褒賞式典が行われた。
各業界から推奨された「匠」が長年の功労を賞される式典である。「平服で」と毎年の招待状に但し書きをするが、ほとんど全員がネクタイや着物、ロングスカート姿で式に参列する。
君が代を斉唱し、国旗に一礼して式典が始まる。
賞される多くは年配の男性であり、着物姿の女性が付き添っている。なので、「受賞されました皆様、そして支えてこられた奥様並びにご家族の皆様・・・」と来賓が挨拶するのは、まあ仕方ない。受賞者に女性はいるし、家族を伴わずに一人で参列する人もいるが、少数者に頓着してはいけないというのがこの世界である。私もだんだん慣れてきた。微かなため息は禁じえないにしても。
が、気になるのは受賞シーンを撮ろうと壇上にあがり、受賞者を取り囲んでカメラを操作する取材人たちである。
何がといって、服装に礼節がない。
壇上の人々、臨席する人々がそれなりの服装に身を包み、静粛な場として進行されているにもかかわらず、取り囲んでTVカメラを回し、フラッシュをたくマスコミ取材人は、真っ赤でカジュアルなウインドブレーカーだったり、Tシャツによれよれのジーパン姿だったりする。
褒状授与の壇上での彼らの存在は目障りなのだ。雰囲気台無しである。
取材とは言え、場をわきまえた服装で会場に入るべきだろう。
スーツで来いとは言わない。中にはジーパンが場に合う民間主催のラフな受賞式典もあるだろう。
それぞれの式典の趣旨や様子は取材前に当然把握しているはず。そうした事前情報を把握できず場の雰囲気を壊す取材陣は会場に足を踏み入れる資格がない。
以前、自分が運営していた組織で、行政の仕事に協力したことがあった。
依頼されたのは、行政主催の市民懇談会の司会役である。
懇談会は4分科会あったため、私を含め4人のスタッフに司会役を割り当てた。進行方針やまとめ方について前日に打ち合わせし、いよいよ当日。
市民が会場に次々と参集し始めたとき、司会役の一人である40代のスタッフが、ラフなシャツとシーパン姿でやってきた。
「しまった。服装まで指示しなかった」と後悔しながら、彼に至急着替えてくるように指示。他のスタッフは、いつもの仕事着とは違う意識した服装だ。
「ボクたちは、行政とは違うんですから、気取らなくていいのでは」と言いながら、彼は着替えに戻っていった。
行政主催の事業である。率直な意見を聞きたいが、行政職員より、行政と市民の間の中間的役割を担う組織の人間が司会を務める方が、より効果的だと考えた行政の意図が理解できた。
とすれば、司会を担う自分たちは、市民にも行政にも礼を尽くす服装や言葉遣いが必要だろうと、すべてが終了した後で彼に話をした。
場に合った服装、相手に礼を欠かない言動やマナーが、時間や空気を共有するものには求められるのだと、今も思う。
場の雰囲気や趣旨を無視し、自分のスタイルだけで厳粛な場に踏み込む取材者には、この先も慣れそうにない。
↓こちらもゆっくりご覧ください。
各業界から推奨された「匠」が長年の功労を賞される式典である。「平服で」と毎年の招待状に但し書きをするが、ほとんど全員がネクタイや着物、ロングスカート姿で式に参列する。
君が代を斉唱し、国旗に一礼して式典が始まる。
賞される多くは年配の男性であり、着物姿の女性が付き添っている。なので、「受賞されました皆様、そして支えてこられた奥様並びにご家族の皆様・・・」と来賓が挨拶するのは、まあ仕方ない。受賞者に女性はいるし、家族を伴わずに一人で参列する人もいるが、少数者に頓着してはいけないというのがこの世界である。私もだんだん慣れてきた。微かなため息は禁じえないにしても。
が、気になるのは受賞シーンを撮ろうと壇上にあがり、受賞者を取り囲んでカメラを操作する取材人たちである。
何がといって、服装に礼節がない。
壇上の人々、臨席する人々がそれなりの服装に身を包み、静粛な場として進行されているにもかかわらず、取り囲んでTVカメラを回し、フラッシュをたくマスコミ取材人は、真っ赤でカジュアルなウインドブレーカーだったり、Tシャツによれよれのジーパン姿だったりする。
褒状授与の壇上での彼らの存在は目障りなのだ。雰囲気台無しである。
取材とは言え、場をわきまえた服装で会場に入るべきだろう。
スーツで来いとは言わない。中にはジーパンが場に合う民間主催のラフな受賞式典もあるだろう。
それぞれの式典の趣旨や様子は取材前に当然把握しているはず。そうした事前情報を把握できず場の雰囲気を壊す取材陣は会場に足を踏み入れる資格がない。
以前、自分が運営していた組織で、行政の仕事に協力したことがあった。
依頼されたのは、行政主催の市民懇談会の司会役である。
懇談会は4分科会あったため、私を含め4人のスタッフに司会役を割り当てた。進行方針やまとめ方について前日に打ち合わせし、いよいよ当日。
市民が会場に次々と参集し始めたとき、司会役の一人である40代のスタッフが、ラフなシャツとシーパン姿でやってきた。
