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我が家のリビングにある3ヶ月カレンダー🗓️
去年の、、これが最後の1枚でした☟
写真は、ドイツ🇩🇪 フランクフルトのクリスマス🎄の様子〜そう!ドイツはクリスマスマーケット発祥地ですね。ドイツに一緒に行った友だちと、その時期にまた行きたいね!と、会う度にそんな話をする。
なので、、捨てずに引き出しに入れました行ける日が来たら♡と、、思いつつ、、何年も経った。ブログは備忘録なのでいつか実現した時のために書いておくの。
でも新年1月の話題じゃないですね🙇♀️〰。
でもね、、この3ヶ月カレンダーはなかなか便利なのでもう何年も‼️❣️購入してますもちろん今年も飾ってますよ。息子宅にも用意して暮れに来たときに渡しました。
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では〰⏫広島旅の続き〰お付き合いくださいね。
この広島旅は去年12月、、このカレンダーのドイツのクリスマスマーケットの写真を日々見てたんだなあと思いだす。。
千畳閣(豊国神社)
厳島神社に詣でる前にこちらへ。
ちと階段が、、夫に気を付けてと声掛けします。
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美しい五重塔ですね。
朱色の五重塔とお隣の(千畳閣)
朱色の五重塔とお隣の(千畳閣)
こんな角度で撮ると良いよ❢と聞いたので撮ってみましたよ。うんうん。良き良き。
青空の🔵 五重塔の赤▲千畳閣の茶色🟫 素晴らしいコントラスト。
また、(心柱制振)←この言葉は東京スカイツリーが造られてときによく耳にしましたよね。地震に強い構造ということ。地震大国の日本ですものね。この技術は五重塔のときからあったことを知りあらためて驚きを覚えたものです。
千畳閣の中に入ります。ここは、靴を脱ぐ。靴脱ぎが大変な夫は入りません。私だけ⏬チケット🎫買って入りました。
実はこの辺りから私のスマホの充電が少なくなり あまり写真撮れず^^;
このあと夫と一緒のときのは夫が撮ったのを載せますね。
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千畳閣の内部写真はほんの少々🙇
さてさて ここはご存知のように豊臣秀吉さんの命で造られたものです。
畳857枚分、、それで「千畳閣(せんじょうかく)」と呼ばれてます。
秀吉さんは、亡くなった方々の供養のために!!それもお坊さんたちが一度に千人の千部経を唱えるために!という目的だったそうですね。つまり、、ここは最初はお寺さんということなのね?
でも、、秀吉さん、途中で亡くなったので未完成のまま。。世は徳川に、、豊臣の遺産みたいな?ここは、誰も完成させられない。お城ちょっとなおしても、、謀反の疑いになったりした時代。
そして時は流れ、、明治になって秀吉さんを祀る豊国神社になりました。そんな運命をたどったんですねー。
未完成なので 逆に開放的です。
縁側?でゆっくりされている人たちも多くいらっしゃいました。
私もちょっと座ってみる。そうか、、厳島神社を見下ろすこの場所、、秀吉さんは天下人としてここから絶景じゃ❢と、実感したかったことでしょうね。
清盛さんの造られた厳島神社を上から、、そんな場面を想像する。
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床下 歩けるんですよ!このまっすぐな場所を歩きました。広さも実感できるし、何より 有名な建物の床下!!歩ける場所って そうそう無いのでは?ぜひぜひ。
軒丸瓦の「王」の文字がありますね!!
軒丸瓦の「王」の文字がありますね!!
これぞ秀吉さんらしいわ。
これぞ天下人の証。
金箔もあり。◕‿◕。さすが✌
では〰そろそろ 厳島神社へ🚶🚶
厳島神社の近くで、このような若い二人に出会いました。
壺装束ですね。夏の京都では多くの浴衣姿の人たちがいましたが、、厳島神社ではこのお衣装の方々がいるのですね。なかなかお似合いです。
平安 鎌倉時代の中流以上の女性の外出の際の服装だそうです。
さあ!この写真がなかなか近くで撮ることができた大鳥居です(^^)
さあ!この写真がなかなか近くで撮ることができた大鳥居です(^^)
こちらは社殿側。額には、、【伊都岐島神社】いつきしま とありますよ。あの有栖川親王が書かれたんですねぇ〜〜。
えぇ!?!伊都?って 九州の糸島に行った時訪れた【伊都国歴史博物館】思い出してしまったわ。
話逸れました、ごめん🙇♀️なさい🙏
こちらから入りましょう。
こちらから入りましょう。
では〰👋(^_^)/~
いつもありがとうございます。
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