Mort d'un pourri - Bande annonce 1977 HD
〜〜男の世界〜〜
私は厭世的な生き方をして居ると自分の事をそう思う。大体が、スポーツは嫌いだ。野球もサッカーもラグビーも駅伝も見ない。だから選手たちの名が解らないし。解って居る名でも選手の顔が解らない。私は子供の頃は野球に興味があった。親に少年野球チームに入りたいから、ユニフォームを買ってくれと言ったが、買っては貰えなかった。私は父親に野球のミットとボールを買ってくれとねだった。親父は暫くすると、ミット2つと野球ボール1つを買って来た。そして家の前の道路でキャッチボールを朝早く起きて始めたが、暫くして近所に住んでいた同級生の女の子が、「なんだヨォ!〇〇が野球なんかするのかよ〜!!」と言って通って行ったら。親父はそれ以来起きて来なくなった。私が扁桃腺の手術をして小学校を半年休んで、勉強が丸で解らなくなって、親父の処に行って勉強を教えてくれと言っても、朝早く勉強をする事になったが、3日坊主と言うのならまだ分かるが。1日で起きて来なくなった。私はどうせ誰も助けてはくれないんだと思う様になって行った。そんな私が好きなスポーツがあった。プロレスだ。私は小学校の頃、1960年代後半から1970年代に掛けて格闘技がブームとなっており。その煽りを受けて、アントニオ猪木が好きだった。彼は日本プロレスの力道山にブラジルで、日系の移民として暮らして居た処を見出されて、凱旋帰国をして、プロレスラーになった。彼の同期には巨人軍の野球選手だった馬場が居た。此の二人を力道山は実験台とした。まず、猪木にはもの凄くきつく辛く当たった。そしてもう一方の馬場には優しく優遇して扱った。猪木は馬場をライバル視して、過激なプロレスをする様になった。一方の馬場はボンボン育ちのレスラーへとなって行った。
アントニオ猪木 「道」 伝説の名言
しかしある時に日本プロレスの崩壊事件が起こって仕舞った。力道山がヤクザにドスで刺されて死んで仕舞ったのだった。二人は力道山の死んだ穴を埋めるが如くに試合をこなして会社に儲けを持たらした。しかし会社の幹部連はその彼らの血と汗で稼いだ金を持っては毎晩。キャバレーで豪遊して1日で100万円も使って仕舞って居た。猪木はそんな経営幹部が許せなくなり、密かにアメリカ帰りのレスラーたちと東京プロレスという団体を旗揚げしようとした。しかし此の事は事前に漏れて居たのだ。猪木はどうしてだと思ったら、一緒に東京プロレスで旗揚げしようと言って居た馬場が日本プロレスの経営サイドに金で買収されて、裏切って居たのだった。猪木はそれ以来馬場を憎んだ。憎んで、憎んで、憎み通した。結果、猪木はプロレス界を追放処分となったが、猪木は東京プロレスを旗揚げした。そして、馬場は一人で日本プロレスを背負うエースとなった。その後。紆余曲折あって、猪木は東京プロレスを解散し、新しくテレビ朝日のテレビ放映権を貰って新日本プロレスを立ち上げた。馬場はダメになった日本プロレスに見切りをつけて全日本プロレスを日本テレビ放映権を貰って旗揚げして。以来、此の2つの団体は敵対する様になって行った。私はこう言う経緯を踏まえてプロレスは1990年代まで見て居た。
いつも一緒に
1980年代に新日本プロレスで猪木の弟子である藤波辰巳と長州力の因縁抗争が勃発し、二人の対戦カードが組まれる様になった。それまでジュニア・ヘビー級のベルトを敵地のマジソンスクエア・ガーデンに乗り込み、見事アメリカのwwfのチャンピオンをドラゴン・スープレックスという大技で失神させてベルトを勝ち取り凱旋帰国した、藤波に、雑草だった元オリンピック選手で鳴らした長州力が噛み付いたのだ。「俺は藤波の噛ませ犬じゃない!」と宣言した長州は維新軍団を組織して正規軍である藤波、猪木に刃を向けたのであった。新日本プロレスは組織を2分する危機的状態へと陥って行った。しかし猪木は此の申し受けを堂々と受け入れて藤波と長州との試合を組んだ、恐らくは猪木は自分の波乱万丈の人生に長州と藤波を重ね合わせたのだろう。二人の試合は壮絶なものとなって行った。初めは試合にならなかった。長州と藤波は試合では無く喧嘩だった。二人してぶん殴りあって居た。そんな状況を見て居た世の中の人は次第に此の2人の試合を注目しだして、社会現象とも言えるプロレス・ブームが1980年代に巻き起こった、テレビの視聴率は65%を超えた。前代未聞だった。