「しまった。服装まで指示しなかった」と後悔しながら、彼に至急着替えてくるように指示。他のスタッフは、いつもの仕事着とは違う意識した服装だ。
「ボクたちは、行政とは違うんですから、気取らなくていいのでは」と言いながら、彼は着替えに戻っていった。
行政主催の事業である。率直な意見を聞きたいが、行政職員より、行政と市民の間の中間的役割を担う組織の人間が司会を務める方が、より効果的だと考えた行政の意図が理解できた。
とすれば、司会を担う自分たちは、市民にも行政にも礼を尽くす服装や言葉遣いが必要だろうと、すべてが終了した後で彼に話をした。
場に合った服装、相手に礼を欠かない言動やマナーが、時間や空気を共有するものには求められるのだと、今も思う。
場の雰囲気や趣旨を無視し、自分のスタイルだけで厳粛な場に踏み込む取材者には、この先も慣れそうにない。
↓こちらもゆっくりご覧ください。
取材スタッフの服装もそうですが、
小泉内閣がやった「クールビズ」のおかげで
世の中、服装が乱れてきているように思います。服装の乱れは、心の乱れにつながっていないか心配です。
国家公務員たちは夏場は皆、クルービズと称してノータイかつ首元は開けている。
冷房の温度を28度設定にし、ひいては環境に配慮するという趣旨はいいとしても、節度を失ってしまっていると思う。
裁判員制度を民間企業に説明に回る検察官が、スーツ・ネクタイ着用し、ビシッとして会議室に集まる40名ほどのある企業の社員を前に、だらしない開襟シャツで説明をしているニュースを見たことがある。
公務員が、国民に対して趣旨を理解してもらうための説明会であるにもかかわらず、なんて態度なのだろうと思った。
公務員を採用するための面接試験に官庁訪問というのがある。学生たちが、内定を求めて、自分の意中の官庁を訪問して自己アピールする、そしてその中から官庁側が選考をする。学生たちは、就職をかけて一生懸命に着慣れないスーツを着て、汗をかきかき、緊張して来ているはずだ。相手が、正装で、きちんとして真面目にのぞんでいるにもかかわらず、クールビズで応じるのが当たり前のようになっている。
こういうことを言えば、「そういうしゃちこばった中でやるよりも、ネクタイはずして、肩の力を抜いて、普段着の学生と話した方が、よく学生のことがわかるのだ」というだろう。
それはそれでわからないではないが、私は、面接試験くらいきちんとやるべきではないかと思う。
TPOをわきまえ、きちんとすべき時にビシッとできないようではダメだと思う。
今は総理になった安倍さんもクールビズということであろう、ノーネクタイだったが、いつも上着を着ていた。趣旨からすれば、上着こそいらないのではないか。上着を着込んで、冷房をガンガンかけるから、薄着の女性たちは具合を悪くしてしまうのではないか。
最後にもう一つ。「環境に配慮してクールビズです。ご理解お願いします。」というのではなく、公務員が28度で我慢する姿を国民に示したらいいのではないか。環境に配慮することと、服装が乱れることとは違うはずだが、実際には、服装の乱れを誘い、服装の乱れは、仕事の態度をもラフなのんびりムードにしてしまっていはしないだろうか。「武士は食わねど高楊枝」ではないが、公務員は暑くとも涼しい顔をして国民の範となって欲しいものだと思う。
ついこの話題に反応し、長々と書いてしまいました。ごめんなさい。
私の職場でも、昨年からクールビズが推奨されていますが、男性の「ネクタイを外して、いつものワイシャツを開襟」というスタイルだけは、見たくありません。
アイロンのかかったシャツを着ているのに、「草臥れたサラリーマン」「仕事に疲れた男」のイメージです。与える印象は「失礼」を通り越して、「哀れ」ですらあるのは、どうしてでしょうか。
おっしゃることは良く分かるのですが、ライターやカメラマンにセミフォーマルに近い格好を求めるのは、あまりにも無茶だと思います。
(記者および編集者ならまだしも)
撮影タイミングをのがせない重要な場面であるほど、撮影は戦争です。隣の他媒体のカメラマンには1mmたりとも場所を譲らぬ、死守するぐらいの心意気がないと、突き飛ばされたり怒鳴られてシャッターチャンスを逃すからです。もしも専属カメラマンだった場合、その1回のミスで仕事を失うかも、というのは決して大げさな表現ではありません。
状況によってはホコリっぽい会場で、イベントが振興する間ずうううっと床に直で体育座りだの、膝立ちだのという姿勢を要求される中、はっきりいって服装には気を使えません。当方の性別は女子ですが、スカートなんてありえない。取材服=戦闘服ぐらいの考えでして・・・・。事前に「取材時の服装注意」をオフィシャル文書として出さない限り、いかなるフォーマルな場であろうとも取材する側のスタッフは、戦うための衣装で行くと思います。それが明日のご飯を食べるために必要な行為だからです。