[人付き合いで大切なこと]GACKTが語る人付き合いのキモとは? GACKTに忍び寄る一流詐欺師? GACKTインタビューVol.07@マルタ共和国 by NORTH VILLAGE北里洋平
此間、撮った写真です。。。。眠たそうな、呆けた写真です、、、(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
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「エッセイ」
今、GACKT君の新刊本「GACKTのドス黒いメンタリズム」を読んで居る。この本を買いに、この間、啓文堂に行ったら。眼に着く処に置いて居ないので、書店員に言って探して貰ったら、なんと見難い所に陳列して居た見たいだ。彼の著作としては「GACKTの勝ち方」「GACKT の超思考術」に続いての今回は単なる指南書とは別に、彼のビジネス・パートナーの育て方。要するに人の育て方だとか、彼の内面を吐露して居る本です。彼はミュージシャン、歌い手であると共に言わずと知れた月に30億稼ぐ、実業家であるけれども、この本では、自分のビジネスの仕方などや、本当に大切な人の育て方などを書いて居ます。本の題名が「GACKTのドス黒いメンタリズム」と謳って居るので、何かGACKTに対してのスキャンダル本だと思われる方も居るかと思いますけど、、これまでと同様に、真っ当な人生の指南書です。この本を書店員に探して貰って、持って来た本を一眼見て、「買います...。」と言ったら、その本を持って来た50代の店員さんが「えっ?買うんですか???」と言って居た。多分、本の中身を知らないのだろう。題名だけで、GACKTの暴露本とか彼を悪く言う本だと思って居たのだろう。皆さんにもお薦めできる1冊です。買わなくても図書館などで読んで見て下さい。きっと、この年末貴方の思考に参考になると思いますよ。
其れから、私ごとですが。。ケア・マネージャーが辞めて仕舞いました。彼とは此処10年来の付き合いでした。いい人でした。頭も切れたし、何時も物事が解って居ない私を補助して来れました。今、私は生活保護の申請が来月に控えて居ます。来月には一緒に生活保護課に行く予定でしたが。彼は他の事業所に行って仕舞う為に、私は1人で行かなければ成らなくなりました。また一つの試練ですが、、仕方がありません。まあ、生活保護課の私担当の職員さんは、来年の1月に成ったら申請は通ると言って居ましたので、、その言葉を信じるしかないですね。でも口調は、あくまでもお役所仕事ですね。ただ、きつい言い方もしますが、まだ私はそんなに嫌な事は言われては居ません。ただ、今持ち金が12万6千円ぐらいありまして、そこからカードで購入した代金、3万円が引き下ろされるのが27日なので、、今はまだ12万あって生活保護課の言う10万円は切って居ないので生活保護は認められないのですよね。「なんで〜〜!!」と言いたい所ですが。27日に記帳して来て、其れから福祉課に電話を掛けて、相手に来年の1月の、何日に行けば良いのかを決めて貰わないと行けないのです。
最後の最後まで、矢張り、生活保護を通るのは難しいですね。そして申請が通っても今度は調査と審査が待って居ます。此処で振るいに掛けられます。ヘルパーのおばさんに聞きましたが、矢張り親兄弟、姪やら甥までに電話が行くそうです。何故なら、彼らに面倒が見られないかと言う事でです。私の心の拠り所は、今は訪問看護師さんと妹だけです。でも私はまだ彼女らが居て来れます。だから、まだマシな方です。まあ、それまでに生活保護課から渡されて居る書類に書き込みをしなければ成りません。其れと、低所得者に対する給付金5万円の書類も来て居るので、其れにも記入して1月30日までに、銀行の通帳のコピーと共に送らなければなりませんが、、皆さんは、私は日常生活を安泰に送って居るとお思いでしょうけど、私は毎日、布団にくるまって、寝て居る毎日を過ごして居ます。もう、何もしたくは無いのですよ。おそらくは鬱でしょうね、、ただ鬱だと主治医に言いたくありません。前に薬を出して貰ったら躁状態が続き。美容室でベラベラ話して仕舞い。疎まれて嫌がらせをされて、そこの美容室へは行かなく成ったと言う事があったのです。今だってそことは別の美容室ですが、そこは表上は好意的ですが、実は私の病気を知って居ますよ。なぜ知ったかは、よくは解りませんが多分近所の人からの噂と、私のblogを見たのでは無いでしょうか?現に嫌なことをたまに言われますから。私が人を見たと言ったら、「其れってkiyasumeさんだけに見える人なんじゃないの?幻覚なんじゃ無いの(笑)」とかね。統合失調症患者が見る幻覚は、人としてはっきりは見えないんですよ・・・。
半透明に見えるとか、部分的に3、4秒見えるとかね。処で此間は、訪問看護師の優しい人が、私の食料品の買い出しに、付き添って、スーパーまで行って来れました。この看護師さんは足が悪いんですよね。だけども、天真爛漫な所があります。でもね恐らくは、辛い毎日を過ごして来ての、生き方の方便なんだと思います。私はなんかこの人が寂しげに見えて仕舞います。彼女は旦那が居て、小学校4年生の女の子が居ます。此間「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の劇場版が「金曜ロードショー」で放映すると教えたら、その人がお子さんに言ったら、彼女はそのアニメ映画の大ファンで、「自分は知らなかった、、」と、吃驚して居たので。妹から貰って居た。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のチラシのファイルと、非売品の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のノートを子供に上げて下さいと渡したら。お子さんは「えっ!何でお母さんが、私の好きなアニメ知って居たの???」と驚いて居たので、「此れね、お母さんが見て居る患者さんでいい人が居てね、お前に暮れたんだよ!」と言ったら「嬉しい!!」と言ってその子はなんか宝箱と称した箱を持って居て。その中に大切に閉まって、「ありがとう!!」と嬉しがって居たとの事でした。その話を妹にしたら「私が上げたものを宝物にして来れたなんて嬉しい」と言って居ました。私も人に上げたものが素直に嬉しがって貰えて。幸せな気持ちに成りました.....。
ただね、此間連絡して言ったのですが。私はあるMPO団体に、毎月僅かばかりのお金ですが、恵まれない子供に寄付をして居たのですが。其れをもう出来ないと断りました。生活保護の身ではもう上げる事は出来ませんから、、そうしたら、子供たちの写真と共に手紙が来ました。その手紙には・・・・。おじちゃん・・・・。ありがとう・・・と書いてありました。皆さんに言いたいです。もし自分のお子さんが飢えに苦しんで居たとしたら・・・・。日本にも、3食食べられない子供たちが居るんですよ。しかも、日本の子供の7人に1人は、母子家庭などの理由で、満足に生活が出来ない子供達が居ます。皆さんは日々満足に食事はして居るでしょう?犬や猫に食事を与える事は出来るでしょう???例え僅かなお金でいいんです。どうか子供達を救う手助けをして居る、MPO法人に寄付をしてやって下さい。今は、子供に満足に食事を上げられない家庭に向けて、食料を配って居る団体やら、親御さんがパートで働いて居て、その間、食事も出来なく、勉強、宿題も出来なく成って居る子供向けに、MPO団体が施設で勉強を見てあげたり。夕食を一緒に食べたりして居るMPO団体が有ります。調べれば解ります。どうかそう言う所へ寄付をして上げて下さい。今回のエッセイは此処までとします。あとは、ジャズ喫茶論です。
ジャズ喫茶とはどう言う所か、ジャズ喫茶の過ごし方などが書いて有ります。厳密に言えば音楽喫茶の事を紹介したかったのですが、昨今は、音楽喫茶はこの「ジャズ喫茶」と「ハードロック・カフェ」ぐらいしかありません。昔は「映画音楽喫茶」とかクラシックを聴かせる「名曲喫茶」だとか、「ブルース喫茶」だとか「カンツオーネ」を聴かせる喫茶店だとかが有りました。今は、年配の方達がよく通って居る「歌声喫茶」などが有ります。其れは今は、スマホのストリーミングで色々な国の色々な音楽が聞ける時代です。ですが何で今、ラジカセが再びブームなのでしょうか?レコードがブームなのでしょうか???人々は気づいたんですよ。音楽には形があるものだとね。スマホで聴く音楽は、ストリーミングは単なるデーターです。ラジカセで聴くカセットテープは形が有ります。レコードは、形が有ります。何でも無駄を省けばいいと言うものでは有りません。今は昭和レトロが全世界的に再注目を浴びて居ます。そして、昔のラジカセやら、レコードが再び注目されて居るのですよ。アメリカではCDが全く売れずに、レコードのプレスが過去と比べて2倍の量になったそうです。最近の若者たちは気付いたんですよ。昔のものの方が良かったと・・・・・。音楽の質も、今流行りのヒップホップも良いけど。昔の歌謡曲も良いと気づいた若者たちが居るんです。音楽は決して粗野なものでは有りません。音楽とは思想です。芸術という名の思想なのです。。。其れでは、ジャズ喫茶論をどうぞ・・・・・。( ◠‿◠ )
===『ジャズ喫茶について』===
キーワードは「多面性」
ジャズ喫茶についての本はいろいろあるが、その歴史や特徴についてまとめたものとなると、まずはマイク・モラスキーの『ジャズ喫茶論』(筑摩書房・2010年)と後藤雅洋の『ジャズ喫茶リアル・ヒストリー』(河出書房新社・2008年)の2冊を挙げなければならない。
早稲田大学国際教養学部教授のマイク・モラスキーはかつて熱烈なジャズ喫茶愛好家であり、後藤雅洋は今年で創業51年目を迎える東京・四谷のジャズ喫茶『いーぐる』の店主だ。
この2冊はともに著者の豊富な知見をもとに可能な限り公平かつ客観的な視点からジャズ喫茶の姿を後世に伝えようとして居る事から、ジャズ喫茶を知るためには必須の参考資料となって居る。
ただ、モラスキーの『ジャズ喫茶論』については、此処数年、気になる読者の反応をSNS(Twitter)で見かける様になった。
それは、同書への読後感想として「ジャズ喫茶と言うのは頑固なジャズ喫茶店主が客に自分の意見や趣味を押しつける場所と言う事が解った」と言った類のものだ。さらに「戦後日本のジャズ受容の歴史において、ジャズ喫茶は文化的な抑圧装置として機能した」と言った趣旨の発言もときどき見かける様になった。
SNSだけではない、ジャズ喫茶を紹介するメディアの中にも「かつてのジャズ喫茶は禁欲的な聴き方を客に強要する空間だった」と言う視点をときどき見かける様になった。
この様な現象には同書の影響力も一役買って居るのではないかと思う。
しかし、それは同書を読み違えて居ると言うのが私の見解だ。確かにその様に受け止めてさせてしまう部分もあるが、注意深く読んでみると著者の本意がそこにあった訳では無い事が解って来る。
では何をもって「読み違い」と私が判断するのか、この点を中心にこれから書いて見ようと思う。
本書は8つの章立てで構成されて居る。
- 第1章 あるジャズ喫茶初体験記
- 第2章 ジャズ喫茶とは何か
- 第3章 ジャズ喫茶人
- 第4章 基地の町から響くジャズ
- 第5章 目で捉える音
- 第6章 白黒からの脱却——前衛映画とフリージャズ
- 第7章 今治に行け
- 第8章 新たなジャズ喫茶史へ
第1章「あるジャズ喫茶初体験記」は、1976年にアメリカから日本にやって来て東京で暮らすようになった著者が、新宿で初めてジャズ喫茶の存在を知り、その日本独特の空間に違和感を覚えながらも「DIG」「DUG」「木馬」「ポニー」「タロー」「びざーる」などに常に出入りする様になったこと、そしてジャズ喫茶の魅力に憑かれ、日本国内を旅するときには行く先々の町でジャズ喫茶を探し出し、訪ねるようにまでなった事などが書かれて居る。
第2章「ジャズ喫茶とは何か」は、ジャズ喫茶の定義と歴史について述べたものだ。著者は、ジャズ喫茶の定義を簡潔にまとめると「ジャズ喫茶——客にジャズ・レコードを聴かせることが主な目的である喫茶店」と言う事になるとし、ジャズ喫茶が生まれたと言われる昭和初期から、全盛期であった1950年代末期から70年代初期までの、ジャズ喫茶の変遷が説明されて居る。
第3章からは、ジャズ喫茶店主へのインタビューから得た情報も踏まえながら、より具体的に踏みこんで「ジャズ喫茶像」を描きだす試みが展開される。
そしてこの第3章が読者にとってもっともインパクトの強い内容になっており、一部の読者が「読み違え」をしてしまうその大きな原因は、この章にあるのではないかと私は思う。本書の印象を決定づけてしまうほど、この第3章は重要なのだ。
「ジャズ喫茶人」と言うタイトルがつけられた第3章は、冒頭で京都のあるジャズバーのマスターのエピソードが紹介される。
これは和歌山で1978年から営業を続けているジャズ喫茶の経営者夫妻の体験を再現したものだ。以下、少し長くなるが重要な部分なので要約なしで引用する。
たまたま夫妻が入店したとき、ほかに若い常連客らしい一人しかいなく、彼はバーカウンターを挟んでマスターと向き合いながらさんざん叱られていた。和歌山からの来店者がお店のドアを開けたとたん、最初に耳に入ったのはがんがん鳴るジャズレコードではなく、マスターの怒鳴り声だったのであるーー「お前は、ジャズのことは何も分かっておらんじゃないか!」と、若い客を罵っている。客が黙り込み、説教が続く。「なんで同じことを何度も教えなければならないのかよ!」などなど。
夫妻は入店したもののさすがに帰ろうと考えたが、狭いだけに一旦入ってしまえば帰りにくく、躊躇しながらカウンターに腰を下ろした。説教の合間におずおずと注文してみた ーー「あのー、すみませんが、ビールを‥‥‥」。だが、無我夢中のマスターは、「待ってくれ」と注文をはねのけ、そして紙二枚と鉛筆二本を取り出し、ふたりの前にボンと置き、「まず、君たちにとって「ジャズとは何ぞや」を、ちゃんと書いてくれ」と命令する。あっけに取られながら仕方がなくふたりは、一応、命令に従い、書き終えてからマスターに「答案用紙」を渡す。
マスターは読みながら、「うん、うん」とうなり、初めてふたりの顔をまともに見て、「結構ジャズのことが分かってるじゃないか」と言って、ビールをようやく出し、またその客に食ってかかった。「ほら! 彼らはちゃんと分かってんのに、お前はまだ全然だめじゃないか!」と憤慨して、かわいそうな青年をついに店の外に放り出してしまった。
まるで著者本人が此処までのやりとりを目撃したかのような迫真の描写だが、これは和歌山のジャズ喫茶経営者夫妻からの聞き取りをもとに再構成したものだ。
このジャズ喫茶経営者夫妻はこの体験について「少し驚きましたが、ジャズへのこだわりの現れだと思います」とし、「あのこだわりをもって今も元気でジャズ喫茶を守って居る事には脱帽します」と同業者らしいフォローをして居る。
これに対して著者は、このエピソードから次の様なジャズ喫茶論を導き出す。
思えば、「こだわり」という言葉は、ジャズ喫茶を考える上で欠かせないキーワードかも知れない。と言うのは、ジャズ喫茶のきわめて重要な役割は<鑑賞>を奨励し、育成することにあるからである。まず、ジャズを「芸術音楽」として鑑賞できるように、最適の聴取環境を提供することがその一面である。もう一面は、若い「ジャズ初心者」の客たちに対し、ジャズの「芸術性」に目覚めるように、つまり鑑賞できる力を育成するように、マスターが誘導することである。結局、ジャズ喫茶であろうと名曲喫茶であろうと、<鑑賞>にまつわるこの二つの面は、昭和初期から現在に至るまで、音楽喫茶の存在理由のひとつであると言っても過言ではないだろう。
ただし、マスターのこだわりが強いからと言って、正真正銘の「通」だとは限らないだろう。また、ジャズが「分かる」「鑑賞できる」客を育てると言うより、単に自分と同じこだわりを共有する客層を作っているだけだ、と勘ぐりたくなる。感化されやすい若者たちを閉鎖的な空間に押し込め、自信たっぷりの、個性の強いマスターのお説教にしょっちゅうさらすという状況なので、その恐れは大いにあるのではないだろうか。カルトまでいかないにせよ、その密閉された空間と絶対的な忠誠心を強要するところに、ジャズ喫茶と宗教の場と類似性を見出すこともできよう。愛媛県新居浜市にある「サンジェルマン」の秦正義店主がジャズ喫茶に入った始めの頃「何だか新興宗教に入ったみたいな感じがした」、と振り返っている。
そしてさらに著者は『「ウルサイオヤジ」の例を紹介しよう』と、もう一人のマスターのエピソードを紹介する。引用が長くなってしまうが、本書をまだ読んでいない方に説明するためには重要な部分なのでご容赦いただきたい。
上述の京都の店主は確かに極端だが、同時にひとつの「ジャズ喫茶オヤジ」のステレオタイプを無意識に演じているようにも思える。その役とは、ジャズ喫茶に限らず、おそらく東アジア文化圏全般で見られる型だと思う。武道などでの師弟制度の典型的な「厳しい師匠」が好例だろうーー初めに師匠は怖く近づきにくいが、弟子が忠誠心とマジメさを十分に実証すれば、師匠は面倒をよく見てくれるし、ときに案外優しい側面も見せる、と言うステレオタイプである。「ジャズ喫茶のウルサイオヤジ」もこの型の流れに位置づけられるのではないか、と私は考える。少なくとも、客との知恵/知識の差に基づく上下関係(力関係)、そして客に服従心を求める代わりにその「道」の真髄を教えてやる、と言う態度に共通点を見出すことができるのではないだろうか。
そう言えば、東日本のあるジャズ喫茶のインタビューで、当店は以前<私語禁止>の方針を厳守していたと聞いたとき、私は「それなら、マスターは客たちとほとんど会話を交わさないと言う事でしょうか」と質問したが、それに対しマスターが「いいえ、話しますよ。ただ、やっぱり三年ぐらい通い続けてもらわないとね‥‥‥」と、マジメに答えたことに愕然とした。なるほど、門前払いされてから三日間通い続ける、では足りず、ジャズ喫茶の場合は三年必要と言う訳か。さすがに厳しい世界である。それならジャズ喫茶のオヤジは怖い、と言うイメージが定着するのも無理ないだろう。しかし、客が頑張って通いつめたら、いつかマスターに声をかけていただけるかも知れないではないか!
その話を聞いた私は、心のなかで次のように叫んだのであるーー「いったい何様だと思ってんだよ! お前はいつからジャズの大先生になったと言うのか。確かにレコードはたくさん聴いている。本や雑誌も読んでいるおかげでジャズの雑学や、そのうんちくぐらいは披露できる。しかし、長年自分の店で従順な客に囲まれ、ろくな挑戦を受けたことはないじゃないか。空手に喩えれば、独学で型ばかりを覚え、黒帯を武道用具店で買って来て自分の道場を開き、一度も実践に臨んだことがないのに、おとなしい弟子たちの前で大威張りに威張るようなものじゃないか!」などなど、次々と込み上げてくる反発的で無礼な言葉を抑えるのに必死だった(これゾ、ジャズ喫茶非国民の真髄!)
著者が「何様と思ってるんだ」と憤るように、此処で登場する2人のマスターはすこぶる感じが悪い。おそらく読者の大半も同感だろう。
ジャズ喫茶を体験した事のない読者の大半は、此処まで読んで来て、ジャズ喫茶とはそう言う場なのかと認識してしまうだろう。
また、「やっぱり自分が漠然と抱いていたジャズ喫茶のイメージは間違っては居なかったのだ」と再確認できた思いになる読者も居るだろう。
しかし、次の箇所でそれまでのエピソードの意味が一変する。
言うまでもなく、ジャズ喫茶は以上のようなマスターばかりではない。全体をみればそんなマスターは少数にちがいない。本書のために私が行なった百数十軒のジャズ喫茶店主とのインタビューの経験からすると、確かに一匹狼で、しかも変わり者が多いことは否定できないが、実際にお会いし、しばらく話していて不快な思いをしたことはめったになかったことを付け加えるべきだろう(むしろ、私が相手に不快感を与えたのかもしれないが)。また、上記のマスター二人とも直接会ってインタビューしたのだが、いわゆるクセモノで社会的に不器用ではあるという印象は否めないが、決して悪い人たちではないと思ったし、彼らが私に対して、資料をくれたり、ほかの店のマスターを紹介してくれたりという親切さも見せてくれたことを付け加えたい。
此処までやや怒りを含んだ言葉で著者は「ジャズ喫茶のウルサイオヤジ」について語ってきたのだが、「全体をみればそんなマスターは少数にちがいない。」と証言しているのだ。
「若者たちを閉鎖的な空間に押し込め、自信たっぷりにお説教する」ジャズ喫茶オヤジは少数派なのだと言う事になると、その他多数の、一般的なジャズ喫茶店主はそうではないと言う事になる。
ではなぜ、少数派のジャズ喫茶オヤジをここで取り上げたのかについて著者はこう説明している。
ただ、いくら少数派だったとはいえ、60-70年代の硬派ジャズ喫茶では、マスターが威張っていて怖い、と言うイメージが実際に定着したため、それが当時のジャズ喫茶を考える上で無視できない現象であることに変わりないだろう(ちなみに、東京四谷の「いーぐる」のマスター後藤雅洋は、このイメージを皮肉をこめて逆用し『ジャズ喫茶のオヤジはなぜ威張っているのか』と言う本まで出している)。
此処で注意が必要なのは、本書では一貫して「硬派のジャズ喫茶」と「ジャズ喫茶」を区別して慎重に表現を使い分けている点だ。
しかし、このような使い分けを注意深く読み取れるのは、私のようなジャズ喫茶オタクの類の人間だけであって、ジャズ喫茶経験のない読者には、「硬派なジャズ喫茶」と「ジャズ喫茶」の区別はおそらくつかないだろう。それらを一つにひっくるめて「ジャズ喫茶」と読んで仕舞うのではないか。
著者によると「若者たちを閉鎖的な空間に押し込め、自信たっぷりの、個性の強いマスターのお説教にしょっちゅうさらすと言う状況」を作り出して居たのは、全体から見れば少数の「硬派なジャズ喫茶」だったと言う事なのだが、そうとは読めずに、60-70年代のジャズ喫茶そのものが閉鎖的で抑圧的な空間だったと理解されて仕舞うおそれがあるのではないだろうか。
そして、著者の筆の運びを素直に読んで行くと、そのように読めて仕舞うのも無理はないとも思う。つまり、本書第3章のこの部分は読者の誤読を誘うような構造になって仕舞って居るのだ。
ジャズ喫茶の姿を後世に正確に伝える為には、まずは分母の最も大きな集団の形態について紹介し、その上でごく少数の特殊な存在として「硬派なジャズ喫茶」について言及する方法が適切だろう。
では、分母のもっとも大きな集団としてのジャズ喫茶とはどの様なものであったのか。
実は、本書はそのことを調査する為に取材を重ね、多くの紙数を費やしてまとめたものなのである。
マイク・モラスキーは、本書の「はじめに」でこう書いて居る。
拙著で発表したジャズ喫茶論の分析および批判は、かなり的を射ているといまだに思っている点もある。とは言え、実は刊行当時からいくつかの欠点を気にしていたので、いつか徹底的かつ総合的なジャズ喫茶論を書きたい、と内心思い続けていた。その主な欠点と言うのは、ジャズ喫茶の多面性を十分に描けなかったことである。同書での試論は主に自分の体験を中心にしていたので、もっと多様な体験と視点を取り入れてからジャズ喫茶を再考したいという願望が日に日に強くなった。とくに、東京以外のジャズ喫茶を調査する余裕がなかったために、わがジャズ喫茶論がかなり偏った結果になった、と反省していた。本書は、そのような欠点を正す新たなジャズ喫茶論への第一歩だと考えていただきたい。
つまり、本書のキーワードは「ジャズ喫茶の多面性」なのである。
この引用部分にある「拙著」とは、『戦後日本のジャズ文化』(青土社)の事だ。これはマイク・モラスキーが戦後日本の文化における「映画・文学・アングラ」についてジャズ受容の歴史と絡めあわせながら論じたもので、同書では、日本のジャズ受容の過程で独自な形で発達し、戦後日本のある期間において一つの文化的装置として機能したジャズ喫茶についても言及して居る。
