
どうも、こんにちは。
シリーズ前回に続き、千本二条付近のスポットをとりあげます。
今回は、あまり「妖怪」とかいう感じではないかもしれませんが。
歴史や由緒を持ちながらも、残念ながら消えていく、移転とか変化を余儀なくされる。
そんなスポットもあるということを紹介したいと思います。
そんなひとつが、今回紹介する「出世稲荷神社」です。
まずは、いつも通りにアクセスから行きます。
京都市営バスの「千本旧二条」停留所。

京都バスやJRバスの停留所もあります。

シリーズ前回で紹介しました「朱雀門跡」、JR・京都市営地下鉄の二条駅からも歩いて行ける場所です。
ところでこのバス停。
確か、今年の3月頃までは「千本旧二条」ではありませんでした。「出世稲荷前」という名前だったのです。
何故、変わったのかと言いますと、そこにあった「出世稲荷神社」がなくなったからです。いや、なくなったというよりも、京都の大原へと移転を余儀なくされたそうですが。
学生時代の通学等で、この辺りはよく通っていました。
そして、「次は出世稲荷前」というバスのアナウンスは私にはすっかりお馴染みだったのです。
それが最近、「次は千本旧二条」という風に変わっていたので、驚きまして、調べてみたら今年の半ば頃に移転したということでした。
ところで、移転する前に撮りました出世稲荷神社の写真が何枚か残っていましたので、それを紹介します。
二条通りに面していた、入り口の鳥居です。

小さくて見えにくいですが、この時は前にあるバス停の名前も「出世稲荷前」となっています。
中へ入って、まずは本堂へお参り。

この出世稲荷神社は天正15年(1587年)、豊臣秀吉の立てた聚楽第に、秀吉が信仰していたという稲荷神祀ったのが始まりです。その後、立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」と名付けられ、寛文3年(1663年)に現在の(いや、今年まであった)地に移ったと言われています。
開運出世を願う人々の信仰を集め、江戸後期には300を越える鳥居が立ったとも伝えられていましたが……。
境内を少し散策してみました。
社務所です。

御守り等を販売していましたが、以下ご覧の通り、強い現世利益追求の姿勢が表れています。

本殿の周囲には、いろいろな摂末社も並んでいます。



実はこれらの写真を撮っていた時(今から3年ほど前だったかな?)にも、少し気になっていたことがありました。
それが、以下ご覧のような光景です。

境内に何台もの車が停まっている。つまり、境内が半ば駐車場と化しているような印象も受けました。
境内の一部を駐車場として貸し出して収入の足しにしている寺社仏閣は、京都市内にも少なくありません。中にはそうでもしないと、寺社を維持・存続させることも難しいところもあるそうで、「背に腹はかえられず」ということでしょう。
この出世稲荷神社さんも近年は、地域に氏子もなく、多額の寄進をする人も居なかったそうです。賽銭や御守りの販売、駐車場の賃貸料だけが収入だったため、この場所で維持・運営することが困難になってしまったそうです。
歴史や由緒ある寺社といえども、お金がなければ続けられないというのが、資本主義の世の中の現実ってヤツでしょうね。
それにしても。
強い現世利益追求の、というか強力な我欲追求の市場原理主義のご時世に、「立身出世」「商売繁盛」「地位名望」などのご利益を売りとしてきた神社が追い込まれてしまうとは……。
ある種の皮肉みたいなものを感じました。
今の世の人々は、「立身出世」とかを望まなくなったのかな。
「自由主義」だの、「職業選択の自由」だの何だかんだ言われても、一部の選ばれた人たち以外は大きな夢とか持ち続けることが簡単なことではない。そんなもの抱いてもしんどいだけだという現実。これがわかっているから、ある種の空しさとか諦観が先立って、「立身出世」とか望むだけの気力もないのかな。
あるいは、そんな中で「地位、名誉、立身出世とかを追求してもむなしいし、しんどいだけ」と、特に若い人たちは悟ってしまったのではないかな。
かくいう私自身も、「俺、どう見ても人の上に立つとかいう器じゃないし、30過ぎで中途入社して社長や役員になるとか無理だなー」とか思って、立身出世とか望む気もないですし(苦笑)。
「やっぱりこれも時代の流れというヤツか」というある種の諦観と共に、歴史や由緒を持った寺社がなくなる、大きな変化を余儀なくされるされることに、一抹の寂しさを感じた。
そんな複雑な思いを抱かずにはいられませんでした。

それでは、今回はここまで。
また次回。
*出世稲荷神社(移転後)の地図はこちら。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm



