■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森140号

2008-05-13 | 101号~200号
       ■こならの森140号■1999.12発行
表紙 「 桜草」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森1月号■

3pとしこの巻頭詩
4p-7p JCトーク
8p やんばる
9p 結婚 土澤さん夫妻
10-11p NAZA報告「6」
12-19p 特集 恐竜大発掘
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から「おじゅけん」

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【本文抜粋記事】

絵本紹介

ぐりとぐらの1ねんかん

     なかがわりえこと
     やまわきゆりこ/作
       福音館書店/刊

 もうすぐ2000年です。もちろん、その前にクリスマスがありますが、今月の絵本はもうこれですよ、これ。最初のページはもちろん、あけましておめでとう。最後のページは、ではまたらいねん。ぐりとぐらの生活が月ごとに展開します。ページをめくるのがほんと、楽しい絵本です。ミレニアムにふさわしい絵本です。 絵本仲間・コロポックル かりんとう   



こならの森139号

2008-05-12 | 101号~200号
       ■こならの森139号■1999.11発行
表紙 「とみあさ公園 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森12月号■

3pとしこの巻頭詩「ひめりんご」
4p-7p JCトーク
8p やんばる
9p 結婚 森さん夫妻
10-11p NAZA「5」
12-18p 特集 六合村双体道祖神
19p 現代国語
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

ドライブガイド

六合村双対道祖神めぐり


■六合村と高山村の
 双体道祖神をめぐる
 この地方は双体道祖神が多いことで有名です。いったいどのくらいあるのかは分かりませんが、六合村では道祖神の内のほとんどが双体道祖神だそうです。
 かつてこならの森で特集した、粟野町の双体道祖神は数ある道祖神の中のほんの一部であったのに、六合村はそうではありません。また田沼町のある道祖神は、双体ではありませんが、千体もあるものもあります。地域性というものがあるのでしょう、興味を引かれます。
  佐野市内には、双体道祖神を見ることはありませんが、どうして山岳部にこうも多くの道祖神があるのでしょう。都市部にあったものは、消滅してしまっているのか、はたまた、山岳部のものが偶然にも今に残っているのか、あるいはその信仰が根強く続いているのか、良くは分かりませんが、調べてみる価値はありそうです。

■高山村
まずともかくその一というか第一番目の双体道祖神を見に行くことにしました。その前にまず、役場に向かってみることに。ちょうど昼時だったのですが、親切な対応で案内マップをゲット。それから、足早に一番近くの道祖神へ。行ってみると、どういうわけか道路の上にありました。この辺は、粟野町の立地条件と同じです。もちろん道路の方が後からできたのですから、昔の地形は今と違っていたのでしょう。メインの国道沿いにあるのですから、驚きでした。しかし、その後はなかなか見つけられませんでした。 蔵の後ろとか、生活の一部として当たり前に存在している。道も狭いので、ここまで入ってくるか~と思うところまで入り込んだりして迷惑をかけてしまったことも。また、そればかりか、行き止まり近くになってUターンもやっとという場所もあったり。また、お目当ての道祖神を見過ごしたり、行き過ぎたり、山奥だったり。事前にマップを入手して、ルートを検討することが必要です。


■六合村
 信州の山奥、伊那谷を旅しているのかと思わせる景色。ラジオを聞くと関東キー局の放送が良く入る。ノイズも少ない。あれ、と?考えると、それもそのはず。ここは関東(群馬)なのだから………。
 それはともかく、派手な案内標識というものはありませんので、見落とすこともあります。道も狭いので走行には注意が必要。また、逆に観光目的で最近製作された真新しいものがあったり、苔むしているが昭和期に製作された比較的新しい作品であったり、惑わされることもあります。
 これからの季節にはそばの食べ歩きをしながら回ってみるというのもいいかも知れません。

■見て回るには
 エチケットも必要
  双体道祖神は本当に町の中に点在していますもちろんのことですが、観光を目的としてたてられたものではないのでちょっとしたエチケットも必要なようです。マップをもらって、一つ一つていねいに探っていかないと、見つけにくものもあります。行き過ぎてから、気がつくこともままありました。そしてほんの少しばかる過ぎただけなのに、体くらいの道祖神があったりして、車での移動では細かく見て歩くのは大変だと実感。本格的に見て回るなら徒歩がお勧めです。
 実際に小回りがきかず、効率が大変悪くなってしまった。また、道祖神そのものが村の辻つじとか境など分かりやすいところにあるわけではなく、蔵の後ろとか、生活の一部として当たり前に存在している。道も狭いので、ここまで入ってくるか~と思うところまで入り込んだりして迷惑をかけてしまったことも。


こならの森138号

2008-05-11 | 101号~200号
       ■こならの森138号■1999.10発行

表紙 「みかも岩舟コスモスひき 」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森11月号■

3pとしこの巻頭詩「とうがらし」
4p-7p JC
8p やんばる
9p 結婚 深田さん
10-11p NAZA「4」
12-19p ロマンチック街道
20-21p 協賛店・MAP
22p 現代国語
23p 書評「」・絵本紹介「」
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から「マック」

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【本文抜粋記事】

ロマンチック街道をゆく

■ロマンチック街道
 ドイツロマンチック街道にはドイツローマン派の詩人たちが住み、あるいはこの街道を訪れて作品を残しているという。日本ロマンチック街道も日本における最もドイツ的景観をもち、日本ロマンの歌人、詩人たちが住み、または訪れていて作品を残している。
 『ロマンチック』というのは本当にロマンチックだ。一番、日本人を酔わせる最もロマンチックな言葉は、やっぱりロマンチックなのだろう。と、わけのわからぬ言葉になってしまった。ロマンチックという響とは裏腹に、辞書を引いて日本語化すると=[空想的な]や、[夢想家]という言葉がでてくる。あの有名なK辞典でさえもこれほどボキャヒンなのだ。それは、日本人そのものがボキャヒンだということだろうか。相手(カタカナ文化圏)は二十数字しか文字をもっていないというのに………。
 それはともかく、これでは、あまりいい言葉のようには聞こえない。洋画などの会話で「あなたってロマンチックな人なのね」と訳すのと「空想家なのね!」と訳すのでは全く意味が違ってしまう。

14p
■どうでもいいことだけど、ちょっとこだわってみました。『ロマン』か『ローマン』か?
 浪漫(ろーまん)。このワープロでは、[ろまん]と入力しても、ロマンとしか変換されない。では[ろーまん]では? これも[ローマン]で、浪漫とは変換されない。いったいどう入力したら変換してくれるの。
 編者が高校生のときの国語の授業中に、浪漫主義というのをロマン主義と読んだら、回りからブーイング、『ローマン』だろうと回りから問い詰められた。先生はというと、無言………つまりどっちでもいいだろう、というのが彼の解答だったが、本当はどうなのだろうか。
 『ロマン』を無理やり日本語化したものが浪漫という漢字なのだろうが、『ローマン』というと、ローマ風の、ローマ人のという意味合いもあるのでは………いろいろあちこち手を尽くして調べてみたが、釈然とはしなかった。どうやら『ローマン』と『ろうまん』は違うものらしい。

 宇都宮のろまんちっく村もろうまんちっく村にしてほしいよな。
ああ、ひがみっぽくなってしまった。


■上田ローマン橋はどうして、『ローマン』なのか、よく分からない。大きなアーチがローマン=ローマ風に優雅なのかも知れない。
 結局ローマンかロマンかよく分かりませんでした。でもローマンが正しいのなら、ロマンスもローマンスと言ってほしいよな。こだわりの一言でした。ロマンのほうすっきりしているし、浪漫だと冗漫みたいで、まどろっこしい。

ロマンチック街道
プロローグ
 鹿沼町の293線を通ると、その景観とは無関係にロマンチック街道と書かれた緑色の案内標識が目についた。何度か通るたびに、(いったい何なのだろうという)その好奇心は増えた。そして今年、こならの森はロマンチック街道を走破する。

 小諸市より軽井沢を越え、群馬県(内の)を通り、栃木県の日光までを結ぶ全長230@の街道をロマンチック街道と称するという。 他に小径=ガゼット(というのだそうだ)があり総延長350キロと、ドイツと同じキロ数になっている。

■上田市
 名前は聞いていても、観光地としては捕らえていない感じもあったのではないだろうか。

■嬬恋村と言えば、キャベツです
 高原地帯に来たというのに、標示板の気温は27度もある。どこまでいっても、やはり同じ。1500メートルくらいまで上がらないと、『高原』らしさはないのかもしれない。

■野反湖
 本ルートからは外れているらしいのだが、野反湖を目指す。日程的に、『時間押し』の状態なのだが、先を急ぐ。今までの台地、山間部と違った山岳路が続く。急にハンドルの切り角度が激しくなる。『ゲーセン』もどきのルートにトライ。タイヤが泣く。少々あきあきしてきたころに、湖畔に到着する。

 第一印象には、激しいものがあった。全く期待していなかったから………。しかし、それはすぐに裏切られる結果になった。でも、よく遠くを見てみると、ダムサイトが。なんと、これダム湖だったの。歴史を振り返ってみると。元は、野反池といわれる沼が点在していた湿原地帯だったとか。そのまま、湿原地帯として保存すれば第2の尾瀬と言われただろうに、何とも残念。高度成長期の申し子と言えないこともない。
 ロマンチック街道はカナダのメープル街道とも姉妹となっているが、カナダ旅行で出会った(名前は忘れてしまったが)湖のようであって、感動もひとしおだ。はっきり言って、群馬にもこんな所があるのか(失礼)と思ってしまう。信州なら突然こうした湖が現れても何とも思わなかったのだろうが………。

■嬬恋村
 実は、昨年の絵本美術館巡りの企画で、このルートは通っていた。長野原一帯のこの地区は、新潟や長野方面への単なる通過点で、その他の観光地のことは今まで全く頭になかった。しかし、本当はこんな『通過点』のルート越しに、いくつかの素晴らしいルートが隠れていたのだ。

■若山牧水の足跡をたずねて
暮坂峠
 『峠』とう国字を作ってしまうあたり、山河の多い島国であると思いさせられる。そして、それがまたロマンへとつながるのだろう。 放浪の詩人(旅人)が粗雑な格好で旅をつづけ、実際にこの峠を越えたのかと思うだけで、ジンとくるものがある。若山牧水や暮坂峠で詠んだ『枯れ野の旅』といったことを知らなかったとしても………。

■牧水会館、(旧大岩学校)
 大正11年、草津から沢渡温泉まで行く途中の10月20日に若山牧水が立ち寄っている。校庭には歌碑がある。また、毎年10月20日には牧水まつりが暮坂峠を会場にして行われる。

同年11月15日には、老神温泉で詠んだ歌の歌碑もある。

■吾妻渓谷
 平行するその下のルートが吾妻渓谷沿いのルート。しかし、この地区にダム建設の予定があって、景観美やルートの変更も将来的にはありそうである。

■ロックハート城
 中之条町から高山村を通るが、今までのルートと違ってひなびた感じが、本家の街道に近いかもしれない。そんな中山道に突如現れるのが、ロックハート城だ。
 ヨーロッパから移築復元された古城のほかバンジージャンプや博物館などもそなえるテーマパーク。

■沼田市
 関口コオきり絵美術館(入館大人300円、子ども100円、月曜休館)や、香りと石のミュージアム『香石館』、花とみつばちとの会話花みつばち館などみどころ、立ちよりどころがたくさん。
 変わった所では、沼田・月夜野・水上のインターチェンジで聞けるミニ・FM『FM OZE=76・5MHz』の日本ロマンチック街道情報だ。平日12:45~13:00

 白沢村から利根村、片品村へのルートは尾瀬をはじめこれからの季節、奥利根や丸沼などのスキー場へ向かうルートとしておなじみ。普通の道とあまり変わらない、どこにでもある『街道』であるので、『ここがロマンチック街道?なの』と疑ってしまう人も多いかも。しかしながら途中には東洋のナイアガラと言われる吹き割りの滝があったり、椎坂峠には、児童文学者で望郷の詩人と言われる「おのちゅうこう(1908~1990・白沢村生まれ)」の歌碑もある。

■白沢村・幸田露伴の文学碑
 日光の湯本から金精峠を越えて行く道すがらに出会った女性とのエピソードを綴った、『対髑髏』の一節が刻まれた幸田露伴の文学碑もある。

■利根村『ふきわれ俳句大会』
 なんと、特選3句は句碑となって『詩のこみち』に建立されるという快挙の句会。新しい俳句の歴史とロマンを作れるかも………

■結論
 ロマンあふれる街道に違いない。まだ、未整理な部分もあり、本格的なドライブコースとはなっていない。これからの整備が待たれるが、ドイツという国は、あの速度無制限の高速道路『アウトバーン』や、ベンツ、ポルシェといった車を搬出するいわば『自動車先進国』。どこまで、それらをお手本にできるのか、未知数でもある。 リゾートなんとかとか、バブルなんとかという空想や夢想に終わってほしくはないものだ。


