【MAD】妖怪人間ベム -最高の片想い-
最近はそんなに差別は無いのか、もしくは皆んなある程度の人は大学に行く様に成ったから言わなく成ったのか。昔は学歴の差別は酷かった。大卒は高卒をこれ見よがしにバカにした。私は一応は大学には行ったが、高卒者を差別はしなかった。しかし周りは違って居た。大卒者は自分のコンプレックスをぶつけるか如く高卒者を差別した。まあ、そう言う人間は大学に来ても授業に着いて来れない人間たちだったが、私は思うが何か皆さん。勉強と言う物を履き違いて考えては居ないかと思うのです。大学に来て、レポートは人の写しで提出。ノートはコピーで済ます。授業をちゃんと聞いて居る学生を罵倒し、自分は遊んで居る。成績は最下位に近い学生たち。そう言った人間が高卒者を差別して居たのですよ。確かに大学を知らない高卒者たちと大学を知って居る大卒者たちの間にはある意味、差異があります、それは大卒が「こう言う事は高卒者には解らないよ」と言う、良くある言い方にあります。要するにヒエラルキーですね。
そしてヒエラルキーの最大の分断、それが学歴です。大卒は大卒同士で、非大卒はそこで固まり、それぞれまったく違う文化の中で生活をして居ます。言って仕舞えば、違う日本社会で生きて居る。自分とその周囲の視点だけで見る「日本」は可也偏って居る可能性があります。
「日本社会をケーキで例えると、下半分はスポンジ・ケーキで、その上にミルフィーユがのって居るんですよ。下は非大卒で、上は大卒ですね。大卒の人たちは細かい階層に分かれて居て、どこの大学を卒業したかを学歴だと思って居るんですね。それは『学校歴』であり、学歴ではありません。大きな勘違いです」
「学歴分断社会」などの著作がある、大阪大の吉川徹教授(計量社会学)はこう語る。吉川さんは、格差社会を読み解くための大規模面接調査「SSPプロジェクト」を率いるこの分野の第一人者だ。
大卒は勘違いしがち、学歴=学校歴ではない
吉川さんの話をもう少し細かく見て行きましょう。大卒組は学歴をこんなイメージで捉えて居る。
「1番上には海外有名大や東大が居て、その下に早稲田大や慶応大があって……。自分はどこの階層に居るのかな」。ミルフィーユの様に偏差値別に大学名が並んで、自分は何番目の層、ランクに居るかを気に掛ける。「社会に出れば学歴は関係ない」と言う言葉もミルフィーユの階層での話だ。ミルフィーユの中での学歴と、社会的な地位とが逆転した時、この言葉はリアリティーを持つ。しかし、その下にスポンジ・ケーキがある事は見えて居ません。
学歴分断は、ミルフィーユの中で生活する人たちが、スポンジ・ケーキの存在を無視した時に起こる現象だ。吉川さんは高卒(=非大卒。データ上、専門学校卒を含む)と大卒の間にある分断を「ガラスの天井」と呼ぶ。「日本社会を調査データからざっくりと見て行くと、2人に1人は非大卒です。大学の定員もありますので、今後もこの数字は大きく変わる事は無いと予想します」
「75〜80%の大卒は大卒同士で結婚し、高卒は高卒同士で結婚する。いま日本で進んで居るのは、大卒夫婦の子供は大卒に、高卒同士は高卒にと言う流れです」
世情 ‐ 中島みゆき Cover XXkurage
例えば、結婚式を想像してほしい。招待された式で、大卒ばかりが集まって居るのか、高卒ばかりが集まって居るのか。双方、バランス良く居るのか。「ある式場で一つの部屋は大卒ばかり。もう一つの部屋は高卒ばかり。そんな事が現実に起きて居る訳です。それは、昭和の時代と異なり、学歴が再生産される様になったからです」かつて、昭和の時代には、自分たちは高卒でも、子供には大学を出て欲しいと言うインセンティブが働いた。それは、社会全体が好景気で、上り調子だったからだ。今よりも次の世代で社会は良くなる、ならば子供には学歴をつけさせた方がいい。しかし、現状はどうだろう。昔は少なかった大学も増え、大卒人口も増えた。なにより親も高学歴化し、大卒のメリットを知った世代が増えた。
「大卒というのは、18歳からの4年間で1000万〜1500万円くらい自分に投資をして、将来の成功のためのチケットを買う事」だ。
最初から子供に投資をするメリットを感じないーーあるいは出来ないーー家庭もある。そこで生まれた子供には親の学歴を超える動機はない。そんな子供の割合が高いのが、高卒親の家庭になる。
吉川さんは親子で大卒、親が高卒→子供が大卒、親が大卒→子供が高卒、親子で高卒——の4類型にわけて比率を分析している。
今後はこんな風に推移すると言うのが吉川さんの予想だ。
- 親子で大卒⇨35%
- 親が高卒→子供が大卒⇨15%
- 親が大卒→子供が高卒⇨15%
- 親子で高卒⇨35%
ちなみに、小中学校から受験をさせる家庭は大卒親家庭が圧倒的に多いと言う。早くから子供に投資し、大卒という切符を早めに買うと言うのが動機だろう。
分断線が見えて来ると「自分の学歴は自分の努力だけでつかみ取ったもので、低学歴は努力不足」と言う考え方がとても陳腐に思えて来る。そもそも、勉強に対する動機付けがまったく違う。自分の学歴は、たまたま、そういう環境に生まれた事に大きな要因がある。
