生まれ育った町ではないけど
小学2年生から18歳になるまで住んでたところに行ってみた。
昭和の小学生だった私の棲家は、
木造のアパートで、一階は商店が入った商業建物で、
さほど大きくはないけど「市場(いちば)」と呼ばれてた。
八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん、洋品屋さん、乾物屋さん、電気屋さん。
一日中「いらっしゃいませ~」「まいど~」と言う声が響きわたり、
木造の二階の部屋に居ると、どの声がどのお店のオジサンの声か全部わかる。
アパートは八百屋さんの脇に木の扉の入口があり、入ると各部屋の下駄箱がある。
下から上にめくり上げるタイプの木のフタ。
ウチは三人家族で、今だったら入りきらないけど、よく三人分入ってたな。
木製の階段をL字に上がっていくと、2階はアパートになってる。
ウチは最初4畳半だったけど、大家さんの計らいで、後に隣の6畳部屋との境を
ぶち抜いて、2部屋つづきになった。
トイレは共同。廊下の突き当たり左側に個室が4つあり、もちろん和式で、
上に木箱のタンクがあって、鎖のヒモを引くと上からジャーッと流れる。
1番目と2番目の間、3番目と4番目の間の壁に「悲しい裸電球」がボーッと点く。
個室の反対側に男子小用の便器が剥きだしで2つか3つあったかな。
ピンクとか黄色の消臭剤がそこにポンと置かれていて。
私は女子なのでよく覚えてないけど。
子供ながらに4つのトイレを何となく使い分けていて、私は1番目と4番目をよく使ってた。
個室の上部分と下部分に引戸の窓があり、下が開いてると隣のアパートの下の階の窓が
丸見えでイヤだったけど、あっちの人の方がよっぽどイヤだったと思う。
窓開けて、隣のアパートのトイレってイヤよね、絶対。
実は、いまだにそのアパートのトイレの夢を見る。
私にとってそのトイレはトラウマなんだと思う。
決して汚いわけでも怖いわけでもないんだけど…。
すぐ裏に狭い「広場」と呼んでたスペースがあり(なに、この矛盾)
その隣は銭湯だった。もちろん、風呂はついていないのでその銭湯に通ってた。
赤ちゃんの泣き声がエコーかかって、今でも赤ちゃんの声がビルにこだましてたりすると
その頃の銭湯を思い出す。
そんな私が過ごした昭和のアパートも裏の銭湯も、今はすっかりなくなってしまい、
駐車場になってた。廊下の窓から見てたお隣の蔵もなくなっていて、
面影はほとんどないけど、部屋の窓から見えてた隣の古いアパートは
健在だった。屋根の上の鉄製の物干し台は錆びていて使われていないようだけど
そのままの形で残っていた。
時代だな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます