信楽寺に入ると,みかえり観音さんが目に入りました。蓮の葉を持って、右に顔を向けててたたずんでいました。観音さんのやさしい顔を見て、手を合わせました。
本堂の左手の奥に、おりょうさんの墓がありました。
―――おりょうさん(坂本龍子)の生涯―――
おりょうさんは、天保12年(1841)、京都の勤皇派である町医者の長女としてうまれました。父の死後、出入りしていた龍馬の紹介で伏見の船宿・寺田屋の養女となりました。
その寺田屋で慶応2年(1866)1月、龍馬が襲撃を受けた時、急を告げて龍馬をすくいました。その後2人は結婚し、同年3月、霧島への「日本初の新婚旅行」を楽しんだのです。
慶応3年11月、龍馬が京都河原町の近江屋で暗殺されてからは、おりょうさんは、土佐、京都、大阪、東京、神奈川と各地を転々として暮らしていたといわれています。
明治8年(1875)、西村松兵衛と再婚し、明治39年に66歳で亡くなるまでの30年余を横須賀で過ごし、信楽寺に埋葬されました。
おりょうさんの墓碑には、「贈正四位坂本龍馬之妻龍子之墓」とあります。
大津観光協会<かわら版> より
プレ横須賀市制100周年記念で「おりょうさん没後百年祭」があります。
10月1日~8日 <おりょうと龍馬展>
1日 <おりょうと龍馬フォーラム>
7日 <月琴の語りと演奏会>
8日 <坂本龍馬の妻龍子墓前祭>(信楽寺)
<記念講演>
続きは、63の5へ
本堂の左手の奥に、おりょうさんの墓がありました。
―――おりょうさん(坂本龍子)の生涯―――
おりょうさんは、天保12年(1841)、京都の勤皇派である町医者の長女としてうまれました。父の死後、出入りしていた龍馬の紹介で伏見の船宿・寺田屋の養女となりました。
その寺田屋で慶応2年(1866)1月、龍馬が襲撃を受けた時、急を告げて龍馬をすくいました。その後2人は結婚し、同年3月、霧島への「日本初の新婚旅行」を楽しんだのです。
慶応3年11月、龍馬が京都河原町の近江屋で暗殺されてからは、おりょうさんは、土佐、京都、大阪、東京、神奈川と各地を転々として暮らしていたといわれています。
明治8年(1875)、西村松兵衛と再婚し、明治39年に66歳で亡くなるまでの30年余を横須賀で過ごし、信楽寺に埋葬されました。
おりょうさんの墓碑には、「贈正四位坂本龍馬之妻龍子之墓」とあります。
大津観光協会<かわら版> より
プレ横須賀市制100周年記念で「おりょうさん没後百年祭」があります。
10月1日~8日 <おりょうと龍馬展>
1日 <おりょうと龍馬フォーラム>
7日 <月琴の語りと演奏会>
8日 <坂本龍馬の妻龍子墓前祭>(信楽寺)
<記念講演>
続きは、63の5へ
名を成した方の奥様だったことから、おりょうさんは後半生をどのように生きられたのか。。
ちょっとお気の毒な感じではあります。
<おりょうと龍馬展>に行ってみたいと思いました。時間のある日に・・・。