「非大卒を低学歴ってバカにした様に言うでしょ。あれはとても信じられない話です。大卒エリートは大きな枠で見た時に、どう言う環境で自分が育って来たか、を考えないと行けない」
「学歴分断線は、経済力、文化、政治参加にも影響を与えて居ます。繰り返される格差社会論は、私の考えでは学歴分断のいろいろな側面を語って居るものです」
過去分も含めた大規模な社会調査から見えて来るのはこんなデータだ。まず、非大卒は、雇用や景気の影響を受けやすい。昭和の昔、「金の卵」と言われた高卒者にはこんな道が用意されて居た。大手の製造業、鉄道、電力やガスなどインフラ企業が用意した寮に大量の就職者と共に入る。ホワイトカラーが管理を担当し、ブルーカラーとして手を動かすのは高卒組。年を重ねると、社内恋愛やお見合いで結婚し、社宅に住み、家族が増え、やがて家を買う……。
中間層と言うのは「金の卵」的ブルーカラー労働者を指して居た。しかし、今は大卒ホワイトカラーが中間層だ。高卒ブルーカラーは下に押し下げられて居る。ロスジェネ世代(バブル崩壊後、就職氷河期に直面した世代)以降は、うまく就職出来ても、景気一つで離職の危機にさらされる。しかしこの定義は少し違う。昔はブルーカラーとは中卒者も含まれた。金の卵と言われたのも中卒者だった。ホワイトカラーは何時の世も大卒だ、時代は変わって今は中卒者と言う人はまず居ない。高校へはどんな人でも入るし行けるだけの下地が出来たからだ。
少し古いが2005年にあった大規模社会調査プロジェクトの時点で、自分を「下流」だと答える若者のうち、非大卒は実に7割を占めて居る。非大卒、非正規、低収入……。経歴と実際の収入が下流意識と密接に結びつく。
「先が見通せない中、若者たちは履歴書を何枚も書く時代に入って居るんですよ。そこで高校の名前を書く。同じくらいの年齢なら、大卒の方が優先して入って行く現実を何度も見せられるでしょう。自分は下層だと思う事は不思議でも何でも無い」
意欲の格差、希望格差と呼ばれた現象も学歴分断で説明が出来る。
同じ調査で、自分が頑張っても社会は良くならない、と答えた層は、「収入」や「正規社員/非正規社員」の違い以上に「大卒/非大卒」の違いで、明確な差が出て居る。
つまり、非大卒ほど、社会に対して絶望して居る。
政治参加にも影響して居る。大卒層は政治参加への意欲も高いが、「非大卒・低収入層」は政治参加への意欲が飛び抜けて低い。一番、救われないと行けない層なのに、彼らは政治からもっとも縁遠い処に置かれて居る。これも、生まれ育った環境影響が強い事を考えると、一概に自己責任とは言えない。
今の社会は、ケーキで例えるとこう成って居る。
ミルフィーユ層は会社もしくはグローバル化した経済の中で、ポジションをつかもうと椅子取りゲームをする。その下のスポンジ層では、流動化が進み、必死に職を得ようとして居るが、振り落とされて行く人が続出する。スポンジケーキはスカスカになり、やがてミルフィーユ層も沈んで行く……。
「日本経済の強みとは何かを考えると、私はボトムの高さにあったと思うんです。高卒だって世界的にみれば決して学歴としては低く無い訳です。彼らが手を動かして居るから、大卒は別の仕事に専念出来た。今の社会は日本経済の強みを手放して居ますよね」
先ほど私は高卒者のものの見方を書いたが、何時の世も高卒だからと言うことだけで信用されない。認知されないのです。
此処まで書いて来て言いますが。昔から「低学歴は自己責任だ」と言う事が言われて居ます。確かにものは言い様です。「高卒は勉強が出来ないから、頭が悪いから大学に入れないのだろう。」「それは自分がバカだからだ。悔しかったら勉強をして大学に入って見ろ!!」
良く言われる言葉です。でも見て来た通り。大学に入れないのは勉強が出来ないからだけではありません。家の事情に依る処も大いにあるのです。母子家庭で生活保護で何とか暮らして居る家庭が居ます。この場合大学の授業料は出ません。自分で働いて大学に行くと言っても、生半可な事ではありません。ですから勉強をして授業料が安い国立を目指します、結果、大学へは行けない事に成り兼ねません。それは利口ならいいでしょう、国立でもすんなり受かるだけの頭脳があれば。しかし現実は厳しいです。働きながら大学に行く。一見立派だし。聞こえはいいです、しかし、昼間働いて、夜勉強をすると成ると、アブ脚取らずに成る場合が多いのです。人間、気力と信念だけではダメな場合もあるのです。良く天才は1%の才能と99%の努力と言いますが。実際は50%の才能と50%の努力と言った処でしょう。例えばあなたはピアノを習いたいとします。でもあなたの手は小さくて鍵盤を抑える事がやっとです。この場合はピアノを根性で弾くと言う訳には行きませんし、ましてやプロのピアニストになるから根性で弾くんだと言っても、根性でもし弾けても、手の大きな人は、その人が10年掛かってやる事を2年ぐらいで終えるでしょう。
