井草幼稚園 ブログ*零れ話つづれ織り~ こぼればなし・つづれおり

避難所へ

先月末、初めて津波被害の沿岸へ行ってみました。一番海沿いの道路はまだ通行止めで、一本陸側の道ですが、いままでなら家や工場や商店が立ち並んで海が見えなかったところから、海が見えます。もう何もないのです。

津波の事実を知らない人が見たら、きっと空爆されたと思うでしょう。
テレビで見る光景そのままですが、現実に見るとやはり印象が異なり、しかし同時に幻のようにも思います。

わずか5分、車で走ってもらっただけで、被害の規模に圧倒されますから、これが東北沿岸何百kmつづくと思うと、震災規模がどれほどのものか気が遠くなります。

福島県いわき市内で最も被害の大きかった、ここ豊間・薄磯地区が知人のEさんの住所でしたが、地域丸ごと家が無いということに地震後しばらくしてからようやく気付き、電話をしてみても「お客様のご都合により通話ができない状態です」というばかり。

消息が分かったのは、インターネット、グーグルの「パーソン・ファインダー」というサイトでした。ここに震災で探している人のフルネームと住んでいる市を入れて、同姓同名の人が載っている情報と合うと、

「この人が生きているという情報を入手した人がいます」

と出ます。これは、あるボランティアが、各避難所に張り出されている手書きの入所名簿をひとつひとつデジカメで撮ってまわり、ネットに掲載しました。それをまた別のボランティアが全て、活字で打ち込んで、検索機能をつけてグーグルが公開したものです。
阪神淡路大震災の時には無かった優れものです。

これに、Eさんのフルネームを入れたところ、家族6人全員「生きている」ということがわかりました。画面には、家族全員の氏名、それぞれの年齢、(今は無い家の)住所が表示されます。
通常なら「個人情報流出」の事態が、「生きている」という生々しい文言を付けられて画面に映し出されると、まさに「生きていた!!」という喝采を呼びます。
場所は、T工業高校体育館。140人が避難しています。
札幌のいとこが何かの役にと送ってくれた下着類の支援物資を持って、その避難所へ行き、Eさんご家族の無事を確かめました。

ちょうどそのとき、体育館に放送が流れました。
「ただいま、仔ヤギが2匹、慰問にやってきました。ご覧になりたい方は入口を出て、校庭側へお出でください」。
体育館に明るい笑いが起きました。
避難所の雰囲気は決して殺伐としてはいませんでしたが、動物がくるとやっぱり心が和みます。
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