京都の闇に魅せられて(新館)

大原・乙が森 @ 京都妖怪探訪(517)





(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)


 どうも、こんにちは。
 シリーズ前々回及び前回から、京都・大原の「おつう伝説」の地を巡っています。
 それで今回は、その3つ目「乙が森」です。


前回の「西之村霊神之碑」から「宮川一ノ橋」から、寂光院方面へと進みます。






 ちょうど、コスモスの咲く時期でした。









 田園風景の中をひたすら歩き続けます。
 いや、ひたすらとは言っても……結構、楽しんで歩きました。












 しばらく歩き続けたら、大きな木で覆われた、小さな森のようなものが見えてきました。






 ここが目指す「乙が森」です。
 それを示す案内板がいくつかあります。











 ここで、改めて「おつう伝説」について。
 昔、大原に「おつう」という美しい娘が住んで居て、ある時上洛した若狭の殿様に見初められ、殿様の国元へと召されました。いわゆる玉の輿となって、しばらく夢のような生活を送っていましたが、やがておつうが病にかかると、殿様の心も変わって、国元へと帰されます。つまり、おつうは捨てられたわけです。
 おつうは絶望して、大原川の女郎が淵に身を投げ……大蛇に変化しました。
 そして殿様が上洛する時、花尻橋のところで襲いかかります。
 しかし殿様の家来によって、斬り殺されてしまいます。
 その夜から、大原の里は激しい雷雨に見舞われたり、悲鳴が聞こえたりして、村人たちは恐れおののきます。
 そして、頭・胴・尾と三つに切られた大蛇の体のうち、頭を「乙が森」に、胴を「西之村霊神之碑」に、尾を「花尻の森」に埋めて、おつうの霊を弔いました。
 今回はそのうち、頭を埋めて葬ったという「乙が森」です。


 中に入れます。









 ここに、おつうの頭が葬られているのでしょうか。






 その石碑には「龍王大明神」と刻まれているようです。





 「龍神」として祀られているということは、雨の神様としても祀られていたのでしょうか。
 あるいは、元からあった龍神を祀る石碑があったところに、後付けで「おつう伝説」と結びつけられたのか?
 そのどちらかは、わかりませんが。
 なお毎年、3月10日に近い土曜日に、ここで法要が朝8時頃から行われるそうです。


 森の中は大木の枝や葉に覆われ、昼でもなお薄暗い。









 心なしか、樹木の枝や根が、蛇の形にも見えるような気がします。









 礼拝して挨拶し、いろいろと思いを張り巡らせながら、森を後にします。









 帰り道に石垣が。





 ここ大原の地では、特に川沿いや川に近い場所に石垣が築かれているのが、時々観られます。
 ここでは昔から洪水が多かったらしく、このような石垣が築かれたそうです。
 大原では、おつう伝説の他にも大蛇の伝説が伝わっているそうで、「大蛇とは水害の脅威を象徴するものである」との説もあるそうです。






 コスモス畑の横を通って。









 京都バス「大原」停留所へと到着します。





 すみません、ちょっと画像がぶれています。
 が、ここにも石垣が。
 今後、大原の大蛇伝説を、災害の歴史などとの関連で調べてみるのも面白いかもしれません。






 今回はここまで。
 また次回。




*乙が森の周辺地図はこちら




*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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