寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

日々雑感......。

 

 

Ashita no Joe 2 あしたのジョー2 BGM 白木葉子の為の練習曲No 02

Ashita no Joe 2 あしたのジョー2 BGM 夕暮れ(トワイライト)

 

 

 

今日は病院に行って来た。精神科が、可也待った。今日は、採血と尿検査があったのでそれをして、精神科で待って居るが、相当、自分の前に7人ぐらい、患者が居たので、診察を待たされた。だから待って居る間に内科に行くが。此処も患者が一人前に居て30分経っても患者が出て来ない、そうしたら、看護師さんが来て、「体重と身長を計りましょう」と言われたので、まず体重を測ったら。何故か何も言わなくて身長計ったら6ミリ、縮んで居た。そうしたら体重測定と、筋肉測定で女医さんに呼ばれて検査して計って貰って。体重の移動は殆んど無いとの事。診察が早めに終わったので精神科に行くが。まだ7人程、私の前に待ち患者が居る。なので、栄養指導科に行く。若い、28歳位の女医さんに?女医では無いな栄養士の資格を持った先生と言う所か?・・・・・。2時間も経って居たせいもあって見て貰おうと行くと、その栄養士の先生が、「今、精神科に呼ばれて居るから。先に行って来て下さい。その方がいいわよ。」と言われて、要約、行って見たら精神科の主治医が待って居て、「最近調子はどうですか?」と聞かれたので、「そうですね、そんなに怒ら無くなったし、大体が眠くて寝てしまう。実は今来る前も、今日は7時に起きてコーヒを飲んで、そうしたら、8時ごろになったら眠たくなって、10時まで寝て居た。だから、2度寝でしょうかね」と言ったら、「コーヒーよく飲むのでしょう?」と言うので。「今日、何か。来る前にすでに3杯は飲んでいますよ」と言ったら。「コーヒー何杯飲んでもいいから、昼間寝るのを我慢してね」と言われた。

まあ、昼夜が逆転して居る訳でも無いし。コーヒー幾ら飲んでもすぐに横になりたくなって、寝て仕舞うしね。今もこれ書いて居たら、眠たくなり。書くの辞めて1時間程寝て居ました。それで処で、それから栄養指導の先生の女の子の処に行って、話をしだしたら。先月何か、私がGACKT君の食生活の事を話して居て、最近、1日1食になって居るとか言った見たいで。栄養指導の女の子が「彼の歌とか好きになるのは構わないけど。彼の生活は真似しないで.....。」と言われた。私は「しかし彼は米だとかラーメンとパン食べないけど。肉食べてますよ。それに野菜はドレッシング掛けるとよく無いから、塩を掛けて食べて居ると言って居る」と言ったら。「ドレッシングは別に掛けてもいい。野菜は沢山食べなさい。」と言うので「先生。私はもう此処8年間。毎日、もやしとニラか。カット野菜を食べて居て。もう飽き飽きして居るんですよ.....。」と言って「最近は肉食べて居る」と言ったら、「何の肉?」と聞くので。まあ、牛肉か豚肉とあと鶏肉でしょうか?」と言ったら。「豚は辞めなさい」と言われた。そして言うのには「GACKTの生活は特殊だから素人は絶対に真似しない様に、しっかりと3食食べて体重を落としましょうね」と釘を刺された。しかし私は話が逸れるのだが。青木志貴ちゃんの写真を見せて彼女に「どう思います、美人でしょう?」とスマホの自分のblogに乗せてある彼女の写真を見せたら、何故か烈火の如く怒られた?「私は栄養指導の主治医です!!まあ、その子は可愛いんでしょうけど・・・!!。」まあ、その栄養指導の女の子も可也、可愛い子なんだけどもね?もしかして嫉妬したかな???

