■4月29日、テルメズのホテルを後にバスで加藤の家へ向かう途中、桑の木がたくさんあった。旧ソ連時代には絹の工場があったのだ。今でも養蚕は行われているし、桑の実はツアー中よく食卓に上がっていた。
■ダルヴェルジン・テパに着き、まず加藤九祚(きゅうぞう)博士の家に行く。
「加藤の家」と大きく漢字で書かれている。テルメズでの発掘の拠点となった場所だ。
2016年加藤博士は93才でここで発掘調査している時に亡くなった。すごいことだ。日本で出版された本も数多い。
国立民族博物館名誉教授、創価大学名誉教授で、1998年以降ウズベキスタン科学アカデミー考古学研究所と共同でクシャン朝仏教遺跡の発掘を行っていた。
博士は敷地内で畑や魚の養殖池を作って自給自足しながら調査していたという。
隣の小学校の内部に模型が展示されている。
外で生徒たちに歓迎された。
■ダルヴェルジン・テパ(四角形の丘)はアムダリヤ川の支流スルハンダリ川流域で最大の都城跡。
木が生い茂って下にあるシャフリスタン(裕福な市民の居住区)が見えません。36kgの金製品が入った壺も出てきた遺跡です。
遠く雪をかぶったヒッサールアライ山脈が見えます。
遺跡は42ヘクタールもあり城壁は2.5kmに及んだということです。壁の厚さが10mもあったとか。
最古の文化層は紀元前3~2世紀でクシャン朝のカニシカ王の時代に最盛期。
3世紀ごろにササン朝ペルシャの侵入か、洪水によって城壁が破壊され衰退したとされています。
■昼食後再びバスに乗り国境へ向かう。
タジキスタンに入国し、ブハラ・ハン国時代の都に残るヒッサール要塞を見学。18世紀のハン(王様)の住居。
タジキスタン国土の模型。
16世紀の神学校。中は博物館になっています。
修復された城門。
要塞内部の再建された職人街のバザール。丘の上に建つのはハンの居城。再現です。
10世紀の門の跡。
タジキスタンの首都ドゥシャンベ(人口100万人)のホテルへ。
4月30日。タジキスタン第3の町クルガンテパへ。
アジナ(悪魔、魔女)・テパ。丘から見たことない出土品が出たから。
7~8世紀の仏教遺跡。世界遺産仮登録されています。基礎部は最長25m、残存する高さは6余り。
小高い丘が大ストゥーパ。日干し煉瓦の上に完全に壁土で覆われているので現状では基壇を見れない。
左の方で12mの涅槃像が見つかっています。仏陀は右脇を下にして横たわっていました。
内陣の壁。
ガイドさんが説明。
こどもが桑の実を売りに来ました。桑の木だらけ・・・・
川べりで昼食後、ドゥシャンベへ戻ります。町に入る前に洗車しなければいけません。首都のため汚い車は入れないのだそう。
タジキスタン国立考古学博物館。
左の方が西遊旅行の添乗員さん。旅行後レジュメを頂きました。
紀元前4世紀の刀の鞘、象牙製。
紀元前5世紀の剣の柄。鹿の角に彫られています。
そしてこれが涅槃像再現。16mあります。足の裏(1.9m)だけでてきたのでそこから再現。
住宅の壁画。
巨大バザールへ。
独立広場へ。1991年までレーニン像があった場所にイスマイル・サマーニ像が置かれています。
イスマール・サマーニはイスラム支配下でサーマン朝を開いた創始者。10世紀のトルコ系のカラ・ハン朝に支配権を奪われ滅ぼされた。その後もトルコ系が続きました。
ホテルは昨日と同じTAJ PALACE。
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