■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森185号

2008-06-24 | 101号~200号
       ■こならの森185号■2003.9発行
表紙 「 霧ヶ峰高原」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森10月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
ドライブガイド「霧ヶ峰高原」」6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

風の独り言

おわら風の盆

ウィンズワールド山渓部 根本
 今、北陸自動車道の能ICを走行しています。まもなく富山市。八尾の町ももう直ぐです。
  又、今年もあの娘達に遭えます。抜けるような色白の美しい顔を菅笠に深深と隠し、派手な衣装を喪服の帯で締めて、音のせぬ、ゆるやかな踊りを見せてくれます。三味の低い調子に呼応する胡弓の旋律。甲高い歌い手の声。又、あの娘達に逢えます。
 11回目の八尾参り。初めて風の盆に出遭った時の感動は忘れられません。日本にこんなに静かな祭りがあるなんて、こんな夢のような空間がこの世にあるなんてと思いました。今、この「風の盆」が壊れかかっています。
 八尾の住民の皆さんの永い間の「風の盆」に対する労苦を思われます。祭りを守ることと来町する観光客の満足を考えることの板ばさみになっているような気がします。
 大勢の人が祭り見学に来過ぎているのです。23000人の住民に対し、230000人の見学客が押し寄せています。八尾の人達はこんなふうに解決を計りました。
 夜の12時までは観光客のための「風の盆」。午前0時からは住民のための「風の盆」、と考えて、12時までは徹底的に観光客にサービスしてくれました。どこの家でも玄関先に縁台を置いて誰でも座れるようにしてくれましたし、シャトルバスの発着所では、目の前で踊ってくれました。列車で来るお客様にはホームで一列になり踊りながら最終列車を見送ってくれました。僅かに10年前のことです。しかし今は、観光客が多すぎて縁台など置く余裕がありません。バスの発着所の近辺も踊りを披露するスペースが無くなってしまいました。駅のホームはもっとひどい状態で、人がホームから線路に落ちてしまう混雑ぶりで、踊りを見せてくれるなど夢のようです。
 これでは「風の盆」の情緒などありません。なぜこの様になってしまったのでしょうか。私は、私と同業の旅行業者のせいと思っています。八つ尾町では観光バスの制限をしていて、3日間で800台のバスにしか許可を与えていないのです。この程度なら、お祭りを十分楽しめる人数かと思うのです。(800台×40人=32000人)。しかし抽選に外れた旅行業者は、なんと富山駅で乗客を下ろし、列車を使って八尾に入ってきたのです(駅で3ツ目)。これだと競演会のチケットの心配もいらないし、高い駐車料(なんと30000円)もいらない。儲かればいいという考えです。祭りの維持など念頭にないようです。かくして町の人が考える予定客の10倍近い客が押し寄せることになってしまいました。しかも12時になっても帰らない。町の人達が楽しみにし、大事にしている夜流し町流しも思うように出来なくなってきています。同業として恥ずかしい話です。おわら風の盆は世界にも珍しい貴重な祭りです。日本の誇りです。同業の皆さん、貴重な日本の文化を守ろうではありませんあか。ルールを守って業務を遂行しようではありませんか。せっかく平和産業に従事しているのですから。


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こならの森184号

2008-06-22 | 101号~200号
       ■こならの森184号■2003.8発行
表紙 「 滝の写真」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森9月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「近隣情報」………………………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

 「CHANTERELLE」の酒ディナー会
  清酒開華醸造元 第一酒造株式会社

 第一酒造株式会社(代表取締役 島田嘉内)は、このほどニューヨークの高級フレンチレストランにて行われた日本酒ディナー会に参加した。日本酒ディナー会が開催されたのは、いずれもニューヨークを代表するレストランである「CHANTERELLE」と「MARCH」。「CHANTERELLE」はレストラン評価誌として名高いZAGATのランキングにてニューヨーク第1位に輝く有名店であり、「MARCH」はフジTV「料理の鉄人」にも登場したシェフ、ウェイン・ニシュの店として有名だ。
 「CHANTERELLE」の酒ディナー会は本年で5回を数え、同社の参加は昨年に続いて2年目。ニューヨークを代表する高級フレンチレストランのコース料理10品と、それぞれの料理にあわせた日本酒10酒類が提供された。参加者は、ほとんどが現地アメリカ人。275ドル(約33,000円)という高い参加費にも関わらず、毎年参加を重ねている参加者も多い。参加者の一人は「これだけの料理とお酒は、なかなか味わえない。日本酒の繊細な味わいは、最近の繊細なフランス料理と非常に相性も良い。シェフとソムリエの作品でもあるこのディナー会に参加することを、とても楽しみにしている。」と語っている。
96年の全米6ヶ所での日本酒セミナーに参加し、昨年本年の日本酒ディナー会にも参加した同社専務取締役島田嘉紀によると「96年の試飲会ツアーがきっかけとなり、それまでの日本人や日本料理店での日本酒消費から、現地アメリカ人が経営する高級リカーストアやフレンチレストランでの日本酒消費への転換点となった。日本酒の輸出も、日本人向けが、日本の不景気による現地滞在員の引き上げなどで停滞となり減少するなか、アメリカ向けは非日本人向けが拡大し、増加している。」という。
 昨年の同時期には栃木県内の天鷹酒造株式会社(湯津上村)がニューヨーク:ジャパンソサエティーにて日本酒利き酒会を開催(酒輸出協会共催)するなど栃木県内の酒蔵は積極的なアメリカ進出をはたしている。ニューヨーク市内において、栃木の地酒は開華、天鷹、千禽(氏家町)、東力士(烏山町)の4銘柄を常時飲むことが可能である。
 国内では焼酎ブームや酒類の多様化などにより、全体出荷量の減少が続く日本酒だが、高品質の地酒は、文化性と共に、味わいの多様性や料理との好相性が再評価されつつある。先入観を持たない海外では、なおさらである。栃木県の地酒も、必ずしも国内で目立つ存在とは言い難いが、先入観を持たない海外では、その品質の素晴らしさがストレートに高く評価されているようだ。
■参 考
第一酒造ホームページ(www.sakekaika.co.jp)


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こならの森183号

2008-06-21 | 101号~200号
       ■こならの森183号■2003.7発行
表紙 「 田沼蓮の花」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森8月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「レンガつくりアーチ橋」………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