著者自身が評価するように、『戦後日本のジャズ文化』で展開されて居るジャズ喫茶論は、のちの『ジャズ喫茶論』とベースとなる部分は同じなのだが、いわゆるフィールドワークの面で弱い点がある。そこに新たな知見を加え、補強してまとめようとしたのが本書である。
恐らくジャズ喫茶の多面性を述べる為に、「ジャズ喫茶人」という章を設けて「こんな<ジャズ喫茶人>もいる」と言う一例として、若者を罵倒する京都のジャズバーのマスターのエピソードを紹介したのだろう。
だが、誰が読んでも強烈な不快感を覚え、ジャズ喫茶に対するネガティブな印象を増幅させるエピソードを「ステレオタイプ」なジャズ喫茶オヤジとしていちばん最初に並べて仕舞った為、結果として「ジャズ喫茶のマスターってイヤなオヤジだ」「ジャズ喫茶って不快な場だな」と言うイメージを植えつける効果をもたらして仕舞って居る様に見える。
しかもそこはジャズ喫茶ではなくジャズバーである事が残念だ。
客である若者を怒鳴りつけ、初めて訪れてきた夫婦にも尊大に振る舞う京都のマスターの店はカウンターのみの狭く小さなジャズバーで、これは酒場だ。喫茶店と酒場では、店主と客とのコミュニケーションの質や濃度が可成り違う。
ジャズ喫茶の誕生から現在にいたるまで、ジャズ喫茶の魅力とは千差万別のその個性にある。多様性こそがジャズ喫茶の魅力なのだ。
ジャズ喫茶は禁欲的と言う誤解
京都のジャズバーで繰り広げられたパワーハラスメント的な光景を取り上げた後、著者は「ジャズ喫茶と学校」について論じはじめる。
その際に引き合いに出されるのが、日本文化研究者のエクハート・デルシュミットが1998年に発表した1950-1980年代のジャズ喫茶の変貌についてまとめた論文だ。
これは『戦後日本のジャズ文化』でも紹介されていた論文で、モラスキーによると、ここでデルシュミットは、50年代のジャズ喫茶は<学校>であり、60年代は<寺>だったと言う論を展開している。
デルシュミットによると50年代のジャズ喫茶マスターは客にとっては「教師」であり、ジャズ喫茶はジャズを勉強する「学校」として機能していたと言う。そして60年代になると「アルコール類の飲み物を出さない禁欲的趣向と店内の規則減収を徹底する「マスター」をありがたく推し戴く、<お寺>やカルトなみの宗教的空間のジャズ喫茶が増える。」としている。
ただ、よく誤解をされやすいのだが、デルシュミットがジャズ喫茶を<学校>であるとしたのは1950年代の期間であり、その後ジャズ喫茶は、60年代は<寺>、70年代は<スーパーマーケット>、80年代は<博物館>と、10年刻みでその機能が変化しているとしている。
つまりジャズ喫茶が抑圧的であったり禁欲的だったのは50〜60年代の事であり、それ以降はそのあり方が変質して居るとしているのだ。
これに対してモラスキーは、「十年ごとにきれいに入れ替わると言う主張には問題があると思う」としながらも「戦後四十年間の大まかな流れをよくまとめていると思う」とデルシュミットの分析を肯定的に評価している。
その上で、「一種の硬派な店」では、<学校>と<寺>という二つの役割が融合して居たと見る方がより実態に近かったとし、次のようにデルシュミットの「ジャズ喫茶=寺、学校」説を強化している。
例の京都のマスターの発言に反映されているように、ジャズ喫茶店主の大事な役割のひとつは、顧客に「ジャズの真髄を教える」ことだと考えたら、60年代であろうと70年代であろうと、ジャズ喫茶はあくまでも<教育の場>として機能し続けていったことになるのだろう。ただ、その<教育の場>は普通の<学校>と言うよりも、禅寺並みの厳格なる環境で、厳しい師匠の許で<ジャズ道>を追求すると言う特殊な教育の場である、と言う事になる。
読者によっては、このモラスキーの一文から「昔のジャズ喫茶は、ジャズを学ぶ学校だったのだ」と受けとめる人も少なくないだろう。
此処でモラスキーは、60-70年代前半のジャズ喫茶の客は音楽を楽しむために通って居たのが大多数であり、「まったく根拠のない数字ではあるが」と断った上でそれが70-80%だったと推定し、当時のジャズ喫茶の客を次のように分類、分析する。
- ジャズ音楽を単に楽しむための場。
- ジャズ的生き方(ジャズ哲学なるものを)学ぶ場。
- オーディオを楽しむための場。
- ジャズ音楽を勉強および鑑賞するための場、あるいはジャズが鑑賞出来る様にその能力を育成する場。
- ミュージシャンとして上達するための意味での<ジャズ学校>。
- インテリや文化人に憧れる若者にとって<文化資本>を蓄積する場。つまり、ジャズ喫茶に通うことによってステータスが上がることが期待できる場。
- 違う表現(執筆や演劇など)のための刺激を与えてくれる場、<文化の拠点>としての場。
- 狭い部屋に住む学生にとって、気分転換や暇つぶしの場(コーヒー一杯の注文で長時間座っていられる魅力)
- フーテン、つまり不良少年・少女のたまり場、時間つぶしの場。
- ファッションとしての場(「ジャズ喫茶に行くのが格好いい」)。
- 地方のジャズ喫茶では<都会の匂い>を嗅がせてくれる場。
著者のこの分析はかなり的を射たものだと思う。
