※残り人生から見た投資と生活スタイル

俺の場合、投資をしてるからといって日々の生活が大きく豊かになるとか、将来を安心するためにって考えはない。
投資などやってなくても欲しかったら買うだろうし、将来への金銭的不安のないような生き方をしてきたから。

では、投資って何さ?

ってなるのだが、これはあくまでも娯楽です。
歳を重ねていくと日々愉しいこともなく、若い時のようにwktkも無くなるんですよ。
それは俺がそういう生き方を望んできたってのもあるんですけど。

そんな平坦な残り人生で、日々根菜によって愉しく過ごすことができるってのはいいことです。
おそらく〇ショックという大暴落が来た際にも、現在の含み益で対処できると思ってますし、それ以上下がっても、いままでもらった配当で充分にカバーできる範囲でしょ。
そんな安全圏にいながら日々の騰落を見て楽しめる。
優待を選んだりしながら楽しんで、それが届いてからも楽しめる。

常に日々変化があるので飽きることなく日々を愉しめます。
バフェ爺が、長い期間売買が出来なくても問題ない銘柄を勧めてましたが、それは騰落があっても気にしないでいられるってことでしょ?
〇千万持ってたらどうとか、1億円持ってたから・・・
そういうのは、どーでもいい。

人生って、どれだけ愉しめたのか?
ってことが重要であって、人と比べることなく自分が終了するときに
「あー、いい人生だったw」
って笑って終わることだと思います。

現在のところ、今のみんなを見送ることが出来たら、それは達成できる見通しですかね。
そういう考えもあるので、追加投資に関しては非常に消極的だし、やる必要性を感じられません。
結局ね、俺が働いてた時に思ってた「追加で積み上げていくカネってのは結局使うことなどない」ってことです。
労働でストレスを溜めたり、時間を消費するってことは非常にもったいない。
俺みたいにgdgdしてて、なにいってんの?
と思われるかもしれないが、俺の現状は0ですよね?
しかし、労働したり人とかかわる、外に出て渋滞に巻き込まれるとか違反事故をするなどってことはマイナスです。
食事に行って対価価値のないものを食べるってのも無駄です。
俺は質素な食事でも充分に満足できますよ。
費用対効果が重要ですから。

自分が誰かの養分になってるって思うとガッカリします。
割高な商品、サービスなんて無駄でしょ?
いくら緑が払ってくれても、それは違う。

そういう生き方をしてる今は、日々愉しく満足してます。
日々、投資で精神を左右されることなかれ。
どうせ投資してなかったら、そのオカネは定期預金0.5%での運用がMAXでしょ?
10年後に5%しか増えないのだったら、緑で年間5%もらって4000円の根菜が3500円になってたとしても4000円×5%×10年×0.8-(4000-3500)で1600-500の1100円残ります。
定期では4000×0.5%×0.8×10年の160円

4000円が3500円に落ちても1100円残るのと、絶対に元本割れせず増える160円

だったら、以前書いた緑年金として毎年配当を受け取って愉しく消費した方がいい。
とにかく人生は愉しく過ごすってことが重要です。

明日は、なにを食べようかな?
さっき恵美里の持ってきてくれたキウリ3個を漬物にしたから、明日はそれで美味しいゴハンを食べよう。
昼の暑い時には半額で買ったジャイアントコーンをH美と食べたりしながら小豆と遊ぼう。
明日もイチンチ、金魚に何度もエサを上げたり、大豆や梓、ほかの生き物の世話をして過ごそう。
なにもかも、人生が終わるときに笑っていられるように。

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