飛龍革命 音声字幕
私は長州は好きに慣れなかったので藤波を応援して見て居た。或る日、ゆきかずが私をバカにして言った。「プロレスなんて八百長を見て居るのか、貴様はバカか!!見るのやめたらどうだ〜〜!」ゆきかずに聞いた「長州って知って居る。」すると「そんな奴は知らない。プロレスは見て居ない」と言う。何も事情が解って居ないで人を非難して居るのだ。「やめたらどうだ〜〜」とはよく言えたものだ。ゆきかずはゴルフの会員権を二つも持って居た。そして言う。「ゴルフぐらい出来無いと男じゃないねぇ!!」私は金も無いのにゴルフに興じて自分を一流だと思って居るバカを見て居て。つくづく、こんなバカは居ないと思って居た。話はプロレスだ。長州との因縁試合で藤波は足の骨を折って仕舞った。しかし彼は試合に出る為に麻酔を足に局部注射して戦った。見て居て、試合も冒頭5分ぐらいから麻酔が切れて、藤波は苦痛の顔を浮かべて戦った、麻酔は5分しか持たなかったのだ。そして長州に敗れてべルトは奪われて仕舞った。私は此の二人の抗争を見て居て、これを組織としての規律を曲げてまで許した猪木と、反逆した長州。受けて立った藤波。皆、素晴らしいと思って見て居たのだった。世間は男のドラマに酔いしれて居た。
長州力・藤波辰爾 マイクパフォーマンス
私が好きな声優の青木志貴ちゃんです。彼女は声優でモデルで、舞台俳優で、YouTuberです、、
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此処に一冊の本がある。
のちに角川書店から刊行される『犬狼伝説』のオリジナル版とでも言うべき日本出版社版である。この本のあとがきにこう書かれている。
「周囲の人は困ったもんだで済ませていたが、間違いなく彼は本気だったのだ。枚数もないので詳細な記述は避けるが、己の手掛ける作品に隙あらばこそと出没させるだけでは飽き足らず彼等立喰いのプロの系譜を辿りつつ日本の戦後史を新たな視点から再編すべく企図された虚構の歴史ドラマ。
『立喰師列伝/全六巻』の企画を真剣に検討していたことや、その為の準備と称して架空の民俗学者・柳谷邦男名義による『闇の系譜――立喰師の世界』『立喰師騎馬民族学説』等の出版を目論で挫折したという噂は紛れもない事実である。それらの壮大にして奇怪な企画が実現しなかったのは、ただ単に彼の周囲に冒険主義的なプロデューサーが存在しなかったからに過ぎない(と彼は今でも信じている)」
(押井守/あとがきより)ー「ガブリエルの憂鬱」より抜粋しましたー
周りの誰しもが、冗談だろうと思っていた此の構想10年越しの企画を、押井守は日本の戦後の総括的意味合いと共に2006年に映画化しました。公開当時は、結構、話題に成ったので、知っている人も居るかとも思いますが、此の「立喰師列伝」は、その後、「女立喰師列伝ーケツネコロッケのお銀・パレスチナ死闘編」を得て、今年、「真・女立喰師列伝」を公開しました。
しかし、どちらの作品ともめっぽう面白いので、まだ、観ていない人はレンタルででも、観て見る事をお勧めします。本当に面白いですから。。。
下で予告編が観られます、クリックする事で映像が始まります。
押井守監督作品「立喰師列伝」 予告編
立喰師列伝 お銀抜粋編
女立喰師列伝 短縮版
此の話は以前にも書いたと思うが、私はある女性のblogを見に行って居た。だが私はこの女性は知識がある様な事を言っては居るが。本当の処。それは書物からの知識では無いかと思う様に成って行った。確かに本はよく読んで居た見たいだった。しかし彼女の掲示板での書き込みで手塚治虫は素晴らしいと言って居たのだが。なんと「手塚治虫」を「手塚 治」と言って居るのだ。手塚氏は昭和20年代からずぅーとペンネームの「手塚治虫」の名を使って来た。彼女は何も彼の事を知らないのだ。ただ皆んなが手塚氏は凄いと言って居るから、自分も凄いと思い込んで知りもしないのに凄いと言って居るだけだ。果たして手塚氏の漫画を読んだ事はあるのだろうか?恐らくはあるまい。手塚氏の漫画を読んで居たら「手塚治虫」と言うペンネームを知って居るはずだ。
恐らくはテレビで「鉄腕アトム」ぐらいは見たのかも知れない。しかし断言する。「手塚治虫」の漫画本は1冊も読んでは居まい。手塚氏は往々にして児童漫画。子供向けの漫画しか描いて居ないと思われがちだ。しかし実際は違う。例えば「空気の底」「奇子」などの近親相姦の漫画やら、「きりひと賛歌」などと言う「モンモウ病」と言う奇病に付いての外見による差別や人間の尊厳などをテーマとする重厚なストーリー漫画もある。同じ医療漫画であるそれから3年後の『ブラック・ジャック』が非現実的な要素も交えた作風で尚且つ「医学は人間を幸せにし得るのか」というテーマを扱って居るのに対し、本作では医学界に於けるa power struggle(権力闘争)を主たるテーマとして描いた、1970年代初頭の社会派的色合いの強い作品となって居る。
一般の人は知らないでしょう。こう言った漫画を手塚治虫が書いて居た事を。そして彼は「アドルフに告ぐ」ではヒットラーの生涯を、3人のアドルフと言う名の人たちの愛憎を絡めて描いて居る。「シュマリ」では明治維新の事を。北海道での五稜郭を舞台に、実は生きて居た新撰組副長の土方歳三とシュマリの友情を描き。昨年公開された稲垣吾郎と二階堂ふみによって実写映画化された異常性欲者の作家と、それを救おうとするミューズの「ばるぼら」と言う映画を手塚治虫の息子である映画監督である手塚 眞氏が撮って居る。この映画では二階堂ふみの全裸での体当たりの演技が良かった。R15になった作品だ。原作の漫画は私も持って居るが、黒魔術やらセックス・シーンが累半に出て来る漫画で。1970年当時にビックコミックと言う青年漫画誌にて連載された漫画だ。
皆さんは手塚治虫氏は児童漫画しか描いて居ない。例えば「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「ワンダー3」などしか、子供向けの漫画しか描いて居ないと思って居る。その知識がある様に言って居る女性は何故、「手塚治虫」と呼ばれて居るのかが解っては居なかったのですよ。皆さん?.....。彼の本名は勿論「手塚 治」です。しかし彼は昔から昆虫マニアでした。だから日陰で一生懸命に生きて居る「オサムシ」を自分の治という名前に掛けて「治虫(オサムシ)」よって手塚治虫(てずかおさむ)と皆んなに読ませて居たのですよ。
彼は大人向けのアダルト・ポルノ・アニメ三部作も撮って居ます。「千夜一夜物語」「クレオパトラ」「哀しみのベラドンナ」です。この三部作は1968年ぐらいから1973年に掛けて公開され世界中で配信されました。今だに此の3作品は商品化されて居ますよ。1980年代にビデオ化されて、その後1990年代にはレーザーディスク化され、また低価格ビデオ化もされて、レンタルビデオ屋にも置いてあったし。今はDVDにも成って居ますしね。最近ではCS放送で「千夜一夜物語」と「クレオパトラ」は放映されましたよ。皆さんこう言ったアニメ映画を手塚氏が作って居た事も知らないでしょう?由緒正しい日本ヘラルド映画が配給元ですよ。ちゃんとした映画です。ポルノと言うから嫌たらしい映画だと思わないように。藝術的ですからね.....。
特に手塚治虫の片腕だった山本暎一監督の三部作の最終作「哀しみのベラドンナ」、この作品群はアニメラマと呼ばれて居ましたが「哀しみのベラドンナ」だけはアニメロマネスクと呼ばれ。エロチックではありますが、藝術的であり、サイケデリックな映像と佐藤允彦が作曲した丸で1970年代のプログレッシブ・ロックの様な神秘的で美しいメロディーの音楽は日本では1970年代にレコードになって居ませんがイタリアでサントラ・レコード化されて発売されました。ドイツやイタリア、フランスなどではCDになって今だに発売されて居ますよ。ちなみにこの「哀しみのベラドンナ」は2000年代にアヌシー国際アニメション映画祭で賞を受賞して居るし。1973年公開当時はベルリン国際映画祭で上映されました。
日本盤はDVDしか売っては居ないが。海外盤では4kリストラされたBlu-ray盤が売って居ます。私も購入して持って居ますよ。あの作品には4Kがよく似合う。私は手塚治虫を谷崎潤一郎やら、三島由紀夫と同等に評価して居ます。しかしそれはあくまで大人向けの作品群でね。その彼女の文を読んで居ると確かに本から得た知識はありそうだが、肝心な事が疎かにされてしまって居るなと思いましたよ。要するに能がある事を上機嫌で言って居ても、上辺だけの本の知識だけなのですよね。
私は彼女にはがっかりした。最後になりましたが。このアニメラマ三部作の予告編を挙げて置きます。「哀しみのベラドンナ」はこの後に挙げて居ますので。残りの2作品と「由紀さおり」が歌う「クレオパトラ」の挿入歌です。この曲は冨田勲作曲で中山千夏作詞のエキゾチックなるスキャットです。歌って居るのは由紀さおりです。聴いて見て下さいね。今見ると、「哀しみのベラドンナ」は今見ても凄いけど。他の2作品は単なる娯楽作品としての価値しか窺い知る事は出来ませんけどね。
千夜一夜物語
[アニメラマ]クレオパトラ_予告篇
Cleopatra No Namida
kiyasumeのハーモニカ・ソロです....。
母は絶対に私の美大の受験を許してはくれなかった。私とて馬鹿ではない、今時、画伯で食えるとは思わない。1975年当時ちょうど第2次アニメブームがやって来た。私は出来る事ならアニメ業界で働きたかったのだ。当時はイメージ・フォーラムなどや虫プロ映画祭で、世界中のアニメをよく見た。特にユーリー・ノルシュテンの「外套」を見て度肝を抜かれた。ロシアを代表するアニメーション作家、ユーリー・ノルシュテイン。主にセルロイドに緻密に描き込まれた切り絵を用いる短編アニメーション映画などで知られる映像作家である。ソ連→ロシア国籍の東欧系ユダヤ人である。彼は30年以上の歳月をかけてゴーゴリ原作『外套』のアニメーションを制作して居るが、しばらく撮影をして居ない。2019年6月、モスクワにあるノルシュテイン・スタジオ“アルテ”。おびただしい数のスケッチ、キャラクターパーツ、誇りをかぶった撮影台・・・。世界が待望する『外套』は何時、完成するのか。。。
1980年からゴーゴリの短編小説『外套』の制作が始めるものの、ソビエト連邦の崩壊による社会的混乱や政治変動と言った背景もあり、何度か制作が中断され、30年以上経った今も未完の状態となって居る。現時点では30分ほどの長さの作品が完成しており、毎年少しずつ新しいシーンを追加しており、作品を完成させる意思はあるようだ。現在もまだノルシュテインは『外套』の制作を続けて居る。この映画プロジェクトは数多くの財政トラブルや誤った発進を経験したが、現在は幾つかのロシア国内外のスポンサーから信頼出来る資金提供を受けており、少なくとも25分は完成しており、2本の低解像度のクリップが公開されて居る。映画の最初の20分はロシア美術館におけるノルシュテインのさまざまな展示内で上映されて居る。なお、完成作品は60分程度の作品になる予定だと言う。
外套(がいとう)
貴重!アニメの神様の制作風景-『ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる』