日本の近代化遺産
レンガ造りアーチ橋


■日本の近代化遺産
 180号に引き続き今回は、邑楽郡にあるレンガ造りトンネル(正確にはアーチ橋)を紹介。前号では今までのところ、佐野市内にはレンガ造りトンネルは一つしか確認できなかった。伊勢崎線には2つほどが現存しているというので、むかってみた。利根川を挟んでほぼ同位置にアーチ型トンネルがある。
 まず邑楽郡側の明和町へ。本当に土手の直ぐ間際にあった。複線化などにともなって増築された物であろう、西側の入り口はコンクリート造、東側は建築当時のレンガ造りである。直ぐ近くに、川俣事件発祥の地跡がある。川俣事件勃発は1900年。
 東武伊勢崎線は1902年に、加須-川俣間が開通しているので、このトンネルが作られた時期は事件とほぼ同時期である。もしかしたら、事件勃発時も職人がレンガを積んでいたかもしれない。そう思うと、当初の予定には無かったが立ち寄ってみたくなった(後述)。

■川を渡って反対側のトンネルへ。
 デザイン的には同じ造りであるが、邑楽郡側の方は、その上に遙か高くレンガパネルが張られていて巨大なトンネルのように見える。その前後の鉄道橋もレンガが使われている。直ぐ近くに、またもやレンガのトンネルを発見かとむかってみると、レプリカだった(葛西用水取り入れ口跡)残念。

■明治の貴婦人
 あらためて、富岡町のレンガトンネルを、見てみる。よくもまあ、こんなところに(失礼)日本の近代化遺産が存在する物だと感心してしまう。ひいき目ではあるが、今まで見てきたうちでも佐野のレンガ造りトンネル(アーチ橋)が一番優雅で気品があるようにも思う。レンガ造りトンネルの貴婦人だ。邑楽郡のものもそれなりに趣はあるのだが、少し大柄か。羽生市の物は、少し寂れていて朽ち果て乾燥したイメージだ。ペンキで落書きされている点もぞんざいに扱われているのだなと残念に思ってしまう。
 ■その他のレンガ造り構造物
 前回と今回の取材中には、トンネル以外のレンガ造り構造物を多く発見した。それから、こならの森168号で以前に紹介したレンガ造りの塀も気になりだした。そして、東武佐野線葛生駅近くにあるレンガ造りアーチ橋。よくよく見ると、同じレンガを使っているのではないのだろうかと思えるほど、色使いやら時代の趣などが似通って見える。
 今までなぜどうしてだろうと思われたことが、水系を念頭に置いて推測するといとも簡単につながってくる。百年前を考えると、今で言うところの高速道路よりも輸送能力や利便性があったとも思える。下りは水の流れという力を利用したエコ・エネルギー。動力などハナから付いていない。
 水運を利用した、レンガの運送が施工を容易にしたとも考えられる。ひとつ水系が違ってしまうと、その間、川と川とを何らかの方法、陸運などで運ばなければならない。今に置き換えると、新幹線で運んできた物をトラックに積み替えるほどの煩わしさと、同時に発生する経費であろうか。
 確かに館林でみたレンガ造りの塀。それから、加須市でみた我が町の文化遺産ともいえるレンガ造りの塀(こならの森168号参照)など、どれも利根川水系である。川という線でつながっている。
 葛生のレンガ造り眼鏡橋と富岡町のトンネルは同時代の物だと推測される。東武線の一連の架橋の延長線で制作された物だろう。つまり、コンクリート構造にレンガパネルを張り付けるという、近代的「エセ」レンガ造りのようには一見して思えないからである。年季の入ったレンガの枯れ方は、時代がかっている。
 それから佐野市富岡町のレンガ橋、葛生のレンガ造り眼鏡橋、そして邑楽郡のレンガ造りアーチ橋、いずれもお寺さんが近くにある。葛生眼鏡橋はお寺への架け橋でもある。ある意味では、当時豪華で最新鋭の技術だったレンガ造りは、参拝者に配慮した物だったということだろうか。
 そして特殊な存在としてのアーチ構造。その二つがかさなる先には何があるのか。次回は「レンガつづき」最終章。


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こならの森182号

2008-06-20 | 101号~200号
       ■こならの森182号■2003.6発行
表紙 「 麦秋」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森7月号■


結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「ゼリーフライ、イモフライ」…6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

編集後記
こならの森から

 ある首都圏散策ガイドブックを読んでいたら、渡良瀬遊水地のことが紹介されていた。周遊散策にはもってこいの場所である。だが、どういうところなのかを紹介する導入文にはて?と考えさせられるものがあった。
 「………遊水地とはいうが、本来の目的は、足尾銅山から渡良瀬川に流れ込んだ鉱毒を沈澱させることだった。完成は大正7(1918)年。(中略)谷中村を含むこの一帯が遊水地に選ばれたのは、足尾銅山鉱毒事件で、谷中村の反対運動が最も激しかったからだといわれている。」
 反対運動が顕著であったとしても立地条件があり遊水池はどこにもでもつくれるというわけではない。反対運動が先にあって一番激しいところを潰すために、あるいは見せしめのために水の下に沈めるということはどう考えてもおかし。
 専門家ではないので、詳しいことは分からないが、歴史講座などで聞いた話によれば、事実は逆で谷中村一帯は昔から豊かだったからこそ反社会的な行動が弱かった。つまりは潰しやすかった。実際には隣接する埼玉県の北川辺が最初の候補地なっているが、反対運動が強かっために難を逃れ次に栃木県の谷中村に計画されたという経過がある。結果的に谷中村では田中正造とともに最後まで壮絶な戦いが繰り広げられ、映画や小説になったので反対運動が一番強かったと思われても仕方ないが、「反対運動などすると遊水池にされてしまうぞ」と言わんばかりの教訓めいた表現は、あまりにも軽率すぎる。著者があまり調べもせず書いたにしろ、(ガイドブックだし歴史書ではないから仕方がないといえばそれまでだが)年代を含めて詳しく記述しているのであるならその裏をとるのが出版社に課せられた最低限の道理だろう。
 たぶん作者も悪気はけしてないのだろう。本を書く上でいろいろな文献を少しだけ参考にしていって混同しただけなのだろうと好意的、性善説的に思う。だが一番問題なのはその元になった文献はいったい何なのかということだ。その方が一番気がかりだ。そしてガイドブックを手に散策する田中正造を知らないひとたちにどれだけの真実が伝わったのだろうか。
 以上の意見は田中正造の地元であるから(それにしては、ちっぽけな「馬屋」一つ、守れないほどの存在でしかなく説得力は無いが)、より厳しい見方になってしまったのかもしれない。けして感情的になっているわけではないが、歴史というのは風化されやすく、なかなか正しく伝えられないものだと思う。後生の世でも田中正造は、義人でいられるのか。たんなる擬人・変人か。反体制とか、イデオロギーとかの枠の中に閉じこめられたままの人で終わるのか。それは、これからの私を含めた人々の行動にかかっているのだと思う。

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こならの森181号

2008-06-19 | 101号~200号
       ■こならの森181号■2003.5発行
表紙 「古レール橋 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森6月号■


結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「古レール橋」……………………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】
古レール橋を見に行く

 昭和30年代のレトロブームというのはまだ続いているのだろうか。今回の企画は、昭和初期に建設された橋を追ってみた。古レール橋というのは、なんだか聞き慣れないのだが、身近に接する駅周辺では当たり前に見られるものである。ちょっと古い駅舎では、ホームの屋根の支柱などをよく見てみると、古レールが使われていたりする。それも、鉄鋼王と言われたカーネギーの会社製だったりするからビックリ。鉄道関係では、古くからリサイクルがなされているのだなと感心する。それもただ再利用しているだけではなく、立派に一つの独立した造形美を与えているあたりは、さすがだと言わざるをえない。

■3連の古レール橋
 単なる鉄橋というだけなら珍しくもなく、あまり興味を引かないのだが、それが使い古された鉄道のレールで出来ていると言われると、どんな作りなのかと見てみたくもなる。そこでさっそく取材開始。例によって、有名観光地でも無く、案内板や史跡案内などはいっさい無い(こんな取材ばっかし)こならの森流記事。それも無名の川や農業用水に架かる橋なので、あたりの風景は期待できない。ならばせめて菜の花や新緑の美しい頃にと晴れ間をねらって出かけてみた。行田市の押川に集中してあるというので、そこを目指す。後は川沿いに南下していく。これが一番分かりやすい。橋は川に架かっているものだから。
 途中の道筋に「おまけのコーナー」でも紹介する最初の石橋が出現した。当初、取材目的ではなかったものだが、調べていくと同じ年代に出来たものという。おまけが本題を食ったような形になった。余談だが、こういう場合撮影枚数に余裕のあるデジカメを導入して良かったと思う。駄作(ハードディスクゴミ)も多くなるが。
 それはともかくそれらしいと思われる橋にむかうが、そこで一番に出くわしたのはまたもや石橋(青柳橋)だった。
 さらに上流に目をやると、なにやら三連のアーチ橋が遠くに見えた。急いでむかってはみるが、川沿いに続く道というのは雑草が激しく生い茂る農耕道だった。しかたなく、途中から徒歩に。
 写真でもわかるように短い区間に古レールの橋が3つ続く。一番手前(上流側)の橋(水管橋)も三連であったならば、「三重連の3重アーチ橋」としてもっと有名になったかもしれない。そして不思議なのは、3つの橋とも(一つは水管橋だが)、その先に続く接続道路が無い。道路交通上においてはあまり意味のない橋でもあるのだ。
 それにしても3つの橋とも同じデザインではない。真ん中の橋が一番デザイン的にも優れており、原形をとどめているのだという。
 次の橋へむかう。実はこの橋は最初に見つけた橋でもある。(少々、順番などがややこしくなる)。そのためかレールの構造など詳しく写真に収めた。確かに、当たり前ではあるが鉄道のレールを加工してある橋だ。接合部分にはボルトが使われている。そして本来まっすぐであった鉄道のレールを工場内で工業的に加工しているという。どのくらいまで曲げても強度を確保できるものなのか、本来アーチ型は強度を確保できる構造なのかなどは、70年程を過ぎている現在の橋が実証しているようでもある。
 次にむかった橋は、何だか工場跡にあるようないわゆる廃墟、(廃橋)という感じで、あまりにも無惨な印象。接続する道も殆ど忘れ去られたよう。心なしか、重油のような臭いも漂ってきそうな雰囲気だった。
 そしてさらに下流へと向かう道筋に救いのように現れたのは、これまた石橋(堀切橋)だった。
 そして、今回の行程の最後に向かったのは、気分も一新の前屋敷橋。今までとは違った雰囲気だ。あたりの情景はちょっと違って都会的。橋を見に行くにもすれ違いの車のために立ち往生。写真を撮っている私も心狭し。しかし、アーチ構造が複雑に絡みある様は、橋の下からじっくりと眺めた方がよいと思う。


(略)

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こならの森180号

2008-06-18 | 101号~200号
       ■こならの森180号■2003.4発行
表紙 「渡良瀬川橋梁」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森5月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「幻のアーチ橋」…………………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

 ヤンバル帝国化計画36

 毎度おなじみヤンバル帝国化計画でンす。3月のはじめ、朝刊各紙に「ロス疑惑の三浦被告に無罪確定」という見出しがならびました。20数年前、週刊誌の連載に端を発し、そのスキャンダラスな背景に加熱していった迫真のマスコミ取材、報道に釘付けになり、誰もが疑惑を確信していた当時、急先鋒のレポーターを相手に敢然と「マスコミ刑はいけない」とブラウン管から訴えたジャーナリストの筑紫哲也、また、よりにもよってナンパな深夜番組にゲスト出演していた三浦氏目当てで乱入(ヤラセ?)した同じレポーターを前に及び腰になりながらも「正義が勝つには時間がかかる」と言ってのけた青春の巨匠こと森田健作、一方、レポーターは卒業とばかりに半兵衛を決め込むくだんの(やっぱり)レポーター、そして逮捕後、見せしめのように居並ぶカメラの前を引き回した警察官の顔が浮かんできました。紙面から目を離し、フッと落ち着いたところでモーニング。最近、生きたまま腸までとどく乳酸菌が、悪玉菌や病原菌をやっつけて、おなかの中の平和を守り、虫歯やアトピーなどを防ぐというヨーグルトにこってます。ワタクシも毎日かかさず1個いただいでますが、特定保険用食品のマーク有無とほしい効能の乳酸菌を選ぶのがポイントだそうで、カスピ海ヨーグルトの培養(なんかキモチワル)もはじめました。《征服》
ほんのおしるしまで。
今回のおしるし・2

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こならの森179号

2008-06-17 | 101号~200号
       ■こならの森179号■2003.3発行
表紙 「彫刻の森 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森4月号■


結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
[花情報]……………………………6
「彫刻の小径」……………………8
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

風の独り言

「登山とトレッキングの旅」
登山とトレッキングの旅を創めました。
 弊社(ウィンズワールド)は創業40周年を迎えます。本年3月より、山渓部を新設し、本格的に登山とトレッキングの旅を主催することと致しました。新規事業の立ち上げの趣旨は次の通りです。
 山の遭難事故の9割が中高年登山者です。その内8割が未組織登山者(単独、またはご夫婦での入山)であると言われています。充分な装備を持たず、山の経験、知識に乏しく、体力の弱い中高年登山者が全国の山々でお怪我をしたり、その尊い命を失っています。
 弊社の山行ツァーにご参加頂くことにより、山の事故が少しでも減らすことが出来ればと考えております。私達は栃木県山岳連盟のご支援を受け、インストラクターの派遣と指導をお願いすることになりました。出来得る限り安全な登山を心がけていきたいと思っています。
 とは言え、山の事故は何時起こるかわかりません。自然の摂理により発生する事故も多々あります。そしてその責任はお客様の自己責任となる場合がほとんどです。その万が一の事故の補償を主催旅行保険と救援者費用保険(山岳保険)で賄うことと致しました。
 山渓部は未熟な事業部ですが、今後、安全登山の施策に万全を期し、美しい日本の山々を、山行の楽しさを十分に味わって頂けるよう全力で取り組んでいきたいと思います。
 皆様の暖かいご支援と、ツァーへのご参加を心よりお願い致します。


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こならの森178号

2008-06-16 | 101号~200号
       ■こならの森178号■2003.2発行
表紙 「 ラーメンとさきたま古墳群」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森3月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「ラーメン大紀行」………………6
さきたま古墳群……………………8
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

■ちょっとそこまで
さきたま古墳群

 今まで何度か近くを通り何かと気がかりだったところがここである。あまりにも近いところだったためか、たいしたことはないのだろうと思っていたが、多角的に考えてみると全く違った顔が見えてくる。それは縄文時代にまで遡る歴史の蓄積かもしれない。
 園内には最小の前方後円墳とうたわれる古墳があるが本当だろうか。それよりも小さな古墳を佐野市内で見ているし、こならの森でも特集の中で取り上げており、実際に現地へも行っている。もちろん佐野のその古墳がいつ、何年代の古墳であるかについてはよくわからないので、事実は不確かではあるが。
 こうした大規模な史跡は、やはり冬にいくのが一番良い。木々の葉が枯れ古墳が本来の姿に戻り、全貌が把握しやすい。
 余談だが古墳と言われても、小さな円墳などは、自力で作れないこともない。またそれよりも多少大きくなった前方後円墳でも、ある時間を費やせば出来ないほどではないと思う。自力で造れそうな古墳は多く見かけるが、100メートルを超えるものになると事情は少し違ってくるのだろう。
 大きな、円墳(実際には日本一大きいと言われる円墳がさきたま古墳群にはある)よりも小さな前方後円墳の方が素人目には意味があるようにも映って興味は尽きない。丸、円墳という発想はあまりにも単純で誰でも思いつきそうな事であるからだ。それなのに、一ひねりして後方墳を演出する(付け加える)発想はどうしたところから出てきたものか。いかなる考え、発想力の所作か。また、前方後円墳朝鮮オリジナル説が一時期話題になった。最近の調査では、前方後円墳ではないということ。やはり前方後円墳は日本独自のものなのだろうか。これも古代のロマンであろう。
 埼玉県の名前の由来のほんのはじめのはじめ、それはここなのだ。あたりは田園地帯である。よくもこうして残ったものだと不思議な思いもする。規模的にも、数の多さにおいても関東ではまれだろう。どうやら中央政権とつながりのあった豪族がこの地方一帯を支配していたようだ。
 道路を挟んだ、その反対側にも向かってみた。
 こちらはあまりにも生活に密着してしまった、あるいはとけ込んでしまったような気がする。古墳と言うより少し大きな築山か、公園のようでもある。これは湯津上村でみた古墳群のようであった。納屋の先や裏庭をかいくぐって古墳を見て回った記憶がよみがえる。
 さきたま古墳群は、運動場や大型公園、観光地化された施設といった整備の仕方なので、散策やウオーキングにはもってこいだ。事実多くのウオーカーとであった。犬の散歩などでは、回りきれないくらいだ。水をたたえた堀には鴨がたくさん集まっていた。ちょっと見たときには、なんだかわからなかったのだが。

(略)

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こならの森177号

2008-06-15 | 101号~200号
       ■こならの森177号■2003.1発行
表紙 「 ホトケノザとイヌフグリ」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森2月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「平地湖・八丁湖」………………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

平地湖? ウオーキングの楽園?
「八丁湖」ってこんな湖



■「八丁湖」
一番近い平地湖?

■白鳥の湖の謎?
 私は昔から地図を見るのが好きなのです。見ていて楽しいものです。一番楽しいのは新しい発見があるとき、あるいは珍しいものを見つけたときです。
 今回の八丁湖もその一つ、平野部に湖がある?という驚き。そこで、早速むかってみることに。
■謎の看板
 入り口には、白鳥の看板。これはいける? 白鳥も渡ってくるのか?多々良沼よりすごいのか????
 はじめは、どうせ「ため池」くらいなものに大げさに湖なんて名前を付けたんだろう、くらいにしか思っていなかったのだが………。(半分あたっていたが)。
 到着すると、「八丁湖」というなにやら大きな看板が目に入る。観光地にあるようなヤツだ。そして、車を降りると、小さいけれど湖らしい、といった印象を受ける。回りは小高い丘陵で覆われている。そこだけ見るなら高原にある湖そのままだ。車では通れないが、徒歩で回っていける散策道や展望台や休憩所もある。
 散歩やウオーキングをしている人もけっこういた。全部は回れなかったが、途中まで散策をする。
そして一羽だけだったが、水辺に白鳥の姿があった。鴨も何羽か泳いでいる姿が確認できる。しかし、どういう訳か水量が無く干上がった状態だった。もう少し、水かさがあれば又違った風景だったろうにと少々残念。
 休憩所の人に聞くと、どうやら工事の調査中で水を抜いているということだ。今は一羽ですが、真冬になるとさらに何羽か白鳥が飛来するのですか、と訪ねると、そうでは無いという返事。なんともう30年もここで飼われているものだということだ。最初はつがいであったともいう。吉見百穴で飼われていたものをここに移動したという。シラサギか何かの一種なのですかと聞くと、れっきとした白鳥、「コブハクチョウ」だという。帰りにまた例の看板を見たが、白鳥は2羽、まったく看板に偽りありだ。


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こならの森176号

2008-06-13 | 101号~200号
       ■こならの森176号■2002.12発行
表紙 「三毳と霜 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森1月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「風力発電を見に行く」…………8
JCジャーナル……………………12
風の独り言……………………………16
書評/絵本紹介………………………17
三鴨の窓辺から………………………18
各市文化会館情報……………………20
インフォメーション…………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

自然エネルギー
風力発電を見に行く

 風力発電は現在発電量万キロワット。全国に210基ほどある。一基あたりの発電量は300キロワットから800キロワット。風力発電にはコストがかかりすぎると、国があまり見向きもしなかったものが、民間の努力で浸透してきたという経過があるそうだ。
日本の総発電量に対するパーセントは0.2パーセント。2010年までには、300万キロワット(当初は万キロワットだった)に。EUでは、6パーセントを自然エネルギーでまかなっているという。
 全長~メートル、羽の長さまで入れると100メートル近くになる。こうした巨大建築物が何基も建ったら自然景観は一転してしまうだろう。都会のお台場とか夢の島とかいう人工地ならば、巨大な橋のような人工物や東京タワーのようにライトアップして新しい名所ともなるだろうが、豊かな自然のところにマッチするものなのか? オランダにあるような木造の物ならば、いいのかもしれないが。
また自然エネルギーを唱うのだから、建築物もリサイクルできるもので出来ていなければ、意味はあまりないようにも思える。
 下からのぞくと、本当にすごい。このくらい大きくないと出力が出ないのだろう。また高いところの方が風も強いと言うことだ。回り方は非常にゆっくりに見える。風切り音も想像しているよりも少ない。「ビュン、ビュン」とか「ビューン、ビューーン」とかではなく、「シュッル、シュッル」か「シュルッ、シュル」といったくらい。振動も感じない。
 自然の中で突然現れると驚かされる存在だ。


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こならの森175号

2008-06-12 | 101号~200号
       ■こならの森175号■2002.11発行
表紙 「 両毛線線路と、岩舟山」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森12月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
JCジャーナル……………………8
ドライブガイド「長瀞」……………10
風の独り言……………………………16
書評/絵本紹介………………………17
三鴨の窓辺から………………………18
各市文化会館情報……………………20
インフォメーション…………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

何でも探偵団
読者からの質問に答える

「高速道路編」

「これが本当の天下り?」

読者 いつも、仕事で関越道を利用しているのですが、東松山から川越にむかう途中に写真のようなおおいがあるのですがいったいなんですか。
        (久保町Hさん)

編集長 そんなこと道路公団にでも聞けばいいじゃないですか。
てこちゃん(編集部員) そんなこと言わないで調べてあげてくださいよ。
編集長 調べりゃいいんだろう。それにしても、いったいなんだろう。とにかく行ってみるか。
てこちゃん 本当ですか? 
編集長 これってこの季節、ぶどうかなんかの棚じゃないのかな。それとも山芋の自生地とかアケビとか………はたまた天然記念物?
てこちゃん どこにもそんなのなっていませんよ。鉄骨で出来ているし、光を遮っていないところを見ると、何らかのガードであることは間違いないですね。高速道路だから、車の走行に支障がないように出来ていますね。すぐ近くに電車が走っていたが、それと何らかの関係があるんじゃないかな。走行する電車からものを投げこまれるとか、何か降ってくるとか?

編集長 よくわからん。秩父からの線だったりすると、風に乗って積み荷の石灰かなんかが飛んでくるとか。
てこちゃん だったら、完全な屋根が着いていますよ。豪雪地帯でもないし。

―地図を見てみると、東武線が走っている。だがその地図をよく見てみると、答えが分かった。どうやら辺り一帯は、ゴルフ場であるらしい。道路の方が後から出来たのだろう、しかたなく玉よけの覆いを付けたようだ。それにしても大がかりな作りですね。(詳しいことが知りたい人は、本当にJHに聞いてください)。
てこちゃん さっそく答えを教えてあげましたよ。
 なんどか走行はしているけれど、まだ一度も空からボールが降ってきたことはないそうです。
「利根川編」
読者から 多摩川のたまちゃんは有名ですが、友人からの情報では、利根川を渡った時に「たま(とね)ちゃん」らしきものを見たというのです。もちろん本当ですよ。一瞬だったので、確認は出来なかったそうですが、こならの森でそういった企画があると聞きましたので、連絡しました。(富岡町の佐藤さん)
てこちゃん ………いったいどうしたらいいんですか。
編集長 それを確認する、確かめるのが今回の企画でしょ。
てこちゃん  全くその通りですね。
 しかし「身内」からの企画にしては大変な様相ですね。
編集長 初回だからしょうがないのじゃないですか。

―ともかくこならの森編集委員は利根川に急行する。
 たまちゃん2号がいるかどうかはしりませんが、いるとしたら少なくても多摩川なんて汚い川より、もっと綺麗な川にたどり着くんじゃないの、例えば渡良瀬川とまではいわなくても、利根川なんて多摩川なんかよりも北寄りで、迷い込みそうじゃない。そして、利根川に迷い込んだのだら渡良瀬川にだって来てくれるはず、そしたら秋山川にだって迷い込んで(サケじゃないんだから)「アッシー(どっかで聞いた名前だな)」とか、いわれたらどうしよう………本気かよ。でも人生ひょうたんから駒だし………そんなことを話しながら橋を渡ると確かに、川面にそれらしき姿が、すぐにクルマをとめて取材開始。
 「・だ・が・!・」
てこちゃん これじゃあ本当にテレビとかの世界じゃないのですか…………

 ともかく写真をご覧頂きたい。
てこちゃん これって「たまちゃん」じゃなくて、「タマ」そのものじゃないのですか。

 そこで依頼者の佐藤さんに聞いてみると、意外な事実が………。

佐藤 何を見ているんですか、写真では全体が写っていませんが、波のその先にある姿(写真参照)それを見れば分かってくれると思いますよ。

 そこで、編集室は、その画像を拡大してみた。するとそこにあらわれた恐るべき実体とは!(またですか、たまじゃなくて)
 たまちゃんかあるいは、まったくいままで認識されなかった新生物か(Xファイルか)。早くも編集部では、ネッシー以来の「とねぴー」だと、想像をふくらませている。

(さすがは、徳川埋蔵金などといってさんざん読者を引っ張った編集部だけのことはある)。
 でも、あの企画の続編を期待しているのは、佐藤さんの友人ですよ。
 そうだったっけ?

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こならの森174号

2008-06-11 | 101号~200号
       ■こならの森174号■2002.10発行
表紙 「 いちょうと道路標識」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森11月号■


結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
スローフード………………………6
JCジャーナル……………………8
美術館案内・館林美術館……………10
風の独り言……………………………16
書評/絵本紹介………………………17
三鴨の窓辺から………………………18
各市文化会館情報……………………20
インフォメーション…………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

どこか懐かしい
スローフード

「ふるさとの味おふくろの味」
 スローフードの企画を考えていたときに、思いあたったのが「ふるさとの味おふくろの味」という本だった。同書を知ったきっかけは、知人の母親からいただいたコンニャク芋が大きく成長して、いよいよ手作りコンニャク造りに挑戦というときに、この本も貸して頂いだ。コンニャクの他にもいろいろと手作り食品や漬け物などの加工食品の作り方が載せてあって興味津々、いつしか愛読書になったしまった。
 そして幾つかのレシピをこならの森でも紹介したいと、発行元の栃木県農業者懇談合に問い合わせてみたら、こころよく承諾していただいた。
 肉食・肉料理が献立の中心の今、同本は昔ながらの野菜中心のレシピが多数紹介されている。試みに、数ある今の料理本のレシピの中から、肉魚類を全く使っていない料理を探してもらいたいと思う。「ほんだし」はもちろん、コンソメの素、肉類を使用したと思われる類のソース、だし入り味噌、など厳しく使用をチェックしていったら、全てが消えてしまうに違いない。それほど、肉中心の食生活になってしまっている。テレビでは野菜だけの料理を精進(料理)とまでいって一括りにしているほどだ。
 同本には、しもつかれや昔懐かしいタンサン饅頭から唐沢山の松茸料理なども掲載している。残念ながら、現在は発売されていない(それに代わって「新しい味とちぎ」(1050円)という本は発売されているということだ)。しかも、聞き取りや執筆協力者により実際に日頃から作っている料理を紹介している。また郷土料理12ヶ月や日光輪王寺などの特別料理、民俗学からみたふるさとの食制など、貴重な資料も網羅している。
 誰でも知っている料理から、聞いたこともない名前まで目次を見ているだけでも楽しい。全部は紹介できないが、幾つか紹介したい。
 まず変わったところでは、ニラの花の酢のもの/つくしのから煮/つくしのピクルス/ズイキ(ヤツガシラのイモガラ)の保存食。名前で聞き慣れないもの(編者だけなのかもしれないが)に、「おつぼ(法事料理)」/「おこと汁(お講汁)」/「にごり」/ざくもり(お祭り料理)
■タンサンまんじゅうだけじゃない。
 手作りまんじゅうも、きんとんまんじゅう/ヤマイモまんじゅう//地粉の工夫まんじゅう/みそ入りまんじゅう/牛乳入り小麦まんじゅう/酒まんじゅう/小麦まんじゅう/田舎まんじゅう/小麦(白色・褐色)まんじゅう/むしまんじゅうなど多数。
■残りごはんを利用
 またやりくり主(夫)婦にうれしい、残りごはんのお菓子/冷やごはんの衣揚げ。

■今回はその中から2点ほど紹介いたします。

 「おつぼ」
 法事料理の一つです。作り方は簡単で、インゲン、サトイモなどの材料が片栗のトロミで、口当たりがなめらかになり美味しく、普段のおそう菜にもなります。
 なおつめたくなるほど美味しいので、秋の農繁期の保存食の一つにしております。
1 白インゲンは水洗いし、指でつぶれ る程度にやわらかく煮ておく。
2 サトイモ、ニンジン、ゴボウ、こんにゃくを全部さいの目に切る。
3 鍋に、1、2、の材料を全部入れ、ひたひたの水、調味料を入れて、火にかける。
4 野菜がやわらかく煮えたら、ゆるく水溶きした片粟粉を入れてトロミをつける。
      (小川町 川上さん)

■材  料
白インゲン…2合
サトイモ……5個
ニンジン……小1本
ゴボウ………小1本
こんにゃく…1丁
■調味料
しょうゆ…大さじ4
砂 糖……大さじ2
片栗粉……大さじ2


「おこと汁」
 祖母が何かことある日にこしらえて、おこと汁といっていたので、私は何となくおこと汁と思っていましたが、あとになってお講汁、また、いとこ汁などと、いう似たような料理の記事を読んだことがあります。本当の名はしりません。
1 小豆は洗って一晩水につけ、翌日大鍋に水をたっぷり入れてことこと煮る。
2 ダイコンはいちょう切り、ニンジンは太ければ二つに割って、細ければそのままの薄い輪切り、サトイモも輪切り(野菜全部をけんちん汁の時のよううに切ればよい)。
3 ゴボウは斜めうす切りにして、水に放ちあくを抜き油揚げ、熱湯をかけて油抜きにしてから短冊切り、こんにゃくは油揚げくらいに切ってさっとゆでる。
4 小豆が八分通り煮えたところに、野菜を入れて煮る。野菜が煮えるころは小豆もつぶれるくらい柔らかくなっているから、油湯げ、こんにゃくを入れて、塩、しょうゆで味付けし、温かいところをいただく。(もし途中水が少くなったら適当に水をさしてよい。味加減はおすましより濃いめがよい)。
     (宇都宮市 加藤さん)


■材  料
小 豆………カップ1
ダイコン
ニンジン  
サトイモ………取り合わせ500gぐらい  
ゴボウ
油揚げ………1~2枚
こんにゃく……1/2
塩、しょうゆ…適宜

 最近、おにぎり屋さんが流行っているとかいう新聞記事を目にした。和風ファーストフードというふれこみだった。確かにそういえないこともない。しかし一つ一つ手作り(手握り)にこだわっているという。そして、ひとつ作るごとに手を洗うという気の入れよう。とても「ファースト」とは言えないのに、値段はコンビニのおにぎりと変わらない。おにぎりはいいけれど、コンビニ食はどうもという人にはうれしいのかもしれない。この辺はひどく曖昧だ。そもそも「おにぎり」とは和食なのか、ファーストフードなのか、奥は深そうである。
 駅弁のはしりは「おにぎり」だったが、駅弁はファーストフードといえるのかどうか。それともおにぎりだから和風ファーストフードなのか。そしてまた、「おにぎり屋さん」も一時の流行で終わってしまうのか、それはわからない。

