めぐりあわせというか運命というか・・・

なかなか「なんだかなぁ」って生活を送ってる。
どうもこう思ってるようなイメージ通りの結果が出ない。
とはいえ、大きく見てしまえば20歳ころに今くらいの年齢の自分は想像していたよりはいいわけだけど。
しかし、ここ数年、10年くらいのあいだに限って言えば「どうなのだい?」って感じだな。
それは、生きてる上でのいろいろな巡りあわせとか・・・ 自分は動かなくても周りが勝手に動いて歯車が変わっていくってことで、自分ではどうにもできないような大きななにかに流されていく感じ。
小さな例えで言えばババヌキしてて、ツいてないときには何をどのように考えて選んだとしてもババを引いてしまったりする。
それはその日だけの運だとかにもよるだろうが、人生ってその大きな延長線上にあるんだと思います。
だから、小さな何かはどうでもよくて大きなことに関しては生まれた時点で決定しており逃れようがないと。
事故や病気、転職や結婚、寿命などは当然のことでしょうなぁ。
だから俺が「これがベストな選択!!!」って考えてやったことが大外れな結果になっても、それが俺の持つ流れなのだから受け入れるしかない。
マインチさまざまな事件事故などがあるけど、同じような状況なのにそれを逃れる奴もいるわけで、明暗を分けるのは生まれる前に持つ運や寿命なのかもね。
だとしたら、俺っていう人間はどこにどのような形で流れて行って人生を終えるのか?
そうそう、人生ていえばさぁ、寝たきりの人って「生きてる」って言わないよね?
つまり、50歳で植物人間になって70歳で亡くなったとしたら享年70歳になるけど、それは50歳で人生を終わってるわけですよ。
うーんっと。赤ちゃんが母体に宿った時から「生命の誕生」だから、そこから年齢は始まるわけ。
でも、生まれるまでは「生きてる」って言わないから年齢にカウントされないのと同じだと思います。
それを拡大解釈すると、おいしいものを味わうことができて自分の判断で動くことができたりして悦びを享受できるまでが寿命でしょ?
さまざまな苦痛の中で生きていく時間ってのは死んだも同然な感じがします。
そのような色々なことを考えていくと、「では俺はどうなのだ?」って話になるわけで。
今の俺も死んでるのと同じですかね。
なんかなにもかもが楽しくないなぁ。そんな日々を生きてる中で5年後にはもしかしたら?なんていう、あまりにも根拠のない希望だけを持ってるわけです。
今送ってる人生のように、なにやらいろいろな面倒なことばかりな日々の中で、ある日
「やっと出ることができたよ」
ってマインチ起こる日々の出来事の順番待ちをしていた「俺の中での良いこと」が顔を見せてくれるのを待ってるイメージです。
生きるってことはホントに苦でしかないね。
50個の苦を乗り越えて、やっと小さな1個の喜を見つけられるって人生を送ってます。
だから、それに行きつくまでは消化試合的な感じで時間を浪費するしかないのかも。
なんかさぁ、それって若いころやったパチンコみたいなイメージ?
「あと数万円入れるまでは絶対に出ない」
から、それまで粘れるか?みたいな。
ただ、そんなこといってられるのは健康とか、まぁいろいろと満たされてるというか安定した生活の中にいるってことでしょう。
そうでなかったら日々生き抜くだけでも大変。
自然界では「生か死か」なマインチだからね。
ま、あと数十年。もう人生の折り返し地点はずーっとまえに過ぎてるわけですし、それなりに楽しい経験もしてきたから悔いはないんだけどね。
そうなってくると先ほどの自分で自分がわかる寿命で死ぬことがこれから生きる上での最大の幸せかもね。
どうもこう思ってるようなイメージ通りの結果が出ない。
とはいえ、大きく見てしまえば20歳ころに今くらいの年齢の自分は想像していたよりはいいわけだけど。
しかし、ここ数年、10年くらいのあいだに限って言えば「どうなのだい?」って感じだな。
それは、生きてる上でのいろいろな巡りあわせとか・・・ 自分は動かなくても周りが勝手に動いて歯車が変わっていくってことで、自分ではどうにもできないような大きななにかに流されていく感じ。
小さな例えで言えばババヌキしてて、ツいてないときには何をどのように考えて選んだとしてもババを引いてしまったりする。
それはその日だけの運だとかにもよるだろうが、人生ってその大きな延長線上にあるんだと思います。
だから、小さな何かはどうでもよくて大きなことに関しては生まれた時点で決定しており逃れようがないと。
事故や病気、転職や結婚、寿命などは当然のことでしょうなぁ。
だから俺が「これがベストな選択!!!」って考えてやったことが大外れな結果になっても、それが俺の持つ流れなのだから受け入れるしかない。
マインチさまざまな事件事故などがあるけど、同じような状況なのにそれを逃れる奴もいるわけで、明暗を分けるのは生まれる前に持つ運や寿命なのかもね。
だとしたら、俺っていう人間はどこにどのような形で流れて行って人生を終えるのか?
そうそう、人生ていえばさぁ、寝たきりの人って「生きてる」って言わないよね?
つまり、50歳で植物人間になって70歳で亡くなったとしたら享年70歳になるけど、それは50歳で人生を終わってるわけですよ。
うーんっと。赤ちゃんが母体に宿った時から「生命の誕生」だから、そこから年齢は始まるわけ。
でも、生まれるまでは「生きてる」って言わないから年齢にカウントされないのと同じだと思います。
それを拡大解釈すると、おいしいものを味わうことができて自分の判断で動くことができたりして悦びを享受できるまでが寿命でしょ?
さまざまな苦痛の中で生きていく時間ってのは死んだも同然な感じがします。
そのような色々なことを考えていくと、「では俺はどうなのだ?」って話になるわけで。
今の俺も死んでるのと同じですかね。
なんかなにもかもが楽しくないなぁ。そんな日々を生きてる中で5年後にはもしかしたら?なんていう、あまりにも根拠のない希望だけを持ってるわけです。
今送ってる人生のように、なにやらいろいろな面倒なことばかりな日々の中で、ある日
「やっと出ることができたよ」
ってマインチ起こる日々の出来事の順番待ちをしていた「俺の中での良いこと」が顔を見せてくれるのを待ってるイメージです。
生きるってことはホントに苦でしかないね。
50個の苦を乗り越えて、やっと小さな1個の喜を見つけられるって人生を送ってます。
だから、それに行きつくまでは消化試合的な感じで時間を浪費するしかないのかも。
なんかさぁ、それって若いころやったパチンコみたいなイメージ?
「あと数万円入れるまでは絶対に出ない」
から、それまで粘れるか?みたいな。
ただ、そんなこといってられるのは健康とか、まぁいろいろと満たされてるというか安定した生活の中にいるってことでしょう。
そうでなかったら日々生き抜くだけでも大変。
自然界では「生か死か」なマインチだからね。
ま、あと数十年。もう人生の折り返し地点はずーっとまえに過ぎてるわけですし、それなりに楽しい経験もしてきたから悔いはないんだけどね。
そうなってくると先ほどの自分で自分がわかる寿命で死ぬことがこれから生きる上での最大の幸せかもね。