 

 

話は青木志貴ちゃんの事になるが。私は彼女の事を、いろいろと女性に聞いて見た。皆さん綺麗だとは言うが。心から思って言っては居ない様ですね。美少女だとは誰でも言うのだが、「押し付けられたく無い」と言う人やら。「無機質でやな感じだ。」とか言う人やらが殆んどで、素直に「可愛くていい子ですね」と言った人は私がよく掲示板に書きこむ52歳の女性の方1人だけだった。彼女は少女の心を持つ人で、可愛い人です。そして何より利口だ。絶対に私の言う事にケチを付けない。そして同意してくれるし、何時も私はお節介にも。その人にアニメの動画とか教えて挙げたリ。歌の動画とか教えて貼り付けて挙げるが、喜んで聴いてくれるし観てくれる。そして礼をきちんと言ってくれて、感想もちゃんと述べてくれる。今日は年配の人。まあ、私より一つ上の女性の人だけども写真見せて「彼女。可愛いでしょ?」と言ったら「何か、最近流行の女の子よね」と言うので。「彼女は心が男なんだよね」と言ったら「なら何故、性転換手術しないのかしら?それに何でスッピンじゃ無く化粧して居るの?」と聞かれて返答に困って仕舞ったが。

何か彼女は幾つもの美容整形外科の処に行ったんだけども。診察のカウンセリングの段階で美容整形外科医から。「あなたは診断するに一種の病気ですよ。性転換手術はお辞めなさい.....。」と行く先々の美容外科医から言われたんだそうです。美容整形医は悪辣な奴らだと、皆さんはお思いになって居る事かと思いますが。彼らも医者なんですよ。美を極める。だから彼女は診察のチェックの段階で性転換をする必要性は無いと判断されたのですよ。今日は年配の女性との話の中で「何で女性は、美人と可愛く無い女の子の写真を両方見せると、可愛く無い子の方を褒めるのかなぁ、、そして何で美人を嫌うの?」と聞いて見たら。その人。曰く「美人は心が冷たい人が多いから。そう思われたんじゃ無い、kiyasumeさんが見せた美人の人の事も、そう思われたのよ。きっと、、」と言うので。それって僻みと偏見なんじゃ無いかと思いましたよ。私がよく書き込む女性は「リアル・バイオレットですね。青木志貴ちゃんって。kiyasumeさんが嵌るのも良く解ります・・・・。」と言って居た。「透き通った肌が綺麗で可愛いですよ」と......。

 

青木志貴さん

#アクティ部 ご視聴ありがとうございました! 代打でお邪魔させていただきましたが、楽しくてあっという間でした! 制服も着れてたのしい嬉しいだった こういう便所サンダルのまま教室戻ってくるヤンキーいるよね…いなかった…? 来週のハロウィン回も居ます!

 

 

 

【SONY】新装備を手に入れた!【ZV-1】

カレーぐらいちゃちゃっと作ってやんよ。

 

 

それからこう言う事を書くから、私のblogを登録して居る人たちが去って行くのだけども。此間。訪問看護師のよく私の面倒を見てくれて居る女の子に(もう30歳ですし子供も3人居ます。5歳、3歳、1歳だそうです)。私は彼女を信頼して居るし。最近は年配の看護師さんも来ますし。その方も信頼が置ける人です。30歳の方の子にあすなひろしの漫画の話を2つ聴かせて挙げて(聴きたい人は私の「哀しい人々」と言うblog記事をお読み下さい。漫画のストーリーを纏めて書いて居ますので)昭和45年当時。子供ら、小学生、中学生ぐらいの頃に「スカートめくり」と言う事が学校中で流行ったのですが。男の子が好きな女の子のスカートめくってパンツを見ると言う遊びです。昔の女の子たちは、めくられて下着をみられても怒らなくて。笑って逃げ廻って居ましたが。その話をその子にしたら笑って居て。小川ローザのパンチラCMと言うかパンモロCMは社会現象になって、永井豪の「ハレンチ学園」と言う学園ドラマが流行したと言ったら。話を聞いて居ました。そう言う大らかな時代だったんですよね、昔は。Hな事も今見たいに陰険で淫乱では無かったし。今だったらセクハラですよね。

 

猛烈ダッシュ

 

 

皆さんは50歳以上の方は知って居ますが。昔は、日活ロマン・ポルノという成人指定映画がありました。決していやらしいばかりの、昨今のものとは違って、ストーリー重視の映画でした。要するにお色気シーンが入ってさえいれば内容はアクションでも文芸でも何でもよかったんですよね。神代辰巳、藤田敏八、加藤彰、根岸吉太郎、金子修介らが撮り、彼らはその後。一般映画の名監督となって行きました。白川和子、宮下純子、片桐夕子、一条さゆり、美保純らが演じた事で有名です。主に1970年代の産物でした。その前から同時期にですが私の世代は良くは知りませんが、今、70歳以上の方ならば。ピンク映画と言うジャンルの映画があったのをご存知でしょうね。このジャンルは鬼才と言われた若松孝二監督がほぼ一人で撮って居たお色気映画ですが。

この映画だって、きちんとした話があるのですよ。例えば女の子とセックスばかりして居る男が。ある日。要人が外国から来ると体にダイナマイトを巻きつけて空港まで行きバイクで突っ込み自爆すると言う映画だとか。あの当時は今なんかと比べ様も無いくらい過激な映画が多かったんですよ。そしてバイオレンス映画。刑事アクション。フィルムノワール。ハードボイルド。どれも人間をきちんと描いて居ました。どんなに悪い人間にもその人間なりの事情があったり。それに東映のヤクザ映画ですか。高倉健。池部良。藤純子。此処入ら辺の任侠道の達人たちに客は拍手喝采でした。何しろ、映画を見て居て後ろから高倉健が切られそうになると客が「健さん、危ない後ろだ!!」と言うほどの熱の入れ様でしたね。高倉健はスーパースターでしたね。

時代は、ベトナム戦争、真っ盛り。日本も沖縄に米軍基地があって、そこからベトナム戦線に爆撃機が飛び立ち。沖縄人たちは皆んなで沖縄を取り戻そうと組織運動を展開して居ました。学生運動は中核派。過激派などが出て来て機動隊と文字通り戦争状態。この当時。新宿駅構内に全学連の学生たちが流れ込み。機動隊と乱闘対決をしました。今見たいな。ある意味平和な時代では無かったのですよね。しかし人々はオイルショックで、トイレットペーパーが無くなる様な事も、あったけど皆んなして団結し、乗り越えてバブルの好景気を迎えたんですよ。その後。バブルはハジけて就職氷河期に突入して。物価は下がったけど物が売れない時代に突入しました。

そして湾岸戦争勃発。自衛隊は行きませんでしたが。憲法の縛りがあったのでね。参加出来なかった。でもイラク戦争の時には平和を掲げてイラクに初めて、海外の紛争地域に自衛隊が赴き。隊長は「我々は日本からあなた方を助けに来ました。我々も先の大戦では国は焦土と化し。衣食住に困る有様でしたが。国民皆んなが力を合わして経済復興を成し遂げました。あなた方は偉大なるメソポタミア文明を築いた人たちです。我々に出来てあなた方に出来無い事は無い。一緒の頑張りましょう」と言い。そしてアメリカ軍やら他の国の軍隊はイラク人だけ働かして自分らは涼んで居たそうなのですが。日本の自衛隊の隊員たちはイラク人の目線に立って。彼らと同じものを食べ。同じ様に働きました。

そうして居たら何時の間にかイラクの国民は自衛隊に頼る様になって行き。日本の自衛隊は自分らが日本の自衛隊であると言う風に解る様に日の丸を装甲車やらトラック。ジープなどに書いて居ましたが。他の国の軍隊たちからは「日本軍はクレージーだな?1発で身元が分かる事をして。攻撃されたらどうするんだ?」と言われたそうですが。自衛隊はそれを辞めずに居て。そうしたら砲撃をされるのはなぜか他の国の軍隊で、アメリカ軍などが標的にされるけど。自衛隊は攻撃されなかったそうです。日本人は義と和の精神を持って居ます。その事が彼らから攻撃されなかった証でしょう。任務が終わりイラクの国も落ち着いたので自衛隊は帰って来ましたが。自衛隊が帰る時にはイラクの人々は心から感謝して悲しみ。隊長である佐藤さんはアラブ名のサミュエルと言う名を貰ったそうです。他の国とはえらい違いでした。

 

 

 

 

 

昭和残侠伝 死んで貰います【予告編】

 

 

 

 

【怒りをうたえ】 ⑪ 1969・10・21 国際反戦デー(新宿制圧、破壊活動防止法弾圧粉砕)

 

 

 

 

『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』

いまから半世紀前、1969年に東京大学駒場キャンパスで行われた有名な討論会をテーマにしている。この討論会は書籍化はされているが、ここまでまとまって映像が作品化されるのは初めてだろう。TBSに秘蔵されていたフィルムということで、歴史的価値は大きい。しかし本作は「過去の遺物を垣間見る」という以上の強烈な面白さをはらんでいる。