私自身の体験と照らし合わせても(私の場合はジャズ喫茶通いを始めたのは1977年頃からだが)、やはりジャズ喫茶にやって来る客はこんな感じだったように思う。さらに言えば、(1)と(2)の両方を兼ねた者とか、上記の傾向を複数備えた客がむしろ多かったのではないかと思う。
ジャズ喫茶の誕生から現在にいたるまで、ジャズ喫茶の魅力とは千差万別のその個性にある。多様性こそがジャズ喫茶の魅力なのだ。
中古DVD店の店の中。
以前中古DVDを購入しました。前に購入しようとしたが無かった為。中古であったので購入しました。つげワールドを石井輝男が映像化して居ます。「季さん一家」「赤い花」「ゲンセンカン主人」「池袋百点会」の4編のつげ義春の漫画を実写映画として撮って居ます。つげ義春に限らず「ガロ」に連載されて居た漫画は映像化されやすいので他にも鈴木翁二の「オートバイ少女」とか「ガロ」の30周年記念にあがた森魚が監督して居ますね。持って居ますが。今は廃盤でプレミア価格が付いて居ますね。「ガロ」で発表された漫画はどれも実写化出来る作品が多いです。。。
===『哲学者・吉本隆明』===
数十年前、当時のニューアカの中心人物だった浅田彰や中沢新一、また彼らの後見人的存在の蓮実重彦や柄谷行人らも含めて、彼らは吉本隆明という巨大な存在に対する思想的カウンターパートとして出てきた側面があり難解なものをいかにわかりやすく説明するかと言う事が一つの流行になって居た事もあった。吉本隆明は知の巨人でした。
吉本隆明。
詩人、評論家。東京に生まれる。東京工業大学電気化学科卒業。いくつかの会社を組合運動で追われるが、その間、戦中世代として受けた敗戦の衝撃からの精神的転機を図る思想劇ともいうべき、詩集『固有時との対話』(1952)、『転位のための十編』(1953)、評論『マチウ書試論』(1954)などを発表して注目された。ついで、戦後革命とその挫折(ざせつ)を弾劾する論拠として、戦前戦後のマルクス主義文学者の戦争責任を糾明する評論『文学者の戦争責任』(1956)から、さらに転向の原因を権力の強制による屈服とする通説に反して、大衆からの知識人の孤立として剔抉(てっけつ)する評論『転向論』(1958)に及ぶ、非共産党左翼の思想と論理の確立に努めた。安保闘争に際して「全学連」を支持し、1961年(昭和36)「自立」を掲げ、谷川雁、村上一郎(1920―1975)と『試行』(1964年に個人誌に切り換え)を創刊。「大衆の原像」論の視点から『日本のナショナリズム』(1964)、『自立の思想的拠点』(1966)の刊行を経て、それを『共同幻想論』(1968)の刊行によって結実する一方、文学における言語表現の分析『言語にとって美とは何か』(1965)、心的世界の解明『心的現象論序説』(1971)の刊行によって既成のプロレタリア芸術論を排した。その後、多様化した評論活動として、『源実朝(さねとも)』(1971)、『源氏物語論』(1981)等の古典文学論、『最後の親鸞(しんらん)』(1976)、『〈信〉の構造』(1983)等の宗教論、『悲劇の解読』(1979)、『宮沢賢治』(1989)等の現代文学論、『マス・イメージ論』(1984)、『ハイ・イメージ論I・II』(1989、1990)等の大衆論と表現論を融合する取組み等、文学と思想の浩瀚(こうかん)な著書によって、不断に革新の展望を開いた。
吉本隆明、全著作。
『吉本隆明全著作集』15巻・続3巻(1968~1975、1978・勁草書房) ▽『吉本隆明全集撰』全6冊(1986~1988・大和書房) ▽吉本隆明研究会編『吉本隆明が語る戦後55年』1~12(2000~2003・三交社) ▽『吉本隆明全集』38巻・別巻1(2014~ ・晶文社) ▽『共同幻想論』改訂新版(角川文庫) ▽『心的現象論序説』改訂新版(角川文庫) ▽『マチウ書試論・転向論』(講談社文芸文庫) ▽『源氏物語論』(ちくま学芸文庫/洋泉社・MC新書) ▽『ハイ・イメージ論1~3』(福武文庫/ちくま学芸文庫) ▽『宮沢賢治』(ちくま学芸文庫) ▽吉本隆明著『わが「転向」』(文春文庫) ▽『定本言語にとって美とはなにか1~2』(角川文庫) ▽鮎川信夫著「吉本隆明論」(『吉本隆明詩集』所収・1958・ユリイカ) ▽磯田光一著『吉本隆明論』(1971・審美社) ▽菅孝行著『吉本隆明論』(1973・第三文明社) ▽埴谷雄高著『吉本隆明を「読む」』(1980・現代企画室) ▽好村冨士彦著『真昼の決闘――花田清輝・吉本隆明論争』(1986・晶文社) ▽神山睦美著『吉本隆明論考――了解を基礎づけるもの』(1988・思潮社) ▽松岡祥男著『吉本隆明と吉本ばななのあいだ』(1990・大和書房) ▽鷲田小弥太著『吉本隆明論――戦後思想史の研究』(1990/増補版・1992・三一書房) ▽斎藤慎爾編『埴谷雄高・吉本隆明の世界』(1996・朝日出版社) ▽吉本隆明・吉本ばなな著『吉本隆明×吉本ばなな』(1997・ロッキング・オン) ▽芹沢俊介著『主題としての吉本隆明』(1998・春秋社) ▽小浜逸郎著『吉本隆明――思想の普遍性とは何か』(1999・筑摩書房) ▽岡井隆著『吉本隆明をよむ日』(2002・思潮社) ▽竹田清嗣著『世界という背理――小林秀雄と吉本隆明』(講談社学術文庫)』
昔買った、「共同幻想論」のCD-ROM.
✳︎「共同幻想論」とは。
共同幻想論とは、幻想としての国家の成立を描いた国家論である。当時の国家論は、集団生活を成立させる機能として国家を作ったと言う社会契約説や、国家とはブルジョワジーが自分の既得権益を守るために作った暴力装置であるというレーニン的な国家論が一般的であった。つまり、国家とはルール体系であり、機能性を重視したシステムなのである。しかし、吉本は、国家とは共同の幻想であると説く。人間は、詩や文学を創るように、国家と言うフィクションを空想し、創造したのである。これはルイ・アルチュルセールのイデオロギー装置論に似ている。人間は自分の創り出したフィクションである共同幻想に対して、時に敬意を、時に親和を、そして時に恐怖を覚える。特に、原始的な宗教国家ではこれは顕著である。その共同体で、触れたら死ぬと言い伝えられている呪術的な物体に触れたら、自分で本当に死ぬと思い込み、心的に自殺すると言う現象も起こりうる。個人主義の発達した現代でも、自己幻想は愛国心やナショナリズムと言う形で、共同幻想に侵食されている。共同幻想の解体、自己幻想の共同幻想からの自立は、現在でもラジカルな本質的課題であると吉本は指摘している。
吉本は血縁・氏族的共同体(家族)が、地縁・部族的共同体(原始的な国家)に転化する結節点として、兄妹・姉弟の対幻想に着目している。兄妹・姉弟の対幻想は、夫婦の対幻想とは違って、肉体的な性交渉を伴わない対幻想なので、いくらでも無傷に空間的に拡大できる。兄妹・姉弟の対幻想が、他家との婚姻と言う形で空間的に拡大しているため、国民は心理的な一体感を共有し、幻想としての国家が成立するのである。逆に言えば、原始的な国家の成立は、兄妹・姉弟の近親相姦が自覚的に禁止されたときに求められる。中上健次の「国家は白昼に突発する幻想化された性なのだ」と言う言葉は、このことを指している。
また、吉本にとって、高度な経済力や科学力を持っていた近代国家である戦前の大日本帝国が、やすやすと天皇制と言う、宗教性の強い古代・中世的な政治体制やイデオロギーに支配されてしまったことは大きな難問だった。吉本は、宗教・法・国家はその本質の内部において、社会の生産様式の発展史とは関係がないと主張し、政治体制は経済体制に規定される(唯物史観)とするロシア・マルクス主義を批判する。その試みは、吉本にとってロシア・マルクス主義からの自立であって、少年期に骨の髄まで侵食された天皇制と言う共同幻想を意識化し、対象化し、相対化しようと言う試みでもあった。
ブルースハープ (Ten Holes Diatonic Harmonica) はおそらくもっともハーモニカの原型に近い楽器だと思われる。長さ10cmほどの掌におさまる大きさで、正面から見ると10個の穴が一列に並んでいる。ブルースで使われることが多いことからブルースハープと呼ばれるが、この名称はホーナー社のモデル名および登録商標である。最近ではテンホールズという呼称も定着してきた。
一つの穴の上面と下面に互いに逆向きにリードが取りつけてあり、吹いたときと吸ったときで違う音が出る。音の配列はメジャー・スケールに沿ったもので主要なモデルにはGからF#まで各調が用意されている。10穴で3オクターブをカバーするため実際の音配列は少し変則的であり、C調を例にとれば以下のようである。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
吹音 | C | E | G | C | E | G | C | E | G | C |
吸音 | D | G | B | D | F | A | B | D | F | A |
つまり3オクターブと言っても完全な音階が吹けるわけではない。その代わり3つの穴をまとめて吹けばトニック・コード、2-4番(1-3番)をまとめて吸えばドミナント・コード、4-6番(8-10番)をまとめて吸えばサブドミナント・コードとなる。
ダイアトニック・ハーモニカのバリエーションとして少し小さめのポケットモデルや12穴や14穴に拡張した大型のモデルもある。また4穴のミニハーモニカはアクセサリーとしても人気があり各種発売されている。
マイナー・キー配列の10穴ハーモニカの代表的なモデルとして、トンボの、「メジャー・ボーイ」の Minor Key 版がある。以前は「マイナー・ボーイ」と言う機種名だったが、統合された。海外では、この「メジャー・ボーイ」と「マイナー・ボーイ」の名称自体、スラングに起因する性的侮辱的な名称としてとらえられ、商品に対する印象として非常に良くないため、 【ウォー】 のハーモニカ奏者であるリーオスカー が彼のソロ・アルバムで「マイナー・ボーイ」を使って脚光を浴びたのをきっかけに、トンボは リー・オスカー と契約を結び、リー・オスカー・ブランド をトレードマークとして使用することで海外進出を図った。 「リー・オスカー」と「メジャー・ボーイ」はケースと表面プレートは異なるが中身は「メジャー・ボーイ・シリーズ」と全く同一のリード・プレート、同一素材同一形状のコームを使用している。日本で一般的な「マイナー配列」(Minor Key Harmonica / Harmonic Minor Key Harmonica)の他に、「ナチュラル・マイナー配列」(Natural Minor Key Harmonica)もあり、海外では「ナチュラル・マイナー配列」の方が一般的に使われている。
kiyasumeのハーモニカソロ
3年前のkiyasumeの写真。髪を染めてないので白髪で白いです。。。
George Harmonica Smith Summer.flv
Boogie'n With George
George "Harmonica" Smith - Blowin' The Blues
Little Walter - Hound Dog Taylor - Odie Payne ( Walter's Blues Live )