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どうも、こんにちは。
シリーズ前々回及び前回から、京都・大原の「おつう伝説」の地を巡っています。
それで今回は、その3つ目「乙が森」です。
前回の「西之村霊神之碑」から「宮川一ノ橋」から、寂光院方面へと進みます。
ちょうど、コスモスの咲く時期でした。
田園風景の中をひたすら歩き続けます。
いや、ひたすらとは言っても……結構、楽しんで歩きました。
しばらく歩き続けたら、大きな木で覆われた、小さな森のようなものが見えてきました。
ここが目指す「乙が森」です。
それを示す案内板がいくつかあります。
ここで、改めて「おつう伝説」について。
昔、大原に「おつう」という美しい娘が住んで居て、ある時上洛した若狭の殿様に見初められ、殿様の国元へと召されました。いわゆる玉の輿となって、しばらく夢のような生活を送っていましたが、やがておつうが病にかかると、殿様の心も変わって、国元へと帰されます。つまり、おつうは捨てられたわけです。
おつうは絶望して、大原川の女郎が淵に身を投げ……大蛇に変化しました。
そして殿様が上洛する時、花尻橋のところで襲いかかります。
しかし殿様の家来によって、斬り殺されてしまいます。
その夜から、大原の里は激しい雷雨に見舞われたり、悲鳴が聞こえたりして、村人たちは恐れおののきます。
そして、頭・胴・尾と三つに切られた大蛇の体のうち、頭を「乙が森」に、胴を「西之村霊神之碑」に、尾を「花尻の森」に埋めて、おつうの霊を弔いました。
今回はそのうち、頭を埋めて葬ったという「乙が森」です。
中に入れます。
ここに、おつうの頭が葬られているのでしょうか。
その石碑には「龍王大明神」と刻まれているようです。
「龍神」として祀られているということは、雨の神様としても祀られていたのでしょうか。
あるいは、元からあった龍神を祀る石碑があったところに、後付けで「おつう伝説」と結びつけられたのか?
そのどちらかは、わかりませんが。
なお毎年、3月10日に近い土曜日に、ここで法要が朝8時頃から行われるそうです。
森の中は大木の枝や葉に覆われ、昼でもなお薄暗い。
心なしか、樹木の枝や根が、蛇の形にも見えるような気がします。
礼拝して挨拶し、いろいろと思いを張り巡らせながら、森を後にします。
帰り道に石垣が。
ここ大原の地では、特に川沿いや川に近い場所に石垣が築かれているのが、時々観られます。
ここでは昔から洪水が多かったらしく、このような石垣が築かれたそうです。
大原では、おつう伝説の他にも大蛇の伝説が伝わっているそうで、「大蛇とは水害の脅威を象徴するものである」との説もあるそうです。
コスモス畑の横を通って。
京都バス「大原」停留所へと到着します。
すみません、ちょっと画像がぶれています。
が、ここにも石垣が。
今後、大原の大蛇伝説を、災害の歴史などとの関連で調べてみるのも面白いかもしれません。
今回はここまで。
また次回。
*乙が森の周辺地図はこちら。
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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