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コモちゃんは10月1日から西遊旅行のツアー、「イラン北西部」に行ってました。添乗員の有馬千晶さんがレジュメを送ってくるまでレポートは書かないと言ってたのが、やっとそのレポートが来ました。彼女のを参考にさせて頂きます。
10月1日成田からカタール航空機でドーハへ11時間30分のフライト。↑ ドーハ空港。
ドーハからイランの首都テヘランへのフライトは2時間。
入国を済ませて日本語ガイドのラフマーニーさんとドライバーのナギーさんと合流して大型バスに乗ります。
今回の参加者は9名。このツアーも今回限りだそう。有馬さんのまとめの言葉を引用します。
「・・・・略・・・日本や欧米のメディアはイランの政教融合型の社会を取沙汰にして利益を得ているだけで、イラン国内に存在する実情やその意味、そして本来のイラン、歴史、民俗、文化を無視しているように見えます。平和である事柄は勿論報道されませんから、イスファハンやシーラーズなどの観光都市はもとより、特に北西部へ実際訪れてみると、イランが多民族国家であること、いかに他を受け入れて実生活を送っているを直に感じられ、先進国にはもうない温かさや優しさ、彼らの素朴な姿を節々で見ることができたと思います。」
という旅だったんですね~
で、最初の宿泊地ハマダーンに向かいました。
途中で昼食。チキンとライス。
テヘランから4時間でハマダーンに着いた。
観光へ。「エステルとモルデカイのお墓」へ。
参加者の女性たちもスカーフで髪を隠している。
アケメネス朝(紀元前550年~紀元前330年)の王エセルクセス1世の王妃として迎えられたユダヤ人エステルと、彼女の親族モルデカイのお墓。
ユダヤ人の英雄となった二人は神聖化され巡礼者が絶えない場所となっている。
13世紀にモンゴルの権力者によって再建築されている。
次は「ギャンジメーナ」へ。
同じくアケメネス朝時代の王ダイオレス1世とクセルクセス1世の碑文。岩に刻まれている。
碑文はジャングナーメ(戦争の書)と呼ばれていた。 滝は珍しい。
宿泊したホテル。
今回のホテルはどこもよかった。
10月3日、8時にホテルを出発。ハマダーン市内の「エクバタン・ヒル」へ。
ハマダーンは紀元前715年~紀元前550年頃のメディア王国の首都エクバタンであった。
ここは当時の王宮跡。広大な敷地を7つの壁が囲っていた。
アケメネス朝も同じ場所を夏の首都として利用していた。
出土品の数々。
お骨の入った棺桶。
後からできた教会は16世紀にアルメニア人が建てたもの。
1時間ほど移動してヌーシージャンに残る拝火教神殿へ。
メディア王国時代の城砦遺跡。
ササン朝時代には(紀元後226年~651年)ゾロアスター教(拝火教)の神殿となっていた。
地下に残る貯水槽。
マラーイエルの町で昼食。
果物はどれも瑞々しくおいしい。
夕方にはホラマバードに到着。
ササン朝時代の城「ファラク・オル・アフラク城」。 気さくな現地の家族。
西暦651年に作られた城砦。
イランイラク戦争では革命防衛隊が利用したことでも有名。
現在は民族博物館として利用。
3日目が終了。
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