Fさんの家族もしばらくの間そうした「行方不明者」でした。ところが、被災者が郵便局へ届出をしてあれば、家が流されてしまってもその住所に手紙を出すと、避難先の親戚の家や避難所に着くそうで、ネットばかりでなくそういう古典的なやり方で所在をたずねる方法も後になって分かりました。
Fさんは豊間の海近くで、自宅の隣に材木加工の工場を構えて営んでいました。野良や捨てられたイヌやネコを世話するのが大好きで、多いときでは10匹以上いました。特にダニがいっぱい食いついたような弱ったイヌ・ネコをきれいにして元気にしてやるのが生活のハリで、Fさんと会うといつもイヌ・ネコ談義になりました。近所の動物好きの人、子供達も、工場を訪れては可愛がっていたのでしょう。
そのFさんの家屋・工場は津波に破壊されました。
「Fさんと奥様は流されて行方不明」「娘さんは少なくとも無事」との伝聞(うわさ)を得て、十中十、そうであるに違いないと思い込み、葬儀屋さんへも情報を問い合わせていたところ、当のFさんから突然電話がかかってきました。
「生きてたんですか!?」 驚きと歓びのうちにとっさにそう言いそうになり、「ご無事でしたか!」とあわてて言い換えました。
しかし、家にいた奥様、工場で事務員として働いていた奥さんの妹様が津波にのまれ、最近やっと「見つかった」との悲報を聞きました。
「ネコちゃんたちも…ですね?」
「そう、ネコちゃんたちもね、7匹いたの…、みーんな……」そこで電話の声が詰まりました。
一匹のペット、花芽を楽しみにしていた鉢植えでさえ失えば悲しいものですが、ご家族はもとより、家屋・職場、家族同様の多くの動物をいっぺんに喪う現実は、想像を絶します。
Fさんも波にのまれたものの、流れの中にたまたま立っていた一本松の木にしがみついて
奇跡的に助かったのだそうです。体験談を直接聞くと、水の力の脅威と恐怖がまざまざと伝わって戦慄を覚えます。
先日は、ご家族のご葬儀。
娘さんが瓦礫の中からやっと探し出したという数冊のお母様の思い出のアルバムが、泥の中にあったとは思えないほどキレイに拭かれて、陳列されていました。
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