソワ・リオタールが提示した「大きな物語」と言う概念は、
ポストモダン論を学ぶ上で最も重要な考えの一つです。この概念を理解
する事なしに、「ポストモダンとは何か」という議論に進む事が出来ない
からです。

加えて、リオタールの議論はハーバマスなどが展開した「モダン・ポスト
モダン論争」を理解する上でも大事になってきます。そう言った意味で
社会科学を学ぶ方は知っておきたい概念です。

大きな物語とは、

近代社会がそれ特有の世界観と人間観によって社会・文化的コンテキスト
を維持・正当化するための物語を指します。

「大きな物語」という概念は、フランス人哲学者のジャン=フランソワ・リオ
タール(Jean-François Lyotard 1924年ー1998年)が『ポストモダンの
条件』(1979)で提示したものです。

結論から言えば、リオタールは『ポストモダンの条件』に於いて」、「大きな物語」が終焉する状況を「ポストモダン」という言葉で表現しました。この大き
な物語の前提には、「近代社会はある種の理念を達成することを目標に支
えられてきた」と言う考えがあります。

具体的に、その理念とはたとえば次の様なものです。

科学による社会の進歩
資本主義
民主主義
労働の解放
教育による平等
民族独立

此れらの理念を大まかにまとめると、理性的で自律的な主体が合意によっ
て真理と正義を共有しながら、進歩思想を中心に社会を運営し、社会の
進歩や人間の幸福を実現すると言った物語と言えます。

此の様な物語を、リオタールは「大きな物語」と言う言葉で表現しました。

ちなみに、大きな物語はしばしば「メタ物語」と呼ばれます。メタ物語と
呼ばれる所以は乱立するさまざまな理念を制して、大きな物語が絶対
的な優位性をもつためです

「大きな」物語と言う時、物語の内容が気宇壮大なものを意味する
訳ではありません。「大きな」物語とは、物語自体が社会に広く共有
されて居る事を意味します。

「大きな物語」という概念はリオタールが『ポストモダンの条件』(1979)で
提示したものです。

この著作の冒頭でリオタールは、大きな物語を科学と物語の葛藤から
説明しています。それは次のように説明されます。

科学は神話のような「物語」を知の探求する手段として適切なものとして
捉えない(神話は寓話にすぎない)科学は自らが神話より真理の追究に
適して居る事を示すための物語が必要になる

それが科学こそが唯一の正当性をもった物語であり、「大きな物語」である
冒頭では科学の事例で説明されていますが、基本的に大きな物語とは近代
の理念です。そして、近代の理念は3つの特徴から説明されます。

人間理性への信頼とは、

人間は理性によって社会をよりよい方向へと導くという意味です。

リオタールによると、理性は獲得した人間は近代理念への参加を選び
取ります。伝統社会における人間集団は階級や身分が特定の地域や
血縁関係と深く結びつけられていましたが、近代社会ではその限界を
越えた共同体です。その様な共同体を形成するためには、普遍性が必要
になります。

ちなみに、理性の獲得は「啓蒙主義」と深く関連した考えです。

啓蒙主義とは?絶対的な優位性近代の理念の次の特徴は、
近代理念が他の理念に比べて絶対的な優位性がある事
です。

近代の理念は他の理念に比べて絶対的に優位でなければなりません。
それまで乱立していたさまざまな理念を正しい方向に導く役割が近代
の理念にはあります。

そういった意味で、近代の理念はメタ物語なのです。

達成目標
近代の理念の次の特徴は、

大きな物語が指す目標はそれぞれ異なるけれど、どの物語も現状からの
救済を目標とする事です。

つまり、大きな物語は現状を劣ったものとして、物語の提示する理念に
よってのみそこから救済される事を語ります。大きな物語とされる理念
の内容はそれぞれ異なるかもしれませんが、そこにはこのような共通の
特徴があります。

大きな物語の事例
たとえば、リオタールは次のような事例を挙げています。

 啓蒙主義の物語

啓蒙主義は、認識と平等主義によって無知と隷属からの解放を示す物語
理性を獲得した人間は、合意形成をもとに普遍的な平和をもたらす
つまり、知識と訓練の不足による蒙味状態から人びとを救済すると言う
啓蒙主義の物語。この啓蒙主義の物語には、先ほど説明した近代の理念
の3つの特徴がある事が分かると思います。

異なる事例として「搾取からの解放というマルクス主義的物語」や「富の
蓄積と経済発展という資本主義的物語」があります。

どの物語も人びとの圧迫した状況を解放する物語という点では共通して
います。リオタールによれば、19世紀・20世紀における人間の行動と
思想はこの様な大きな物語にしたがっていた様です。

大きな物語の終焉
此の様に、大きな物語の樹立は近代に於ける人間の思想と行動を説明する
ものでした。

リオタールは近代以降の大きな物語がその自明性・信頼性を失った状況を「ポストモダン」という言葉で説明しました。ポストモダン論の一例としては、
ジャン・ボードリヤールの「記号消費」と言った分析があります。

従来の社会学が経済を中心にしていましたが、記号的な消費活動に注目
してポストモダンな社会を消費社会と呼びました。

いったん、此れまでの内容まとめます。


大きな物語とは、近代社会がそれ特有の世界観と人間観によって
社会・文化的コンテキストを維持・正当化するための物語を指す
大きな物語とは近代の理念で、3つの特徴がある
大きな物語が終焉した状況を、ポストモダンとリオタールは表現し


大きな物語と小さな物語

確認しますが、大きな物語の終焉とは、

物語の核となっていた、理念の自明性や信頼性が失われた事
そのような時代状況をリオタールは「ポストモダン」と呼んだ
と言えます。

小さな物語の意味
さっそくですが、「小さな物語」とは次の様な意味を持ちます。

大きな物語のように、多様な社会を統制するような普遍的な理論の構築を
目指したものではない。大きな物語が終焉したとき、決してメタ物語になら
ない様なポストモダンの物語モダンの大きな物語とは異なる形で作り出さ
れる物語が小さな物語である、と言えます。では一体、どのような物語が
小さな物語なのでしょうか?

小さな物語の事例
小さな物語の事例は「此の物語だ」と特定する事は難しいですが、大きな
物語では語られなかった物語と考えると簡単です。

大きな物語はその性質上、普遍的な歴史を語ろうとします。たとえば、啓蒙
主義は理性を獲得した人間が、真の共同体を形成すると考えます。そこに
人類の普遍的な歴史を語ろうとする姿勢が見えます。

一方で、小さな物語は大きな物語の前提を疑問視し、自己の言説を表現
しようとします。たとえば、西洋中心史観を否定するものとしてポストコロニアリズムを小さな物語と言える事が出来るでしょう。植民者が語る歴史だけが
歴史では無いと言う思想は抵抗から生まれたものであり、普遍的な歴史の
自明性を失わせるものです。

ポストコロニアリズムとは、植民地主義に対する先鋭的な思想や理論です。
ポストコロニアリズムで先駆けとなったのは、フランツ・ファノンです。代表作
に『黒い皮膚・白い仮面』『地に呪われる者』があります。

サイードの『オリエンタリズム』やスピバックの『サバルタンは語る事ができ
るのか』はポストコロニアル論の代表的な理論です。

このように、小さな物語とは、

大きな物語への不信から自らがメタ物語にはなろうとしない
複数の言説がもつ異質性を担保し、そのような言説を増やして
いこうとする。ここで注意しなければならないのは、モダニズムと
ポストモダンの関係です。リオタールは、モダニズムとポストモダン
を時代の区分として捉えていない事に注意して下さい。

モダニズムとは、以下の様なものです。

19世紀末から20世紀はじめにかけて、ブルジョア的「近代」を乗り越える
ようとする変革運動である。主に建築・芸術・文学の分野で使われる用語で
す。リオタールは近代啓蒙主義以降の、文化・科学・芸術の潮流を説明する
ものとして「モダン」と言う言葉を用いています。そしてリオタールの言う
「ポストモダン」は全般的な社会現象ですから、モダニズムの単なる延長
して捉える事は短絡的です。

モダンと断絶された時代があるのではなく、むしろ「ポスト」という接頭辞
が示す様に、モダンと言う土台を足場としてされるある理論的な運動です。

以上、「リオタールの思想」より抜粋。。。

此れで大きな物語の事はお解りに成られたと思います、、

アントニオ猪木と馬場の確執は大変なものだったですね、、
日本プロレス時代にタッグを組んでも何時も猪木がしゃしゃ
り出て、馬場はやりにくかったと言って居ましたね。。。。