こならの森137号

2008-05-11 | 101号~200号
       ■こならの森137号■1999.9発行

C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森10月号■

3pとしこの巻頭詩「いちじく」
4p-9p JC
10p ヤンバルお店紹介『ディズニー』
11p  結婚・誕生しました
12-16p たくみの里
17p 現代国語
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

■■■見本誌今はなし■■■

【本文抜粋記事】

ドライブガイド

@たくみの里
 わら細工、おめんの、竹細工などのほか陶芸や藍染めなどの手づくり体験ができる施設が19も点在している。ここは、三国街道の須川宿があったところ。道の真ん中には往時をしのばせる用水路が通っている。くるみの家、マッチ絵の家など思わずのぞいてみたくなるところばかり。一日いても飽きない空間だ。月曜から金曜までは休館となる施設もある。各施設とも連接しているので短時間にハシゴして歩ける。洒落た喫茶コーナーで一休み。お食事処や茶屋、おみやげもの店も充実している。須川宿資料館や須川正教会などもお見逃しなく。全体を見て歩くのには5、6キロほどの工程。野仏めぐりと併せると一日ゆっくりと散策ができる。

@野仏めぐり
 モデルコース(9体)にそって歩くと1時間半くらいで回れる。スタンプノートを買って各野仏のスタンプを集めるのも楽しい。記念品ももらえるゾ。
 たくみの里から群馬サイクルスポーツセンターへの道すがらの柳沼で、ガイドブックにも載っておらず、案内板もない双体道祖神を見つけた。こうしたことも、旅の楽しみのひとつだ。

@群馬サイクルスポーツセンター
 太田市にある『ぐんまこどもの国』の施設の一部の規模を拡大したようなセンター。自転車の種類も多く、コースも広いが料金は高め。変わり自転車などのスポーツを中心にしたテーマパークとしては楽しめそう。家族で競争したり、いろいろな乗り物にチャレンジするのもいい。
 近くの大峰山山麓には、日本有数の浮島で有名な大峰沼がある。上毛高原まで下る道は、狭くて急な山道となっているが、少しいくとタイムトンネルから抜け出して来たかと思うほど、視界が広がる。と、同時に下界の雑多な風景が現れて少しの間は、いったいどこへ来たのだろうかと思われるほどだ。

@散策スタート
 たくみの里総合案内所から付近の散策にスタート。すぐ近くにある第1番目の野仏の双体道祖神は必見だ。その右手が石画の家だが、今日は休館日。その隣をよく見てみると、なんと交番である。付近の建物と調和しているので、一見したのでは交番とはとても思えない造り。その早紀は下り坂となっている。途中まで下って引き返し、本街道へもどる。総合案内所の中に入って、案内マップをもらう。おみやけものがいっぱいある。近くには洒落たつくりの福寿茶屋がある。
 水路のあるメインストリートをゆくと道の両隣に手作り体験工房が並んでいる。右手には昔ながらの水車があった。故障中なのか回っていなかったのは残念。
 急須の家、くるみの家とまわり、マッチ絵の家へ。中に入ると、本当に小さなマッチ絵がたくさん飾ってある。喫茶も併設されているので一息つくのもよい。
 工房までの木々に囲まれたアプローチも、雰囲気があってなかなかいい。さらに木織の家、和紙の家と、藍染めの家と回る。どれも手作りの雰囲気が暖かく伝わってくる。ここまで急ぎ足に散策しても30分ほどしか、かからない。ちょうど榛名山などにある観光土手馬車がのどかに通りかかった。


こならの森136号

2008-05-11 | 101号~200号
       ■こならの森136号■1999.8発行

表紙 「高速夜景」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森9月号■

3pとしこの巻頭詩「とうもろこし」
4p-9p JCトーク・松永安優美さん
10pヤンバルお店紹介『 いおり』
11p 茂呂居さん夫妻 誕生しました
12-16p 伊香保
18-19p インタビュー/影澤
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評「催眠」
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

■■■■■■

【本文抜粋記事】

ドライブガイド
伊香保

[ぐるっと散策、榛名山・伊香保温泉石段街]

 赤城山、榛名山というのは日光の男体山よりも近くにあり、身近な存在であると思われてきたので、今回のちょっと旅の企画に選んでみました。しかし、佐野から桐生までは国道50号が整備されてきたので早く行けますが、問題は『その先』です。先月号で紹介したように近年、テーマーパークや記念館、アート館、公園が軒並み、赤城や榛名山を囲むようにできたこともあって、渋滞が激しくなっています。
 また佐野市から向かうには、高速道路の利用もできず、かえって今では(高速道路を使って行く)男体山より時間がかかっているようです。
 しかし榛名、伊香保だけではなく周辺の観光スポットをいくつか回ると絶好の日帰りコースとなります。下手をすると一日では回り切れないほど。トリックアート館、ガラス美術館なども道すがらにあり利用しやすいコースかも知れません。

●上毛三山(妙義山・榛名山・赤城山)
 上毛三山のひとつ榛名山は榛名富士と榛名湖の回りを外輪山がめぐる二重式火山。大正初期までは、蒸気の噴き出す、スチームバス状の湯治場があり、旅館も4つほどあって、たいそうにぎわっていたという。また、多くの風穴があり中は冷蔵庫のような涼しさ。

●沼の原から木道のある散策道
(関東ふれあいの道)をゆく
 時間があれば榛名湖付近から温泉街までのハイキングをおすすめする。
 もう盛りを過ぎてしまっていたがニッコウキスゲの花が群落している。その先には榛名富士がそびえ立つ。梅雨明け後にもかかわらず、穏やかな気候汗もあまりかかず、ゆったりと回りの景色を楽しめる絶好の遊歩道となっている。また、このルートは関東ふれあいの道ともなっている。標高も最高で1200メートルと初心者向。《歩行時間3時間10分》

[昔なつかしい、独特な雰囲気]

●伊香保温泉・石段街
 長さ300メートル、360段。温泉街の中央にある石段には、与謝野晶子の詩が刻まれている。 一歩足を踏みだすと、どこか違った世界に迷い込んだような雰囲気が漂ってくる。昔なつかしい商店があったり、手作りのガラスショップなど雰囲気づくりに余念がない。温泉客のほかに付近を散策する観光客の姿も見かける。

●伊香保温泉
 温泉という言葉はなんとなくゆったりとくつろぐ場所というイメージだが、この街はまさしくその言葉のとおりである。
 温泉そのものは、2000年前に榛名山の二ッ岳が爆発したことにより湧出したといわれる。温泉街は400年前に作られた。江戸時代には三国街道の裏往還として賑わい、関所も置かれた。露天風呂も多くある。
《硫酸塩泉・温度45~66度、源泉6カ所》

●伊香保露天風呂●
 伊香保町伊香保甲湯元581-1
湯船の横に小さな脱衣所があるだけの素朴なもの。入浴料400円。

●文人たちの心のふるさと
 群馬の三大温泉。永井荷風、徳富蘆花などの文人たちが訪れ作品を残している。
・徳富蘆花
 明治の文豪。代表作の「不如帰(ホトトギス)」は伊香保で執筆され、その舞台となった伊香保温泉の名を全国に広めた。記念館は蘆花終焉の家で遺品などが展示されている。蘆花公園には、胸像、詩碑などがある。
・竹久夢二
 美人画で一世を風靡した画家。大正8年より伊香保を訪れ、数多くの作品をのこした。記念館にはその作品群が展示されている。

●万葉歌碑
 万葉集東歌の中に伊香保を詠んだ歌が九首あり、その歌碑が町内に点在する。また、水沢観音の裏手には、万葉植物130種を植えた植物園もある。


●竹久夢二伊香保記念館


 梅雨明けから本当に猛暑の連続。雨も降らず、夕立もない。編集室の西側には大きな窓があるので、西日のきつさはすごいが、榎の大木があるために多少はしのぎやすい。梅雨のときには、うっとうしく思えた木々だったが、今では清涼感いっぱいで見ているだけで暑さも和らぐようだ。
 夕刻、辺りの色が消え、葉っぱの輪郭の先に空が見える。そして日中とは違ったシルエットが展開する。
 樹木なんてあってあたり前、『自然』なんかじゃない。十代のころは、そんな考えがあたり前だったが、今はまた違った感覚で自然の変化を楽しめるようになった。暑いときも寒いときもまたいい。
 田舎で生まれて田舎で育って、今また田舎暮らしをしている。
 若いころは、都会暮らしにあこがれた。すべてがあった、あるいはすべてがあるだろうと思えたので、そこに向かったのだが、時代はもう都会ではない。
 よくあるたとえに、『北関東の田舎出身の〇〇氏は、………』というのがある。どういう人だろうと、想像を踏まえて次を読み進んでいくと、必ず『いなかっぺ』。最大に形容できても『東京ぼんた』のイメージだ。
 昔、四国へ行ったときに、地元の人から「ここは僻地だろ」といわれたことを思い出す。その後、四国にはたくさんの『橋』が架けられているが、それは反動であったのだろうか。
 広辞苑によると『僻地』とは自分の住む土地の謙譲語であるという。田舎生まれの私はその時、こう答えていた。「日本に僻地なんてありませんよ」


こならの森135号

2008-05-10 | 101号~200号
       ■こならの森135号■1999.7発行

表紙 「小中町」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森8月号■

3pとしこの巻頭詩「べにばな」
4p-7p とちぎとぐんま
8pヤンバルお店紹介『 イタリアンパスタマンジャーレ』
9p 高橋さん夫妻 誕生しました
10-11p インタビュー/ライオンズ
12-13p NAZA「2」
14-18p JC・ルネッサンス
19p 現代国語 たん
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評「菊次郎の夏」
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から
■■■■■■

【本文抜粋記事】

SFミステリー

NAZA報告 第2回 松本鬼三郎

 NAZA、その秘密基地は、亜空間にある。そしてその境界は、電磁波発生装置によって閉ざされている。ごくまれに、難破船や道を外れた登山家などが迷い込んだりすることがあるが、境界線にある管理局によってすみやかに排除される。
 今も境界線管理局のモニターに、赤く点滅する点が浮かび上がった。
 局員のアマリは、すぐに通信回線をひらいた。
 「管理局のアマリです。モニターが侵入者をとらえました。侵入者は一名。ただ、もうひとり、こちら側から外に向かっている者がいます。何物かは不明」
 「確認してくれ。俺は現場に向かう」
 「無茶はしないでくださいよ」
 「事の臨んで、臨機応変に判断し、最善の行動をとる。まかせておけって」
 「了解」
 そのころアキラは、強い想念にとらわれていた。何者かが、彼の意識に働きかけている。何かを語りかけようとしている。それは一種のテレパシーだろう。彼をその相手を確かめるために、施設を抜け出し、境界線へと向かう荒れ地を歩いていた。
 一時間も歩いただろうか。遠くに人影が見える。目指す相手に違いない。しかし、その姿はすぐに見えなくなった。荒れ地に霧が出てきた。霧はみるみる深くなった。アキラは、濃密な霧に包み込まれた。延ばした手が、まったく見えない。足場の悪い荒れ地で、これでは進むことができない。
 そのとき、霧の向こうから、不思議な声が聞こえてきた。霧の中から聞こえてくる声は、魔性のつぶやきのような響をもっていた。
 「こちらは管理局のアマリ。キリカと連絡をとった。侵入者は、テロリストに雇われた傭兵。登山者を装っているが、武装している。仔細は不明。すみやかに排除されたし。それからもうひとりは、アキラという訓練生。意識を操作されている模様。目を覚ましてやってください。以上。」
 「了解」
 声がとぎれた。
 アキラは自分の名前をよばれて、びっくりして辺りを見まわした。
 すぐ近くで、何かが動いている。大型のワゴン車のようだ。黒い影が動いている。静に、ゆっくりと、彼の方に向かってくる。一メートルほどに近づくと、霧が乱れて、黒い影がはっきりと見えてきた。それはワゴン車などではなかった。巨大な物体、しかも生物の東部だ。黒い鱗に覆われた皮膚、鼻面から伸びた長いひげは五メートルもあろうか。丸く濁った水晶のような目玉が、ぎょろりとこちらを向いた。頭頂部には、後方に伸びる二本の角と、たてがみのような金毛がなびいている。
 アキラは、ただ立ち尽くしていた。声が出ない。身体がすくんでいる。息さえできない。ただ目をあけて、なめらかに動く生き物の姿をみつめていた。
 「どうやら、目は覚めたようだな。」
 すぐ近くで、声がした。
 振りかえると、すぐ後ろに年配の男が立っていた。グレースーツに身をつつみ、手には飾り彫りのある大きなつえを握っている。
 「あなたは?」
 「竜のスデッキマスター。といっても、訓練生ではまだわからぬか。境界線の警備員といったところだ」
 「境界線の?」
 「そう。テロリストに雇われたスパイが入り込んだので、始末しにきた。お前は、そのスパイに操られていたんだ。おそらく精神波の共鳴音をたぐりよせてきたのだろう。精神感応は、注意しないと、つけいられる危険がある。覚えておくんだな」
 「はあ。ところで、いまの巨大な生物はなんですか?」
 「竜だよ。俺は竜使いでな。この杖は生体エネルギー増幅装置だ。これで竜を顕在化させ、思い通りに操ることができる」
 年配の男は、そう言って杖を高々と振り上げた。
 竜は頭をぐいっと持ち上げると、そのままするすると上空に上っていった。男が、杖を振り下ろす。竜の長く黒い影が、地面に向かって降下をはじめた。
 さきほど人影をみた場所だ。
 ピストルの発射音が、広野に響き渡る。それから男の悲鳴が、上空へと上がっていった。一陣の風が起こった。霧の切れ間から、天に昇っていく竜の姿が見えた。


こならの森134号

2008-05-10 | 101号~200号
       ■こならの森134号■1999.6発行

表紙 「花と蝶」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森7月号■

3pとしこの巻頭詩「つるばら」
4p-7pJC・ルネッサンス 蒲田 尚史
8pヤンバル・お店紹介
9p誕生しました 串田さん夫妻
10-11p NAZA「1」
12-18p 関東の駅百選
19p 現代国語 たみ 
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から
■■■■■■

【本文抜粋記事】

JC・ルネッサンストーク 
(財)さわやか福祉財団 蒲田 尚史さんより、21世紀に向けてのNPO社会の創造についてお話をうかがいました。

■PROFILE@@@@@@
蒲田 尚史(かまだ なおふみ)
1947年 兵庫県生まれ。


~官から民へ~

@兵藤 最初に、さわやか福祉財団(理事長 堀田 力氏)についてお話いただけますか。
@蒲田 私どもは、新しいふれあい社会、つまり、昔から日本の持っている、お互い様で助け合おうという、ふれあいのある地域社会を目指しています。高齢者の方も、障害者の方も、子供も、皆が生活しやすいまちを作る。個性やプライバシーを尊重にするということが大前提になりますが。これが、究極の目標なんです。
@兵藤 具体的にどのような活動をされていますか。
@蒲田 高齢者問題を切り口として、新しいふれあい社会を作っていこうと考えて、活動をしています。その為に、ボランティアを奨励したりしています。私が行なっているのは、企業や組合等に対して、社会参加を呼びかけたり、あとでふれますボランティア団体への支援をお願いしたりしています。
 来年4月から介護保険制度が始まりますが、これが始まりますと日本の高齢者福祉は、公的介護保険制度の導入によって、今迄の措置福祉(行政が一方的にしてあげるという形)から、契約形態に変わります。中央から地方に、官から民にという動きも制度に反映されています。つまり、中央から地方というのは、保険の主体が市町村になるということ、官から民にというのは、実際に介護にあたる居宅サービス事業ですが、今迄は、行政が中心になって措置として行っていたが、これがなくなり、民間の社会福祉法人であれ、医療法人であれ、NPOであれ、民間企業であれ、いろいろなところが参入してきて、競争を行うようになる。ここに非常に大きな意味があります。 この介護保険制度自体は、そういった意味からも、画期的な制度なんです。さわやか福祉財団は、この制度をうまく機能させるために、いろいろな取り組みをしております。たとえば、ある高齢者が要介護認定を申請します。「あなたは保険の適用になりますよ。」と認められればよいですが、認められない方への対応、お弁当を届ける、病院へつれていくといった介護保険制度の対象外のサービス、更に心の交流といった性格上、保険制度に馴染まないサービス、こういった部分を充実していかないことには、介護保険制度がうまく機能しないというのが、我々の考え方です。介護保険制度は、行政が上手にやってください、さわやか福祉財団としては、制度の外の部分の充実を関係先に働きかけていきます。
 具体的にはどうするかと言いますと、ボランティア団体を、2005年迄に、大小含めて5千団体までに増やしていこうと考えています。現在、私が行っていることは、青年会議所や、企業の方達に、人、物、金、情報の面でボランティア団体を支援をしてくださいというお願いをすることなんですね。
@兵藤 他にどのような取組みをされていますか。
@蒲田 もう1つ大事な取組みに、子どもの心の教育の問題があります。21世紀は、 少子高齢社会、2015年には、4人に1人は高齢者が占めるようになります。今、小さな子ども達には、ふれあい体験というものが不足しております。
 家庭の中だけで、そのまま育ってしまう。ふれあい体験や、社会体験がないために、いじめの問題などがでてきている。そういう意味で子ども達に、ふれあい体験をさせてあげたい。どのように体験させるかというと、小学校、中学校の子供達に、社会貢献教育ということで、学校教育の中で教え、実践をさせる。その一環として、ふれあい体験、たとえば商店街にお願いして、子供達を3日位預かってもらい、見学ではなく、商品を棚に乗せたり、レジでお金を計算したり、掃除のお手伝いをしたりという体験をさせてあげる、というようなことを考えております。
 子供の教育の場には、家庭、学校、地域とありますが、地域の教育力をいかに学校の教育の場に持ち込むかということ、あくまでも先生方が主人公です。昔からの地域の歴史に詳しい人を学校に呼んで話をしてもらったり、環境問題に詳しい人に話をしてもらったり、というように学校以外の人達にも話をしてもらう。あるいは、学校での情報教育に、先生だけでなく、地域の中でパソコンを使える高齢者の方達に、先生達のサポートをしてもらいながら勉強をするというようなことも考えいます。このような取り組みが、ふれあいのある地域社会づくりに繋がっていくものと考えています。

~ボランティア意識の違い~

@兵藤 私も、最近、ようやくNPO、自己責任という言葉が自然に頭に入ってくるようになりましたが、蒲田さんが取組まれてこられた活動当初と、最近の活動との中で、どのような変化にお気づきでしょうか。
@蒲田 福祉に取り組むNPOといえば、まずは、全国各市町村に社会福祉協議会があります。一般の方は、行政の延長であると思われがちですが、実は純粋な民間団体なのです。もっとも、一般の方がそう思うのにはそれなりの理由はあるのです。
 実は、一昨年あたりから、社会福祉の基礎構造改革といったことが厚生省の審議会で論議されはじめ、昨年の夏には中間報告が出されました。これに伴い、社会福祉協議会も大きく変貌するだろうと思われます。 一方、企業の考え方は、大分変わってきました。ただ、個人レベルでアンケートをとりますと、アメリカなどでは、月曜日から金曜日までは利益を上げることに必死になっておりますが、せめて土、日曜日はボランティアをすることで命の洗濯をしたい、という考え方です。日本の場合は、月曜日から金曜日までは、アメリカと同じように利益を上げることに必死になっているが、せめて土、日曜日は家でゆっくりしたい、こういった考え方の違いがありますね。これは急には変わらない。

~権利を獲得するために~

@兵藤 昨年暮れ、議員立法によりNPO法が施行されました。まだまだこの法律への理解は薄いように思われますが、蒲田さんは、この現状をどのようにお考えでしょうか。
@蒲田 NPO団体としての申請が、2月末時点で330位でています。NPO法ができたのは、やはり市民の力だと思っています。税制上の優遇措置は明らかにされていませんが、法人格を持つことによって、たくさんのメリットがあります。また、附則で、3年以内に見直すことになっていますが、この3年間が勝負になると思っております。その為には、できるだけ多くの団体が、認証を受けて、どんどん良い活動をして欲しい。団体によっては、税制の優遇措置がでてから認証を取ろうとしている団体もありますが、これは本末転倒であり、自分達で作り上げて行かねばならない。
 日本の法律は、ドイツ、フランス法をベースに作られておりますが、今回のNPO法は、考え方が英米法に近く、市民の力がベースとなって作られております。ですから、みんなでこれだけの良い活動をしているのだから、税制面での優遇措置を考えて欲しい、と言っていかなければいけない。その相手は、官なんですね。
@兵藤 そうですね。どんどん良い活動をし、私達の権利を勝ち取って行くことが民主主義でしょうか。
@蒲田 阪神大震災において、100人の人がいて、パンが50個しかない、といった状況で、行政では配ることが出来ない。しかし、ボランティアの人達は、その場所へ行って配れるんですね。こういったことから、行政で実現できない公益がある、ということがそこで実証された訳ですね。これは、一つの大きな流れになっています。 一昨年12月に、政府の行政改革会議最終報告の中に、公共性の空間は、官の独占物ではない、と趣旨のことが、政府の公式文書にきちっと謳われました。これは、非常に画期的なことですね。ですから、公益を実現する主体としては、当然、ボランティアセクターが入ってくるわけですね。我々が税金を払っているということは、税金で道路を造る、橋を造る、公民館を造るなどがありますが、やはり、良いまちにして欲しい、公益を実現して欲しいからですね。公益を実現する主体に税金を使うことは、当然ですよね。社会福祉法人や行政にお金をだすと、所得税控除があります。
 ところが、たとえば他の良い活動をしている団体に寄付しても、一部を除き、税制面での優遇措置は何もないですね。そこが公益を実現している団体であれば、税金の分もそこに寄付しても良いはずですね。その為には、多くの団体が良い活動をしていかなければいけない。
@兵藤 私達はボランティアやNPOを巻き込んで人、物、情報、金が循環するセンター機能を作ろうと意見交換を進めておりますが、ある方のお話で、「ボランティア社会は、縦社会ではなく、横社会の繋がりがボランティア社会になっていますが、組織を作ると言うことには、特定のそういったイメージが出来てしまうのでいやだ。」という発言がありましたが……
@蒲田 それは、非常に大事なことですね。NPOの申請をしない団体は、ボランティア団体ではないといった風潮も一部には見られます。NPO申請をし、法人格を取った人達が集まって、法人格を取っていない人達を下に見るようなこともあるのかとは思いますが、これはとんでもない話ですね。そういう団体も非常に大事です。しかも、法人格を取った団体と、取らない団体は、横並びです。上下はありません。
 今、兵藤さんが言われた、組織ができるということは、組織の規律である程度の縛られる部分がでてきます。自由な活動をしているある個人が、組織の中に入ることによって自由度は減っていくということと、自分の理念が組織を通じ、よりダイナミックな形で実現できるということの接点を見いだすかなんですね。自分の理念が実現できるということが大きければ、組織に入っていくでしょう。
 しかし、そうでない方もいます。これは、強制はできません。逆に言うとNPOは、出来るだけ縛りをかけないで、自由な活動の出来る組織にすることが必要なんですね。それから、NPOの申請で言うならば、今の一番の問題は、都道府県の窓口の方達には、今迄このような経験がないですから、ある程度は仕方のないことですが、役所の対応ですね。昔からある許可スタイル、許可主義の時代の手続きの対応を行う訳です。認証というのは、認可、要するに、法に準拠していれば自動的に認められることになっております。窓口の方達には、そういう意識がない方も多い。ですから、そこで問題が起こる。これを急に変えることはなかなか難しいですが、行政の方達にもNPOの精神を解っていただきたいですね。
@兵藤そうですね。NPO活動を通して、皆さんとNPO精神を広めていきたいですね。
 本日は、お忙しい中ありがとうございました。
 (注)NPOとは、「非営利市民活動」のことです。市民が主役になる仕組み、心の豊かさを実感できる仕組み、明るい未来の扉を開く仕組みとして、社会システムの中心となるものです。 
 NPOとは、行政から独立して、利益を追求することなく、市民が自発的に社会に対してサービスを提供する市民組織・団体のことです。
 NPOとは、社会に提供したり、市民・企業・行政のパートナーシップを生かしたり、情報を積極的に公開していくことで、ゆるやかに市民
が中心の社会を実現していくシステムです。


こならの森133号

2008-05-09 | 101号~200号
       ■こならの森133号■1999.5発行

表紙 「こならの若芽」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森6月号■

3p としこの巻頭詩「かたつむり」
4p-7p JC・ルネッサンス 
8p ヤンバル・お店紹介『ホップの森 』
9p 誕生しました 萩原忠之さん&みゆきさん
10-11p ショート「謎」
12-13p 駅舎問題
14-18p 特集 行楽情報
19p 現代国語 たま 
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評「 」
23p 書評「 」・絵本紹介「 」
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から「春も本番~」

■■■■■■

【本文抜粋記事】

JC・ルネッサンストーク

とちのみ学園長 高沢 茂夫さんより、21世紀を迎えようとしている今、福祉と地域とのかかわりあい、福祉のこれからについて、お話をうかがいました。

■PROFILE
高澤 茂夫(たかざわ しげお)
1949年 佐野市生まれ。

~福祉の専門性を追求していく~

・兵藤 最初に、とちのみ学園についてお話ください。
・高澤 とちのみ学園は、現在、知的障害者更正施設で定員80名の全寮制の施設です。開園は、昭和34年、知的障害児施設として発足し、昨年、40周年を迎えました。栃木県内では、3番目に歴史のある施設となっております。当時は、障害者に対しての理解も少なく、開設者は大分ご苦労されたと聞いております。施設も時代のニーズによって少しずつ変化しておりまして、昭和30年代になると、知的障害児、成人施設とできてきました。しかし、社会の高度化、生活レベルのUPなどにより養護施設の役割が見直され、児童施設も、養護学校が確立し、また施設に対する親達の考え方の変化、それに加えて少子化も関係し、全国的には定員割れを起こした施設も出てきました。
 この学園も40年近く児童の施設として運営してきましたが、この問題の他に入所児童の重度化、滞留化の問題が起きまして入所している方達の入れ替え、すなわち、回転が減ってきました。20年位前ですと、成人になれば親元に帰るか、成人の施設にいくか、或いは社会人として自立するという形でしたが、実社会へ自立していく人達は、年々少なくなり、卒園をすると代わりに重度の人が入所してくる。成人の施設はどうかというと、家庭でも受け入れられないという理由で、20歳迄しかいられない児童施設に、40歳を越える人達がでてきて、平均年齢も上がってしまいました。
 実質的には成人施設と同じになってしまった、また、施設内を活性化させる事もあり、建物を改築したのを契機に2年前に成人の施設に移行しまして、現在に至っております。現在、80名の利用者の内、71名が重度認定を受けた重度者です。
・兵藤 とちのみ学園ができた頃のからの時代背景をお聞きしましたが、現状の問題点についてお話ください。
・高澤 福祉の分野にも、大きな変化が起こっています。1つには民間企業が参入し、競争の原理が働いてくる。そういう中で、「福祉の専門性とはなにか?」という事についてあらためて考えなければならない。福祉の専門性を追求する訳ですが、それ以前にフィロソフィーの問題、自分なりの哲学、人生観を持っていなければこれからは勤まらないと思っております。二つめの問題点として、労働時間短縮の問題があります。こういう施設というのは、どうしても時間短縮が難しい。人を扱う仕事であり、全寮制で24時間お世話しなければなりませんから、時間短縮を行うと、どうしても手薄になってしまう。時間短縮されて手薄になった部分をどのように補っていくかということも大きな問題です。そこで、NPOやボランティアの必要性がでてくる訳です。その中には、とちのみ学園として、どのようにボランティアを育成していくかという事があり、それがとちのみ学園だけですとなかなかボランティアが育成できないので、一番良いのは地域をあげてのボランティア組織の構築になります。そういうものに我々も援助もしていかなければいけないし、逆に援助をしてもらう、ということになります。
・兵藤 互いが違いを認め合いながら、互いの善意が生かされる地域社会を私たちも創っていきたいと思います。
~21世紀への大きな変革の波~
・兵藤 今、ビッグバンといわれるように、世の中の仕組みが大きく変わってきていますが、福祉の分野において、今後、変化していくだろうと思われることにはどんなことがありますか。
・高澤 今、まさに福祉にもビッグバンが始まっております。福祉というものは、弱者救済という考え方から始まっていますから、その心は、当然、永遠に変わらないとは思いますが、ややもすると「やってあげる」という意識、イメージが強いようですが、これからは、そんな考えではやっていけませんね。福祉施設も転換期にきております。まずは、介護保険の導入に伴って、大きく措置という考え方、形態が変わってきます。知的障害の施設もいずれ同じように変わるということになるでしょう。形態が変わるということは、今後は個人対個人の問題になってくる。要するに、「あなたは弱者であるからここに行きなさい、お金は出すから」と上から与えられる形態から、「自分で選んでここに来ます、ですから私にこれだけのサービスをしなさい」という形態になってきます。自己決定であり、自己で責任を持つということが、大きな変化かと思います。これからの施設というのは、まず、お互いが対等である、ということが前面に出てくると思われます。
・兵藤 どのようにでしょうか。
・高澤 措置制度が廃止され、契約制になります。しかし、障害を持った人達が対象ですから、それらの下支えがなければ機能しませんね。下支えとなる権利保障としてのアドボカシーサービス(代弁サービス)が必要となってきますし、その一つに成年後見制度という新しい制度ができました。いくら対等だからといっても、知的に障害がある人や、痴呆性老人の方達は正当な契約が出来るのか、というような問題がある。民法の中で禁治産者、準禁治産者制度というのがあります。この人達は意志決定が難しいとされ、強制的に後見人や代理人がいて、この人の財産などについても自分では勝手に出来ないという状況があります。それらを踏まえた上で、幅をもう少し広げて、お互い対等な立場でいくという流れの中で、介護保険と同時に成年後見制度も法制化されてスタートされるということになります。
後見人には、法的な後見人と契約上の後見人という2種類がありますが、すべて契約というもので成り立っています。施設を選ぶ、サービスを選ぶなど。たとえば、この人に合ったサービスは何なのかということを、対象者と後見人が話し合いながら選び、契約を交わし、その後、適正なサービスができているかどうかを後見人がチェックをする、という制度に変わってきます。では、お金がない、解らないという人はどうなのかとなりますと、契約された後見人ではなく、法的に制度として後見人をつけることができるようになります。自分で選んだ後見人や、法的な後見人が十分な働きをしていない場合には、やめさせることもできます。後見人は、法務省の管轄になりますが、それとは別に、厚生省の管轄で、地域福祉権利擁護事業制度という、日常的な身の回りのお世話をしてあげる制度もスタートします。ですから、2つの制度が同時にスタートすると思われます。その制度の中には、後見人や、世話人が適正な働きをしているかという検査をする機関を作りまして、弁護士や医者や福祉士などの専門性を持った後見監査人といわれる方たちが、総合的な判断をし、罷免にすることもできるようになります。後見監査人については、現在、弁護士会等でもやろうということで動いているようです。 
・兵藤 人の人としての根源を見つめ直すこととなりますね。
・高澤 そうですね。「対等な立場」を維持するということが、21世紀の福祉施設の流れになると思います。ある意味では厳しく、また、ある意味ではあたりまえのことですね。施設として考えると、民間企業も参入してきますし、競争原理、市場原理の導入があります。そんな中で、我々としては、ヒューマンサービス業として、徹底して利用者の要求に沿ったサービスの提供を一人一人が考えていかなければいけないと思っております。また、情報の開示ということも重要になります。それは、どの程度のサービスがこの施設にあるのか、どういった財務管理がされているのかなどについても、施設を選ぶ場合には必要な情報となります。ですから、我々の学園でもインターネットなどを使用して、こういったサービスをしていますというようなことを公開する事が最低の条件になると思います。アメリカなどでは既にそういった状況になっています。福祉関係の職員も、もともと善意の心を持っているからこのような施設に就職するわけですから、そういった心はあたりまえのことですね。前にも述べましたフィロソフィーにも関係しますが、根本にある人間性をどう考えるか、或いは、人権感覚をどう捉えるか。そういう人こそが施設に入らなければダメになってしまう。ゆくゆくはサービスの低下になり、潰れていくということですね。~地域住民との福祉の輪を広げたい~
・兵藤 施設を利用する側の意識の変化を何かお感じですか。また、知的障害者の方達に地域住民が接している状況を見て、園長先生はどう感じていらっしゃいますか。・高澤 知的に障害を持った方の大半は、出産前後に何らかの要因により障害が出たと言われてますが、昔は、家族に障害を持っている人がいると恥であり、表には出さない。また、施設に入所したとすると、出来るだけ遠い所という考えがあったようです。ここ15年位前からは施設にいられるのであればなるべく近い場所を、また、親が元気な内は手元に置いておきたいという考え方に変わってきております。我々のような学園には入所させないで、手元に置いて養護学校に通わせる、ゆくゆくは入所の施設にお願いしたい、というように親達の考え方が変わってきております。
 施設の人達も、在宅の人達も、ひとりの地域住民でありますから、皆で支え合っていかなければいけない、という考え方が必要かと思います。まだまだ浸透したかということについては疑問がありますが、それが、ノーマライゼーションの理念でもあると思います。(若者ばかりの世の中は、非常に活発かもしれないが、普通の社会とは言えない。社会には、子供もいる、赤ちゃんもいる、老人も数パーセントいるのが普通です。一定の率でいろいろな人が存在して社会を形成していることが、ノーマルな社会ですね。その中に障害者もいる―それが地域社会というものです。)ですから、私達が地域で暮らしていく為にはどういうことをしなければいけないのか、どういうことをしてもらいたいのか。健常者も障害者も同じなんですね。障害を持った人達が地域で暮らしていく為に、我々も特に意識なく接し、援助することが必要かと思います。 地域というものに対して、いかに我々がお手伝いをしていくのかということが問われますし、施設のこれからの課題でもあります。そういったことが地域の流れかと思います。今迄施設は、利用している人達の生命の保障、健康の維持、安全しか考えていなかった。今後はそうではなく、健常者も含めた地域の人達と共にいかに幸せに暮らすか、人作りの中で我々のするべき事は何か、障害を持った人も成すべき事は何かということについて、もっと地域の人達も交えて考えていかなければいけないと思います。
・兵藤 具体的な取り組みについてお聞かせ下さい。
・高澤 この4月12日からレスパイトケアということで、障害児の学童保育を始めました。これは、地域の障害を持った学童保育として考えた場合には、保護者の方達が、一日中、大変な苦労をされていますから、一時、預けることで休息をしてもらいましょうということが、レスパイトの主旨となっております。さらに、子供達にも情緒の安定と創造性を育ててもらおうということで始めました。これは、佐野地区だけではなく、安佐地区が対象となっております。この事業が定着しますと、ここを核として、衛星のように各所にグループホームを作っていく。グループホームとは、障害者の下宿のようなものですが、地域の2~6人位でアパートとして暮らし、我々がサポートをしていくということを考えています。当然、我々が援助をするけれども、我々の援助だけではどうにもならないので、より身近にかかわる町内の方や近所の方にも目を向けていただく、しかし、逆に彼らも、隣近所の人達に対し、お手伝いをしますよと。そして、少しずつ福祉の輪が広がっていくというように、1~2年後には作っていきたいと考えています。それから、人に優しい町づくりを推進していこうということで研修会なども参加をしておりますし、我々はソフト面を充実させたいと思っております。
・兵藤 最近、「五体不満足」の著者乙武さんがテレビに出演していたり、いろいろ話題になっていますが、彼の、「目の悪い人は眼鏡をかけていますが、足の悪い人が車椅子に乗るということと同じではないか。」「一部をとって、そこがみんなと違うからといって線を引く社会は、違っているのではないか。」という言葉を聞きましたが、彼が爽やかにブラウン管に映る社会は、以前から比べると変わってきているんだなと感じますね。
・高澤 障害を持った人達に対して健常者が意識を持つようになったことは、彼の貢献も大きいと思います。
 彼も福祉全体の質を上げる目的で出演している面もあると思うので、大いに出演し
てもらって、全体のレベルを上げていくということは良いことだと思います。やはり、福祉も経済情勢によって変わってきますので、一時、景気の良かった頃などは福祉に対して、社員教育として少しボランティアをしましょうというような芽が出てきまして、現に問い合わせもいくつかありましたが、昨今の景気の悪化によってそれどころではなくなってしまいました。しかし、個人個人の芽生えというものは、何となく感じることができますね。私共も以前よりも利用者と共に施設外に出るようにしていますが、手をさしのべてくれるまではいきませんが、目に見えて笑顔で迎えてくれる人が多くなりましたね。これからは、そのあたりも力を入れていかなければいけないと思っています。
 ただ、子供の頃からの教育も大きなウェイトを占めると思っております。私共の学園は、赤見幼稚園や旗川保育園の子供達が来てくれておりますが、いつも仲良く一緒に遊んでくれていますね。一度でも学園に入所している人達に接する事があると、あまり抵抗がなくなりますね。先入観がない分だけ早いですね。やはり、子供の心の教育は必要なのかと思います。・兵藤 私たちも歯科検診などで、園児と触れ合う機会がありますが、大変勉強になります。地域との関わり合いの中で、NPOどうしのネットワークが必要かと思い、本年、NPOサポートセンター設立に向け活動しています。
 こちらの学園のような施設どうしの、ネットワークはあるのですか。たとえば、県内外などでの横のつながりなどがあると協力し合えると思うのですが。
・高澤 県外の施設との交流は、それ程はありませんね。私共のような知的障害者の施設が集まって、愛護協会という組織を作っております。これは全国的な組織ですが、県内の施設も、現在は50を超えた施設が加入しております。事務局は、県社協内にありますが、加入施設間の交流や勉強会などは時々行っております。特に近隣の施設は行事などの交流や情報交換などはお互いに協力し合っておりますが、ネットワークとなると、まだまだですね。学園は、平成13年目標に障害者支援センターの機能を持たせた通所施設を建設する予定で準備をしておりますが、それらネットワーク作りには支援センターが軸になるものと思います。期待してください。また、ネットワークをうまく作動させる為にも、先程触れましたボランティアの育成は大事なことだと思います。今、佐野青年会議所ですすめているNPOサポートセンター設立などにも、我々は期待をしています。NPOという仕事にもいろいろな分野があるかと思いますが、これからは、安佐、あるいは両毛圏というエリアを意識して、いかに貢献できるかを私共も考えなければいけないと思いますし、NPOが潤滑油的な役割を担ってもらうような行政と、施設の中にNPOの組織が入ってくればうまく流れるなと思っています。
・兵藤 今日は、お忙しい中、ありがとうございました。




こならの森132号

2008-05-08 | 101号~200号
       ■こならの森132号■1999.4発行

表紙 「バスタブ花」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森5月号■

3pとしこの巻頭詩「ぼたん」
4p-7pJC・ルネッサンス 寺澤 芳男
8pヤンバル・お店紹介『あんず亭三楽 』
9p誕生しました 金原さん夫妻
10-11p ショート「花」
12-19p 特集 みかも山公園
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評「ガメラ3」
23p 書評「官僚…」・絵本紹介「おしゃべりな…」
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から「食材」

