どうも、こんにちは。
今年(2023年、令和5年)の『霊場魔所の桜』シリーズの第2回目です。
今回は、京都市内の桜名所のひとつで、墨染(すみぞめ)桜とその不思議な伝説が遺る古刹・墨染寺(ぼくせん)寺を訪れました。
平安時代、ある歌人が友人の死を悼んで、「桜の花よ、今年ばかりは墨染めの色に咲いてくれ」という歌を詠んだところ、本当に墨染め(薄墨)色の花が咲き、それ以来ここの桜は「墨染桜」と呼ばれ、薄墨がかった色の花を咲かせるようになった。
そんな伝説が遺されている「墨染桜」を、是非とも観てみたいものだと思い立ち、今回この古刹を訪れたのです。
まずはいつのもとおり交通アクセスから。
京阪電車の「墨染(すみぞめ)」駅から。
駅前の通りを西へ、墨染橋(すみぞめばし)を越えて少し歩きますと。
道の南側に墨染寺(ぼくせんじ)の門が見えてきます。
門から境内へ。
平安時代前期、この墨染寺のあった地には、貞観寺(じょうがんじ)という藤原良房が建立した大寺院がありました。
寛平3年の春、藤原良房の養子で関白の藤原基経の死を悼んで、その友人でもあった歌人・上野峰雄(かんつけのみねお)という人物が、
「深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染に咲け」
と詠んだところ、本当に薄墨色の桜が咲いた。
それ以来、この桜は、薄墨色がかった花を咲かせるようになった。
そんな説話が残されています。
本殿へ礼拝後、境内の桜を観て回ります。
結構、いろんな桜が咲いているようです。
元あった貞観寺は、応仁の乱により焼失しましたが、安土桃山時代に「墨染桜の伝説」に感銘を受けた豊臣秀吉によって再興されています。
その時、貞観寺の「墨染桜」を引き継ぎ、日蓮宗の「墨染桜寺(ぼくせんおうじ)」となりました。
しかし江戸時代になりますと衰退し、統合縮小され、現在地に移転、今に至ります。
すると、本堂前に立っていた像は、日蓮宗の寺院ですから・・・日蓮上人でしたっけ?
境内の一角に「四代目墨染桜」の木が立っています。
伝説の通り、花の色はやや薄墨色がかっている・・・かな?
墨染桜とその伝説に思いをはせながら、この古刹を後にします。
今回はここまで。
シリーズ次回は、この古社で開催されていた盆梅展の様子をお届けします。
※ところで2023年の目標で、「新規スポットの記事を最低でも20以上、出来れば30以上書く」としましたが、今回で9カ所目。
目標まであと11本(11カ所)です。
*『京都妖怪探訪』シリーズ