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そして又、イメージフォーラムで観た。「哀しみのベラドンナ」である
絵画止め絵を中心にして、色彩アニメーションだったりして、美しかった。絵柄も非常に好みだし、水彩画アニメや油絵アニメなど、非常に手が込んで居て、今見ても美しさに圧倒される。哀しみのベラドンナはあまり動かないパートと、動きすぎる部分があるが、音楽と挿入歌の使い方が上手いから統一感あるし面白い。劇伴音楽もいいし、小林亜星の歌曲もアートとインパクトの両面で素晴らしい。阿久悠のドラマチックな作詞も最高だし中山千夏のナレーションと歌もいい。そして映画前編を通り抜けるサイケデリックな感覚がいいのです。まあ、エロスを追求したとも言えるアニメですが・・・・
山本暎一インタビュー |
── 『千夜一夜』『クレオパトラ』でヒットを飛ばし、ついに『哀しみのベラドンナ』の制作が始まるわけですけれども。これは企画の成り立ちからして前2作とは、違うわけですね。『クレオパトラ』までのヒットを受けて、ヘラルド側は「その路線で3作目を」とは言ってこなかったんですか。 山本 もう少し虫プロが続いてれば、「この路線の3作目を」と言ってきたと思いますよ。『ベラドンナ』は、それとはまた別に、さっき言った『イエロー・サブマリン』の路線を、と言うのがあって始まったものだから。 ── その別路線は、山本さんから提案した形なんですか。 山本 いや向こうから言ってきたんですよ。 ── え、ヘラルドから言ってきたんですか! それは「前衛的なもの」と言うような言い方だったんですか。 山本 やや前衛的な要素の入ったもので。一般にも受けなきゃいけないんだけど、ちょっと前衛的なもの。 ── エロチックなものと言うのも前提だったんですか。 山本 うん、それは客の入りがいいように。当時はまだ(大人向けアニメの)実績がないからね。エロチックと言うのは、必要な条件だったんですよね。それが3作、4作と出来た後なら、エロチックなシーンがなくてもいいんですけど。 ── で、内容に関してはヘラルド側からは提案されずに、山本さんの方から出すかたちだったんですか。 山本 企画はね、結構いろいろ考えました。苦労したんだけど、最終的には「魔女」と言う小説みたいな、ドキュメンタリーみたいな、詩の本みたいなのを見つけて、それに基づいてやろうと言う事になったんですよ。とにかく、純粋に大人向きの大衆娯楽映画で、『千夜一夜物語』と『クレオパトラ』が、ごく一般向けのもの。それとは別の路線で文芸的な香りの高いもの、と言う事で、僕がやる事になった。企画は結構苦労しました。 |
── で、かなり初期の段階で、イラストをカメラワーク主体で見せるかたちで作ろうというプランになった訳ですね。 |
BELLADONNA OF SADNESS - Official Red Band Trailer
Belladonna (1973)
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=哲学者「東浩紀」=
東京三鷹市出身。学部時代の専攻は科学史、科学哲学であり、大学院時代の専攻は、哲学(現代思想、フランス現代思想)、表層文化論である。本人は「現代思想好きのオタク」を自認する。思想系の研究者としての道を歩む中で、情報社会論も専門として居るが、決して社会学者ではない。大学教員としては、東京大学大学院情報学環客員助教授、国際大学グルーバル・コミュニケーション・センター副所長・教授、東京工業大学世界文明センター人文学院特任教授。早稲田大学文学学術院教授などを歴任している。しかし、2013年3月に早稲田大学教授を退職して、同年4月以降は大学への所属はない。
小説家でもあり、サイエンス・フィクション作家である。日本推理作家協会賞会員。
【徹底討論】インターネット変革、でもバカはバカ?(堀江貴文・東浩紀・宮台 真司)
東浩紀の仕事は一貫して居る。彼は二十歳に下ろした批評「ソルジェニーツィン試論」から「存在論的、郵便的ージャック=デリダについて」を通過し、現在(とは言えもう過去の)の「思想地図ーアーキテクチャ」に至るまで、その一貫した仕事は、端的には人間、情報(より広範囲の)、構造(やや反復だが)に対しての興味に貫かれて居ると言えるのではないかと思う。その中で本書は彼の中心的出発点であると言える。(それは有る意味では、終点でもある。)
どう言う事か。彼は、当初、博士論文において「デリダとメディア」(「自由を考える」参照)との関連で様々な文献を調査して居た。その中で、博士論文として書き下ろしたのが本書であるが、本書を読めばいかにハイデッガーーデリダーフロイトにおいて東浩紀ー哲学者が見いだす存在論的脱構築、郵便的脱構築が我々の認識、欲望、構造に由来して居るかが分かるはずだ。
つまり、デリダの理論を通過し、無限の脱構築の世界に突入した彼は、極めて形而上学的な議論(デリダが形而上学的言説を脱構築しようとも我々の愚かな能力は再び形而上学する)の果てにポストモダンの社会を見事に描いて見せて居る。(かなり消極的にではあるが)改めて簡単に述べるなら、デリダの理論を有る意味では終点とし、開かれたポストモダンを新たな出発点(それも有る意味では終わりである)としたと言える。以上の事を受けての議論は「動物化するポストモダン」「東浩紀コレクション」「思想地図」等々のすべての著作において明確に具現化して居る。そう言った現代において、人文学が行き着いた先は自らの開かれた限界だった訳だ。(もしかすると、これはデリダが考えて居た脱構築の意味とは違うかも知れないが、)その現実を見つめつつ彼の行動を見ればすべてが理解出来るではないだろうか。(価値観は共有出来ないにしても、彼の議論は現実的だ。)
「動物化するポストモダン」
70年代までの「大きな物語」が有効だった時代に対し、80年代はイデオロギーや「大きな物語」が消失し、その空白を埋めようとして生じた「物語」消費の時代となった。しかしポストモダンが全面化した90年代に入るとそうした「物語性」ではなく、深層にある情報(データベース)とその情報の組み合わせである「小さな物語」を消費するというデータベース・モデルに移行したと言う事。
では、70年代までを支配した行動原理・世界観とはどの様なものだったのか。
東氏は「一方には、私たちの意識に映る表層的な世界があり、他方にその表層を規定している深層=大きな物語」があり、70年代までの近代的世界観では「その深層の構造を明らかにする」事が求められて居たのだと語る。
例えば自分たちの身近にあった裕福な家庭と貧しい家庭。こうしたものもかってであればマルクスによる階級闘争に歴史の1断片として取り扱う事も出来ただろうし、それを克服するものとしての「共産主義」が信仰されただろう。あらゆる「小さな物語」は背景にある「大きな物語」の表象であり、常に「大きな物語」とつながって居たのだ。
しかしこうした「大きな物語」に対する信頼は、ベトナム戦争や共産主義国家の現実、あるいは「連合赤軍」の終焉など、70年代を通じて失墜して行く事になる。
現実には「大きな物語」は凋落して仕舞ったものの、とは言え「大きな物語」を求める心性はそう簡単に無くなるものではない。例えば79年から放送され未だに根強いファンを有する「機動戦士ガンダム」。この「ガンダム」のファンたちは単に「ガンダム」のストーリーを追いかけて居るだけではない。その背景に広がる「世界観」こそを求めており、それこそが《架空の》大きな物語として消費されたのだ。
こうした状況を大塚英志は「消費されて居るのは、1つ1つの<ドラマ>や<モノ>ではなく、その背後に隠れて居たはずのシステムそのもの」だとし、このシステム=「(架空の)大きな物語」を消費する為に、1つ1つの「小さな物語」=「1話」やそれぞれの「商品」を購入する様子を「物語消費」と呼んだ。これが80年代のスタイルとなった。
