先週の日曜日、録画してあった『テラビシアにかける橋』を見た。
もう十数年前の映画である。WOWOWの番組表で見てなんとなく録画予約をし、ほとんど前情報なしで見始めた。
そして、終盤の展開に驚いて思わず声を上げてしまった。
えーっ!! !
そして泣いたわ……。😭そんな…想定外だったよ……。
本当にびっくりしたので、今は2022年だけどネタバレはしない。
この映画、平たく言うと、子どもが持つイマジネーション(想像力)への讃歌である。
「ここはテラビシアという国」
その一言で森の中の樹木は巨人に、鳥は空飛ぶ凶暴な獣に変わるのだ。
想像はつまらない日常に輝く時間を運んでくる。
こんな体験が子どもの頃の私にもある。
無意味に友達と基地を作ったりしたっけなぁ……。 ただの木の切り株だったりするのだけど。
子どもだけじゃない。大人にだって想像力はある。聖地巡礼だって大いにイマジネーションを働かせている行為だろう。
これは現代に限ったことではなく、もともと日本には【見立ての文化】がある。
日本庭園とか能の世界もそうなのでは?(あまり詳しくないけど💦)
各自がそれぞれの感性で、そこに【とある世界】を見るのだ。
見る人の分だけ、その世界はある。
そして、今日ネットで見かけた岸田奈美氏の記事をここで紹介したい。先日 オープンした『ジブリパーク』に関する記事だ。
『ジブリパークで失った言葉の置き場』
ここで白状してしまうと…実は私はこの歳になるまでTDLにもTDSにも行ったことがない。そう、興味がないのだ。💧 子どもでもいれば行く機会があったかもしれないが、若い頃から行きたいとは思わなかった。
純粋にキャラクターに惹かれなかったというのもある。でも、今日のこの記事を読んで、ひょっとしたら【完璧に設定されていて自分の自由にはならない世界】が苦手だったからなのかも?……と思った。
いやいや、そんなことないよ、想像力働かせること出来るよ…という声も聞こえてきそうだが……。 (なんせ行ったことないからさ!)
とにかく完璧にサービスが行き届いていて、でも決められた世界観を壊すことはNGな感じ?のテーマパークが自分には合わないのだ……と思う。
ではジブリパークはどうだろう?熱烈なジブリファンではない私だが、近場であれば行くかも?と思った。たぶん無料で入れるエリア限定だと思うけど……。いい大人だしw。普通の公園として行けるのならいいかもしれない。☺️🌳季節を感じながら普通に散歩したり、休んだり。
しかし、そんな私が今一番行きたいのは蓮田である!(急にw) 蓮の花が咲いているところを見たい……。
そう。陳情令に出てくる【雲夢の蓮花塢】に見立てたいのである。😁
季節は限定されるが、おそらく入場料もそんなにかからないのでは?
佐原にある水路で舟に乗るのもいい。魏嬰が藍湛に枇杷の実を投げるシーンを容易に想像(妄想)出来る……。
我ながらそれだけで【翔べる】のだから、かなり安上がりな人間だと思うw。
人間の想像力は無限だ。
他人が創り、出来上がった世界を、サービスされる側としてそのまま楽しむのも良いだろう。でも、好き勝手に自分好みの世界を設定、想像し、脳内で味わうのもまた一興だと思う。そんな営みを許してくれる余地が、どうやらジブリパークにはあるみたい。面白いコンセプトだと思う。😉✨