とはいえ、この作品を面白く鑑賞するためには、それなりの予備知識が必要だ。まず三島由紀夫。戦後を代表する作家であり、この討論会の翌年に市ヶ谷の自衛隊に突入し、自決して果てたのは誰でも知っている。しかしもうひとつの知識として、三島が日本の戦後社会をどう見ていたのかということを知っておく必要がある。

 

 

1969年5月13日、東大駒場キャンパスで行われた三島由紀と東大全共闘の討論会を収めた
1969年5月13日、東大駒場キャンパスで行われた三島由紀と東大全共闘の討論会を収めた

 

大正生まれで戦中派の三島は、終戦時に20歳で東京帝大の学生だった。招集され学徒出陣するはずだったが、入隊検査で肺浸潤が見つかり即日帰郷となる。病床で終戦を迎えた。多くの若者が戦死した中で自分だけは戦場にも行かず、生き残ったということへのわだかまりが、三島の精神に長く暗い影を落とすことになる。

その帰結が、1960年代の三島の「右旋回」だった。終戦後に人間宣言した昭和天皇を否定し、「天皇」を古代から続く日本の歴史と文化の中心であり、現実の天皇個々人の人格を超えた、抽象的な「神聖」の概念だと捉えるようになった。三島はその「天皇」という概念によって、彼が堕落したと見ていた戦後社会がひっくり返せると考えたのだ。

では、討論の相手だった東大全共闘とは何か。1960年代末は日本のあちこちで学生運動が起こり、さまざまなセクトができたが、それらのセクトが大学ごとに集まって作ったのが「全学共闘会議」、すなわち全共闘。

東大全共闘というと、この討論会の少し前に本郷キャンパスの安田講堂を学生が占拠し、機動隊と対決した「安田講堂攻防戦」が有名だ。しかし東大全共闘のユニークさは、もっと別のところにある。

 

 

三島由紀夫・伝説の討論会3/5 50年ぶり秘蔵映像発掘「VS東大全共闘」#3「暴力と闘争」

 

 

東大生たちは、受験戦争を勝ち抜いたエリートである。戦後民主主義は平等を教え、自分だけが利益を得ることは倫理に反すると教えたが、受験エリートはそうした戦後の価値観をもともと否定したところに成り立っている。加えて、いくら学生運動に邁進して反体制を唱えても、卒業後には官公庁や大企業などでのエリートの座が約束されている。これらの現実に対する「罪悪感」が、東大全共闘の根底にあった。自分たちは資本主義を口では批判しながら、実は資本主義を支える側じゃないか、という強烈な自己矛盾があったのだ。

だから他の大学では学費値上げ反対や自治会の自主独立など、おおむね具体的な運動目的があげられていたのに対し、東大闘争だけはまったく違った。「自分たちの生き方を変えていかなければならない」「自分たちにとって学問とは何なのか」という抽象的な理念が目標として掲げられたのである。つまりはエリートである自分を否定しなければ運動は始まらないという、当時流行した言葉でいえば「自己否定」をテーマとしたのだ。

 

 

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この自己否定と自己の変革という話は、本作の討論にもところどころに出てくる。東大全共闘屈指の論客と呼ばれていた芥正彦(のちに劇作家・演出家)とのやり取りが面白い。三島が目の前の木製の机をさして言う。「机は授業のためにあるが、バリケードの材料にもなる。生産関係から切り離されて、戦闘目的に使われているということだ。しかしそれは諸君が生産関係から切り離されているからではないか。それが諸君の暴力の根源ではないのか」

つまり、しょせんは働いていない学生じゃないかと皮肉を飛ばし、生産関係という資本主義から切り離されてる。だから運動は持続しないんじゃないかと迫ったのである。これに対して芥は鋭く言う。

 

 

 

三島由紀夫・伝説の討論会5/5 50年ぶり秘蔵映像発掘「VS東大全共闘」#5「三島さんは敗退してしまった人」

 

 

 

「大学の形態の中では机は机だけど、大学が解体されれば定義は変わる。この関係の逆転に革命が生まれるんだ!」

このあたりのやり取りは今見ても、実にスリリングである。芥正彦の鋭い応答に、三島もたじたじとなっている感がある。しかし本作で最も面白いのは、後半になって出てくる天皇についてのやりとりだ。

