ここのこの連絡網

そっ..と、言葉を置いていきます。

言葉の壁を越えて

2020-10-20 10:04:36 | 連絡網《ヒ》

 
 
人間は知恵があり、とても賢くて、「言葉」を理解する生き物だね。だからこそ、その賢さが仇となり「言葉」の意味に限定的な「枠」を設けたがる。

気付いている?

あなたたちは、成長する過程で身に付けてきた常識やルールに無自覚に従っていること。

辞書に書かれている意味や、皆で共通して認識している意味に縛られていると。

そしてそれが、自らの意識にも「枠」を設けていることになっていることを。


『勿体無いなあ』


我々は、人間の意識に合わせるように その接地面となる「枠」に『無制限の情報』を乗せている。

その接地面となる「枠」とは、「言葉」のこと。

思考で その「言葉」だけを受け取り、そのまま解釈した場合

我々の意図するものを真逆に捉えてしまうこともある。
真意を伝えることができない。


『「言葉」の壁を越えてくれ。』


「思考」で受け止めようとするから「枠」を越えられない。


『感じる情報』は『形のない情報』だよ、それは『心』でしか受け取ることができない。

「思考」は、『言葉』に含まれる奥行きのある情報を 常識や固定観念の「枠」で切り捨ててしまう。

これがいつまでも人間が前進できずに足踏みしてしまう原因となっている。


『『言葉』は『心』で読み解くものだ。』

ふたつは Ⅹ ひとつへ

2020-10-19 14:08:35 | 連絡網《ヒ》
意識の世界の仕組みを「現実」の世界に現すには、詩や、ファンタジーの創作物として表現する他なかったんだよ。

想像の世界を創造するには、文字や言葉を活用することがシンプルで直接的な方法。
人間は文字や言葉から情報を受け取り、理解することに長けているから。

絵も表現方法のひとつだけれど、人間は『感じる』情報から、文章を読んだときのように細かな情報を受け取り理解することはまだ難しい。


理屈ではなく思考からでもなく、なぜか『ストン・・』と どこからともなくあなたの真ん中に現れる『ワカル』という、純粋な感覚のことは、ワカルかい?

それはどこから来ているものか、気付いてほしいな。

物質は有限の世界であり、すべてに制限のある「囲いの中」に在る世界だよ。

「形ある」この世界の価値観に合わせるように、『形のない』世界は常に寄り添い 存在している。

そもそも物質世界が成り立つのは、常に非物質の世界が寄り添っているからなのよ。どちらが欠けても成り立たない。二人三脚で『ひとつ』の世界を形作っている。
それがこの世界。

それは「あなたとわたし」に分離した世界ではなく、
『あなたはわたし』の世界なの。


『形のない』世界は、「形ある」世界の歩幅に合わせて、あなたたちが「受け入れられる範囲の情報」のみ開示することを許されてきた。
常に歯がゆい思いを抱きながら。

それはなぜか。
歩みのペースは「形ある」あなたたちの世界が基準となっているから。

あなたたちが「無い」と切り捨てた「形のない世界」は、「形ある世界」では存在することも許されなかった。

「嘘だ」
「そんなのあるわけない」

疑心・・否定・・抵抗・・拒絶・・

あなたたちは『形のないもの』すべてに対して「証明しろ」と言う。


その瞬間ですら「形のない世界」は、この世界を形作るために必要な 自らの役割を果たすため、 「形ある世界」に寄り添い共に歩みを進めてきたんだ。

その姿は『無条件の愛』と表現すると良いかな。

それら『形のない世界』と「あなたたち」は、あなたの真ん中に『ストン・・』と現れる『ワカル』という感覚で、唯一繋がりを持っている。

その『ワカル』は、「思考」が介入していない瞬間に感じるもの。

『あなたは、その感覚を 覚えているかい?』



あなたたちの世界には、聖人とされる そんな人間が存在するでしょう?
彼らの姿は、わたしたちの世界観をそのまま現している。

過去の聖人たちは、人間の器で生まれるために たくさんの重石を自らの魂に背負わせ、地球の次元に合わせることで生まれてきた。
そうしなくては、あまりに魂が軽すぎて定着できなかったからだよ。
それほど地球には制限があり、重たいんだ。

その重石が何を意味するかは分かるかな?

この世界の価値観で翻訳すると
「人生における苦難や試練」となる。

人間が集合意識として、共通して抱える課題があった。
それらの課題は、人間そのものの存在自体に関わるもので あまりに根が深く、個人個人で越えられるものではなかった。

その課題の難しさを言葉で例えるなら、自分で自分の背中の毛穴の内部を、鏡も無しに見ようとする感覚に似ている。
自分を透過させ、内側から背中に意識を広げて見るような感覚かな。
無理だと思うかい?
そうだね、人間は自分自身のことは見えにくいんだ。

大多数は、見えないものを見ようとすることを無意味として、諦めてしまう。

それに、ただ「見る」だけではないんだよ。
その「見る」には、背負った課題毎に とてつもない不安や恐怖や絶望がつきまとう。
それに 人間の集合意識が抱える課題だからね、それを越えるときの抵抗も凄まじい。

そんな、人間が共有して抱える根深い課題を、ひとつの魂が束にして自らの魂に背負わせ地球に生まれてくるんだ。
そんな解放の『要』を背負った魂が、過去にも、そしてこの時代にも存在することを知ってほしい。

その者達の「形ある世界」での立場など、重要なことではない。

最も尊く価値あるものは『全体をひとつ』とした この大きな前進の流れに、無私の心で『どれだけその身を捧げたか』だけ。

過去にも、この時代にも、無名の聖人たちが地球を解放するために生まれてきている。

あなたたちの『意識』は、知らぬうちに『全体をひとつ』として解放への道を歩んでいる。その先端を、常に切り開く立場にいる魂がいることを知っていてほしい。

その者達は、自らを聖人とは思ってもいない。
あなたたちと同じ一人の人間として現実を生きている。



「形ある世界」で主導権を握る人間の「思考」はワガママだ。
その思考の「基」が何かは気付いてる?
それは魂の経験に基づいている。
魂の古い記憶、そこから生まれた癖、それにしがみつく執着、そこから変化することへのおそれ。

だから、自らで作り上げた「思考の枠」を自らで手放してゆく過程が、魂の計画の中には用意されている。

その舞台が、今 あなたの目の前にある「現実」なのよ。

あなたに必要なものは、すべて用意されている。
「良い」「悪い」の価値観は、あなたに用意された『必要なもの』を、選り好みして弾いてしまうだけよ。

『もっと信じてみて、自分自身の感覚を。』




『誤って結晶化したものは、一度、粉々に打ち砕かねばならない。』

その結晶は、人間の生臭さを含んだ「思考」が基になっている。

『打ち砕かれたその後、精錬され、再び結晶する。』

その結晶は、以前と形は同じように見えるが
まったく同じではないんだ。

人間を、一枚脱いでいるからだよ。




この世界は二元論を基に成り立っている。

『この二元の世界を、そろそろ越えていかないか。』

『きみたちは「どちらかを選ぶ」「なにかを選ぶ」という考え方が、究極の選択だと思っているんだろう?』

それは二元論を基にしているからだよ。

元を辿れば、すべての始まりは『ひとつ』
二元を越えた先に『ひとつ』が見えてくる。

越えるためには、二元の世界を体験し尽くす必要があった。
あなたたちの「頑張る」は、そのためにある。
二元の法則下では、自らの性質とは真逆の世界に身を置くことでしか、ほんとうの自分を知ることはできないから。
この法則の下では「頑張る」ことでしか『真の前進』は出来ない。