 スローフードというと、これからの進歩的なある種の食生活だと思ってしまうが、翻って考えれば、伝統的な食生活の見直し、もっとかび臭い言葉でいえば温故知新ではないだろうか。スローフードのそれらしい日本語訳はまだないが、あえて四文字熟語を選べば「温故知新」となろう。

■スローフード(slowfood)とは、
 ファーストフードの対語としてイタリアで生まれた言葉と言う。
ある新聞によれば「食事くらいゆっくり食べよう」と載っていた。また、
日本スローフード協会のホームページでは、
「1 消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワイン(酒)を守る。
2 質のよい素材を提供する小生産者を守る。
3 子供たちを含め、消費者に味の教育を進める。
 イタリアのブラ(BRA)という片田舎からスタートしたN.P.O.(Non-Profit Operation)運動です。」とある。


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こならの森173号

2008-06-10 | 101号~200号
       ■こならの森173号■2002.9発行
表紙 「 三毳山、畑」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森10月号■


結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
シリーズ道の駅「めぬま」……………6
「合併問題」…………………………… 10
JCジャーナル…………………………14
風の独り言………………………………16
書評/絵本紹介…………………………17
新釈・現代国語辞典……………………18
新・エッセイ 三鴨の窓辺から………19
各市文化会館情報………………………20
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

ヤンバル帝国化計画 -29-
箱ブランコ
 
 毎度おなじみヤンバル帝国化計画です。毎朝必ず引っかかる信号近くの神社に懐かしい箱ブランコがあります。地面との隙間に挟まれるなど事故の危険性が最近指摘され、子供たちもより付かず、今やすっかり遺物化していますが、構造、材質を問題視して製造や放置責任ばかりやり玉に上がり、保護者を含めた遊ぶ側のモラル、身体力などの変化についてはあまり議論されません。ことなかれと排除するだけで充分ですか? ちなみにウチのお子どもは、立ち乗りでビュンビュン飛ばし、こっちが見かねて止めに入るほどですが、箱ブラをけしてバカにせず、いつも真剣そのもの(まるでデューク東郷)です。公園からすべての遊具が消えて無くなる日もそう遠くないことでしょう、エエきっと。(遊具に絶対安全はありません)

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こならの森172号

2008-06-09 | 101号~200号
       ■こならの森172号■2002.8発行
表紙 「 編集室前の木」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森9月号■
結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
行財政改革………………………………6
JCジャーナル…………………………14
風の独り言………………………………16
書評/絵本紹介…………………………17
新釈・現代国語辞典……………………18
新・エッセイ 三鴨の窓辺から………19
各市文化会館情報………………………20
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

マッタナシ!
行財政改革キックオフ宣言
(佐野市文化会館において行われた、講演会より採録、編集しました。)
       文責・こならの森

行財政改革

 市長の施政方針演説には三つの明確なことが謳われております。一つは「市民みんなに分かりやすい施政をやりたい」。これは基本的なことであり施政運営の原則です。二番目に、「みんなで考えみんなで参加するまちづくりをおこないたい」。清掃の施設一つを造るときにも、絶対に住民参画なしには出来ない。住民参画の最大のメリットは住民が自分たちの地域のことに気がつき、自分たちで地域の問題を解決しようとしていく気力と力と知恵を発揮できるようになることです。これが住民参画のもっとも大きな意味です。
 みなさん方が改革をおやりにならなければ、佐野はどこからも見放されますし、合併が進もうとしていますけれどもその気力がない人たちが合併したって合併後にいい自治体が生まれるなんていうことはない。
 私が聞いたところでは最初に100人公募したら(新清掃センター建設百人委員会)206人のお手が挙がったそうです。これが可能性じゃないですか。今まで役所のみなさんはそういうことをお考えになったことがありますか。市民の力を引き出す以外に、まちづくりや地域づくりが出来ることはありません。住民参画では必ず住民が学び、自分たちでどういう施策をどういうふうにすればいいかということに気がつき、自分たちで担っていかれるようになる。そうすると必ず、そのプロセスの中で職員が鍛えられる。住民は絶対職員を見ています。
 「あの課長はちゃんと評定して、ものがいえる人。この課長は、ほとんど何もしなかった人」。見抜かれているんですよ。したがって住民参画は双方にとってプラスになります。
 三点目は、「変化に強く時代に挑戦する気概を持った行政をつくっていきたい」。したがって職員を見いだしていきたい。どこの自治体でも取り組まなければいけない主の課題になっております。
 まず最初にイヤミから…今の時代は変わることが大事、変化することが大事です。時代と社会が大きく変わろうとするときに自分が変われるかどうか。これが一番難しい。
 自分の周辺が変わらなければいけないのに、気がつかない人、この人には危機はまいりません。鈍感な人は感じません。このタイプの職員はお話になりません。この人たちは、給料はもらっているが何事もしていない。出来れば、辞めてもらおうと思いますが、充分守られていますからなりません。しかし、自分は変われると思っていながらも変わらない人がいる。 

「今のようなぬるま湯の状態が
一番自分にとっていいと思っている」

 第一番目は怠け者。面倒くさい、いろんな事をやるのは大変だ。今のままでいいと怠惰です。二番目に変わるということに不安感がある人。自信がない人はどうしても不安に駆られますので、自分を変えようとはしません。
 三番目、これが一番悪いんですが、今のようなぬるま湯の状態が一番自分にとっていいと思っている人。こういう人を保身者というんです。地域の将来よりも、自分の身がかわいい。こういう人は自分で自分のことを変えていくことが出来ません。
 このタイプの職員に対し、自治体にとっての最大の方針は人事です。変わらなければいけないのに変わることをしない職員は、ぜひとも自治体職員を辞めてもらいたい。辞めた後の補充はいとも簡単です。すぐ民間から再採用することが可能です。
 ある自治体で十年とか十五年勤めてしまうと民間にいってもほとんど務まりません。民間で十年、十五年やっていた人物であれば、今の自治体へ行ったら必ず務まります。ぬるま湯にいた職員など民間では引き取りません。この落差こそ、自治体の中の最大の問題だと私は思います。
 地域にとって自治体というのは労働機会を与えている最大の雇用主なんですね。したがって、役場こそ人材を育てるべきです。場合によっては、民間でどうしても人材が欲しいときには、「あの人が欲しい、申し訳ないけれど役場から話してもらえないだろうか」と言われるようにすべきでしょう。民間がほとんど引き取らない人間をそのまま置いていてどうするんですか。

『職員が今以上の仕事を
 したくないと思っている』

 この議論をすると、ストレートに人事管理システムを改革することになります。一番仕事を怠けていたのは、総務部総務課人事担当職員だと思っています。事態を悪化させたこの人たちが意識を改革して、本当に職員を大事にするシステムの改革をやらないかぎり、内からの変化は絶対に起こりません。したがて起こさないようなタイプが総務課にいたら総入れ替えすべきです。
 私は6年間、地方分権推進委員会で分権改革のお手伝いをしました。その成果が、475本の法律の改正に実りました。その時にしみじみ感じたことがある。分権改革に対してブレーキになったのは、市町村の職員が今以上の仕事をしたくないと思っていることです。
 分権改革最大の焦点はその一括法が実施されたあとです。現在では市町村でも都道府県でも国の事務は一切やっていない。今までは国の機関として仕事をさせられ、通達でがんじがらめになっていた。明治21年以来100年を越えてこの体制の中にあった。今回この体制の中から脱却することが出来た。全ての事務は地方公共団体の事務を担っている。その意識で、自分の仕事の運び方、内容についてきちっとものを見ている人間が出てこないかぎり、今回の分権改革の成果は、現場において実効性を発揮することはない。
 今回の分権改革が、明治以来の原理的な転換にどれほどなったかについてほとんど意を持ち得ない管理職がどれくらい多いか。せつないほどであります。自分たちに関わる大きな改革が来たときに、だれよりも自分の問題としてこれに率先して取り組み、職場を改革していこう。というふうに考えないような人たちに、自治が担えるはずがない。
 もともと潜在的にその能力をお持ちになっていながら、気がつかない。能力を引き出す努力をしないまま人生を終わっていくのはせつないではないですか。
 人は、持っている能力の半分以上も発揮しないまま死んでいくんでしょう。ちょっとした自覚です。そのことに気がついたときに、実は今まで無かった自分のあり方が見えてくるはずなんです。
 職場論の集約的な言い方は次のような文言なんです。これは若い職員でも、まもなく定年間近の職員でも同じ事です。自己形成をやり続けることが、何よりも大事なんです。日本の自治体、市町村の最大の弱点は、この自己形成の営みを大部分の人たちが管理職になると止めてしまうことです。日本の昇進制度というのは一度ある時期に管理職になってしまうとずっと管理職なんです。
 職員の皆さんがご自分のことをどう考えるかは大事ですが、全体として職場や管理の体制そのもの、人事の方針、管理システムの改革。その問題が必ずあると見ています。一人だけで頑張っても難しいんです。

(後略)

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こならの森171号

2008-06-08 | 101号~200号
       ■こならの森171号■2002.7発行
表紙 「 あじさいの花」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森8月号■

結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
ドライブガイド「大滝村・栃本 」 …6
JCジャーナル…………………………14
風の独り言………………………………16
書評/絵本紹介…………………………17
新釈・現代国語辞典……………………18
新・エッセイ 三鴨の窓辺から………19
各市文化会館情報………………………20
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

風の独り言
極東ロシア紀行

 ロシアの旅も2日目をむかえ、今日は大型ヘリコプターに乗ってシベリアの少数民族ナナイ族の村を訪問することとアムール河のクルーズが予定されている。
 朝食後バスに乗り近郊の小型機専用飛行場に向かう。わずかに1時間のフライトだが不思議なことにパスポートのチェックがある。そして上空からの写真撮影は禁止だそうだ。ロシアは変な国だ。乗せられたヘリコプターは思った通りかなりの中古機で、15人乗りの座席の脇に大型のドラムカンが据えられている。予備の燃料を入れるらしい。まさしくこのヘリは少し前までは軍用ヘリではなかったか。本当に飛んでくれるのか、心配になった。それでも、ツンドラの大地と悠久のアムール河を眼下に500mの上空を飛行する。
 しかし、ナナイ族の村に着いても着陸地点が見当たらない。どこに降りるのかと思っていたら、なんとアムール河の川岸で泥の部分がちょっと出ている所に2、3度やり直した後、降りた。日本では考えられないアクロバットだ。機外に降りて見たら後輪はめり込み、後部は水の上に出ていた。
 少数民族ナナイ族の村は予想に反し、小博物館になっており民族資料館、昔の跡と言ったほうが正しい。つまり生活の匂いがしない。少数民族も永い時間の流れとともにロシアに同化して、昔のまんまの生活をしている人はいないらしい。
 今回はヘリコプターに乗れたが、ロシアではお金を出せば何にでも乗せてくれるらしい。先日も20億円出してロシアのロケットに乗り宇宙旅行をしてきた人が話題になった。インツーリストのガイドに聞いてみた。
「今度来た時はジェット戦闘機に乗りたい。」
「手配してみる。」
ロシアは本当に変な国だ。
 その又翌日、ハバロフスクのごく普通のご家庭を訪問した。家庭料理をご馳走になり、1時間ほど話をさせて頂いた。名前はクジノフさん。奥さんと二人。64才。年金暮らし。子供さん一家はウラジオストックに住んでいるという。年金は月に米ドルで40$(5200円)10階建てアパートの5階に住み、部屋代は5000円だそうだ。アルバイトをしないと生活が出来ないと言う。この家庭訪問ツァーもアルバイトらしい。いろいろ話をしたが最後に北方領土の返還問題について聞いてみた。
「クリル諸島は元来日本の領土と思うがロシア人は返還する考えはないですか。」
「いや、クリル諸島はロシアの領土だ。日本に返すことは将来にわたってないだろう。」
「なぜですか。」
「本来領土とは戦争によってのみ変わるものだ。だから今はロシアの領土だ。」
一瞬自分の顔がこわばるのを感じた。
「話合いによって返還する気はないのか。」
「ないだろう。」
「それでは又、戦争をしなければいけない事になる。」
「……。」
 ヨーロッパの永い歴史の中で獲った獲られたの戦争の明け暮れを経験した民族の考え方なのだろう。
「極東ロシアの人々にとって、クリル諸島は日本に返還された方が幸せだろう。なぜなら日本人全員がロシアに感謝する。ロシア人に対する考え方を変え、日本の資本が大量にロシアに流れ、皆さんの生活が今よりはるかに楽になるでしょう。」
「領土とはそんなに簡単なものではないでしょう。」
 帰り際に握手をすべくさし出した手が形式的で力を感じられなかった。
 改めて問題の難しさを思い知らされた。
      次回は「サハリン、タラナイ川の魚釣り。」


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