小阪修平(のちに評論家)から天皇観について聞かれ、三島はこう答える。

「天皇親政と直接民主主義には区別はなく、ひとつの共通要素がある。それは国民の意志が、中間的な媒介物を経ないで国家意志と直結することを夢見ているということだ」

 

 

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端的に言い切ってしまえば、三島にとっての「天皇」というのはルソーの一般意志のようなものなのだろう。三島がこう答えているときに、会場からヤジが飛ぶ。「チンはたらふく食ってるぞ なんじ臣民飢えて死ね」。終戦直後の窮乏期にデモのプラカードに書かれた有名な言葉だが、三島はヤジにこう返す。

「もし本当に天皇がたらふく食ってたブルジョワジーだったら、革命は簡単にできただろう。そうじゃなかったから革命は難しいのじゃないのか」

つまり天皇とは概念であり、たらふく食ったりする実在の人間ではない。続けて三島は言う。「それは民衆の底辺にあるものなのだ。それに私は天皇という名前を与えている」

これに芥がかみつく。「天皇と自己を一体化させることに美を見出すわけ?」。三島は「そうだね」と答える。

芥「それはオナニズムじゃないか。あなたは日本人であるという限界を超えることはできなくなってしまうだろう」
三島「できなくていいんだよ。僕は日本人として生まれ、日本人として死んで、それでいいんだよ。その限界を抜けたいとは全然思わない」
芥「人間には最初から国籍なんかない」
三島「それは自由人として尊敬するけれども、僕は日本人であることを否定しない。そこに喜びを感じるのだ」

 

 

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ここで芥は「僕はもう帰るわ。退屈だから」と吐き捨てて、壇上から去ってしまう。しかしこのあたりから、討論会の会場には不思議な空気が流れ始める。1000人の全共闘学生と三島のあいだに、なにか共感のようなものが生まれてくるのだ。

小阪修平が言う。「天皇という観念を三島さんも全共闘も共有できるのだったら、そこに天皇という名前をつける必要はないのでは」。これに三島はなんとこう答える。「天皇とひとこと言ってくれれば、僕は諸君と手をつなぐのに」

三島は、日本の戦後保守が親アメリカになっていることに反発していた。それに比べれば全共闘は左翼であっても、反米である。だったら全共闘とはナショナリズムという一点で共通しているのではないかと三島は考えていたのだ。そして、そのハブとなるのが天皇概念だと考えたのだ。

ではもし、三島と全共闘がともに手をつなぐことがあったとしたら、共通の敵は存在したのだろうか? それに対する答えも本作の終わりの方で用意されている。「熱情」と題された本作の最後のパートは、実にスリリングで面白い。ハードルの高い作品だが、日本の戦後の左右のイデオロギーとはいったい何だったのかについて考えたい人には、かなりお薦めできる。

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■「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

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三島由紀夫 50年目の''青年論''

 

 

さて、此処で三島由紀夫の自伝記的な映画の紹介です。若松孝二監督作品の「11.25自決の日、三島由紀夫と若者たち」です。主演は井浦新さんです。。。

 

「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」予告編 若松孝二監督作品

 

 この作品は、アルツハイマー型認知症の母と最後に観に行った映画で、若松監督にサインを貰った映画です。2回程別の日に観ましたが。初めは年配の60歳代から70歳代の観客と一緒に観ましたが、2回目は舞台トークがあると云う事で、若い20代から30代の女の子が殆ど席を埋めていました。作品としては何時もの映画コードを破る若松監督の手腕が良くて、又、役者の演技も素晴らしく、確かカンヌ映画祭のある視点部門で上映され、感極まった女の人が若松監督に駆け寄って「美しく素敵な映画をありがとう。」と云ったそうです。まあ、題材が三島由紀夫なもので、賛否両論あるとは思いますが、1980年代にポール・シュレイダー監督が撮った「MISIMA」よりは私は若松監督作のこちらの作品の方がしっくり来ました。低予算の映画ですが、静かなる若松イズムが爆発しています。2012年公開作品です。

 愛する家族の死に動物と子供が絡む感動的な実話という、凡庸な作り手の手に掛かれば幾らでも後ろ向きで湿った、嫌な映画になる。かつて若松孝二は<性と暴力>を武器に数多のスキャンダラスな問題作を放ったが、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」以後、明らかに大きく変貌を遂げた。現代史の闇を抉るような主題を好んで取りあげ、とくに若い世代に向けて、まるで楔(くさび)を打ち込むように苛烈なメッセージで挑発し、鼓舞する映画作りを実践していたからだ。

 

【岡村洋一のシネマストリート】映画「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」若松孝二監督へのインタビュー(前編)

 

【岡村洋一のシネマストリート】映画「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」若松孝二監督へのインタビュー(後編)

 

三島由紀夫の衝撃的な自決を描いた本作でも、三島の美学的世界には一顧だにせず、彼が死への傾斜を深めていった1960年代という<時代>を、まるで実録もののように、新宿騒乱、金嬉老事件、よど号ハイジャック事件など当時のニュース映像を援用しながら、浮き彫りにしようとする。

冒頭に現れる浅沼稲次郎を刺殺し、獄中で縊死した山口二矢が影のキーパーソンで、このあまりに滅私な祖国愛に憑かれた若きテロリストの痛々しい魂が全篇を静かに覆っている。三島を自決に導いたかにみえる純粋な民族派の学生たちとの濃密な師弟関係も、彼らの度外れた愛国のロマンティシズム、義侠心の美しさが謳い上げられ、同性愛の匂いが画面から周到に排除されているのは注目すべきだろう。

既存のイデオロギーに生理的な反発を抱く若松孝二にとっては、恐らく、あさま山荘に立てこもった連合赤軍の戦士も、三島と行動を共にした楯の会の若者たちも等価な存在なのだ。むしろ、彼らの些末なエゴを超えて、<義>に殉じた精神こそ、若松孝二が、自分と対極にある三島の謎めいた生涯のなかで、唯一、深く共鳴したものではないか。特に、三島を演じた井浦新、森田必勝を演じた満島真之介の軽佻さが微塵もないひたむきな表情が印象に残った。若松孝二は、前作『キャタピラー』の撮影を終えてから、“次回作は三島由紀夫を撮る”との宣言通り新作を完成させた。若松組常連の井浦新(ARATA)が主演を務めた。2012年(平成24年)初頭にARATAは芸名を本名の「井浦新」に改名したが、そのきっかけとして、本作で三島を演じてその思想を感じ、エンドロールで三島を演じた役者の名前がアルファベットで流れるのは美しくないと考えたことを挙げている。

2011年(平成23年)11月25日、三島由紀夫の命日にあたるこの日に1日限定の特別試写を行なっている。

皆さんは、戦後の日本文学界を代表する作家の一人である三島由紀夫をご存じでしょうか?三島由紀夫はノーベル文学賞の候補になるなどし、日本だけでなく海外でも広く認められた作家でもあります。とても有名な人物ですので、作品は知らなくても名前は聞いたことがある人も多いかも知れませんね。そんな三島は、自衛隊員に憲法改正を訴えてクーデターを起こし未遂に終わりましたが、その後に割腹自殺を遂げるという衝撃的な結末の「三島事件」を起こしています。三島事件は三島の思想上の問題や政治や社会の隠れた問題が絡み合っているため、表面化できない部分も多く謎も多く残っています。

 「三島事件」

作家三島由紀夫の割腹自殺事件。 1970年 11月 25日午前 11時 10分から同日午後0時 15分にかけて三島は「楯の会」の会員4人を伴い,東京都新宿区市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部総監室を訪問,総監の益田兼利を縛り,不法監禁するとともに総監室を占拠。これを排除しようとした自衛隊員に日本刀などで切りつけ8人に重軽傷を負わせた。三島は自衛隊員に決起を呼びかけるアジ演説を行なったのち,早稲田大学学生、森田必勝とともに割腹自殺した。警視庁は小賀正義,小川正洋を暴行,傷害,不法監禁,公務執行妨害の容疑で現行犯逮捕した。三島の自決は平和な戦後社会に強い衝撃を与えた。さらに右翼だけでなく極左陣営の青年にも刺激を与え,左右の青年7人があと追い自殺をはかった。この事件は,三島の動機についてさまざまな推測を生んだが,同時に彼の死によって特異な才能をもった作家が,この世界から失われたことが惜しまれている。

 

 

ヴァイオレットエヴァーガーデンMAD【ヴァイオレットと少佐が尊すぎて】

 

[Violet Evergarden] Dear Major Gilbert. 親愛なるギルベルト少佐 ヴァイオレット・エヴァーガーデン #PrayForKyoAni
 
