4月21日BSNHKで「謎の民 バイキング」の放映がありました。大航海時代のはるか昔、大海原を誰より自由に旅したバイキング。どう猛で、強欲。略奪の限りをつくした荒くれ者。しかし、最新の研究が明かすのは、バイキングの先進的な社会とビジネスマンとしての姿です。大航海時代よりはるか数百年前、バイキングは巧みな航海術で大海原を誰よりも自由に旅をしました。男女平等が進んだ実力社会だった可能性があります。集会の話合いで争いを解決、平和を求めていた姿も浮かんで来まして、真剣に見入ってしました。
「バイキング、その恐るべき戦法と強さの秘密
口語短歌
「人々が 最も恐れる 機動力 巧みな術で 海越えて来る」
793年、今の英国北部の島にある修道院をバイキングの戦士たちが急襲した日から、中世ヨーロッパ人にとってバイキングは魅力と恐怖の対象となりました。バイキングの墓地や古戦場からは、彼らの鎖かたびら、長い槍(やり)、鋭い両刃の剣などが発掘されています。バイキングの評判は斬新な戦術と高い士気に由来すると専門家は指摘します。バイキングは高い航海技術によって、戦略的に相手より優位に立つことが多かったようです。「人々が最も恐れたのはその機動力」と言われています。「高性能のバイキング船を巧みな航海術で操り、彼らはほとんどどんな土地にでも上陸できた」そうです。
「ヒット・アンド・アウエイ」
口語短歌
「メンバーは 仲間同士の 士気高く 神の殿堂 バルハラ約す」
現地の領主が奇襲の知らせを受け、反撃のために配下の兵士を召集するころには、船はとっくに去った後。残されたのは死体の山と略奪の限りを尽くされた修道院という速攻ぶりです。たとえ戦況が不利でも、北方の戦士たちは逃げずによく戦ったようです。
理由の1つは、仲間内の圧力です。バイキングの軍隊は船ごとに編成され、たいてい同じ村や町出身の男たち数十人で1つのグループを作っていました。同じ船のメンバーはとても親密な関係を持ち、士気はとても高かったようです。バイキングの信仰では、戦死者は神の殿堂であるバルハラに入ることを約束され、終末の日に備えてずっと戦い続けることになります。
「ローリスク・ハイリターン」
口語短歌
「待ち伏せや 奇襲も仕掛け 標的に 豊かになると 信じて襲う」
戦場で臆病な振る舞いをすれば、当人の故郷まで悪評がついて回り、恥と破滅を家族にもたらしてしまいます。こうした固いつながりが生む仲間内での圧力も、バイキングが戦いのさなかにきびすを返して逃げ出すことを阻んでいました。バイキングは金のために海を渡りました。彼らが好んだ標的は、隔絶された修道院や、守りの薄い教会など、比較的無防備で、ローリスク・ハイリターンの場所です。騎士道の感覚はなく、目的を達成するためなら待ち伏せや奇襲もよく仕掛けました。彼らは豊かになるために襲撃に出かけたのです。狂戦士(ベルセルク)はどうでしょうか。戦闘でのどう猛さゆえ、狂気の同義語にもなっているバイキングの伝説的な戦士たちです。
「剣に生きる者は槍に死ぬ」
口語短歌
「狂戦士 ベルセルクとの 称号で 伝説的な バイキングマン」
遺物からは、狂戦士はエリートの戦士階級だった可能性が指摘されています。当時早くも戦闘に適応していた社会の注目すべき特徴です。「ベルセルク」はそもそも「熊のシャツ」の意味で、バイキング時代の彫刻にはクマやオオカミの皮をかぶとの上に被った戦士の描写が多くあります。一般的な武器は槍、投げることもでき、相手の顔やよろいのすき間を刺したりもでき、盾と槍を構えたバイキングは恐ろしい敵でした。 ヨーロッパには「剣に生きる者は剣に死ぬ」ということわざがありますが、バイキングの戦いを再現する有志たちの間では「剣に生きる者は槍に死ぬ」と言われています。
参照
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/030900088/
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