気楽なマインチ 2016/5
この「気楽なマインチ」ってタイトルはこれからもたびたび使うと思うので、タイトルに年月だけ入れました。
ま、徒然日記みたいな感じでw
さて、マインチ働きもせずに朝からウサギやハトの世話をして、腹が減ったら何かを食べ、あびりたかったらあびり、午後になって眠くなったらシエスタイムを数時間。
そして寝るまでの時間は適当にネットをしたりして過ごしながらハトやウサギと遊び、大豆と寝るようなお気楽生活。
そんな中で、欲しいものを探すのにネットを徘徊。
「お!こんないいものが!」
って思ったりすると、とりあえずウオッチリストに入れておいて、落札される金額を確認します。
で、 (´・∀・‘) ヘー.やっぱりこのくらいの金額になっちゃうんだね。
とか
工工工エエエエエエェェェェェェ(゜Д゜)ェェェェェェエエエエエエ工工工こんなに高いの?
とか、勝手に思ったりします。
まぁ、それはそこに感性の差ってのが含まれてきますからね。
その感性の機微に触れる大きさや人数などで金額も大きく変わってしまう。
たまたまライバルがいない時などは、カナーリお安く買える時もあるのですが、たまたま1人。その1人のせいで大きく予算を超えてしまうということも少なくない。
だったら買わなくてもいいじゃん?バカじゃないの?
と、ゆんゆんになじられそうですが、そこはそれ「1点もの」ってのは、そう簡単ではないんですねぇ。
これを逃したら次は無い。ってのは諦めがつかないんですよ。
そういう意味では、以前俺が落札したイラストに対して「10万円で売ってください!」ってメールを送ってきた人がいましたが、そういう気持ちもわかります。
ただ、俺が今まで買い逃したイラストで、では10万円払っても欲しいものがあるのか?
と、そう聞かれたら・・・
以前はそれに近いものがあったんですけど、同じ出品者から似たようなものを買ったし、そちらの方が気に入ったので、だいぶ安く上がったんですねぇ。
ま、それでもかなりお高かったんですけども。
そんなわけで、子供もいないような我が家では、ハトやウサギ、金魚くらいしか飼っていないので出費するところが少ないので、どうしてもどうでもいいものばかり買ってしまう。
ゆえに、ゴミにならないものを買うようにはしてるんですけど、難しいものですねぇ。
でもね、だからといって何も買わず、お金も「減るのがもったいないから極力使わない」ってのは、それはそれで意味が無いのでは?
ある程度の無駄遣いをしながら楽しく過ごすってのが理想な人生かなって思いますね。
俺の友達に金遣いの激しい人がいますけど、その人の使い方が羨ましい。
しかもふげぇ羨ましい。
だって、そこまでお金を掛けられるってのは、そういう熱量があるわけで・・・
俺にはなかなかできないんです。当然、ただ何にでも使ってるわけではなく、ちゃんと法則やら理由があると思うんですよね。割と賢い人なので。
俺もなにか大きくのめり込めるようなことがあったら楽しい人生なのになって思うことが多い。
若いころには女の子や車なんかが、その対象だったんですけど、今現在にそこまで価値のある人や車はあるのかと。
少なくとも車には無いですね。しょせん消耗品ですよ。傷もつくし痛みもする。
その上に維持費も掛かってくるわけですから。
ウチのシロ豆は、あまり乗っていないしキレイに使ってるのでいまだに新車の香りがするところもお気に入りなので、別に他に欲しいと思う車もないですね。
女の子については知り合うところもないし、ま、いいかって感じ。
なんていうか、理想と現実の乖離幅が大きすぎます。
「この人と一生・・・」って考えられますか?
単にマインチ一緒にいたら数年、数十年経ったってだけで、それって家電製品と同じじゃん?
買い替える必要が無いから使ってるだけって感じ。
長い人生で、もっといい製品が出てきて買い換えられるのだったら、その新しい家電製品に替える人は多いでしょ?
人間の場合は子供がいたりとか世間体とか、ま、いろいろあるから代えないだけでしょうね。
でも、そこには「後悔」って言葉がずーっと付いて回る場合もありますけども。
この人に毎月これだけの金額、労力を掛けるのだったら、いっそのこと離れて楽になりたいとか。そういうことです。
そのためには出費もしかたないなと。それに行きつくための調停もね。
俺も少しばかり長生きしてるので、そういう事案はよく耳にします。
奥さんに土地家、車を取られて離婚したとか、慰謝料やら養育費を払ってるとか、はたまた養育費はシカトしたとかね。
本当に、そこに行きつくまでには相応の労力が必要なんですが、それでもみんな一時の気の迷いで婚姻してしまう。
とはいえ、では1人で歳を取って「咳をしてもひとり」の状態でもいいのか?
と言えば、それもどうなんでしょうねぇ。2人で一緒に歩いてきたからこそ苦楽を共にしてきたから楽しい人生だったと。そういう思い出話ができる人も必要なのかもしれません。
ですが、それもこれも自分が心地よく生活できるってことが大前提で、同じような価値観とか、価値観が合わなくてもお互いを認め合えるってことが大事ですね。俺がゴミのようなものを買っても否定しないでいてくれてるってのは、それは幸せな事でしょう。
今日はそんなことを考えてました。
人間死ぬときは、何も持っていけません。そして体もずっと自由に使うことはできないのですよ。
それができるときに好きなように生きるってことが大切ですし、死ぬときに
「あぁ、楽しい人生だったな」
と、そう思える生き方をしたいですねぇ。
ま、徒然日記みたいな感じでw
さて、マインチ働きもせずに朝からウサギやハトの世話をして、腹が減ったら何かを食べ、あびりたかったらあびり、午後になって眠くなったらシエスタイムを数時間。
そして寝るまでの時間は適当にネットをしたりして過ごしながらハトやウサギと遊び、大豆と寝るようなお気楽生活。
そんな中で、欲しいものを探すのにネットを徘徊。
「お!こんないいものが!」
って思ったりすると、とりあえずウオッチリストに入れておいて、落札される金額を確認します。
で、 (´・∀・‘) ヘー.やっぱりこのくらいの金額になっちゃうんだね。
とか
工工工エエエエエエェェェェェェ(゜Д゜)ェェェェェェエエエエエエ工工工こんなに高いの?
とか、勝手に思ったりします。
まぁ、それはそこに感性の差ってのが含まれてきますからね。
その感性の機微に触れる大きさや人数などで金額も大きく変わってしまう。
たまたまライバルがいない時などは、カナーリお安く買える時もあるのですが、たまたま1人。その1人のせいで大きく予算を超えてしまうということも少なくない。
だったら買わなくてもいいじゃん?バカじゃないの?
と、ゆんゆんになじられそうですが、そこはそれ「1点もの」ってのは、そう簡単ではないんですねぇ。
これを逃したら次は無い。ってのは諦めがつかないんですよ。
そういう意味では、以前俺が落札したイラストに対して「10万円で売ってください!」ってメールを送ってきた人がいましたが、そういう気持ちもわかります。
ただ、俺が今まで買い逃したイラストで、では10万円払っても欲しいものがあるのか?
と、そう聞かれたら・・・
以前はそれに近いものがあったんですけど、同じ出品者から似たようなものを買ったし、そちらの方が気に入ったので、だいぶ安く上がったんですねぇ。
ま、それでもかなりお高かったんですけども。
そんなわけで、子供もいないような我が家では、ハトやウサギ、金魚くらいしか飼っていないので出費するところが少ないので、どうしてもどうでもいいものばかり買ってしまう。
ゆえに、ゴミにならないものを買うようにはしてるんですけど、難しいものですねぇ。
でもね、だからといって何も買わず、お金も「減るのがもったいないから極力使わない」ってのは、それはそれで意味が無いのでは?
ある程度の無駄遣いをしながら楽しく過ごすってのが理想な人生かなって思いますね。
俺の友達に金遣いの激しい人がいますけど、その人の使い方が羨ましい。
しかもふげぇ羨ましい。
だって、そこまでお金を掛けられるってのは、そういう熱量があるわけで・・・
俺にはなかなかできないんです。当然、ただ何にでも使ってるわけではなく、ちゃんと法則やら理由があると思うんですよね。割と賢い人なので。
俺もなにか大きくのめり込めるようなことがあったら楽しい人生なのになって思うことが多い。
若いころには女の子や車なんかが、その対象だったんですけど、今現在にそこまで価値のある人や車はあるのかと。
少なくとも車には無いですね。しょせん消耗品ですよ。傷もつくし痛みもする。
その上に維持費も掛かってくるわけですから。
ウチのシロ豆は、あまり乗っていないしキレイに使ってるのでいまだに新車の香りがするところもお気に入りなので、別に他に欲しいと思う車もないですね。
女の子については知り合うところもないし、ま、いいかって感じ。
なんていうか、理想と現実の乖離幅が大きすぎます。
「この人と一生・・・」って考えられますか?
単にマインチ一緒にいたら数年、数十年経ったってだけで、それって家電製品と同じじゃん?
買い替える必要が無いから使ってるだけって感じ。
長い人生で、もっといい製品が出てきて買い換えられるのだったら、その新しい家電製品に替える人は多いでしょ?
人間の場合は子供がいたりとか世間体とか、ま、いろいろあるから代えないだけでしょうね。
でも、そこには「後悔」って言葉がずーっと付いて回る場合もありますけども。
この人に毎月これだけの金額、労力を掛けるのだったら、いっそのこと離れて楽になりたいとか。そういうことです。
そのためには出費もしかたないなと。それに行きつくための調停もね。
俺も少しばかり長生きしてるので、そういう事案はよく耳にします。
奥さんに土地家、車を取られて離婚したとか、慰謝料やら養育費を払ってるとか、はたまた養育費はシカトしたとかね。
本当に、そこに行きつくまでには相応の労力が必要なんですが、それでもみんな一時の気の迷いで婚姻してしまう。
とはいえ、では1人で歳を取って「咳をしてもひとり」の状態でもいいのか?
と言えば、それもどうなんでしょうねぇ。2人で一緒に歩いてきたからこそ苦楽を共にしてきたから楽しい人生だったと。そういう思い出話ができる人も必要なのかもしれません。
ですが、それもこれも自分が心地よく生活できるってことが大前提で、同じような価値観とか、価値観が合わなくてもお互いを認め合えるってことが大事ですね。俺がゴミのようなものを買っても否定しないでいてくれてるってのは、それは幸せな事でしょう。
今日はそんなことを考えてました。
人間死ぬときは、何も持っていけません。そして体もずっと自由に使うことはできないのですよ。
それができるときに好きなように生きるってことが大切ですし、死ぬときに
「あぁ、楽しい人生だったな」
と、そう思える生き方をしたいですねぇ。