「浅間山明鏡止水」あさまやま めいきょうしすい

「フレンチローズとエコルド・パリ④」~ラパリジェンヌ

「フレンチローズとエコルド・パリ④」~ラパリジェンヌ


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係もありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「アメデオ・モディリアーニ」1884年~1920年
1906年にパリに移動し、パブロ・ピカソといった当時のパリの前衛美術家たちと出会い、活動を始める。モディリアーニのスタイルはカテゴライズするのが難しく、一般的に表現主義か独自のスタイルとみなされている。日本ではマルク・シャガールや藤田嗣治らと同じく、パリ滞在の外国人作家として「エコール・ド・パリ」に分類されて紹介されることが多い。貧困のうちに35歳という若さで死去。モディリアーニは生存中は受けいれられず、死後に評価が高まり、現在のアート・ワールドにおいて、パブロ・ピカソと並んで最も高額なモダニズム作家の1人となっている。2015年11月9日、1917年作の「赤いヌード」はクリスティーズ・ニューヨークで1億7000万ドルで落札された。


「アメデオ・モディリアーニ」
「独自性引き伸ばされた顔や体 不遇な画家は死後に評価も」



「赤い肩掛けを着たジャンヌ・エビュテンヌ」1917年
参照
https://www.artpedia.asia/amedeo-modigliani/

23年7月17日撮影

「ラ・パリジェンヌ」
花色がオレンジと黄色というビタミンカラーのグラデーション。病気や害虫に強いです。特に何もしなくても黒星病にはかかりません。ハモグリガとアブラムシの被害にあいますが樹勢を落とすこともありませんでした。香りは中香なのですが、あまり印象はありません。本当にあまり香らないのか、その花色に気持ちが持っていかれ気が付かないのか。注意して香りを楽しんで貰えたらと思います。
品種名 ラ・パリジェンヌ
咲き方 四季咲き
花色  オレンジと黄色の複色
香り  中香
作出年 2009年
作出者 Dellbard作出国 フランス


参照
https://www.small-rosegarden.com/parisienne19-02/
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