だから幾らあなたが根性で弾いて此れでいいと思っても。その手が大きい人はあなたの数倍の速さであなたの数倍の事が出来るのです。結果、あなたは何時も日陰者で、そして何時も手の大きな人の様には弾けないのです。それでも良いと言う人も居ますね。その場合はプロに慣れずにアマチュアとして弾く様になります。すなわち趣味で弾く事になるでしょう。わたしのblogに前に書き込んでくれた60代の人が居ました。その人は中学も夜間中学で、高校も夜間高校、そして大学にも行ったが夜間大学だったそうです。働きながら昭和の激動の時代を夜間の学校で学んだので、世の中の流行。テレビが放映する番組。ラジオの深夜放送。何も知らないと言って居ました。働きながら高校や大学を出ると言う事はそう言う事なのですよ。馬車馬の様に働いた身で夜疲れ切って居るのに勉強しに学校に行くのです。どれだけ大変か。そして勉強時間はありません。昼間は働いて居るのですから。勉強するのには夜遅くまで起きて勉強しなければなりません。それで出た結果は夜間高校卒。夜間大学卒にしかならないのですよ。結果遊びたい時に遊べず。趣味も持てない人間になります。思いは嫌な事だらけが残ります。。。
山谷ブルース 吉幾三
では、どうしたらいいのか。いちばんシンプルな解は分断線を越えて、学歴を付けさせると言うものだ。具体的には、高卒親→子供は大卒と言う層を増やす事。しかし、これは当然ながらうまく行かない。大学だって入学枠があり、皆んなが大卒になれる社会は現実的では無いからだ。例えば大卒親に子供が2人居たとする。子供を1人は大卒、1人は高卒にする事が、学歴再生産を手っ取り早く防ぐ方法だが、納得するだろうか?
吉川さんはこう主張する。
「私も子供が2人居ますが、多くの大卒親も納得しないでしょう。問題は、大卒と高卒を上下関係で見る事にあります、社会がうまく回る為には、私のような大学の研究者も必要ですし、ブルーカラー労働者だって必要なんです。同じ世代で、必要な仕事を分業して居る。こう言う理解が必要です」
学歴をつければ格差は解消される。こうした主張は突き詰めれば、誰かが学歴によって割りを食う社会を肯定すると言う事だ。大卒が偉くて、非大卒は下——ではなく、翼の両翼と考える。大卒だけがうまく行く社会は、不安定どころか墜落しかねない。
収入の大小ではなく、生活の基盤や安定が奪われるような格差を是正する事。これが必要なのだ、と言うのが、吉川さんの指摘だ。
キーワードは学歴分断社会から、学歴共生社会への転換だ。
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私は若い頃に日本出版と伊勢丹の裏方の仕事をした事がある。日本出版では、雑誌やら本を段ボールに詰めて、宛先順にその地域。例えば九州やら。北海道。東北やら関東などに分けてベルト・コンベアーに乗せて仕分けする仕事だ。今はこの様な仕事は無い。みんなオートメーション化されて居て機械がやって居る。私は当時大学を出たばかりだったが。殆んどの従業員は高卒だった。給料は月給では無くて、10日毎に支払われた。10日ぐらいで、3万幾らだった。まあ、時代背景も今とは違うし。物価も違った。当時働いて居た従業員は皆んな3万幾らかのアパートで暮らして居た。中には当時45歳ぐらいの人で実家に仕送りして居た人も居た。その人は何時もウォークマンを聞いて居たが。そのウォークマンはマルマンの安いものだった。当時、ソニー製のが1万8千円ぐらいして居て。それが買えない人はアイワの1万4千円ぐらいのものを購入して居たが、それより安い、1万円のものだった。しかし皆んな夢は持って居た、だからラジカセの紹介記事が出て居る雑誌やらカタログを休憩時間に見て、話をして居たのだ。食事は食堂が完備されて居て、毎日焼魚が食べられた、と言っても。毎日、秋刀魚だったが、それと味噌汁とご飯はお代わりし放題だった。また、ご飯の代わりに菓子パンのアンパンとジャムパンを選ぶ事も出来た。それに牛乳と簡単なポテトサラダ付きだった。食費は1日3百円を給料から差し引かれた。トイレには、日本出版を讃える落書きやら、困った事があったら相談できる団体の張り紙がしてあった。それが1970年代の後半だった。その働いて居たアルバイトの中に、歳が行った夜間大学の学生が居た。私とは馬が合い、彼は酒が好きだったから、良く彼に連れられて、飯田橋の酒屋に連れられて行った事がある。居酒屋では無い。あんな高級な処では無く普通の酒屋だ。ただ、店の端にカウンターバーがありそこで店主から焼酎とか日本酒、ウイスキーなどをコップに注いで貰って飲むのだ。1杯150円だった。私はある時にその人に連れられて行って、焼酎を一気飲みして、帰りに気持ちが悪くなり。喫茶店で横になって終電で帰って来た記憶があります。その学生とは仲は良かった。しかし彼は、ある日を境に出版社に来なくなった。私は心配したが、彼の住んでいたアパートを知らなかったから、どう仕様も無かった。それから1週間程して、彼は突然死で死んで居た事が分かった。私は吃驚して仕舞った。それから暫く経ってから私は日本出版を辞めた。それ以来私は、あの日本出版社が従業員を全員解雇と言うニュースをテレビで見て、あの人達はどこで働くのだろうと思って居たが。今から10年前に「Amazonの戦略」という本を読んで居たら、その本の中でAmazonは東京出版と日本出版を解雇されて居た人たちを全員雇ったと書いて合って、安心したのを憶えて居ます・・・・。