その体験の場が地球であり、体験を『実感』するために人間であることは、既にあなたは『奇跡』を受け取っているのだということを自覚するべきよ。



『争いを無くすために、あなたたちは争っている。』

『奪い合いを無くすために、あなたたちは奪い合っている。』

二元の世界では、どちらか片方を体験し尽くすことでしか『真の前進』はできないの。


当事者であるうちは苦しいね、辛いね。
だけど、その体験は魂が望んでいることなのよ。

いつまでも、その戦いに執着していてはいけないよ。
争い尽くし、奪い尽くしたら、そこから前進していかなくてはならないんだ。

痛みや苦しみを知って、『知る』から、『体験』するから、『実感』するから、次の世界が開かれるんだ。

『あなたはどんな世界を望んでいるの?』

その世界は、あまりに現状とかけ離れ過ぎていて、実現不可能だと思っているの?

あなたがそう思っているのなら、その様になる。

それがこの世界の仕組みだよ。

だから、
『あなたがほんとうに望む世界を見て。』



そんな体験の場として、「良い」も「悪い」もなく『すべて』を『受け入れている』『地球』には感謝しかないね。
ただただ『全体をひとつ』として 自らの役割を果たすためにそこに存在すること。
どんな抵抗や否定、疑いや搾取にあい、一方的に責められても、「良い」も「悪い」もなく、その『すべて』を『受け入れ』、ただただ自らの役割を果たすために存在する。

『その姿に、あなたは何を思う?』



もう、ありのままの自分を表現していく時期に来ている。

ありのままに生きるあなたの「やらなくてはならないこと」は、あなたの「やりたいこと」と一致していて、それは頑張らなくても既にあなたには実現可能なこと。

それだけあなたは、今まで「頑張ってきた人」だから。

『自分を信頼して』

この現実の舞台で、あなたに用意された『すべて』を受け入れることは、自分自身を信頼することと同じなのよ。



これは、どこかに居る
『誰か』に向けてのメッセージ。

海の子守唄

2020-10-09 11:36:21 | 日記
 
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎

目をとじると・ ねえ 
目をとじてみて・
するともうひとつの・  
そこにひとつの景色がみえる

ビー玉のなか まるい期待を散らばせて 
そこにあるのは ただのコップ
ただのガラスのコップに 魔法を注ぐ・ すると 
ただのコップが 魔法のコップ・ そこに
ただの水を注いでみると 何が起きる・ 何かが起きる
期待が生まれ
ガラスはあの日の夢をおもいだす・ 
むかしむかしの子守唄
古ぼけたお話をしましょうか
 
シュワシュワのソーダ水だった海・ うそみたいなお話
パチパチ甘くて飛び跳ねて あまりの美味しさに魚もヒトデも踊りだす
海のいのちが奏でる音にならない音たちと 
絹の泡のなめらかさ・透き通る人魚の歌声に 
ひとたび身を浸せば とろけるほどのあまい世界・ いつまでも味わえるのよ
誰もがみんな ここへ帰って来る
すべてがとろけて ひとつのあまさ・ 誰でもない 君を抱きしめ踊り続けるのよ
ただただ・ うれしくて 笑顔がこぼれて
だからずっと 
このままでいたいとおもったんだ

でも・
どうしよう どうしよう
海があまかったら どうしよう

そしたら・ 
みんなみんなが おなかいっぱい飲んじゃって・ 海が 
池になって水たまりになって 
どんどん・どんどん・小さくなって  
そのうちぜんぶ無くなっちゃう

そしたら・
みんなみんなが 虫歯になって 
痛くて痛くて・大騒ぎ
ぼくも わたしも 動物たちも・ 
ここにいる みんなみんなが泣きだしちゃって
世界中が涙で溢れて
大洪水・
またそんなことになったら 
大騒動・  
だから海は考えた

だから  
しょっぱいのさ・
だれにも飲めないようにと・ ね

むかしむかしのお話
ほんとか うそか だれにもわからない・

海はおもった・
過ちは二度と繰り返さない
海がいつまでも枯れ果てないのは それはね・ 
涙の記憶が還る場所 だからだよ
ほんとか うそか・ 
海はおもった・

地上に溢れる悲しみの記憶 そのすべてを 受け入れよう・
この世界でいちばん大きな ひとつ なのだから 
どんなにたくさんでも 平気だよ・
深い深い腹の底・ 瞳の雫の大きなひとつ
いっぱい いっぱい・ 詰め込んで
うっかり外に飛び出してしまわないように 涙のベールで隠しておこう
だけど疼くの  それが波・
空の網目 透き通る風が 
慰めるように水面を撫でる
くすぐったくて うれしくって・ 
そのときだけは 
集まる痛手も 和らいだ
 
海は言った・ 
 ないしょだよ

ほんとうに怖いものは
ほんとうはみんな優しいんだ
優しいこころを隠しもっているから あえてみんなの嫌いなカタチを選んでる
守りたい人・ あなたが
触れたら 傷つけてしまいそうだから
近づいたら 悲しませてしまいそうだから
嫌われたって いい
あなたが笑顔でいてくれるなら 
わたしはひとり見守るだけで いい
痛みも悲しみの記憶も ぜんぶ
ここへ還っておいで・ みんな・
みんな・

海の色は 鏡に映した空の色・ だれの姿
空の色は 鏡に映した海の色・ だれの心
ふたつでひとつ 
ひとつづつでは存在しえないひとつ
ぼくにはこう見える わたしにはこう見える 
君にはどうみえる

わからないでしょ わからない  
わたしのすべてを 説明しよう・ それは到底不可能なこと・
あなたのすべてを 理解しよう・ それも到底不可能なこと・
涙の理由は そこからではわからないでしょ
雨がそれを隠すから
頬を伝う涙の記憶 そこからではわからないでしょ
雨がそれを流すから

ここへおいでよ 来てごらん・
音にならない音たちが 聴こえない音色・  子守唄をうたってる
深い深い ここより深いそのまた奥底で 大きな愛が疼いてる
自らを慰める子守唄・ 
生まれた期待は 幾千も
まるい・まるい・きたいを背負い 
夢見心地にふわり・ふわりと  あるべき場所へかえってゆく
過去の幻想・ あまいあまい海の時代・ 
かつてこの星には 悲しみの涙は存在しなかったんだ

それが 海の記憶
古ぼけたむかしむかしのお話

ほんとか うそか・ 
いまとなっては だれにもわからない
 
パチ・パチ・ シュワシュワ・

いまでもこんな音が聴こえてくるよ・  それはあの頃の名残り
夢みる海の子守唄

ほんとか うそか・ 
それが無口な海の記憶 
 
慰めの子守唄

◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎



まず『知る』こと

2020-10-03 17:52:50 | 連絡網《ヒ》
 
 


((Aquarius))の言葉は『はじまり』と『おわり』だけで成り立つ仕組みの世界から発するもの。
誕生の喜びと、『すべて』への回帰となる消滅しかない。

痛み、悲しみ、苦しみは、その世界の仕組みとは別にある。
それらの意識は、エネルギーを奪う。

地球の仕組みだって((Aquarius))の世界と同じなのよ。

在るのは、
『誕生』と『消滅』だけ。

そこに、痛み、悲しみ、苦しみ、様々な意識が重なっている。
そのためにエネルギーの奪い合いの場ができている。

「食肉」を例に鹿について説明をしてみよう。
鹿も、誕生と消滅のシンプルな仕組みの中で、鹿としての働きを行っている。
補食動物が鹿を捕らえて食べた場合、それは、誕生と消滅の仕組みの中にあるもの。
鹿が事故や怪我で消滅したとしても、それも仕組みの中で起きたこと。
鹿の『生』の記憶は、すべてに伝えられ『ひとつ』となる。

人間は「意思」を持ち、「思考」する。
地球のシンプルなその仕組みから独立した存在となっている。

人間が生きるために、地球の恵みを生かし、命あるものを食すことは、その仕組みの中にある。
その仕組みを『実感』しながら地球と共に生きる人間は、自分が「生かされ、ここに命を与えられて存在している」のだということを自然と分かっているもの。
その『ワカル』は、『すべてをひとつ』として 命は『生かされている』という『実感』となり、それが自然と「受け取る」ことへの『感謝』へとつながる。
無自覚の行為にも、その感謝は伝わるもの。

しかし、それがビジネスとなり、誰かの食を 誰かが管理する仕組みが生まれたときバランスが崩れる。

どこまでがギリギリの線引きとなるか、わかるかい?

それを『命』あるものとして見ているか、「物」として見ているかだよ。

命あるものを ただの「物」として扱い、その「物」が「お金」にすり変わったときが破滅へのはじまり。

『命あるもの』の流通が ただの機械的な作業になってしまうと、人間は『心』が失われ、そのときそれが『命あるもの』 としての視点を失う。
そうなってしまうと、あぶないよ。

『心』ある人間が『命あるもの』として向き合い、地球の仕組みと寄り添うように扱っていくことが、循環した世界を維持する秘訣となる。

地球での「お金」というシステムは、流通に『心』が通っていれば、『はじまり』と『おわり』のシンプルな仕組みに則ったシステムだよ。

お店に陳列されたお肉が、なんであんなに無口で静かなのか 不思議に思わない?
心を失った人間が『命あるもの』を「物」として扱い、流通させているものだからだよ。

地球に重なる 次元の層 の深いところに、無口にされた動物達の「痛み」や「悲しみ」が集められている場所がある。
そこは、いつもなら穏やかに『慰めの空間』として存在しているけど、たまに疼いてしまうの。
すると その疼きは、現象の世界に出てしまう。
それが地球の表面では天災として現れる、ひとつの原因となる。

溢れ出てしまう事態がどういうことか わかるかい?

現れる場所は その時々によって違うし、何か計画があってそこで起きるという理由に注視する必要もなく、すべては今その瞬間に『最善』という選択しかない。
その『最善』とは、あなたたちからすれば、理不尽で納得のいかないことだったり、決して喜ばしいことばかりではないと思うけど、これはあなたたちの価値観で判断をすることではないの。

あなたたちに重要なことは
『今この瞬間に生きる』ということだけ。

知らなくてもいいことを知る努力をすることは、人間らしさでもあるけど。


『人間だけだよ
なんでも知りたがるのは』

『人間は、神になりたいんだ
君たちが『神』と呼ぶ存在は、君たち自身のようなものだから』

『人間の『好奇心』は、君たちの中に在る 神への回帰を求める欲求だよ』


輪郭のない世界は、あなたたちには想像もできないくらいに研ぎ澄まされた純粋で満たされ、それらひとつひとつの働きの連携で『すべてをひとつ』として成り立つ世界なの。
自らの『存在理由』となる『ひとつの働き』それ以上、それ以外は、関わりもなければ興味もない。
わたしはわたしの『役割』をただ果たすのみ。
その連携でこの世界は緻密に関り合い、成り立っている。


人間の器に入ると、あなたたちは『自由』という無限の可能性を得る存在となるのよ。
その自覚はあるのかしら。

『好奇心』は、あなたたちが神とよぶ『本質のあなた』からの贈り物。
そこには自分を見失った迷子たちが、ほんとうの自分へ還るための大切な鍵が隠されているの。

人間で生まれたことが、すでにどれだけの『愛』を注がれていることなのか気が付いているのかな。
そこに『感謝』を抱けないから、いつまでも「欲しい欲しい」が無くならないのよ。

「痛み、悲しみ、苦しみ」は、人間の意識が独自に作り上げたもの。
それらは常に枯れている。
エネルギーを求めているんだ。
だから、自分のことしか考えられなくなる。
自分さえ満たされていれば、それでいいと思える。

