毎日ラッキーと早朝に散歩するのが日課ですが、一晩行方不明になり帰らなかった日があったが、その後いまいち元気がなくなってきた気がします。
ドッグフードは以前よりあまり食べませんので、ご飯にお汁をかけてチリメン、たまごなどを混ぜてやっていますが、いまいち食べる勢いが違いますね。
おやつにペット用煮干し、ドギーマンきらりを与えると喜んで頂戴頂戴と食べていましたが、これもいまいち食べないですね。
今朝はご飯も一切何も食べなくて、暖かい日の当たるセメンの上で寝ています。
元気がないなあー。
どうしたのかとまた心配になってきましたが・・・そっとそのままに見守ってやるしかないのかもしれません。
でも、過去の犬猫の飼育の経験から調子が悪い時は二日ぐらい何も食べず、体を動かさずに絶食して自然治癒力で癒していたので、もう少し様子を見てみよう‼️
さてさて、全ては役割の違う陰と陽からできており、一体となった時に大きなエネルギーが放出されて、不思議なまでの力が発揮されるように仕組まれているみたいと述べているところです。
過去があるから未来があるじゃない。
この世があるからあの世があるのじゃないかと思われる。
天国があるから地獄があるのじゃないかと思われる。そして循環している。
地球は自転し公転しているから四季があり春、夏、秋、冬と循環している、
人間の血液も心臓も循環している、細胞も新陳代謝している。
月も惑星も太陽も循環している。大宇宙も全て循環している。
秩序正しく重力の法則、循環の法則が働いていますね。
そしてエネルギー保存の法則、質量不変の法則が存在して大宇宙も地球もいくら動き働いていても、エネルギー、質量は変わらないですね。
神仏は完璧なまでに生きられるように全ての万物を設計製作して、バランスし調和させているみたいですね。
人間の肉体と精神も小宇宙と呼ばれ、陰と陽を与えて遺伝子が🧬組み込まれ、自分が何もすることもなく、自動的に全てが動き働いて、また自然治癒力が発揮され全てお任せして生きています。(神仏に生かされ、守られています)
これ以上ない完璧なまでに作品化されているのですよ。
それなのに何故健康な人と病気になる人ができるのでしょうか、病気になっても治る人と治らない人ができるのか?
私は医者でもありませんが、しかしずっと心の勉強をしてきてわかるようになってきました。
何度もお話ししているところですが、心の思い(想念)が肉体に影響しているということです。
本当の自分は心で、肉体は従なんですね、
心のいう通り従います。
神仏は人間に自由を与えたのです。その心を自分で統制管理しなさいと。
この世に何故あなたは生まれてきたかと問われれば、修行の為ですとよくいわれるでしよう。
なんの修行ですか?
神仏の考え方に一歩でも近づくということですよ。
つまり神仏は『愛と光』の実践者ですから
、我を捨てて相手を思いやり徹底して明るい善とプラスの方向なんですよ・・・だから決して病気にならず、健康体なのです。
決して自己中、暗い方向、マイナスの方向はないということなんです。
人間は他の人の顔を見ることができますが、決して自分の顔を見ることができないように設計されているのですよ。
鏡を見れば見ることができます。
何故でしょうか?
神社では御神体に鏡が置かれている場合が多いと思います。
平仮名でかがみは、真ん中の我をとれば神となります。神を見なさいと、そうすれば自分が見えますよと、教えているのじゃないでしょうか。
仏教では諸行無常、『諸法無我』、涅槃寂静と教えています。
我を見ないと教えています。
また『山川草木国土悉皆成仏』全てのものに仏が宿っていますから、思いやり大切にしなさいと言っているのですね。
でも、間違ってはいけませんよ。
自分がこの世にいなければ何も他者への愛も光も実践できませんからね。
イエスキリストは自分を愛するように隣人を愛しなさいと教えています。
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