CFD-RS500

ソニーは、CDラジカセの新モデルとして、「CFD-RS500」「CFD-S50」の2機種を発表。10月5日より発売する。

■MP3録音が可能な「CFD-RS500」

「CFD-RS500」は、CD、カセットテープ、FM/AMラジオ、メモリーカード(SDカード/メモリースティック デュオ)に対応したモデル。CD、カセットテープ、FM/AMラジオを、録音ボタンを押すだけで簡単にメモリーカードへMP3録音することができるのが特徴だ。録音フォーマットはMP3の128kbpsを採用。CD録音時は2倍速録音にも対応する。

また、メモリーカードは、MP3、WMA、AACの再生が可能。機能面では、時計機能を備えており、タイマー(アラーム)やスリープにも対応。音質面では、小音量時でも迫力ある低音が得られる「MEGA BASS」を搭載する。

このほか、バックライト付き液晶モニターを搭載。インターフェイスとして、マイク入力端子とヘッドホン出力端子を装備する。電源はACコンセントを使用。本体サイズは366(幅)×146(高さ)×238(奥行)mm。重量は約3.0kg(乾電池除く)。リモコンなどが付属。ボディカラーはシルバー。

市場想定価格は20,000円前後。

■乾電池駆動に対応した「CFD-S50」

「CFD-S50」は、CD、カセットテープ、FM/AMラジオに対応したモデル。電源はACコンセントのほか、乾電池駆動にも対応。単2形アルカリ乾電池×6本で、FM受信時約19時間、テープ再生時約13時間、CD再生時約8時間の駆動が可能だ。

このほか、バックライト付き液晶モニターを搭載。インターフェイスとして、マイク入力端子、ステレオミニ入力端子、ヘッドホン出力端子を装備する。本体サイズは320(幅)×139(高さ)×219(奥行)mm。重量は約約2.0kg(乾電池除く)。ボディカラーは、ホワイト、ブラック、ピンクの3色を用意する。

市場想定価格は7,000円前後。

SONY

CFD-RS500
CFD-S50
CFD-S50

 

「ある哲学者の手記から、優しさについて」

 

 優しさとは、手伝うことでも、励ますことでも、与えることでもなく、相手を理解しようとする心である。

優しさについて、きちんと、考えたことのない人ほど、世間的には、優しい人で通っている。

他者と、失礼がないように交際しようと、心掛けている者は、周囲から、優しい人間だと、評価されにくい。

 完全に自立している人間は、他人に対して、あまり、優しくはない。

 たいがいの行為は、優しいとも言えないし、優しくないとも言えない。

 ほどほどの分からない人間は、真の優しさについても、永遠に、分からない。

 

 自分の優しさを疑え。他人の優しさを疑うな。

心に余裕のない人の優しさは、見返りを気にしてする、優しさである。

あの人・・・誰に対しても、優しい人に見えるが、本当は、いやらしい、優先順位に囚われている。

あらゆる優しさは、打算に過ぎない。しかし、だからといって、全面的に否定する必要もない。

 たとえ、打算的な優しさであっても、人を感動させることは出来る。

 優しい人になりたいのではなく、優しい人と思われる人になりたいのであれば、ただ、ひたすら、いやらしい人を目指せばよい。

あなたに対して、過度に優しい人たちは、きっと、あなたを、堕落させたいに違いない。

優しさほど、誰かを洗脳するのに、便利な道具はない。

優しさは、時に、暴力よりも、酷い結果を招く。

 

 あなたの子供が優し過ぎれば、大成しないだろう。あなたの子供が、優しくなくても、大成しないだろう。しかし、最も重要なことは、あなたの子供が大成しないのは、あなたの子供だからという、遺伝の現実である。

 

 みんなが、老人に優しくするのは、間接的に、隠居を勧めているからである。

 別に、人に優しく出来なくとも、人に余計なことさえしなければ、それでいい。

世の中に、優しさが必要不可欠なのは、人間の大多数が、バカらしいほど、単純に出来ていることの裏返しである。

 

  神が、人間に対して、優しいと思い込むのは、全くもって、知的なことではない。

 

以上。今回は短いですが。此れで終わります。此処まで読んでくれて有難う御座いました。更新出来たらまた逢いましょうね。其れ迄宜しく。ああ、コメント頂ければうれしいです。励みになりますので宜しくお願い致します。何でもいいですから。

 

 

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