しかしこのモデルはポストモダンの本当の姿ではない。連合赤軍が「理想の時代」の終焉を告げた様に「オウム事件」が「虚構の時代」の終焉を告げる事になる。
90年代に注目を集めたものとして「萌えキャラ」がある。こうした萌え系のキャラクターは、メイド服、ネコ耳、ネコしっぽ…。などの形式化した「萌え要素」の組み合わせで構成されており、オタクたちがそうした萌えキャラに「萌えた」のは、キャラクター(シュミラークル)への盲目的な没入や感情移入と同時に、その対象を「萌え要素」に分解しデータベースの中で相対化しようと試みたからだった。
「同人誌」やマッド・ムービーの制作など、本来の「ストーリー」とは別に、個々の要素を抽出・マッシュ・アップし、盗作やパロディやサンプリングとは違う原作と同じ価値をもつ「別バージョン」を生み出そうと言う欲望が背景にあったのだ。
此処にポストモダンの行動原理である「データベース消費」の構造が見られる。萌え要素のようなデータベース(大きな非物語)から必要な「情報」を読み込み、「小さな物語(シュミラークル)」を作り続ける。それは近代のツリー・モデルのように「小さい物語」の背後に「大きな物語」がある訳ではない、そこにあるのはあくまで意味を持たないデータベースであり、即時的な「小さな物語」が無限に生産・消費され続けるのだ。
こうした変化は「大きな物語」が失われた後に登場した「日本的スノビズム」から「動物の時代」へ移行したと言う事も出来る。コジェーヴによれは人間は「欲望」を持つが動物は「欲求」しか持たないと言う。「欲求」とは、空腹→食べる→満足と言う様に、ある対象の欠乏とそれを補う事で完結する単純な回路だ。これに対して「欲望」は満たされる事がない。
学校で1番の美人を彼女に出来たとしよう。それで満足するかと言うとそうではない。彼女に自分の事だけを思って欲しいとか、他人から羨ましく思って欲しい・自慢したいとか「他者の欲望を欲望する」という間主体的な感情を持って仕舞う。これを動物的な「欲求」と対比して「欲望」と言う。
かっての様に深層に「大きな物語」が存在しない以上、ポストモダンに生きる人々が「生きる意味」を与えてくれるのは表層の「小さな物語」だけである。データベースは意味を与えてくれない以上、そこから紡ぎ出される「小さな物語」によるお手軽な「感動」を楽しみ、感情移入するしかない。こうして「ポストモダンの人間は『意味』への渇望を社交性を通しては満たす事が出来ず、むしろ動物的な欲求に還元する事で孤独を満たして居る。」「世界全体はただ即物的に、誰の生にも意味を与えず漂って」居るのだ。
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今、この著を読み返す意味は、1つにはインターネットを含めた現代の状況を確認する事だ。此間読んだ「東京から考える」では、経済のグローバリズム化や消費社会の進展にともない都市そのものも動物化した時代に即した「ジャスコ的郊外」が広がって行くとあった。
確かにそうだろう。インターネット上でのサービス・IT技術の進展はそうした状況をますます加速させるのだろ。人は便利なものに慣れ、手軽じゃないないものは避けるかも知れない。エンターテインメント分野では1つの「ヒット」をもとに要素の組み合わせで無数の類似作品が生み出されるかも知れない。
しかし同時に20年代に来た今、それだけでは物足りない動きも感じられはしないか。コロナによる弊害から生まれるものも出て来て居る。
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以上過去blogの記事からでした。少しだけ修正し、追加文を新しく一部分加筆しました。。。。