■■■■■■


【本文抜粋記事】
JC・ルネッサンストーク
 寺澤 芳男さん

■PROFILE
寺澤 芳男(てらさわ よしお)
1931年 佐野市生まれ。
1988年 日本の民間人として初めて国
際機関、MIGA(世界銀行傘下の多数国間投資保証機構)の
初代長官に就任。
1994年 羽田内閣において国務大臣・経済企画庁長官に就任。
1997年 外務委員長、環境特別委員、

寺澤 芳男氏より、ひとのアイデンティティについてグローバルな視点からお話をいただきました。

~日本はまだ発展途上国~

@兵藤 ビッグバンは単なる金融再編ではなく、今ある全てのものの再編であるとお話されていました寺澤さんですが、佐野を離れ、日本を離れ、多くの時間を外から眺め、考える時間があったかと思いますが、外から見た日本をどのように捉えられていますでしょうか。
@寺澤 私は、22年間アメリカにいましたが、地方分権があたりまえです。まず、自分の住んでいる地域があって、それがどの州に属しているかが重要です。極論を言うと政府というのはない方が良いと思われている。しかし、一つの国家を形成しているわけですから、軍隊、郵便や外交などは、必要とされています。そういう国に22年間も住んでしまったので、日本に帰ってくると逆カルチャーショックを受けるんですね。日本からアメリカへ行ったときは、カルチャーショックを受けて、そこに住み慣れて、日本に帰ってくるとまたカルチャーショックを受けるんです。
@兵藤 どんなところに感じるのでしょうか。
@寺澤 日本は発展途上国的なところがまだ非常に残っているんですね。本当に日本が発展途上国であれば致し方ないが、アメリカを凌ぐような一人当たりの所得があり、しかもアメリカに次いでナンバー2の経済大国になり、どの点から見ても先進国であるにもかかわらず、国の形としては発展途上国である。ということは、やはり、ビッグガバメントであり、3割自治なんでしょうね。税金は全部中央政府に集められ、それを地方に分配する。すべて政府が中心になっていて、その不足分を地方がまかなうという形なんですね。
@兵藤 まだまだ地域の自立ができていない。言葉を変えれば個人の自立ができていないからでしょうか。ところで、寺澤さんは最近出版された著書の中で、「私には祖国愛がない」といったことをお書きになっておりますが、日本人としてのアイデンティティーといったことについてお話いただけますでしょうか。
@寺澤 私は、佐野で育って1945年(昭和20年)の戦争が終わる前の年に当時の栃木県立佐野中学校に入ったわけですね。そして、昭和20年に2年生になり、その年の8月15日が終戦だったんですが、それで私が感じたことは今まで日本のために死ねと言っていた大人達が豹変して民主主義と言い出したんですね。私は14歳の少年で、良く訳が分からなかったですが、いったい日本というのは何だったのか、神国日本といわれ、神の国だから絶対戦争に負けるはずがない、最後まで戦うんだという教育であったものがいきなり変わった。思春期にあった我々には大人達の変わりかたというのは非常にショックを受けました。
@兵藤 いやな国だなという印象を強く受けたわけですね。
@寺澤 その後、早稲田大学に入って一人の教授が、「俺達が悪かった。俺達が体を張ってでもああいうバカな戦争は阻止すべきであった。一部のグループの連中が牛耳っていた政府に楯突くこともできず、ああいう悲惨な戦争に突入してしまったんだ。」という反省の弁を聞きましたが、その教授一人くらいであとはほとんどアメリカ様々、民主主義、本当にものすごい変わり様、何だこの国はと感じ、そこに日本国に対する不信というのが私の場合は根付いたんですね。
@兵藤 他に当時のことはなにかありますか。
@寺澤 当時は、今と違って相当優秀な子供で、もっと上の学校で勉強したいと本人も思い、それだけの実力があっても、中学だけで就職してしまう子供がたくさんいました。「どうして裕福な家の子供しか上の学校に行けないのか。なぜ、裕福でない人達は行きたいのに進学をやめなければならないのだろうか。」と私は悩みました。今考えると「どうしてアルバイトをしないのか。」など考えますが、その当時はそういう状況にありました。だからといって「アメリカが良い」というまでの考えには及びませんでしたが、貧しい人達と裕福な人達の隔たりとか、戦争中の大人達が戦後豹変した生きざまなど、日本に対するショッキングな経験をしました。
@兵藤 大変な時代だったわけですね。
@寺澤 それからアメリカへ渡って、ワシントンのホワイトハウスの前の広場に寝ころんでいた時、この美しい情景が自分の祖国であったなら、この美しい国に侵入してこようとする他国があったら、侵入者に対して自ら美しい祖国を守るために戦うかもしれないというような意外なことを考えていました。「どうして日本にいたときにこの美しい国を守ろうとしなかったのか、自分は日本人ではないのか」とまた悩む事になりました。
@兵藤 悩み多き青春時代だったわけですね。
@寺澤 今、アメリカ人、フランス人などがアメリカ人的な考え方、あるいはフランス人的な考え方ということを容認して、むしろ容認どころかアイデンティティーとして他の国に対して誇らしそうに、フレンチなんだ、アメリカンなんだというのと同じように、ジャパニーズなんだというのが私の場合、素直に言えない。その辺の心の傷というものを、私達の年代の人達は皆持っていると思います。
@兵藤 私は、「プライベート ライアン」などのアメリカ映画を見る時、国への忠誠や国民としての誇りをかきたてられる国民性をうらやましく思います。今、私達は、あまりにも自分自身に自信がないからでしょうか。外国人から質問をされた時、ほとんどの人たちが答えることができません。単に外国語が話せないのではなく、自分自身の考え方のベース、アイデンティティーが失われているので、答えられないのでしょう。ですからそういったベースの部分を取り戻すことが必要ではないかと思います。

~改革は「スクラップ・アンド・ビルド」~

@寺澤 私は野村證券退職後、あるきっかけで世界銀行の姉妹機関であるMIGA(多数国間投資保証機関)の初代長官としてまたワシントンに赴任しました。この機関は発展途上国の経済開発の仕事をしていますが、一證券会社の利益の追求ためにという仕事とは私の生活もまるっきり変わってきたんですね。初めて発展途上国に旅行もしました。そこから私の世界観が変わってきました。
@兵藤 どのようにでしょうか。
@寺澤 簡単に言うと、65億人位地球上に人間がいて、発展途上国が55億人位、先進国が10億人位、これから20年位経つと100億人位になると思います。こうなると発展途上国が益々増えて、もうドイツなどは人口が減少してきておりますし、日本もあと十数年後には減り始めます。そうなりますと100億人の内、8億人が先進国で、92億人が発展途上国になるんですね。そうなった場合に南北問題というのが非常に大きくなってくると思います。それから環境問題。この問題は、それぞれの国家が言い合いをしているようでは解決はされないと思います。発展途上国は経済発展を考えますし、先進国は環境を考えますので、そこでどうしても合わない。また、安全保障の問題ですね。
 そういうことを考えますと、私は「世界連邦」というのをどこかの時点で人間の英知を集めて作っていかなければいけないと思います。ヨーロッパの通貨がユーロという単位で統一されましたが、あのように地域地域で統一国家ができてきて、それが最終的に世界連邦となるのかは別として、そのようにならないと国家間の様々な問題は解決できないのではないかという思いが強くあります。
@兵藤 青年会議所では、地球市民(国境を越え、地球益を目指した市民)を唱えておりますが、持続可能な社会の実現には必ずこのような考え方が必要になってくると思われます。
@寺澤 私は、国会議員の生活を6年してきましたが、政治家の限界を非常に感じました。これは政治家になる前から考えていたことですが、政治家は、日本の衆議院議員でも参議院議員でも、アメリカの上院議員や下院議員でもまったく同じで、常に考えるのは選挙人の事であり、輪を広げたとしてもその国の事ですよね。本当に人類のことや地球のことを考えている政治家も、うったえても票になりませんから、語ろうとしません。はたして、国のことや選挙区のことしか考えない政治家達に政治をまかせて、いったいどうなるのだろう。前から思っていた素朴な疑問を、国会議員を経験した後も強烈に考えています。
@兵藤 それが現実なのでしょうか。
@寺澤 しかし、多国籍企業の経営者達は、製品を販売するにも、4分の1は日本国内ですが、後の4分の3は日本以外で販売していますし、株主も日本の株主よりも外国人の方が多いかもしれない。こうなってくると、好むと好まざるとに関わらず、インターナショナルな経営方針をとらなければいけない。ですから、経済人の方が、政治家よりもグローバルな物の考え方をしていると思います。
@兵藤 グローバルな考え方に変えるのは時間が必要なのでしょうか。
@寺澤 変革というのが日本の場合、非常に難しい。今まで、ペリーが来航して、開国を迫ったとか、戦争で負けて国が変わったというような、外圧がきっかけになっているんですね。
 今後、日本が大きく変わるためには、また外圧が必要なのか。国民の内意で変えられるのが理想ですが、日本の場合はそれが難しい。そういった悩みが私にもあります。それから、私達が死んだ後、我々の子供達、孫達がはたしてこの日本をどうするのかということも考えますね。どちらかといえば、明るい絵よりも暗い絵になってしまって、そんな優秀な日本人が存続する限りにおいては、けっしてそんな暗い絵を思い描く必要はないんだと自分には言い聞かせてはいますがね。


@兵藤 いずれ大きな変化が必要なのはどなたも考えることでしょう。しかし、今、その変化を起こさないと、取り返しがつかなくなるような気がしてなりません。
@寺澤 永田町の政治家もさることながら、国民一人一人が「自分が痛い目にあうのはまっぴらだ、自分が痛い目にあわない範囲での改革であれば賛成である。」というのは、当然、そうでしょう。改革というのは、「スクラップ・アンド・ビルド」ですね。スクラップということは壊すということですから、すべてを壊さなければいけない。良いところはとっておいて、悪いところだけを壊すという意見は非常に説得力があり、皆が賛成するでしょう。しかし、壊すということは全ての物を壊して新しい物をビルドすることしかできないですね。そこが難しい事であり、良いところと悪いところを足して2で割るということもしますが、それも、説得力のある考え方ではあるが、実際問題としてはできない。
 その辺も私は思うんですが、それがジレンマというか、日本国全体を考えた場合に私の憂鬱の元になっているのですね。

~市町村合併と経済圏~

@兵藤 最後になりますが、佐野青年会議所では、一昨年、合併協議会の設置の署名活動を行いまして、住民の約2割の方々の署名をいただきました。そして、昨年の4月に合併協議会が正式に立ち上がりました。実際に合併協議会が設置されてしまいますと住民側からは協議会にゲタをあずけてしまったんだということからか、ここにきて自分事という意識が少し薄れてきているように思えるんですね。そういった感情を高めていくことは非常に難しいことなのですが、なにかお考えがありましたらお願いします。
@寺澤 全国で地方自治体が3300位ありますよね。その行政区域一つ一つに文化会館があり、公民館があり、役所等がありますから、たとえば、企業のリストラのような考え方で合理的に考えれば、数を少なくしてお金を効果的に使う。それによって、行政の費用を安く押さえることができる、というような大きな流れのメガトレンドはあるんですよね。
 その事と佐野市、田沼町、葛生町の合併を同一に論ずることができるかどうか解りません。あたりまえの話ですが、やはり住んでいる人達の介護の問題、医療の問題その他いろいろな問題で、あくまでもその立場からメリットが多ければ合併したら良いであろうし、メリットがなければ合併しなければよいだろうとは思います。しかし、メガトレンドとしては合併ではないでしょうか。

@兵藤 本来からいえば道州制的な発想をしていただきますと、この地域は県南で、群馬県の太田市や館林市も群馬県からはずれているんですね。この辺は両毛地域といいまして、経済圏として成り立てれば、人口も100万人弱になります。可能性が秘められている場所といわれています。
@寺澤 私もそう思いますね。当時、同じ栃木県といっても宇都宮に対するよりも、両毛線沿線の方が身近であったし、栃木県政も常に宇都宮の方によってしまって、佐野には見向きもしないという時代でした。両毛地域が一緒になって経済圏ができたほうが良いのかもしれませんね。
@兵藤 私達に必要なのは「スクラップ・アンド・ビルド」これ一言につきますね。
 本日はありがとうございました。


こならの森131号

2008-05-07 | 101号~200号
       ■こならの森131号■1999.3発行

表紙 「三毳山新緑」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森4月号■

3pとしこの巻頭詩「花だいこん」
4p-7pJC・ルネッサンス 土屋 弘吉
8pヤンバル・お店紹介
9p誕生しました土屋伸昭さん
10-11p ショート「常連」
12-19p 特集 花情報
18-19p 現代国語
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