でも馬場が死んだ時には猪木も駆け付けて、弔辞を読んで居たと言います。
なんでも力道山という男は暴君で気に食わないと刃物を持って追い掛けま
わしたそうで。ある道が渋滞なんで、どうしたんだと観て見たら道の真ん中で

力道山が暴れ廻って居たそうです。店の椅子やら、ほん投げて。だから猪木も
馬場もロッカールームに隠れて震えて居たそうですよ。そんな風だから、
ヤクザに刃物で腹刺されて死ぬ様な羽目になって仕舞ったんですよね。
兎も角、猪木は苦労しましたよね・・・・・・・・。

また来て下さいね、、、それではまた、宜しく・・・・・・・。
macaronteaparty
今日は。「動物化するポストモダン」の話をとても興味深く読みました。

70年代までは「大きな物語」が世間にあった、とのことですが
個人的にはまず、WW2の敗戦で、日本社会から「大きな物語」が消えたのでは、
とちらりと思います。

(この場合の「大きな物語」は「日本という国への信頼」といったものです)

あ、でも「働きさえすれば、もっと物が買えて豊かになる」という
意識(=「大きな物語」)は70年代まではあったのでしょうか。

近年、政府は道徳を学校教育でもっと力を入れて教えるように
教育制度を変えたと聞いています(詳しくは知らないです😅)。

政府主導の道徳論は怖いと思いますが、
共同の社会通念というか、連帯性(「自分は何に所属しているのか」とか共通の夢、とか)がない社会もまた不健康だと思います。

kiyasumeさんの記事では、現代は、
>即時的な「小さな物語」が無限に生産・消費され続けるのだ。

とありましたが、この論者は結局、現代社会はどうしたらいい、と
提言しているのでしょうか?

ぜひ、この論者にはそこまで提言してほしいなと思いました。


ちょっと私も考えてみたのですが、たしかに現代社会は
処理する情報量が多すぎて忙しすぎるのですよね。

その流れのなかで、個人は何ができるのか・・・。

いまさら「大きな物語」を作れるわけもないでしょうし、
(もっともウクライナの侵攻で、自由主義という「大きな物語」の大切さは
浮上してきたと思いますが)

個という小宇宙に潜って極める、というのも
ひとつの答えかもしれない、と思います。
(今やっつけで考えたことなので、あまり深い考えではないですが)

あ、でも個人的にはロシアのような暴力がはびこる世界のなかで、
自由の大切さとそれを守る勇気を見出し伝えつづけられたらと思います。

うん、この現代においても、やっぱり、
「大きな物語」は見出せると思います。

紹介された論者はどうお考えなのでしょう。


「男の世界」のエピソードは、ぐちゃぐちゃに熱い話で
引き込まれました。

どうしてもお坊ちゃん育ち(扱い)は、最後のところで
腰がひけてしまうのですね。
SMAPがジャニーズから独立するとかしないとかの騒動でも
似たことがありました。

でもそのことで、猪木さんが
>憎んで、憎んで、憎み通した。

ってのは、熱くて格好良いな!!と思います。
憎むとかいうとすぐ、許してやれとか人は言うのですけど、
譲れない何かを持ち続ける、というのも人として立派だと思います。

(あ、今は和解されたのかもしれませんが)

こういう熱さは、令和風ではないですね。たぶん。
そう思うと今の我々はヴァーチャルの世界のずいぶん希薄な世界を
生きているように感じたりします。
(ウクライナの人たちはそんな悠長な世界とはかけ離れたところに居るでしょうが)

皮肉なことですよね。
我々が生命感が希薄な世界を生きているのは、先人たちが
法整備や工業化をしっかりと行い、ぼんやりしていてもふいに殺されない
世界を築いてくれたからだと思うんです。

それは人類の悲願です。

その結果、世界が希薄になってしまうというのは
気を付けることではあっても、安易な非難は・・・?


あまりまとまりのない感想ですみません。
いろいろ考えさせられる投稿でした。

また新作出しますので、笑ってください❣️😄
今回はギャグ路線を目指しました!

良い1日をお過ごしください😊🌸
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