4日目もいい天気。というか暑い。40度近いか・・・カラッとしてるので日本の夏よりましだ。4輪駆動車3台に分乗して州都ドゥシャンベを出発。
1時間ほどでピサール要塞に到着。この地は8世紀にはアラブ、13世紀にチンギスハン、15世紀から20世紀までブハラ・ハン国だった。
当時の知事の住居の復元遺跡。
ソ連成立前の抵抗運動バスマチの拠点となったため、ソ連軍によって大破壊され、大半が2015年に再建されたもの。
博物館ではジオラマを使って今回のツアーの説明があった。
16世紀のマドラサ(神学校)。
商店や職人小屋があったとされる、かつてのメインストリートの再現。
観光地だけどお客はいないのでお店は閉まっていた。上から見る。
キャラバンサライ跡とマドラサ。
昼食は川の上にあるレストラン。なんと小生二度目!
現地ガイドさんが、とても暑くなりそうなので遺跡見学は夕方にしては?という提案でホテルで休息。
17時ロビーに集合して「アジナ・テバ仏教遺跡」へ。小生二度目。
7,8世紀の仏教遺跡で、前日国立博物館で見た涅槃仏が出土した遺跡。
またここは古代シルクロードの中継地点で貿易の重要拠点だった。
3年前と比べると草がぼうぼうでびっくり。訪れる人がいないのか、仏教徒しか興味がないのか?このままだと廃墟になるのでは?
寺院の建物は日干し煉瓦と練り土で構築されたが、アラブ人の侵入のあと偶像崇拝を禁止するイスラム教の教義から破壊されたと考えられている。
主ストゥーバ(仏塔)のエリア。
見学のあと車を停めさせてもらった民家の方がお茶の準備をしてくれていた。スイカが甘くておいしかった。
ホテルへ戻り、夕食にレストランへ向かう。
ここでは冷たいビールがなくて、添乗員とガイドさんがタクシーで探してくれたのを飲んだ。
4日目終了。走行距離約160㎞(ドゥシャンベ~ヒサール~クルガン・チュペ)
7月9日。イスラムの祭日だったので道路はすいていた。
1時間半でタフテ・サンギン遺跡の入域チェックポイントへ。現地ガイドさんが手続きをして入った。
木々もない荒れた土地の中を未舗装の悪路が続く。
アフガニスタンとの国境が近いので4年前は軍人が同乗したそうだが、今回はなかったので何回か撮影タイム。
くねくねと高度を上げて、まるでいろは坂のよう。
遠くにアムダリヤ川。パミール高原を水源とする川で、アフガニスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの4か国を流れている。かつてこの流域はギリシャ語でオクサスと呼ばれていた。
川の向こうがアフガニスタン。
こちら側にはタジキスタンの監視塔があって銃を構えた兵士が見ていた。川の手前には鉄条網。
オクサス神殿跡に着く。広い。
丸いのは神殿の基壇の上に置かれる円環面(トーラス)。四角が基壇。
ここで出土されたものは本来国立博物館に展示されていて昨日見るはずだったが、今回はよその博物館へ行ってしまってたので見れなかった。添乗員高橋さんのレポートに詳しく出ていた。旅行終わっても学習できる~~
発掘調査は1976年~91年、ソ連とタジキスタンの共同で行われた。
1時間の見学を終えて昼食。予定のレストランがイスラムの祝日で休みになったのでガイドさんの友人のレストランへ。チルチョル河川公園の中にある。
昼食はプロフ(タジキスタン風の炊き込みご飯)。
食後公園を散歩。数か所から湧き出ている水は大変きれいで透き通っていた。
小生のカメラは防水だったのだ。初めて水中で使ってみた。
泳ぎを楽しんでるのは全員男性。女性は1人もいない。
ホテルへ戻って夕食まで休養。このころ安部元首相のニュースが・・・・
夕食は地元の民家、ドライバーさんの実家で頂いた。
5日目終了。走行距離約240㎞)クルガン・チュペ~タフテ・サンギン(往復)
今回のコース。南側が川沿いでほとんどアフガニスタンに接している。渡航危険度3の地域。
赤いルートが今回のコース。
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