こもれびの日記

日々の暮らしをつづります。コモちゃんは夫です。コメントは管理人の判断で削除する場合があります。ご了承下さい。

緑豊かな砂漠の国 イラン北西部周遊 ②

2019-10-31 | 2019年10月イラン北西部

10月4日、ホラマバードのホテルを出発。途中で見た景色。貴重な水を上手に使って灌漑用の水がシャワーのよう。穀物が豊かに育っている。

2時間ほどで世界遺産「ビストゥーン」。

たくさんの人が訪れる観光地。

アケメネス朝、パルティア時代、サファヴィー朝のレリーフを見ることができる。

このレリーフはパルティア時代(紀元前247年~紀元後226年)の横たわるヘラクレス。

ズームで。

 

崖の上に足場が組まれているのはダレイオス1世の戦勝記念碑。遠くて見えないが、勝利の様子が描かれたレリーフと碑文とで構成されている。碑文は楔形文字で、古代ペルシャ語、エラム語、アッカド語の3つの言語によって書かれている。

ズームで。わずかにレリーフが見える。

遺跡の前にはきれいな湧水が出ていた。砂漠の中のオアシス。地元の方はここでピクニックをしていた。

 

昼食はクルド人が経営するレストランで。

シシカバブ。

 

ここから歩いて「ターク・イ・ブスタン洞窟」へ。遺跡公園となっている。

このレリーフはアルデシール2世の就任式。踏みつけられているのはローマ皇帝ユリアヌス。

 

こちらは門の飾りに天使のレリーフ。左右対称の翼を広げている。勝利の女神としてギリシャ神話にも出てくるミケをモデルにしている。

 

ズームで。後にシルクロードを通って遥か日本にまで伝わり正倉院の飛天のルーツになったのでは?と言われている。

 

洞窟内部にはササーン朝後期のホスロウ2世の像。下の断には馬に乗ったホスロウ2世の雄姿。

 

今回のツアー参加者は女性7名と男性2名。女性はスカーフ着用。

ここも湧水があり、実にきれいな水だった。

 

次に行ったのは「テキーイエ・モアーヴェルノルモルク」

ガージャール朝(1796年~1925年)の権力者アーヴェン・アル・モルク氏がイスラム教シーア派の大行事アシュラー、アースーアーヘへの市民の参加を促すため作った。

施設の壁に聖人(ホセイン)が描かれている。

タイル細工が美しい。

モルク氏のお墓。

 

ケルマンシャーに着きホテルへ。夕食はホテルにて。

添乗員の有馬千晶さんはテヘラン大学にも留学経験があり、ペルシャ語が堪能。クルド語もわかるみたいだった。

楽しい旅は続く。

 

 

 

 

 

 

 


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