岡林信康 - 手紙 (Cover) 1969
以下、中卒の方が書いた文を挙げて置きます。読んで観て下さいね。。。「私の私見を述べます」
私も中卒ですので、仕事の面接とかその他諸々でいろんな待遇を受けてきました。中にはあからさまに貶してくる面接官もいらっしゃいまして、そこまで言うか!と思うほど馬鹿にされたこともございました。家庭の事情など面接で一々話さないですから、客観的に見ればクズはクズです。
確かに、日本は超学歴社会で、学歴が全てみたいなところがあります。特に従業員になる場合、中卒高卒が昇進することは殆ど無いですし、公務員ですら大きな給料の差がありますので、国家公認の「差別」と言ってもいいかもしれません。私の先輩が高卒で公務員になりましたが、出世する可能性は0だと言っていました。平等に扱われているように見えるだけで、歴代で一人も課長より上に出世してないそうです。それが現実でしょうね。しかも課長になれたのは一人だけ(笑)
しかし、それは「区別」とも考えられます。
中卒・高卒の人が何の努力もしてないとまでは言いませんが、一般的に見て、大卒者の方が+4~7年学校で勉強しているわけで、大学院卒だとあと2~3年は勉強しているのです。そう考えれば、ある程度入社段階で給料に差があるのも仕方ないのではないか、むしろ当然なのではないかと私は思います。
高校・大学・大学院はそれぞれ相当な学費がかかります。親はそれを出しているのですが、それは将来子供が多くの給料をもらえるようにとの思いでしょう。そうすると、親からしてみれば投資なわけです。そういう期待は保護されるべきだと私は思います。現に、大卒者はピンキリではありますけども、上位大学に関してはしっかり勉強する子が多いですから、高い給料をもらうだけの資格がある。
そう考えると、学歴は高い給料をもらうための資格ですね、、
あくまで資格ですから、それを評価してくれる人がいないともらえないわけです。現に高給をもらっている人達は上の人達がその人の資格及び人格・能力等を評価したのでしょう。
だから、私はいくら馬鹿にされても、罵られても、貶されてもあまり気にしていません。学歴が全てじゃないとか言っているのではありません。社会では超重要な要素ですし、二度とやり直せない一回限りの投資チャンスです。大人になってから大学出ても社会から見れば「は?何やってんの?無駄なことを」と言われて終わりです。18歳で現役で一発で有名大学に行くから評価されるのです。東大とかなら一浪しても許されるかもしれませんが。
戦後は大学に行く人=超少数派エリートでしたが、今では大学に行くのが普通なので中卒者・高卒者はそりゃ下に見られます。「大学すら行ってないの?どんだけ馬鹿なの?」と言われるのが普通になってきました。今では、大学出ているのに小学生の問題すら解らないような人がいますし、本当の意味で勉強してない人だなと思う人もわんさかいます。大卒者でそういう人がたくさんいるからこそ、高卒・中卒はもっと酷いのだろうという推測が働くわけです・・・。(๑´ڡ`๑)
その推測は正しくて、大抵の中卒・高卒者は本当に酷いもんです。私もそうでした。本当に「どうして生きているの?」と思われても仕方ないくらいの馬鹿でした。
家庭の事情や独学でしっかり勉強してきた一部の中卒・高卒者からしてみると、腹立たしいことかもしれません。 一緒にすんじゃねぇよ的な。
でも、逆に有り難いことでもあります。
中卒だからという点で、学歴主義の方々は私達に期待しませんし、小馬鹿にしてくれています。ある会社では私が一番若く、一番低学歴だったため、そりゃもう馬鹿にされました。有り難い話でした。馬鹿にされるということは、相手は自分のことを下に見ているということです。これはつまり油断してくれているということ。こんなに勝ちやすい勝負はないと思います。
確かに出世・昇進では圧倒的不利な地位にいます。たぶん一生勝てないでしょう。中卒者・高卒者を一定以上昇進させると反対派が大きく行動を起こすようになります。学歴主義者や学閥主義者が絶対に批判して来て、職場が荒れます。だから大きな組織であればあるほど、出世は難しくなると思います。そういう弊害を考慮した上での合理的な区別なのでしょう。
でも、別の世界なら勝てないことはない。学歴があまり関係ない仕事も一部ありますので、そういうところで勝負する時は、学歴がある方が過信に繋がり易く、危険ですらあります。
学歴=その人の価値と思い込んでいてくれた方が私としては楽です。追い越しやすい。学歴では今から追い越すのはほぼ不可能ですし無意味ですが、実質的学力及び業績などの結果なら追い越すことは容易だと思います。
ですので、肯定的に捉えた方が精神衛生上良いかなと思います。
私の知り合いで、大きな組織に高卒で入った人がいました。彼はプライドが高く、自信家だったので、学歴で出世の肯否を判断されるのが許せなかったみたいで、夜間大学に行きました。数百万と4年という時間をかけて卒業しましたが、出世はしませんでした。入社時の学歴+学閥が大事なのであって、入社後にどこの夜間大学を卒業しても評価は変わらないのです。それに、組織内の出世は学歴+ゴマすりが大事です。いろいろな運も必要になる。
