見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

ラオスで生きる若者たち

2007-07-01 03:34:01 | ラオス
10年も音沙汰のなかった新聞社の知人から、旅先に突然のメールが舞い込んだ。関西出身の彼女の同級生がラオスに住みついて仕事をしているという。その同級生ヤヨイさんにぜひ会ってほしいというメールだった。10年も音沙汰の無かった彼女は、すでに結婚して子供を育て「戸隠でバックパッカー宿を開くのが夢」とメールに簡単な近況を語っていた。10年前と変わらない逞しさだ。

ヤヨイさんには、ラオスの滞在についてメール上で多々アドバイスをいただきお世話になった。今月末に結婚するというスウェーデン人の彼と一緒に、ビエンチャンのラオス料理店で食事をしているうちに、「近くに日本人の若い夫婦が経営しいるカフェがあるから行こう」という話になった。

ヤヨイさんに誘われて行ったのは、通りの角に建ち、2方をガラス張りにした明るいカフェ「YULALA(ゆらら)」。手書きのメニューが並んだ入り口で靴を脱ぎ、大きなガラス戸を開けて店に入る。店内は、藤のイスとテーブルが3組とマットレスの座席が3組が形良く配置され、ラオス織の布とランプがエスニックな雰囲気を演出するお洒落で素敵な空間。ユニークなのは壁一杯の黒板。色チョークを使って日本語、ラオス語、英語の3語で多彩なメニューが大きく書かれているので店内各所から一目で確認できる。
           
2年前にここに店を開いたのは、サヤさんとアヤさん。サヤさんは、大学の研究フィールドにラオスを選んで1999年に初めてラオス入り。どっぷりとラオスに浸かっているうちに「根掘り葉掘り人の話を聞き出す仕事より、人を喜ばせる仕事をしたい」とカフェの開店を決意。同時に日本からアヤさんを連れてきてしまった。店では、サヤさんが厨房に入って腕を振るう。

「心配なのは病気になった時。医療技術や機関は未発達。それが不安になったとき、ここにどのくらい住み続けられるのかはわからない。でも、今はゆとりがあって満たされた生活。先のことはまだ深く考えられない。」とアヤさん。大学院で陶芸の研究をしていたが、ラオスではその研究を生かす場所は見つからない。それでも今はいい、と彼女は笑う。
           
翌日の昼に、店の定食を食べに行った。「ビーフコロッケ定食」。日本のコロッケのように歯に応えて美味しい。
食べている間に、次々と客が入ってきた。すぐに店は満杯になって、何人かのグループが入り口から中を覗いて諦めて帰っていく。
お客の多くは在住外国人。日本風メニューも多いが、欧米系のお客が多い。
素敵な若い夫婦の決断と笑顔にちょっぴり妬けて、店をあとにした。
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