■■■■■■

【本文抜粋記事】

ザ・ショート

「常連」


 とある居酒屋での話。
 週末の夜ともなれば、客の入りも違ってくる。店主は忙しく立ち働き、客との会話を楽しんでいる。棚の上では、陶器の招き猫が、細い目をひらめかせている。湯気と、タバコの煙が漂っている。
 季節は秋にさしかかる頃。
 カウンターのすみで、ひとりコップ酒をすすっていた天狗鼻の老人がふっと顔を上げた。
 「ご主人、そろそろもろきゅうをもらおうか。」
 「はい。ああ、そういえば、そろそろいらっしゃる頃ですね。」
 店主は、笑ってうなずいた。席をひとつ空けて座っていた赤ら顔のサラリーマンが、仲間と談笑しながら手を挙げる。
 「おやじさん、熱燗追加ね。」 「はいはい。」
 店主は鍋の中からとっくりを出すと、手早く水気を拭き取った。そして、客の前に運ぶ。
 それからキュウリをとり、水洗いして飾り包丁をいれる。天狗鼻の老人が、目を閉じて鼻をうごめかす。
 「いい音だね。」
 「今日のは悪くないですね。」 「匂いもいい。」
 がらりと戸が開いて、小柄でやぶにらみの老人が入ってきた。やぶにらみの老人は、迷わず天狗鼻の老人に隣に座った。
 「一杯つけてくれ。」
 やぶにらみの老人が言った。
 「はい。」
 酒より先に、みそを添えたキュウリの皿が出てきた。
 老人は、すぐにキュウリをつまんで、しゃきしゃきとかじりはじめる。
 それを見ていた天狗鼻の老人が、大きな口を開けて笑いだした。
 「どうしたんだ?」
 やぶにらみの老人が、店主にもの問いたけな目をむける。
 見ると、コップ酒を注ぎながら、店主も笑っている。
 「いやね、そろそろあなたが来るだろうと思って、天狗さんがキュウリを注文していたんですよ。だけど、あんまりにもタイミングがドンピシャだったもんで、おかしくてねえ。」
 「ちがうちがう。」
 天狗鼻の老人が、手を振って店主の話をさえぎる。そして、いかにもおかしそうに身を乗り出した。
 「キュウリの匂いが、ぷんとしたときに入ってきたものだからねえ。やっぱり河童さんは、キュウリの匂いに誘われて来るんだなあって感心したら、急におかしくなっちまってねえ。吹き出しちまったよ。」
 「ふん。」
 河童さんと呼ばれた老人は、そっぽを向いて、コップ酒に口をつける。しかし、その顔には、まんざらでもない笑みが浮かんでいる。
 となりの席の赤ら顔のサラリーマンは、話を聞いていたのだろう、老人のほうへ身体を向けた。
 「失礼ですが、ここへはよくいらっしゃるんですか?」
 店主がこたえた。
 「うちの常連さんですよ。河童さんと天狗さん。」
 「どちらが河童でどちらが天狗かは、聞かんでもわかるじゃろう。」
 老人たちは目配せして、おかしそうに肩を震わせている。
 「河童さんに天狗さんか。じゃあ、俺なんかは、さしずめ赤鬼というところかな。」
 赤ら顔のサラリーマンが、頬をパンパンと叩いた。
 「これはこれは、揃いましたねえ。」
 店主は腕組みして、笑いをこらえている。
 「赤鬼だあ?」
 河童とよばれた老人は顔を上げると、赤ら顔のサラリーマンの頭をなでまわしはじめた。
 「角はどうした、角は? 鬼ならば角があろうが?」
 「普段は必要ないんです。だから隠してあるんですよ。」
 「ふんっ。」 
 老人は、再び酒をすする。
 「赤鬼さんよ、気にしなさんな。この河童さんは、大変な皮肉屋でな。時々、突拍子もないことを言い出すんじゃ。」
 「そういうことじゃよ。わしに触れると痛い目にあうぞ。」
 河童さんはそう言って、またキュウリをかじる。が、ふと手を止めて顔を上げると、となりの赤鬼さんに向き直った。
 「そういえばお前さん、腰のところに大きなあざがないかい?」
 「えっ?」
 赤鬼さんは、驚いた顔になった。
 「ああ、腰のあざはありますよ。どうしてわかったんです?」 「ふん、やっぱりな。」
 河童さんは目を細める。
 「あれは昔も昔、大昔、今から千年以上も昔のことじゃ。今で言う信州あたりの山のなかで、旅をしていた山伏に、わしは相撲をいどんだんじゃ。もちろん、勝負はわしの勝ちじゃった。わしの得意の怒涛の寄りに、相手はたまらず尻餅をついたもんじゃ。あんたのその腰のあざは、その時のなごりじぇよ。なつかしいのう。まだ、鬼にはなりきれずにいるのか。そうかそうか。」 河童さんは、赤鬼さんの肩をパンパンと叩いた。
 「また、河童さんの昔話がはじまったのう。」
 天狗さんも、笑っている。
 「気にしないでくださいね。河童さんの話は、みんなホラですから。この人、いつもこうなんですよ。」
 店主が顔を寄せて、小声でささやいた。
 赤鬼さんは、びっくりした顔のままうなずいた。そして冷えた杯を、一息に飲み干した。
 「熱燗、もう一本ください。」 店の中には、湯気とたばこの煙が、かすみのようにたなびている。棚の上の招き猫は、薄ら笑いを浮かべているようにも見える。
 週末の夜、店の中はにぎやかだ。
どアップに耐える中条きよしで@正しい必殺@が帰ってきた!!




こならの森130号

2008-05-07 | 101号~200号
       ■こならの森130号■1999.2発行

表紙 「さくらアップ」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森3月号■

3pとしこの巻頭詩「たけのこ」
4p-7pJC・ルネッサンス
8pヤンバル・お店紹介『珈琲蔵(かふぇぐら) 』
9p結婚しました小暮宗市&朋子
10-11p ショート「前世」
12-19p 特集  節約生活
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

■■■    ■■■

【本文抜粋記事】

JC・ルネッサンストーク

吉澤石灰工業株式会社
代表取締役社長
 吉澤 慎太郎さん

聞き手 兵藤 勇(ひょうどう いさむ)さん
1962年 佐野市生まれ。

■PROFILE
吉澤 慎太郎
(よしざわ しんたろう)
1949年 葛生町に生まれる。


  吉澤石灰工業株式会社 吉澤 慎太郎社長に企業人として、
  父親として、地域住民としての顔についてお伺いしました。


@兵藤 安佐地域にあって、長年にわたりトップ企業として発展している吉澤石灰さんですが、今の時代をどうとらえておられますか。
@吉澤 今の時代は暗い話が多くなっていますが、努力をしている所、努力をしていない所の差が現れる時代ではないかと思っています。勝ち残る組に入るか、負けてしまう組に入るかの選別を受けている時代だと思うんですね。我が社としてはやはり勝ち残り組に入らなければいけない。これから21世紀に向けて、世の中が求める、ユーザーが求めるものを的確に提供することで、「吉澤、ぜひ今後も頼む。」と言われるような企業にしていかなければいけない。我々が目標とする優れている会社は日本にいくらでもある。どんどん業績を伸ばし、増収増益を続けているような元気な会社もたくさんある。我々にとってもまだいろいろチャレンジする分野があると思うし、そうすることで吉澤石灰を今以上に世の中が求めるような会社にシフトしていきたいと思っています。私が社長になって4期、8年になりますが、前社長からわたしに変わってから、なかなか実績を挙げるのが厳しいんですよ。ですから毎年毎年、いろいろチャレンジしてやってきています。
@兵藤 吉澤石灰さんでは、ユーザーさんはどういったところになるのでしょうか。

@吉澤 石灰は、鉄鋼・化学・建設・農業といった大変幅広い分野で使われている素材なんです。国内の石灰会社は70~80社ありますが、各社それぞれ得意分野を持ってやっています。我が社は鉄鋼向けの製品に強みのある会社と言えるでしょう。今までは、世界の鉄鋼生産の12~13%程を占める、日本の鉄鋼業の成長に伴い、育ててもらったと思っています。日本の鉄鋼業もなかなか厳しい環境にありますから、我々としても、新しい分野を開拓していかなければいけないという状況にあります。
@兵藤 新しい商品の開発についてはいかがですか。

@吉澤 我々はメーカーである、というポジションは非常に重要であり、基軸であると思っています。ですから、新しい商品作り、これが我が社の追い続けなければいけない課題であると思っています。

@兵藤 そこで他社との差別化を図っていくということですね。

@吉澤 それぞれの分野で魅力的な商品を提供したいわけですが、今我々が重要視しているのは、環境分野ですね。ゴミ焼却場での脱塩素、脱ダイオキシン用の『カルミュー』という商品が、今の最重点商品です。これに続くものもどんどん生み出していきたいと思っています。

@兵藤 歴史の長い会社で、発想の転換を図っていくということは非常に難しいことでしょうね。

@吉澤 そうですね。特に今、私がやらなければいけないのは、組織を構成する人々の意識改革だと思っています。全社員が、次々と新商品を生み出していくという挑戦的な姿勢にならなければいけない。今後はぜひ、そういう社風を持った会社、先見性・革新性を持った会社に変えていきたいと考えています。

@兵藤 よい商品があっても、それを販売したり、サポートしたりする一人一人の意識が目指す方向にいかないと、というところはあるでしょうね。

@吉澤 そうですね。総合力が問われるでしょう。つくる人から最後に商品をとどける人までの連携がうまくいかないとだめでしょうね。

@兵藤 今、どの企業をみても時代の変換期にあって、商品にどんな特徴を持たせるか決められたところが生き残れるという状況にありますね。

@吉澤 確かに、特徴ある商品を作り、しかもNO.1でなければ生き残れないですよ。顧客満足度の高い商品作りをする事によって、それぞれの分野でトップになれる様、努力をし続けていきたいと思っています。

教育のベースは家庭にある

@兵藤 吉澤社長の家庭人としての顔についてお聞きしたいと思います。今後ますます厳しくなっていくであろうというこの時代にあって、家庭の教育や、子供たちに接しながらいつも心がけていることについてお聞きしたいのですが。

@吉澤 様々なことが世代間において継承されていくわけですよね。家という場において、文化や伝統といったものが連綿と引き継がれているだろうと思います。世代の違う人達が共に住むということから受け継がれてきたものと思います。今、学校教育の場で様々な問題が提起されていますが、そのベースは絶対家庭だと思っています。家庭の中できちんとコミュニケーションがとれて、親から子へ引き継ぐべき物がきちんと引き継げていれば問題は起きないのではないでしょうか。やはり課題は家庭にあるのだろうと思いますね。一人一人が自分の家庭内にあって努力をしていくということからしか始まらないのではないでしょうか。私自身、両親からずいぶん多くのものを学びましたし、感謝しています。そして、私から子供たちに対しても、いろいろなものを伝えたいと思いますが、その中でも一番大切なことは、価値観の継承だと思います。何が日本人として、人間として大事なことであって、守らなければいけないのかということを、子供たちにどれだけ伝えられるかということだと思います。

@兵藤 今、代々続く価値観の継承というお話がありましたが、実際には具体的なものでコミュニケーションをとりながらいろいろ話をされると思いますが、特に重要だということで吉澤社長が親から継承されている物はなにかありますか。
@吉澤 ひとつは他人に対して思いやりを持てということかもしれません。さらにさかのぼったところからの話となりますと、我が家にある家世碑のことに触れなければなりません。そこに渡辺華山に書いてもらった風竹の画があり、その賛の中で、天明の大飢饉の時に我が家が蔵を開放して、困った人達に米をあげたことを取り上げ、吉澤家は『富みて義を好む』と書かれています。私も家の繁栄ということをまず第一義とし、その上で社会のために役に立つことは何かを考え、行動することにしています。この家世碑は私にとって、ひとつの重要な原点になっているものと思います。

@兵藤 私は最近、自分を生かした形で周りも生かせるというのがボランティアではないのかなと思っています。

@吉澤 なるほど。自分もよし、相手もよしというのはいいことですね。ボランティアということで思いますが、日本がもう少し弱者にやさしい社会になるといいなと思います。アメリカなどの方が車椅子に対して手助けする人が多いように思います。

@兵藤 以前はわかりませんが、確かに最近は、弱い者や自分と違う者に対して自分さえよければ他の者はなにをやっても良い。というような雰囲気が感じられますね。

魅力のある地方づくり

@兵藤 企業と家庭と地域についてのお話がありましたが、それは全てがバランス良く保たれていかなければいけないと思うのですが、葛生町となるか、あるいは広く日本ということになるのかもしれませんが、家庭人でない企業人でもない地域人としての顔についてお聞かせいただけますでしょうか。

@吉澤 私が10年前頃から関心をもっているのが、東京の一極集中の是正であります。あまりにも全てのものが東京に集中しすぎている。国の安全保障から考えても危険すぎると考えています。私はヨーロッパという所が大変好きですが、ヨーロッパではドイツにしろフランスにしろイタリアにしろ非常に魅力的な田舎が多いですね。都市ももちろん良いのですが、それぞれの村や町には住んでみたくなるようなところが多いですね。私にとっては特徴のある中規模な都市が点在している日本がひとつの理想像かもしれませんね。

@兵藤 東京一極集中の是正ということになりますと、やはり、首都機能移転についても考えなければなりませんが、その点についてはどうお考えですか。

@吉澤 私は個人的には那須が一番良いと思います。首都機能移転はぜひ早急にやるべきと考えています。東京をより魅力的にする意味でも、地方が活性化するという意味においても、ぜひ実現するべきであると考えています。併せて道州制の導入も必要かもしれません。そして、地方の核を大きくするという意味から、市町村合併も推進すべきでしょう。現在、佐野市・田沼町・葛生町の合併協議がありますが、私は葛生町という立場で、積極的に関与するつもりでいます。

@兵藤 先日行われた合併協議会を見学させていただきました。有識者の方々、地元でがんばっている方々が集まっていますが、その時間を有効に使っていただき、その結果の返事を住民に話していただいて、またそこでいろいろな話ができるような協議会であって欲しい。佐野青年会議所においても、自分たちが住んでいる地域ですから、他人事ではなく自分も関わっている、という意識改革をまずしていただきたいという思いを含んでの一昨年の署名活動なんですね。ですから今年度以降も広報等を続けて行きたいと考えております。

@吉澤 ただ、合併協議会が公開になっていますよね。公開であるが為に十分ディスカッションができないと私は感じています。我々民間は、これはどうですかとか言い易いのかもしれませんが、市長、町長、議会議員の人達にとっては発言しにくい場になっているのではないのかなとも思うんですよ。ですから公開というのは解りやすいようでありながら、議論を煮詰めなければならないときに型どおりになってしまう可能性もあるなと感じています。本当の意味での議論があそこでできるのかなという疑問がありますね。
@兵藤 そういうシステムに今まで慣れていないですからね。

@吉澤 いずれにせよ、ただ、あれは準備段階だということですから早く問題点を整理して、具体的にどういう形で合併の絵を描いていくのか、ということに踏み込んでいかなければいけないですね。どんなに大きな地域でも、どんなに小さな地域でも合併しようということは同じですから、相当なエネルギーを割いていかなければいけないと感じています。葛生にとってどういう道筋が良いのかと考えると、住んでいるみんなに解りやすく、なるほどこれが得られてこれが失われるんだなと解った上で「じゃ、そうしよう」というものであってほしいと希望します。
これからの生き方について

@兵藤時代の転換期で、組織にしてもシステムにしても変えていかなければいけないというのは、頭では理解していても30数年生きてきてしまうと、今までやってきたものがあたりまえだという意識が非常に強くなってしまっている。子供たちをみていると、昨日までやっていたことが今日になると全然違うことに臆することなく進んでしまっている。自分にも昔はあったはずなのにどうしてしまったのだろうと感じることがありますね。

@吉澤 そうですね。だんだん歳と共に保守的になってきますが、やはり新しいものに対する挑戦の気持ちをなくさないようにしていかないといけないでしょうね。以前、ある雑誌で松任谷由美と桑田佳祐の比較論が出ていましたが、面白いなと思ったのは、松任谷由美は時代と共に生きるという意識が強いんですね。常に今の時代の人達に会って吸収し曲作りをする。ところが意外だったのですが、桑田佳祐から「最近の若い人達は」という言葉が出てきたんですね。10代、20代と時代そのもの、時代の変化と同時進行だったものが、ある時から時代と離れていくんですね。時代から離れていくのか時代を取り込んでいくのかによって、生き方が大きく違ってくると思うんですね。ある年齢からは、努力しないと時代と共に生きるのは難しい。私は可能な限り時代と共に生きたいと思っています。

@兵藤 この地域の人達は70代、80代になっても最前線でがんばっている人達がいらっしゃいますがこういうのはまだまだ続くのでしょうか。
@吉澤 がんばり方が問題だと思うんですね。どの分野でどうがんばるかというのを考えないといけないでしょう。結局、それぞれの人にとって、脱皮ということがとても大きな課題だと思うんですね。仏教用語に「修破離」(しゅわり)という言葉があります。ひとつのことを極め、しかる後にそこから離れて次の境地に行く、という様な意味だったと思いますが、もし私がある年齢になったときには、第2の人生、あるいは第3の人生を考え、今までの自分とは違った生き方をしたいと思います。70代、80代で過去の延長線の上にいるということは賛成しかねますし、脱皮できなかったことを残念に思いますね。そしてまた一方、世代交代ということを考えるのであれば、若い世代が代わるに値するだけのものを上の世代に提示できなければならないのではないかと考えます。待っているのではダメだろうと思います。

@兵藤 本日は様々なご意見をありがとうございました。あとは私達がどう考え、どう動くかにかかっていることになると思います。





こならの森129号

2008-05-07 | 101号~200号
       ■こならの森129号■11999.1発行

表紙 「三毳より夜景S」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森2月号■

3pとしこの巻頭詩「うめ」
4p-7pJC・ルネッサンス
8pヤンバル・お店紹介『カフェ レストラン馬車道 』
9p結婚しました小暮宗市&朋子
10-11p 鬼
12-19p 特集 安佐一週
20-21p 協賛店・MAP
22p 現代国語
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

■■■   ■   ■■■

【本文抜粋記事】

特集 安佐一週

 あれから十一年、こならの森は再び原点に返って、安佐を一周。
 十一年前もやはり日が短い冬であった。その間に、赤見の越床峠はトンネル化され昔の面影は今はない。林道の中腹から望む風景も変わってしまった。

■こならの森の原点って?
 こならの森も、よくもまあ世紀末の、西暦に9が三つも並ぶ年代まで発行できて来たと、あらためて思うが、その原点を知る人が一体何人いるのだろうか。そう思って草稿したのが今回の企画だった。創刊の初っ端から安佐を念頭に置いた特集を組んでいた。我ながらその原点を今回は微笑ましく見つめられた。そのために実地に車を走らせ十一年間の奇跡をつぶさに見てこれた。
 恥ずかしながら言わせてもらえば、創刊号につかわれていた巻頭の大写真の撮影ポイントがあやふやになっていた。何しろそれ以後十年以上その場所に立っていなかったからだ。さらに、田沼・飛駒の沢、田沼・蓬莱山の沢、葛生秋山の沢と三つの沢の記憶が混同してしまっていて(事実三つは似ている)、即答が困難な状況に追い込まれているという現状も否めない。
 撮影時には全く分からなかったが、十一年して改めて二つの写真を比べてみると、空き地だったところが現在は、蓬山ログビレッジになっているのだなと、感心させられた。
 あれから、田沼・葛生地区は多くのいわばアウトドアー施設が建設され、前号のこならの森でも少し触れたが、首都圏の野外生活圏となったと思われる。しかし、その主役はあくまで安佐地区の人なのだろう。
 ともかくセオリーにしたがって車を走らせる。創刊号では、理想的な走行環境として順に徒歩、自転車、車とあげているが、その後こならの森でも実際に蓬山ログビレジまでのマウンテンバイク・ツーリングを特集に組んでいる。今後の課題、さらには特集課題として、徒歩による安佐完全一周をここに予告しておきたい。

■実地に車を走らせ

 昔の出来ごとではなく、車が発達した今でも、峠を越えるのは大変なことだ。トンネルになってしまうと、そうしたことが忘れ去られてしまうが、赤見の越床峠もかつては手掘りのトンネルで結ばれていたので、現在は新・越床トンネルというべきなのかもしれない。入り口までしっかりとした取り付け道路が巡っていて往時をしのばせるが、それも今はさらに風化してしまった。十年ほど前に一度取材しているが、今ではその入り口さえも探せないのかもしれない。
 今回は、当時の人が最初にこのトンネルを通ったときに感じた思いと同じ感想を実感できたように思う。そしてさらに、須花坂トンネルへ向かう。ここも、明治・大正・昭和と三つのトンネルが並んでいる所だ。その点では、越床峠、あるいは越床トンネルと同じ状況であった地区だと思う。ほどなく飛駒へ向かう道に合流する。井伊直弼も領地検分の岐路に同じ道を通ったのかと思うと思い深いものがある。江戸時代、飛駒地区は主に木炭の生産に関連していたというが、木炭は今で言うエネルギー産業、当時は山の暮らしが盛んでにぎわっていたのであろう。
 どこまで行っても人家が並ぶ。昔、どうしてこんなところまで人家があるのだろうと不思議に思ったが、今では充分納得がいく。
 今回の行程は全線舗装されてしまっていて古来の道の持つ趣が消されている。しかしながら峠の名前には人々の往来とその息吹が随所に残っているように感じられるた。

■信号もないが………

 十一年前の創刊号の原稿を読み返してみると、『葛生仙波を過ぎると、信号もないがコンビニもなかった』のが、最近ではそれも出来ている。十一年間にいつのまにか、トンネル化され峠の数も減ってしまって、峠越えという言葉もなつかしい言葉になりつつあり、峠の茶屋もいつしかコンビニにかわりその面影すら今はないようだ。また、葛生の牛の沢林道が部分未舗装であったのに、今は全線舗装となっている。そのことも相違点だろう。
 しかしながら、山里の暮らしは変わっていないのだなと思わされる場面にも多く出くわすことが出来た。
 だれしも必ず心に『ゆとり』をもって生きているはず、さらに十年後にもそのほっとするような感じが残っているのだろうか。否、そうなることを願っている。
 今回の取材も終盤。高度が上がるほど小雨がみぞれ混じりに変わり、寒さが染みてくる。夕暮れも近い。遠くで何か火を燃やしているのか煙が上がる。昔なつかしい風景だ。そして干し柿の趣がまた郷愁を誘う。
 この辺はちっとも変わっていないのだなと感じた。急がねば、夕闇はもうすぐそこまで。


こならの森128号

2008-05-07 | 101号~200号
       ■こならの森128号■1998.12.3発行

三毳定点夕陽/逆から

C・o・n・t・e・n・t・s


■こならの森1月号■

3p としこの巻頭詩……「びわ」
4-7p JC・ルネッサンストーク
8p ヤンバル・お店紹介
9p 結婚しました@松 島さん
10-11p ショート/第7回(未収)
12-19p 特集 『行楽情報』
20-21p協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24p 安佐の名所クイズ
25-29p インフォメーション98
30p こならの森から

■■■   ■   ■■■

【本文抜粋記事】
特集『行楽情報』
 朝夕は確かに冷え込む季節となりましたが。風のない日中の日なた、ポカポカ陽気になると、外へ出てみたくなるもの、家にじっとしていられなくなるものです。
 また、寒いからと入ってコタツダルマでは健康的にもよくありません。
 そこで今回は軽い運動や散策などができる公園や新ソバを食べさせる施設を特集します。

 この季節、行楽の季節も終わって、まったくのオフシーズンなので人気も少なくゆったりと過ごす事が可能となる。しかし場所によっては営業を休止しているところもあるので事前の確認が必要ではあるが、隠れた穴場となるのではないだろうか?
 紅葉の後、落ち葉を踏みながらの歴史散策は情緒がある。草や木の葉で全貌がはっきりしなかった石垣や建物なども見えやすくなるので、確認がしやすいという利点も冬でこそ。
 よく晴れた日の日中は気持ちが良く過ごしやすいが、午後3時を過ぎる頃からは、一時間に数度づつという早さで冷え込み始めるというから注意も必要。日中の日照時間が短いのも残念な限り。(もちろん、日中ぽかぽか暖かく、日照時間が長ければ冬とは言いませんが………)

■田沼・葛生方面へ■
 必ずと言っていいほど一年に一度くらいは、この方面へキャンプやバーベキューに行くという人も多いのではないだろうかうか。しかしながら、いくたび事に施設が大きく変化、拡充していて期待度が大きいのも魅力の一つだと考えている。それほど、地形どおり奥が深い地域だ。都心からも交通の便が良いせいか、ベットタウンならぬリゾートタウンとしても注目される。

■須花坂公園・憩い館
 行ったときには、混雑していて待たされること1時間。しかし、『待つほどのうまい』と言われるそばの味は格別。もりそば400円から。一升打ち2500円。土曜、日曜、祝日の営業。AM11:00~PM3:00。もらったパンフレットには、『農村レストラン』と書いてあったが、ちょっと謙遜すぎたような気もする。山村レストランや山里レストランならもっとよかっただろう………

■あきやま学寮
 あきやま学寮にしゃれたレストラン『ベルフォレスト』がお目見えしたが、そばはメニューにないとか。しかしその周辺には2軒ほどのそば店があるのでご賞味あれ。
 また、古代生活体験村やログハウスの宿泊施設も充実している。行楽シーズンの利用には早めの予約が必要となる。

■蓬山ログビレッジ
 キャンプ場や、アスレチックなどが有名で、そばなどは付け足しだと思っていたのだが、さにあらず、おそばもイケる。残念ながら営業は9月30日までだった。

■根古屋森林公園・根古屋亭
 地そば350円から。うどんもある。土曜、日曜、祝日の営業。AM11:00~PM3:00。他に、和紙すきが体験できる飛駒和紙会館、バーベキュー施設・ハーブ園などもある。