彼は結局仕事を辞めました。「正当に評価してくれないような会社にいたくない」とのことでしたが、私から見れば会社の彼に対する評価は正当な評価だろうと思います。今は海外に住んでいます。とっても貧しい生活をしながら.....。まぁ本人が楽しいのならいいと思いますが、そうは見えないです。
以上です。これが実態ですよ....。
モーニングサービスとホットケーキシングルを食べた。
この喫茶店は1972年創業だそうだ。。。
私は、大学を出た後に伊勢丹百貨店の裏方の仕事をした事があった。私はアルバイトで入って居たのだが、何故か初日に母がついて来たのだ。私は「母さん、来なくて良いよ。たかがバイトなんだからさあ」と言ったのだがどう言う訳か付いて来た、何故なら母は若い頃伊勢丹の店員をして居たからだ。伊勢丹に行き、人事部の人が出て来て母に大袈裟なぐらいの挨拶をした。私は「親が来て居るからか、、大袈裟だな、、」と思って居たし。母が来ない一般の日がどう出てくるかな、見物だわなぁ」と構えて考えても居た。翌日、デパートの中にある荷物の集積場に行かされた。私はそこでトラックやら、ワゴン車に積まれて来る荷物を車から出して、大きなカゴに乗せてその荷物を各階の売場、例えば家電なら家電売り場に、婦人服なら、婦人服売り場に持っていく仕事を任された、初めのうちはその仕事は私と同い年ぐらいの若者が指名されてその若者が嬉しそうにやって居たのだが。或る日を境に私に変わったのだった。そして何故かその人は仕事を休んで来なくなったのだった。私は仕事だからと割り切って荷物を運んで居た。ある時に婦人服売り場に若い女の子用のキャミソールやらミニスカートとガードル。パンタロンなどを乗せたトレイを持って行った。すると若い女の子の店員が売り場からやって来て、「あんた、この商品はキャミソールが一番後ろでミニスカートが一番前よ、何やってんだバカ!!ちゃんとして持って来てよ!!」と怒鳴られた。私はそんな事は聞いて居ないし、大体が女性の服だ。分かり様が無かった。だから、何言ってだこの女と顔に出たらしい。するとその女の子は、「何よ!!なんか文句!!」と言うので黙って居たら。「それは私がやるから良いのよ・・・」と40代の女性の店員が微笑んで間に入り。その若い女の子と交代すると「あなた新人ね、頑張ってね。」と何故かチョコレートのかけらを一つくれた。
私はそんな生活をほぼ2ヶ月くらい続けた。すると或る日になって、車に乗って伊勢丹の代々木の出張所に行けと言われた。そこに行ってみるとやはり同い年ぐらいの若者が一人で居て、「君、何で此処に廻されたの、左遷?」と聞いて来た。私はその男からそこは荷物が殆んど来なくて、毎日暇なところだと聞かされた。実際にそこにほぼ2週間働いたが、荷物は来なかった。良い小春日和だったので、倉庫の前で二人して、缶コーヒーを飲みながら、タバコを吸って時間を潰して居たのだった。2週間が過ぎると伊勢丹から人がライトバンに乗ってやって来て私を乗せるとまた伊勢丹まで連れて来た。私はそのライトバンで帰る時に「迎えに来て貰って済みません」と言い。側に置いて合った時計が高級なものだったので、「この小型の置き時計、どこのメーカーのですか?」と聞いたら、その人は「うるせえ、黙って居ろバカヤロー!!」と怒鳴った。私は「ナンダァ」と思ったが黙ってデパートに着いたら、荷物をライトバンから倉庫に入れ出したので、私も手伝おうとすると、「余計なことをするんじゃねえ!!バカヤロー!!」とまた怒鳴るので、私はただ黙って見て居たら、伊勢丹の主任さんが来て、「何ボォ〜として居るの早く降ろして!!」と言うので、「俺が降ろそうとしたら、余計なことするなと言われたものですから・・・」と言ったら、ライトバンを運転して居た社員はちょうど荷物を入れ終えて食堂の方に行って仕舞ったら、そうしたらその様子を主任さんが訝しく見て居て私にこう言った。「で、どうだった、向こうは、お前さあ向こうの方が良か無いかい?」と言う。私は何言われて居るのか転で解らなかった。それ以来、代々木には廻されずに、新宿本店での仕事がそれから1ヶ月ほど続いた、私は昼は何時も、新宿の立ち喰い蕎麦屋で、うどんを食べて居た。毎日日替わりうどんだった。かき揚げ。天ぷら。力。たぬき。コロッケ。ハンバーグ。キツネ。しかし、或る時にもう食べるものもなくなって仕舞い飽きて来たので、昼になってもボ〜として居たら、歳を取った従業員が「おめえ、腹減ってるんだろう。食堂に連れて行ってやるよ」と言って社員食堂に私を連れて行った。そして二人でカレーライスを食べたのだが、その時に、向かい合ったテーブルの真前の席の若い女の子がこちらを見ながら食事をして居たのだが、私は前を見て目を疑った。何とその当時は女性店員は皆、ミニスカートを履いて居たのだが。股を大開にして下着が丸見えなのだ。私は目のやり場に困り「食事の時に見たくも無いよなぁ〜」と思って居たら、その子は私たち二人を睨みつけて居た。