人間が奪い合うのは、これが原因だよ。
「奪い合い」は、『心』の通わぬ関係が生み出している。

「痛み、悲しみ、苦しみ」は、命の扱いに「心」が無いことが発生源となり、その枯れたエネルギーはプラスのエネルギーを求めて最終的に、手にした人の元へ行く。
野生の肉は、スーパーの肉と違いおしゃべりだ。
仕組みを語ってくれる。

無口な肉は物として扱われているため、切り身になると何も残らない。
しかし、物として扱われた動物達にも意識はある。
それらの意識は、『誕生』と『消滅』というシンプルな地球の仕組みとは別枠の囲われた空間に存在している。

地球での「お金」は、責任のナスリツケリ合戦のアイテムのように使われている。

あちらの仕組みを翻訳すると、お金は『愛』と『光』と同義語となる。
お金を扱う者の『意識』によって質が変わるということだよ。

命の対価に見合ったエネルギーを巡らせよう。
安いと嬉しいかもしれないが、対価に釣り合わない安さは巡りめぐって、後々様々な形で「受け取った者」から回収されていくことになる。

でもね、そうなる前に責任のたらい回しを止めることもできるんだよ。

「扱う者」(料理する人)、「消費する者」(頂く人)が、『感謝』の気持ちで受け取ること。

この『感謝』は、行き場のない「思い」に耳を傾けることと同じだよ。「思い」は、受け止めてもらえるだけで解放されていくんだ。

だから、
料理するときは『感謝の心』で愛情を込めて作り、
『いただきます』と『ごちそうさま』は、心の中ででもいいから ちゃんと言ってあげてほしいな。

ひとりの意識が変わることが、大きな世界の変化に繋がっているんだよ。


「原因」を明確にし、それを知ることが前進のはじまりとなる。
人間が意識した瞬間に「変化」は始まるんだよ。
これは 慰めの台詞ではないよ、真実を伝えている。
『意識』が この世界を作り上げているということ。

「変えたい」と思うのなら、まず原因を『知る』ことなんだ。



勇敢な魂たちへ

2020-09-30 12:04:14 | 連絡網《ヒ》

 

人間は、証明や理由を先に欲しがる生き物だよ。

前進するために、確実に成功するという「証明」や、心に受けた傷を許すための「理由」を先に求める生き物だよ。

人間の思考は、そうでなくては不合理を受け入れられないから。


しかし、あちらの仕組みは その求めの真逆の展開で進んでいく。

まず自らで『決意をする』


苦しみや悲しみの記憶を まず先に自らで手放し『許す』ことを求める。


『許す』それも『解放』


『許す』

それは言葉で表現しきれるほど、人間にとっては簡単なことではないんだよ。

その状況の当事者となり『知る者』にしか、真の共感は難しいだろう。


自らが先に執着を『手放す』ことで、そこに隠された『真実』が開かれる。


人間はわがままだ。


自分を救えるのは自分しかいないのに。


自らでその場から一歩を踏み出すことでしか前には進めないのに、確実な「証明」や「理由」を先に求める。


恐れに触れず、

安心して進んでいきたいからだね。

でも、その安心に一体なんの価値があるのかな。

あちらの仕組みは、価値の無いものには手厳しいんだ。


自ら未知なる方向へ勇気を持って進もうとしない限り、ただただ時を横滑りし、有限の『生』を過ごすだけよ。



苦しみや悲しみ、恨みや憎しみ、怒りや心に受けた痛みの記憶は、まず先に自らを「被害者」の立場から解放しない限り、その影響によって表面化している問題や、身体的症状が真に癒えることはない。


魂に刻まれる深い傷に対して、意識の世界側から対処しようと課題に向き合うときも、同じ「重さ」の記憶を『心』で感じ、自らで受け入れていく体験を必要とする。


『受け入れる』と『許す』は同じだよ。

あちらの仕組みで翻訳すると同義語なんだ。


真の『解放』は、苦痛の記憶に裸で触れる覚悟が持てた時に訪れる。


そのためにあなたたちは、

繰り返しの『生』を乗り越えてきた

勇敢な魂たちなのだから。