■仙波そば
 一連のそば館の発祥地とも言える場所だけあって、そば通にもおなじみ。

■三毳山公園
 三毳山ってこんなにきれいな山だったのかとあらためて見直させるほど、整備された公園が出現。三毳山の最高峰、竜ケ岳を富士山に見立てると箱根あたりのリゾート地に来たかと見まちがうほど。異国情緒もあり、一瞬別世界に来た錯覚に目がくらむ思い。
 わくわく滑り台、富士見台、冒険砦、わんぱく広場、ハングライダーなど見所いっぱい。敷地が広すぎて一日で全部を見て回るのは無理。里山なので高低差がある程度あり、徒歩で散策するのはきつく、おいおいバスの利用となるが、このバス代金がちょっと高めの設定ではないだろうか。ほとんど入園料と思えるほどの値段。子どもずれの五人家族ではなんと1900円(一日中乗り降り自由だが)。

■とちぎ花センター
 テレビドラマのロケに使われているので、最近注目されている。そのためか付近には他府県ナンバーの車が多く見られた。
入館料大人400円、子ども200円。開館時間・AM9:00~PM4:30。休館日・毎週月曜日・12月28日から1月4日。

■遊水池公園
とにかく広大な敷地だから、思いっきり体を動かしたい。ジョギングや散策、水上スポーツや釣りなどが楽しめる。谷中村跡散策もお忘れなく。

■佐野市運動公園
 陸上やテニス、野球、フィールドアスレチック、ローラー滑り台など楽しみ方いっぱい。また木々の葉も落ちるので、古墳群散策もしやすくなる。


こならの森127号

2008-05-06 | 101号~200号
       ■こならの森127号■1998.12発行

表紙 「とみあさ公園南/紅葉」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森12月号■

3p としこの巻頭詩……「びわ」
4p ヤンバル・お店紹介北海道楽宴
5p 結婚しました@瀧上さん
6p 安佐の名所クイズ
7p タウン・色々情報『信金』他
8-11p JC・ルネッサンストーク=浅生晴美
12-19p 特集 『美術館めぐり』
20-21pショート/現代国語
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-27p インフォメーション98
28-29p 協賛店・MAP
30p こならの森から

■■■   ■   ■■■

【本文抜粋記事】
特集『美術館めぐり』

美術館こそ最高のぜいたく

■ヒーリング
 国東半島のあるお寺に行ったとき、和尚から仏像の事を『国宝だとか文化財だとかいっているが、仏像は拝むものであって見るものじゃない。』と説教されたことがあったが、絵画も同じような気がする。絵を前にして手を合わせる必要はないが、気持ちは同じような気がする。今はやりの癒し空間というべきものだ。

 最近発行されたある小冊子にある美術館が紹介されていた。 その美術館の感想が今でも心に残る。今回のこならの森の企画でも紹介しているのだが、その美術館では、美術館に付き物の監視員がいない。と驚きの声。ちょっと子どもが騒いだだけなのに、ヒステリックに注意する美術館とは大違い。

本物はやっぱりいい

 どんなものでも本物の絵を見るとやっぱりいいものである。
 普段の生活の中に絵を観にいく機会はあまりない。そこで芸術の秋くらいと、ちょっと美術館へ行ってみたくなった。
 そういえば、わが家の周りに自然はたくさんあるが、家の中に絵が飾られているという訳ではない。よくよく見てみたら皆無であった。
 『窓によって切り取られた外の風景も絵画の一つ』。と、自然の中に建つ美術館は窓を有効に使っている。そういう点で言えば、環境的には優れているのかも。
 秋になると両毛五市スタンプラリーという企画が開催されるが、そのマップ(両毛五市全図)を見ていたら、あの有名な富弘美術館も両毛五市の中に入っているだと発見(?)。さっそく五市を回る美術館めぐりを企画。佐野を出発して、葛生町秋山方面から粕尾峠を越えて足尾町を通り群馬県東村の富弘美術館へ。その後南下して桐生市・足利市方面へ、という順路を計画。

 今回は日程の関係で一日で一周することはできなかったが、無理もない。一つの美術館を観覧するのに最低1時間くらいを費やすつもりでいると、それだけで移動の時間がなくなってしまうからだ。しかしながら、富弘美術館の開館時間9時までに現地に到着して一番で見学を開始し、あと2~3館を見て回る計画なら充分可能かもしれない。トライしてみては(あまりオススメはできませんけれど 編集部)。


こならの森126号

2008-05-05 | 101号~200号
       ■こならの森126号■1998.10発行

表紙 「つりふねそう」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森11月号■

3p としこの巻頭詩……ぎんなん
4p ヤンバル・お店紹介グリーンガーデン足利南店』
5p 結婚しました@森久さん夫妻
6p 安佐の名所クイズ
7p タウン・色々情報『銀亭』他
8-11p JC・ルネッサンストーク佐野税務署
12-19p 特集 出流原町
20-21pショート/現代国語
22p 辛口映画評『』
23p 書評・絵本紹介
24-27p インフォメーション98
28-29p 協賛店・MAP
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

JC・ルネッサンストーク
佐野税務署長 

■PROFILE
大屋 勲宏さん。
1941年 宇都宮市生まれ

 あなたは、子供が義務教育を終えるまでにいくらの税金が使われるかを知っていますか?国の借金がどれくらいあるのかを知っていますか?日本が非常に早いスピードで高齢化しているのを知っていますか?そのために税負担が増えていくことを知っていますか?税金について考えるということは、私たちの将来を考えることでもあるのです。


@中田 こういうことを言うと失礼かもしれませんが、我々からすると税務署というのはちょっといやな所だなという印象があるのですが。
@大屋 確かに税金というのは取られてしまうという意識が強いものですから、税務署に来るのはいやだなという感じがあると思いますが、私共の一番の目標は、明るくて、納税者が相談に来やすい税務署にすることですので、窓口での案内などを重視しています。納税者は不安な気持ちで来るわけですから、気がついた職員がすぐに声を掛けるとか、そういうことに重点を置いてやっております。
@中田 今、なんとか景気を浮揚しようとして、税金を減らそうということが政府から言われてきていますけれども、国はお金がないという状態なのに、またここで税収を減らしてしまうと、ますます国の財政が悪くなるのではないかと思いますが、その辺はどのようにお考えですか。
@大屋 今年になりまして、二月と八月に特別減税が実施されました。消費が非常に低迷しているということで、政府の施策で二回行なったわけです。これは定額減税と言いまして、率ではなくて所得の多い人も少ない人も、一定額の税金をお返しするという形で行なったわけです。現在の国の財政の現状というのを見てみますと、平成十一年の三月には、国債の発行残高が二百八十五兆円というような非常に大きな額になっていまして、国の予算が今七十七兆円くらいですから、予算の四倍くらいの公債の発行残高があるわけです。これは国の借金ですので、必ず返さなければいけないわけです。後世代の人に借金が残っていくということですから、納税者の皆さんも財政の現状というものを良く認識して頂いた上で、いろいろ議論されるというのが一番良いかと思います。
@中田 これから所得税を減らそう、あるいは法人税についても見直そうということですが、国債残高がどんどん増えていくことになりますね。
@大屋 今年も法人税をはじめ抜本的な改正がされたわけですが、それは国際的に見て日本が非常に税率が高いということで、そのために産業が空洞化したり、企業の力が削がれているということで減税が行なわれたわけでして、これは財政が厳しいということとは別の話だと思います。ただ、国の歳入は税金でほとんど賄われるのが一番良いわけですが、現状は歳入に占める租税の割合は七十五%くらい、特例公債と一般公債を合わせた国債の依存率が二十%くらい有るということです。国債が多いということは、当然利息なども払っていかなければなりませんので、国の事業がそれだけ圧縮されるわけですね。ですから理想から言えば、国債は少ないほうが良いということが言えると思います。
不況の業種でも所得が出ている所はあるんです
@中田 税収の面では安佐地域の現状はどうなのでしょうか。
@大屋 消費が伸び悩んでいるということで、鉱工業生産なども前年をずっと下まわっていまして、設備投資もマイナスです。小売り関係も、大型小売り店の販売額も何ヶ月も続いて前年を下まわっていますし、住宅着工とか新車の販売台数もずっと厳しい状況が続いています。税務署の法人税の確定申告の状況を見ましても、やはり前年割れということが続いています。特に有所得割合(欠損ではない有所得の件数の全体に占める割合)が非常に厳しい状況が続いております。特に厳しいのが、小売り業の有所得割合が前年に比べて非常に低くなっています。それから料理飲食、建設関係、そういう所が前年に比べて有所得割合が減っています。反面、有所得割合の比較的順調な所は、時代を反映いたしまして、サービス業が全般的に良いという状況ですね。
@中田 栃木県全体から見ますと、安佐地域の状況はどうなのでしょうか。
@大屋 法人税などを見ますと県全体で落ち込みが見られますので、この地域特有というのはないと思います。ただ石灰砕石というのはこの地域の独自の業種ですので、それらを加味しますと、県全体から見るとちょっと落ち込みが多いかなという感じはします。
@中田 この地域の経営者の方に、こんな所に気を使うともう少し好転するというような、何かアドバイスがありましたらお願いしたいのですが。
@大屋 同じ不況だと言われている業種においても、中にはたいへん所得が出ているところがあります。何の業種でも同じことが言えると思いますが、その納税者の所に行った職員の話などを聞きますと、やはり経営者の方の姿勢が違うなということは言っていますね。具体的にどんなことをすればということは言えませんが、同じ業種であればそんなに大きく違うことはないわけですから、やはり経営者の姿勢とか、どこかで工夫をしているということなんでしょうね。
一人ひとりのマナーが税金の無駄遣いをなくす
@中田 納税もそうですが、税金が何に使われているのかを知るのも大切なことですが、それを知らない人が意外に多いように思うのですが。
@大屋 日本人は税金を納めてしまうと使う所までなかなか考えないという所がありますね。一例を申し上げますと、たとえば教育費ですが、サラリーマンの家庭で中学生と小学生の子供さんがいるとしますね。年収七百万円くらいとしますと所得税と住民税の合計が年間約四十九万円くらいになりますが、その小学生と中学生のために使われている年間の金額というのが、小学生が七十五万九千円、中学生が八十三万三千円ですから、二人合わせると一年間に百五十九万円という大変な額の税金が使われているんです。それから、年金などを貰っている方も多いかと思いますが、老齢基礎年金というのは三分の一は国庫、つまり税金で賄われているわけですね。税金というのはこういう所にも使われているんだということを、ぜひ知って欲しいと思います。
@中田 我々はどうしても、たとえば国会の時に寝ているような議員に給料がいくらだとか、そういう所に目が行きがちなんですけれども、税金が有効に使われているということも理解をしなければいけないですね。
@大屋 みんなが幸せになるために税金は使われているわけですので、この点を学生さんのうちに正しく認識して頂きたいということで、税務署では小学生、中学生、高校生を対象に租税教室をやっていまして、今年も佐野税務署管内で十七ヶ所ほどやらせて頂きます。その他税金に関心を持っていてもご存じない方、特に青年層の方とかご婦人の方、そういう方に機会があればお話をしたいと思っています。
@中田 青年会議所でもいろいろイベントや会合などがありますので、そういう機会がありましたらやらせて頂きたいと思います。@大屋 国税についてのご意見や、苦情・要望等を頂いている国税モニター制度というものがありまして、この前モニターの方にお集まり頂いた時に租税教室のお話をしましたら、ぜひそういった場で、国民一人ひとりが決まりごととかマナーを守っていこうという話をして欲しいと言われたんです。たとえばゴミ収集で分別収集をやっていますが、ひとりの方が守らずに分別をしないと、その後の作業に大きな手間が掛かってしまいます。その手間というのは結果から言いますと税金の無駄遣いになってきます。これが全てに言えるのではないかということなんです。それは全くその通りだと思いますので、機会がありましたら、そういった一人ひとりがいろいろなことに注意しながら、税金を効率的に有効に使っていこうというお話をさせて頂きたいと思っています。
@中田 日本は非常に早いスピードで高齢化が進んでいまして、このままでは自分たちの孫の時代には税金が七割くらいになってしまうんじゃないかと言われていますが、そうならないためにも、自分たちでできることは自分たちでする、そういう組織的なものも創っていかなければいけないと思います。それがNPOではないかということで、佐野青年会議所ではいろいろな形でNPOの活動する社会を目指していまして、教育とか、高齢者のこととか、障害者のことであるとか、そういう所で住民が自分たちでできることをやっていきましょうということを地域の方に提案していこうと考えています。
@大屋 人任せにしないということに
関連して言いますと、私共では確定申告における自力申告、自力記載ということをお願いしています。以前は申告書をお送りしましても封も開けずに署に持ってくるという方が多かったのですが、私共も大々的にPRしまして、最近はだいぶ認識して頂いています。もちろんお年寄りとか、どうしても書けないという方もいますので、私共も相談については万全の体制で臨んでおりますけれども、納税者の方には、ぜひ自分の納める税金について認識して頂いて、そして一人ひとりの方が、どういうふうに税金は使っていったら良いのかということを考えて頂ければ有り難いと思います。
@中田 お忙しい中ありがとうございました。