そして月日が流れた。或る作業をして居たら、店員の女の子が積んである書類の山の上にサントリーオールドの小瓶を置いて居なく成ったのだが、私が「不安定な処に置いて行くなぁ」と思った瞬間。そのボトルは落ちて割れて仕舞った。側で作業して居た社員が、「俺のせいかな、弁償させられるかな?」と心配そうに言って居たら。私がマネージャー室に呼ばれた。そして言われた「君はまだ若い。君が割ったとは思わないよ。君の前のラックで作業して居た50代の社員が割ったのか?」と聞いて来たので。「誰が悪いって、元は不安定な書類の上に瓶を置いて行った女の店員が悪いのでは無いですか?」と言うと。「分かった、持ち場に戻りなさい」と言われた事があった。それから暫くして年末に成り、クリスマスがやって来た。デパートは掻き入れ時だ。だから大学生のアルバイトを8人も雇った。しかしまともに仕事をするのは8人のうち3人ぐらいだった。残り5人の学生は適当に仕事をして居た。一人などは柱の影に隠れて仕事をさぼって居た。それでも1週間のバイトが終わるとそいつらにバイト代数万円が渡されて居た。そしてちやほやされて居るのだ。正規の人は皆怒って居た。そしてある日、職場のチーフがやって来て私に「新宿も変わりばえしないし見る処も最近ではねえなぁ〜〜」とボヤくので。私は「南口の雑居ビルの中に美味しいコーヒーと酒が飲めるジャズ喫茶「サムライ」がありますよ。ジャズが聴けますよ」と教えたらそれから3日ほど経ってからそのチーフが「ジャズ喫茶、「サムライ」に行って見たよ。良い処を教えて呉れて有難う。ただ、酒飲みながら話したら、怒られたよ....。」と言うので「ああ、言い忘れたけど。ジャズ喫茶って原則的に私語は禁止なんですよね。あそこはあくまでジャズを聞きに行く処ですから」と言ったら「あんたは音楽通だよねぇ〜」と言って居た。
それから数日経って私は伊勢丹の裏方を辞めた。私が辞めると言った日にトイレに入って居たら主任がやって来て、隣で小便をしながら「何だ、定職につきたくて来たんじゃ無かったんだなぁ、、」と小声で言って居なく成った。私は給料はその月貰いに行かなかった。すると母が伊勢丹までまた出向いて行って来て。その月分を貰って来て、給料袋を私に渡して行った。「お前は伊勢丹で気に入られて居たんだねぇ...。」「なぜそう思うの?」と聞いた私に、母はこう言った「お前と同い年の子が私を案内して呉れたんだよ...。ちゃんと丁寧にね、、」私が行った事で一度は辞めた男が、私が辞めた事でまた、職場に復帰したのだろう。
〜〜『存在と時間』〜〜
存在と存在者
「存在とは何か」と言う問いは、人が思考する上で最終的にたどりつく有史以来の難問で、この探求を「存在論」と言います。例えば宇宙の始まりや果てを物理学的に解明したとしても、人間のDNA構造を究極的に解析して人間の何たるかを知ったとしても、0と1の羅列で世界の構造の把握と完全な予測が可能になったとしても、絶対に解けない最後の問いが残ります。「では、なぜそれら宇宙や原理がそもそも存在するのか、世界があって私があると言う、この不思議はどう言う事なのか」と言う問いです。
その何であるかを問われて究極的に答えられない存在そのものを「存在」、その他の何であるか(本質)を答えられる個別に存在して居るものを「存在者」と分類します。どんなものでも「何であるか(本質)」を問われた時、それの上位のカテゴリーによって説明出来ます。例えば「リンゴ」なら、「果実の一種⇒植物の一種⇒生物の一種⇒物の一種⇒存在の一種⇒存在…?」となります。しかし、最終的に存在の何であるかを答えるための上位概念がなく、此処で頓挫して仕舞います。
だから「存在」の何であるかは答えられないが、その成り立ちや生成の過程は記述出来る、と言うのがハイデガーの『存在と時間』の意図です。
「世界-内-存在」
私たちは有形無形問わず、様々な存在者に囲まれて生活して居ます。机、教科書、法律、友人、インターネット、猫、青空、等々、それら存在者の総体としての「世界」の内に私は存在して居ます。その切る事の出来ないハイフンでつながる環境と私の在り方を「世界-内-存在」と言い、そしてその中心に居る、今まさに此処に在る私を「現存在」と言います。存在者の中でも「私はなぜ在るか」と自分の存在を自分に問える特別な存在者(人間)が「現存在」なのです(説明を簡単にする為、此処では「現存在」を「私」と言い換えて解説します)。
では、私のまわりに在る世界の存在者の意味「何であるか」はどうやって決まるのでしょうか。それは私の目的「何の為か」によってです。
目的と言ってもそれは普段は意識する事のない隠れた目的で、意図や計画と言う意味での目的ではありません。例えば、かなづちの意味「何であるか(本質)」は「(大工仕事の為に)釘を打つもの」です。大工仕事と言う目的(未来)が、かなづちの現在の意味を生み出して居ます(これを現に成ると書いて「現成化」と言います)。だから目的(未来)が変われば存在者の意味も別のものとして現成化して来ます。生活が目的の主婦にとって食パンは「食べるもの」ですが、絵を描く事が目的の洋画家にとって食パンは「線を消すもの(消しゴム)」です。生活の質の向上と言う目的を持つ平和な日本に住む私にとって犬は「可愛がるもの(愛玩動物)」ですが、戦争で困窮して生存そのものが目的になればたぶん「食べるもの」に変わります。
何かの為(目的)は、必ず別の何かの為につながって居ます。大工仕事の為のものは家を建てる為のものでもあり、さらには大工さんの生計を立てる為のものでもあります。食べる為のものは生きる為のものですし、生きる為のものは幸福な生を送る為のものでもあります。そうやって私はすべての存在者を気遣いつつ、見えない目的を基準にして、現在ある周囲の存在者を意味付けます。そして、その意味の網目の総体が、私の「世界」観になります。
私たちは基本的に近代科学的な時間の概念でものを見て居ます。それは直線的で、未だ来ない「未来」は「現在」になり、やがて「現在」は過ぎ去り「過去」になると言うものです。未来・現在・過去が均質な関係として成り立って居ます。けれど別の文化圏に生きる人たちはそれとは違う時間概念の中で生きており、それによって私たちとはまったく別のライフスタイルの中で生きて居ます。直線時間ではなく、円環的な時間、点的な今だけの時間、反復的な時間、等々。
(『時間の比較社会学 』真木悠介 岩波現代文庫 参照)
ハイデガーの場合は未来・現在・過去の代わりに、「将来」「現成化」「既在」を立てます。「既在」とは、過ぎ去った過去などではなく、いままで私はどうあったかと言う事実の引き受けによって生じる生きた過去です。考古学的に過去を間接的に類推することで認識するような「現在にある過去」です。それぞれの国によって歴史の教科書の記述内容が違うように、各個人が個人の歴史をどう解釈し意味づけ、何を捨て何を引き受けるか。それは過ぎ去り博物館の剥製のように固定化して順に陳列される過去ではなく、私の将来と現在が今まであった出来事を素材として形作る生きた過去なのです。自分は今まで「何者であったか」と言う「既在」の認識によって、「将来」の「何者でありうるか」が決断出来るのです。
その既に在った世界の地盤の様な「既在」を土台にして、「将来」へ向かって私をプロジェクト(投企)し、その将来が生み出す目的の網が私をとりまく現在の存在者の世界を照らし出す様に意味づけ、事物が現在に成立(「現成化」)します。ハイデガーの言葉を借りれば、時間性とは「既在しつつ-現成化させる将来」となります。
こうして存在者とその総体の世界が生成され、「存在」と言うものが人間独自のこの時間的なあり方に依拠して生じ出づることが明らかにされます。ハイデガーにとってこの時間のあり方が最も根源的なもので、客観時間とも言われる直線的な時間概念や数量化可能な時間などは、此処からの派生物と見なします。
本来的と非本来的
将来へのプロジェクト(投企)が中心となって、私の目的の網目を決定し、それが世界を生み出す(現成化する)として、究極的に最も全体的な将来とは何でしょうか。それは「世界-内-存在」の私が消滅してしまう「死」です。この全体的で究極的な将来(死)を覚悟し生きる事が、ハイデガーの言う本来的在り方であり、本来的自己です。誰と交換もできないかけがえのない私の一度きりの人生を生きる、と言う事です。例えば、余命宣告を受けた患者が、それにより生まれ変わったかの様に日々を真剣に生きはじめ、今までの生活がいかにどうでも良いものに振り回され、自分を充実させて居ない生であったかに気づく事が良くあります。
たいていの場合、そうやって私たちは全体的な将来(死)を意識せず、目先の将来に目を奪われ、目先の将来を目的として生きて居ます。いわば自分(本来的自己)を見失った、自分のかけがえのなさを忘却した生き方です。世間の意見によって動き、世間の常識に追従し、世間に流されて生きる。いわば私が誰でもない世間一般に溶かされて仕舞った様な生です。それが非本来的な在り方、非本来的自己です。
「死」を先駆的に意識した上で自分を将来へ向けてプロジェクト(投企)し、いままで何気なく現成化して居た世界を、かえがえのない私の決断によって意味付け積極的に現成化させる事。それと同時に、望んだ訳でもなく生れ落ちたこの私と言う場所と私が背負わされた歴史(世界に投げ入れられたと言う意の「被投性」)を「既在」として引き受け生きる事。それがハイデガーの本来的在り方の本質です。
良心の呼び声
非本来的在り方では「死」は意識してはならない不安の種として、周到に隠蔽され遠ざけられます。しかし、私たちが普段の生活の中でふと抱く不安や虚無感は決してネガティブなものではなく、非本来的な在り方から本来的な在り方へと導く、良心の呼び声なのです。仕事帰り夜の車窓に映る自分の顔を見た時に不意によぎる不安、疲れて一日寝て過ごした休日の夕暮れ時に感じる虚無感、大切なものを失った時に色褪せて見えるよそよそしい世界の様。それらは一時の感情や気分としてすぐに忘れ去られて仕舞いますが、実は虚無や不安や無意味感は、私が本来的には可能性の中で将来へと自己をプロジェクト(投企)して世界を創る自由な存在であると言う事のひるがえった表現なのです。
そしてその死や不安や虚無や絶望を転回点として、本来的に生きはじめる事を、ハイデガーは呼びかけるのです。
クマザキエイム、USBメモリーやSDカードの再生に対応したラジカセ
クマザキエイムは、「Bearmax」ブランドより、ポータブルラジカセ「DIDICA(デジカ) CR-999USD」を発表。2月15日に発売した。
カセットテープの録音・再生、AM/FMラジオ(ワイドFM対応)の受信に加え、USBメモリーやSDカードに保存したMP3ファイルの再生に対応したポータブルラジカセ。ラジオ、USB/SD、内蔵マイクの音声をカセットテープに録音することが可能だ。
また、ACコンセントと単1形乾電池×4本の2WAY電源に対応。音質面では、3インチのスピーカーユニットを搭載し、実用最大出力が3W+3W。
このほか、本体サイズは290(幅)×130(高さ)×115(奥行)mm。重量は約1.3kg(電池含まず)。
価格は5,000円(税別)。
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ーブルースハーピスト、「デニス・グルンリンク」の紹介ー
以下の文は英語からの私の翻訳ですので、正確に帰する事は狼狽ますが、まあ、完璧ではありませんが、デニス・グルンリングの経歴はわかると思いますので、よろしく....。
Gruenlingは、ニュージャシー州に生まれました。彼は家族の友人からのクリスマスプレゼントとして10代に最初のハーモニカを貰いました。音楽に対する興味で、Gruenlingはその後Harp Attackを聞きました!(1990)、ジェームス・コットン、ジュニア・ウェルズ、キャリー・ベル、そしてビリー・ブランチ のハーモニカ演奏をフィーチャーしたアルバムでした。彼は打ちの目されました、「私は叔父に私のレコードを掛けて貰い、私は今までにない衝撃を受けました。私はこれまで本当のブルース奏者を聞いたことがありませんでした。」と言って居ます。さらにコットン、ウエルズ、リトル・ウォルター、ジョージ・ハーモニカ・スミス、そしてビック・ウォルターホートンなどの購入したレコードにインスパイアされたGruenlingは、熟練した標準に合わせて演奏するように自分自身で学ぶことに着手しました。学校を中退してまで彼のその後のガールフレンドと一緒にニューオリンズにまで移動し、彼は練習を続け、1994年にニュージャージー州に戻る前にブルースハープをマスターしました。彼は周りの地元の数多くのバンドで演奏するようになり。1998年に彼自身のスタイルを形成し、それから彼のデビューアルバム、Dennis GruenlingとJump Time(1999)をレコーディングしました。そしてそれはGruenling自身のレーベル、Back Bender Recordsからリリースされました。
その当時、Gruenlingは、主にジャンプ・ブルースととブギウギを演じる彼のJump Timeのバンドと、シカゴ・ブルース・スタイルを好むより小さなユニットとの間で演奏しました。彼はロッド・ピアッツアとウイリアム・クラークの両方をブルースラジオで聴き、彼らが地元で演奏したとき定期的に彼らのショーの両方に頻繁に参加しました。彼はピアッツアに彼の録音のコピーを渡し、それが今日まで続く友情につながりました。そして「Up All Night」(2000)と「That's Right」(2001)が続居て発売され、後者はケニードーハムがクラリネットで2、3曲を演奏しました。2000年に、Gruenlingはシカゴ・ブルース・フェステバルに出演しました。
しかし、Gruenlingは自分のバンドを維持するのが難しいと気付き、彼は何年もの間、他のミュージシャンの作品に取り組むことに成りました。彼はこの期間にジナ・シシリアと カーテルによるアルバムに貢献しました。2007年には、デビット・マラカウスキー。レイクジョージ・ブルースブラストで演奏し、Gruenlingを中心メンバーにして、バンドを組む事にしました。同じ年、Gruenlingは、レコーディングに着手し、トリピュートアルバムを発表しました。一緒に働くことになったキム・ウイルソン。リック・エリストンとステーブ・ガーガー、と言う面々でリトルウォルターのオマージュのレコードを再作しました。、ギターはただラビィン・ヒム一人を採用しました。
The Modern Sounds with Dennis Gruenling -- Benny's Bugle
The Modern Sounds with Dennis Gruenling -- Flying Home
Little Walter's "Crazy Legs" - Dennis Gruenling - Blues Harmonica
Buffle Off To Shuffalo - Dennis Gruenling
Dennis Gruenling / Little Walter Tribute / Sad Hours
"The Chicken"_SUZUKI 10HOLE MANJI Performed by Koei Tanaka feat Daisuke Kawai in 2016楽器フェア
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今回は此処までです。学歴と差別に付いて書いて見ました。。また更新出来たら逢いましょう。。。。( ◠‿◠ )